2020年10月4日 (日)

第110回「海程香川」句会(2020.09.19)

コスモス1.jpg

事前投句参加者の一句

 
<香風会錬成足かけ三年目に>シテ謡ふ羽目になりけり紅葉狩 野澤 隆夫
風待ちの湊石榴の濡れており 大西 健司
シャインマスカット夜の唇散らかつて 小西 瞬夏
啄木鳥や穴に籠りし人ひとり 豊原 清明
銀河は葬列おとうとよ光れ 増田 天志
荒削りの言葉尾を引く秋灯り 中野 佑海
遠蛙伯母は結婚推進員 吉田 和恵
鰯雲はっと女の浮遊感 若森 京子
にごり酒情の深さの鬱陶し 石井 はな
線香花火燃え尽きるまではさすらい 増田 暁子
旅疲れリュックの底に青蜜柑 夏谷 胡桃
ハグさえも許されぬ世や夏果てぬ 植松 まめ
黄落や和服の人のとけゆけり 小宮 豊和
十代さいごの嘔吐が夏の地平線 竹本  仰
少しずつ野菊になる母阿蘇のお山 伊藤  幸
朝顔の青聖域に触れるごと 野口思づゑ
蜩や九回裏出る指名打者 漆原 義典
爪を切る病室のまど雨の月 松本美智子
花期長き睡蓮見知らぬ老顔泛き 野田 信章
汗じみに蝶の匂いのする晩夏 伏   兎
お祭りもなくて片寄るいわし雲 男波 弘志
ぽつぽつと海岸線を秋遍路 佐藤 仁美
スーパーのもつ煮暖簾に秋刀魚焼く 荒井まり子
凸凹のくちびる合わせ氷頭膾 高木 水志
小鳥来る続き話を聞くように 藤田 乙女
8月9日泪ため直立不動の少年よ 田中 怜子
朱夏の掌に思念の匂い雨の匂い 佐孝 石画
虹立ちて胸の混沌ほぐれだす 高橋 晴子
過疎が好き村人が好き赤トンボ 寺町志津子
月明り父の殺気を持て余す 田口  浩
黄花コスモスべそかきさうな夕ぐれよ 谷  孝江
「オレ、見れる」ラを抜く一味唐辛子 藤川 宏樹
バンクシーの気配志度線秋に入る 松本 勇二
かなかなかななかなかなかないかなかな 島田 章平
パソコンの赤き小蟻の秋に入る 鈴木 幸江
深き夜の白き蛇口に横たはる 中村 セミ
バナナ熟れる時代の気分加速して 河野 志保
星涼し魔女の竈の火掻き棒 松岡 早苗
犬小屋で犬と眠る児秋の暮れ 田中アパート
鬼灯や尻やわらかに里ことば 十河 宣洋
しょろじろろ虫とわれあり根張り道 福井 明子
大根の種こぼすよう蒔にけり 稲葉 千尋
それぞれに青は違って秋の雲 高橋美弥子
カンナの朱国籍不明の初老なり 久保 智恵
ほろ酔いで月の筏にひょいと乗り 銀   次
秋暑し総理候補の立志伝 稲   暁
恩師逝く若狭ちび瓜つぎつぎ熟れ 新野 祐子
秋めきぬ円卓の艶ふきながら 小山やす子
アカデミー不要不急の蝸牛 滝澤 泰斗
水蜜桃うまく一人に戻るから 桂  凜火
少年の絵本の記憶色なき風 河田 清峰
ご飯炊いておみなえしおとこえし 榎本 祐子
川あれば橋がある秋思ひけり 柴田 清子
晩夏光横須賀行きのバスが出る 重松 敬子
ぽっかりと花野にわたし置いてきた 月野ぽぽな
ひとはけの雲の迅さやとんぼ増ゆ 亀山祐美子
人は等しくビニル傘さしてをり 三枝みずほ
ユーチューブという金魚玉に溺れ 川崎千鶴子
長生きの犬と眠りぬ天の川 菅原 春み
タクト振りはじむ月下の枯蟷螂 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「人は等しくビニル傘さしてをり」林田紀音夫の「黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ」を思い浮かべた。ビニル傘というのが現代社会においてのリアル。「等しく」がやや言い過ぎの感があるが、この生きにくい社会で生きていくという現実を突きつけられる。

増田 天志

特選句「深き夜の白き蛇口に横たはる」詩情豊かな作品。なぜか、マチスの絵を想起した。いや、サスペンスかも。横たわるのは、屍体かなあ。色彩感覚の良さと、読者にスト―リ―展開を委ねる詠み方に共感。チャンプかなあ。

豊原 清明

特選句「8月9日泪ため直立不動の少年よ」:「泪ため」に感情がこもっているが、一つの光景として、少年句としてふさわしく思う。その泪はどこに向かうのか。自伝の一句か。問題句「かなかなかななかなかなかないかなかな」: 「かなかな」の連続とちょっと変えた表記と「かなかな」で締めくくるところが優れた一句と思う。

若森 京子

特選句「白秋や感覚的に布を裁つ」白秋という季語に作者の感性のまま裁たれた布の舞う色彩豊かな映像まで見える様で作者の美しい情感まで伝わってくる。好きな句でした。特選句「しょろじろろ虫とわれあり根張り道」〝しょろじろろ〟の措辞で始まる一句。作者の歩んできた人生まで深く伝わって来ます。〝虫とわれあり〟人間って何んとちっぽけな存在なのでしょうか。人生の悲哀が漂う好きな句でした。

稲葉 千尋

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」亡き弟を想う作者。「おとうとよ光れ」が良い。

中野 佑海

特選句「ほおづえの石になりたる虫時雨(亀山祐美子)」蜩の声をずっと聴いていると、このコロナ禍の何も用のない私は頬杖を突いたまま化石になってしまいそうな気がします。晩夏の永遠に続きそうな暑さの中、クーラーを掛けるでもなく。6歳と3歳の姉妹のように。特選句「水蜜桃うまく一人に戻るから」水蜜桃って表面みたら結構固そうで甘くなさそうなのに、皮を剥いたら柔らかくて瑞瑞しくて甘くて。仲間とどんちゃん騒いで楽しかった、つい去年までを思うとそんな殻を被ったくらいで、一人に戻れるのかな?私には自信ない。言ってるだけ。そして、仲間と騒いでいた、不良中年はみんないなくなった・・・。「シャインマスカット夜の唇散らかって」どう考えても、シャインマスカットではなく普通の皮を出すブドウでないと、唇が散らかっているようにはならないと思うし、緑の皮より紫色の皮のほうが断然エロスと思う。でも、あなたはシャインマスカット派。ロリコンですね。「わが生の断片が浮く秋の川(田口 浩)」秋になると物思いが独り歩きして、川伝いに大きな海に出ようとする野心を持つのですね。「人形の深淵漂う灰残る」人形はその名前通り、持っている人の想いを深いところに共有していると思う。想いの抜け殻が。「にごり酒情の深さの鬱陶し」自分に優しい人って、いちいち言ってくることが当たっているだけに、もういい加減にしてよって思う。濁り酒もあの美味しさについ飲み過ぎると深酔い。「線香花火燃え尽きるまではさすらい」仰る通り線香花火はあちらこちらに手を出し、突っつき、いいところまで行ったかと思ったら、燃え尽きる。寅さん的人生もよしか?「旅疲れリュックの底に青蜜柑」歩き遍路をしていて、何がほっとするって、帰りのバスで食べるみかん。高知は美味しかったなミカン。「鬼灯や尻やわらかに里ことば」各所の方言はだいたい述語の方が色々あって、そして、ニュアンスが違ってくる。それを尻やわらかと言ったところが、里ことばという借辞と共に懐かしさを感じさせる。「アカデミー不要不急の蝸牛」最早、大学って不要不急の場所になってしまったんですね。かたつむりさん!「赤蜻蛉今年のデビューはいつですか(漆原義典)」はい、9月19日句会の日の朝、三匹の赤蜻蛉が遊んでいました。涼しくなった途端です。そして、秋分の日、何時もの堀の傍に彼岸花を見つけました。季節は寸分の狂いも無くやって来て、消えてゆく。ああレ・ミゼラブル。

松本 勇二

特選句「そばにあるものを見詰めている厄日(柴田清子)」全く力が入っていない厄日の過ごし方は新鮮。特選句「ご飯炊いておみなえしおとこえし」:「ご飯炊いて」から草花へ展開する言葉の飛ばし方や凄し。

小山やす子

特選句「線香花火燃え尽きるまではさすらい」手花火が燃え尽きてほっとした瞬間何か物足りない空虚な気持ちは何なんでしょうかね・・・?

十河 宣洋

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」弟を見送った寂しさが伝わってくる。光れが作者の心の叫びでもある。特選句「ほろ酔いで月の筏にひょいと乗り」この軽さがいい。ほろ酔いの気分のいい一コマである。

伊藤  幸

特選句「鰯雲はっと女の浮遊感」女性特有の浮遊感、「はっと」という擬態語が効いている。その心の動きが鰯雲とマッチしていてこの句の魅力を醸し出している。

田中 怜子

特選句「棘線に囲まれ基地のイモ畑(増田天志)」悲憤慷慨もせず、淡々と基地の風景を描写している。その思いは・・意外と庶民はたくましいか、現実的に。「遠蛙伯母は結婚推進員」ふっくらして元気いっぱいの女性がせかせか走りまわっている、それも蛙の鳴き声が聞こえる田のあぜ道をせかせか歩き回っている光景が目にうかぶ。「鰯雲はっと女の浮遊感」この浮遊感わかります。高く澄み切った青空に鰯雲が浮かび、あっと吸い込まれそうな浮遊感を。「恩師逝く若狭ちび瓜つぎつぎ熟れる」若狭のちび瓜ってどういうのか、興味がわきました。

高木 水志

特選句「耳朶にシトラス新涼の空音(松岡早苗)」耳朶という身体の部分を取り上げて新涼と合わせたところがなるほどと思った。清々しい秋の空気が感じられる。

伏   兎

特選句「シャインマスカット夜の唇散らかって」種がなく皮ごと食べられるシャインマスカット。この句からワインパーティを楽しんでいる光景が広がり、とりわけ中七が印象深い。特選句「ご飯炊いておみなえしおとこえし」個性が強く、喧嘩ばかりして、「あの二人きっと離婚するよ」と周りで囁かれながらも、金婚式を過ぎた夫婦の穏やかな日々を想像し、共感。入選句「川あれば橋がある秋思ひけり」景が見えそうで見えない句ですが、秋の本質を捉えていると思う。入選句「晩夏光横須賀行きのバスが出る」晩夏の心情にぴったりな港、横須賀の響きが功を奏してい る。

大西健司

特選句「晩夏光横須賀行きのバスが出る」何でも無い句が気にかかる。バスが出るなあというつぶやき。でも上五に季語を置く。それも魅力的な季語を置くことで詩が生まれる。気怠い晩夏の光のなかふっと心にとまった横須賀という地名。半島の稜線、物憂い海の広がり、そしてあの歌が聞こえてくる。ほんのそこまででも旅へのあこがれが生まれる。晩夏のある日の心の揺らめき。

桂  凜火

特選句「シャインマスカット夜の唇散らかつて」シャインマスカットの夜ってどんなものかわからないとおもいながら、一方でシャインマスカットのあのとろけるような甘さが髣髴とさせられてしまう。巧みな誘導にうっかり乗せられて、「唇散らかって」を読み進むと妙にエロテックな句の世界が広がってくる。不思議で挑発的だ。特選句「深き夜の白き蛇口に横たはる」深き夜はどんな夜なのか。手がかりは「白き蛇口」白い蛇口ってあるのかしらとおもっていると蛇の文字が妙に生々しい。そこに横たわるなんて妙な構図なのだが、もう白い蛇口は私の頭の中で白い蛇に置き換わってしまうくらいのインパクトなのでそこに横たわるんだなとついつい騙されてしまった気がする。「シャインマスカット夜の唇散らかつて」と妙に似ているとも思う。

藤川 宏樹

特選句「かなかなかななかなかなかないかなかな」かな表記の「か」「な」二音の音節に「い」一音のみを加え、意ある趣ある一文なさせる業に「一本」取られました。かな文化、日本語ならではの作品と思います。

福井 明子

初参加です。どうぞよろしくお願い致します。特選句「少しずつ野菊になる母阿蘇のお山」母の老いを、少しずつ野菊になると表された作者の気持ちにはっとする。そう、老いとはそんなもの。やがて人はみな魂になってお山に行くのね。阿蘇の山とせず、「お山」と表したところに心が着地。「犬小屋で犬と眠る児秋の暮れ」シンプルな言葉で奥深い情景を表していて共感。背中をまるめ胎児のような格好で犬に寄り添って眠る児。かつて誰にもあった、生まれる前の深い眠りを思わせる安堵感。「長生きの犬と眠りぬ天の川」も心性は同じ。この世に生きて犬も人も眠りまた目覚め、生きてゆく。佳句を、ありがとうございました。

野澤 隆夫

昨日はお世話になりました。色んな人の色んな意見、感想がついつい微笑ましかったです。特選句「遠蛙伯母は結婚推進員」ついつい四国の過疎の深刻な状況を仮想。遠蛙が決めてます。そして伯母さんが結婚推進員というのも面白い!「バンクシーの気配志度線秋に入る」も特選。…琴電の志度線にバンクシーの作品を見つけたという、作者の感性が素晴らしいです。

銀   次

今月の誤読●「ぽっかりと花野にわたし置いてきた」わたしは空を飛んでいた。夢なんかじゃなく、想像でもなく、本当に飛んでいたんだ。秋の風がわたしを撫でてゆく。すっげえ気持ちいい。空を飛んでいるとどんなことでもできるんだ。うつぶせになってもいいし、腹ばいになってもいい。でんぐり返りもぐるぐる回転することも自由自在だ。でも少し淋しいのは独りぼっちだってことだ。近くに鳥もいないし、虫もいない。わたしだけだ。堅苦しい言葉を使うと、孤独ってことだ。わたしは地上にだれかいないかなと探してみた。コスモスの花畑があった。その花畑のなかに寝転んでいる少年を見つけた。わたしは大きな声で「おーい」と呼んでみた。だが少年は気づかずにただボーッと空を見上げてるだけだった。今度は両手を振ってみた。だがやはり気づかない。あれ? よくよく見るとその少年はわたしだった。ワケわかんない。あの少年がわたしなら、このわたしはいったいだれだ? わたしはもう一度あらん限りの大声で呼びかけてみた。彼はチラとこちらを向いた。目と目が合ったような気がした。だが少年はやはり知らん顔して、空に目を戻した。やりきれなさにわたしは涙ぐみそうになった。そのときだった。花畑のなかをひとりの少女が駆けてきた。とびきりの笑顔を浮かべて、手を振りながら駆けてきた。少年はガバと起き、両手をひろげた。少女が少年の胸に飛び込み抱き合った瞬間、わたしはーー消えた。

増田 暁子

特選句「月明り父の殺気を持て余す」父の殺気とは生きる意欲でしょうか。 持て余すは生きることへの執着だと思います。父の最後を身送った時の私も同じ気持ちになりました。特選句「ひとはけの雲の迅さやとんぼ増ゆ」雲ととんぼの組み合わせが秋の景を豊かにし、ひとはけの雲ととんぼが増していくと言う動きの形容が秋を益々豊かに、鮮やかにして行くようでとても良いですね。

島田 章平

特選句「少しずつ野菊になる母阿蘇のお山」読むうちに不思議な世界に引き込まれて行く。結句の「阿蘇のお山」とあえて六音にしたのは何故か。違和感を感じながら読むほどに、不思議なリズムが生れる。「野菊になる母」にしても八音。作者の手練れからして意図的な破調だろう。亡くなった母なのか、高齢で記憶も衰えている母なのか、読者に語り掛ける奥が深い。正に現代の姥捨て山を読んだ句かも。

高橋美弥子

特選句「川あれば橋がある秋思いけり」川があれば橋があるのは普通のことなのだが、 それを秋の光景として描き、作者の心象風景と重ね合わせているところがいいなと思いました。問題句『「オレ、見れる」ラを抜く一味唐辛子』発想は面白いが、まだ推敲の余地があるように思った。ら抜き言葉の事を書いているので上五を工夫するといいかも?

