2017年6月28日 (水)

第73回「海程」香川句会(2017.06.17)

菩提樹の花.jpg

事前投句参加者の一句

                         
唇溶けて脳も溶けたるミミズの心 KIYOAKI FILM
樹海より帰りましたとサングラス 島田 章平
陽炎や避難解除も戻れない 稲葉 千尋
愛知らず恋など未だに夏落葉 鈴木 幸江
麦秋や雲が西へと向かってる 山内  聡
蛍嗅ぐ夜のふくらむ時間です 田口  浩
そうめんの紅糸青糸三姉妹 重松 敬子
明け早し釣り師の孤影湖ゆらぐ 田中 怜子
麦秋や命輝く兜太句碑 寺町志津子
落し文新緑の愛に包まれし 漆原 義典
炎昼の奥へと一歩ずつ迷うよ 月野ぽぽな
芥子坊主こんな咄家居たような 小宮 豊和
人間(じんかん)の驕るなかれと蟻の列 藤田 乙女
あゆやなに纏わる黒猫の悪よ 疋田恵美子
最果ての地に敦盛と名乗る花 古澤 真翠
その先のことばは夏野そして空 小西 瞬夏
ゆったりと椅子婚礼の髪ほどく 三枝みずほ
君といて遠浅どこまでも素足 若森 京子
棄民集落いまも波音浜万年青 大西 健司
ゆらゆらと敗者集まり氷菓子 松本 勇二
サラダに薔薇わがまま女の水曜日 伊藤  幸
鉛筆を落とした指から春眠 河野 志保
沈黙というくらがりへバラ一花 谷  孝江
いっせいに蛙明るき通夜となり 竹本   仰
下の名をよべる三日め紫陽花さく 夏谷 胡桃
落し文ひらく樹海の溶岩(らば)の上 河田 清峰
麒麟には麒麟の夏の空がある  柴田 清子
落書きの壁はゲルニカ不如帰 小山やす子
海程の終刊赤き夏の月 菅原 春み
普段着の宮司多羅葉青葉して 高橋 晴子
渡る世はここぞとばかり蛙の子 藤川 宏樹
鍵穴は古墳のかたち風薫る 増田 天志
口の切れ味薔薇の棘にも似て美なり 中野 佑海
暗やみに子等の叫びや螢狩 髙木 繁子
イヨッオッと鼓高らか薄暑来る 野澤 隆夫
父の日の父を探して歩く町 三好つや子
帰去来(かえりなん)ひたすら麦の禾わけて 矢野千代子
眩しさよきみもわれもポピー土手歩む 桂  凛火
牡牛座に腰掛けずっと人見てる 野口思づゑ
万緑に埋もれた家に遅き灯よ 中西 裕子
ちちの空蟬ははの空蟬水にのり 男波 弘志
五月雨や抽斗のなかのアフリカよ 銀   次
蟻が蟻運ぶ正面石切場 亀山祐美子
可惜夜(あたらよ)の初鮎こんがり富士の旅 野田 信章
崩壊の危機こそ力月涼し 野﨑  憲子

句会の窓

三枝みずほ

特選句「棄民集落いまも波音浜万年青」浜万年青、字面を見ると恒久平和のように感じられる。それと対比して棄民集落、ここに暮らす人々にも平和に安全に暮らす権利があるはずなのに、それを奪われ、あたかも今の生活がずっと続くように、波音だけが聞こえる。作者の怒りや悲しみが季語との対比に集約され、感銘を受けた。問題句「木下闇白い緑に逢いたいが(小宮豊和)」白い緑とは何だろうかと勝手に推測。きっとこれは強い光に当たっている葉のこと。木下闇の中に作者はいて、脈々と生きている光る緑を求めているといったイメージが出来てしまった。勝手に解釈したかったので、問題句にさせて頂きました。

月野ぽぽな

特選句「崩壊の危機こそ力月涼し」ピンチはチャンスの前向き精神に共感。眼光には迷いなくそこに映る月は清々しく美しい。

中野 佑海

今日も香川句会は盛況で盛り上がりましたね。お世話になり有難うございます。 特選句「下の名を呼べる三日め紫陽花咲く」ジューンブライドでしょうか?やっとご主人を下の名でさん付けて呼べる様になると言う。この事を俳句にされた貴女は新婚さん?そして、降る雨によって色の変わって行く「紫陽花」と取り合わせるとは手練れ過ぎると思います。うーん手練れの新婚さん。特選句「可惜夜の初鮎こんがり富士の旅」富士山吟行楽しかったです。鮎も美味しかった。可惜夜と言う言葉がぴったりです。もう一度楽しめました。有難うございました。富士山にこんがり憧れている佑海です。

藤川 宏樹

特選句「奥行き無くそこに足踏みミシンかな(大西健司)」昔、母が嫁入り道具のミシンで家族のものを縫っていました。足を踏むリズムと洋服の縫い上がりが同調して垂れいく様に見とれていました。一人で足踏み板に座って揺らしてみたものです。大輪の革ベルト、クランクの動き。居心地よい小さな空間の体験が蘇りました。上五「奥行き無く」がよく効いています。

矢野千代子

特選句「螢嗅ぐ夜のふくらむ時間です」蛍の光のみを愛でていた幼少の記憶…。掲句は詩的発見であり独自の感受でしょう。その調和に魅かれる。他に「ツガヒノキツマドリソウすべて富士(漆原義典)」「牡牛座に腰掛けずっと人見てる」に注目。

増田 天志

特選句「落し文ひらく樹海の溶岩(らば)の上」貴方だけが生き残るとは、口惜しい。:富士樹海は、自殺の名所、心中も有るかも。落とし文には、死者からの怨念が書かれているかも。熔岩が、とても、リアルで、臨場感が、有る。

島田 章平

特選句「麦秋や命輝く兜太句碑」はじめて海程全国大会に参加させて頂きました。金子兜太先生の「海程終刊」という劇的な大会となりました。これまでの海程の歩み、そしてこれからの未来、万感迫るものがありました。吟行は金子兜太先生の句碑巡りでした。金子皆子先生のお墓もある総持寺には有名な「ぎらぎらの朝日子照らす自然かな」の句碑がありました。朝日に輝く命、まさに兜太先生の俳句の神髄です。豊かな秩父の野に広がる麦秋の中に句碑が輝いていました。

柴田 清子

135句から選ぶ十句の難しいこと。今回選んだ句は全て私の特選です。独自性の強く刺激あるものばかり。その中の「麦秋や雲が西へと向かってる」を特選。麦秋の頃のこの風景がたまらなく好きです。

山内 聡

特選句「万緑に埋もれた家に遅き灯よ」です。ただでさえ万緑に埋もれた家が夜になり万緑が黒ずんで家も所在がわからなくなります。あれこんな時間に家に灯がともった。灯がついた瞬間の黒ずんだ万緑を描いている、そしてそこに生活している人たちまで想像させてくれる。なにか一涼を得た心持ちになりました。

野澤 隆夫

特選句「卯の花や自転車押した通学路(河野志保)」中七「自転車押した」の「押した」にドラマを感じます。石坂洋次郎「若い人」のシーンです。そういえば、最近は石坂洋次郎も新潮文庫で再販してないですね。時に読みたくなりますが…。もう一つ。「サラダに薔薇わがまま女の水曜日」これもドラマです。「わがまま女」の「水曜日」が面白く、どうも「日曜日」ではダメのよう 。これもハヤカワ文庫にこんな「わがまま女」(でも普通の女かな?)が出て来るようです。問題句はなし。

若森 京子

特選句「芥子坊主こんな咄家居たような」芥子坊主が風にゆれていると咄家が喋っている様に見えた。この比喩の面白さに惹かれた。〝こんな咄家居たような〟の曖昧な措辞も一句を軽くはずませている。特選句「日光黄菅ちょい悪親爺にも朝日(小宮豊和)」ゆり科の黄金色の可愛らしい花の群れに朝日が差している風景がまず浮かび、そこにちょい悪親爺も仲間に入れて欲しい願望がユーモアたっぷりに書かれている。男の哀愁もちょっぴり。

小西 瞬夏

特選句「とおすみとんぼ妊りて透く暮し(若森京子)」とおすみとんぼがおなかに卵を抱えている様子、それが透けているという景を思わせ、いや身ごもっているのは作者か、とも思わせる。最後は「暮らし」という日常を置き、命を繋ぐたんたんとした営みが描かれている

男波 弘志

「とおすみとんぼ妊りて透く暮し」とおすみとんぼ、で切れ、人間が懐妊していると理解した。身籠り、透く、の連絡に女身の強さあり。「奥行き無くそこに足踏みミシンかな」単に狭い空間、だけではなく、過去への時間軸が寸断されている。「胸の辺の羽化するかたち烏蝶(三好つや子)」既に蛹から変態している蝶が、心音との交歓で更に変容している。「春の野に立てばあれこれみな情事」:「みな」の実体がうすい。「春の野に立てばあれもこれも情事」ぐらいでは。「その先のことばは夏野そして空」:「その先」が、全体の詩情の凄みに負けたかも。「そして」ではなく「そこに」、こそ。「まなかいの夏野はことばそこに空」「まなかいの夏野は一書そこに空」「ゆったりと椅子婚礼の髪ほどく」詩情よろし、確かな表現力。「君といて遠浅どこまでも素足」個から汎へ解放したい。「人といて」そのほうが物語性も生まれる。「ゆらゆらと敗者集まり氷菓子」この敗者は、人生の敗者にして一切を超克している。その証が、ゆらゆら、と氷菓子の華やぎだろう。「落し文ひらく樹海の溶岩の上」樹海で焦点がばらける、「真昼の溶岩の上」ぐらいでは。「表札なく白レグホンの産みつづく(矢野千代子)」異様な風景、家畜の性をつくづく考えさせられる。「明石出て風に抗う穴子鮨(重松敬子)」俳諧の風格、珍重、滑稽さが何かに抗うさま、重ねて珍重。「牡牛座に腰掛けずっと人見てる」神話の時代から人間は本当に進歩したいるだろうか。「蟻が蟻運ぶ正面石切場」石棺の中を歩く蟻、もう一切が済んでいる。宜しくお願い致します。今月も熱気があり楽しかったです。

漆原 義典

特選句「愛知らず恋など未だに夏落葉」は、愛、恋と夏落葉が妙に響きあい、感傷的な雰囲気が感じられる句で、特選とさせていただきました。私は1月以来5ヶ月ぶりに参加させていただきましたが、雰囲気が少し変わったように感じられ最初戸惑いました。句会のあと、小西瞬夏さんたちとお茶を飲みました。短い間でしたが楽しい時間を過ごせました。

大西 健司

特選句「君といて遠浅どこまでも素足」何となく二人の行く末を暗示するようで妙に気にかかる一句。ただ「君といて遠浅」短律の句として十分のような気もする。そんな勝手な読みをしながら、それなりに素足でどこまでも歩き続ける二人を認めている自分がいる。

夏谷 胡桃

特選句「そうめんの赤糸青糸三姉妹」。わたしの頭の中で高野文子の絵で三姉妹がそうめんを食べている図が浮かびました。短い言葉の中に色をイメージさせ懐かしさを喚起させてくれて、良い句だと思います。特選句「五月雨や抽斗のなかのアフリカよ」。これは個人的にわかる句でした。20代のときに半分仕事でアフリカに行きました。「アフリカの水を飲んだ者は帰ってくる」といわれながら、アフリカに帰れません。アフリカの記憶さえ遠ざかるなか、机の中のちいさな木彫りがアフリカへ行ったことの思い出なのです。全体的によその方の句を読んで、いろいろなことが思い出されるのが楽しかったです。

