2020年6月26日 (金)

第107回「海程香川」句会(2020.06.20)

紅白の蓮の花.jpg

事前投句参加者の一句

                      
手を振れば白詰草の斜面かな 河野 志保
三密も壇蜜もパレットの朱色 大西 健司
蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり 中村 セミ
夏に入る余計なものはみな捨てて 銀   次
人食つた水母やヒトの食つておる 藤川 宏樹
朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル 島田 章平
鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る 十河 宣洋
だるま食堂紫陽花咲いたら開きます 中野 佑海
狼に新型蛍テロルかな 田中アパート
触れてきて触れられてきて野の茨 谷  孝江
老人と悲しい蛇に呼ばれたり 田口  浩
中村哲の轍ゆきけり蟻の列 桂  凜火
すべりひゆ母を遠野に置きしまま 小西 瞬夏
飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ 伊藤  幸
母と毒読みまちがえる桜桃忌 新野 祐子
ちっぽけな自分が好きで青葡萄 小山やす子
一人でも生きてゆけます蘇鉄咲く 石井 はな
田水沸く皆んなそろっていた頃の 松本 勇二
赤ちんに武勇のあまた紙兜 伏   兎
堰切って埋まる六月予定表 野口思づゑ
家中の鏡を覗く緑の夜 榎本 祐子
夏うぐいす変ロ長調の恋唄よ 漆原 義典
自主規制青唐辛子とじゃこを煮る 荒井まり子
拉致の子の父の無念や夏の月 藤田 乙女
五月闇寄る辺なき街動き出す 松本美智子
目玉焼きのように睨んで梅雨の月 小宮 豊和
時鳥町内行事予定表 亀山祐美子
生きるとは息をすること緑濃し 高橋 晴子
徒(いたずら)に青梅打つや俄雨(にわかあめ) 佐藤 仁美
長生きの母に提げゆく初鰹 稲葉 千尋
緊急事態宣言解除冷奴 高橋美弥子
雨蛍牛飼い二代目の蓬髪 野田 信章
竹落葉己が自由になるために 増田 暁子
かき氷ふたつの山を崩す匙 豊原 清明
夏椿剪る亡き母の誕生日 菅原 春み
玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす 鈴木 幸江
蚊柱の向こうの妻が見えません 佐孝 石画
梅雨空に孫が小さく立っていた 滝澤 泰斗
六月の赤ん坊ふるふる水の星 吉田 和恵
熱兆すときの体感合歓の花 月野ぽぽな
木洩れ日は緑に揺れる紙芝居 増田 天志
一蝉となり一空海の海となり 竹本  仰
麦秋を回収車来て積み残す 松岡 早苗
「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり 寺町志津子
老人が肥後守(ひごのかみ)研ぐ公孫樹はらり 矢野千代子
給付金届かぬままに梅雨に入る 稲   暁
青嵐父の青シャツ小さかり 河田 清峰
新緑を沁み込ませたや母の膝 久保 智恵
桜桃忌無人の対向電車過ぐ 重松 敬子
髪洗う沖の昏さを知っていて 男波 弘志
笹の花かえる家ないひゃくねん後 夏谷 胡桃
アスパラガス我が余世の青い旋律 若森 京子
掌にほっこり茶碗葛櫻 田中 怜子
六月のマスク古ぼけたピカソ 高木 水志
鴉めが猫を威嚇す麦の秋 野澤 隆夫
ハンカチが白いもう空をわすれそう 三枝みずほ
言いたい事いっぱいあるよね葱坊主 柴田 清子
大螢縄文色の空耳よ 野﨑 憲子

句会の窓

滝澤 泰斗

特選句「中村哲の轍ゆきけり蟻の列」中村医師の追悼句。葬送の悲しく切ない景が見えていただきました。特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」まず、リズムがいい。朝昼晩の持ってきた動物のバリエーションと雰囲気がぴったり。それでも、最後が少し働く日本人を思わせるホタルの取り合わせの妙。関心しました。問題句「一蝉となり一空海の海となり」説明しきれない句の力を感じつつ、大変気になる一句として問題句にしました。「方丈記拾い読みして梅雨に入る(高橋晴子)」「天清和コロナ一息「論語」読む(野澤隆夫) 」「カミユ読む鉄片のごと夏落葉(重松敬子)」この三句には共通して本が出てくるところ。昨今の外出自粛の社会の相が詠まれて現代俳句ならではと思い、いただきました。「赤ちんに武勇のあまた紙兜 」今ではこんな景はないと思うが、昭和の戦後の、まさに、我の昭和の景に親父、お袋が見えました。「老人が肥後守(ひごのかみ)研ぐ公孫樹はらり」肥後守は祖父から教わった言葉であり、祖父が使っていたものを小学校時代に形見のような形で譲ってもらった記憶に結びつきました。「髪洗う沖の昏さを知っていて」沖の昏さとは?そして、その昏さを知りながら髪の毛を洗う行為とは?その意味で「一蝉となり一空海の海となり」に通じる不思議な魅力を感じました。

十河 宣洋

特選句「触れてきて触れられてきて野の茨」野ばらに触れてきたと軽く読めばそれでいい。デイトの後の楽しい中の少し現実的な話になにか心に残るものもあると言ったところ。 もう一つは、噂話などの触れたくない話と言うこともある。色々に読めて楽しい。特選句「一蝉となり一空海の海となり」無我の時間。蝉となって鳴いている。空海の教えの中の一宗徒となって無心に鳴いているのである。

榎本 祐子

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」遠野。自然界の神々、異界の者たちと人間が交じり合うその地。自身をこの世に有らしめてくれた母は遠野という原郷に在り、時空を超え繋がっている。素朴な「すべりひゆ」も象徴的。

小山やす子

特選句「夕顔の朝たたまれて国憂う(若森京子)」夕べに開き朝萎んでしまう夕顔当たり前なのにコロナ騒動の今優雅な花は国の行く末を暗示するかに…。いいと思います。 本文

小西瞬夏

特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」:「覗く」という動詞が効いている。しかも「家中」である。何を見ようとしているのか。または見たくないのか。「家」という社会においての最小の単位。その中で繰り広げられるできごとをいろいろと想像してみる。そして、結局は映っているのはありのままの自分であることに気付くのだ。

増田 天志

特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」緑の樹木に囲まれる洋館は、夜更けも、緑の闇と静寂に満たされる。幻想的かつ絵画的な作品。

豊原 清明

問題句「狼に新型蛍テロルかな」金子兜太先生の名句のもじりと思われる。「テロルかな」は実に怖い。現実に起こっていることだから、仕方ないが。特選句「触れてきて触れられてきて野の茨」現代の実感と思う。「触れてきて触れられてきて」にそれが出来なくなった、ウィズ・コロナという社会批評か。「野の茨」が良い。

田中アパート

特選句「いらしてね虞美人草という店よ」こんなこと一夜は言われてみたい。

夏谷 胡桃

特選句「六月の赤ん坊ふるふる水の星」六月はいちばん好きな月です。山法師に野ばら、紫陽花など好きな花が次々咲きます。水を含んだ緑がきれいです。ようこそ地球へ。子どもたちが生き生きと育つようにと願うしかありません。「ふるふる」が赤ん坊の動きと姿、水をたたえた星を融合させて良かったと思いました。問題句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」まるで私ではないか、と思ったのです。

矢野千代子

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」:「田水沸く」から老若男女が元気に声をかけ合う、そんなエネルギッシュな活力ある人々の姿が彷彿とうかんで思わず笑みがこぼれました。

高木 水志

特選句「葉にふれる風よはなればなれです(三枝みずほ)」新しい葉っぱの生命力が感じられる。

佐孝 石画

特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」難解な句だ。読みもぶれると思う。しかし何故か惹かれる。読みとしては、①蛇と作者が対峙した状態で、蛇から作者が「老人」という嘲りの言葉を直接浴びせられているという情景と、②「と」という語が並列(立)の作用をして、老人と蛇と両方に作者が何かしら「呼ばれ」ているという風景の二通りの解釈に落ち着くと思われる。①②の解釈には大きな隔たりがあり、誤読を誘うという点では失敗作と言われても仕方ない句ではある。僕が強く惹かれたのは「呼ばれたり」という幻想、妄想だ。作者は実際「呼ばれたり」などしていない。おそらく出会っただけなのだ。この「出会い」というごくありふれた事実を、「呼ばれたり」という音声を伴う聴覚への刺激に変換し、出会いの一瞬のニュアンスを「呼ばれたり」と言語化肉声化することで、読み手は、日常に転がるさまざまな「出会い」が、実は不可思議な化学反応であると説得させられるのである。「出会いとは呼ばれることなのだ」と強引に納得してしまうのである。僕はこの作品を一読後、②の解釈でしか受け止めなかったし、老人と蛇とに呼ばれているだけの方が深いなと思っているのだが、ひょっとしたら、この解釈は決定的に少数派かも知れない。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」僕は社会(批評)性のある句は読みも詠みも何故か避けてしまうきらいがある。それは俳句は「呟き」だと思っているからかもしれない。言葉とも言えない溜息なようなものが、身に纏う外気と縺れ合いながら混然となり、沈殿していく風景。その混濁した情念のようなものが、まばゆい日常の風景とシンクロし、一紡ぎの言葉となっていく。俳句の短さは自らの内部を見つめるひとびとの溜息の容量と親和している気がする。そんな「呟き」に対して、社会(批評)性とは、外に向けられた「叫び」のような気がして、少し身を引いてしまうのだろう。この句に惹かれたのは、「ハンカチが白い」という再発見した事実と「もう空を忘れそう」という直感との溶け合いに日常感覚がある点だ。もう少し踏み込んで言うと「日常漂泊感」。

 金子先生の言う「定住漂泊」とは、その風景が日常から染み出てこそ共振する世界だと思っている。この句の世界の向こうには「コロナ」による物質的精神的にも閉じ込められた閉塞感にも繋がっているように思うのだが、僕がこの句を評価するのは、「コロナ」のような社会現象を取り払っても、読み手の様々な人生の1シーンと寄り添う親和性にある。強く言えば、一面的になりやすい、よそ行き・はったりの俳句にはない、普遍性、永遠性がここにはあるということ。

若森 京子

特選句「サーカスの青水無月の無観客(男波弘志)」コロナで無観客の多い中、この一句は透明感があり、何か幻のサーカスの様な虚しい美しさがある。特選句「桜桃忌無人の対向電車過ぐ」やはりコロナからくる無人の対向電車を思うが、太宰治の忌と響き合ってそこからストーリーが拡がってゆく様で惹かれた。

竹本  仰

自句自解「一蝉となり一空海の海となり」この自句についてですが、簡単に言えば自画像でしょうか。十年前、高野山で修行に入った時、三十代後半の同じ行者(修行中の僧はそう呼ぶ決まり)で、名古屋から来たA氏に出会いました。彼はちょうどその一年前に結婚し、妻子を家に残しての行者となりました。元々、寺院とは関係なく大工仕事に専念していたようですが、何となく拝むのが好きであったようです。そのお父さんが癌で余命一か月となった時、お願いだから私の死ぬ前にお見合いを一つしてくれんかと頼まれ、渋々とにかくお相手と会ったようです。その時、彼は正直に、父の最期のお願いで来ました、父が死んだら、徒歩で四国参りをしてお坊さんになるつもりですと話したそうです。その相手の方も納得して、そう、もし、うまく四国参りをやり遂げたら、また会いましょうと。その後、お父さんが亡くなり、当初の予定通り、四国遍路を四十五日間歩き詰めで終えたそうです。まあ、そのお相手に電話しようかと連絡すると、あんた、まだ生きとったん?と。何となく、この人はどこかで死ぬんではないかと予感したようでした。その後、とんとんと話が進み、結婚したという事でした。で、そのAさんの拝み方が、実に印象的で、ひと言でいえば、人間じゃない、蝉だ、と思いました。多分、私自身、高野山の修行で、これだけは忘れられないと思います。その後十年経ったいま、ああ、おれも蝉になったな、と思うことがしばしばあり、どこへ向かっているのだと問いかけると、あの海鳴りの絶えない室戸岬が思われてならず、ああ、空海の海に向かっているような気がすると、そういう感懐でしょうか。まあ、長い解説となりましたが、初案は「一山となり切って一法師蝉」でしたが、これは美化しているなと自省し、この句となりました。以上です。→問題句としても興味深く、自句自解をお願いしました。

稲葉 千尋

特選句「言いたい事いっぱいあるよね葱坊主」ほんとうにそうですね。言いたい事はいっぱいある。政治、職場、妻にも、でも本当の事を言うとそれで終り、だから適当にやってます。

藤川 宏樹

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」強い日差しの下、皆んなで田植えしたのでしょう。私には田植えの経験がないが、新しい物好きの父が一早く買ったテレビ。相撲、プロレス、野球を近所の人皆んな集まり、夜は電気を消して見たのを思い起こした。このコロナ禍、人の熱がより強く懐かしく感じられる。