竹本  仰

特選句「人形の深淵漂う灰残る(中村セミ)」選評:人形を燃やしたのでしょうか?誰の人形か、私であるとしましょう。うーん、焼けないなあ、普通では。だから、焼かねばならぬ或る状況に追い込まれたと見られる訳ですね。これは或る意味、自分を燃やすに等しいことではないのか?そして、 灰の中に、実は予想以上に大きな深淵を見出し、さらに沈思しなければならなくなったのか。人の死ならば、肉親であれ、二人称で死をまだしも思う。しかし、人形の死は、幼い日の私の身代わりだから、一人称の死を思うことになる。そういうやりきれない思いを感じました。特選句「蝉殻を着けて堂々登校日(吉田和恵)」選評:蝉の殻は、よく見るとけっこう色っぽいものです。なぜか、人間を思わず立ち止まらせるものがあります。それは、記憶が形となって、物に代替えされずその事実のまま残っているからでしょうか。人間にはできないワザですが、その以前の記憶を振り返らず蝉は成長の次の段階に入る訳で、まあ、そこがニンゲンとは違い、自然なんでしょう。その自然さが、でも子どもにはまだあるということで、何というのか断捨離と力まなくても軽々と新陳代謝していける、そんな笑いのようなものが感じられ、何かその小学生の匂いを感じました。特選句「鬼灯や尻やわらかに里ことば」選評:私的には、これ、お墓参りの途中なのかなと思いました。最近、母が年老いて一緒に墓参りに行けない状況があり、仕方なく一人でお墓へ行くと、何か物足りない、何だろうと思うと、母と交わす方言がないことに気づきました。母、ほおずき、そして、方言、これが墓参りを支えていたものだったかと。そして、我々は大抵、墓に向かうとけっこう笑っているんですね。あの笑いは何でしょう?安堵感?カエルの卵がずーっと一本のふにゅーとしたものでつながっているような、あんなものがよぎっています。そのへんの自然なつながりを、この句に見出したように思いました。以上です。  このところ、夜はぐっと冷え込んできました。しかし、七年前の昔、この九月の頃、手術をして帰宅してよく着ていたパジャマを昨夜からやっと着るようになったのをみても、一週間以上遅れていますから、世の中、やはり温い状態になってるんだと思いました。みなさま、お体お大事に、また好句を、と思います。よろしくお願いします。

松岡 早苗

特選句「蝉の死を跨いで今日を過ぎゆけり(榎本祐子)」腹を見せて転がっている蝉。日々目にし耳にするあまたの死。生の側に在る者にとって多くの死は余所事であり、自身にも訪れるはずの死から目をそらしたまま日常の営みに埋没している。(少なくとも私自身は。)死を「跨いで」過ぎる「今日」の連続でいいのか、一石を投じられた思いがした。特選句「凸凹のくちびる合わせ氷頭膾」:「凸凹のくちびる」は、膾を食べている人の口元の描写でもあろうが、同時に鮭の頭や口元がデフォルメされて思い浮かび、とても楽しい。作者の着眼と描写力に脱帽。

鈴木 幸江

特選句評「みーんみんみんなんじだとおもつてる(島田章平)」何に作者はいらだっているのだろうか。背景に時代の重層的な狂気を感じてしまうのは、深読みすぎるだろうか。真夜に異常気象の所為か鳴く蝉。それに怒る人。まさに口語俳句ならではの表出できた世界だ。「十代さいごの嘔吐が夏の地平線」まず、嘔吐を不潔感なく登場させたことを評価した。“さいご”が平仮名なのも幼さが伝わってきて上手い。感受性の強い十代に別れを告げようとしている。自分にもそんな時代があったことを思い出させてくれた。二十代、三十代・・・六十代の嘔吐も思い出させられた。それぞれ違うのだ。“夏の地平線”は十代ならではである。お見事。でも、“が”要るだろうか。無い方が“夏の地平線”が風景となり良いのではないだろうか。ここは素直に俳句形式の切れを活用してもいいのではないか。問題句評「水蜜桃うまく一人に戻るから」失恋だとすると、「竹内まりや」の歌を思い出す。パートナーを亡くした人の作品だとすると、逝った人への気遣いの句となる。桃を食べながら心で亡き人へ呟いている。私は大丈夫と。また、一人に戻ったと思って生きなおすからと。こんな生き方を選ぶ人も居ていい。応援したい。しかし、俳句作品としてちょっと安直な気がして問題句とした。

滝澤 泰斗

特選二句「荒削りの言葉尾を引く秋灯り」荒削りの言葉はやはりどこか棘があり、いつまでたってもなかなか心から離れない機微を上手に詠んだ。「蝉の死を跨いで今日を過ぎゆけり」今年程蝉の死骸を道端に見たことがなかった・・・コロナ禍で、家族や会社など思うことが多く、自分がうつむいて歩いていることが多くなったからか、やたら目に付いた。こうして2020年コロナ蔓延の年は過ぎていった、という、記念碑のような句としていただきました。「銀河は葬列おとうとよ光れ」銀河を構成する数多ある星のひとつになった弟への鎮魂の気持ちに共感しました。「にごり酒情の深さの鬱陶し」こんなこと確かにあるなと共感しました。「そばにあるものを見詰めている厄日」人が亡くなった時に、茫然とすることはよくあること。そんなときのぼーっとして漠然と何か目の前にあるものを見ているときがある。「朱夏の掌に思念の匂い雨の匂い」盛夏というより、若かりし頃の勢いのある時の思いをずっと持ち続け、その思いはどこか懐かしい雨の匂いに混じった思い。そんな詩情を感じました。「虹立ちて胸の混沌ほぐれだす」珍しくも虹が出て、そんなときは肩こりのように固まったものが、虹の力で解されてゆくことがある。「人住まぬ島も国土や南風」無人島は実行支配しているほうが、これは俺の領土だと主張している世界の潮流で、南風とあるから尖閣列島を想起したが、日ロ、日韓、日中と日米安保と対峙すると、何やらキナ臭くなり兜太先生のように「〇〇政治を許さない」と言いたくなる。しかし、ロシアとスウェーデンなど外国には共同開発している島もある。そんなことを考えさせるのも現代俳句の力かもしれないといただきました。 

佐孝 石画

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」星の光には絶対的に届かないあきらめのような距離を感じる。夜に瞬く星を見上げると、じわりじわりと何とも言えない喪失感が湧き上がってくる。愛する人との様々な思い出が時空にかすみながら瞼の裏に沁み出てくる。星々はいつしか出会った人々の「葬列」となり、こちらに遠い微笑みを返してくれる。「おとうと」よ、この愛すべき人たちの世界でいつまでも「光れ」。そしていつでも俺に微笑んでくれ。叱ってくれ。この切ない願いの世界は香月泰男の「青の太陽」という絵を思い出させる。

河野 志保

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」胸を打つ永訣の情感。言い切ったリズムが乾いた余韻になっている。何かくっきりした輪郭も感じて惹かれた。

夏谷 胡桃

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」。すごい葬列だ。弟さんが好きだったのですね。悲しんでいるけど、よく生きたという感じが伝わりました。特選句「小鳥来る続き話を聞くように」さて、季節は巡って小鳥が帰ってきました。どこまで話したかね。わたしの結婚までだったかね。縁側で小鳥にお話を続けます。また冬が来るね。

中村 セミ

特選句「「少しずつ野菊になる母阿蘇のお山」認知症の母と阿蘇山と重ねているのか、阿蘇の麓に母の墓所があって野菊が一帯に生えて、阿蘇山の一部になっているのか、そういう風に読んだ。特選句「少女の実抽斗に棲む秋の蝶(中野佑海)」週刊マーガレットか、月刊りぼんで、頭をぶんなぐられたような句。可愛いいというより、少女の実が何か、それが抽斗に棲む秋の蝶とどうかかわるのか、おそらく少女の実は文学的な回顧であり、生きてきた、生活様式を一つ一つ思い返してみると、そこにはいないが、抽斗の中にきちんといつもいてくれる秋の蝶に帰依する一つの偶像(アイドル)なのだろう。そうすると秋の蝶が何か、という事にもなるが、それは季語であり、週刊少女フレンドなのだろうと勝手に思っている。昔あった月刊ガロでも月刊COMでもいい。最後にこの句は少女趣味が走っているところが、好きな人と嫌な人に分れるだろうが、綺麗で可愛いく十七ぐらいの気持をすてられぬ、三十代から四十代ぐらいの人の「少女」が良いと思うのだ。

田口  浩

特選句「バンクシーの気配志度線秋に入る」神出鬼没の諷刺画家。私の中で彼はそんな引出しに入っている。この句「バンクシーの気配」までを目で追ったとき、身体がすうっと秋を感じた。不思議である。バンクシーのシーがそんな感覚を生んだのかも知れない。「志度線秋に入る」と続いているのを、いいなあと思った。しかし、ここを知らない人は、良しとしないかも知れない。高松の瓦町を始発にして、終点志度まで四十分足らずの私鉄である。まず県外の人はバンクシーと何の繋がりかと面食うだろう。ところで、この志度線、遍路に興味を持っている人なら知っているかもしれない。沿線に八四番屋島寺、八五番八栗寺、八六番志度寺と海沿いから内陸へ、八七番長尾寺、さらに阿讃の山間に入って八八番大窪寺の打ち止めとなる。志度線とはそう言うところを走っているのである。秋遍路に出会うこのごろ、海沿いの無人駅のどこかに、バンクシーの落書などを想像してみるのも愉しくはないか。「鰯雲はっと女の浮遊感」鰯雲には、女の浮遊感があろう。「はっと」が熟練。「線香花火燃え尽きるまではさすらい」大方の人生はそのときがくれば、線香花火であるし、一人の人間のさすらいなど線香花火のポトンと落ちる火玉のようなものかも知れない。傘寿が近くなって、若い時とは違った考えに淋しさが無いわけでもない。「十代さいごの嘔吐が夏の地平線」:「十代さいごの嘔吐」とは、大人への脱皮、純潔との別れである。「夏の地平線」とは爽やかな色ばかりではあるまい。重い黒い色も交ざっている。「秋めきぬ円卓の艶ふきながら」:「円卓の艶」がいい。まさに「秋めきぬ」である。しかし俳句として本格なだけに、この秋の感じには、人によっては手練れを感じるかも知れない。

久保 智恵

特選句「長生きの犬と眠りぬ天の川」愛犬が頑張って生きてくれて考えるだけで涙が出ます。

男波 弘志

特選句「ご飯炊いておみなえしおとこえし」悲しみを一心に背負ってきた、おとこえし、おみなえし、炊きたてのご飯が何かを変容させている。秀作「水蜜桃うまく一人に戻るから」豊満なるひとりとは羨ましい。

亀山祐美子

特選句『星涼し魔女の竈の火掻き棒』「星涼し」と「火掻き棒」の対比が面白い。戸外と戸内の違和感もキャンプだと思えば納得出来る。食欲の秋に魔女の食卓にはどんな料理が並ぶのか知りたいような知りたくないような…特選句『晩夏光横須賀行きのバスが出る』米軍基地のある「横須賀行きのバス」へ乗り込むのは誰だ。見送るのは誰だ。簡素で想像力を湧き立たせる。「晩夏光」の季語が情緒を盛り上げ秀逸。詩歌の一節でもありそうだが、俳句としての力量もある。口に転がし展開を想像させる大人の俳句だと思う。

月野ぽぽな

特選句「白秋や感覚的に布を裁つ(重松敬子)」空気の澄み渡る秋には、感覚も澄み渡るのだろうか。頭であれこれ考えず、手のいうまま、鋏の言うままに布を裁ってゆく爽快さがその音と共に伝わってくる。白秋の白、も効いている。

重松 敬子

特選句「川あれば橋がある秋思ひけり」ここ数年、我々を取り巻くすべてのものが変わりつつあります、当り前のことが、そうではなくなり、その変化に必至に追いすがっている日常です。この句は、ふと懐かしく心に安らぎの広がってゆく思いです。

野口思づゑ

特選句「朱夏の掌に思念の匂い雨の匂い」句の世界にいつの間にか引き込まれていくような美しい句です。特選句「バナナ熟れる時代の気分加速して」今の社会や時代は熟れるより、熟れすぎているとも感じますが、バナナと時代の組み合わせが面白い。『「オレ、見れる」ラを抜く一味唐辛子』私はらぬきが気になる世代なのですが、それを巧く季語と組み合わせ一句に仕上げたと感心。「おたがいを青蜜柑と称う愉しさよ」ご夫婦というより友達同士、それも青を越した年代の二人だと思いますが、プラス思考の楽しい句。

シドニーは昨日、今日と突然気温が30度近くまで上昇。でも来週は17度の日もあるとの予報です。

佐藤 仁美

特選句「ほろ酔いで月の筏にひょいと乗り」基本的に、お酒に関するのは好きです。飄々とした仙人の雰囲気が、楽しいです!