竹本 仰

特選句「その先のことばは夏野そして空」言葉というものを考えさせる句だなと思います。意味の面ではなく、その音楽性というか、霊性というか。たとえば、十三、四歳の頃の幼い恋に成り立っている言語観、ああいう世界の持つ、意味を離れた詩性というのか。あるいは、言語機能も運動機能も発達の遅れた子と十分交感しえているその一人の親友との間に成り立っている言語圏というか。言霊といったらいいか、意味の息抜きができて、うまく空無化されているあの世界を彷彿とさせます。この「空」は、ソラであり、クウでもあり、いいなと思います。特選句「ゆったりと椅子婚礼の髪ほどく」:「婚礼」という語彙が新鮮に感じられます。儀式というものの表と裏、準備があって、中味があって、その終わりが来て、そんな時間の流れと構造が立体化されているようです。それが、すべてにどの語もある重量を持ち、肉体化されていて、前の四七の句と対照的に、がっしり閉じた形の時間性、造形性を仕上げているように思いました。以上です。この間、香川句会ではないんですが、別の同人誌に鑑賞文を送ったところ、ある熊本の方からその選句について感謝のはがきをいただきました。あらためて、こういうコメントが、たまには人の役に立っているんだと、襟を正す思いになりました。徒然草で兼好法師は、祭りは終わった後こそ見るべきものがあると言っていたように思いますが、「句会の窓」など、本当に貴重なものだと思います。選句したものに限らず、この香川句会の流れなどもについてのふとした感想なども聞きたい気持ちもあります。清掃ではありませんが、はつらつとこの句会も皆さんで磨いていけたらと思うものであります。差し出がまし意見ですね、申し訳ありません。いつも、ありがとうございます。

銀   次

今月の誤読●「ビル街の朝焼け歓喜して奔る(河田清峰)」。あれは徹夜麻雀が終わった早朝やった。通りかかったんは「ビル街の」なんとも愛想のない無機質な道でな。わてら徹夜明けや。「朝焼け」がまぶしいてな。ほたら、あんた、若いオトコはんがビルから飛び出してきて、わてらのほうに走ってきますねん。その表情いうたら、どういうたらええんでっしゃろ、満面に笑みを浮かべて、まあいうたら「歓喜して」っちゅうやっちゃ。コラ、ぶつかるがな。わてそういいましたんや。ほたら、その若いオトコが、わてらを振り返って、企画書できたー! ちゅうて七、八枚の紙を空にかざすんですわ。知らんがな、そんなもん。ま、そういうて走って、というより全速力っちゅうか、漢字で書いたら「奔る」ですわな。飛ぶように奔っていったんですわ。なんや複雑な気分でしたわ。わてらヤクザもんは徹マンで疲れ切っとる。一方の若いオトコは徹夜で企画書書きあげて喜んどる。どっちが充実した夜を過ごしたんやろな。わてらは自販機から缶ビールを取り出してグイと飲んだ。だれかがボソッというた。あいつアホちゃうか。なかのひとりがこう混ぜっ返した。わてらもアホやけどな。わてがつづけて、生きとるもんはみんなアホじゃ。いうたらなんややたら可笑しゅうなってみんなで笑うたんですわ。

伊藤 幸

特選句「海程の終刊赤き夏の月」10日程前であったか大きく真っ赤な月が出た。  余りの感動に私もどうにかして句にしたいと思ったがインパクトが強すぎて出来なかった。故に海程の終刊を上語に持ってきてあるのには驚いた。納得!これなら赤い月にも匹敵する。よくぞ!という感じ。特選句「樹海より帰りましたとサングラス」オゾンいっぱい吸い込んでここは魔法の国か。夢と現実の間で酔いしれていたところ、いきなり俗世に連れ戻された。ああ、あれは何だったんだろう。サングラスを外し日常の眼になる。素晴らしかったでしょうね。行きたかったな~~。サングラスが夢と日常の境界線を表し効果をもたらしている。

稲葉 千尋

特選句「落書きの壁はゲルニカ不如帰」中七の「壁はゲルニカ」が強烈に私に迫りくる。ピカソの代表作を想う。特選句「鍵穴は古墳のかたち風薫る」まったく旨い。でも、どこかに有りそうな気もする。「帰去来ひたすら麦の禾わけて」は、おそらく大ベテランの句であろう旨すぎる。

重松 敬子

特選句「シュールな象の絵船は出て行きぬ(大西健司)」奇抜な象の絵と、背景に港の風景。特別なことを言っているのではないのだが、異国情緒豊かなこの感覚は、素晴らしい。: 今月も良い句に出会うことができました幸せに思います。宜しくお願いいたします。

野田 信章

「箱根八里青葉のアレグロアンダンテ(寺町志津子)」の句は私にとって、動きのある洒脱な浮世絵の現代版の趣がある。この線上において次句も味読している「シュールな象の絵船は出て行きぬ」の句になるとその舞台はさらに拡がりを見せて国外へと私を誘う句としての展開がある。揚げられた「シュールな象の絵」と共に。内から外へ。私も感性の窓を開きたい。

小山やす子

特選句「牡牛座に腰掛けずっと人見てる」少し不気味でそれでいて何処かユーモアを感じます。有り難うございました♪

鈴木 幸江

特選句評:「『構図はええよ』野太い声がばら園に(矢野千代子)」“ええよ”は、どこの方言だろう。厳しい助言も、優しくなる。ばら園で思わず構図を考えたくなる弟子の姿に、考え過ぎるな、まず、身体を動かしてみろと、伝えたいのだろう。考え過ぎる傾向のある私にも、口語体がよく働き、思いがよく伝わってきてありがたかった。特選句評:「父の日の父を探して歩く町」あっさりと書き、二通りの読みをごく自然に無理なくさせてくれるところがいい。ひとつは、認知症の父親を探しているという切ない姿。もう、ひとつは、現代社会の中で、変わりつつある新しい父親像を模索しているという困惑の想い。現代的テーマを扱あっておりながら俳味があり上手い。

中西 裕子

特選句「その先のことばは夏野そして空」は、明るくて広がりのある感じが好きです。問題句は「可惜夜の初鮎こんがり富士の旅」で上五「あたらよ」、のイメージと鮎がこんがりってなんかミスマッチで面白いと思いました。

三好つや子

特選句「ゆらゆらと敗者集まり氷菓子」格差社会の中で「勝ち組」と「負け組」のことばをよく耳にしますが、「勝ち組」とは、もともと太平洋戦争終結後、ハワイやブラジルなどの日系人社会で「日本が勝った」と狂信的に信じた人々を指すことばだったとか。そんな時代に思いを馳せ、鑑賞しました。特選句「もう空を飛ばぬ箒と夏帽子(小西瞬夏)」未来を信じ、いつも何かにときめいていた頃が懐かしいです。入選句「一木にやたらつく蝉出生地(男波弘志)」蝉の鳴き声にも、樹によって方言があるのでは・・・と想像。とても惹かれました。

菅原 春み

特選句「蛍嗅ぐ夜のふくらむ時間です」ふくらむ時間がおもしろい。季語も嗅ぐまでいうところも。特選句「蟻が蟻運ぶ正面石切り場」よく見ています。蟻が蟻に感銘。

松本 勇二

特選句「夏の空いつも腹ぺこ三兄弟(増田天志)」小生も男3人兄弟で育ちました。その少年時代そのもので懐かしく拝読。問題句「ちちの空蟬ははの空蟬水にのり」瑞々しい感覚で書かれていて共感しました。しかしながら父と母をひらがなにする意図が今一つ見えてきませんでした。

寺町志津子

特選句「海程の終刊赤き夏の月」選句表を開くと、一目、パッと飛び込んできて、最後まで目の離せない句であった。過日の熊谷大会での兜太師の決意をお聞きした時の衝撃の大きさは筆舌に尽くし難い。俳句誌上、類稀な長きに亘っての歴史ある『海程』。句歴の浅い私にとっても、『海程』所属は大きな誇りである。これは、勿論、『海程』所属の方々どなたも同じ思いでおられるのは自明のことに違いない。それが無くなる。一瞬思考が停止した。それが納得できたのは、兜太先生の「『海程』を「終刊」する」お話の最後にされた「美意識」と言う言葉であった。『「金子兜太が主宰した俳誌が海程」と言うことに、強い拘りがあります』とお聞きした時、何かすっと胸に落ちてくるものがあった。大変烏滸がましいことではあるが、兜太先生に徹底して美意識を全うして頂きたい思いに駆られた。複雑にうごめく胸の内に、心に、掲句の「海程の終刊」と「赤き夏の月」の取り合わせが、理屈無く、すっと入ってきて頂いた。

田口  浩

男波さんの撒き餌に上げられた。「海程」の集まりが、サンポートであることを知った。老いの好奇心が騒いだ。そして、野﨑憲子さんにたどりついた。特選「雨音や一瞬の死が通りすぎ」上五の切れが、〝通り過ぎ〟へ巧みに転回する妙に感じいる。天候自然の運行を前に、人の生死など、何ほどの事があろう。問題句「麒麟には麒麟の夏の空がある」キリンを漢字にする必要が、あるのだろうか?リフレーンの効果は?キリンと夏空だけで詠んでほしい。三メートルを越すキリンの孤高と夏空の対比が面白くての、非礼。

古澤 真翠

特選句「翠蔭の底の深みにひとりかな」森林浴を愉しむ作者の 静謐な感覚が伝わってくるようです。「ひとりかな」に「凛」とした姿勢が感じられて清々しい風が運ばれてきました。

疋田恵美子

特選2句。「今が一番楽しいんですほうたる(野﨑憲子)」今が一番「私達の年代になりますと責任ある諸用を終、自分の為のみの時間嬉しさ」を思います。「君といて遠浅どこまでも素足」君といて「熟年のご夫婦、平凡でいい、共に健康で幸をかみしめている」羨ましいような。

河野 志保

特選句「万緑に埋もれた家に遅き灯よ」緑濃き季節のたそがれ時の空気が伝わった。語られているのは人の暮らしと自然の近さ。どこか懐かしい、ある日の平穏といった感じも。しっとりとした魅力の句だと思う。

小宮 豊和

特選句「鉛筆を落とした指から春眠」居眠りして鉛筆をとり落とした。これを逆に言った。表現も発想も粋でお洒落。問題句「落し文新緑の愛に包まれし」:「の愛」がやや唐突に感じられる。削除しても句になっている。ここに良いフレーズを。問題句「五月雨や抽斗のなかのアフリカよ」良い句だと思うが少々語呂が気になる。語順を変えただけでも語呂は多少良くなる。(抽斗のなかのアフリカ五月雨るる)もっと良い表現は必ずあると思う。問題句「独身の物理学者や草かげらふ(菅原春み)」着想すばらしい。「草かげらふ」が気になる。物理学者が弱々しくかわいそう。夏の月などに変えても印象が変る。

桂  凛火

特選句「棄民集落いまも波音浜万年青」棄民集落という強いことばに負けない強さが浜万年青に感じられました、やるせなさがひたと伝わる凝縮力のある句だと思います。問題句「可惜夜の初鮎こんがり富士の旅」可惜夜は素敵なことばですね。俳句に使われることに斬新な感じがしました。ただ、明けるのが惜しいようなというロマンと初鮎こんがりという食べものとの取り合わせと「旅」で締めく くるところの結びの緩さに少し違和感が残りました。

田中 怜子

特選句「ほうたるの夜や母がゐて父がゐて(小西瞬夏)」懐かしい日本の田舎の原風景。特選句「父の日の父を捜して歩く町」この人はどんな生い立ちだったのか、どんな人なのか、思いを馳せました。

藤田 乙女

特選句「その先のことばは夏野そして空」眼前の風景も自分の心の空間もどんどん広がっていくような爽やかな気持ちになりました。特選句「君といて遠浅どこまでも素足」 青春の明るさと目映さ、そして過ぎし日への懐かしさを感じ、清々しい気分になりました。

高橋 晴子

特選句「百年の梅の実なりて退職日(中西裕子)」百年の古木の梅もびっしり実をつけて私の退職を共に祝ってくれているようだ。長年の勤めを無事に終えた感慨の一句。問題句「陽炎や避難解除も戻れない」思いはよくわかる。自己責任だなどど無責任なことを言って止めざるを得なくなった大臣もいたが〝も〟だけでは表現不足。字余りになっても、そこの処をもう少し何とかしたいもの。

河田 清峰

特選句「落し文青しよ八十路のわが肉も(野田信章)」くぬぎの葉を筒に巻きその中に卵を産む落し文へ青しと呼びかけ、われは八十にして文を書く若さがあると言う!その若さに感服しました!そうありたいものです!