鈴木 幸江

「人食つた水母やヒトの食つておる」まず、日本語の“人”と“ヒト”をとても効果的に使い分けているのに感心した。“人”は自ら創った文明社会に縛られて生きる生きものだ。“ヒト”は生物学的分類上の種名である。水母を食べるのは、生物界の宿命である食物連鎖における行為。この二つの現実の間に人間は生きている。何故か私は、現代人とAIの関係が連想され、警告を受けているような気分になった。そういうことでもあったのか!と。私の妄想は、AIに食われる人間の姿だけど・・・。特選句「葉にふれる風よはなればなれです」“はなればなれです”の平仮名表示が活きている。“葉にふれる風”の現象を見たとき、作者の心に生じた想いに惹かれる。こんな風に私も自然現象との出逢いの中でもっと驚き暮らしてゆきたい。特選句「永き日やこつんとコップが生臭い(榎本祐子)」まず、私には未知の体験なのでそのことが嬉しかった。そこに、世界の事実がもう一つ隠れているのではないかと想像した。この状況の背景に思いが馳せられ、現代社会の弱者と位置付けられている人たちの姿が世界レベルで、次から次へと浮かんできた。それから、次にこれが、この作者自身の日常でもあるのかと思うと、人が生きることの闇まで感じられ、日常詠の醍醐味を久しぶりに味わった。問題句「忘れたのは記憶じゃない虫だったじゃない」五七五のリズムを無視した、一行詩のジャンルに近い作品だけど、二物衝撃的飛躍の大きさに俳句と重なるもの感じた。実体験でもあることも感じられ、作り物ではない可能性に惹かれた。ただ、作者が何を伝えたいのかがよくわからず、読み手に負担がかかり過ぎるので問題句にした。“記憶”という脳機能の真実の発見体験だとは思うが、何故ここで虫が登場するのかが気になった。作者にとって虫のような出来事だったということか?記憶が混乱しているということか??した句「鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る」「五月闇寄る辺なき街動き出す」「スズメバチ捕獲器水の星閑か(大西健司)」「苺月火薬庫をみて呆けたり(桂 凜火)」「一蝉となり一空海の海となり」

寺町志津子

特選句「麦秋を回収車来て積み残す」:家庭ゴミを積み込んで去っていった回収車。日頃のいつもの風景ですが、その回収車は麦秋を積み残していったと言う。麦秋と回収車の取り合わせの新鮮さ、それでいてのさりげなさに心から感動しました。作者はきっと全身全霊、詩的感覚をお持ちなのだと思われます。また、今回は、当然ながら「非常事態宣言」中や、解除された後の心情の句が多数あり、微苦笑しながらいずれも共感しました。ことに、「堰切って埋る六月予定表」に即共鳴、元気もいただき、感謝です。

新野 祐子

特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」緑の夜が家中の鏡を覗くわけですね。何と美しい詩情でしょう。特選句「カミュ読む鉄片のごと夏落葉」鉄片のごとという硬質なイメージが今の緊迫した日常に合っていると思いました。入選句「蠍座の尾からアマビエやってきた(野﨑憲子)」「植えし田に風行き渡る登校児(小山やす子)」「桜桃忌無人の対向電車過ぐ」コロナ禍という言葉を用いないで、時世を鮮やかに切り取っていますよね。今月は時事俳句はどうあればよいか考えさせられました。勉強になりました。

中野 佑海

特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」こんな風にあくせくしない宮沢賢治を地で生きてみたい気がします。特選句「アスパラガス我が余生の青い旋律」心躍る気がするのは何故でしょうか?青臭いのに加熱すると甘味の増えるアスパラガス。年取っても気になることには、ホットな心を保っていたいな。並選句「三密も壇蜜もパレットの朱色」朱に交われば赤くなるの三密版。「触れてきて触れられてきて野の茨」眼で見た事ばかりが全てではない。触角も磨いておこう。「六月の半濁音符の遠い月(佐孝石画)」梅雨の豪雨が我が運命のツキを遠ざける?「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」勿論かむ派。てんと虫待てーッ。私も連れてって。「忘れたのは記憶じゃない虫だったじゃない(竹本 仰)」忘れるような事は私にとってそれ程大した事じゃない。「赤チンに武勇のあまた紙兜」この頃赤チンが無くなって、膝小僧の赤黒くかさぶたを付けた悪戯坊主を見なくなって寂しい。「目玉焼きのように睨んで梅雨の月」月が目玉焼なんて美味しそう。二個三個?「似ているけど近くて遠い額紫陽花(藤田乙女)」雨の降って、傘差してると良く判らないよね。違う人に挨拶したりして。でも、良いよね、緩くて。コロナウィルスは今までの常識を破壊したかも。会社にあくせく通わなくても、遅刻しても、大して気にされない。今月も、楽しい俳句有難うございました。

吉田 和恵

特選句「笹の花かえる家ないひゃくねん後」笹は、何十年に一度花を咲かせて枯れると言います。主を失くした家、そして耕作放棄地には笹がじわりじわりと勢力を伸ばしています。百年どころか近い将来家まで取り囲まれそうな現実が、この作品に共鳴します。

松本 勇二

特選句『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』季語の斡旋が秀抜です。一面の水色が作者を励ましているようです。「まっいいか」と言えることが生きて行く上でとても大切です。

増田 暁子

特選句「蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり」蚊帳に棲む兎とは亡き妻とか自分の分身か。仄かに消えるとは寂しいですね。特選句「永き日やこつんとコップが生臭い」コロナ禍の永い閉じ籠り生活を表す状態をコップが生臭いとは、感嘆です。

重松 敬子

特選句「六月に長寿褒められ大きい葉(田口 浩)」日々健やかかに歳を重ねてきた、おおらかな暮らしぶりが目に浮かびます、大きい葉がとても良い。

田中 怜子

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」この方は、結婚か仕事で実家を離れているのでしょう。それが遠野という民話の、そして姥捨ての風習もあったという土地なのである。母親も元気ではいるようだけど、年々健康等を案ずる気持ちになってきている。しかし視点をかえると、産土は野草やひべりひゆが広がる豊かな地で、隣近所のつながりもあり、まだ大丈夫かなという気持ちと土地の豊かさ、ご本人が懐かしく思っていることがうかがえる。

竹本 仰
特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」波郷「プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ」を思い出しました。田舎から上京した青年の都会の夏の発見という所でしょうか。でも、この句は家、そして私の発見、という眼目があり、そこが面白い。たとえば、夏祭りから家に戻ると家の風景が何かヘンと思う、あの感覚を思い出しました。ここにも似た経験があり、おそらく緑の夜を外で呼吸し、帰ってみると、家の中にも緑はあるじゃないか、その証拠に家中の鏡をのぞきこむ、そんな少女のような体験ではと思います。家の中のみどりの発見、とても新鮮な感じがします。特選句「もう一人の私がそこに居る木下闇(柴田清子)」日常の中で、意識的にか無意識的にか、つい置き去りにしてしまった「私」、それを思い出させる季節になったということでしょうか。そういう原点を思う新鮮な句だなと。ふいにこの間思い立ち、断捨離で捨てるン百冊の本を決めているとき、古いラジカセがあり昔のテープを動かすとポプコンの曲が流れてきました。今思うと昭和五十年前後の憧れや傷みがぎゅっと詰まった世界がそこに見え、特に女性の歌唱力が凄いのに驚きました。そして、ふいに小生の「もう一人の」自分をふりかえり、なんというか、人生の遠近感を体感したというか。そんな句なのかなと。特選句「五月闇寄る辺なき街動き出す」:「寄る辺なき」ここに共感いたしました。もともと街は寄る辺なきものだという感覚、そんな街がふと本来の寄る辺なさに気づいて、それでも寄る辺なきままに動き出す、そんな見方ではないかと。コロナ禍にちなんだヒトの本質みたいなものを突いているなあと。賑やかさと寂しさと、その入り混じったものと「五月闇」は共鳴していますね。そう言えば、カミュ『ペスト』でも始まりにオランという街について、寄る辺なき賑やかな街とわざわざ触れていて、何か半世紀後の世界中の未来都市を予測して書かれたものかなと思われるフシがありました。ここも、そんな街でしょうか。特選句「青嵐父の青シャツ小さかり」反抗期のわたしと父、そんなものを連想させられました。時間と共に乗り越えてゆくと、たちまち小さくなってゆく乗り越えられたもの。人生、その繰り返しで、ふいに最後は小さくなってゆく自分に気づくもの。そこまで連想の域は広がるように思え。学生時代、田舎に帰省するたびに経験した、親や家の小ささ、あれは何でしょうね。アリスにも、自分の大きさがわからないのでわたしは自分がわからないの、と書かれていました。修司の短歌の下句に「勝ちしものこそ寂しきものを」というフレーズがあったのを思い出しました。特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」:「沖の昏さ」に惹かれました。この昏さは、暗さと違っていて、明日を連想させるニュアンスです。だから、どういう明日かを知っているのに、という響きがありますね。髪を洗うのは、そういう明日への闘いの誓いという感じにとらえられ、このへんが面白いところです。或いは、万葉に天智天皇の新羅への出陣の船出に額田王が「熱田津に船乗りせむと月待てば」と詠んだあの心境も本音はかくかと思われ、何だか古風な日本女性の腕っぷしみたいなものも感じられ、その本質の明るさがあるようにも思いました。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」小生が中一の頃、なぜか教室でハンカチ検査のようなものがあり、その時、担任の体育の先生が、ほう、きみのは、たいへんきちんと折りたたまれて、いいハンカチだ、みんな、これを見習いなさい、と言われすごっく有頂天になった、そんなことを思い出しました。結局は、母だ、あの母がこんなところにと、思いがけない教室への母の登場に戸惑いもありましたが。しかし、こんなことを言うと、母は恥ずかしがり、それを見る自分も恥ずかしいと、そんな忖度からとうとう言い出せず、今日まで来て、母は当年96歳、天然健康体で三十年以上薬ひと粒も飲まず、さっそうと生きており。そんな母だから、あのハンカチだったのかとも。ハンカチにまつわる有頂天、人類の或るすばらしさをこの句に垣間見たような次第でした。問題句「竹落葉己が自由になるために」このままでも十分よい句です。が、「竹の花」という選択肢にも小生は引かれます。竹に花が咲くと、その一帯の竹が総枯れになってしまうと聞きました。生命の新陳代謝の烈しさですね。そこに自由が来ると、また、これも面白いものかと。問題というより、ふとした思い付きです、作者には何の文句もありません。十分よい句です。以上です。

新型コロナ、宗教界でも議論百出で、この間もご詠歌の淡路島の会議に出たら、すごい議論でありました。行くか、待つか、ふと『ゴドーを待ちながら』を連想して。みなさんは、いかがお過ごしですか? 

大西 健司

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」遠野は遠野物語の遠野か、ただ単に遠いところと捉えるのか。「置きしまま」に作者の思いが溢れている。私は遠いところと読んだ。路傍に咲く黄色い花が母を思い出させるのだろう。特選句「青嵐父の青シャツ小さかり」おしゃれな父の姿が好ましい。小さいととらえたのは父の姿だろうか。嵐に立つ年老いた父の姿が美しくせつない。

久保 智恵

特選句「拉致の子の父の無念や夏の月」胸に詰まり苦しいです。

桂 凜火

特選句「蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり」兎が蚊帳に棲むなんてメルヘンですね でもちょっと怖い でも消えてしまう その辺の不思議さとかわいさと怖さの塩梅がすきでした。特選句「ちっぽけな自分が好きで青葡萄」こんなに素直な自己愛を語られると嫌味なくそうですよねと笑えてしまいます。青葡萄もわかりやすくていいと思います。以上です。盛会をお祈りしています。

河田 清峰

特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」白いハンカチの夏がきたのに長いあてもない自粛は続く、長梅雨のいまでもなお...空をわすれそうがやるせない!

谷 孝江

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」何か切ない様な、なつかしい様な、そんな思いが残ります。近年、若い人々の農離れの話がよく言われます。雪解けが始まると家族みんなが農作業に勤しんだ事なども、遠い昔の事になりつつあります。<皆んなそろっていた頃の>作者の思いが込められていて心打たれる一句です。

松岡早苗

特選句「カミユ読む鉄片のごと夏落葉」:「鉄片のごと」という比喩が、斬新で印象的。不条理に抗った作家カミユとの取り合わせも絶妙。「太陽が眩しかったから」と答えた『異邦人』の主人公の、純粋で特異な感受性がよみがえってくる。特選句「一蝉となり一空海の海となり」 羽化を終え空高く飛翔する一匹の蝉。眼前には海原。ふっと、大志を抱き唐へ渡った若き空海の姿が立ち上がってくる。空間的、時間的な広がりの中に、命が輝きを放つ。「一蝉」と「一空海」の対、「~となり」のリフレインが、句柄をゆったりと格調高いものにしている。

【自己紹介】 (香川県さぬき市在住)「海程香川」に加えていただきありがとうございます。退職後俳句を始めて五年になりますが、頭も心も錆び付くばかり。今後は、先輩諸氏の瑞々しい感性や切れ味鋭い表現をカンフル剤として、句作に励んでまいりたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

 
野田 信章

「穂麦鳴る塚に金環眠らせて(松岡早苗)」「カミュ読む鉄片のごと夏落葉」「落し文しずかに喋る人が好き」の句群と「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」「目玉焼きのように睨んで梅雨の月」「言いたい事いっぱいあるよね葱坊主」の句群が混在しているこの句会が頼もしく思えてきた。前段の句に定型感覚に根ざした本格を志向する姿勢を認めつつも、後段の句にある日常感覚に根ざした口語発想の指向性もまた捨て難しと思う。このことは不易と流行の相においても考察されることであろうが、今の私にとっては後段の句の示唆してくれることに重きを置きながら本格を指向したいと思うところである。共に物象感を生かしつつ韻律性の確保されていることに注目したい。

三枝みずほ

特選句「六月に長寿褒められ大きい葉」大きい葉と長寿の組み合わせが新鮮だった。六月の葉はみずみずしく夏に向けての生命力にあふれている。 本日はお世話になり、ありがとうございました。久しぶりに皆様にお目にかかれてうれしかったです。やはり楽しいですね! 句会。様々な鑑賞や作品に触れられるのは勉強になります。今後ともよろしくお願いいたします。