河田 清峰

特選句「八十にして抱くなり薔薇の束(小山やす子)」八十で薔薇がいい!八八でも薔薇を抱いて欲しい…。

石井 はな

特選句「風待ちの湊石榴の濡れており」風景が生き生きと浮かんで来ます。風と雨に濡れた石榴の取り合わせが素敵です。

植松 まめ

特選句「シャインマスカット夜の唇散らかつて」シャインマスカットを家族または仲間とワイワイとにぎやかに食べたのだろうか?そのあとの葡萄の皮だけが残っているそれを唇が散らかっていると表現した。シュールな絵を見ているようだ。特選句「秋暑し総理候補の立志伝」新しく総理大臣になったS氏のことか?もりかけさくらに蓋をしてコロナを盾に国民のためにと走りだすのだろう。秋暑しがよく効いている。

野田 信章

特選句「朱夏の掌に思念の匂い雨の匂い」は炎帝「朱夏」の下での思念する行為―ひらいた掌にその思念の匂いを覚えるという感受性は多分に硬質であり、身に刻んだ論理性と相俟って若さ特有のものであろう。これに「雨の匂い」と重ねることによって句自体に生気のある具体性が加味されると読んだ。それは多分に「朱夏」の持つ色彩感覚とも相俟った情緒の要素の加味とも言えよう。

榎本 祐子

特選句「汗じみに蝶の匂いのする晩夏」蝶の匂いはどんな匂いだろう。汗と同じエロスのにおいだろか。

柴田 清子

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」俳句であって短詩であってほしいと思う私には、特選とさせてもらいました。この十七文字に詰め込んだ内容の重さ、深さがたまらなくいい。特選句「人は等しくビニル傘をさしてをり」丸々透けてゐるビニール傘を持っていても、一人一人背負っているものは違ふ。これが人生なのね。特選句「長生きの犬と眠りぬ天の川」犬との関係性が、眠りで充分に表現されていて、すばらしい天の川に出逢えた九月でした。

菅原 春み

特選句「爪を切る病室の窓雨の月」切ない感じが胸に迫ります。季語もいいです。特選句「ひとはけの雲の迅さやとんぼ増ゆ」ひとはけ、がなんとも迅さ勢いを感じさせてくれイメージが湧きます。

漆原 義典

「荒削りの言葉尾を引く秋灯り」を特選とします。中の良い夫婦が喧嘩をしたのかなぁ、言葉尾を引くと秋灯りがちょっぴり寂しい情景をよく表していると感じました。私は秋灯りは切ないですね。素晴らしい句をありがとうございました。

藤田 乙女

特選句「遠蛙伯母は結婚推進員」日本人の生涯未婚率は増加の一方、驚くばかりです。確かに結婚も多様な価値観の中での1つの選択、でも今女性の4人にひとりが70才以上だというこの国はますます少子化が進み老人だらけになってしまう怖さを感じます。結婚推進員の方はそれを案じていらっしゃるのでしょう。その思いが遠蛙の鳴き声と響き合います。特選句「長生きの犬と眠りぬ天の川」目の前にいる長生きの犬の体、命の温もりの実感とそれが永遠ではないという哀しい現実、遠い遠いところからやって来た地球上の生きるものの祖先であり、やがて、帰っていくと信じたい遥かなる銀河の星への思い、その2つの感情が交錯し、また重なりあって切なく心を揺さぶります。

寺町志津子

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」:「人は死んだら星になる」と、子どもの頃から聞いており、それは誰しもそうであったに違いない。が、それを踏まえても、「銀河は葬列」の発想に感銘。下五「おとうとよ光れ」は、亡き弟への限りない哀惜の思いが伝わり、心打たれました。

田中アパート

特選句「荒地野菊島の娼婦の口遊む(大西健司)」特選句「三千の水平線よ曼珠沙華(野﨑憲子)」二句とも、ようわからんな、そこがええんとちゃうかな。

新野 祐子

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」弟さんを亡くした悲しみ、弟さんへの愛情がひしひしと伝わってきます。入選句「お祭りもなくて片寄るいわし雲」鰯雲が「片寄る」という表現がおもしろいです。入選句「秋暑し総理候補の立志伝」:「秋暑し」がぴったりですよね。入選句『「オレ、見れる」ラを抜く一味唐辛子』発想がなかなか。誰も真似ができません。

谷  孝江

特選句「小鳥くる続き話を聞くように」やさしく語りかけてくれるような言葉が好きです。童話を読み聞かされているような。穏やかな快い気持ちにさせてくれます。「遠まわりをして花野に濡れにゆく」も良いなって思いました。濡れてくるではなくて濡れにゆくってrマンチックですね。

小宮 豊和

「汗じみに蝉の匂いのする晩夏」充分に美しい句であると思う。上五「汗じみに」は中七、下五にくらべ少々惜しい気もする。それではもっと美しくしてみたい。たとえば「蜘蛛の囲の蝶の命の香りかな」などは少々やりすぎになるか?

吉田 和恵

特選句「少しずつ野菊になる母阿蘇のお山」山から吹く風に揺れるやさしい野菊。そんな野菊になって行くお母さんとは・・・。お母さんへの思いが伝わってきます。問題句「深き夜の白き蛇口に横たはる」深夜、白い蛇に姿を変えて、と思えば悲しくも怪しい臨場感たっぷりですが、蛇口に横たわるのはちょっと無理かも。

稲   暁

特選句「ぽっかりと花野にわたし置いてきた」単純化された表現で鮮明な詩想が表出されている。本来の<私>は、あの花野の中にいるということだろう。問題句「水蜜桃うまく一人に戻るから」水蜜桃と孤独という世界に強く惹かれるが「うまく」に違和感があり、解釈に迷っている。

川崎千鶴子

特選句「汗じみに蝶の匂いのする晩夏」ロマンの香りのする句。「汗じみ」の中に恋人の香がする。そんな晩夏までに沈着した匂い。幸福な話。「水蜜桃うまく一人に戻るから」意味深長で恋人と別れるか、離婚を巧くすると言う話か? 内容が気になる巧みな、興味深い内容。初めてこう言う句に合う。幸せ。「シャインマスカット夜の唇散らかって」贈答品しかお目にかからない上等な葡萄。巨峰もマスカットも皮ごと食べるように言われ頂いているが、この場合は皮は食べないで、おのおのお皿に出している景か、又はその景は熱い唇が散らばっていると言うのか、解らないが巧妙且つ素晴らしい。「銀河は葬列おとうとよ光れ」:「銀河は葬列」と詩的な切り出し、おとうとよの中に居るなら光って教えておくれ。愛情あふれる哀切の句。「爪を切る病室の窓雨の月」入院の患者のひとときか、簡単に爪を切ると言うが時間に余裕がないとなかなかできない、そんなしっとり感の雨の月夜、雨で月とはどんなかと思いつつ良いなあと。「ペンを持つ指だったろう小鳥狩」ペンを持ち詩作に耽っただろう指が、小鳥を狩っているのに使われている。あの文化的で思索的な人は何処へ。「眼裏に黒い金魚を棲まわせる(小西瞬夏)」飛蚊症の事か?文学的言い回しか。巧み。「月明り父の殺気を持て余す」こう言ういらついた人にはちょっと時間が要るし、周囲はひやひやする。老いるとますます短気。 「海程香川」に初参加の川崎千鶴子です。宜しくお願い致します。以前より野﨑憲子代表にお誘いいただいていたのですが、遅く成りました。コロナで大会が四つもキャンセルになり句会もキャンセルで静かな毎日でしたがそれが認知症に繋がると知り、頑張る方に軸足を移させて頂きました。迷惑な理由で申し訳有りません。

松本美智子

特選句「黄落や和服の人のとけゆけり」静かに降る銀杏のなかを和服を着た美しいご婦人がゆっくり歩いていくのが目に浮かびます。豊かに人生を歩んできた人にご褒美のように美しい銀杏は降り注ぐのです。

高橋 晴子

特選句「タクト振りはじむ月下の枯蟷螂」蟷螂の姿はあの顔といい、鎌を構えた腕といい、燕尾服をきた指揮者を思わせる。何かユーモアがあって楽しい句だ。何か回りの虫もタクトにあわせて鳴いているような気がして、ちょっと変った虫の句、こんな句が詠めたらいいなあ。特選句「本心を少し隠して秋扇」人間関係は何かと全部言ってしまえばあとで困るようなこともあり。自づと本心を少し隠すが大人のつきあいを感じさせる。秋扇の使い方が憎い程うまい。まあその位の心遣いをする方が無難。

三枝みずほ

特選句「バナナ熟れる時代の気分加速して」気分というふわっとした実態のないものが加速している。気づいたときには熟れたバナナの黒ずみ、ぐにゃっとした手触り、実感だけが眼前にある。戦争への危機感、もしくは自由をなくすような感覚だろうか、ゾクッとさせられた。

荒井まり子

特選句「かなかなかななかなかなかないかなかな」楽しくリズム感あり、いいですねぇ。

野﨑 憲子

特選句「秋めきぬ円卓の艶ふきながら」ゆったりとした時間の流れがある。この作品を読むほどに私を満ち足りた気持にさせてくれる。磨き込んだ卓袱台を囲む家族の笑い声が聞こえてくるようだ。調べも句の姿も美しい。 特選句&問題句「バンクシーの気配志度線秋に入る」世界中が注目している路上芸術家バンクシーとコトデン志度線との絶妙な取り合わせに、志度が産土の私はジェラシーに近いものを感じた。と同時に、よくぞ、志度線を取り込んで見事な作品をお創りくださったと称賛の気持でいっぱいである。志度線は海岸線を通り瓦町駅から志度駅へと向かう。コトデン志度駅から旧遍路道沿いに東へいくと平賀源内記念館や志度寺がある。<バンクシーの気配>と「芸術は爆発だ!」の岡本太郎の世界が重なってくる。志度線もこれからが秋本番だ。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

秋桜
コスモスの揺れる電車に乗つてゐる
柴田 清子
白馬の王子とやらの夢見てコスモス
中野 佑海
秋桜あんたあの娘のなんなのさ
島田 章平
コスモスに日本溺れる日は近し
鈴木 幸江
鶏頭
井戸端会議代りにやって野鶏頭
中野 佑海
鶏頭のころがりおちて燃焼す
中村 セミ
鶏頭の真っ赤にとびつかれた日
柴田 清子
白粉花
私の中に咲く白粉の花
柴田 清子
腕立て伏せ鉄骨女に夕化粧
中野 佑海
おしろいやむかし姉やは泣きました
島田 章平
白粉花犬の糞(まり)する花は紅(べに)
鈴木 幸江
曼珠沙華
彼岸花ぽつんと山の一軒家
柴田 清子
川面に映る空の全景曼珠沙華
野﨑 憲子
曼珠沙華そっと手招く赤い糸
漆原 義典
いきさつの絡み合ってる曼珠沙華
中野 佑海
つきぬけて折れてしまった曼珠沙華
島田 章平
摘まれても平気平気の曼珠沙華
鈴木 幸江
ソーシャルディスタンス(☆)
箪笥箪笥たんすそして(☆)
鈴木 幸江
(☆)取りつつ菊の宴かな
中野 佑海
雛段の大臣守らぬ(☆)
漆原 義典
(☆)計ってみると少しあまる
中村 セミ
(☆)九月の風は二度うなづく
野﨑 憲子
夕風に遠去けて焼く秋刀魚かな
藤川 宏樹
バカにしないでよ秋の(☆)
柴田 清子
自由題
ねこじゃらし傷んだ御本直します
藤川 宏樹
猫じゃらしどこから見ても猫じゃらし
野﨑 憲子
秋の声メリーポピンズになる呪文
中野 佑海
魂が真っ赤秋分の日の海
島田 章平
法師蝉天国からの声聞こゆ
漆原 義典
紺碧の列車が止る魔法瓶
中村 セミ

【お詫び】&【句会メモ】

<袋回し句会>のお題「ソーシャルディスタンス」の作品は文字数が多くてうまく編集できませんでしたので、「ソーシャルディスタンス」の言葉を「(☆)」とさせていただきました。ご寛恕の程をお願い申し上げます。

未だコロナ禍の中でありますが、9月句会にも10人の方がお集まりくださいました。事前投句の選評も袋回し句会も大きく盛り上がり生の句会の醍醐味を堪能しました。10月はアンソロジーの準備がありお休みにさせて頂きますが、11月はいよいよ発足10周年記念の句会です。ご無理の無い範囲で、是非ご参加ください。

2020年9月1日 (火)

第109回「海程香川」句会(2020.08.22)

天の川.png

事前投句参加者の一句

向日葵に引き金を引く二十歳(はたち)の音 田口  浩
静物の永遠に冷たき盛夏かな 中村 セミ
ラクダゆく月のぽぽなの真ん中を 島田 章平
パンもハムも薄く炎暑にバス満員 中野 佑海
私ならいいです蚯蚓鳴いてます 谷  孝江
蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席 増田 暁子
遠雷や今終ろうとするショパン 小山やす子
コロナの禍ぽんぽん鳴るは鳥威 野澤 隆夫
脳に書く逃げ惑った夏更級郷 滝澤 泰斗
七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす 若森 京子
心音の表裏を濡らし髪洗う 月野ぽぽな
真葛原の内に花あり姉ひとり 稲葉 千尋
鶏頭のでこぼこ坊主頭かな 小宮 豊和
八月やことんと羽搏く甲子男(きねを)の書 矢野千代子
指切りて血を舐め尽くす新涼や 伊藤  幸
マスクして咳を飲みこむ老いの夏 田中アパート
ふたりして蛇の泳ぐを見ていたり 榎本 祐子
夏の木のそばに風ある別れかな 河野 志保
さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける 竹本  仰
意味付はいらない鰻食べてゐる 柴田 清子
夕なずむ多摩川鰻釣らんと漢かな 田中 怜子
稲妻や腎の石をも打ち砕く 漆原 義典
貧と貪敦盛草の母衣白し 荒井まり子
モーツァルトに葱刻む音入れてみる 重松 敬子
豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず 野田 信章
タロットを出られぬ姉妹夜の秋 伏   兎
頬紅を少し濃くして今朝の秋 藤田 乙女
青空にメロンパン浮く敗戦忌 植松 まめ
八月の真白き紙に感電す 三枝みずほ
なほのこと道化てみせる今朝の秋 佐藤 仁美
師は今も戛戛と生きとりかぶと 高橋 晴子
空蝉は忘れられたる羽衣よ 石井 はな
老師の耳毛説法に蝸牛 藤川 宏樹
七月の琥珀透けたる翅音かな 松岡 早苗
<三浦春馬さんを悼む>青年は永久にほがらにサーフィンを 新野 祐子
いらん子と言はれ育ちぬ葛の花 高橋美弥子
さるすべりいまだこのよにゐるわたし 鈴木 幸江
いもうとの硬い突起やひめりんご 大西 健司
雑踏の刹那に君を夏の蝶 松本美智子
牛を売り夏の終りのハーモニカ 松本 勇二
蟻も私も生きていたるが仕事 野口思づゑ
滝しぶきもらいに手を出す真炎天 十河 宣洋
月涼しからだの遠きところから 小西 瞬夏
雁や疲れた風邪を引かぬよう 豊原 清明
八十八夜祖母の好みし次郎長伝 寺町志津子
黒金魚ことばの眼鏡ふと外す 桂  凜火
沙羅の花終末時計また進む 夏谷 胡桃
そっときてそっと食してわらびもち 銀   次
空蝉や瞼殺していたりける 河田 清峰
稲光る卑弥呼の葬列丘越えて 増田 天志
洗濯屋老いて閉店白芙蓉 菅原 春み
生足(なまあし)で昇る階凌霄花 吉田 和恵
絵日記に使われぬ色夏終わる 男波 弘志
蜩や遺影の兵士まだこども 稲   暁
目を瞑って夏草は疾走していた 佐孝 石画
信号の黄色見ている終戦忌 高木 水志
空蝉は闇の欠片か陽のかけら 亀山祐美子
熊楠の萃点つるべ落しかな 野﨑 憲子

