2026年5月24日 (日)

第172回「海程香川」句会(2026.05.09)

万智のイラスト風鈴.jpg

事前投句参加者の一句

       
「子は鎹(かすがい)」孫蝶番(ちょうつがい)葱坊主 藤川 宏樹
燕いま光りの端を咥え来し 松本 勇二
男らのどこまで掘れば五月闇 岡田 奈々
拝啓のあとの進まぬ遅日かな 矢野二十四
月蝕すすむ春あかがねの八十路かな 野田 信章
八重桜今日一番の吹雪かな 山本 弥生
著莪の花箱罠傾ぐ熊野道 大西 健司
海賊のもとをたどれば花筏 伊藤  幸
爪を切り過ぎて南瓜煮崩れて 小西 瞬夏
花万朶やがてはぐれて逝きたまふ すずき穂波
青葉若葉そのいきほひや滝こだま 各務 麗至
野焼きの煙わが輪郭を食めり 木村 寛伸
半熟の後悔ひとつ春の月 佐藤 詠子
満腹か腹は八分か鯉のぼり 綾田 節子
しつけ糸解かぬままに四月尽 石井 はな
老いという表面張力水羊羹 若森 京子
放課後のスイングスイング青葉風 重松 敬子
陽炎や若禰宜の沓降りてくる 河田 清峰
おむすび山じじばば笑えば山笑う 末澤  等
ばば抜きのばばゐなくなりおぼろ月 銀   次
ふむふむと抓(つま)む落ち沙羅 句はあまた 津田 将也
ひとりでに字余りの小言まめの花 山下 一夫
朝刊の匂い嗅ぐ兄昭和の日 三好つや子
風の波ときに口づけ麦の秋 漆原 義典
よく動く新人ポニーテールに緑さす 野口思づゑ
祈りとは忘れぬことぞ聖五月 向井 桐華
新樹光像の天使のちょっと浮く 和緒 玲子
メラニアの目深きブリム五月闇 森本由美子
キゴあさりあつめる乞食 目に泪 田中アパート
落花一片老樹の幹の苔の上 時田 幻椏
花は葉に紙ひこうきを折っている 男波 弘志
新緑の揺れてたくさんのただいま 三枝みずほ
青嵐の学校妖怪七人衆 松本美智子
喋り出したら止まらないスイートピー柴田 清子
戦いの道具は要らない蝌蚪の国 増田 暁子
ものの芽のひとつにひとつずつ太陽 月野ぽぽな
菜の花や恋文破り捨てました 遠藤 和代
花水木時間の帯を結ひなおす 亀山祐美子
蘖やフリースクール見学す 川本 一葉
夏の雨われ呼ぶ雫われが呼ぶ 豊原 清明
おのころの新玉葱や春の海 田中 怜子
山椿逆さ箒を立てて母 樽谷 宗寛
逃げ水を追って東京ひとり旅 布戸 道江
鉄路曲がるあの時のままツバメとぶ 淡路 放生
雨降れば山の緑がはみ出すぞ 中村 セミ
ちぐはぐの男女一対青あらし 岡田ミツヒロ
新緑の中にずれこむ時間軸 吉田 和恵
亡き母の鰆一尾の気風かな 出水 義弘
人間に母の日ありて切なさよ 柾木はつ子
遠足の子らはお結びころりんや 植松 まめ
緋のつつじ妻の死かたる人も逝き 福井 明子
少年は桜木に留まり父母見てる 滝澤 泰斗
庭隅に鈴蘭きげんのいいエプロン 十河 宣洋
青葉若葉して包帯の巻き直し 菅原 春み
春風に生まれ変わった言葉かな 高木 水志
囀りや半分上げる老いのギア 松岡 早苗
まだ母になれず鏡のしゃぼん玉 荒井まり子
殺し文句並べて夏の木立です 佐孝 石画
戦渦は夏へ右に左にフラミンゴ 花舎  薫
蝶結びするりとほどけ青野原 榎本 祐子
死なれへんニセアカシアに風ゆららぎ 竹本  仰
うりずんや普通に戦車が通る 河西 志帆
黄昏やツツジ同士は話さない 河野 志保
即諾の一電にして風光る 疋田恵美子
光受け産湯のようにレタス洗う 薫   香
甦るひさし憲法記念の日 新野 祐子
見上ぐればただ空がある忌野忌 大浦ともこ
老いてなお矜持貫く鉄線花 藤田 乙女
葱坊主並び出陣兵のごと 三好三香穂
茅花流し大きな風の吹く日かな 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「うりずんや普通に戦車が通る」。斬新な韻律。口語でさらっと書かれているようではあるが、力強い切れがある。沖縄の基地の問題、戦争が日常になってしまう恐ろしさ。けっして鈍感になってしまってはいけないと思わされる。