中村 セミ

特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」僕は若い頃は自分が見世物小屋の鼻から口へとヘビを通す妖しい山奥の女だと思い、若い頃の夢は、まるで「貴方は全てのプレゼン・オプションで落ち、待っているのは、あの自分の家へ帰る最終電車ですよ」と云われた。徐々に何かがはがれいくように、年を経る事によって、老人という哲学的な塊(カタマリ)に囚れ、フト、アスファルトの熱い路面をはう、白い壁を昇る蛇に、魂を奪われるように「俺もおまえも いつ迄生きる」と云われたようだ。と読むのは僕だけだろうか。特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」幼い頃、母につれられ夜の連絡船に乗った事がある。当り前の事だが夜の海は黒い。暗いではなく向うの方迄黒だ。まっ黒なのだ。それが沖の昏さとすれば大人になって色々思い出す度に、が、髪洗うだろう。「色々どうでもいい事を限りなくとりとめもなく、思い出す度に、母といた、あの連絡船は、まっ黒い海のドロドロとした油の様な道筋を一体僕等をどの島へ何の為に運んできたのか、もうどうでもいい事は思い出したくないのに」髪は洗うのだ、と言っていると読みました。 別解 髪洗う という夏の季語と、沖の昏さがよくマッチしている。それにしても沖の昏さがとてもいい。

稲   暁

特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」洗い髪と暗い海の照応に強く惹かれる。「沖の昏さ」は何の喩なのだろうか?問題句「ちっぽけな自分が好きで青葡萄」『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』両句ともささやかな自己肯定の句。好感を持つ一方で、作句法としてはやや安易かな?とも思うが・・・。

河野 志保

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」田に水が入るまぶしい季節。親しい人達との活気にあふれた日々がよみがえる。コロナの影響か、それとも遠い記憶か、作者の懐古がまっすぐ伝わった。「田水沸く」が情景をより鮮明にしていると思う。

伏   兎

特選句「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」短気な人と呑気な人の違いを、飴で知る目からウロコの発見句。天道虫との取り合わせが軽妙かつ魅力的。特選句「六月の赤ん坊ふるふる水の星」植えたばかりのみずみずしい青田が目に浮かび、水をごくごく吸って育つ稲の苗を感受。「六月」と「水の星」が響き合い、ふるふるのオノマトペも快い。入選「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」野草の一つでもあるすべりひゆを煮物にして食べ、滋味あふれるおいしさに感動したことがある。「すべりひゆ」「母」「遠野」が醸しだす心象に惹かれる。入選「似ているけど近くて遠い額紫陽花」紫陽花の咲いている街角で、心に深く思っている人とそっくりな姿を、偶然見かけたのだろうか…。今、話題のショートストーリー風の言語感覚があり、注目した。

野澤 隆夫

特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」声に出して読んでみても調子のいい、面白い句です。河馬→ナマケモノ→ホタル。夜になると輝く。楽しい句です。特選句「赤ちんに武勇のあまた紙兜」令和の前の前が昭和。昭和も遠くなりました。この句は正に昭和の句です。チャンバラごっこの昭和が懐かしいです。もう一つ特選句「麦秋を回収車来て積み残す」つい先週までは 私の住んでる亀田南町は一面〝麦の秋〟。回収車が持ち帰りを忘れたかの如く大いなる麦畑でした。今週に入ってからは田植えで水没しかえるが騒がしく鳴いてます。

亀山祐美子

特選句『すべりひゆ母を遠野に置きしまま』「遠野」が地名でも「遠い場所(実家・施設・病院・他界)」でも読み手の自由。ここにある母との距離感罪悪感切なさが「すべりひゆ」と云う季語に込められている。雑草であり薬草であり食べられる草。母そのもので在るかのような地味な「すべりひゆ」が支える世界観。飢饉の際の非常食だと認識すれば「遠野」と云う地名の迫り方が一層危機感を増す秀句。母に対し子どもとしての至らなさに臍をかむ。特選句『髪洗う沖の昏さを知っていて』「髪を洗う」私は「沖の昏さを知っている」ではなく「知っていて」と表記する。「知っていて何も出来ない」私は唯々「髪を洗う」まるで禊ぎのように。悔恨。懺悔。怒濤のように押し寄せる罪悪感。贖罪。自分の中に在る見てはならない深淵を意識した、内向的だが深い一句。特選句二句。まるで対のように胸に響いています。 顔を見て句座を囲める幸い。久々に楽しい時間をありがとうございました。戻りつつある日常に感謝。皆様の句評楽しみにしております。

漆原 義典

特選句「堰切って埋まる六月予定表」新型コロナウィルス禍による移動制限がやっと解除となりましたが、その喜びを、堰切ってと、上手く表現していると感動しました。素晴らしい句をありがとうございました。

菅原 春み

特選句「夕顔の朝たたまれて国憂う」はかなげで幽玄な夕顔の白い花がたたまれる、詩的発火に納得です。特選句「五月闇寄る辺なき街動き出す」コロナ禍とはいわず、寄る辺なき街といったところにリアリティを感じました。

男波 弘志

「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」不思議な関係性。説明を拒んでいる。「田水沸く皆んなそろっていた頃の」沸く、そこに芯の関係性がある。田水張る、でも句は成立するが、家族とはもっと深いものだ。以上、どちらも秀作です。

野口思づゑ

特選句「一蝉となり一空海の海となり」蝉の空と、海、の地球と、人間の知的な霊性が組み込まれたスケールの大きな句。圧倒されました。特選句「アスパラガス我が余生の青い旋律」そういえばアスパラガス、思い浮かべると音楽が聞こえてきそう。きっと明るい余生だと思います。「滋さん死す夏形容詞にとりまかれ」形容詞に色々な思いが込められている。

柴田 清子

特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」老人と悲しい蛇に共通した何かがある。それが何かはわからないままに、この一句に引き込まれる。特選句「玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす」玉ねぎを吊すそれだけで人物の生活、あらゆる全てが滲み出してくる凄い句と思った。特選句「六月のマスク古ぼけたピカソ」古ぼけたピカソ 発想が奇抜。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」白いハンカチからの切替えがすばらしい。

藤田 乙女

特選句「だるま食堂紫陽花咲いたら開きます」 コロナにより閉店していた食堂が開くのでしょうか?「紫陽花咲いたら開きます」がきっぱりして前向きで、気持ちを明るく爽やかな気分にしてくれます。特選句『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』 こんな気持ちで日々を過ごせたらと羨ましく思いました。

石井 はな

特選句「だるま食堂紫陽花咲いたら開きます」紫陽花の開花に合わせてお店を開く。コロナの影響でしょうか、長い休みを紫陽花の開花と共に、また始める。未来への希望と明るい光を感じます。家族で営む?食堂の生き生きとした様子が目に浮かびます。

島田 章平

特選句「夏に入る余計なものはみな捨てて」断捨離。人は毎日毎日時間を捨てて生きている。そして生まれ変わっている。捨てることで新しい命が生まれる。「夏に入る」と言う初句に、再生の明るさがある。

田口  浩

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」すべりひゆが遠野に咲いている。否、咲いていないかも知れない。とにかくそこえへ「母」と言うカードを挟む。すると言葉のマジックで「置きしまま」に深遠な意味が現れる。なかなかのマジシャンである。「夏に入る余計なものはみな捨てて」「いらしてね虞美人草といふ店よ」「熱兆すときの体感合歓の花」「髪洗う沖の昏さ知っていて」「ハンカチが白いもう空をわすれそう」これらの作品、どれも俳句独特の世界を持っていよう。すばらしい。

高橋美弥子

特選句「熱兆すときの体感合歓の花」熱が出そうなときのなんかほわんとした感じと、合歓の花のほわほわした感じが呼応する。五感を俳句にきちんと詠み込んでいて好きな句です。

小宮 豊和

「落し文しずかに喋る人が好き」静かな良い句である。一読してそう感じる。しかし読み手にはへその曲った人も居る。あえて難癖を付ければ作者が好きと言ったから良い句になるとは限らない。また何に感動したのかはっきりしない。事件性が薄くて伝達力が不足だ。などいろいろある。たぶん伝えたいことは「以心伝心した本音」ではないだろうか。季語はそのまま、中七下五を右のフレーズに入れ替えるのはどうだろう。

松本美智子

特選句「天金の書のあり梅雨めく午後のあり(谷 孝江)」「玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす」どちらも情景が浮かぶ句でした。どちらも音を踏んでいて読んでいて耳にここちよかったです。

高橋美弥子

特選句「梅雨空に孫が小さく立っていた」何か不思議な感のする句です。誰かの絵を見ている気がします。あまり暗くない梅雨空、小さく立っていた、という突き放したような表現、孫の存在感をありありと感じさせます。小さくがいいんだろうと思います。ある一瞬の把握が全てを物語っていて俳句の面白さを感じます。

野﨑 憲子

特選句「三密も壇蜜もパレットの朱色」パレットの朱色はお日さまの色。巷で言われている三密と真言密教の三密をかけ、女優の壇蜜さんも取り込んだ意欲作。密教の究極は?艶〟と言わんばかりに。問題句「鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る」軽妙な北の交響詩。巧過ぎる!

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

雨漏り
記憶が随分雨もりしてきた
中村 セミ
雨もりのソラシドレミファ新茶飲む
野﨑 憲子
雨もりの音にハミング子もり歌
野澤 隆夫
雨漏りのごとき仕事で夏に入る
中野 佑海
雨洩りや洗面器か馬尻かと
鈴木 幸江
雨漏るや鰆の焦げのアルミ箔
藤川 宏樹
雨もりのしみを広げる海の家
亀山祐美子
ビールが旨い屋上を夜の風
島田 章平
風強し風の気になる人だから
鈴木 幸江
銀河系のとつぱづれから青嵐
野﨑 憲子
風が削られてゆく石の型(かた)となる
中村 セミ
ドッジボール最後の一人は青田風
中野 佑海
若葉風プードル今朝は石かじる
野澤 隆夫
髪流し風に追ひつくとうがらし
亀山祐美子
新茶
茶茶茶新茶緑茶番茶一茶兜太
島田 章平
一本の奥歯を残す新茶かな
亀山祐美子
格差の世一茶新茶を買ふたかや
鈴木 幸江
イケメンが崩れかけてる宇治金時
藤川 宏樹
プードルの散歩疲れや新茶くむ
野澤 隆夫
無観客
無観客ゴッホのような星月夜
藤川 宏樹
穴を掘り下げてゆくほど無観客
三枝みずほ
ユーチューバーのお祭り騒ぎ無観客
中野 佑海
麦は穂に謡再開無観客
野澤 隆夫
無観客青水無月の風騒ぐ
亀山祐美子
自由題
お盆持つ夏満月を持つように
鈴木 幸江
恋猫のマンドレイクの根の悲鳴
中村 セミ
兄さんは海へ梅の実がなつた
野﨑 憲子
人間になる石ぬくし青水無月
亀山祐美子

【句会メモ】

アマビエ.png

四か月ぶりの高松での句会でした。久々の生の句会に一日中ハイテンションでした。何よりも、ご参加の皆様の笑顔が嬉しかったです。句会ってお祭りですね。コロナウイルスの一日も早い終息を願っています。来月も句会が開けますように!!

冒頭の紅白の蓮の写真は栗林公園で島田章平さんが撮影されたものです。

2020年5月24日 (日)

第106回「海程香川」句会(2020.05.16)

虹1.jpg

事前投句参加者の一句

オーイオーイと宙(そら)割って穀雨の列車 伊藤  幸
顔真黒な我を溺れる薄暑かな 豊原 清明
声高な正義白い花咲く蛇いちご 増田 暁子
行く春やキリンの首の一つ分 河田 清峰
人であることを忘れるほど桜 月野ぽぽな
一人づつ呟きに来る冷蔵庫 小山やす子
一メートルづつ離れ臠(ししむら)紫木蓮 若森 京子
かしこまって父と苺をつぶし合う 竹本  仰
ハーモニカつばめのように帰れない 夏谷 胡桃
本当は遠泳したい鯉のぼり 野口思づゑ
ぽつねんと遺骨置かるる暮春かな 石井 はな
新緑や歯と歯ぶつかる音がして 河野 志保
筍や五月の空を昇る意志 小宮 豊和
春昼の獏に利き足舐められる 伏   兎
ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく 銀   次
茅ばなぼうぼうマスクの街を遠巻きに 野田 信章
いま芽吹くブナはますらお触れてみる 新野 祐子
雲雀来て言い足らぬ空ありまして 佐孝 石画
麦秋や列島女人の寛ぐ態 高橋 晴子
亡き母の着物取り出す更衣 漆原 義典
さざなみのルーズソックス 卒業す 矢野千代子
無症状蒲公英絮毛感染者 藤川 宏樹
曳き波に十六歳の切手貼る 中村 セミ
昼暗し日本くらし春の猫 稲葉 千尋
待合に時計のくるふ蝶の昼 小西 瞬夏
素因数分解しても春キャベツ 増田 天志
初夏のジュゴン祈りのようにかな 桂  凜火
万緑や十指に余ることばかり 寺町志津子
不作為の未必の故意の春流れ 滝澤 泰斗
行く春がするりと抜ける日々なりき 田中 怜子
この時季に「第九」歌ふかコロナの禍 野澤 隆夫
流離のよう蝶の軌跡のふうっと変わる 十河 宣洋
黒猫の舌は退屈みどりの日 高橋美弥子
茶髪のひとりは百日紅にもたれ 久保 智恵
山藤の空に溶け入る時間帯 柴田 清子
白鷺の頸の仕組みと襞マスク 森本由美子
アパートの躊躇い傷となる金魚 男波 弘志
春夕焼めくるといつも泣いている 榎本 祐子
しづかさや山羊の聲なく草茂る 鈴木 幸江
模造紙を広げ夏蝶呼びよせる 三枝みずほ
花つけしトマトあしたの靴選ぶ 菅原 春み
麦笛を吹くたび貨車のやってくる 重松 敬子
もしかして君はともだち夏来る 高木 水志
うがい手洗い観音さまの聖五月 荒井まり子
目覚めては恋に恋する夏の蝶 藤田 乙女
家に居て山椒魚のようにかな 吉田 和恵
木になろか石にならうか風薫る 亀山祐美子
葉ざくらとなりまた別のこころざし 谷  孝江
間違いは誰にもあって薔薇を買った日 田口  浩
観光立国崩壊しつつ夏来たる 稲   暁
霾るや祈る空海長安に 島田 章平
熊野暗緑蝶々は海の遺書ならん 大西 健司
スヌーピーってすごく哲学こどもの日 中野 佑海
角だすもすずめになれぬカタツムリ 田中アパート
鬱抜けてシャワーは熱く夏の朝 松本美智子
田水張る仏間に風を入れてから 松本 勇二
くちなはの口に飛び込む大日輪 野﨑 憲子