亀山祐美子

特選句「普段着の宮司多羅葉青葉して」辞書に「多羅葉。古代インドで文書や手紙を書くのに用いた多羅樹の葉。干して切り整え、竹筆や鉄筆で文字を彫りつけたり、写経に用いた」とある。多羅葉と宮司と云う古くからの文化を今に伝える存在の特別感とその神職も普段着(背広やシャツ)を着るのだという今時の宮司の日常の変化に軽い驚きを覚えた。平明な内容ながら伝えるものは深い。特選句「青葉木菟毎日来ます豆腐屋も(谷孝江)」森の哲学者たる梟の仲間の「青葉木菟」は夜鳴く。「豆腐屋」の朝は早い。出来立ての商品を持って豆腐屋がやって来る時間に青葉木菟も鳴く。毎日判を押したように一日が始まる。何と羨ましい環境なのだろう。旨い豆腐が食べたい。問題句。「春の野に立てばあれこれみな情事」既に春の野にいるから「立てば」は不要。「あれこれみな情事」は春だから当たり前でしょう。「春の野」の季語の説明をしてはいけない。「今が一番楽しいんですほうたる」俳句は今この瞬間を詠むものだから「今」は不要。「一番楽しいんです」は作者の感想、主観。「楽しいこと、愉しさ」を物に託し語らせましょう。「薫風やトイレ掃除は素手でする(稲葉千尋)」「トイレ掃除は素手でする」は「掃除道・運気の上げ方」等のハウツー物の一文にありそう。当たり前過ぎて、あなたトイレ掃除は生まれて初めてか?と逆に羨ましい。俳句と散文の違いは十七文字に時空の拡がりがあるかないかだと思う。自分の言葉で語ることだと思う。久々の句会、盛況で何よりです。またお邪魔致します。

野﨑 憲子

特選句&問題句「唇溶けて脳も溶けたるミミズの心」私にとって難解な句である。だから余計に惹かれる。〝心〟に集約してゆくミミズの思い。そこに詩が生れる。大いなるいのちの中に生かされている。ミミズも、螢も、私も。作者の、いのちの詩にこれからも耳を澄ませていきたい。特選句「海程の終刊赤き夏の月」五月の「海程」全国大会の総会に於いて『2018年9月をもって、「海程」を「終刊」することとします。』の文章を読み上げる、金子兜太主宰の声は明るかった。この一瞬も「過程」であると、私は、そう感じた。主宰は、まだまだ進化されるのだと思った。終刊後も、「海程香川句会」は、存続できることになった。これからが本番であると強く感じる。俳句に、こうでなければならないという創り方は無い。師は常に「自由に、お創りを!」と話される。揚句の「赤き月」は、その時の、海程人の心情を見事に描いている。しかし、私にとって師は今も、真っ赤に燃える太陽そのものである。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

泳ぎ来る青大将をポチと待つ
野澤 隆夫
ゆらゆらと立っている人蛇の衣
男波 弘志
顔を寄せた土偶が笑う蛇が笑う
田口  浩
まざまざと人間の眼大蛇の眼
三枝みずほ
朝焼
富士山を摘まんで撫でて朝焼す
野﨑 憲子
朝焼の蛇の視線のあをさかな
亀山祐美子
夏朝焼のやうな野際陽子
柴田 清子
子が母の手を引くやうに朝焼ける
三枝みずほ
梔子
本当のことまだ言えず梔子の実
三枝みずほ
梔子の花に疲れる男女かな
田口  浩
梔子のどこまでも過去いつまでも
鈴木 幸江
花林糖
花林糖ふつふつ思いを練り上げし
中野 佑海
毎日毎日花林糖みたいなことを言う
鈴木 幸江
くちなしや前歯なき子の花林糖
藤川 宏樹
花林糖山盛り失恋の麦酒
亀山祐美子
花林糖ガリッ六月の旋風
野﨑 憲子
梅雨晴れや麻布十番花林糖
野澤 隆夫
夏野
昇る日の夏野の呼吸(いき)の青に酔う
小宮 豊和
本番に力出す奴夏野かな
藤川 宏樹
夏野の扉カチャッとウクライナの風
野﨑 憲子
矢印を夏野に向けよ阿弥陀堂
田口  浩
青春は遠し夏野をさまよえば
小宮 豊和
ひとひらの花を攫いし荒き波
銀   次
石ころはどこにでもあり卯波かな
山内  聡
前衛書弾けし墨の香夏の波
漆原 義典
スープにも漣立ちぬ薄暑かな
男波 弘志
漣や夜の底から来る期待
中野 佑海
六月の漣ジュゴンじゃないよ人魚だよ
野﨑 憲子
漣の光となりし残り鴨
山内  聡
夜具の舟畳さざなみ夜は遠永(とは)
銀   次
漣と名簿の上に生きる人
藤川 宏樹
青鷺
青鷺や美しいのか悲しいのか
藤川 宏樹
青鷺や田植し農夫の背中舞ふ
漆原 義典
青鷺や静から動へ誇張せし
山内  聡
ここぞと思う一歩譲らぬ青き鷺
中野 佑海
青鷺の夢見し結婚白鷺と
鈴木 幸江

句会メモ

安西篤さんのお葉書より/72回句会報より私なりの三段階評価をしてみましたのでご参考までに。☆レベル「生も死も花に遊びし生傷(きず)のまま(若森京子)「老師来て貂の冬毛のごとき冴え(松本勇二)「目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部(あべ)完(か)市(ん)(矢野千代子)」◎レベル「戦争のはなしソーダ水は水に(月野ぽぽな)」「座棺ありそこにほとほと麦こぼる(大西健司)」「白馬酔木カタカナ文字の反戦詩(稲葉千尋)」「あんぱんを春の形に焼く神戸(重松敬子)」「ぶらんこや膨らんでゆく影法師(野﨑憲子)」○レベル「子を二人連れ芹摘みに行ったまま(伊藤幸)」「甲冑の眼窩初蝶過ぎりけり(野田信章)」「ただそばに居るが大切ヒヤシンス(小宮豊和)「揚げ雲雀ポケットに亡母(はは)の診察券(寺町志津子)「はなちるや甘き腐敗の臭ひせり(銀次)」銀次さんのエッセイなかなか達者。

今月の高松での「海程」香川句会は、15名の参加。初参加の、田口 浩さんも、男波弘志さんと同じ、かつての岡井省二門の俊英。作品も句評も、とても興味深かったです。小西瞬夏さんも着物姿で句会にご参加、多様性こそ俳諧の華を実感しました。

五月の「海程」全国大会では、金子兜太主宰から、来年の「海程」八・九月号で海程誌を終刊するとの発表がありました。白寿を迎えられる主宰は、以後、俳句専心なさるとのことです。師の俳句への底知れぬ恋情を目の当たりにしたようで、深く感動いたしました。幸い「海程香川句会」での活動は終刊以後もお認めいただけたので、香川の地から、世界へ向けて世界最短定型詩である俳句のいのち漲る世界を発信していきたいと念じています。混沌の渦巻く自由なる俳句世界。それが、「海程」の真髄であると信じています。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。次回のご参加を楽しみに致しております。

句会報の<句会の窓>のコメントの中、三枝みずほさんの文章を、うっかり記載するのを忘れていました。次回の「通信欄」に銘記させていただきます。みずほさん、ごめんなさい。冒頭の写真は、八栗寺の菩提樹の花。島田章平さんの撮影です。

2017年4月26日 (水)

第72回「海程」香川句会(2017.04.15)

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事前投句参加者の一句

       
海征きて陸(おか)はサクラと石の人 藤川 宏樹
春の水ちちははの透くところまで 小西 瞬夏
山里にしゃぼん玉する老女かな 髙木 繁子
大橋の向こうに沈む日永かな 山内  聡
生も死も花に遊びし生傷(きず)のまま 若森 京子
夕桜かなしみしまう鍵なくす 桂  凛火
白馬酔木カタカナ文字の反戦詩 稲葉 千尋
山焼くや強風よりも大き声 菅原 春み
水仙の花の孤高と言へばさう 谷  孝江
ただそばに居るが大切ヒヤシンス 小宮 豊和
大仏の心臓きゅっと花もくれん 増田 天志
清明や海の朗らよ山に鳥 高橋 晴子
目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部完市(あべかん) 矢野千代子
花吹雪どの街角も美しき 中西 裕子
戦争のはなしソーダ水は水に 月野ぽぽな
唇の渇ききったる受難節 KIYOAKI FILM
迷路より海へ抜けだす放哉忌 島田 章平
日傘いまも姉はまわせり字弟国(おうぐに) 大西 健司
幕あひの草餅旨し金丸座 野澤 隆夫
老師来て貂の冬毛のごとき冴え 松本 勇二
花筏森の息吹きも載せており 漆原 義典
子を二人連れ芹摘みに行ったまま 伊藤  幸
菫咲く淡谷のり子の唇よ 夏谷 胡桃
甲冑の眼窩初蝶過ぎりけり 野田 信章
白木蓮こかれるゆめの敢(あ)へなかり 疋田恵美子
揚げ雲雀ポケットに亡母(はは)の診察券 寺町志津子
春雨や花びら塗れの大鳥居 古澤 真翠
タンポポの仲間に入れてもらう昼 柴田 清子
蛇泳ぐ真最中の水となり 男波 弘志
春満月今日の私を食べてって 中野 佑海
スキップするお尻が飛ぶよ花薺 三枝みずほ
引越して遍路に道を尋ねらる 鈴木 幸江
昼月に見入る蟋蟀理知的だ 野口思づゑ
墓に土筆婆ちゃんわたし唄っていい? 竹本  仰
逃げ水のあれはナースの帽子かな 三好つや子
菜の花やパレットに置く海の青 藤田 乙女
あんぱんを春の形に焼く神戸 重松 敬子
白梅に耳透く目覚め白湯うまし 小山やす子
春爛漫かたや空爆町破壊 田中 怜子
はなちるや甘き腐敗の臭ひせり 銀   次
旅馴れた人波の中花万朶 亀山祐美子
鵜の鳶の水のゆるゆる睦む春 河田 清峰
ぶらんこや膨らんでゆく影法師 野﨑 憲子

句会の窓

中野 佑海

『桜吹雪湧きし句会の熱き友』:特選句「生も死も花に遊びし生傷のまま」幼い頃って、なぜか手に足にお尻に生傷が絶えなかったですよね!?それだけ真っ向から真剣に色々なことに向かって行って、敢えなく粉砕してた気がします。そのくらい、死ぬまでこの人生勝負し、やりたいことを諦めないでってメッセージ。有り難くお受け致しました。 特選句「妹にもどるスイッチ桜餅(三好つや子)」桜餅の甘くて可愛くて初々しいあの桜の葉の匂い。妹という語感にぴったりフィットです。世の女性諸君、桜餅を食べて、妹背の契りを致しましょう!うーむ、この口が何時も言わずもがなを述べてしまうのです。

島田 章平

特選句「春の水ちちははの透くところまで」ちちははの透くところまで・・というゆったりした間合いの中に作者の父母に対する深い愛情がこんこんと湧いてくる。気になる句。問題句「春爛漫かたや空爆町破壊」シリア、アフガニスタンの悲惨な空爆のニュースが胸を痛める。北朝鮮の厳しい地勢状況を思うと日本も他人事ではない。掲句の「春爛漫かたや空爆」と言う表現に空々しさを感じる。詩は作者の心を表す。常に対象の心に寄り添いたい。