句会の窓

                                
松本 勇二

特選句「八月やことんと羽搏く甲子男(きねお)の書」:「夜這いかな山を斜めのむささびは  奥山甲子男」を直感しました。羽ばたいた署はこれとは違うかも知れませんが、あの野太い声が聞こえてきました。特選句「青空にメロンパン浮く敗戦忌」メロンパンを想起できる感性を称えたいと思います。

月野ぽぽな

特選句「ウィルスや兵士のように水を飲み(松本勇二)」健康を取り戻すためには水分の摂取は欠かせないが、それを「兵士のように」すると比喩することで、その状況が戦争のようであると読者に伝えることに成功している。即座に「新型コロナウイルス」との表記ではなく「ウイルス」に省略されていることに気づき、今この時期に書かれているから、という理由ではなく、この句の力によって、このウイルスが「新型コロナウイルス」であるということが確定する。

増田 天志

特選句「月涼しからだの遠きところから」常識と逆の発想が、俳句の神髄かも。熱き中枢から、涼しき周辺へ、着眼点の移動。周辺から、中枢へ。なるほど、感服、しきり。

小西 瞬夏

特選句「ふたりして蛇の泳ぐを見ていたり」これは名句なのか、そうでないのか。どこか「流れゆく大根の葉のはやさかな」を思わせるような。一見「だからどうした」なのだが、ふたりとはどん な関係なのか、どこでなぜこのような状況にあり、そしてふたりは何を思うのか。そう考えてゆくと、ただならない句になってゆく面白さ。

佐孝 石画

特選句「震災孤児とそうでない孤児蛇を囲む(田口 浩)」上五中七を使い切って「震災孤児」と「そうでない孤児」とあえて丁寧に並記してあり、読み手はまずその区別に違和感を感じるかもしれない。「震災」と付することで、被災を免れた人々であっても、東北、阪神の大震災、近年の洪水、土砂崩れなど、メディアを通じて得たさまざまな映像がフラッシュバックしてくるに違いない。そして網膜に焼き付いている抗いようのない悲惨な映像の霧が明けると、様々な感情ごと置き去りとなった人々、「孤児」が徐々に立ち現れる。それに加えて「そうでない孤児」。つまるところ、この作品の登場人物は、すべての孤児、全世界の孤児とも言える。「孤児」たちが距離を取りながら「蛇」を囲み対峙する一見不気味な光景。「蛇」はしかし、そこに立つ「孤児」たちの忘れがたい記憶と、その未来に立ち向かう意志の象徴でもある。「蛇」はまた「孤児」であり、孤児たちは、様々な感情を背中に帯びながら、蛇を取り囲み、それぞれが蛇と入れ替わる。悲しく強い輪舞。そんな切ないメルヘンの一場面は山口薫の絶筆を想起させる。また、新興俳句の代表作家、高屋窓秋の句「星泣きの孤児月泣きの孤児地に眠る」に通じる、つめたく優しい世界がここにはある。

桂  凜火

特選句「指切りて血を舐め尽くす新涼や」季語の「新涼や」が、よかった。驚きに満ちている。止まらない血で汚れた唇が「新涼や」でひんやりと浄められる感覚が浮かびました。特選句「夏の木のそばに風ある別れかな」不思議な句です 夏の木は何の木なのかわからないが、そばに風あるらしい、そんな場所で別れがある。だれと 何と?なんの手がかりもないから余計に虚無的で美しい。もしかしたら、この設定とは正反対のどろどろの別れを思う句なのかもしれないが「別れかな」が効いていてそそられてしまう句でした。

十河 宣洋

特選句「意味付けはいらない鰻食べてゐる」鰻の好きな人である。土用の丑だけが鰻の日ではない。何時だっていいのである。意味付けはいらないに、少し風刺の意味を込めている。特選句「青空にメロンパン浮く敗戦忌」戦後とか敗戦とかいうとすぐ食べ物のはなしがでてくる。その意味では類想である。でも、空腹の想いがあったのは事実である。空腹は、夢を持たせてくれる装置のようにも思う。学生時代メロンパンは十二円であった。

小山やす子

特選句「夏雲の湧く心臓のど真ん中(柴田清子)」コロナ騒動のど真ん中この句に出会って元気を貰いました。有り難うございました。

中野 佑海

特選句「生も死も私も溶けむ瀬戸の明け(鈴木幸江)」香川に住んで何が良いかって、やっぱり瀬戸内海でしょう。この海の素晴らしさは何物にも代えがたいよね。いつまで見ていても飽きないし、このまま一つになってしまいたいくらいだ。特選句「八月の真白き紙に感電す」コピー用紙のあの白さは、八月の太陽のように眩しい。何もかも映して、そして、チョット静電気がびりっと感じられたりする。そして、立秋が来ると誰もいなくなった。「ラクダゆく月のぽぽなの真ん中を」ぽぽなは月野ぽぽなさんかはたまたゲームのキャラクターかこれはかなり難問だ。が、どちらにしても気持ちよさそう。「ジーンズの腰つやめきてさくらんぼ(高橋美弥子」おいおいサクランボ見つめてばかりいないで、しっかり味わってくださいよ。「蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席」蜘蛛の糸に付いた雨粒の綺麗に並んだ様は気持ち良い位に一粒ずつ。今はコロナ禍でみなおひとり様。「意味付けはいらない鰻食べてゐる」鰻文句なく美味しい。まいうー「タロットを出られぬ姉妹夜の秋」タロット占いには嵌ります。何事も嵌り込み過ぎて、其れが無くては生きられない、何も選択出来ないことになっては、お終い。何事も姉妹でも付かず離れず。お気楽に。「熊楠の萃点つるべ落としかな」南方熊楠の偉業には頭が下がります。つるべ落としが妙に合っている。「うつろへる瞬夏秋灯ひと恋し(島田章平)」小西瞬夏さんの俳句は一つの流れに落ち着かず次から次へと素敵な俳句の火を灯して下さいます。でも根底は人恋し。「老師の耳毛説法に蝸牛」何故か老師とおぼしき方の耳毛って耳からはみ出すくらい生えていますよね。もう他からの意見なんていらないのでしょう。蝸牛のように家も車も自分で完結。

豊原 清明

特選句「滝しぶきもらいに手を出す真炎天」この一句が句稿の中で面白く迫る。「もらいに」滝しぶきに、滝信仰を感じる。特選句「<三浦春馬さんを悼む>青年は永久にほがらにサーフィンを」無知な僕はその人を知らないが、一句がとても心に残る。追悼句からその人を知らなくても感じることができると思う。

河野 志保

特選句「遠雷や今終わろうとするショパン」素敵な気分になる句。「今終わろうとする」がとてもロマンティック。甘い調べと遠雷の物悲しさが過多にならず調和している。恋の場面が浮かんだ。今日の私の場合は「男はつらいよ 第18作 寅次郎純情詩集」(寅さん史上とびきりの悲恋だと思う)。

重松 敬子

特選句「絵日記に使われぬ色夏終る」楽しかった夏休みも残り少なくなり、何となくもの哀しい思いが伝わってくる。使われなかった色がこの句に広がりをもたせ、秀句にしている。

藤川 宏樹

特選句「豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず」周り一体色を失った惨禍に蟹の赤が浮かぶ、的確な表現に感心しました。私も阪神震災翌日、三宮駅を闊歩する浮浪者に小脇のホカ弁、そのソーセージの赤が鮮明にいつまでも残った体験があります。目を引く赤い蟹が非常事態を実感させます。

増田 暁子

特選句「八月の真白き紙に感電す」中7、下5は戦争や原爆で亡くなった人びとと鋭敏に心を通じ、無念さや懐かしさを共有することと取りました。真白き紙がとても良いと思います。特選句「生足(なまあし)で昇る階凌霄花」凌霄花の花の色と階を昇る生足の取り合わせが、なんとも魅力的で官能的です。毎回のことですが本当に良い句が多くて迷いました。

中村 セミ

特選句「ふたりして蛇の泳ぐを見ていたり」蛇が何かは別にして、このたたずみ、見ている時系列に隠れている状況が好きだ。二人は句を思い、この蛇を見ているのか。この蛇はきっとたくさんの悪い事をした揚句、水の中か空中かを泳ぎ去ってゆく。その感慨を二人に感じてしまう。―おそらくつくづく都市や人々を破壊してしまった何か、が去ってゆく時の思いだろうと思う。この二人はずうっとしばらくは見続けるのだろう。「八月の真白き紙に感電す」夏の光で真白の紙は放電している。それに気づいた人は感電するのだろう。

高橋美弥子

特選句「さるすべりいまだこのよにゐるわたし」全体を平仮名表記にしたことで一句にやさしさとせつなさが漂います。百日紅は夏のカンカン照りの空へ元気に咲く花。その百日紅を見たときに、作者が生きてきた中での様々な感情の移ろいを投影しているように感じて共鳴しました。問題句「眼を奪うLEDの天の川(佐藤仁美)」そんな日が来るのかもしれない。いや、作者はそれを実際に見て眼を奪われたのかも。でもせっかくの「天の川」の季語の本意が薄れてしまうようにも感じます。

若森 京子

特選句「向日葵に引き金を引く二十歳(はたち)の音」二十歳の青春時代の危なっかしい気分がよく出ている。向日葵の季語が。夢・希望のシンボルとして書かれているが、それに引き金を引く行為は、その頃の精神状態の陰の部分としてであろう。「音」が、一句を詠い上げている。特選句「目を瞑って夏草は疾走していた」目を瞑って想う間に、夏は過ぎ去っていた実感だと思うが、「夏草は疾走していた」のフレーズが好きでした。

伊藤  幸

特選句「コーラシュワッ青葦つづく風の黙(松岡早苗)」オノマトペ「シュワッ」が効いている。若く力強い青葦を無音の晩夏の風が父親のように見守っているさまが窺える。

滝澤 泰斗

特選句「自閉症のキミとの日々よあの夏よ(松本美智子)」自閉症は様々な障がいのパターンがあり世界に2千万人以上の統計がある。日常の中で、特に電車の中で父親が付き添ってつかず離れず、人に迷惑をかけないように見守っている姿を何回か見たことがありそのシーン思い出しました。寝ているとき以外はいつも見守りが必要な中、夏のある日、好転への変化の兆しか、あるいはその逆か?心動かされました。特選句「牛を売り夏の終りのハーモニカ」一仕事の終わり、牛を育て売るまでの忙殺された日々にはできなかったハーモニカを吹く。面倒見てきた牛がいなくなった牛舎と夏の終わりにか細いハーモニカの調べ・・・、懐かしい古き良き時代の昭和の寂寥感に共感しました。お彼岸の3月、9月は家族のための祈りの月、8月は戦争で亡くなった人への鎮魂。今回の投句にも多くの祈りの句を拝読しました。その中で印象的な句、以下の五句を選びました。「七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす」海の浅瀬であろうか、上向いて背泳ぎというより、空を見つめて浮かぶように七五年前の空を思い出して戦争を、敗戦を偲び、人を偲びつ。「青空にメロンパン浮く敗戦忌」日本は敗けた。すさまじい空腹感が容易に想像つくが、空に浮かんだメロンパンは一般論でくくれない作者の思いに震えました。終戦忌を敗戦忌とする人が多く、これにも共感しました。「八月十五日ただ眼をひらき水風呂に」私は敗戦の日を知りませんが、敗戦の日の受け止め方として、あの戦争は何だったのか、刮目的に、そして、水を浴びて鎮魂する姿が想像されました。「敗戦忌父の褌ひるがえり」褌は金子先生の代名詞でもあり、トラック島で敗戦を迎えた金子先生と私の父の褌も思い出され、「ひるがえり」に、新しい時代の到来すらも感じさせてくれました。「蜩や遺影の兵士まだこども」小さいころ、どの友達の家の仏壇にも兵隊姿の遺影があった。そして、どの遺影も若く、子供の面影をたたえていた。印象的な反戦句でした。「いもうとの硬い突起やひめりんご」金子先生は「俺は人を見る時、上から下まで舐めるように見る」と・・・女性の体を果物に見立てる言い方はマンネリと言えばその通りだがエロスを感じさせる句は自分ではなかなか作れない。それだけに、魅かれる句ではある。

野田 信章

特選句「こんなにも梅雨空晴れて誰の忌ぞ(谷 孝江)」の句は、久方ぶりの梅雨の晴れ間のことと読んだ。それも「こんなに晴れて」となると、それはもう誰かの忌日ゆえのことかと思案しても不思議でなくなる。離別を重ねているとその人の忌日も判然としなくなることも確かなこと。「誰の忌日ぞ」という呟きそのものが今を生き永らえている者の生の明かし(証)かと思えてくる。一句の韻律が醸している諧謔味も捨て難い。

柴田 清子

特選句「夏の木のそばに風ある別れかな」一つ一つの言葉は易しい。その言葉のあつまりで、詩情の深い句に。別れに風をもって来たことで粋な別れの句となった。

田口  浩

特選句「信号の黄色見ている終戦忌」この句の場合、信号を見ているのは歩行者でもいいが、出来るなら運転席から見ている方が、味わいを深くするように思う。さらに言えば戦争を体験した人が、黄色の光の意味を拡大解釈して、自動車を発車するまでと限定する方が作者の立ち位地を感じられて面白い。「終戦忌」のウムを言わせぬ力をぶつけられて、心に残る俳句である。「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」私も若いころ友達を呼んでよくやった。「青空にメロンパン浮く敗戦忌」敗戦の青空に浮く白い雲を見て、パンを想像したのだろう。メロンパンと言うから若い人かも知れない。「師は今も戛戛と生きとりかぶと」今生は病む生なりき、の鳥兜もいいが、こちらもいいですね。「戛戛と生きとりかぶと」は、師の風貌を眼前に見ているのですね。「いもうとの硬い突起やひめりんご」これは姉妹ですね。若いエロスに圧倒されます。「絵日記に使われぬ色夏終る」その色をいろいろ考えて見ました。愉しいヒトトキ。

野澤 隆夫

特選句「モーツァルトに葱刻む音入れてみる」面白い。ラーメン??葱を刻んでる作者。小生は今選句しつつムソルグスキーの「展覧会の絵」を聴いている!特選句「師は今も戛戛と生きとりかぶと」小生の先輩にそっくりな人物。「かつかつ」として「毒性アリ」。「配牌やスパイめきたる守宮の目(重松敬子)」も特選。ギャンブルと江戸川乱歩の取り合わせが面白い。

稲葉 千尋

特選句「吉野暑し直完市の大わらい(矢野千代子)」稲葉直さん阿部完市さんの笑顔を思い出します。それぞれに違う笑顔よ。

大西 健司

特選句「頬紅を少し濃くして今朝の秋」特選句「なほのこと道化てみせる今朝の秋」特選には「今朝の秋」二句をいただいた。残暑厳しいおりから暑苦しい句はさけた。まあそういうわけではないのですが、落ち着いた、心の機微を捉えた二句がじんわりと心に沁みた。問題句「ラクダゆく月のぽぽなの真ん中を」「うつろへる瞬夏秋灯ひと恋し」問題句というより特別賞あたりか、人名をうまく入れて楽しく仕上げている。八月らしく「八月やことんと羽搏く甲子男(きねを)の書」には奥山甲子男さんが、「吉野涼し直・完市の語尾曳いて」には稲葉直さん阿部完市さんが、実になつかしい気持ちにさせられた。