句会の窓

十河 宣洋

特選句「さざなみのルーズソックス 卒業す」ルーズソックスのさざ波は上手い。教員時代、ルーズソックスには色々悩まされてきたので、この捉えに共感する。このさざ波はソックスそのものの波というより、それを身につけている少女の心のさざ波であり、周りの人たちの立てる波でもある。特選句「間違いは誰にもあって薔薇買った日」俳諧味の強い作品。これくらい大らかな人が好きである。薔薇を買ってその日のデートは上手くいったのか。最近は花束などよく見かけるが、私の時代は花は贅沢なものと言う感覚が強い。それを買って彼女に届けたのだから結果は見えている。それが間違いだったと、苦笑いしている程度の軽さである。

豊原 清明

特選句「ハーモニカつばめのように帰れない」ハーモニカを吹く人の哀歌か?もうこの時代から昔の時代には帰れないという、当たり前のことだが、「帰れない」に共鳴。問題句「脆弱なマスク聖人新世紀(藤田乙女)」:「新世紀」と聞いて、いま「新世紀」やったと再確認する。「マスク星人」が意味ありげ。もう終わりのような世界を客観で描く。

桂  凜火

特選句「もしかして君はともだち夏来る」新しい出会いの時、気が合うかなと期待と不安が入り混じる。そんなドキドキ感が伝わりました。「もしかして」という導入部分が好きです。「夏来る」の季語もよくあっていると思います。特選句「木になろうか石にならうか風薫る」新緑の中でじっと風に吹かれていると、自分も木や石に同化できるような気分になることがありますが「木になろうか石になろうか」と書くことでその気分がよく出ていると思います。ふと金子先生の「酒止めようか、どの本能と遊ぼうか」のフレーズを思い出しました。

若森 京子

特選句「春夕焼めくるといつも泣いている」夕焼は大変センチメンタルな情感を湧かせてくれるが、特に春の季節は感情の起伏の激しい時の様だ。「めくるといつも泣いている」の措辞がとても上手い。特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」子供にとってスヌーピーが大変哲学的であるとの発見に驚いた。「子供の日」の句では、私にとって新しい出会いだった。

小山やす子

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」心踊る花の世も終わり葉桜の季節となり又違った角度から自分を見詰め直した新鮮さが伝わって来ます。

増田 天志

特選句「春昼の獏に利き足舐められる」吉兆なのか。それとも、悪夢の予兆なのか。無用の用に、想像力は、喚起される。

中野 佑海

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」自宅にいると、冷蔵庫が何故か気になるのです。何か食べたいわけでもない無いのですが。直ぐ何か探しに行って、欲しいものは行ってから探すくらいの。あれって、一種の鬱憤ばらし?ブツブツ言いながら結局は麒麟か朝日か鳥居さん探していませんか?内の冷蔵庫はいつもばりばり入っているので、結局、食べたいものを探し出してむしゃむしゃ。自宅待機の日数とともに、下腹が。特選句「人であることを忘れるほど桜」桜の俳句は逃しません。咲き始めたら、近くの民家の一本桜、神社の一本桜。好きなだけ触って、眺めて、匂って、酔うほどに堪能。今年はうまい具合に咲き出してから、寒い日が続き一か月近くも楽しみました。「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」列車は空気も何もかもなぎ倒して進んで行く。でも、絶対信号機がカンカン鳴ったら、手を振り見てしまう。「ハーモニカつばめのように帰れない」小さい頃はハーモニカを上手くチュルチュル吹いていたけど、今は口も手も上手く連動していかない。燕返しのように。「新緑や歯と歯ぶつかる音がして」さらさらと鳴る葉擦れの音の涼しさよ!「筍や五月の空を昇る意志」出ました上昇志向。つくしは龍に、たけのこは鯉幟の竿に、麦は麒麟に、私は冷酒で天国かはたまた地獄か!「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」一体全体どういうシチュエーションなのか?学校休校の折親孝行ですね。でも、5月の空にモップと雑巾は結構シュールだ。「行く春がするりと抜ける日々なりき」今年は京都も吉野も弘前も桜を思う存分観に行くぞと思いきや、近場で終わりました。こんなにゆっくり誰もいない観光地って有り?残念。「老い集うベンチ青葉風の糖度(小山やす子)」ばあさんたちは甘いもの大好き。必ず煎餅、飴ちゃん、饅頭、等々。忘れません。「こんなにも甘い甘茶の灌仏会(田中怜子)」灌仏会の甘茶って本当に甘いよね。仏さまって本当に優しいんだろうなって思います。 

矢野千代子

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」まず、「田水張る」「仏間」で、ふだんの生活習慣などが彷彿とうかびます。その景がそのまま詩になり、こころにひびく作品になりました。

小西 瞬夏

特選句「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」最初は問題句候補でした。それが、なんども読むうちに、童話的な世界感と、子どもたちのたくましさ、健気さのようなものが感じられ、一行詩的ではありますが、心にすとんと落ちてきました。

鈴木 幸江

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」滑稽の中に、日常の真実と発見が二つも入っていて、お見事。私も子供のころ少し酸っぱい苺に牛乳と砂糖を掛けて、それ仕様の特別な匙で家族で潰しながらよく食べた。その時の人の姿が過不足なく描写されている。人とは滑稽な生き物であることを再確認した。“かしこまって”に苺に対する敬意があるのだ。“つぶし合う”の措辞にささやかな罪の意識と闘志も必要だったことが伝わってくる。今の甘い苺をそのまま食べるとき、そういう食べ方をしていた頃を不思議と思い出す。あの時の違和感の謎が解けた思い。今している様々なことも、時が経てばその謎が解ける日が来るかもしれない。長生きをせねば。特選句「雲雀来て言い足らぬ空ありまして」たらたらとした結句に気持ちがよく出ている。言葉でどう表現しようが気持ちをそのまま伝えることなどできない。それほど人の気持ちは今、一瞬、その時のもので奥深い。言葉にはならない部分が残る。身体の表現を加えてもうまく伝わらない。雲雀だってそうだ。空高く必死で鳴いているだろうがきっと同じ思いでいることだろう。ある必死さに、同じ生きるものとして哀れを感じつつも力も頂いた。問題句「曳き波に十六歳の切手貼る」夏の砂浜の引く波に十六歳の時買った切手を貼って流した。そのイメージの世界に作者の淡い青春の苦悩が偲ばれる。でも、“十六歳の切手”と“貼る”の措辞がどこか投げやりで、まことに勝手なことだと思うが、残念な気がしてしまった。チェックした句「顔真黒な我を溺れる薄暑かな」「蛙溺れて生尽くす朝夏草(豊原清明)」「春夕焼めくるといつも泣いている」「角だすもすずめになれぬカタツムリ」「くちなはの口に飛び込む大日輪」

藤川 宏樹

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」十六歳がまだ憧れだったころに見た“The Sound of Music”。ガラス張りの四阿屋で電報配達夫の彼と踊る“Sixteen Going on Seventeen”。人生の目標が夜空の星ほど遠かった当時から半世紀を過ごしたが、「十六歳の切手貼る」に座席の固さまで蘇った。作者の思いから離れた鑑賞になると思うが、俳句の力を実感した。

佐孝 石画

特選句「新緑や歯と歯ぶつかる音がして」鮮やかな若葉を風になびかせ、新樹らは佇つ。「山笑う」の語があるように、それらの立ち姿は快活でリラックスしているかのように見える。しかし彼らの実態は、固い冬芽を破り、己が内蔵を引きずり出さんばかりに転生した、苦悶の果ての絶唱。「新緑」に硬質な響きを感じ、「歯」のぶつかり合いという幻想を見た作者の感性に、大いに共感する。ちなみに、僕も30年ほど前に「軋る音して欅青葉の窯出しです」という句を作ったが、この句のような「痛み」「焦燥感」にまでは食い込んでいなかったように思う。特選句「流離のよう蝶の軌跡のふうっと変わる」:「蝶」の存在自体、「流離」でもありそうだが、この句の場合、「ふうっと」に臨場感をともなってくる。それは作者の流離感覚との共振。かつて金子兜太先生が「定住漂泊」とことばしたその感覚。景物に憑依し憑依されることで、日常から少し離れた異空間へと「流離」するその感覚の裏側には、やはり動かぬ「生」と「死」という基軸があるように思う。その振り幅のなかで、現在地を振り返りつつ、日々「にんげん」は暮らす。浮沈しながら飛ぶ蝶の軌跡に「流離」があるのではない、「流離」を感じてしまう自分も含めた「にんげん」の不思議に作者は呆然とするのだ。

夏谷 胡桃

特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」。ふだんは畑仕事をしているわたしだけど、あしたは仕事で大事な人に会うのよ。大事なのは靴よね。初夏らしい靴はないかしら。そうだマニキュアも塗って…。ああ、爪に土が入っている爪が割れている。急いで爪の手入れしなくちゃ。特選「田水張る仏間に風を入れてから」。遠野にやっと春が来ました。田水を張っているところです。長く閉ざされていた仏間の戸を開けて風を通します。古民家には無駄に大きな仏間があります。昔は法事も祝い事もその部屋に人が集まったのでしょうが、いまは料理屋の座敷で行います。もう人の賑わいのない仏間です。遠野の春の風を入れると、仏間に飾ってある亡き人たちが笑った気がしました。物語がイメージできるふたつの俳句でした。

滝澤 泰斗

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」コロナ禍のテレワークかゴールデンウィークか、家族がみんな揃っている午後、大人も子供も銘々が冷蔵庫の前に来て、何かを取るか、見るかしてぶつぶつ呟いてゆく日常の中の一コマをうまく切り取ったと思いました。特選句「裸婦とレモン アトリエは夏の兆し(重松敬子)」いささか気障ですが、南フランス・エクサン・プロバンスのセザンヌのアトリエを思い出しました。セザンヌがスケッチをしている静物の果物や野菜。そして、裸婦像の絵など雑然とした部屋の佇まいの窓辺に夏の日差しが短めに・・・洒落た句です。「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」印象的な句に違いありませんが、オーイオーイの主体がわからず、取れませんでしたが、気になる一句でした。

大西 健司

特選句「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」何でも無い光景だが、絵本の中の一行のように心に残る。でも俳句としては未完だろう。だけど定型に収めると魅力が消えそうな気もする。そんな危うさで特選に。

伊藤  幸

特選句「指十本足し算引き算鯉幟(亀山祐美子)」ステイホームだ自粛だと叫ばれる今日この頃、このような句に出逢うとホッとする。幼児が指を使い懸命に足し算引き算する様子が景として浮かび上がり思わず笑みが込み上げてくる。特選句「くちなはの口に飛び込む大日輪」余り好まれぬ蛇と地上に光をもたらす太陽との取合せが見事にコラボして、物理的にはあり得ぬ口に飛び込むという発想が功を奏している。

野澤 隆夫

特選句「素因数分解しても春キャベツ」春キャベツを素因数に分解したらとの発想が面白い!そんなこと考えもしないし…。素数に分解してもやはり春キャベツ。さて素数って…。2・3・5・7・11・13・17…。もう一つの特選句は「不作為の未必の故意の春流れ」現政権の政治の流れがまさにその通りと指摘されてる。「不作為」と「未必の故意」…そうですね。

高橋美弥子

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父親と苺を食べようとすると、なんだかかしこまってしまう。なんかこんな時がわたしにもあったなあと思いました。家族の日常をこんなふうに切り取れていて、好きな句です。問題句「 張りぼての青空泳ぐ鯉のぼり(石井はな)」張りぼての青空、は折り紙か何かのことを言っているのか、特別な意味があるのか、どちらなのか読みきれませんでした。子どもが作った鯉のぼりのように素直に読めばよかったのかな・・・。

中村 セミ

特選句「旱星てのひらに水うごきだす(小西瞬夏)」旱星は、雨のないひでり続きの夜に見える強い光りの星の事とある。晩夏の季語。調べて見れば旱星の句はかなりある。この句も<てのひらに水うごきだす>で旱星との対比をよく出していて面白いと思う。特選句「少年は夏の匂いを落として行った(伊藤 幸)」まるで、西脇順三郎の詩の様で、<夏の匂いを落とす>は何を示しているか考える楽しさに集約されているように思う。僕にはよく分からないが、夏の匂いは、確実に形として作者の頭の中に残っているだろう。恋愛かもしれないし、ちょっとしたアルバイトの経験かもしれない等々―人生の一つの経験として、こういった事もあったと、おそらく作者(誰かしらないが)60代の方が云っているのだろうと推測しました。「人であることを忘れるほど桜」桜がたわわと果実の如たれ下っているのを見ると悲しく嬉しく、何とも云えぬ気持になる。生きていてよかったに尽きる白い桜。

松本 勇二

特選句「うがい手洗い観音さまの聖五月」今や必須の日常であるうがい手洗いと、合わせた観音様の距離感が巧み。どこか明るい作者像も見えてくる。

稲葉 千尋

特選句「蟻をみて今日五〇〇円稼ぎます(夏谷胡桃)」唐突に見えますが蟻を見て今日もがんばるぞの気持が見えます。五〇〇円が楽しい。

榎本 祐子

特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」麦笛を吹くたびに、貨車はどこからかやって来て目の前を過ぎ、どこかへ去って行く。時間が流れるように、又は郷愁のように。人の姿が見えない貨車に作者の孤心を思う。