山内  聡

特選句「菜の花やパレットに置く海の青」この句が今回抜群に良かったです。「菜の花や」、ときて、「パレットに」、絵を描いているんだな、「置く」、黄色の絵の具ですか?、「海の」、エッ、「青」!何か手品を見せられて最後に種明かしを瞬時にさせられたような驚き。そして何と言っても美しい詩であり脳に鮮烈に浮かび上がらせる情景、客観写生。これは僕の中で名句にさせていただきます。いったい誰ですか?それと、問題句と言うわけではないのですが、とても気になる一句があります。「春爛漫かたや空爆町破壊」この句をいただいたのですが、この句に足りないものは詩情。こういう句はたぶん実感ではないしテレビなどで得た情報から作られた詩であるがために俳句に必要な実感が足りない。そしたら、反戦句はどうやって詠めばよいのだろうか?僕も反戦の句を詠んだことはありますが、自分で詠んでいて自分の句でないような気がするのです。そしてなぜか反戦の句はなかなか俳句になりにくい気がします。喉の切っ先に突きつけるように詠みあげるのか、オブラートで包んだように詠みあげるのか。もっと想像を膨らませて実感に近づけるのか、いや近づけない…。

小西 瞬夏

特選句「戦争のはなしソーダー水は水に」戦争のはなしを聞きながら、ソーダ水の泡がゆっくり抜けて水になっているのかもしれない。そんなリアリティを下敷きに「戦争とはいったいなんなのか」「ソーダの泡のように、なにも解決せずに消えてゆくようなものなのではないか」というような「無意味さ」が表現されている。

男波 弘志

「海往きて陸はサクラと石の人」サクラ、もフクシマ、も石のように硬直している。現代の風景。「人体は寺院よ初夏の風に立つ(月野ぽぽな)」:「立つ」、を生かし切るならば、「寺院」を「伽藍」にするべきかと。「父の春街にキリスト教の唄(KIYOAKI FILM)」長崎の風景であろうか、隠れキリシタンのことが浮かんだ。「黒椿四肢の水光の女流たち(野田信章)」特選、四肢のリアリズム、四つん這いの狂気を感じる。赤黒い色。「指先を濡らして透明リラの街(三枝みずほ)」:「指先の濡れて透明」只事に徹したほうが句意に合っているかと。「日傘いまも姉はまわせり字弟国」下5の地名が異界に拡がっている。「鳥帰りますコンパスの軸脚へ(増田天志)」製図の正確さが帰巣本能に暗示されている。「へ」を取って手元から虚空へ開放したい。「揚げ雲雀ポケットに亡母の診察券」終い切れないでいた、母の遺品。それをはおって雲雀野へ。「髪洗う身の内の海昏れるたび(月野ぽぽな)」実景の「海」、身の内の「海」、時間軸が2つながら存在している。詩の世界は時空をも変容させる。「白梅に耳透く目覚め白湯うまし」詩情は秀逸です。フォーカスを「耳透く」に絞りたい。「白湯そこに」でどうですか。「はなちるや甘き腐敗の匂ひせり」好きな句です。「匂い」を言わない方が嗅覚が働く。「甘き腐敗の向うより」では。

野澤 隆夫

昨日はお世話になりました。十四日(金)には夏井いつき句会ライブに参加。そして昨日は「海程」香川の句会。いつきさんの句会は千人以上の参加で各自一句の投稿。テーマは〝「なん?」〟。作句時間五分。袋回しで慣れてるようで、でも作れないものです。小生の駄句…〝我が体重53キロ花の冷〟。最終は参加者の拍手の音で決めるというやり方。一位は〝草の笛吹く子吹けぬ子見ている子〟でした。

特選句「目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部完市(あべかん)」阿部完市を知らず、男波さんに句と人となりを紹介され、これこれと特選句に。翡翠に目をあわせるドキドキ感。翡翠に〝あべかん〟さんを見た驚きがいいです。特選句「迷路より海へ抜けだす放哉忌」昭和三十九年、放哉の南郷庵近くに下宿してました。俳句も放哉も知らない二十代、迷路のようなどこから出てくるかわからない路地をよく散策しました。問題句「子を二人連れ芹摘みに行ったまま」:「そして誰もいなくなった」。クリスティの世界です。

若森 京子

特選句「春の水ちちははの透くところまで」あくまで懐かしい甘ずっぱい感傷的な春の水の流れを思う。永遠に探し求める流れである。特選句「日傘いまも姉はまわせり字弟(おう)国(ぐに)」字弟国の意味がはっきり分からないがきっと弟の国。自分の気持を入れると弟の黄泉の国の様に思え、弟を愛し続ける姉の気持が美しく哀しく書かれていて好きだった。

増田 天志

特選句「白馬酔木カタカナ文字の反戦詩」サリン、化学兵器の使用に対する反応の素早さが良い。

藤川 宏樹

特選句「菫咲く淡谷のり子の唇よ」放映中の昼ドラで見かけた浅丘ルリ子。白髪頭の私が子供の頃見ていた淡谷のり子に印象を重ね、思い巡らしていたときこの句に会った。印象的な分厚い紅唇。「淡谷のり子の唇」を「浅丘ルリ子の唇」に見立てて鑑賞した。若き日の可憐な姿も声も「菫咲く」様・・・。しかし「菫咲く浅丘ルリ子の唇よ」では字余り。「菫咲く淡谷のり子の唇よ」が、ドンピシャ嵌まります。さて作者の作句意図は、・・・如何?→作者の夏谷胡桃さんに自句自解をお願いしました。→句会で、作者の意図は?と話題になったそうです。あまり意図はないです。今、昭和史を勉強しています。二・二六事件や天皇機関説。歴史でキーワードとして習っていただけで、自分が何も知らないとわかって本を読み直しています。そんな本を読んでいた時に、ラジオから淡谷のり子の歌が流れてきました。懐かしい。私は歌というより、小さい頃にテレビで観た毒舌の淡谷のり子を思い出しました。淡谷のり子を調べてみると、昭和史をそのまま背負ったような人でした。彼女が生きていて今の時代を見たら、あの唇でなんといったでしょうか。「菫咲く」は「薔薇が咲く」とはじめ考えました。派手な彼女にあっているような。でも、調べているうちに、大胆な表向きの中に繊細な心があると考えて「菫咲く」にしました。

夏谷 胡桃

特選句「夕桜かなしみしまう鍵なくす」。はじめ読んだとき、鍵という言葉は使い古されてきたように感じ、通り過ぎました。しかし、「かなしみしまう鍵」をなくしている人が多いのでは、と思い至り、特選としました。かなしみしまう鍵は、私には俳句でしょうか。俳句にかなしみ閉じ込めて、どうにか生きていきます。特選句「揚げ雲雀ポケットに亡母の診察券」。お母様を亡くしたばかりなのでしょうか。最近まで通院に付き添っていたのでしょう。何気ないお母様が生きていた証です。問題句「あんパンを春の形に焼く神戸」。春の形とは? わからない。見てみたい。神戸ではよくあるもの? 

野田 信章

自分が、不調の時は他者の句も読みたくないし、見ても不満足なことが多々ある。これはやはり自己中心的で、次第に視野を狭ばめてゆくことだと反省しきりである。よき作り手になるには先ずよき読み手になることかなと思い定めている、愚者の言でもある。そこで勇気を出して今回の一二九句を拝読。不作、苦吟を嘆くよりも、これを見よと明示してくれる句が常に存在するものだと思いつゝ選句をしたのがこれらの十句です。鼓舞してくれる十句です。→野田信章選;十句 「白馬酔木カタカナ文字の反戦詩」「大仏の心臓きゅっと花もくれん」「山笑うあの人この頃口籠る(鈴木幸江)」「老子来て貂の冬毛のごとき冴え」「昼月に見入る蟋蟀理知的だ」「オオイヌノフグリしあわせ踏んで戦って(夏谷胡桃)」「墓に土筆婆ちゃんわたし唄っていい?」「かたかごや寒くないです若いから(小宮豊和)」「白たんぽぽ邪鬼のなみだの涸れきって(矢野千代子)」「ぶらんこや膨らんでゆく影法師」

月野ぽぽな

特選句「老師来て貂の冬毛のごとき冴え」:「貂の冬毛のごとき冴え」というこだわりの描写が眼目。その老師は野性味がありしかもしなやかで細やかな感覚を持った方なのでしょう。

稲葉 千尋

特選句「目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部完市(あべかん)」阿部完市が今も目の前に居る感じ、翡翠が生きている。特選句「若草や同じ匂いの赤子かな(中西裕子)」まさに赤子の匂い。実感を一句にした。

伊藤  幸

特選句「老師来て貂の冬毛のごとき冴え」兜太師のことと察せられる。兜太大師を、あの見事な毛並みの貂と喩え、最後に冴えと的確に表現した賛辞、匠の技またも見せて頂きました。特選句「白木蓮こかれるゆめの敢へなかり」和歌でも読んでいるような気分。切なく美しい。俳句にしては珍しいがこれも又ありかな?とも思う。

竹本  仰

特選句「日傘いまも姉はまわせり字弟国」亡き姉を回想する句か、「字弟国」がその姉の仕草と相まって、よくくるくると回っている。特選句「甲冑の眼窩初蝶過ぎりけり」対比が効いています。「初蝶」がその眼窩にありし夢幻を想像させ、あらゆるコントラストがよく響く句かと。特選句「目を閉じて五万哩の桜狩り(銀次)」、これも想像を掻き立てる作りです。「五万哩」、かつて呼んだヴェルヌの「海底二万哩」を思い、もっと深いかとため息が出ます。

三枝みずほ

特選句「戦争のはなしソーダ水は水に」8月になると祖父から必ず聞く戦争体験の話。毎年聞くので、長くてつまらなく感じた時もあったが、内容は鮮明に覚えている。時間の経過をソーダ水と水で表現した点に共感した。炭酸が戦時中の喧騒であれば、水は敗戦とも。こんな水はつらい。特選句「あんぱんを春の形に焼く神戸」一読して、爽やかで大好きな句!あんぱんという素朴なものを、春の形に焼くとはどんな形だろうかと、想像が膨らむ。

松本 勇二

特選句「大仏の心臓きゅっと花もくれん」大仏が生あるごとく書かれていて秀逸です。きゅっとに感覚の冴えがあります。特選句「目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部完市(あべかん)」阿部完市先生のとても静かで鋭い眼光を思い出しました。鳥は時折、彼岸からの使者になることを作者はよくご存じのようです。問題句「スランプに鈍い日ざしのよなぐもり(小宮豊和)」スランプの時の日射しが鈍いと感じる感性は素晴らしいと思います。しかしながら、座五のよなぐもりが鈍い日差しに対する回答になるおそれがあるので、ここはもっと遠い季語がよいのでは。たとえば四月来るや春の朝ではどうでしょうか。

「海程」香川句会へ参加させていただきます。隣の県である香川で野﨑憲子さんが頑張っているのは承知いたしておりましたが、今日まで何も出来ずに日々を過ごして参りました。香川句会の皆さんの厳しい選を受け、勉強して参りたいと思いますのでどうかよろしくお願い申し上げます。

疋田恵美子

特選句「水仙の花の孤高と言へばさう」伊吹島での爛漫の水仙と久保カズ子さんのお姿を思わせるお句。特選句「ただそばに居るが大切ヒヤシンス」夫婦も相手が欠げると事あうことに、居ない寂しさを痛切に感じるものです。

古澤 真翠

特選句「 かたかごや寒くないです若いから」:「かたかご」とは「カタクリの花」のこと。私の大好きな花ですが、絶滅危惧種なのです。桜咲く頃に ひっそりと咲く群生地を幾度も訪ねた日々を想い出しました。問題句「 花ミモザ鮮烈デビュー蟾蜍」:「蟾蜍」を「蟇」としなかった作者の意図は?と 検索に検索を重ねました。「夏の季語」「羿」「仙女」次から次へと無知を実感させられながら 疑問は膨らむばかりです。「鮮烈デビュー」に隠された意図が潜んでいるのでしょうか?私の中の「大問題」となり、夜も眠れませぬ。→「花ミモザ」の作者稲葉千尋さんより「そんなに難しく考えなくてもと思っています。花ミモザを見たときの鮮烈さ、そして久しぶりに会えた蟇との取り合わせと思っていただければとおもいます。花ミモザは登山から降りた村の大きさに感動しました。蟾蜍は、〝ひきがえる〟と読んで頂ければとおもいます。」