寺町志津子

特選句「蜩や遺影の兵士まだこども」終戦記念日のある八月。かつての太平洋戦争での少年航空兵や特攻隊員にも一入の思いがあるが、揚句は、現在なお戦乱の中にある中東のこども兵士のことと捕らえた。蜩の鳴き続ける夏真っ盛りの中、テレビか新聞かで報道された子ども兵士の遺影。「まだこども」の語に、作者の子ども兵士に対する言いようのない心の痛みが感じられ、実景であろう鳴き続ける蜩の声が一層哀しみを深めている。

伏   兎

特選句「向日葵に引き金を引く二十歳の音」理性が野生に追いつけず、暴走しがちな夏の午後の若さを見事に捉えられている。とりわけ中七と下五の表現が心に刺さる。特選句「水中花きずをちひさくする仕事(小西瞬夏)」」掲句から無言館の絵を修復する光景が目に浮かんだ。画家になる夢の途中で戦死した青年たちが遺した絵に、寄り添う人々のまなざしや息づかいを感受。入選句「黒金魚ことばの眼鏡ふと外す」黒金魚は黒出目金のことだろう。縁の太い老眼鏡をかけ、国語辞典を傍らに作句に没頭している姿を想像し、惹かれた。

三枝みずほ

特選句「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」冷蔵庫にはその人の本性や性格、生活スタイルが出る。いわば自分そのもの。それを他人に見せるという状況、心情にとても興味が湧いた。そもそも「さあどうぞ」と他人に開けるだろうか。何とも真夏の夜の不思議だ。

谷  孝江

佳い句たくさん見せていただきありがとうございました。どの句特選となると難しいです。十句どれもみんな私の中では特選です。「元二等兵コトシモ空蝉のゴトシ(若森京子)」昭和を生きてきた者には八月は一年の中では特別な月です。コトシモ空蝉のゴトシは心痛みます。決して空蝉なんじゃありません。黙していらっしゃるのです。「牛を売り夏の終りのハーモニカ」も好きです。淋しさを人前に見せないで一人ハーモニカを吹いていらっしゃる姿が見えてきます。心の内も感じ取れる良い句だと思いました。九月もたくさんの佳句に出合えるのを楽しみにしています。

榎本 祐子

特選句「七月の琥珀透けたる翅音かな」梅雨が明け黒南風から白南風に、盛夏となる七月の空気感の表現が素敵です。

男波 弘志

特選句「私ならいいです蚯蚓鳴いてます」ここにある、いいです、は拒絶ではない。ありのままの謂だろう。「整える必要はない蠍座よ(河野志保)」不定形なものは自然界にはない。ありのままに一切がある。

島田 章平

特選句「脳に書く逃げ惑った夏更級郷」長野県更級郷。古くは「満濃開拓団」の村。おそらく多くの家族が大陸に渡り、またその内の多くが苦難の末に帰国を果たしたであろう。生き別れの家族、死別の家族、傷言えぬままに過ごした75年。帰国後、必死に耕した開拓の地も今は過疎化の波にのまれ、空き家ばかり。鮮やかな色で蘇るのは、亡くなった家族の事ばかりだろう。

石井 はな

特選句「向日葵に引き金を引く二十歳の音」夏の象徴のような向日葵に引き金を引く。それも二十歳の若者が。若者の鬱屈した気分とそれを囲む眩しい世界。70年代の映画を思わせます。

田中 怜子

特選句は、やはり8月として「蜩や遺影の兵士まだこども」今後の見通し、展望もなく妙な精神主義で、若者の命を無駄にした軍上層部に対する憤りがある。片道切符で戦場に行かせ、兵器を担ぐためにはある程度の体重がないといけないのに、また知的に4、5歳くらいの青年を兵士に駆り出したり、無茶苦茶。そして責任をおわない軍に対して怒り心頭です。でも、プロパガンダと愛国心等で国民も賛同していたんですよね。この句は静かな批判です。蜩の透明な鳴き声が心にしみいります。「腰幅で花野漕ぐ柔らかき背(十河宣洋)」色っぽいですね。「鶏頭のでこぼこ坊主頭かな」先日外苑前にあるイタリア料理・アクワ・パッツアでとさかと内臓のスープを食べました。とさかの触感、味はないですが、ぷりんぷりんとして、スープの味がとても美味しかったです。それを思い出しました。(内臓は苦手なのですが)「いらん子と言われ育ちぬ葛の花」は胸痛みますね。悩んで自分なりに、自分を肯定できるようになってからの述懐でしょうか? さまざまな気持ちの解消プロセスが見えるようです。「睡蓮咲く庭を残して友が去る(夏谷胡桃)」その家将来が、睡蓮の庭が壊されてしまうのではないか、という心配がわきあがりました。「洗濯屋老いて閉店白芙蓉」洗濯屋という生業が終えることに、子供が継がなかったのかしら、それともコロナ禍で事業がうまくいかなかったのかしら、とにかく老いた善良な一市民の姿が眼に浮かびました。安堵もしているのかしら、と。

新野 祐子

特選句「豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず」九州をはじめとする七月の豪雨、酷かったですね。特に、熊本県では二十四時間降水量が四〇〇ミリを越える所があったなんて、現実とはとても思えませんでした。蟹の赤が悲しく鮮烈です。被災地の一日も早い回復をお祈りします。入選句「こんなにも梅雨空晴れて誰の忌ぞ」人間長く生きてくると、身近なところで天寿、不慮の事故などで亡くなる人が多いものです。誕生日を祝うよりも故人を偲ぶ日の方が増えてくるのは淋しい。入選句「蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席」理屈などいらなくて、蜘蛛の囲に架かった雨粒はほんとうにきれいです。問題句「師は今も戛戛と生きとりかぶと」兜太師のことでしょうね。先生と毒草の「とりかぶと」はマッチするかなと疑問でした。

夏谷 胡桃

特選句「敗戦忌父の褌ひるがえり(竹本 仰)」褌が白旗のようです。うれしい白旗。舅も褌でした。最初びっくりしましたが、パンツは、はかない人でした。特選「月涼しからだの遠きところから」からだの遠きところ。古代からのリズムがずんずんなっていくような、月の夜。体の中に音が鳴ります。ひとつの獣になって。

河田 清峰

特選句「牛を売り夏の終りのハーモニカ」牛を売りが晩夏のハーモニカに効いている。

鈴木 幸江

特選句「パンもハムも薄く炎暑にバス満員」子規の写生論を土台に、独自の俳諧味を加えて進化を遂げた作品として特選に評価した。事物だけの描写句には時代の証拠としての力がある。現代の経済ファーストの社会を見事に表出させている。この私の解釈の背景には、コロナ禍の、あるファミレスでの体験と、東京の妹からの”電車が混んでいて、人に触れないよう注意している”とメールが届いたことが影響している。特選句「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」”あなた”は、夫か妻か。微妙な夫婦関係を上手に口語を活用し捉えた作品として読んだ。必要以上に丁寧な物言いをする時、その人は相手との距離を感じている。わざと使うときは将に嫌味である。何かお腹に溜まっているものがありそうだ。夫婦の間にある溝を感じた。そして、どうぞここから新たな夫婦関係を築いていってくださいと応援したくなった。問題句「熊楠の萃点つるべ落としかな」熊楠は師も評価していた人物。”萃点”は熊楠の造語。物事のことわりが通過して交差する地点のこと。”つるべ落とし”は①急速に日が暮れることで十一月ごろ。②相場が急落すること。③木から落ちてきて人を食べる妖怪の名。と辞書にあった。もう、これだけで問題句だ。とても、大切なメッセージが含まれている予感がするのに、浅学のため、解釈が十分できなくてイライラしてしまった。今回は、人名の含まれた作品が、多く、子規や兜太師も、その人物を捉える表現がとても上手であったことを思い出した。

矢野千代子

特選句「こんなにも梅雨空晴れて誰の忌ぞ」一読して「誰の忌ぞ」があいまいだと思ったのですが、読み手各人が置きたい人を置くのもいい。そう、父母でもいいし、夫でも子供でもいいのでは?特選句「蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席」雨粒は長続きしないのが良い。「意味付けはいらない鰻食べてゐる」おいしければそれだけで満足。「空蝉は忘れられたる羽衣よ」詩人ですね。「牛を売り夏の終りのハーモニカ」牛を売るってどんな心情でしょう。あのうるんだ目を思います。

菅原 春み

特選句「七月の琥珀溶けたる翅音かな」琥珀の溶けるというところが並みの想像力には及ばぬ翅音のように思えた。特選句「八月一五日ただ眼を開き水風呂に(野田信章)」映画のシーンを見るようにただただ映像が迫ってきた。

佐藤 仁美

特選句「さるすべりいまだこのよにゐるわたし」お盆にお墓参りに行くと、百日紅の花が炎天下に鮮やかに咲いています。この世の私と、あの世の方達。鮮明な対比と、すべてひらがなの優しさとが入り交じった、少し寂しさも感じる素敵な作品です。

松岡 早苗

特選句「指切りて血を舐め尽くす新涼や」中七の「血を舐め尽くす」が強烈な印象を与えた。「血」と「新涼」の取り合わせも新鮮だが、身の涼感を舌先で貪欲にむさぼる中七の刺激的な表現に惹かれた。特選句「豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず」一面泥に覆われたモノクロの世界に「赤い蟹」。悪夢のような豪雨禍にあってとても象徴的。自然の脅威へのおののき、うちのめされた絶望感、新たな再生への希望。いろいろなイメージで「赤い蟹」が迫ってくる。豪雨被害、心よりお見舞い申しあげます。

植松 まめ

特選句「青年は永久にほがらにサーフィンを」三浦春馬さん追悼の句です。爽やかでナイーブな素敵な俳優でした。永久にほがらにが故人の個性をよく描いていると思います。特選句「生足で昇る階凌霄花」真夏に咲く凌霄花はつる性で橙色の大きな花をつけます。高校時代に進路に迷ったころ何気なく見上げた凌霄花に力を貰ったことがありました。生足を裸足と理解しましたが、どうでしょうか?  (自己紹介)七月の「海程香川」の句会に何の知識も無く顔を出し今までの句会では出会ったことのない種類の俳句を拝見しカルチャーショックを受けました。皆さんについて行けるかどうか不安でありますが、野﨑代表をはじめ先輩の皆様よろしくお願いいたします。

竹本  仰

特選句「七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす」七十五年目の戦後、作者はその敗戦日の年の生まれでしょうか。だとしたら、「潮枯れ」の「潮」に格別な響きが出てきます。あの超過密の保育園から学校と、団塊の世代が延々とつづいた戦後の日本の、その「潮」の体内音を聴くように感じられるからです。そしてまた、「潮枯れ」には自分の親の世代へ重なってゆく老いの自覚も感じられ、帰るべきところに来たという感懐もあるように思えます。それが背泳ぎの海というところから、いつも何かに支えられてきたという、生きものの持つ体感がとても迫って感じられます。 特選句「月涼しからだの遠きところから」からだの遠いところって何処だ?そういう遊びとも策略ともとれる隔靴掻痒の感が、魅力ある句だなと。「月涼し」には何か乾いた或るさとりみたいな、そうですね、沙羅の花のような感じがしますし、それがからだの遠い辺境から来ているとなると、すごく面白い。しかも、あなたはどうです?という問いかけに遭ったような、面映ゆい距離感を感じます。小生の場合は、その遠いところを探したら、左足の薬指の爪かなとひとりごち、まあ、いつもいい加減な扱いをしてすいません、というか。そんな童話風のつづきをもたらしてくれたのが、ありがたい句だなと思った次第です。

荒井まり子

特選句「八月一五日ただ眼を開き水風呂に」八月は敗戦の月。団塊の世代とはいえ、戦後の無い無い尽くしは今も記憶にある。今年はコロナも重なり特別のスペシャルになった。本土空襲、広島、長崎と被災された方々にとって、中七が恐怖の一瞬皆同じだったろうと。昭和は長過ぎた。新しい暮し等ついていけない。年寄りの僻みだろか。

野口思づゑ

特選句「八月の真白き紙に感電す」原爆忌、終戦記念日と八月は心を新たにする月であり、それは真白い紙なのかもしれない。その上今年はコロナ人災の特別な年に自然災害も加わり、大きな衝撃の月となっている。それを「感電す」で体感も加え巧みに表していると感心しました。「凹凸と育つ夫婦の晩夏光(中野佑海)」:「育つ」が面白い。仲の良いご夫婦なのでしょう。「蜩や遺影の兵士まだこども」遺影の兵士はどの写真も悲しいものですが、それがまだ幼さの残った顔ですと尚更です。「信号の黄色見ている終戦忌」この信号だけは奇跡的に黄色から青になってもらいたいと心から願う。

稲   暁

特選句「心音の表裏を濡らし髪洗う」酷暑の日の洗髪の感覚が大胆な言葉遣いで表現されていて感心した。とても意欲的な作品だと思う。問題句「頬紅を少し濃くして今朝の秋」本格的な秋の到来を待つ心が「頬紅を少し濃くして」に表れていて共感するが、今年は「今朝の秋」を感じる日はまだないように思われる。

高橋 晴子

特選句「蜩や遺影の兵士まだこども」遺影は年をとらない。自分がだんだん年をとっていくにつれ、遺影の兵士の若さが胸に迫る。?まだこども〟とつき放した言い方に、戦争へ追いやった人達への怒りがこみあげる。蜩が胸に沁みる。

漆原 義典

特選を「鶏頭のでこぼこ坊主頭かな」とします。盆の墓参りでお花を持ち参りました。盆の花には鶏頭の花が入っていますが、今まで鶏頭の花をそんなに注意して見ていませんでした。でこぼこ坊主頭と表現した作者の鋭い観察力に関心しました。私もこれからは花達を注意深く見るように心掛けたいと思います。素晴らしい句をありがとうございました。

吉田 和恵

特選句「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」さあどうぞ。よく冷えた私の中身。それとも、この中に入ってごらんになります?猛暑にひと時の安らぎ?