寺町志津子

今月の、コロナ禍による異常な暮らしの日々やその思いに関する作品の数々に、コロナ禍の一刻も早い終息を願いながら、いずれも実感的に共感いたしました。特選に頂いた「田水張る仏間に風を入れてから」。作者のお宅は、代々、稲作を業とされているお家と想像されますが、作者のお宅では、ご仏壇に手を合わせて、先ず、ご先祖様のご冥福をお祈りし、同時に、本年も豊作であるよう手を合わせられ、ご先祖様が居心地のよいよう仏間に風を通してから作業にいかれるご様子に、ご先祖様を大切にされ、真摯に田仕事をされている光景が、鮮やかに目に浮かび、心打たれました。きっと、代々その様にして耕作を続けてこられたことでしょう。とても爽やかな気分になりました。

田中 怜子

特選句「五月来と海は両手を広げ待つ(菅原春み」目の前に海が広がる気持ち良い句で、今の鬱屈した世情を開放する。「はかま脱ぎ笊にもつれる土筆かな(森本由美子)」笊にしんなりと茶色のつくしが目に浮かびます。もつれると表現したのがおもしろい。「家に居て山椒魚のようにかな」山椒魚といったのがおもしろい。どろんどってり、小さな目はくるくると動いて、今の世とは真逆な動きがいいですね。「田水張る仏間に風を入れてから」さーっと、気持ちよい風が流れてくる、そして仏間とは、地方の折り目正しい生活ぶりが窺われます。

島田 章平

特選句「裸婦とレモン アトリエは夏の兆し」。「智恵子抄」を思わせる一句。まだ、若い智恵子の鮮やかな姿が浮かんで来ます。見事な作品ですね。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」。多分、まだ亡くなって時間が立っていないのでしょう。亡き母の遺品の整理で、母の箪笥を開けた時に、思い出のある母の着物。思わず手に取って、母の思い出を忍びます。心情溢れた佳作です。

河野 志保

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父と娘を想像した。「かしこまって」がユーモラスで幸せな場面を演出していると思う。温かい気持ちになる句。

重松 敬子

特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」本当にスヌーピーは、子供の漫画には珍しく哲学的ですね。我が家でも子供たちが好きでした。哲学とは思わず、実は哲学を楽しんでいた、みたいな・・・・。子供達の応しゅうの理屈っぽい面白さ。うまく一句にまとまっていると思います。

伏   兎

特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」穀雨のなか、車両をいくつも繋げ、野山を走っていく風景は絵本的で、ユートピアを感じる。上五のオノマトペに、宮沢賢治の世界を彷彿させるものがあり、注目。特選句「カプチーノデカルト妻に春惜しむ(中野佑海)」カプチーノ、デカルト、妻という想定外の取り合わせに面食らったが、鑑賞する側の心に化学反応を起こさせる巧みな句。春ならではのアンニュイも漂い、趣深い。入選句「曳き波に十六歳の切手貼る」高校時代のそれぞれの一年は、大人になってからの一年と厚みが違う。この句の十六歳は高校二年生の三学期だろうか。多感な世代の気分が描かれ、心に刺さった。

田口  浩

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」:「新は深なり」と言う。この句<また別のこころざし>の発想が新しい。<葉ざくら>から、このような世界を生む感性がうらやましい。「老い集うベンチ青葉風の糖度」<青葉風の糖度>を見てうれしくなった。「アパートの躊躇い傷となる金魚」ソウトモソウトモソウダンベ と掛け声ならぬアイヅチを打つ。「木になろか石にならうか風薫る」風薫る、はこう言う風であろう。「鬱抜けてシャワーは熱く夏の朝」夏の朝がいい。巧みな作品であろう。

石井 はな

特選句「茅花流し逢へないのかなもう君に(野﨑憲子)」平静の時ならば「もう逢へないのかな」も、軽い別れに感じるだろうと思うのですが、今の新型コロナに覆われている時には、心にずしんと響きます。入院したまま面会も出来ず、死に目にも火葬にも立ち合えず別れを迎えてしまった方々の気持ちに思いが至ります。 

田中アパート

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」不要不急の私には・・・・?なぜ曳き波なのか一日中考えたのですが。

月野ぽぽな

特選句「雲雀来て言い足らぬ空ありまして」雲雀の囀りはただ事ではありませんね。途切れる間なく鳴くのは「言い足りないほどの空」だからなのですね。「言い足りないほどの空」の詩的措辞が効いていて俳句的切れの形を取らずとも一句に密度を生み出していると感じます。言いさした感じも、雲雀の饒舌さを思わせたり、ちょっととぼけた俳味を生み出すのに効果的。

竹本 仰

特選句「万緑や十指にあまることばかり」いい季節となると、表の快さと同時に裏面の濃いゆううつも有り余って寄せて来る。若い頃だと五月病、それは若い年齢とは限らない。否、若さがあればいつだって五月病はある。養老孟司氏が言っていましたが、不安というのは消えない、それは生きている証しだからと。生きているからこその不安、正直にひたるしかないか。特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」トマトに黄色い花がつく、その微妙な頃合いを、では人は?人は人とのつながりの中に開花する。その清新な思いが、靴につながってくる。この辺のストーリーが面白い。そういえば、『風と共に去りぬ』でも『野火』でも、軍靴の出来が悪いと、すぐ底がぬける、ぬけると一気に兵士は気力を失うとあった。そんなことを思い出した。特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」貨車はその音のようにカシャカシャという音を立てて過ぎ去る。何だか過ぎ去ると、妙にさびしいのはなぜかといつも思う。だが、この句は麦笛を吹くと、貨車のやってくる予感がするというのだ。このワクワク感、たまりませんな、と言いたいのを感じる。若さはいつもそうやって来るからだ。人がいない貨車でも、旅立ちのふと湧きあがる瞬間を感じる。あこがれの原形のようなものを感じさせる句だ。特選句「田水張る仏間に風を入れてから」田に水を張ると、なにかひと安心だ。非常に清々しく、その水面に万物が吸い込まれてゆくような快感がある。この恵みはどうにもこうにも祖先の目線と合った同じものとしか思えない。自分も祖先になりきって、同じ清々しさを味わおう、その先はけっこう辛いのだけれど。そんな心持ちを感じた。以上です。

今回は、コロナと郷愁とが目立ちましたが、何というのか、それって融合できないのかな、みたいなヘンなことを思いましたが、これも獏に足をなめられたのかも。コロナも終息への期待大なる世相ですが、みなさま、重々お気を付けください。昨夜、コロナの元凶はお前だ、みたいな夢を見て、やっぱりそうだったのかと反省する自分がいて、目が覚めました。その時示された赤い文字がまだ残っています。いやはや。サンポートホール高松での句会の復活を祈っております。

菅原春み

特選句「ぽつねんと遺骨置かるる暮春かな」味わい深い景だ。春に夕闇が忍びよんでいるのか、春の終わりか、なんとも茫漠とした感じがいい。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」亡くなった母上の着物を取り出し、思わず羽織ってみたのか、あのときの思い出に浸ったのか、静かだ滋味あ滋ふれる季語で詩的発火した。

野田 信章

特選句「昼暗し日本くらし春の猫」春は猫の季節。個的内向きには「昼暗し」で納まっていたものが「日本くらし」と視野を拡大せねばならないところに今日のわれらの生と句作りの一態があることを示唆してくれるものがある。「非常の日常令和の月おぼろ(荒井まり子)」の一句も将に今日の句として味読しました。特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」コロナ騒動の蟄居状態の中でこの句を読んでいると、動画の機関車トーマスの一場面も想起されて屈託のない応援歌として読めた。二十四節気の「穀雨の列車」としての起用には意外性のおもしろさもあり、一句の鮮度を高めていると思う。

野口思づゑ

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父と子にあるちょっとした距離、それでも仲の良さが感じられる微笑ましい句。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」ちょうど友人たちと、メールで母が残した着物が話題になっていました。皆が、処分すべきなのでしょうけどなかなかできずの悩みを抱えていたのですが、この方はお母様の着物を身につけられのですね。お母様を思い出す情感が伝わってきます。

 香川県は自粛が解けたようでよかったですね。これで来月の句会の希望が見えてきましたね。シドニーも3段階の規制解除が今日から始まり、5人までの来客が許されたので週末に友人が来る予定です。そちらは新緑が美しい頃でいい季節ですよね。こちらは日が短くなり、朝晩はぐっと冷え込みます。ストーブを出しました。

高木 水志

特選句「老い集うベンチ青葉風の糖度」長い間友達として交流してきたお年寄りたちの楽しい会話を青葉の香りが優しく包み込む風景が見えて心地よい。

森本由美子

特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」緑うねる農業地帯、SLらしき列車がどこからともなく。穀雨という季語選びと、メルヘンを越えた自由な発想にひかれました。特撰句「人であることを忘れるほど桜」油断すると異次元につれていかれそうな溢れる妖しさを詠んでいるのでしょうか。準特撰句「かしこまって父と苺をつぶし合う」めったに向き合うことのない父と娘。苺をつぶすごとに、そのフレッシュな香りが会話の代わりに空間を満たしていく様子がうかがえます。きりっとして好感のもてる句です。

日本はかなり大幅に自粛をといてゆくようですね。NY はまだだいぶ時間がかかりそうです。どちらにしてもこれからの道のりは厳しいことでしょう。そんな中いろいろお世話をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。Eメールで投句できるのはとてもありがたく思います。

小宮 豊和

特選句「一メートルづつ離れ臠(ししむら)紫木蓮」この句、肉塊が各一メートルの間隔をとって並んでいるというのだ。そのことに作者の感情はほとんど動いていないように思う。感染を避けるためだけの肉体の配置だ。作者の感覚は季語、紫木蓮に凝縮する。この紫木蓮は評者の知る限りでは、これ以上適切な表現は無い。色彩感覚、生命感覚、生きるということの悲しさ、いとおしさが伝わってくる。

増田 暁子

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」16歳の自身に手紙を描いているのか。曳き波がとても良いですね。特選句「いつも遠くで雉子のように立って祖母(松本勇二)」いつも遠くで雉子のような祖母。慈愛に満ちた姿が眼に浮かびます。

新野 祐子

特選句「声高な正義白い花咲く蛇いちご」:「私の責任で」などと言って正義を振りかざす為政者と、(誰が名付けたのか蛇だなんて)可憐に咲くいちごの花の対比が、今の情況を表す例えとして冴えているなと思いました。入選句「本当は遠泳したい鯉のぼり」同じことを私の身体が熱望しています。入選句「脆弱なマスク星人新世紀」殺菌すればするほど強い菌が現れるのが自然界の仕組みなのではないでしょうか。新型コロナの出現は人間のおごりの証しかな、などと考えたりします。土と共に生きて免疫力を得ることが、これから大事なのかもしれませんね。生き物はすべて土に還りますから。

河田 清峰

特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」麦笛と貨車が郷愁さそって懐かしい。もう一つの特選句「いま芽吹くブナはますらお触れてみる」:「二十日月男を箸で突いてやろ(大石悦子)」の句を思い出した!よろしくお願いいたします。

谷  孝江

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」詩情豊かな句でしょう。遠い昔の記憶の中に戻ってゆきました。毎日コロナの不安の中にいて、ほっと一息つける句に出合えて嬉しかったです。ありがとうございます。

稲   暁

特選句「茅ばなぼうぼうマスクの街を遠巻きに」晩春・初夏となっても街はマスクを付けた人達で溢れている。新型コロナウイルスの脅威はまだまだ止まない。問題句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」確かにスヌーピーは哲学犬的雰囲気を持っていると私も思う。彼は現在のパンデミックをどう捉えているのだろうか?