亀山祐美子

特選句「タンポポの仲間に入れてもらう昼」楽しくて明るくて好きです。特選句「ぶらんこや膨らんでゆく影法師」ぶらんこを漕いで空に近づくほどに地面に残る影法師は膨らんでゆく…。ぶらんこと影法師しか言っていない。それだけに読み手の想像力を掻き立てる。個人的には「ぶらんこ」より「ふらここ」の方がより春愁を感じる。

大西 健司

特選句「逃げ水のあれはナースの帽子かな」この句が妙に気に掛かってなりません。どこがいいのか説明が出来ませんが、この感覚に共鳴しています。「指先を濡らして透明リラの街」「髪洗う身の内の海昏れるたび」の叙情もとても好きな世界です。

鈴木 幸江

特選句「春満月今日の私を食べてって」今日は、何か失敗でもしてしまったのだろうか。でも、“食べてって”の措辞より、めげていない前向きな姿勢が伺われ、とてもいい感じだ。春の満月にそんなことをお願いしている人を見たこともなかった。特選句「今日の駄々昨日の駄々よ鳥曇(桂 凛火)」“駄々〟から拗ねているような心持ちが伝わってくる。今日も昨日もそんな気持ちに襲われた作者。曇り空の中、大自然に導かれ帰る鳥たちに、無意識に救いを求めているような詠い振りがいい。問題句「墓に土筆婆ちゃんわたし唄っていい?」ずばり、この“?”は、必要だろうかと思った。もちろん句の内容にも惹かれ、土筆の似合うお婆ちゃんの素敵な人柄が好きだ。日本語の終止形は、口語では、語尾を上げれば疑問文になる。だから、“?”はなくてもリズム尊重してこの句を読めば疑問文になる。例え断定文と解釈してもその内容は面白い。

三好つや子

特選句「大仏の心臓きゅつと花もくれん」満開の白木蓮に廬舎那仏の大きな心を感じた作者。そんなスピリチュアルなまなざしに胸がキュンとしました。特選句「西海五月犬猫魚の貌賢こ(野田信章)」五月の九州の海や瀬戸内海の聡明なブルーと、ひたむきに生きる犬や猫や魚たちの顔が目に浮かびます。「目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部完市」俳句をはじめた頃、阿部完市氏の作品と出会い、とりわけ「ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん」に衝撃を受けました。阿部氏がどんな人だったのか・・・想像をかきたててくれる句です。

KIYOAKI FILM

特選句「スキップするお尻が飛ぶよ花薺」俳句に「お尻」という体の部分を表現した場合、成功するのがむつかしいが、この句はよく出来ている。スキップする…おそらく女子の、健康な体が想像され、「飛ぶよ」となると、「お尻」だけが飛ぶのか…。問題句「耳うらに少女永久なり冬いちご(竹本 仰)」問題句に挙げているが、毎回、問題句とは思ってなかった。この一句、「少女」からエロチックを感じ、読者の僕はどきっとしてしまいました。

谷  孝江

それぞれ個性豊かな句ばかり。選句のむつかしさをいつも感じています。短歌は調べ、俳句は切れ、と聞かされたことがあります。まだしばらくは「切れ」に悩まされそうです。

小山やす子

特選句「逃げ水のあれはナースの帽子かな」看護を受けたことの有る者にしか分からない何か微妙な心理が隠れているようで不思議な感性の持ち主と感じ入りました。

寺町志津子

特選句「戦争のはなしソーダ水は水に」きな臭い世になりつつある。その不安は日増しに強くなっていく。掲句を勝手に想像すると、シーンは気の合った老友との話。互いに世相を嘆きつつ、話は戦争に及んだ。先の大戦の話、戦後の話、そしてシリアのこと、テロのこと、原爆や化学兵器のこと等々。話は反戦への、平和への強い思いを込めて、ソーダ水が水になるほどに延々と尽きない。「ソーダ水は水に」の措辞自体は、決して新鮮とは言えないが、話のテーマが「戦争」となれば別である。反戦の、平和への願いを込めての戦争の話が、これからも、ヒソヒソではなく、安心して、「ソーダ水が水に」なるほど延々と話すことができるだろうか。安心して話すことができることを祈り、頂いた。

 
河田 清峰

四月も楽しい句ありがとう!特選句「あんぱんを春の形に焼く神戸」どちらも私の好きなものであるが普通似合わないあんぱんと神戸を春の形が繋げている!どんな形に焼き上がるか楽しみである!食べたくなってくる~koubeで…

重松 敬子

先日のお問い合わせについて「あんぱんを春の形に焼く神戸」この句は、私が今凝っている、パンつくりから、ヒントを得たものです。丸くした生地のてっぺんに、十文字の切り目を入れます。焼き上がると、そこが開き、中に入れてあるうぐいす餡が、のぞきます。低温でゆっくり焼き上げるため焦げ色が付かず、白い開きかけの花の蕾のような形に出来上がり、春を形にすれば、こんなかなあ・・・・・? と、詠んだ句です。

田中 怜子

特選句「花吹雪どの街角も美しき」桜がさくとなんか町がにおいやかになりきれいになるんですね。それを素直にうたっているのがいい。特選句「ぶらんこや膨らんでゆく影法師」自分がぶらんこにのっているような錯覚を感じました。

桂  凛火

特選句「老師来て貂の冬毛のごとき冴え」「「老師来て」は、説明のように書かれているのだけれど、何かただならぬ気配が伝わり、一つの世界が見えるよう、導入として巧みだと思います。白黒の映像のようで心ひかれました。「貂の冬毛のごとき冴え」という比喩がまた渋くて素敵でした。

銀   次

今月の誤読●「オオイヌノフグリしあわせ踏んで戦って」民兵は「オオ」と大声をあげてわずかな草むらに横たわった。疲れたぜ。砂漠には不似合いの一つかみの草むらだ。そこには小さなピンク色の小花が咲いていた。わたしはボソッと「イヌノフグリ」に似ているな、とつぶやいた。なんだそれはと民兵は聞き返してきた。うん、犬のキンタマという意味さ。バカな、この花がか。ああ、たぶん違うんだけど、なんとなくな。それにしてもキンタマとはね、と民兵は笑った。わたしも苦笑した。彼は言った。オレはいままで「しあわせ」ってやつを実感できずに暮らしてきた。だが、こうしているとしあわせってやつがわかるような気がする。戦場のつかの間の休息。それを言っているのだ。わたしが近づこうとすると、おっと気をつけなと彼は言った。地雷を「踏んで」おっ死んじまったやつが何人もいるからさ。遠くで砲煙があがった。つづいて遠雷のようなマシンガンの掃射の音が聞こえてきた。ええいくそ、しあわせってやつは短い。短いから本来のしあわせがあるのかもしれないとわたしは思った。さ、「戦って」くるかと民兵は機銃MK23を杖代わりに使って立ち上がった。わたしは愛機のカメラ、ニコンD750を手にしてあとに従った。砂漠の戦場は遠くに見えて思ったより近い。わたしはその名も知らぬ民兵の背に向けてシャッターを切った。

柴田 清子

特選句「春の水ちちははの透くところまで」父恋ひの母恋ひの極みg「透く」で言い表わしているところが凄い。特選句「山焼くや強風よりも大きい声」風と声を比べているところが新鮮な発想で気に入った。特選です。

中西 裕子

特選句「清明や猿(ましら)のごとき少年来(野﨑憲子)」清明とは、4月の初め頃?清く明るく字のとおりの時期でしょうか。猿のような生命力のある少年の姿がよく合ってると思います。何となく元気のでる句でした。「子を二人連れ芹摘みに行ったまま」の子を二人連れという句もドラマがありそうで面白いです。

漆原 義典

特選句「花冷えや遠き記憶の恋たどる(藤田乙女)」暖かくなり心がウキウキする春において花冷えは、気持ちをネガティブにし少しもの悲しいものです。この心情を、「遠き記憶の恋たどる」と表現したところに感動しました。

菅原 春み

特選句「清明や海の朗らよ山に鳥」季語と朗らがなんともいい。特選句「春泥やかつて地上に棲みしもの(銀 次)」妙に納得してしまう。甲乙つけがたく特選がなかなか選べません。

小宮 豊和

特選句「はなちるや甘き腐敗の臭ひせり」桜花であるからこそ、腐臭が芳香となる。人生において誉められるのは結婚式と葬式のときだけ、あとは袋叩きみたいなもの、たまには腐臭が芳香となってほしいという心の奥の甘え、健全な句が圧倒的に多い句稿の中で、耽美的、頽廃的、虚無的な感情にひかれる心の一面を詩まで高めている。特選句「生も死も花に遊びし生傷(きず)のまま」花に遊びし生傷とは、人生で負った浅傷,深傷のことであろう。自分の傷だけでなく、他人に負わせた傷もあるだろう。そしてその治癒を待たずに人生を終り、そのままあの世へ旅立つ。逃げも隠れもしない、できない、人生とはこんなものかとも思わせる。

 ご挨拶。私、このほど香川県に転居いたしました。さっそく句会にお誘いいただき光栄です。名ばかりの俳徒ですが、ご挨拶に駄句を一句       

 讃岐へと飛翔上野(こうずけ)春鴉         小宮豊和

新天地で、懸命に勉強させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

藤田 乙女

特選句「夕桜かなしみしまう鍵なくす」 夕桜の悲しいほどの美しさに自分の心にそっと閉まって置いた過去の切なく悲しい思い出がふとよみがえってきたのでしょうか。その哀しみもまたいつか浄化されていくのでしょう。特選句「ただそばに居るが大切ヒヤシンス」 日々生きる中で、悩み、苦しみ、不安、悲しみ、様々な思いを抱きますが、「ただそばにいてくれる」ことが大きな支えだと感じます。白く根を伸ばし太い茎で真っ直ぐに立つヒヤシンスの佇まいが目に浮かび心が癒され安堵するように思います。

高橋 晴子

特選句「揚げ雲雀ポケットに亡母の診察券」万葉集、大伴家持の心情に通じる句で、しみじみとした余情がある、いい句。何もいってないけど、よくわかる。問題句「ただそばに居るが大切ヒヤシンス」問題句とする程の句ではないが、こういう表現が多いので一例にあげてみた。この句〝ただそばに黙つてをりぬ〟ならいい句だが、大切を入れると標語になっているように思います。

野口思づゑ

「人体は寺院よ初夏の風にたつ」人体が寺院とは、寺院が人のように見えたのか自身が寺院のような清々しさの中にあったのか、この「人体」と「寺院」の組み合わせが新鮮であり強いインパクトがあった。「旧友の近づき過ぎぬ菫ほど」女学生のようにベトベトしない、親しい友人と大人の距離でありながら菫のように見れば、会えば、心が和らぐ。理想的な友人関係がとても巧く表現されている。「地下東京ひとが湧き出る春の月(三枝みずほ)」地下道から出て来る人間、一体どこから湧き出て来るのかと、東京の街に行けばだれでも実感する。地下は人で溢れる喧噪であるが空には月。都市の春の夜の風景画。「流し雛ピアスするとき我執消え(寺町志津子)」ピアスすると自分の雰囲気が華やいで、いつもの自分が流れて怖いもの無し、とでもいった自由な気持ちになるのでしょうか。私もピアスしてみたくなった。「それは分かるけどって無視する花の冷え(中野佑海)」こういう人って嫌ですよね。ただ無視されるのは単純に腹立たしいのでまだマシだけど「それは分かる」なんて社交辞令のような言葉を添える。冷え冷えとした相手を巧く表した鋭い句。「子を二人連れ芹摘みに行ったまま」あら、ちゃんと帰って来たかしら。いつも家事で大忙しのお母さん、今日だけは子供と芹摘みに出かけ夢中なのでしょう、まだ帰って来ない。芹摘みの経験はないけどまるで昭和の映画を見ているようなほのぼのとした気持ちになる。「揚げ雲雀ポケットに亡母の診察券」ポケットに手を入れたらもう亡くなってしまった母の診察券があった、とただそれだけかもしれないが、高い空飛ぶ雲雀を見ている、聞いている、そして母を思い出している、その情感がよく出ている。「春満月今日の私を食べてって」春の満月、ふっくらしている。お腹いっぱいかもしれないけど自分を食べてもいいよ、と自分を月に食べさせようという発想がとても面白い。満ち足りた一日だったのでおいしいはずの自分です。「ミセスローバと称す老婆や春爛漫(寺町志津子)」こういうお年寄りっていいな、と思う。明るくて無邪気な人柄が春爛漫に凝縮されている。「はなちるや甘き腐敗の臭ひせり」果物は熟し過ぎて腐敗する手前が一番美味しいという説がある。花のその状態の時の匂いを嗅いだ事はないが他人にとっては腐敗でも当人は甘い汁だった。社会の腐敗を詩的に描く技量に感心した。