十河 宣洋

特選句「老いという表面張力水羊羹」。老いが表面張力という捉えが面白い。的を得ているような気がする。コップの縁で一杯一杯に膨らんでなお零れないしぶとさが伝わってくる。水羊羹の柔らかと合っている。特選句「難聴や亀鳴く日にはよく聞こえ(若森京子)」。笑いが含まれていて楽しい。補聴器を越えて亀の声が聞こえる。これくらいの楽しみが無ければ人生は面白くない。

松本 勇二

特選句「蝶結びするりとほどけ青野原」。風呂敷のするりとほどけた蝶結びから一挙に青野原へ展開させみごとです。

木村 寛伸

特選句「老いという表面張力水羊羹」。「老い=表面張力」という把握で“崩れそうで保たれている状態”を提示し、それを水羊羹に着地させたことで、視覚・触覚・時間が一気に立ち上がる。「燕いま光りの端を咥え来し」。視覚の切断面を咥えるという把握が鮮烈。成功している抽象。「男らのどこまで掘れば五月闇」。「どこまで」が効いている。闇の深度と人間の業が重なる。「拝啓のあとの進まぬ遅日かな」。 日常の停滞と季語の一致が自然。静かな完成度。「トンネルに途切れるラジオ山笑う(布戸道江)」。人工と自然の対比が軽やか。音の断絶→視覚への転換がうまい。「ものの芽のひとつにひとつずつ太陽」。王道だがスケールが大きい。素直に強い一句。「降り敷し赤き恥じらひ桜蕊(三好三香穂)」。色彩と感情の重なりが美しい。やや古典寄りだが安定。「春キャベツ中に思想のようなもの(松本勇二)」。観念の持ち込みが成功している例。軽みもある。「穴出づの蟻付いてくる今朝のゴミ出し(野口思づゑ)」。季語と生活の接続がリアルで、余韻が残る。問題句「キゴあさりあつめる乞食 目に泪」。意図的に危険な句。「乞食」という語の強さが、俳句的な比喩を越えて現実の倫理に触れてしまう。

【自己紹介】第4回兜太祭に参加して来ました。野﨑さんと樽谷さんに挟まれる形で二次句会に参加し、海程香川句会にお誘い頂きました。佐孝石画さんの隣県石川県在住です。よろしくお願いいたします。

大西 健司

特選句「逃げ水を追って東京ひとり旅」。私も昨年の現代俳句協会の全国大会、今年の総会と、思いがけず東京へ行く機会があり、この逃水を追っての措辞が実感を伴って迫ってくる。まさにこんな感じ、いいなあ。

重松 敬子

特選句「うりずんや普通に戦車が通る」。沖縄の方々のご心痛をお察し致します。

各務 麗至

特選句「新緑の揺れてたくさんのただいま」。春から初夏へと、自然界も人間社会も毎年毎年新しい門出があります。「新緑」は元気に「行ってきます」と生長して、私たちの前に元気に「ただいま」と帰って来てくれたように見えます。それこそ私たちにも「行ってきます」「ただいま」と、そんな生の喜びを感じながら生きて下さいよと聞こえてきそうです。特選句「見上ぐればただ空がある忌野忌」。忌野清志郎。私たちの世代には、歌手としてだけでなく人間として忘れられない存在の一人である。強烈なパフォーマンスと言ったら語弊があるだろうか。最後には死を当然のように受け入れて人生を全うした。見上げればただ空がある、嗚呼・・・・。島田章平さんへだろうか「緋のつつじ妻の死かたる人も逝き」があったが、「そっと帽子を」の方を私は貰った。