久保 智恵

特選句「行く春やキリンの首の一つ分」優しくほっとします。

漆原 義典

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」讃岐平野の田んぼでは、ため池からの灌漑用水で、6月に入ると田水を張り、田植え真っ盛りになります。私もその頃田植えをします。この句は私の心境です。中7の仏間に風の言葉に感動しました。ありがとうございました。

三枝みずほ

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」田水を張ることと仏間に風を入れることが人と自然との交わりを思わせる。儀式めいたものではなく、とても素朴な繋がりを感じた。

亀山祐美子

先月以上にコロナ禍の句が多かった。日本列島どっぷり。句評をしようにも「何やらわからぬ不安感が押し寄せて来る」ものに共感した。特選句『待合に時計のくるふ蝶の昼』中七の「時計のくるふ」の「くるふ」の平仮名三文字が秀逸。不安感を煽る。秒針の時を刻む音が耳朶に響く。待合は病院の待合に違いない。楽しい待ち合わせ場所のはずが無い。蝶を「夜の蝶」と解釈するのは深読み過ぎるか。ともあれコロナ禍に「くるふ」人の世を二重三重に包む冷徹な蝶の複眼が鮮やかな秀句。『チューリップ歌って笑って娘たち(吉田和恵)』『花つけしトマトあしたの靴選ぶ』は明るくて好きな一句です。「蟻をみて今日五百円稼ぎます」は何だかあざと過ぎて好きになれなかった。 ☆まだまだ続く自粛。暑くなったり、寒くなったり着たり脱いだり。俳句のおかげで何とか持っています。句評楽しみに致しております。皆様ご自愛くださいませ。

高橋 晴子

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」冷蔵庫でこれだけ人間を表現出来るとは思わなくて、さしたることは何もいっていないのに面白くて共感した。いろんな声が聞こえてきて不思議な句だ。問題句『この時季に「第九」歌ふかコロナの禍』:「コロナの禍」という表現が正しいかどうかは一応問題外として、いつ誰が「第九」を歌おうと「第九」は単なる音楽?何か〟悪いことをしているような正義感ぶった姿勢こそ問題。たとえ密をいわれているのでも最大の注意を払って普通の人が普通に歌っているのであれば悪くはない。こういう一人一人の余計な御節介が。正義感ぶる心が、問題を生むといいたい。?「俳句をやるような人はその位で四の五の言うな〟と言いたい。もっと大らかに、こんな時季だからこそ、「第九」結構ですね。

松本美智子

特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」:「スヌーピー」といった俳句にはおよそ詠めない言葉をうまく「こどもの日」という季語と結び付けていると思います。本当にアニメのなかには奥が深いなあと考えさせられるものがありますね。 

荒井まり子

特選句「無症状蒲公英絮毛感染者」終わりの見えない今日。感染しても無症状があると。恐ろしい。蒲公英の絮がコロナウィルスと重なる。ウィルズコロナ、アフターコロナに戸惑うばかり。 

男波 弘志

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」老いには老いの花がある。成熟の花が。世阿弥のことばだが。「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」扉を開ける、その行為を人は繰り返している。深夜に開く扉にも何かがある。「間違いは誰にもあって薔薇を買った日」間違い記念日、とは凄まじい生への執着を感受すればよい。

吉田 和恵

特選句「一メートルづつ離れ臠紫木蓮」コロナはともかく、このところ木蓮の花が肉塊に見えて仕方ありません。問題句「白つつじ行方不明のままに在る(田口 浩)」白つつじは実体の曖昧さを感じさせる花です。哲学的表現は嫌いではありませんが、ちょっと違和感を覚えます。

藤田 乙女

特選句「もしかして君はともだち夏来る」は日常的なありふれた言葉だけれど、この句の中で 遣われるととても繊細で機微があり、「君はともだち」とつながることによって未来への希望や生きとし生けるものへの細やかな愛を感じます。とても爽やかな句だと思います。特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」 新型コロナウィルスの非常事態宣言による自粛の日々、コロナ鬱と除菌マニアになりそうですが、この句は明日への明るい希望を抱かせてくれます。明日出かけるための靴選び、たくさんの楽しみでわくわくし胸が膨らんできます。様々な靴の色や形、それに合う洋服、帽子、行く場所まで想像し、心が弾みます。

野﨑 憲子

特選句「いつも遠くで雉子のように立って祖母」雉子は、日本の国鳥。大地の精霊を目の当たりにするような一句である。きっと作者も、おばあちゃん子だったのだろう。特選句『この時季に「第九」歌ふかコロナの禍』第九とは、世界中で愛されているベートーベンの「交響曲第9番」の合唱の事。作者は、新型コロナウイルスの終息が見えない中、たまたま耳にした合唱に感動したのだ。「喜びの歌」こそ力だと・・。問題句「体感は桜バイオリンはキリン(十河宣洋)」句稿の中で、一番奇天烈なのに、句姿も調べも、とても魅かれる作品である。「俳句は理屈じゃない」と、兜太先生がよく話された。「バイオリンはキリン(麒麟)」なのである。

(一部省略、原文通り)

【通信欄】

今月も、新型コロナウィルス感染警戒の為に、サンポートホール高松での句会は中止しました。 しかし、事前投句は、魅力あふれる作品満載でした。これからがますます楽しみです。

6月の句会は、非常事態宣言が解かれましたので、開催の予定です。いつもより大きい(30畳敷・窓有)和室での 句会です。時節柄、ご参加の方々は、マスク着用をご遠慮なくしてくださり、ご自身に合った感染予防のいで立ちでお集まりください。当分の間、見学及び飛び入り参加の受付は控えさせていただきます。

2020年4月23日 (木)

第105回「海程香川」句会(2020.04.18)

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事前投句参加者の一句

 
<追悼 志村けん>悪いけど犬を頼むよ春の雪 高橋美弥子
春眠の息ひとひらひとひら翼 月野ぽぽな
清明や瞼閉じたる野の猫よ 豊原 清明
コロナの禍もしやと思ふ春の風邪 野澤 隆夫
コロナ禍いはんや悪人花見かな 田中アパート
春暁や土の天使とワルツ舞ふ 漆原 義典
夕映えを雨滴に宿し葱坊主 新野 祐子
近づく日フォルモ蝶と渡りたし 若森 京子
膨らめる胸は洞ろかしゃぼん玉 石井 はな
都市封鎖蝶がいっぴき大通り 夏谷 胡桃
能面の裏は深夜の桜の木 伏   兎
万愚節返事は指を丸くする 河田 清峰
脆き星魔よけのごとく辛夷咲く 森本由美子
旗振山花粉流るを見ていたり 榎本 祐子
「もう」「もう」と牛さん返事に花曇 荒井まり子
すぐ白むわたしはそめいよしのです 男波 弘志
春はここからランドセル光る朝 松本美智子
盤寿(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る 矢野千代子
男が産まれ女も産まれて春が来る 銀   次
ウイルスも人間も只生きて春宵 高橋 晴子
桜さくら一人痴呆が立ち尽くす 小宮 豊和
はさみはなす手はいちまいの花びら 三枝みずほ
春ひとり月に遊ぶの得意です 藤川 宏樹
唐突にトランペット恋の揚雲雀 中野 佑海
朧月黒猫走る押小路 田中 怜子
老い鶯火炎放射器の唇 中村 セミ
クレソンの朝右耳が淋しい 大西 健司
振り返る歳月溢れ雪柳 小山やす子
うかうかと生きて今年も花は葉に 寺町志津子
千年桜の一片であれわが喜劇 田口  浩
地球さわがし牛蛙がおんがおん 伊藤  幸
辛夷咲く辛いのならば傍らに 鈴木 幸江
山桜に頬骨がある囀りがある 久保 智恵
父母はまだ海市の中に住み古りて 増田 暁子
映画館の向こうはすすきだったのか 竹本  仰
春の夜森と呼吸をともにせり 菅原 春み
春愁というももいろのネックレス 谷  孝江
春泥に目玉むきたる牛の息 増田 天志
世界史に太字その直中にゐる 野口思づゑ
人見ればウイルスと思う街の春 稲   暁
表情という春コートの裾の揺れ 河野 志保
うぐいすの遠く近くや友の葬 重松 敬子
義歯洗う夜滝を覗き込むように 野田 信章
唇の厚さ噛み締め春のマスク 高木 水志
春満月牛を磨いて父が笑む 松本 勇二
連翹の花にはじかれさうな昼 柴田 清子
花の世のコロナばかりに過ぎゆく日 藤田 乙女
結界の解けてしまふ春の月 亀山祐美子
鴇色(ときいろ)の春があふれて持て余す 佐藤 仁美
吃音の果て流れゆく花筏 佐孝 石画
朧夜の言葉ひとつづつください 小西 瞬夏
坊主刈の我れに武器なし白マスク 稲葉 千尋
無理解の刃が開く白いシャツ 桂  凜火
大いなる妻の腰付き春の鯉 吉田 和恵
桜見ず籠りて「花は咲く」歌う 滝澤 泰斗
寒霞渓瑠璃光浄土春落葉 島田 章平
景ぬくし白鳥の声林立す 十河 宣洋
すみれよすみれお先にどうぞ 野﨑 憲子

句会の窓

大西 健司

特選句「朧夜の言葉ひとつづつください」静謐な時間の流れ。朧夜の言葉の美しさ。 大切な人の大切な言葉を思うとき、このひとつづつという思いが深く響いてくる。問題句「巣作りは仮縫のよう造型論(若森京子)」下五の「造形論」がよくわからない。唐突な感じがするのだがいかがなものか。「巣作りは仮縫いのよう」がいいだけに、その思いは強い。

小西 瞬夏

特選句「吃音の果て流れゆく花筏」途切れ途切れに出てきた言葉はなんだったのだろうか。言葉そのものよりも、その人との関係性を思う。緊張感のある関係性。そしてそのあと花筏が流れてゆく、というのは、その関係性に進展があったのか。終わっていくのか。どちらにしても、水の流れにしたがって、なるようになっていくのに身を任せているのだろう。

増田 天志

特選句「朧夜の言葉ひとつづつください」言葉の内容、情況が、脳裏に浮かばない。ただ、相手の言葉を、とても、大切に想っていることは、分かる。朧夜だから、漠然とした理解でも、許されるのだろう

榎本 祐子

特選句「映画館の向こうはすすきだったのか」映画という虚構の世界を通して何かを提示する場所。「その向こうはすすき」だと言う。すすきの形態に現実の頼りなさが投影され、虚構の中にある真実と、現実のあやふやさが見えて面白い。

豊原 清明

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」 庶民に愛される最後の芸人の志村けんの追悼句として、いま、最も新しく共鳴しやすい。問題句「コロナの禍もしやと思ふ春の風邪」 風邪を引くと危ないと感じる。いま風邪なので、痛く身に来る句。

藤川 宏樹

句会では三〇分、頭をフル回転の袋回しが楽しみですが、二ヶ月続く中止で私の俳句脳は鈍ってしまいました。いつコロナが終息し、皆さんと袋回しを楽しめるでしょうか?特選は「柳絮飛ぶ西太后の鼻の先(寺町志津子)」。希代の悪女西太后ですが、今ならどんなマスク姿を目にできたでしょう。「西太后」を習さんや小池さんら現代の権力者に置き換え、リアルイメージで楽しめました。

稲葉 千尋

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」志村けんの死はショックでした。そして、そして、面会もできない、死体にも会えない、こんな恐しいことを知った今、季語の「春の雪」ですくわれる。

田中 怜子

特選句「夕映えを雨滴に宿し葱坊主」ネギ坊主の初々しい若草色の芽一つ一つに雨粒が夕映えを映しこんでいる映像が浮かびます。一日が終わろうとしている穏やかな情景。特選句「盤壽(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る」おめでとうございます。81歳の自分を褒めているような、二上山という歴史ある山に冬日が照る姿を我が身においておおらかに歌いあげている。万葉集の歌のようです。  

高木 水志

特選句「春ひとり月に遊ぶの得意です」春の月のイメージを生かして、話すような柔らかさを感じる。春の月の光を自分と重ねたことで深い意味が生まれる。

中野 佑海

特選句「千年桜の一片であれわが喜劇」壮大な千年桜。花びらの一片の様なわが人生。しかし、喜劇としてでも良い。誰かの記憶に留めて貰える様な関わりがあれば。生きてきた意味を感じる事が出来る。特選句「結界の解けてしまふ春の月」春は月。朧の掛かる辺り一面、昼とは全く違う世界が表出。金縛りに掛かったように、経済活動一辺倒のこの世の中。魔法を掛けたのは誰か知らないけど、緩い月の光が魔法を解いて行くようだ。並選:「春眠の息ひとひらひとひら翼」安らかな寝息が吸ったり吐いたりする度に翼となって夜の静寂を形づくる。「瀬戸内のばりっと見栄はる桜鯛(増田暁子)」見事に焼かれた桜鯛!ああ、お腹が鳴る。「見栄張る」がこの鯛の存在意義を示しちょっと哀しい。美味しい内にさあ食べよ!「草で編むふらここ子らの命かな(重松敬子)」草で出来たブランコ。ちょっと危うい。まるでここにいる子供達の未来まで象徴するような。「言の葉の飛び出す夜明けつくしんぼ」土筆の先の穂に入っているのは未来を予言する言葉。さあ、今は夜明け前。明るい未来を運んでおくれ!「桜さくら一人痴呆が立ち尽くす」これは桜フェチの私です。桜は逃しません。ただ「痴呆」ではなく「阿呆」にして欲しいけど、それだと絵にならないか?「老い鶯火炎放射器の唇」はい。深く反省しております。つい口が言わなくても良いことをクドクドと。また、一人落ち込ませてしまいました。「春の夜森と呼吸をともにせり」春になると、夜も何故か森が恐く無くなるって本当?「表情という春コートの裾の揺れ」春になると説の一つ。コートの裾が歌い出す。 以上です。 ☆コロナウィルス禍がひしひしと迫って来ているのでしょうか?何処も安全な場所は無いようです。うらうらと人のいない時間に人のいない場所を散歩出来るのは有難いです。外出禁止令がでたらは考えません。

若森 京子

特選句「草で編むふらここ子らの命かな」:「草で編むふらここ」の措辞に、メルヘン的な情感があるが、下句で危機迫る一句となる。子供達の命の尊厳の句である。特選句「盤壽(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る」盤寿の由来も面白いが、八十一歳の祝いである。句の景も大きく美しく作者の来し方を思う品格のある一句となった。

月野ぽぽな

特選句「春愁というももいろのネックレス」ローズクォーツのネックレスが思い浮かんだ。やわらかい色とひんやりとした感覚。春の憂いには、その中に没入してしまうような深刻さではなく、それをいくらか傍観しその翳りを自ら愛おしむようなどこか甘く気だるいナルシシズムがありそう。掲句はそれを上手く形象化している。

島田 章平

特選句「はさみはなす手はいちまいの花びら」手のひらは心の花びら。閉じても開いてそれは私の心。開けば蝶、閉じれば桜貝。世界で一つだけの花・・。

三枝みずほ

特選句「唇の厚さ噛み締め春のマスク」言葉に出来ない、感情を押し殺す、不安等が唇を噛み締めるときの心情だろうか。不安定な精神状況下において、唇の厚さを実感する。唇の厚みは生存しているということのほのかな光のように思えた。皆さま、どうぞお身体ご自愛下さい。