野﨑 憲子

特選句「墓に土筆婆ちゃんわたし唄っていい?」お墓に土筆を供えた孫娘の問いかけに、泉下の祖母の顔が浮かんでくる。眩いばかりのお日さまの様な笑顔が・・。「いのちの空間」を感じた。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

新入生
警察官へ最敬礼や新入生
野﨑 憲子
ひらひらと新入生の廊下かな
三枝みずほ
だぶだぶの制服てれる新入生
野澤 隆夫
顔文字とぶつかる朝の新入生
河田 清峰
空家
目借時空き家に吠える散歩犬
野澤 隆夫
満開の桜の庭の空家かな
島田 章平
沈丁や空家の中に昼の月
男波 弘志
北風も春風もよし空家かな
銀   次
空家にも団欒の日々花の散る
山内  聡
春昼の空家の庭の古如雨露
小宮 豊和
宿
花の宿花の気配の夜更けかな
小宮 豊和
宿命を受け入れた時飛花落花
三枝みずほ
春愁や左手の曲弾きし時
山内  聡
舟歌の流るる夕べ初蝶来
野﨑 憲子
桜闇
死んでいいと思ふさくらの闇ならば
柴田 清子
捨て台詞言って死にたい桜闇
鈴木 幸江
桜闇人近づきやすく離れやすく
三枝みずほ
酔客の横たわりをり桜闇
銀   次
底抜けの青を切り取る桜闇
中野 佑海
三丁目三番サード桜闇
藤川 宏樹
桜闇蛇口ざらざらしているよ
男波 弘志
桜闇静かに開く自動ドア
島田 章平
足音の波音となる桜闇
野﨑 憲子
恋愛神経開花宣言何時ですか
中野 佑海
本当は泣いていました花咲けり
鈴木 幸江
花や花追っかけて逝ってしもうたり
柴田 清子
一点に集まるこころ花吹雪
野﨑 憲子
春落葉
あさぼらけただまっすぐに春落葉
銀   次
春落葉テレビ女優の嘘らしさ
藤川 宏樹
春落葉海へ真向ふ海女の墓
島田 章平
春おちばそれ知ってたらしなかった
鈴木 幸江
爪痛くなる程噛みし春落葉
中野 佑海
田水張る
田水張る春の命をうるおして
小宮 豊和
いさかへる鳶(とんび)をよそに田水張る
野澤 隆夫
田水張る泥に光を鋤き込みし
山内  聡
反省をし過ぎる君よ田水張る
鈴木 幸江
春昼の髪に秘密を握られて
柴田 清子
ねぢくれし髪の先まで囀れり
野﨑 憲子
人の髪さわりつづけて花の冷え
男波 弘志
返信の右手の迷ふ朧月
三枝みずほ
島多きことの喜び瀬戸朧
山内  聡
朧夜やボトルシップに波の音
島田 章平

句会メモ

今月の高松での句会には、小宮豊和さんが、新たにご参加くださいました。小宮さんとは、今も、「海程」秩父俳句道場でよくご一緒しています。少し前に、ご子息様の住む香川へ転居していらっしゃいました。そして、事前投句に初参加の、松本勇二さんは、 私が、「海程」に入会した頃には、既に、若手の注目作家でした。人情味溢れる温かなお人柄で、現在は、愛媛の俳句界を牽引していらっしゃいます。お二人のご参加で、ますます多様性を帯びて行く「海程」香川句会です。俳句の神さまにも、感謝、感謝です!  

十年近く前の道場で、帰り支度をしていると、大先輩の今は亡き加藤青女さんが、「野﨑さん、熊谷駅まで車に乗せてもらって帰るから貴女もご一緒しない?」と誘われて便乗させて頂いたのが、小宮さんの車でした。車中、岡本太郎の話になり、私が、「太郎は、木登りが得意でなかったそうで、猿の中で、木に登れないのが人間になったんだと本の中で力説していました」と申しますと。運転席の小宮さんが振り向いて「私は、木登りが得意です!」と、少年の様な目で話されました。そんな、小宮さんと当地の句会でご一緒できるとは、夢のようです。・・この文を句会報で見た月野ぽぽなさんからメールあり「私も、小宮さんの車に乗せてっ貰ったことがあります!」・・・そうでした、ぽぽなさんとご一緒の時もありました。ぽぽなさん、ごめんなさい!

来月は、「海程」全国大会に参加の為、香川句会はお休みです。6月のご参加を今から楽しみに致しております。詳細は「句会案内」をご覧ください。

写真は、中野佑海さん撮影の栗林公園の夜桜です。

2017年3月29日 (水)

第71回「海程」香川句会報(2017.03.18)

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事前投句参加者の一句

       
古雛(ふるひいな)たたまぬままの華燭かな 藤川 宏樹
父のジーンズ弟が穿く涅槃西風 伊藤  幸
リラ咲いて憂国というリラの冷え 若森 京子
離れゆく手に自由あり赤風船 三枝みずほ
お前には言えぬ人生春の蝿 鈴木 幸江
死は美なり切っ先の血よ野にすみれ 銀   次
この家もいづれ空家か桃の花 菅原 春み
かみあわぬ母との会話へそみかん 三好つや子
一介の農夫でありたし若草や 中西 裕子
玉霰喉(のんど)の荒れを洗わんと 稲葉 千尋
鰆東風漁師褌締め直す 漆原 義典
春光や三段組みの全集に 寺町志津子
嫁となる女に古木の梅の花 古澤 真翠
囚われの一枚脱ぐや春顕(あらわ) 中野 佑海
今年をも楤の芽食べて老元気  髙木 繁子
啓蟄や痒くてならぬ鼻の穴 島田 章平
囀や父の背中よ尊けれ KIYOAKI FILM
春の月少年昏き水を飲む 小西 瞬夏
派手な鳥と地味な虫の真ん中辺 野口思づゑ
ぶらんこになる鉄と武器になる鉄 月野ぽぽな
自転車で暮鳥が行くよ花菜畑 小山やす子
犬つれてイーハトーブの春を聞く 野澤 隆夫
雨傘や生きる真似だけする人の 男波 弘志
たんぽぽや引っ越して行く靴屋さん 重松 敬子
あなにやし醤の町の白寿雛 河田 清峰
妖精の舞ひ来る順に花モクレン 増田 天志
会話にも校正したい春の雨 夏谷 胡桃
鐘つけば春は渦なす無限かな 竹本  仰
犬ふぐり波打際はここですか 河野 志保
三月の歩幅はこれでいいかしら 柴田 清子
来し方も行く末もまた春愁 藤田 乙女
桃配山西へ抜けた歯を放る  大西 健司
ふらここに子を失ひて揺れしまま 山内  聡
二月野の水光(みでり)白秋のデスマスク 野田 信章
粟立つ感情の曲線は末黒野 桂  凛火
畏まる茶釜の黒や桃の花 亀山祐美子
有明の午前六時の白木蓮 疋田恵美子
母をまた叱るつちふる澪標 矢野千代子
春泥というやさしくて厄介で 谷  孝江
薄氷に草の乱打の抽象画 田中 怜子
囀や小さく小さくなつて石 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「死は美なり切っ先の血よ野にすみれ」満身にアドレナリンや月おぼろ:楽しい句会ですね。有り難うございました。

中野 佑海

特選句「海苔を干すたぶたぶの雲包まん(矢野千代子)」なんか、とってもおおらかで優しくて明るくて。良いです。何故か雲から豚まんがいっぱい降って くるところを想像して、豊かな心地になるのは私だけ?海の潮風に吹かれ、春を満喫。ついでにお腹も満腹。ご馳走様でした!!特選句「あなにやし醤の町の白寿雛 」私初めて「あなにやし」という言葉を見ました。とっても優雅で、古風で、醤の町と古いお雛様と醸し出す雰囲気の統一感抜群です。こんな俳句大好きです。こう 言う詩に出会うと、日本人で良かったなって思います。俳句最高!今回も増田天志様。小山やす子様。小西瞬夏様。と遠くからおいで下さり、為になる俳句のお話本 当に有難うございました。耳ばかり大きくなってしまいます。俳句が雨霰の様に降って来る、あっという間の4時間でした。

島田 章平

特選句「春泥というやさしくて厄介で」春泥を母親と見ると、この句が胸にストンと落ちます。問題句という訳ではありませんが、気になる句。「粟立つ感 情の曲線は末黒野」鳥肌になるような恐ろしいほどの激情。野火の様に心を焼き尽くした後の黒々と広がる焼野。理解し難いが心に燻り続ける句。

小山やす子

特選句「母をまた叱るつちふる澪標」少し認知症になりかけた母を想像しましたがその母を叱る自分に悲しくなる。つちふるで今までの慈しんでくれた母の 恩愛を感じました。

野澤 隆夫

特選句「自転車で暮鳥が行くよ花菜畑」野﨑さんの選句を聞いててああ、あの山村暮鳥かと、懐かしかったです。おーい雲よ/悠々と/馬鹿に呑気そうじゃ ないか/何処まで行くんだ/ずっと磐城平の方まで行くんか自転車で行くのんびり感がいいです。特選句「三月の歩幅はこれでいいかしら」重いコートを脱いで、さ ー暖かい春だ!という希望のあふれる句です。

小西 瞬夏

特選句「囀や小さく小さくなつて石」川を流れて、またはだれかに蹴られたり、風や雨に削られたりしながら、小さくなっていく石の存在。季節の巡りにあ わせて、また今年も鳴きはじめる鳥たちの存在。そんな小さないきものの命の循環のようなもの、いのちの存在そのもののようなものを感じました。問題句「春めく や足裏にやはらかき地球(谷 孝江)」:「やはらかき地球」という把握がしっかりとできているのに、「春めくや」とするのはおしいのでは? なにかもう少しぶ つけるものをもってきてほしい。

男波 弘志

特選句「母をまた叱るつちふる澪標」何度も読み返して、凄い一行詩だとわかりました。特選です。読めなくなった標。珍重。「里山を卒業子の声包みけり (髙木繁子)」:「里山を包みたる声卒業す」声そのものが、卒業する方がよいのでは。「髪を切ったの」君は唐突貂になる(大西健司):君は始めから、貂、であ った、とする手もある。「始めから貂だった君 髪を切る」「花吹雪座して見上げる友の頸(KIYOAKI FILM)」頸、にある、命の存在、もし顔、ならば 平凡である。見事。「母の顔わずかに揺れる水仙よ(河野志保)」水仙の清廉さ、ははそのもの、即物表現は俳句の花「玉霰喉の荒れを洗わんと」発想は抜群ですが 、そこまで言わんでも、「喉の荒れている夕べ」ぐらいで充分では。「風光れ喉がひゅんひゅん叫ぶから[伊藤 幸)」発想抜群、ただ、風光れ、は弱いかも、「鳥 雲に」または、「薄氷」ぐらいではどうですか。「派手な鳥と地味な虫の真ん中辺」対比が目立ちます。夜と朝、は対比ではない、つづいている、それが真理。「た だの虫」ぐらいでどうですか。「まだ白き椿ひろいて草に投ぐ(中西裕子)」春の懈怠さが、見事に表現されている。落ちても鮮烈なものへの苛立ち。「鐘つけば春 は渦なす無限かな」:「無限」言わずに顕わしたい。「涼しさや鐘をはなるる鐘の声 蕪村」無限感ありますね。「桃の日の梅も桜も娘へ頬へ(藤川宏樹)」好きな 句です。母性伝わりますが、主役が多いので、「桃の日」を、「風の日」にしてはどうか。「囀や小さく小さくなって石」春に浮かれていない、たしかな意思体、珍 重。「西行の桜に恋した義妹を焼く(若森京子)」もっと、決定的に表現したい、「桜になった義妹を焼く」「一つ一つ鳥を脱ぎ捨て鳥帰る」人間だけが無駄な衣を 着ている、擬人化、見事。「薄氷に草の乱打の抽象画」乱打は筆のタッチ、それが解れば鮮明、ルノアール、モネ、印象派のタッチ。

山内 聡

特選句「ため息を空に葬る白風船(三好つや子)」ため息は「はぁ…」と言っちゃうと気分が暗くなって、それを自覚するとそのため息をしたこと自体にま たため息をしたくなります。そこを「ふぅ~っ」と風船に吹き込んで発散するのは心理的にも良い効果がありそう。そしてその溜息を吹き込んだ風船を空に葬る。風 船の色は白。真っ白です。心をグレーからホワイトへと。もうすぐ花咲く時候、心浮き立ちますよね!