高木 水志

特選句「私ならいいです蚯蚓鳴いてます」いつも控えめな人のセリフに「蚯蚓鳴く」を取り合わせたことで、なんとなく幸せな響きになっている。

藤田 乙女

特選句「雑踏の刹那に君を夏の蝶」雑踏の中に一瞬君を見たのでしょうか?その姿はすぐに蝶のように軽やかにいなくなってしまったのでしょうか?それは本当の姿?それとも幻?いや雑踏の中の君に蝶がひらひらと近づいてきたのでしょうか?そう思えたのでしょうか?いろいろ想像するのですが、いずれにしても儚いけれど思い続ける愛を感じて惹かれる句です。特選句「稲光る卑弥呼の葬列丘越えて」目の前に広がる夏の太陽の光を浴びた日本人の食を支える稲穂、それと稲作の農耕文化を発展させた卑弥呼を取り合わせることで、とても壮大で古代へのロマンを駆り立てられる句だと思いました。

亀山祐美子

特選句「八月の真白き紙に感電す」年々暑くなる夏。今年は今までになくクーラーを使っている。暑さから命を守る行動を促す気象予報士。地球が病んでいる。そんな異常な八月の白紙に向かう。言葉もなくその白さに打ちのめされる。否。何故どのような言葉で空白を埋めようとしたのかさえ忘れてしまっている恐怖に打ちのめされ茫然自失の私がいる。己を覗き込む佳句。特選句「向日葵に満天の星地球病む(高橋晴子)」暑さに加えコロナ騒動。否。コロナ騒動に加わる暑さと言うべきか。向日葵や星はいつもと同じ時を刻むのに地球に棲む(寄生する)人間だけが病むと嘆く人間の傲慢さの極致。自然の脅威。生物兵器説が正しければ自業自得か…。来年の夏まで生きていられるのか不安が過る。恐怖と願望入り混じる佳句。

小宮 豊和

「敗戦忌父の褌ひるがえり」敗戦忌 戦争に負けてもまいっていない心意気。「いらん子と言はれ育ちぬ葛の花」この時点で多すぎる兄弟姉妹。一人だけ言われることと考えられない。それぞれがコンプレックスをかかえ克服していったのだろう。「目を瞑って夏草は疾走していた」目をつむって疾走する夏草、現実に無く、起こり得ないことを、実感をもって感じることは俳句であればこそ。

松本美智子

特選句「稲妻や腎の石をも打ち砕く」職場の同僚が人間ドックで腎臓結石が見つかり その治療法をめぐる話を聞いたばかりでしたのでこの句を詠んだ時それこそ‘稲妻‘が光りました。「体外衝撃波砕石術」だそうです。どんな衝撃波が結石をくだくのでしょうか。それとも雷様はおへそをねらっているのでしょうか。

野﨑 憲子

特選句「なほのこと道化てみせる今朝の秋」コロナ禍の中新しい日常の模索が続いています。こういう時代だからこそ日常を楽しく過ごしたいもの。道化役はますます大切になってまいります。季語<今朝の秋>の斡旋がお見事です。問題句「西から縮み子午線上で消える」一読、風の事を詠んでいると感じました。何だか全く分からないところにも惹かれます。自句自解「熊楠の萃点つるべ落としかな」南方熊楠は、明治時代の博物学者、民俗学者でもあり特に粘菌の研究で知られています。神社合祀反対運動をして和歌山県の鎮守の森を命がけで守ったことでも有名です。左記の曼荼羅図は、若き頃の熊楠が大学を中退(正岡子規と同級生でした)しロンドンに渡った時に知り合った、十四歳年上の土宜法(どきほう)龍(りゅう)(のちに真言宗高野山官長)との往復書簡の中にあります。いくつかの自然原理が必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることの出来る萃点が存在すると考えました。図中にも点がいくつか見られますが、秋の夕陽が真っ直ぐに落ちていくの見ていて掲句が浮かびました。句会も、ある意味では萃点だと強く感じるこの頃です。

9月12日(土)午後1時30分から3時迄、サンクリスタル高松3階視聴覚ホールにて開催の「菊池寛記念館文芸講座」の中で話をさせていただきます。テーマは「始原の俳句 兜太・芭蕉そして空海について」です。<萃点>についても、ご来場の方々と考えて行きたいと思います。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

ストレッチ
浜木綿の朝(あした)は雨のストレッチ
野﨑 憲子
ストレッチして遠くの空までゆく
三枝みずほ
夫を呼ぶ腓返りのストレッチ
鈴木 幸江
ターザンで心新たにストレッチ
島田 章平
もういいかいもういいよとストレッチ
田口  浩
寝待月しらずしらずのストレッチ
柴田 清子
暑気
どうにでもなることならぬこと大暑
柴田 清子
一挺のバイオリン暑さに遠くいる
田口  浩
抱っこしてスマホ操る母暑し
島田 章平
暑気なんてなんて優しい人だろう
鈴木 幸江
猛暑かな右へ曲れば燧灘
野﨑 憲子
ターザン
爽やかやターザン知らぬ人とゐる
柴田 清子
銀漢を渡るターザン募集中
中野 佑海
ターザンの押す蓴菜舟である
田口  浩
寝落つ間にターザン去りぬ晩夏光
藤川 宏樹
モディリアーニの少女雨傘を出して秋
田口  浩
私には聞こえる秋の声雨に
柴田 清子
ほめてみるこころみ夫へ夏の雨
藤川 宏樹
雨女連れて今さら月涼し
中野 佑海
傘に八月雨雨雨雨雨が降る
野﨑 憲子
自由題
自由とは酸っぱいものよ冷奴
島田 章平
胸中に夕日其の他はねこじゃらし
田口  浩
問題は易きとこから蚯蚓鳴く
藤川 宏樹
自由とは色なき風のことを言ふ
柴田 清子
時と息止まる炎暑の交差点
中野 佑海
日本は化石賞とやなめくじら
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

【通信欄】第2回「海原金子兜太賞」に本句会の三枝みずほさんの作品が選ばれました。参加者一同の大きな励みになりました。おめでとうございます!!

【句会メモ】8月もサンポートホール7階の和室での句会を開催しました。やはり生の句会は最高に楽しいです。事前投句も袋回し句会もブログには一部しか掲載できず 残念です。現在、11月刊行予定の「海程香川」発足10周年 記念アンソロジーの編集に入っています。多様性と魅力溢れる作品や文章にワクワクしながらの作業です。皆さまのお手元にお届けする日を楽しみに頑張ります。

2020年7月26日 (日)

第108回「海程香川」句会(2020.07.18)

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事前投句参加者の一句

                     
掴む蹴る嬰児(やや)遊泳の宇宙なう 藤川 宏樹
祭りだ祭りだ亀亀エブリバデイ 島田 章平
提灯の火がぬめる褥(しとね)の沼 中村 セミ
ホームレス耐え難きを耐え崩れ落ち 田中アパート
竹落葉パントマイムのとめどなく 稲葉 千尋
ケンタッキーおじさん笑まふ梅雨の晴 野澤 隆夫
昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ 月野ぽぽな
舟虫群れる星占いを糧として 森本由美子
引っ越しにリヤカー借りる青蛙 増田 天志
ノースリーブに刺青がちらり漣す 滝澤 泰斗
ウイルスに悲鳴をあげて梅雨の魚 豊原 清明
一日の空白にゐて冷奴 小西 瞬夏
最初はグー後の人生七変化 寺町志津子
土砂降りの七夕の夜半徘徊す 石井 はな
田水もろていま青蛙生まれたよ 河田 清峰
沼島(ぬしま)よりポルカのリズム梅雨入りす 矢野千代子
父の背は鹹かった日韓の海つづく 若森 京子
意味求める辛い朝ですトマト切る 竹本  仰
母の遺影また笑ってら宵涼し 銀   次
まんのうと何度も言って青田風 松本 勇二
人恋うれば遠のいて行く霹靂神(はたたがみ) 小山やす子
一心に蝉木に語る心を語る 野口思づゑ
深々と逆さに落ちて梅雨の底 稲   暁
まだ過去の鏡見ている半夏生 藤田 乙女
あわあわと梅雨の昼月訃が届く 榎本 祐子
けじめつけにきてががんぼみて帰る 桂  凜火
夏の朝遠くに人を待たせたり 柴田 清子
描いてゆく青葉に呼吸合わせつつ 三枝みずほ
考(ちち)の声夜店覗けばよみがえる 新野 祐子
葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな 野田 信章
梅雨空に俯く人のブーメラン 高木 水志
病みもせず静かに逝きし雲の峰 佐藤 仁美
太古より放蕩の血筋トマト熟む 十河 宣洋
父と娘の隙間ギャグ程に遠雷 中野 佑海
麦秋や県道を行くコンバイン 松本美智子
誰も存(い)ず光の縞柄とんぼ池 増田 暁子
ふるさとの風の重さよ栗の花 高橋美弥子
相棒って何向日葵のことですか 谷  孝江
卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり 大西 健司
止まり木に老人の影砂時計 田口  浩
光ギヤマンに屈折す沖縄忌 伊藤  幸
郭公がポトリ落とした喉仏 吉田 和恵
夏痩の妻の残せし甘飯(うまいい)ぞ 鈴木 幸江
一湾をさらりと舐めし夕立かな 松岡 早苗
オンライン夏休みは象見るんだ 夏谷 胡桃
青葡萄眠り足りない日の愛し 荒井まり子
水中花になつてしまふまでの雨 亀山祐美子
大雨や金魚に酸素欠乏す 菅原 春み
教わった通りに螢殺めおり 男波 弘志
ひそやかに白い夜明けを稲の花 小宮 豊和
雨蛙ぴょんと跳ねたり潦 田中 怜子
百足虫出た世界大戦重戦車 漆原 義典
コロナざれて無職省略的な居間 久保 智恵
せんせいの言の葉いちまい雨に濡れて 佐孝 石画
どくだみをたどって過去に行ける道 河野 志保
友の忌やベンチで食らう柏餅 重松 敬子
躁と鬱もみくちゃにして髪洗う 伏   兎
荒梅雨の夜や海底にゐる如し 高橋 晴子
少し猫背のかの花火師は風の王 野﨑 憲子

句会の窓

大西 健司

特選句「止まり木に老人の影砂時計」実に地味で静かな句。そして無季。コロナ渦のなかかろうじて開けていた、地方都市のスナックの仄暗さを思う。ポツンといる老人の侘しさが沁みてくる。砂時計が侘しさをなおつのらせる。隣の「傘持たぬ親子三人工場街」こちらもよく似て地味で侘しくて無季。気にかかる句。「織姫は銀河の戦士ミルフィーユ」ゲームのキャラクターのよう、昭和の侘しさと対極。「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」引っ越しに「に」にこだわった。

十河 宣洋

特選句「梅雨の日曜母という名の潮騒(中野佑海)」潮騒の心地良さに浸っている。鬱陶しい梅雨。その日曜日、お母さんと一緒に過ごしている。時々出るお母さんの小言も潮騒のように心地いい。 特選句「提灯の火がぬめる褥の沼」褥の沼の取りようで句意が変りそうである。褥のような沼と取ると沼の広がりとそこに映る提灯の明りが作り出す夜の風景が見えてくる。褥が沼のようだと読むと、この句は急に色っぽいあやしい光を作り出す。どう読むかは、読み手の感性である。私は後者。 問題句「郭公がポトリ落した喉仏」郭公と喉仏の関係の意味が取れない。飛躍しすぎていないだろうか。

小西 瞬夏

特選句「トルソーの全き容夏の空(男波弘志)」手足のないトルソーが全き容であるという真理。頭をガーンと殴られた思いがした。足りないものについ目がいってしまうが、そうではなくてその存在そのものが完全で、すべてであるのだ。夏の空がひろびろと、この真理の大きさを受け止めている。

増田 天志

特選句「少し猫背のかの花火師は風の王」スト―リ―展開が、素晴らしい。老成の花火師は、風を読む。

藤川 宏樹

特選句「けじめつけにきてががんぼみて帰る」用事を果たせずに帰ってくる日常のなんでもなくてありそうなことを、うまく言いえているなぁと感心しました。

森本由美子

特選句「描いてゆく青葉に呼吸合わせつつ」いまのカオテックともいえる日々の中で、青葉に心を託すひとときに救いを感じた。作者にとって描くとは瞑想することなのだろう。特選句「教わったとおりに蛍殺めおり」誰の心にも潜む弱者への無意識な殺意を巧みにとらえ一行詩としている。問題句「俳人は廃人なるや青芒(小宮豊和)」直感で詠んでいるのか、長い俳人生活の末に行き着いた想いなのか。

島田 章平

特選句「まだ過去の鏡見ている半夏生」烏柄杓の生える頃、まだ梅雨はあけず、じとじと暗い日が続きます。今年の様にコロナ禍に水害が重なるとやりきれません。私達が見ているのはいつも過去の鏡。未来を変えるのは今だと言う事に気が付かなければ。

松岡 早苗

特選句「昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ」:「肺」という即物的な表現が印象的で、ニセアカシアとの取り合わせもおもしろいと思いました。肺胞のようにぶら下がった白い花房の芳香が、昼下がりのけだるい空間を埋めていくようです。特選句「意味求める辛い朝ですトマト切る」:「三角関数勉強して何になるの?」「どうして学校に行かないといけないの?」与えられた価値観に反発したくなるやっかいな思春期。大人になるためにもがいている子どもに、親は黙ってご飯をつくるしかない。もう戻りたくもないし戻れもしないきらきらした思春期を思い出しました。問題句「不知火海五月牡蠣立ち食いのいのちかな(野田信章)」:「不知火海五月」という力強く勢いのある表現から、「いのちかな」へと一気に流れるリズムが、初夏の命のきらめきを見事に表現。佳句と思いながらも、「牡蠣」のもつ冬のイメージが邪魔をして、結局選びませんでした。頭が固いステレオタイプな自分自身への問題提起です。

松本 勇二

特選句「郭公がポトリ落とした喉仏」虚構ながら喉仏に存在感がありました。

滝澤 泰斗

特選句「号令はイヤ万緑の風が鳴る(三枝みずほ)」今月のナンバーワンの一句に選びました。一読した時の印象では、上五にやや引っ掛かりながらも、万緑の風が鳴るで、即、選びました。それは、私の心の中に「風が吹いたから」でした。バルト三国の一番北の国エストニアの第二の国歌と言われている「平和の子守歌」があります。その中の詩に・・・風が吹いている 私のこころの中に・・・ という、歌詞があります。一九八九年ソビエトからバルト三国は独立を果たしていきます。大きなうねりになったのは、三国2百万の人々はヴィリニウスからタリンまで手を繋いで「人間の鎖」を作り、ソビエトの圧政に抗議し、血を流すことなく、三国ともに独立を果たしました。歌による独立を成し遂げ、世界から称賛されました。その歌の冒頭に くらい闇の向こうから あの日見知らぬやつやってきて 美しい祖国悲しみに震え 寒い冬の時代乗り越えて と、付きます。そして、号令はイヤ に納得しました。昨今の香港の姿を見ると、余計にこの句が身に染みました。みんな何よりも、自由が欲しいのです。師も言いました。俳諧自由と・・・もう一つの特選は迷いに迷って「躁と鬱もみくちゃにして髪洗う」対峙の句は「掴む蹴る嬰児(やや)遊泳の宇宙なう」甲乙つけがたし、髪洗うの季語で、まさにかみ一重・・・でも正直に言いますと、前者は実感できるが、後者はできない差とでも言おうか・・・ともに、見事な句で感心しました。後者の なう は、変化球でいう手元ですっと抜ける感じが絶妙でした。「一日の空白にゐて冷奴」空白にゐて は、一日の中でたまたま何もしない時間ができたのか、丸一日、何も予定がないのかと、いろいろ考えたが、カレンダーに何の予定の書き込みがない一日の空白が豆腐の白とを勝手に重ねて詠みました。「トルソーの全き容夏の空」夏の空に立ち上がる積乱雲。その積乱雲が青い空の部分をトルソに見立てた。あるいは、雲の形状そのものがトルソになったか。スケールの大きな句になりました。「山の田の太陽を踏み水すまし」小さな昆虫を題材にして、大きな句にしました。感心しきり・・・「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」年齢のギャップ、男と女のギャップ、駄洒落や笑いのツボなどギャップが雷の光と音のズレを生じているように、微妙にずれる感覚を上手に切り取りました。「光ギヤマンに屈折す沖縄忌」爆撃、銃撃、火炎放射器など銃器が発する光はいびつなガラスを通して屈折するように、記憶はストレートでありながら、認められない心情で屈折する。あんなに痛めつけられた沖縄に基地がある限り、戦後は終わっていないし、いわんや、屈折をや・・・「茣蓙で寝る浜の番屋や夏の月」出来すぎなほど美しい光景が想像できました。十七音の力を感じました。「人消えて青空群れている夏野」満蒙青少年義勇兵で、シベリア抑留を経験された熊本の画家・宮崎静夫さんの絵を思わせる句。死者の霊や面影が空一面を覆う。あの、喜怒哀楽を共にした兵はもとより、親兄弟も今はいないな寂しき夏野。