岡田 奈々

特選句「人間の巣箱にいらぬものばかり(河西志帆)」。本当に欲しい物が何か分かっていない気がする。本当に痒い所には手が届かないのと同じ?特選句「半熟の後悔ひとつ春の月」。凄く後悔してるかと言えば、そうでもなく、けど、何処かに刺さったままの刺のように何かあるたび思い出す。そんな後悔の一つや二つ思い出す春の夜。「「子は鎹」孫蝶番葱坊主」。孫はひらひらと蝶のように可愛くやって来て、じじばばを逃さない。葱坊主の愚直さが、まさしくじじばば。「燕いま光の端を咥え来し」。閃光のように飛ぶ燕の様子その通りだ。「しつけ糸解かぬままに四月尽」。冬は寒すぎて、着物着る機会見失い、良い季候になったら、お洒落して行こうと思うまに、とうとう、四月も終わって、汗ばむほどの季候。こうして、着物が着られない日本になっていく。「虹はまだ虹を渡って配達中(竹本 仰)」。虹の配達人次の虹まで、何処で道草してるのか。「春キャベツ中に思想のようなもの」。春キャベツは中がくちゃくちゃして、まるで、脳の様。「緑さす午後の静謐カフェテラス(向井桐華)」。こんな静かで、落ち着いた私になってみたい。いつもガチャガチャした私は一人でカフェで過ごす時間さえ勿体ない様な。反省です。「逃水に魅せられ走る無人カー(森本由美子)」。全てが陽炎のような不思議感。「地球の夜明け大きな繭のごとく(川本一葉)」。輝きの中に浮かぶ地球。繭に包まれているようなのだろうか。

福井 明子

特選句「燕いま光りの端を咥え来し」。光りの端を咥え来し がいいと思います。見えない気流の導き者としての燕の姿が目に浮かびます。

榎本 祐子

特選句「うりずんや普通に戦車が通る」。うりずんと言う響きも美しい季節に、普通という安心な日常に入り込んでくる異常。異常が日常になる恐ろしさ。

津田 将也

特選句「見上ぐればただ空がある忌野忌」。「忌野忌」は、ロックミュージシャン忌野清志郎(一九五一~二〇〇九)の忌日です。五月二日がこれにあたります。作者は、「寂しい・愛してる・悲しい」といった具体的な情緒を排除し、「見上ぐればただ空がある」いう事実だけ述べ、彼(忌野)の生き方や歌が持つ嘘や飾り気のない、圧倒的な潔さ・透明感と重ねました。

三枝みずほ

特選句「甦るひさし憲法記念の日」。作家の言葉に対する執着は憲法で自由が守られているからこそ。井上ひさしの言論、表現の自由を求める態度、反戦、戦争責任についての見解は再び議論されてもいいと思う。憲法記念日に甦るとは、ひさし流ユーモアと反骨だろう。

佐藤 詠子

特選句「新緑の揺れてたくさんのただいま」。新学期、新年度、はじまりを連想する瑞々しい景を思い浮かべた。新緑のやわらかさと黄緑が若さを表しているのだろう。「ただいま」と大きな声で玄関に入ってくる小学一年生。又は靴を脱ぎながらぼそっと「ただいま」と呟く社会人一年生。「ただいま」には帰る場所のある安堵がある。そして、たくさんの「おかえり」もあったはず。始まったばかりの慣れぬ日々の中で揺れる感情を優しく包む一句。

樽谷 宗寛

特選句「ひとりでに字余りのこごと豆の花」。中七が八音が気になりましたが字余りの小言とまめの花に惹かれました。小言は可愛い 小言 ですね。

藤川 宏樹

特選句「新樹光像の天使のちょっと浮く」。緑豊かな公園で羽ばたく天使も、像の重量感を日頃は免れえません。五月。瑞々しい若葉の光が象を射すと明るく気分が応え、天使の「ちょっと浮く」感覚、共感いたします。