矢野千代子

特選句「リラ咲いて憂国というリラの冷え」色も香も上品なリラの花を、上五で咲かせ坐五ではさりげなくリラ冷えを伝える。この巧者ぶりは、「憂国とい う」フレーズによって一層活かされているようだ。

大西 健司

特選句「粟立つ感情の曲線は末黒野」末黒野を詠んで秀逸。ただ惜しむらくは、切れがないこと。たとえば、「粟立つ感情その曲線は末黒野」とかではだめ なのだろうか。もう一工夫あれば文句なし。でもそうしたくないんだろうな。「犬ふぐり波打際はここですか」「三月の歩幅はこれでいいかしら」口語を生かした心 地よい俳句。これらも同じく、いかにも俳句という、そんなふうなものを拒絶しているのだろう。

伊藤 幸

特選句「母をまた叱るつちふる澪標」母が年老いて少々認知が入ってきた。かつては澪標の語源となったように自分を身を尽くして育ててくれたのだが。 叱りつつも母であるが故に自責の念に駆られる。またという措辞に言い知れぬ寂しさが漂っている。 特選句「妖精の舞ひ来る順に花もくれん」春ですね。久 々に忘れかけていた優しさを思い出しました。明日は妖精の気分になって義母を訪ねましょう。花もくれんが効いています。

藤川 宏樹

特選句「かみあわぬ母との会話へそみかん」テーブルを挟む母との空間。卓上のみかんが色と香りを放ちイメージを鮮やかにしてくれます。「かみあわぬ」 と「へそみかん」。「母との会話」を間にはさみ、うまく噛み合っています。

夏谷 胡桃

特選句「蒲公英の絮眠剤の効きはじめ(小西瞬夏)」蒲公英の絮と眠剤の効きはじめる感じが、何気なくあっていると思いました(眠剤飲んだことないので すが)。ただ、「蒲公英の絮」で切れると思うので、中七を少し動かしたい感じもしました。特選句「梅林に直球君が逝くとかや」思い出の中の大事な人が先に逝っ たという感慨が伝わってきました。野球仲間だったのでしょうか。星飛雄馬の顔が浮かんでしまいました。

KIYOAKI FILM

特選句「父のジーンズ弟が穿く涅槃西風」 個人的に書きたい素材でもあり、のんびりとした世界と感じたので、特選にしました。好い父ではないか、面白い 弟だと思いました。問題句「真っ赤ないちご更地また増え猫様通る[伊藤 幸)」: 「猫様通る」から猫好きの作者かと思った。面白い一句。「真っ赤ないちご」と 「更地」を結び付けたところに、詩風があり、好きな句であります。

若森 京子

特選句「囚われの一枚脱ぐや春顕(あらわ)」〈囚われの一枚〉のメタファーがすばらしい。心の中に澱み束縛されていた意識を、剥がした瞬間の心が晴れた であろう事。〈春顕〉の下五がよく効いている。特選句「ぶらんこになる鉄と武器になる鉄」余りにも散文的で惜しい。〈鉄塊やぶらんこにもなり武器にもなる〉ぐ らいに俳句的に・・・。

三好つや子

特選句「囀りや小さく小さくなって石」平成の世の中の隅っこで、新しい価値観や人生観に戸惑い、抗いながら生きている作者に共感。季語の選び方が素晴 らしい。特選句「派手な鳥と地味な虫の真ん中辺」春の空をかっこよく飛ぶ鳥と、地面近くを這いつくばっている春の虫。そんな対比を通して、社会へ飛びだした新 人たちのさまざまな生き方が見えてました。入選句「手短に済ませたること落椿」真剣に向き合えば、泥沼化しそうな問題なので、他人事のように対処したけれど、 すっきりしないなあ・・・作者の心の声が聞こえてくるようで、興味深い。

田中 怜子

特選句「鐘つけば春は渦なす無限かな」読んで面白い感覚をもちました。ごーーーん 水紋のような渦巻きが無限に広がるような特選句「二月野の水光白秋 のデスマスク」二月野、白秋、と水光が、あいまって不思議な感じ。「白秋の」の「の」はいらないのではないか、リズムがよくないので。

鈴木 幸江

特選句「残念なことに椿は咲くのです(男波弘志)」訳もなく気が滅入ってしまうことが人にはあるものだ。この頃のわたしに共鳴して、今年は、もう咲か ないで欲しいと椿に思っても、自然と共に素直に生きる椿は、“咲くのです”。それを見て作者は残念だと思った。なんだかそこに、ちょっとユーモアがあり、元気 があり、救われた。いい気分になった。特選句「病気粥お湯の音だけさせて家(夏谷胡桃)」ここに描かれている景が好きだ。病気だが、その病人も看護をする人も 今は安全なのがしみじみと伝わって来る。寂しいかもしれないが、この平和をきちんと感受している作者に感心をした。問題句「福祉という髪切虫を飼う私(若森京 子)」“髪切虫”をどう解釈してよいのかとても悩んだ。何か今の日本の福祉の在り方について批判的な気持ちを抱いているご様子なのだが、それが何なのかよくわ からない。私の乏しい社会知識では、多分外れだろうが、財政難から要介護認定の基準が厳しくなり、必要な介護を受けれていないが、福祉のお世話になっていると いうことか、それとも福祉のお仕事をしている方のお気持ちだろうか。

寺町志津子

特選句「雛飾りしてわたくしを置くところ」:「わたくし」をいわゆる旧家の長男に嫁した妻と見立てた。この家は夫の祖父母、夫の両親、夫と「わたくし」 と子どもの大家族。また、この家には、時代物の貴重な雛人形があり、それを飾るのは、長男の妻である「わたくし」の役目。桃の節句には、他家に嫁いでいる義姉 や義妹が、子どもたちを連れて里帰りしてくる。雛段を組み立て、雛人形を置きながら、はて、「わたくし」の立ち位置は?との思いが逡巡している「わたくし」・ ・・これは、ありきたりの発想だなあと思いつつ、雛飾りに託した「わたくし」の複雑な思いが伝わってきて頂いた。また、頂きつつ、前述とは逆に、しっかりと自 分の立ち位置を主張できる「わたくし」と取ることもできるのではないか。と、思いがいろいろに広がる句であることも面白い。

河田 清峰

特選句「あえかなる野梅一樹の白さ言ふ(稲葉千尋)」好きな句である!野梅一樹の濁音の連なりが梅の白の拡がりを感じさせて気持ちいい句である

柴田 清子

特選句「派手な鳥と地味な虫の真ん中辺」作者がこの句をもって、何を言わんとしているか理解出来ない。また、わかりたいとも思はないが、俳句と言ふ枠 からはみだしたような、不可思議な句が、読めば、読む程に魅力。どうしょうもない作者がいる。特選句「たんぽぽや引っ越して行く靴屋さん」季語がとってもいい 。いつまでも側に置いていたい一冊の絵本のようである。『山内さんの手作りの伊予柑のチョコレート菓子』も特選でした。ありがとう!また食べたい!

漆原 義典

特選句「春めくや足裏にやはらかき地球」は、句跨りで、中7下5となってはいませんが、ずれているからこそ待ちに待った春がやっと来たという喜びが伝 わってきます。やわらかき地球という温かな言葉が好きです。

菅原春み

特選句「会話にも校正したい春の雨」知り合いの敏腕の編集者がよく、人の会話を鉛筆で佼成していたのを思い出し、思わす共感。特選句「母をまた叱るつ ちふる澪標」つちふる澪標がにくいほどじょうずだ。介護実感を伴う日常を詩的に発火させている。ふだんは身を尽くして介護しているからこそ。 選「春光や三段 組みの全集に」三段組がいいですね。「犬つれてイーハト―ブの春を聞く」理想郷だからこそ、春がきけるのだ。「春野から戻ってこない歩き神」美しそうにみえて 、切ない句。「ため息を空に葬る白風船」ため息も詩にしてしまうみごとさ。「鳥雲に架空名義の貸金庫(増田天志)」なにやら怪しく、季語が効いている。「大き な字それだけで良し鴎忌(夏谷胡桃)」すっとこころの中に入ってきた。「亀鳴かす闇に体温奪はれる(柴田清子)」 思わず笑わせていただきました。

月野ぽぽな

特選句「春の月少年昏き水を飲む」:「昏き水」が眼目。思春期の甘さと危うさがただよいます。

竹本 仰

特選句「「離れゆく手に自由あり赤風船」自由もまた、失う時にその実在が確かめられるもの。そういう逆説としてとりました。ちなみに「赤」という色、 童謡に「赤い靴」がありますね。かつて私、或る交際にピリオドを打ち、東京から帰る新幹線の中、幼い子が唄う「赤い靴」に強烈に揺すぶられた経験があり、「赤 」という色、何でしょうか、切ない一途さのようなある思いを想起させます。特選句「春光や三段組みの全集に」三段組みというのを、ページの中の三段組と理解し たのですが、どうでしょうか。それも、外国文学では?読みづらい三段組みの全集のページも、かつては、その中から春光を寄こしていた、その春光に年を経た今、 また巡り合えたというのでしょうか。三橋敏雄の「かもめ来よ天金の書をひらくたび」、あの句を思い出しました。特選句「会話にも校正したい春の雨」会話を校正 したくなる、それだけ今目の前にある時間がヴィヴィッドに感じられる。うらやましいですね。それとも、目の前のその人に、こちらの思いが溢れて、自分の言葉に も校正したくなる?とにかく、目の前の会話に赤ペンを握りしめている、生命感ある或る日常の一コマが、わかりやすく表現されていると感心しました。何だか、最 近、この選句の時がちょうど両手がふさがった状態の時にあります。したがって、ニ三日にわたり、選句の時間があり、書きたいのに書けない、そういうやや贅沢な 選句の時間を経験しております。これも、またいいものだと思います。自分の読みを、三回くらいひっくり返すのですから。そして、句会報で、四度目、ひっくり返 して……。みなさんは、どうなんでしょうか?こんな選句の仕方、あまりないかも、ですね。今後とも、よろしくお願いいたします。

重松敬子

特選句『「髪を切ったの」君は唐突貂になる』女性が髪を切った時の諸々の感情を上手く表現。ばっさりショートヘアにしてしまったようだ。黄鼬(てん) になって、自分の思い通りの人生を突っ走ってください。羨ましい!