若森 京子

特選句「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」父と娘の関係を上手にまとめている。親父ギャグもあり‶遠雷〟の措辞が微妙な関係を想像させる。特選句「卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり」八月が近づくとヒロシマの句が多く見られるが、‶俯瞰してみるヒロシマ〟次第に遠のいていく様にも思うが、‶卵生の夏〟の季語により、又リアルに我々に近づく様に思う。 

小山やす子

特選句「水中花になつてしまふまでの雨」九州初め全国の異常気象は私達を恐怖に陥れました。表現が詩的だと思いました。

高木 水志

特選句「相棒って何向日葵のことですか」話し言葉が詩的になっていると思う。思いつけそうで思いつかない。

中野 佑海

特選句「祭りだ祭りだ亀亀エブリバデイ」この異様な明るさは最早神掛かっているとしか考えられません。このノリでこの難局を乗り切って頂ければよろしいんではないでしょうか。 特選句「一日の空白にゐて冷奴」またこの白々とした静寂。まるでお茶をたてて喫しているかのような落ち着き。たった一皿の豆腐を食すという行為にもそれに集中する為の儀式があるかのように。 「成吉思汗メニューのなかに素麦飯」ジンギスカン料理は、羊の肉という、好悪の分かれるこのにおい。付けられるたれの味も羊の肉の個性に負けない突込みでこの上ご飯が肉とたれの個性をやん わり受け止める白米ではなく、負けじ魂満載の麦飯とは。果たして、私の胃袋はこの戦いに終止符を打つことができるのか。「麦茶炊く休校明けて空青く」麦茶の匂いは暑い夏空。それなのに近頃 の空は心張棒が抜けている。「ゆうやけこやけそれから僕らのホームタウン(増田暁子)」夕焼け小焼けが殊更良く似合うのが僕の生まれた町なのさ。って、浪花節だよ人生は。「一心に蝉木に語る心を語る」 自分の悩みを聞いて欲しくて、やっと土から這い上がって来ただなんて、そんな時間勿体なくないのか?大空を駆け巡ってそんな悩みは落っことしておいでよ。「まだ過去の鏡見ている半夏生」も う今年も半分すぎた。でもなお気になる過去を引きずっている。気が長いね。よく覚えていられるね。「水中花になってしまうまでの雨」この雨は地上を皆花に変えてしまうんです。ちょっと後ろ めたい心も。「不知火五月牡蠣立ち食いのいのちかな」昔はたくさんの牡蠣を惜しげもなくバクバク食べていた。不知火の海の汚染された海の今はどうなのか。命はそれでもなお続き、世界は美し い。「コロナざれて無職省略的な居間」ココロナウイルス禍で職もなくなり、どこにも行くところも買うことも無くなり、人との交わりも少なくなり、部屋の中もどんどん無機質になっていく。今 月もコロナ感染者の増加は一向に止まらず。どんな世界になっていくのかな?取り敢えずマスクです。

稲葉 千尋

特選句「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」こんな楽しい句をいただき嬉しいです。青蛙だから生きている。そして、リヤカーのなつかしさ、情景が見えます。「太古より放蕩の血筋トマト熟む」特選にしたかったが、「熟む」が「食む」だったら特選。

寺町志津子

特選句「孝の声夜店覗けばよみがえる」一読、父への思いがこみ上げてきた。子どもの頃、父が毎年必ず連れて行ってくれるお祭りがあった。郷里広島の三大祭りの一つである「とうかさん」。毎年六月の第一金曜日の夜から三日間、市の中心部にある日蓮宗「園隆寺」稲荷大明神のお祭りで(稲荷を「とうか」と音読み)、市の中央通りが歩行者天国となり、夜店がぎっしりと建ち並んだ。また、「とうかさん」は別名「浴衣祭り」とも言い、広島ではこの日から浴衣を着始める風習がある。父共々母手縫いの浴衣を着て、父と手をつなぎ覗いた電灯のついた夜店の数々。日頃超多忙な父とのひとときは無上に嬉しく、「海ほおずき」を買って貰えることも楽しみであった。揚句を一読して蘇った父との思い出。若き日の父の声が鮮やかに耳元に。私と同様の経験、思いを抱かれている作者、俳句の力に共感と感謝の思いでいる。

桂  凜火

特選句「騙し絵のそこは肉筆さくらんぼ(伏兎)」どうして「そこは肉筆」なんだろうという疑問がこの騙し絵をリアルなものにしていて、しかも「さくらんぼ」ですから騙されてもいいという気分になります。特選句「相棒って何向日葵のことですか」怒っていますね。でも怒り方がやさしい向日葵のことですかなんて問いかけられたら素敵ですね。ユーモラスでかわいい問いかけがすきでした。

夏谷 胡桃

特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」友の墓に柏餅を持っていったのかしら。いま、お墓に食べ物置いて行ってはだめなので、持ち帰りベンチで食らいつく。友は死に自分は腹が減る。腹が減るのが生きるということ。俺はどこまでも生きてやる、とは言ってないけど、死と生の景色が見えました。

佐藤 仁美

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」いつも笑っている、明るいお母様だったのでしょう。「また笑ってら」が、楽しい思い出と、亡くなってしまった寂しさ悔しさと、複雑な気持ちを現していて、心にじいんと届きました。特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」幼い時に庭のドクダミを見て、近寄りがたかった感覚を思い出しました。生け垣の下、少し暗い所にたくさん生えていたドクダミ。その奥に入れば、過去に戻れるんじゃないか…。「たどって」が味わい深いです。

佐孝 石画

特選句「描いてゆく青葉に呼吸合せつつ」滅入ることも多い日々の暮らしから少し脇道へと足を踏み入れた時の1シーン。ふと見上げるとまばゆい「青葉」。葉裏に日の光を透過し、あたかもしばらく会っていなかった幼年時代の友のはずんだ話し声のように、まなうらを光のベールが包む。ふたたび眼を開き、光を辿り葉を辿り、そのまばゆさを追いかける。そして「呼吸」を胸の内の鈍色のキャンバスに「描いてゆく」。僕もかつて「葉脈のせせらぎに沿い午後の空想」という句を作った。木を葉を下から見上げるという行為は、もしかしたら木々の内部(胎内)から空を見上げる密やかな祈りの光景なのかもしれない。特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」この句については語るべき言葉が見つからない。THE俳句。以下はこちらの蛇足である。友の忌」と「柏餅」、そして「ベンチで食らう」という行為が並べられているだけで圧倒的臨場感を読み手にもたらす。俳句は叙述ではないということを、一本の俳句で証明してくれているかのようだ。あえてこの句のニュアンスについて述べると、「柏餅」や「ベンチ」のもつ日常浮遊感と、「友の忌」に対する作者の違和感との親和がもたらした心象風景。「柏餅」は青々とした葉で真白い餅を包むが、その葉自体は食用ではなくただの装飾、香りづけでしかない。ただ、その素朴な風貌に対し、手にした時のその重量感、存在感は口にすることをややためらうほどの緊張感をもたらす。そんな違和感覚と友の死をまだ受け入れきれていない作者の心情が結び合う。公園のベンチで「食らう」のは「餅」でもあり「友」でもあり、友と過ごした日々の感触を忘れはじめているもう一人の「わたし」なのかもしれない。

増田 暁子

特選句「一湾をさらりと舐めし夕立かな」大きな景の句で、中5の舐めしがとても良いと思います。夕焼けが綺麗です。特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」むかし共と一緒に食べた柏餅、子供の頃の思い出でしょうか。二人の顔が見えるようです。

田中 怜子

特選句「田水もろていま青蛙生まれたよ」とおしむ気持ちが伝わるのと、田んぼにいる小さな生き物への優しさが伝わってくるすがすがしいところがいいです。うらやましいですね。

河田 清峰

特選句「病みもせず静かに逝きし雲の峰」こうありたいものだなあと思う。

高橋美弥子

特選句「ひそやかに白い夜明けを稲の花」稲の花がよく描けていると思いました。夜明け「を」としたところ、助詞の使い方がお上手と思います。問題句 「不知火海五月牡蠣立ち食いのいのちかな」調べがブツブツと切れているのですこしわかりにくい。「不知火」だけで季語になるのだが、あえて不知火海と書いて「しらぬい」と読ませる意図はどこにあったのでしょうか。

矢野千代子

特選句「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」リヤカーとはなつかしい。身近な運搬手段ですもの。「梅雨寒や競馬新聞丸められ」リアルな景です。「けじめつけにきてががんぼみて帰る」何気ない景ですが、焦点が合っていますね。「葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな」五月蠅がよく合っています。「麦秋や県道を行くコンバイン」県道もいろいろです。「郭公がポトリ落とした喉仏」カッコーの声が聞こえそう。「夏痩の妻の残せし甘飯(うまいい)ぞ」夏痩の奥さまへの何よりの一句。「白靴より砂の零るる独語かな」独語がすてきです。「不知火(しらぬい)五月牡蠣立ち食いのいのちかな」‶いのち〟の重さー。

谷  孝江

特選句「教わった通りに螢殺めおり」私の幼なかった頃はたくさんの螢が夜のくらがりの中でそれこそ乱舞していました。何匹かの螢を捕まえて戻り、それを蚊帳の上へ放ち眠ったものです。朝見ると捕まえてきた螢は全部死んでいました。可哀想と思いながらも度々同じことを繰り返していたものです。教わった遠りに捕まえてきて死なせていたのですね。遠い昔に心が痛みます。

鈴木 幸江

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」我が家も仏間に亡き義父母、亡父、そして、師の写真を並べている。しかし、微笑んでいるのは義母のみ。きっと、素敵な笑顔のお写真なのだろう。ぶっきら棒は、物言いにお互いの深い愛情が滲み出ている。宵の涼しさにホッとするほど、日中は暑かったのだ。自然現象と日常の人間関係が溶け合い、そして、愛の世界が浮き彫りになった。特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」心理学では、睡眠を取らない状況を人為的につくり、脳と精神にどのような影響を与えるかという実験が行われている。すると、幻覚、幻聴、精神の病を起こすそうだ。私も睡眠の大切さは身に染みていて、刺激の強すぎる環境は避けて暮らしているのだが、ふと、眠れない夜がある。でも、この頃は、それも味わい深い“いのち”の声として受け止めることができるようになった。作者はそのような心情を“青葡萄”の瑞々しさと香りを味わうように過ごしているのだ。焦りのない素敵な時間が流れている。これからも、このようなゆったりとした心で過ごされることを願わずにはいられない。問題句評「卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり」まず、“卵生の夏”の措辞に感心した。創造性たっぷり。かつ、三鬼の名句も浮かんでくる。詩的世界の持つ融合の妙が新しい世界を生む可能性を感受させてくれている。卵で生まれてくるという飛躍感。ヒロシマ(原爆体験)に人間の愚かさへの確信をみる。卵から“俯瞰”を鳥の視線と解釈させ、コロナ禍に反省を迫られている人類の今に繋がる。“俯瞰”からは、AIの存在も浮かんでくる。かなり、独断的な感想と思うので問題句にさせていただいた。✓した句:「まだ過去の鏡みている半夏生」「郭公がポトリと落とした喉仏」「人消えて青空群れてる夏野」「教わった通りに螢殺めおり」「夏帽子頷くたびに夕触れる」「茗荷の子あの人の嘘忘れなむ」

榎本 祐子

特選句「少し猫背のかの花火師は風の王」猫背、花火師という物語性。そして実は風の王であるという。この展開が面白くてワクワクする。

伊藤  幸

特選句「葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな」葬後の森というからには火葬後と思われる。親族を火葬場で見送り、ふと森に目をやると蠅が群がっていた。いつもなら不快に感じるのであるが、今日はやけにあの蠅の手足でさえも愛おしい。作者の愛する親族を失ったやりきれない寂しさが伝わってくる。

菅原 春み

特選句「一切を呑む大落下大瀑布(田口 浩)」大瀑布のダイナミックさが無駄のないことばで詠まれていて感激です。那智の滝を思い出しました。特選句「白靴より砂の零るる独語かな(小西瞬夏)」砂浜か砂丘を歩いている老人の独語だろうか、景色が見えるようです。

野口思づゑ

特選句「最初はグー後の人生七変化」誰かの言葉に、生まれる時は誰も皆同じ・・・とありましたがそれを最初はグーと上五に置き、その後の様々な人生を、土で色が違う紫陽花で表した、季語が巧みに使われた句だと感心。特選句「けじめつけに来てががんぼみて帰る」相手に決着をつけるつもりだったのにふっとそれほどの相手でないと気持ちの整理がついたのか、自分が独り相撲を取っていたのであってたいしたことはないと知ったのか、そんな拍子抜けしたような気持ちがががんぼでよく表現されていると思った。

野澤 隆夫

特選句「ノースリーブに刺青がちらり漣す」夏真っ只中の若い人、やはり女の人を想像します。漣が効いてます。もう一つ。特選句「沼島よりポルカのリズム梅雨入りす」おのころ島からポルカに乗って梅雨入りの発想が面白い!