和緒 玲子

特選句「おろしたての肌着木香薔薇盛る(榎本祐子)」。おろしたての発光しているような白い肌着と木香薔薇の無垢な黄色。外からは窺い知れない肌着と控えめな木香薔薇が咲きほこる様。一見何の関係も無いような二つが呼応し合う取り合わせの妙。特選句「青葉若葉して包帯の巻き直し」。眩しい青葉若葉を目にして、自分の腕か指かの包帯が少し汚れているように見えてしまったのか。気の所為かもしれないが真っ新な物に巻き直さずにはいられない。色の対比もさることながら、青葉若葉と畳み掛けるような勢いも見逃せない。

河野 志保

特選句「新緑の揺れてたくさんのただいま」。子供達の元気な声が聞こえてきそう。平和を実感させる句。リズムにも好感。

矢野二十四

特選句「爪を切り過ぎて南瓜煮崩れて」。軽妙でちょっとおかしい。この軽さが特撰。「老いという表面張力水羊羹」。老いという瀬戸際。水羊羹の涼しい甘さが妙。「アネモネや小匙に掬ふ離乳食(大浦ともこ)」。「あのねのね」の唄を思いだした。アネモネを活かした可愛い句。「満たされぬ心の渇き蚊の唸り(藤田乙女)」。現代人の疎外感を「蚊の唸り」に落とした諧謔。「花水木時間の帯を結ひなおす」。過去の自分を結い直す。季語が明るくて佳い。「庭隅に鈴蘭きげんのいいエプロン」。裃を着た男にはこんな身軽な句が作れない。「逃水に魅せられ走る無人カー」。不在な現象を不在な者が追っかけるアイロニー。「うりずんや普通に戦車が通る」。沖縄に限らず、もはや世界的な普通の景になりつつある。「光受け産湯のようにレタス洗う」。産湯のレタスが佳い。上五はもう一工夫かも。

すずき穂波

特選句「男らのどこまで掘れば青葉闇」。この句「掘れば」が面白い。女から観て「男ら」のことがイマイチ解らないから句の作者が「どこまで掘れば」私は解るのかな?の疑問なのか。それともこの作者は、かなり「男ら」よりも「男ら」をよく解っておられて、半ば嘲笑いながら(男らが)「どこまで掘れば」(男ら自身が)納得するのか?といったようにも読める、だから何とも面白いのだ。季語「青葉闇」は闇の中でも、とびきり美しい闇、この闇は胸をはっている闇。上向きの闇。この句の「掘る」は主体が青葉闇に座していて繁る青葉の上空に向かって掘っているように思えた。特選句「新緑の揺れてたくさんのただいま」。省略するは何と素晴らしいのだろうと今更ながら感じ入った句。「たくさんのただいま」の「ただいま」の声が重なり合い、それぞれの声がキラキラの光になってひびき合っているように聴こえてくる。

柴田 清子

特選句「葉桜や乾き初めたる風の色(松岡早苗)」。確かに桜の頃とは違って、夏の始めの風が乾いていると感じとったところを、風の色に置き変へたところが、詩的です。

松岡 早苗

特選句「野焼きの煙わが輪郭を食めり」。「わが輪郭を食めり」に惹かれました。再生の春を前に、自身の存在の不安定さや鬱屈した思いを感じているのでしょうか。特選句「新緑の揺れてたくさんのただいま」。新緑の季節、お散歩から帰ったたくさんの園児達が、かわいい声で口々に「ただいま」と言っている光景を、一番に浮かべました。春になると、冬の間眠っていたたくさんの生き物たちが、「ただいま」と顔を出します。また、ゴールデンウィークの帰省など、さまざまな「ただいま」が溢れているようです。