鈴木 幸江

特選句評「『もう』『もう』と牛さん返事に花曇」「“もう、たくさん”“もう、たくさん”人間ばかり物を欲しがって、世界は、物で溢れ、地球を壊している」と狭い牛舎で牛さん    たちが絶唱している姿が浮かびます。それに応えるのは花曇の空のみ。この虚しさは本当に現実ですね。「すぐ白むわたしはそめいよしのです」“そめいよしの”のひらがな書きに思わず、染井吉野という和服姿の女性の姿が現れた。この不可解がとても快感で。よろしかった。“白む”には、くじけるとか、衰え弱まるという意味もある。実景(桜の木)が人の姿に化身し、わたしも、そうなのよ。あなたも、そうなの・・・。なんて共鳴させていただき、生き物と共存する喜びも味わった。問題句評「はさみはなす手はいちまいの花びら」手仕事に疲れたのか、鋏を思わず放したのだろう。鋏から解放された手は花びらとなった。美しい手の方なのだろう。本当に素敵な句だ。でも、何故か“花びら”が甘い。実感なのだろうが、その甘さが私を不安にさせたので、勝手に問題句にさせていただいた。入選句にはならなかったが、チェックした句「春眠の息ひとひらひとひら翼」「人を避けウイルスを避け灌仏会」「ウイルスも人間も只生きて春宵」「映画館の向こうはすすきだったのか」「世界史に太字その直中にゐる」「水瓶叩く悠久の睡蓮(中村セミ)」「無理解の刃が開く白いシャツ」「大いなる妻の腰付き春の鯉」 以上。

松本 勇二

特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」夜の滝を覗き込むように、恐るおそる義歯を洗っている様子が哀感を纏いながら見えてくる。ウイルスにお気を付けて。

小山やす子

特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」この心理よく理解出来ます。夜滝を覗くがよく効いていると思います。

夏谷 胡桃

特選句「能面の裏は深夜の桜の木」。能面の裏は暗闇です。神楽で面をつけて踊ったことがあります。1点の明かりしか見えない暗闇に放り出されて、とても怖い思いをします。相手の動きもよく見えないし、自分の手足も見えない。暗闇の中で踊るには相当の練習がないとできないとわかりました。だから、この句の「深夜」はわかる。「桜の木」はなにか。桜の木は神とわたしなのかもしれない。自分と神を一体にして信じて踊る。ぼわっと桜の木が浮かび上がってくるイメージができました。お見事な句です。問題句「春の霜大宇陀銘菓きみごろも(矢野千代子)」。これはお菓子屋のコピーではないか。美味しそうだな。「きみごろも」って? さっそくネットで調べました。無性に奈良に行って、このお菓子を食べたくなりました。宣伝成功です。

野澤 隆夫

コロナ禍の真っただ中、早く終結されんと願ってますが…。先の戦争中はこんな生活が数年続いたのですから…。考えると怖いことです。今月の投句はコロナ、パンデミックの句が相当数。22句数えました。特選句「コロナ禍いはんや悪人花見かな」興味深い言い回しです。小生も緊急事態宣言前に公渕公園へ家族で花見に。コロナどこ吹く風と弁当を食べワンも一緒に散策。「いはんや悪人花見かな」の一幕でした。いまでかけると石が飛んでくるのでは。特選句「世界史に太字その直中にゐる」3月から4月と私たちは「世界史」の真っただ中に生活してるのでしょうか。世界史の文章記述でコロナ、パンデミック、マスクはゴシック体で必ず表記されるかと。「コロナウイルスまだまだあくの強い親父」この句も面白い句でした。「あくの強い」がきいてます。

谷  孝江

特選句『「もういいよお」枝垂れ桜がゆれている(田口 浩)』希望に溢れた春のはずが今年は大変な事になっております。香川句会の句の中にも、たくさんのコロナウイルスの句が見られ、心が痛みます。怖くて切ない春なのですね。家の玄関先とリビングから見えるすぐ近くに枝垂れ桜が今、満開です。少しの風にでも揺れていて、例年でしたら優しくて、美しくてと眺めるのですけれど、今年の桜は「いや、いや」をしている様にも見えて淋しい花見になっています。外出禁止令が息子より出ていますので、本を読んだり、マスク作りをしたりの日々です。きっと明るく、元気で過ごせる日を信じていたいと前向きにいつも考えています。

野田 信章

特選句「坊主刈の我れに武器なし白マスク」は、先ず、コロナウイルス禍の二十五句中の一つとして読んだ。「坊主刈」とは、出家在家を問わずそれなりの決意を込めた表明の一つであろう。その我に「武器なし」とは、これまた信条の確かな言葉の響きがある。時節柄、コロナ禍を前にして、そのような我の生き様に自嘲を含みつつ、諧謔性のある一句かと読まされた。翻って 、この句は、この時節に限定せずとも、一般性をもって読めるところに強みがあるかとも思う。

佐孝 石画

特選句「山桜に頬骨がある囀りがある」山桜はひっそりと咲く。そして遠くに咲く。そこには漂泊感をともなった強さがある。遠くにひとり咲く山桜に視線をズームアップしていくと、こちらの日常と遠くの山桜との間に時空の歪みのようなものを感じてくる。山の一部にひそやかに笑う山桜の仄白い容貌。そこに縄文時代以前のにんげん達の貌がゆっくりと重なってくる。頬骨の張った、強くやわらかな古代人の豊かな貌とそのオーラ。そのような幻想に憑かれて呆然としていると、どこからか鳥の囀りが聞こえてくる。古代への幻想とこちらの日常を繋ぐこの囀りは、また我々が今までもこれからも「にんげん」を継続していくのだという天啓めいた思念を置き去って行ったのだ。特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」:「夜滝を覗き込むように」という措辞に痺れてしまった。圧倒的俯瞰。覗き込むという行為は視覚に頼る動作ではあるのだが、光のない夜にはその視覚は無効化し、かえって聴覚ばかりを増幅させることになる。闇の中、消失点も見えない奔流する水の行方。暴力的な水流の束は、轟音の中で幻視化し、捩れ悶えながら闇の中で投身を続ける。「義歯」という不思議な体の一部。いつものように口中から外した義歯を洗おうと、洗面台にコツンと置き、ちょっとした違和感を引きずりながら、蛇口をひねり、体の一部(であったはず)の義歯を水流にあてる。作者は自分で自分の体の一部を外し洗うというこの行為の中で、「わたし」という闇をふと実感したのだろう。

桂  凜火

特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」義歯を洗うことを滝を覗き込むようにという比喩は離れているが昼間の自分を仕舞うことからの飛躍としてとても面白いと思いました。この比喩で句の世界のぐっと視界が開けます。芥川の羅生門の下人が覗き込む闇をふと思い出しましたがそれとは違う明るさや活力が感じられる。ここからなにか始まると感じられます。そこに心惹かれました。

河田 清峰

特選句「旗振山花花粉流るを見ていたり」かって旗を振って伝達していた山、そこから流れる杉花粉のおぞましさとの取り合わせが見ていたりでよくわかる。もうひとつの特選句「盤壽(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る」八十一歳おめでとうと言いたい句。

河野 志保

特選句「山桜に頬骨がある囀りがある」強引な解釈かもしれないが、非常に感覚的な句として捉えた。花の白さと頬骨の透明感、花の揺れる様と囀りの軽やかさ、それぞれが通じ合うような新しい視点を感じた。または山桜を見ている誰かの姿や声を句にしたのかもしれない。

伊藤  幸

特選句「大いなる妻の腰付き春の鯉」鯉は逞しく長寿と聞く。長年連れ添った我妻をその鯉に喩え、大いなる腰付きとユーモアたっぷり称えた措辞に深い愛が感じられる。

田中アパート

特選句「クレソンの朝右耳が淋しい」右耳がよろしい。「左耳」でなく。

柴田 清子

特選句「映画館の向こうはすすきだったのか」:「映画館の向こう」を、私なりに、『スクリーンの裏』と解釈しての「すすきだったのか」に、異作を感じました。最後の『のか』が、特選にする大きな要因でもある。特選句「春の夜森と呼吸をともにせり」この句にある世界には、人間はもう戻れないところに来ている。内容が特選です。特選句「表情という春のコートの裾の揺れ」表情というこの言葉の使い方が、実にうまいなぁと・・・・。感心して特選にとらせてもらいました。

中村 セミ

特選句「図書館に雲の遺書あり 潦(にわたずみ)(佐孝石画)」 まづ、遺書を考えてみると、家の主人が死んで、遺書があれば財産分与が書かれているとか、俺の骨は粉にして海に撒け等書かれていると思う。では雲の財産って何だろう。それは空気中、もしくは水が溜っている池とか湖とか川も海も含めての水の流れ、つまり水の一生。水は水蒸気となり空に昇り雲となる、雲は気温によっては、あらゆる気象となり、雨・雪・雹 等々となり、地上に降りてくる。雲の財産は大自然の水の流の一部というより再生させる命のようなものだろう。なので、水の一生と考える。では、潦(にわたずみ)は、雨が降って地上にたまったり流れたりする水とあるので、分与の一部となる。この句は壮大な自然を詠んでいる上に、それが図書館にあるとまるでサスペンス映画の謎解きの様にあるところがいいし、僕はこういった句が面白いし好きだ。当然、図書館にあるのは、ヒッチコックの北北東に針路を取れ(台風の歴史)である。

石井 はな

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」志村けんさんの口調が思い出されました。春の雪の季語も、あっという間に逝ってしまったけんさんの様です。特選句「世界史に太字その直中にゐる」今のこの毎日が何年か後の歴史の教科書等では、太字で書かれる様なエポックな出来事になっているのを想像するのは、何だか空恐ろしいです。

竹本  仰

特選句「膨らめる胸は洞ろかしゃぼん玉」四月となれば、どこの職場にも学校にも、春男さん、春子さんという人がいます。スタートダッシュの勢いの良さで、そしてそれだけで終わる四月と心中する方たちのことです。それに引き続く五月病のセットの方も。これはそれを我が身に置いて考えられる方の句でしょう。この視線に何か小さくて大きい人間愛のようなものを感じました。特選句「クレソンの朝右耳が淋しい」右耳が淋しいのはなぜか?そういう入口を用意してくれた句で、その入り口に楽しませてもらいました。そして、小生なりに、それは人がいないからだ、又はほんとうのことばが無いからだと、勝手にとりました。何かを求めている朝なんだろうと。昔、如月小春さんの舞台で『おいしい水』だったか、そんな名の舞台があり、色んな悩みがありながら、朝、洗面器に顔を洗い続けて止まないという不思議なラストシーンでした。それにつづいたシーンのように見てしまいました。特選句「吃音の果て流れゆく花筏」何かほろりと来るような切なさのある句でした。ぶつかってぶつかって、色んなぶつかりの人生、ああ、それでもあの花筏なのか私。というように。かなり昔の戦前の映画で『残菊物語』というスーパーセンチメンタルな映画があり、一人の役者を育てるために身をぼろぼろにして死んでいく日蔭の女のお話でした。最後は一流の歌舞伎役者として屋形船でお披露目をしている男の晴れ姿の傍ら、身を隠し結核で死に臨みながら微笑する女。と、妙にセンチメンタルな心象をくすぐる句でした。特選句「坊主刈りの我れに武器なし白マスク」少し前は香港から、そして近くは新型コロナ禍まで、武器無しにマスクという光景を見ましたが、ああいつもそうなんだ我々は、と思わせる句でした。どう頑張って声高に繁栄を叫んでも、そういう脆い繁栄のすぐ裏に立ちつくすのは、このナマな人々なんですね。白マスクひとつが支え、いま、そういう原点を見つめる機会が訪れているのか。「汝自身を知れ」、デルフォイの神殿でご宣託を受けたかのギリシャの賢人の前に、またしても戻るほかないのか、と、思う次第です。  ☆また、句座が延ばされ、香川の方々、さびしい春でしょうね。こうやって毎回通信で句会に参加している小生にしても、その核心の炎みたいなものが少し小さくなるのは心傷むことです。ほんの時々にしか出られない小生ですが、再会の日を心待ちにしています。再見!