吉田 和恵

特選句「梅雨寒や競馬新聞丸められ(大西健司)」競馬やイギリス貴族の趣向で始まったと言われますが、ギャンブルの魔力は仲々のもののようで、丸められた競馬新聞はどこか哀しい。一方,往年の裕ちゃんファン。「裕次郎(ゆう)ちゃんの声かと白いハンカチを」の白いハンカチはかわゆくて可笑しい。

石井 はな

特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」どくだみは子供の頃から身近にありました。その香りは独特で印象的です。香りは記憶を刺激して過去への道に誘ってくれます。どくだみに導かれて過去への道を見つけたのですね。

月野ぽぽな

特選句「ノースリーブに刺青がちらり漣す」ノースリーブにちらり、ということは、しっかりと見えているのではなく、その人の腕や首筋が動くと辛うじて見える微妙な位置に刺青があるのだろうか。健康的にエロスが適度な私情を持って描かれ気持ち良い。

三枝みずほ

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」日が暮れて風が通るころふと母を感じる。人が持っている明るい哀愁に胸を打つ。問題句「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」"ギャグ程に遠雷"が表現方法としてどうなのか。だがこの表現方法が面白かった。父と娘の隙間だからこそギャグ程にが活きてくるのだろう。

漆原 義典

特選句「郭公がポトリ落とした喉仏」私の家の近くでも郭公がよく鳴きます。郭公の鳴き声の威勢の良さ天真爛漫さに、いつも元気をもらっています。中7下5のポトリ落とした喉仏は情景を大変良く表現していると思います。ちょっととぼけた表現に作者の観察力の鋭さが感じ取れます。素晴らしい句をありがとうございました。

中村 セミ

特選句「トルソーの全き容夏の空」トルソーは、頭や手足のない胴体だけの彫像(マネキンで胴体だけのもの)。それが店先で服を着ていたり、そのままだったり、置いてあったりするが、夏の空の下で夏と一体となって過ごしているように思う。全き容が、いいたい事だろうと思うし、ここが不思議な感じがして面白い

亀山祐美子

特選句『まだ過去の鏡見ている半夏生』『どくだみをたどって過去に行ける道』二句とも「過去」を懐かしむ。過去があって今がある。当たり前だが、人生の後半に来たからこその振り返り。がむしゃらにつき進んだ歳月を懐かしむ気にさせたのは荒い雨の音なのか、身を包む湿気のせいなのか。雨音は後を振り向かせる音なのかも知れない。コロナ禍。豪雨禍。お見舞い申し上げます。まだまだ気が抜けません。皆様ご自愛くださいませ。句評楽しみにしております。

竹本  仰

特選句「昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ」ニセアカシアは昼過ぎもいいですが、夕景の中にあってももいいですね。あの大仰な樹の揺れと、おずおずとした白い花。何というか、青春をつらぬく揺れとでも申しましょうか。昔、西郷輝彦に『星のフラメンコ』という名歌があり、「?好きなんだけど 離れてるのさ」の一節を思い出しました。そして、そのニセアカシアの疲れは甘く、その渋く苦い甘さも青春で、またよい。そんな風に味わいました。特選句「葬後の森の五月蠅親しき手足かな」この森は土葬なんでしょうか?そう取りました。小生の家の近くにも土葬の森があります。そこの草木の育ち方は芸術的です。ハーモニーがありながら凄まじく、雨の夜などその横を通りすぎた部外者は、何だこの森?と一様に思うようです。火葬のあっけなさに比べ、何かすり寄って来るその気配。養老孟司氏はヨーロッパの土葬の墓地に解剖教室にもあった死者の懐かしい匂いを嗅いだと言っていました。死者がそこにある感覚、そんな大事な文化を我々は失いつつあります。コロナに勝つ、も大事ですが、向こうに逝った人々もまた大切ですよね。特選句「ふるさとの風の重さよ栗の花」青春が束ねられている、そう思いました。栗の花のあの悩ましい匂い、そのルーツはつねに故郷に向かいます。我々のこころの故郷ですが、そこに帰らなければ今の自分はないという、そんなどうしようもなさ。でも、その風の中に身を浸してみることがもっとも大事と作者は言っているように感じました。特選句「教わった通りに蛍殺めおり」現代を風刺しているように受け取りました。M※問題が今、その遺された妻の証言で浮上していますが、政治的な問題は二の次にして、人間を何の深げもなく圧殺してゆく、この恒例が我々の傍にいつもあるということは紛れもないことです。善人には悪人が見えないが、悪人にはすべて見えている、というその構造を思い出します。たやすく学校にも職場にもその政治性は浸透して来ます。その政治性のふくむ惨たらしい現実をこそ問題としなければ、とふと勘違いも甚だしく感じた句でありました。

わが寺院の池もひと月前には、朝のうち睡蓮が見事に咲いていましたが、今は鯉が、昔からのが三尾、近所の方が川でみつけた大きいのが一尾、妻が徳島で買った小さいのが一尾、水面をうねらせて元気よく泳いでいます。コロナ禍の中、日々すみやかに過ぎてきましたが、鯉の餌やりの後に「ああぁぁぁ」というあくび一声をあげ、生きているのを実感しています。寺院は年中自粛だなあ、とふと。そうなんです、その感覚で生きている一族の端くれなんですね。まあ、いいか、これも、これで楽しいし。みなさまも、自粛生活ですね、お元気で。また、来月もお願いいたします。

荒井まり子

特選句「ケンタッキーおじさん笑まふ梅雨の晴」晴れ間の笑に遠くは小松左京の日本沈没の翳りを感じられたか。問題句「雨音も嘘も流れる雲も激情(佐孝石画)」三つのもの畳み掛け。二つ目の嘘に効果あり

銀    次

今月の誤読●「太古より放蕩の血筋トマト熟む」ここに一枚の写真がある。着流し姿のジさまと、その膝に抱かれた四、五歳の頑是ない子(わたし)がいる。お互いに同じ写真を見つめてる。なにげないひなたぼっこ、そう見える。だがその会話はなんともおぞましいものだった。おぼろげに憶えている。こんなふうだった。「どや、ええやろ。ワシのオナゴや。京都の芸子や。ええオナゴやで」。当時はなんとも思わなかったが、いまにして思えばサイテーのクソじじいだ。オレのジさまは女狂いの果てにのたれ死んだ。一時は村で一、二を争う大地主で、干物や乾物でも村一番のなんの何某という名の知れた店を切り盛りしていた。晩年、最後に会ったのは安アパートの一室で、立てかけた三味線を取り出して「これ、ええ音すんねん」と端唄だか小唄だかを唄ってみせた。それっきりだった。恥のさらしついでにオヤジの話もしておこう。オヤジは一言でいえば青白い男だった。笑うことのない男だった。だがそのぶん実直で、陰気だがまず間違いのない男だと衆目の一致するところだった。クリーニング店を営んでいたが、三軒ほどの支店を出して、まずまず親戚のおぼえも目出度かった。だがその男が狂った。競馬に入れあげたのだ。惚れたのはタオバジョーという牝馬だ。バカオヤジはビギナーズラックで勝っただけなのにそのメスに運命を感じたのか、宇治や京都にまで足を伸ばしてその馬券を買いまくった。むろん負け続けた。支店ははがれるように銀行に持ってかれるし、オヤジは弟子筋の店で雇ってもらってアイロンがけしていた。おふくろはとっとと別れて飲み屋の店を開き、それなりに成功していた。さてさてさて、放蕩三代。おあとに控えしはあたしでござんすが、どう考えてもつまんねえ。俗に飲ム、打ツ、買ウ、と申しますが、あたしゃその程度のニンゲンでござんす。飲ム、はい飲みます。でも死なない程度にね。打ツ、はいバクチは大好きでござんす。でも命ギリギリは賭けたことがねえ。血で血を洗うような勝負をしたことがねえ。外国のカジノにもよく出入りしますが、まあ大した勝負はしてません。買ウですか、これは最初に童貞を捨てたのが売春婦でして、その女と二年ほど恋人関係がつづきました。まあ、ひととおりのことはしましたが、わたしのはジさまやオヤジのような気迫がなかった、滾る血がなかった、破滅への覚悟がなかった。それを良しとも否ともいえない。ただこれだけはいえる。オレの右手には芯まで熟したはちきれんばかりのトマトがある。いつ握り潰してもいいんだぜ。

新野 祐子

特選句「荒梅雨の夜や海底にゐる如し」年毎に脅威を増す水禍、どうすれば防ぐことができるのでしょうか。新しい疫病と自然災害は、これからの世界において最も深刻な問題です。俳句もこの現実を無視しては作れないでしょう。この句はずしりと胸に迫りました。入選句「七夕の星も水魔にさらわれて」「水中花になってしまふまでの雨」特選句と同様の感慨です。二句とも不安感を「もの」に託して詠み、詩に昇華させているなと思いました。

河野 志保

特選句「田水もろていま青蛙生まれたよ」 作者の温かい眼差しを感じる句。誕生の姿が生き生き伝わる。「田水もろて」に自然の中での命の結び付きも思った。

田口  浩

特選句「一日の空白にゐて冷奴」独言である。たとえば「空白」と言うことばを得て作句を試みるとき、季語の中から「冷奴」を選んだとする。この時点で「空白」に対して「冷奴」がどのような働きをするのか、作者はおおよそ見えているものである。上五の「一日の」は季語が決まったとき案外労せずに出たのではないかと思う。作者がこの句に対して腸を絞ったのは「にゐて」の三字だったのではないだろうか。肩の力が抜けたとき、すうと降りて来た授かりもののような「にゐて」はそれほどにいい。その上で「冷奴」が懐かしく一句を決めている。―あと次のような句がこころに残った。「郭公がポトリ落した喉仏」托卵を思って?喉仏〟がおもしろい。「オンライン夏休みは象見るんだ」:「象を」でないところが味。後の絵日記が見えてくる。「躁と鬱もみくちゃにして髪洗う」躁鬱を詠み切って爽快。「茗荷の子あの人の嘘忘れなむ」:「茗荷の子」いいですねぇ。

男波 弘志

「ひまわりのひと頃よりの憂ひかな」この表現に至りつくまでの修練が思われます。歩いて来た来し方が観えています。秀作です。「意味求める辛い朝ですトマト切る」‶です〟、の肉声が刃に沁みている。ふと、岩に沁みいる蝉の声 が浮かんだ。秀作です。「けじめつけにきてががんぼみて帰る」‶けじめつけに〟と ‶ががんぼ〟巫山戯ているのか?そうではない。風狂、俳諧、そこには死に物狂いの笑いがある。秀作です。「ゆっくりと夏山に気後れしたり」この距離感、夏山の擬人化だろうか。自我が脱落している。秀作です。

高橋 晴子

特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」青葡萄の清涼感が効いて、寝不足の妙な感覚を生かしていて共感する。問題句「蛇衣を脱ぐはま新な明日のため」自分の思いをまっさらな気分になったと、両者を響きあわせればいい句になる。兜太は季語や定型を身につけた上での自由律だからリズム感がある。

豊原 清明

問題句「祭りだ祭りだ亀亀エブリバディ」勢いで一気に書いたように思える。一気にばっと書いているような印象。それがとても良い。好きな一句。特選句「終焉ってこんな色かも夕焼け小焼け(重松敬子)」夕焼け小焼けに終焉の街を見ている瞳。好きな一句。

野田 信章

特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」の句は、若さ故の「眠り足りない日」かと多分に回顧的にも読めるところだが、そこには充実感のある日常の一コマとしての時間の確かな把握がある。これも「青葡萄」の物象感あってのことかと読まされる。

伏    兎

特選句「一日の空白にゐて冷奴」生きていることが実感できない環境を生きているのだろうか。漠然と一日を漂っているような作者の心象がひしひしと伝わってくる。特選句「けじめつけにきてががんぼみて帰る」前半の切羽詰まった様子と、後半のとぼけた雰囲気のミスマッチが面白い。覚悟してやって来たものの、何も言えずに帰ってきた自らを、焦れったく思っているのかもしれない。入選句「深々と逆さに落ちて梅雨の底」「水中花になってしまふまでの雨」これでもか、これでもかと降り続ける昨今の豪雨がみごとに捉えられ、共感した。

柴田 清子

特選句「一日の空白にゐて冷奴」自分が気付いている空白、それとも気付いていない空白もあるが、冷奴のあの感触でもってさらりと日常の断面に触れている。特選句「母の遺影まだ笑ってら宵涼し」遺影に向っての、つぶやきの笑ってらの『ら』ぶ母からの愛、母への心情が溢れている。特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」どくだみの花なら人生の喜怒哀楽の全てを受け入れてくれる花と思う。どくだみの花をたどってタイムスリップするなんて、巧みな心引きつける句ですね。

小宮 豊和

「我と来て空に消される夏の蝶」句全体のリズムがどこかなつかしいのは一茶のおかげ。でもリズムがなつかしいのと良い句であるのとは無関係、いや決してプラスには働かない。「我と来て空に消えゆく友の夢」他もやってみたが大同小異だった。手直しもいまのところ失敗。

稲    暁

特選句「教わった通りに螢殺めおり」素材は「螢」だが、読者の思いはそこに止まらない。人生の喩として読ませる迫力を持つ作品だと思う。問題句「荒梅雨の夜や海底にゐる如し」まさに「梅雨の底」にいる感じ。よく分かるが、欲を言えばもうひとひねり欲しい気もする。

松本美智子

特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」:「どくだみ」の花や葉の形はとても不思議な魔力を持っているように思います。どくだみの茂る道をたどっていくと過去の自分に会いに行けるようなそんな気がしてきます。

野﨑 憲子

特選句&問題句「夏の朝遠くに人を待たせたり」凝縮した心情表現に圧倒された。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

空蟬
空蝉やぞめきの中の水平線
野﨑 憲子
空蝉のなかはひかりだったと子は
三枝みずほ
校庭の蟬のぬけがらひと並べ
松本美智子
空蟬や刹那の刹は殺のよう
藤川 宏樹
空蝉やしっかり溜めた野望あり
中野 佑海
振子をとめて空蟬と共にゐる
野﨑 憲子
空蟬のゾンビと化して徘徊す
島田 章平
空蝉や仮寝の宿に月明り
銀   次
空蝉を脱ぎて空蝉裸ん坊
野澤 隆夫
藪蘭
ヤブランの風吹くすこしやさしい顔
三枝みずほ
母性のように藪蘭に日暮あり
田口  浩
藪蘭や分かりあえずに別れた日
松本美智子
藪蘭の咲いてためらひ傷疼く
島田 章平
藪蘭や正座ができて正坐する
鈴木 幸江
句会場藪蘭またぎバッタ跳ぶ
野澤 隆夫
身を守る物総て重荷に藪蘭に
中野 佑海
プチトマト
たくさんの失敗があるプチトマト
三枝みずほ
机上にあってプチトマトとか訃のはがき
田口  浩
ご自由にお持ちくださいプチトマト
鈴木 幸江
戦前という今プチトマト未熟
島田 章平
しなやかに自転車漕ぐ娘プチトマト
野澤 隆夫
オロナミン
梅雨に倦(う)みコロナに倦みてオロナミン
野澤 隆夫
異文化や犬のお礼のオロナミン
鈴木 幸江
オロナミン王長嶋は生きている
銀   次
どんな時も楽しむんだよオロナミンC
野﨑 憲子
自由題
夏の海へとまっすぐの線をひく
三枝みずほ
道ならぬ恋の終りや女滝
島田 章平
気兼ね無く仲間と集う芋の露
中野 佑海
ようやくに一歩踏み出す夏日向
銀   次
母を見る見捨てる天の蟻地獄
田口  浩
色づきた隣で枯れる濃紫陽花
松本美智子
銀漢や銀の男でいいですか
鈴木 幸江

【通信欄】&【句会メモ】

コロナ禍の中、サンポートホール高松の和室にて7月句会を開催しました。参加者は、9名でしたが、30畳の広さの会場でゆったりと熱い句会を開くことができました。

後半の袋回し句会では、鈴木幸江さんが持ってきてくださったプチトマトも兼題に上がり佳句が量産されました。来月は、お盆と重なる為、一週間遅れの開催となります。

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