若森 京子

特選句「ものの芽のひとつにひとつずつ太陽」。芽吹く時期になるとハッと自然が明るくなり吐息が聞こえて来るようだ。そのひとつずつに太陽の光があたって欲しいと願う。何か人間社会にも通ずるようだ。特選句「囀りや半分上げる老いのギア」。春になり,小鳥たちの囀りを聞くと,新しい命を感じ老いの肉体にも新しい血流を感じる。中七 下五の表現に共鳴した。

男波 弘志

「葉桜や乾き初めたる風の色(松岡早苗)」。こちらの心身がよほど研ぎ澄まされていなければ通り過ぎてしまったかもしれない。何故が亡師の一行詩が浮んできて、はっとしたことであった。秀作。「夜空より風吹きはじむ祭りあと 北澤瑞史」

河西 志帆

特選句「見上ぐればただ空がある忌野忌」。清志郎は逝ってしまった。サマータイムブルースを歌う勇気!戦争を堂々と批判する勇気!5月2日は声を上げる人を失った日だ。「爪を切り過ぎて南瓜煮崩れて」。あえて、中七にしなかったのかと思う。爪切りに時間を取られたと言っているようで、実はそうでもなさそうなんです。「朝刊の匂い嗅ぐ兄昭和の日」。新聞をとっているのは、高齢者だけとか。兄も隅々まで読む人でした。確かにあの頃の新聞の匂いとは違うって、私も気づいていましたよ。「難聴や亀鳴く日にはよく聞こえ」。私も、航空性中耳炎とかになってから、聞こえが悪いままです。こんな嘘のような事を本気で言うあなた。難聴ぐらいが丁度いいですよ。

山本 弥生

特選句「五月晴れ病むことさえも許されず(木村寛伸)」。諸々の事情で自分は病んでいる暇も無く又それも許され無い日常である。五月晴れで心が明るくなり救われた。

柾木はつ子

特選句「保護犬の庭に馴染める桜の実(菅原春み)」。引き取った保護犬がすっかり馴染んで、温かい家族の元で幸せに暮らしている姿を思い浮かべます。いつまでも幸せに!特選句「九十五の母の手習い青葉騒(伊藤 幸)」。いつまでも向上心を忘れないお母様。私も見習いたいと思います。何をなさっているのか、気になるところです。

布戸 道江

特選句「青葉若葉して包帯の巻き直し」。青葉若葉の繁る季節、包帯の巻きと若葉の重なりの距離感、緑と白の対比が美しい。「蝶結びするりとほどけ青野原」。包装の風呂敷など解くと青野原が広がった、まるで美しい動画のように。「光受け産湯のようにレタス洗う」。パリパリのレタスを丁寧に洗う、赤子の沐浴のように、光の反射受けて。「湖の上紙ひこうきが飛んでいる(男波弘志)」。戦地のドローンを想像した、不条理を感じる。

野田 信章

特選句「ちぐはぐの男女一対青あらし」。上・中句にかけての修辞には多分に物象感な視点の作用がある。この物象感に生命を吹き込んでいるのが「青あらし」の配合であろう。諧謔味さえ覚えるこの読後感のふくらみもまたこの点にあると思う。

増田 暁子

特選句「おのころの新玉葱や春の海」。日本神話で最初の島と言われる淡路島。特産の玉葱の島。穏やかな瀬戸の島を上手く句で紹介した作者に拍手。「うりずんや普通に戦車が通る」。沖縄の状況ですね。日本本土では考えられない!

淡路 放生

特選句「難聴や亀鳴く日にはよく聞こえ(若森京子)」―「亀鳴く」は俳句作りに垂涎の季語である。「難聴」を持ってくる荒技は、お見事と言う外はない。「日にはよく聞こえ」がいかにも春です。

花舎 薫

特選句「しゅわしゅわと庭の新樹の感情です(佐孝石画)」。新樹が象徴する若さ、初夏という季節の明るさ、ワクワク感、そういった全てがしゅわしゅわというオノマトペに凝縮されている。それは新樹のたてる音ではない。新樹に感情があってそれを音で表現するならしゅわしゅわだろう、といっている。その思いがけない楽しさに理屈を超えて感心した。