吉田 和恵

特選句「亡父の歩きしている春様サイレント(竹本 仰)」麗しい父と子(娘?)との関係がしっとりと偲ばれます。

松本美智子

特選句「うぐいすの遠く近くや友の葬」景色が思い浮かぶ句です。寂しさもあるが、うぐいすののどかな鳴き声に少しの希望をみいだす。友との思い出も色鮮やかによみがえってきそうです。☆感染対策でいろいろと大変な折り、お世話ありがとうございます。……近々、笑い声が響くような句会が開かれますことを祈っています。

矢野千代子

特選句「朧月黒猫走る押小路」本来地名が好きですが、<押小路>は、みごとな斡旋です。地名が際立って(私には)文句ナシの特選句。 ☆参加者がふえて大変でしょうが、よろしくお願い申します。ありがとうございます。

田口  浩

特選句「山桜に頬骨がある囀りがある」樹齢千年と言われる桜なら幾つか知っている。が「頬骨がある」この山桜は、そういう類いのものではあるまい。「囀りがある」と重ねられて、徳島の藤井寺かえあ焼山寺に向う途中に出会った、山桜がそれに近いと思った。山風に吹かれて、深い谷に散りこむ花弁が、地形の関係か、途中から又舞い上がって、向こうの山に渡るのである。この山桜には、揚句のような風情があったように思う。―実から発して虚にいたるーつまり、山桜から頬骨にいたって、囀りの世界に遊ぶ。この作品の持つ発想の力は見事であろう。「映画館の向こうはすすきだったのか」「前方を古墳とするや鸚鵡貝(伏兎)」「吃音の果て流れゆく花筏」「朧夜の言葉ひとつづつください」この四句、どれも、私の琴線にふれる。特に、「映画館」の句は中学時代の境遇が見えて懐かしい。

久保 智恵

特選句「坊主刈の我れに武器なし白マスク」時事を素直な句に。

伏   兎(三好つや子)

二十数年前、はじめて参加した句会の気持ちに戻りたく、そのときの俳号に改めました。よろしくお願いします。特選句「春眠の息ひとひらひとひら翼」寒からず暑からずという頃の快い眠りでの寝息が、咲きはじめの花のように、また鳥の翼のようにも感じられる表現が見事。特選句「都市封鎖蝶がいっぴき大通り」緊急事態宣言による街の不気味な静けさと、人の居ない通りをゆうゆうと過ぎる蝶との対比が面白い。入選句「草で編むふらここ子らの命かな」草遊びのほのぼのとした世界の向こうにある、ライフラインの滞りがちな環境で生きている子どもたちが目に浮かび、共感。入選句「春の夜森と呼吸をともにせり」蠱惑的な春の夜と、神秘的な春の森との一体感が、心をざわざわとさせ、惹かれた。

野口思づゑ

特選句「はさみはなす手はいちまいの花びら」鋏を使った、ただそれだけなのにその手の動きに注意を向け句にするという感性に感心しました。

佐藤 仁美

特選句「言の葉の飛び出す夜明けつくしんぼ(高木水志)」人がまだ来ない夜明けに、つくし達が目覚めて、おしゃべりを始めてる…。メルヘンを感じました。

十河 宣洋

特選句「春眠の息ひとひらひとひら翼」心地いい春の朝である。気持よく寝ている。熟睡しているというより、半睡状態。息を吐きながら蝶か鳥になったような気分。どこかへ飛んで行きたい気分である。特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」丁寧に入れ歯を洗っている。何度も何度も汚れを落としている。少し屈んだ姿勢まで見えてくる。俳味を感じる。

寺町志津子

特選句「世界史に太字その真中にゐる」。言わずもがなの世界中のコロナ禍。その惨状は、当然、世界史に深く刻まれ、時は流れゆくが、今、まさしくその惨状の中に生きている現実の実感を大きく捉えている作者に同感しました。コロナ禍の一日も早い終結を心底から祈りながら・・・。

増田 暁子

特選句「春愁というももいろのネックレス」中7下5の発想は初めです。首の周り、身体にまとわりつく春愁。今年の春の特別な春感覚ですね。特選句「鴇色の春があふれて持て余す」     鴇色の春を持て余しているこの現実にピッタリです。

滝澤 泰斗

特選句「唐突にトランペット恋の揚雲雀」二匹の揚げ雲雀が突然けたたましく上下に乱舞している映像が見えました。トランペットが良かった。これが、ピッコロのような楽器ではマンネリに堕して取れなかったと思うが・・・。問題句「霾るや元寇の世に徳政令(河田清峰)」問題句というほどの事もありませんが、今度のウィルス禍から一連の政府の動きまでかつての歴史に被せたとしたら、なかなかの出来ではないかと思えました。問題句「架空のそら架空のウイルス統計表(森本由美子)」上五の架空のそらが疑問。架空のウィルス統計表はその通り。懐疑の余地なしだが・・・ ☆コロナ禍で、お世話になった皆様の顔が、だんだん見えなくなってきた時に、ドイツ・メリケル首相の国民向け演説に触発されました。少しでも旅への憧れを持っていただければとの思いで、15年ぶりにブログを書き始めました。お読みいただければ幸いです。        

 https://plaza.rakuten.co.jp/euras1011/

菅原 春み

特選句「朧月黒猫走る押小路」映像のように景が見え、動きがあります。特選句「春満月牛を磨いて父が笑む」こんな時期だからこそ父の笑む姿にほっとします。牛を磨くというのも圧巻。

森本由美子

特選句「世界史に太字その真中にゐる」まさにそのとおりの毎日。次の世代は?未来は?という問いかけが背後に感じられます。

新野 祐子

特選句「振り返る歳月溢れ雪柳」雪柳を眺めていると、何か言い知れぬ感情が湧き上がってきます。この句を読んで、それがこれまでの人生のこもごもが雪柳の花ひとつひとつとなって目の前に現れたからなのだと納得させられました。入選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」ユーモラスな観察眼ですね。「夜滝」に感心しました。入選句「つちふるや光射し込む莫高窟」:「つちふる」と「光射し込む」は相反する現象ですけれど、「莫高窟」により不思議な調和が生まれていると思いました。  

今日は、木の芽雨が降っています。暖冬だったけれど、このところの肌寒さで山の木々の芽吹きが遅れています。今月もよろしくお願いします。

小宮 豊和

「映画館の向こうはすすきだったのか」ちょっと不思議な感覚をもたらす句である。原因のひとつは季語「すすき」であろう。普通四月に八月頃の植物をもってくることはまず無い。次は映画館という夢のある場所が荒れたすすき原にあるという違和感である。しかし我々は句作に関して要素を頭の中で分解し組み立てなおしている。そんなことにこだわるより良い句にすることが肝要である。作者氏は良いお手本を提出してくれたと私は考える。

高橋 晴子

特選句「能面の裏は深夜の桜の木」:「深夜の桜の木」で象徴される作者の内面、能面の裏という具体的な場所、時間の特定に、恐らく能を演じている最中だろう。華やかでいてしんとした内面に共感出来て景が見えてくるようだ。特選句「地球さわがし牛蛙がおんがおん」新型コロナウイルスでこの句が一番共鳴出来た。「がおんがおん」の擬音語が少しオーバーで冷静に今の騒ぎを感じている作者を思う。問題句「コロナ禍いはんや悪人花見かな」の「いはんや悪人」の使い方は、中途半端。花見をした位で悪人よばわりは片腹痛い。親鸞の言葉を使うのなら、その元の意味をきちんととらえていなければ全く意味をなさなくなる。

亀山祐美子

特選句「連翹の花にはじかれさうな昼」連翹の花をコロナに見立てたとすれば(コロナとは限らない何かに)『昼=日常』が脅かされる不安感恐怖感を煽ることに成功している。コロナ禍の入口時の「はじかれさうな」思いを日々深刻化する今ならどう吟むのか興味深い一句だ。今回は時節柄武漢肺炎、コロナ禍の句が暗喩を含め三十句近くある。それぞれに工夫を凝らしてはいたが報告・感想に終わり一読恐怖に打ち震えたり、膝を叩く処までにはいかない。一週前の締切なので緊迫感の欠如はいかんともし難い。時事俳句の難しい所以であろう、だから私は滅多に手を出さない。支離滅裂な駄文お許し下さい。一日も早い終息を祈るばかりです。皆様ご慈愛くださいませ。

男波 弘志

「悪いけど犬を頼むよ春の雪」肉声、日常、犬が座っている。これだけで詩になっている。「男が生まれ女が産まれて春が来る」人は夜寝るとき死に、朝起きるとき生まれる。「心配になったり陽炎になったり(月野ぽぽな)」現代詩の方向性が観える。昨日の我に飽きる。そこに今が在る。

藤田 乙女

特選句「振り返る歳月溢れ雪柳」自分の来し方への様々な思い出と溢れる想い、そして溢れるように咲き乱れる雪柳の姿とがあいまって哀感を伴いながらしみじみとした想いを感じさせられる句です。特選句「地球さわがし牛蛙がおんがおん」人間の脆弱さや愚かさ、利己主義などコロナによってあらわにされてきたものを牛蛙の視点で見ている発想と「 牛蛙がおんがおん」がコロナ拡大の大変不安な状況下で一息つかせてくれるようなユーモアも感じさせ、とても惹かれました。

漆原 義典

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」を特選とします。コロナで亡くなった志村けんの心を、下五の春の雪が物語っています。新型コロナの早期の収束を願っています。よろしくお願いします!

高橋美弥子

特選句「春の夢とろりと明日へ明け渡す(谷 孝江)」:「あ」の韻が、春の明るさを押し出す。 コロナコロナで鬱屈した心と身体に、ほんわかした風が吹きました。全体を通して、明るい句に惹かれました。問題句「無理解の刃が開く白いシャツ」:「無理解の刃」は比喩なのだと思うのですが、白いシャツとの関係性がいまひとつわかりませんでした。 

重松 敬子

特選句「春愁というももいろのネックレス」春愁のもつ艶やかさを、ずばり表現した秀句。女性の憂い顔が浮かびます。ももいろのネックレスがいい感じです。

荒井まり子

特選句『桜見ず籠りて「花は咲く」歌う』日本中が外出自粛、戦後の世代は初めての経験。東日本大震災と今回のコロナ、人の世は儚い。素直に共感。問題句「春愁というももいろのネックレス」優しい、綺麗と思ったが、意外と作者の意図は怖いかも。「地球さわがし牛蛙がおんがおん」籠りの毎日、つけっぱなしのテレビ 実感。「パーカーのフードを充つる春思かな」日常の暮しの中にふと過る思い。「パンデミックおろおろおろか戒厳令」日本中の緊急事態宣言いつまで。「山桜に頬骨がある囀りがある」頬骨を感じた事はなかった。面白い。「霾るや元寇の世に徳政令」徳政令は給付金?武漢発だものね。「春満月牛を磨いて父が笑む」日本中が浮足立っている今、ホッとする。

銀   次

今月の誤読●「亡父の歩きしている春雨サイレント」。夢の話である。わたしは映画館にいる。わたし以外は誰も居ない。それを不思議だとは思わないのはやっぱり夢だからだ。上映されている映画はずいぶん古いもので、フィルムも傷だらけだ。むかしはその傷を「銀幕の雨」だなんて呼んで、それも風情のうちに数えたものだ。観てると画面の右手から羽織袴にステッキをついた男が歩いて登場した。「あっ」と思った。それはわたしの父さんだったからだ。父さんは悠々と歩いている。カメラがそれを追いかける。父さんが中央に達したとき、やおらわたしを指さして、クイックイッと手招きした。わたしは吸い込まれるように画面のなかにいた。父さんはわたしをじっと見て、うんうんとうなずいた。わたしには話したいことがいっぱいあって、あれこれ話そうとするのだが、声が届かない。「あっ、そうか」と思った、これはサイレント映画なのだ。だがそれゆえにこそ、父さんと歩いている実感と親しみが湧くのだ。こうしてわたしは父さんと歩くことになった。するとだんだん父さんが大きくなっていくのだ。いや待てよ。これは父さんが大きくなっているのではなく、わたしが小さくなっているのだ。服装も背広からセーター、シャツに変わってる。そして最後には半ズボンのライドセルを背負った小学生のわたしになった。父さんはかがんで、わたしに一言話しかけた。父さん、なにいってるのかわからないよ! 父さんはわたしを立たせて、トンと背中をおした。わたしはスクリーンの左手にたたらを踏んで画面から消えた。……わたしは映画館にいる。……だがそれは夢だ。……もう少しその夢のなかをたゆたっていよう。銀幕の雨を見つめて。  

稲   暁

特選句「朧夜の言葉ひとつづつください」心静かに、豊かにあるべじ朧月夜。会話も一語一語しっかりと交したいという思いに共感する。問題句「人を避けウィルスを避け灌仏会(松本勇二)」人と人を遠ざけてしまう新型ウィルス。厳しい時が続いている。

野﨑 憲子

野﨑 憲子◆特選句「近づく日フォルモ蝶と渡りたし」モルフォ蝶と同種の大きな青い羽根を持つ美しい蝶とおもう。ふっと折笠美秋の「ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう」が浮かんだ。きっとフォルモ蝶が迎えに来ると感じてしまう一句である。特選句「ウイルスも人間も只生きて春宵」命を落とすかも知れない新型コロナウイルスは危険な存在であるが、細菌も、人も、大いなるいのちの中に生かされているものであることには変わりないのだ。新型ウイルスの出現は、争いの絶えない人間社会への「人類よ目覚めよ!」という、大宇宙からの警鐘のように思えてならない。問題句「男が産まれ女も産まれて春が来る」輪廻転生を想起させる作品である。現世では、どんな物語になるか、新しいドラマに「春が来る」。「男が産まれ女も産まれて」の表記が強烈で、限りなく特選に近い問題句としていただいた。今回も佳句満載でした。皆様、大きな刺激を感謝です!

(一部省略、原文通り)

【通信欄】

『沢木耕太郎セッションズ<訊いて聞く>Ⅱ  青春の言葉たち』3月10日発売。岩波書店刊 に、本句会の仲間である銀次さんこと上村良介さんと、沢木耕太郎さんの対談が収録されています。ミュージカル劇団『銀河鉄道』の主宰として四十年の長きにわたり劇団を牽引してきた銀次さんの青春を垣間見られる魅力あふれる一冊です。他に、武田鉄矢さん、立松和平さん、吉永小百合さん、尾崎豊さん。周防正行さん、大沢たかおさん等との対談も同時掲載されています。皆様も是非ご覧下さい。

「句会の窓」で紹介された滝澤泰斗さんのブログにメリケル独首相のメッセージの抜粋があり興味深いので以下に引用させていただきます。 ・・・何百万人という方々が出勤できず、子供たちは学校あるいはまた保育所に行けず、劇場や映画館やお店は閉まっています。そして、何よりも困難なことはおそらく、いつもなら当たり前の触れ合いがなくなっているということでしょう・・・・中略・・・  私たちは皆、好意と友情を示す別の方法を見つけなければなりません。スカイプや電話、Eメール、あるいはまた手紙を書くなど。郵便は配達されるのですから。自分で買い物に行けないお年寄りのための近所の助け合いの素晴らしいれ例も今話題になっています。まだまだ多くの可能性があると私は確信しています。私たちがお互いに一人にさせないことを社会として示すことになるでしょう。

非常事態宣言が全国的に発令され、今回のサンポートホール高松での句会も、やむなくお休みさせていただきました。残念です。今後、新型コロナウイルスの感染者がどのくらいになるか予測が付きませんが、終息は必ずまいります。それまで、皆様、くれぐれもお気を付けてお凌ぎください。お元気を!!

そして、こういう時だからこそ詠まずにはいられない作品が必ずあると強く感じます。次回のご参加を楽しみにいたしております。

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