古澤 真翠

特選句「 鰆東風漁師褌締め直す」:「鰆」と「東風」の季重なりかとも思いましたが、生き生きとしたリズム感が 春の息吹と仕事への意欲をかきたてられる ような元気の出る句に こちらも元気をいただきました。問題句「一介の農夫でありたし若草や」:「若草や」の部分が 惜しいと感じます。作者の凛とした気概が伝 わってくる句であるだけに勿体無いと思うのです。

銀  次

今月の誤読「嫁となる女に古木の梅の花」        

 昭和歌謡「行っちまうんだね」        

       

 妹みたいなおまえだったが        

 「嫁となる」んだあいつの        

 おまえが「女に」なるなんて        

 気づきもしなかった        

 「古」い「木」は燃やして        

 新しい芽を育てるんだ        

 だがもしも もしものことだが        

 うまくいかなかったら        

 いつでも帰るんだぜ  

一緒に遊んだ        

 この この「梅の花」の下へ        

 このおれの胸に                   (二番、三番略)

三枝みずほ

特選句「恐竜跳ぶかたち夕焼け前の雲(野口思づゑ)」夕焼け前のグラデーションの空、いびつな雲。完全に夕焼ける前の雲を恐竜と表現した点に共感しま した。跳ぶもいいけど音が聞こえてきそうだから飛ぶもいいかなあと。この感性素敵です。問題句「囀や小さく小さくなつて石」祈ることしかできない時、その姿は 丸く固く石のように。そんな時に囀が聞こえてくると少し救われるかもしれない。人間の祈る姿と希望のように受けとりました。問題句としたのは、こんな風に勝手 に解釈したかったからです。とても気になる句でした。

野口思づゑ

「この家もいづれ空家か桃の花」空き家が増えていく町なのか、過疎が進む村なのか、少子化、高齢化の悲哀がしみじみ伝わる。「芽吹きよったかこの忠義 めが(増田天志)」そうなんですよね。植物って季節が来ると必ず動き出す。自然の技は律儀。共鳴句です。「母の顔わずかに揺れる水仙よ」普段はほとんど無表情 なのに、お母様が水仙の花を見て反応を示された。場面が浮かんでくる。「会話にも校正したい春の雨」会話の内容なのか、言葉遣いなのかわからないが話し言葉に 校正の発想が面白い。「母をまた叱るつちふる澪標」母をもう叱るまい、と何回も頭では思っているし、母の気持ちもわかる。けれどもまた叱ってしまった、その感 情がつちふるによく表されているし「澪標」が意味を深めている。

野田 信章

特選句「リラ咲いて憂国というリラの冷え」の句には憂国の士や憂国忌という益荒男ぶりを払拭、反転させるものがある。リラの開花、その冷えの配語によ って芯のある粘り腰の嫋やかさを現出して、衆庶の肌身に透徹してくるこの憂国の情は限りなく美しい。「玉霰喉の荒れを洗わんと」「囀や父の背中よ尊けれ」の二 句共に「玉霰」、「囀や」の季語の選択が一句の内容をよく燃焼させるものとして働いている。片や「自愛」、片や「父性」の情感に傾き過ぎないところがよ い。/P>

河野 志保

特選句「雨傘や生きる真似だけする人の」一読してドキリ。頑張っている気でいるが、甘くいい加減な我が人生。「生きる真似」なのかもと気付かされた。 無季で攻めるインパクトに惹かれた。

中西 裕子

特選句「啓蟄や痒くてならぬ鼻の穴」虫が出てくる日ははなの穴もむずむずするかと面白くていただきました。「お前には言えぬ人生春の蠅」春の蝿も、た くましい蝿なのか弱々しい蝿なのかなにか意味深な句で引かれました。「春野から戻ってこない歩き神」春野からの句も、世界が広がるような自由さを感じて好きで す。新年度もよろしくお願いします。

亀山祐美子

特選句はありません。今月も、感情的で、詰め込みほうばった句が多かった。 逆選句『風光れ喉がひゅんひゅん叫ぶから』「風光れ」は自分の願望、感情であり季語ではない。「風光る喉がひゅんひゅん叫びをり」なら頂いた。逆選句『ぶらん こになる鉄と武器になる鉄』趣旨は理解できる。反戦歌だとも思う。しかし、俳句としては消化しきれず、昇華できていない。散文のままだ。発想は良いので、なん とか俳句にしていただきたい。この二句が「海程らしい」のなら、私には違和感しかない。ついでに言うと、『春めくや足裏にやはらかき地球』は、「青き踏む」「 草萌える」等の季語で事足りる。わざわざ季語の説明をしてはいけない。さらに加えると、常套句、慣用句をなぜ嫌うかと言えば、月並みな俳句しかできないからだ 。磨き上げられ、使い古され、共通認識が出来上がった、便利な言葉をいくら駆使しても、感動は伝わらない。自分自身の言葉で語らなければ類句類想句の海に溺れ てしまう。瞬時に生まれ出る俳句など、年に二、三句あれば良いほうだ。どこをどういじくっても俳句にならない句が山ほどある。さっさと捨てればいいものを、如 何せんすけべェ根性が大きくて、捨て損ねた、こましな三句を毎月提出するので、とてもとても偉そうなことは言えないのだが、誉められるのは無論大好きだが、こ き下ろすのも大好きなので、私の句もどんどんこき下ろしてやって頂ければければ幸いです。

稲葉 千尋

特選句「桃配山西へ抜けた歯を放る」関ヶ原合戦地にある小さな山の名である。中七下五に意味はないが抜けた歯を放る作者の立つ位置が明確である。特選 句「この家もいづれ空家か桃の花」身につまされる。いずれ我が家かと思う。桃の花が余計に明るく桃色が際立つ。淋しさもある。問題句「畏まる茶釜の黒や桃の花 」畏まるまで言わなくても良いと思う。茶釜の黒があるだけで良いと思う。

藤田 乙女

特選句「鐘つけば春は渦なす無限かな」鐘をつく寺から見渡す草花や木々の芽吹き、そして開花、開花、自然や生きとし生けるものの躍動やそれらをあまね く照らす春光の輝きまでが目に映ります。素敵な句だと思いました。特選句「ポジティブに行けよと耳に木の芽風(漆原義典)」ネガティブになりがちな私への応援 歌のような句で、励まされました。

野﨑 憲子

特選句「犬ふぐり波打際はここですか」それは、可憐な花の名にしては、あまりにも俳諧味たっぷり・・「犬ふぐり」。毎年、陽光の中で、その花の群生を 見つけると異空間に入り込んだような不思議な気持ちになり、私の春は動き出します。きっと作者も立ち止まった風から「波打際はここですか」と聞かれたのでは? と、思いましだ。見事な一行詩です。問題句「残念なことに椿は咲くのです」一読、非常にインパクトのある作品ですが、「残念なことに」の言葉が苦手な私は、惹 かれつつも、問題句にしました。

「海程らしい」・・という言葉が今回の「句会の窓」に出て参りました。よく言われている「海程調」のことかと思います。金子兜太先生は、常に、「海程調という ことは存在しない」と、きっぱりと話されています。敢えて言うなら、多様性に富んだ、自由な、混沌の渦巻のような作品を「海程らしい」「海程調」と言うのだと 思います。

『俳句』編集部編『金子兜太の世界』の中で、ある短歌結社の講演会で、先生が、芭蕉の〈古池や蛙飛び込む水のをと〉に言及した話を、歌人の方が綴っていました 。「皆さん、蛙は古池に飛び込んだんじゃありませんよ。『や』の切れ字があるのだから、『古池』で切れるんです。古池と『水のをと』は別物です。これは蛙一匹 じゃないの。複数の蛙なんだ。フロッグズなんだな。発情期の蛙どもが、じゃぼん、じゃぼんと隅田川に次々に飛び込むのを詠んだんだと、言われて呆気にとられま したが、いまだに忘れられません。」これが、金子兜太先生です。芭蕉の侘び寂びの世界の底を抜き、新しい最短定型詩の世界を構築した記念碑のようなお話です。 金子先生の創刊された『海程』は、地球の至宝だと思います。その飛び火のような「海程」香川句会を、この香川の地に在って、守り育てて行きたいと念じています 。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

山笑う
オムライスカツンコツンと山笑ふ
山内  聡
諍ふは生きてる証(あかし)山笑ふ
野澤 隆夫
山笑う思いのとおりやるだけよ
藤川 宏樹
穏やかな男の苦言山笑う
小山やす子
懐の小さき闇よ山笑う
中野 佑海
山笑ふ雅語も俗語もなかりけり
河田 清峰
たんぽぽ
たんぽぽやすべてのものに価値あらむ
山内  聡
たんぽぽや顔を真っ赤に泣き相撲
島田 章平
連れ添ひて不協和音の冬たんぽぽ
小山やす子
たんぽぽや魔女ッ鼻の風が好き
野﨑 憲子
たんぽぽの花を小さな靴が踏む
島田 章平
たんぽぽや風が脱皮をしてゐたり
野﨑 憲子
3・11タンポポの首長し
中野 佑海
ミモザ
犬病んで祈りのかたちミモザ咲く
鈴木 幸江
鎌倉の路地の古着屋花ミモザ
島田 章平
ミモザゆれ風あるを知る車窓かな
山内  聡
初対面のきれいなおじぎ花ミモザ
三枝みずほ
花衣
海老天を野暮に食らふや花衣
藤川 宏樹
花衣悪い奴ほど高枕
野澤 隆夫
挽き立てのお茶の苦さや花衣
中野 佑海
悦楽は橋渡り来る花衣
増田 天志
あやかしの小面清し花衣
河田 清峰
俎の乾きやすさよ花衣
男波 弘志
会話もう途切れて春のイヤリング
三枝みずほ
一日に一つ事して春の暮
中野 佑海
瀬戸内や盛り塩ほどの春小島
増田 天志
春昼や男の中へ割り込んで
柴田 清子
うつむいて春風を食む鴉かな
野﨑 憲子
モナリザの未完の春の濁るなり
男波 弘志
茎立ち
古稀という現世の身の茎立ちぬ
島田 章平
茎立ちや作句に疲れひとねむり
野澤 隆夫
茎立ちや島の小洞に隠し舟
増田 天志
裏返す新聞紙の音茎立ちぬ
鈴木 幸江
茎立ちや天狗のくっしゃみ又くしゃみ
野﨑 憲子
渦潮
渦潮や鰭のあたりの鯛の鯛
男波 弘志
消ゆるべく渦潮の渦激しおり
小山やす子
回天や抽象絵画めく潮の渦
増田 天志
渦潮や見ざる言わざる思わざる
鈴木 幸江
渦潮や水平線から白馬来
野﨑 憲子
机の上なにやかや置きもう渦潮
柴田 清子
三月
三月や自画像にまた筆を入れ
男波 弘志
三月を渡り切れない橋が赤い
柴田 清子
三月は火と化す狼煙よもつくに
増田 天志
三月の風に吹かれて別れあり
山内  聡
おたまじゃくし
鬱の日はおたまじゃくしを見て過ごす
鈴木 幸江
放漫はおたまじゃくしの次男坊
増田 天志
おたまじゃくし右も左も味方ばかり
三枝みずほ
棒きれと遊んでおたまじゃくしのよう
小山やす子
生きることおたまじゃくしのひれ動く
山内  聡
出てきたる足の差ありておたまじゃくし
中野 佑海
スキップ
スキップが柳腰なりジャポニズム
藤川 宏樹
カーソルをスキップスキップ朧の夜
島田 章平
スキップや春風になるロングヘヤー
中野 佑海
チョコレートもらってスキップしたくなる
柴田 清子
スキップしここでいいやと受験の子
野澤 隆夫
スキップでにやりと笑うチューリップ
小山やす子

句会メモ

春爛漫の連休の中、今回も14名のご参加があり、お陰さまで大盛会でした。海を渡って大津から増田天志さん、岡山の小西瞬夏さん、そして徳島の小山やす子 さんもいらっしゃいました。事前投句の合評も、<袋回し句会>も、新鮮な作品と鑑賞に、窓のない句会場ながら、14の光の窓が開いたようでした。あっという間 の4時間。パワフルな句会に大きな元気をいただきました。

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