石井 はな

特選句「半熟の後悔ひとつ春の月」。生卵でもしっかり茹でたゆで卵でもない半熟の卵のような後悔。後悔の言うに言われぬ形が半熟卵とは、春の月の季語と響きあって心にしみます。

漆原 義典

特選句「おむすび山じじばば笑えば山笑う」。朗らかな句ですね。楽しくなります。楽しい句をありがとうございました。

吉田 和恵

特選句「老いという表面張力水羊羹」。わかっているつもりでも認めたくなくて 老いを受け止められない空間を表面張力の水羊羹としたことに妙に納得。ところで、死ぬ気がしないとおっしゃった兜太先生は水羊羹はお好きでしたか? → 先生もお好きだったと思います。

川本 一葉

特選句「青空の青に燕の子が育つ(柴田清子)」。ついつい気になって燕の巣を覗き込みます。その時やはり上を向くので青空が目に残ります。日本の夏の青に燕が育っていくという詩、素晴らしいと思いました。

月野ぽぽな

特選句「雨降れば山の緑がはみ出すぞ」。緑の溢れる山に雨が降ると、ますます緑が瑞々しくまた濃くなりますね。「山の緑がはみ出す」にその生命力の高まりが伝わります。そして、「はみだせり」ではなく「はみ出すぞ」としたことで、内容と表現が呼応し合い、一句の爆発力を増しています。

高木 水志

特選句「ものの芽のひとつにひとつずつ太陽」。いろいろな草の芽や木の芽に春の初めの柔らかな太陽がひとつひとつに当たっている様子が心地よい。

田中 怜子

特選句「うりずんや普通に戦車が通る」。そんなものだ、と思ってしまってはいけませんね。この国は、あの過去を忘れてしまったのか。

岡田ミツヒロ

特選句『「子は鎹(かすがい)」孫蝶番(ちょうつがい)葱坊主』。ほんと孫は蝶番ですね。子や孫あっての家族の絆です。新しい戦前とも言われる現在、家族解体の危機が刻一刻迫っているような気がします。こんな折、特に心に銘記したい一句です。特選句「殺し文句並べて夏の木立です」。今年も猛暑となりそうです。ここで夏木立の出番、涼しくて、ストレス軽減、免疫力の向上等々、謳い文句が並ぶ。これらは、健康志向の現代人の心底に通じる、まさに「殺し文句」という表現がピッタリ。

中村 セミ

特選句「きゆきゆと鳴る女童のくつ春が行く(銀次)」。なかなかな入学式から少し立ってそれぞれの足がいかにも新しい希望のような読みになっていて、非常にいいです。

向井 桐華

特選句「花の下つるんで血脈の軽さ(十河宣洋)」。満開の花の下、一見楽しく笑って楽しんでいるように見えるが、実はそうではなく他人同士のお花見を「血脈のない軽さ」と表現したところが見事だと思います。

出水 義弘

特選句「ふむふむと抓む落ち沙羅 句はあまた」。選漏れの句を吟味すると、それぞれに大なり小なりの難がある。今一歩の句もたくさんある。選者の判断理由を確認して、納得している様子がうかがえる。上達には、良い句をたくさん詠む一方で、句会などの機会に他の人の意見から学ぶことも大切だと思う。特選句「即諾の一電にして風光る」。重要な案件について、即座に承諾の電話が入った。先行きに明るい展望が開けた高揚感が、「風光る」に良く表現されていると思う。

佐孝 石画

特選句「黄昏やツツジ同士は話さない」。話さない優しさ、話さずに寄り添うことの崇高さ。星も草木も「話さない」優しさがあります。この句は名句です。切れ字「や」の詠嘆も素敵ですが、黄昏「の」の世界もまたモノローグめいていいと思います。「花万朶やがてはぐれて逝きたまふ」。肉親、友人、恋人。桜花のように寄り添ってきた様々人達もいずれ一片ずつ「はぐれて逝きたまふ」。最後の「たまふ」という尊敬語が、もうすでに自分の近くから離れてしまっている喪失感や切なさを、客体視させ深める効果を出している。「ばば抜きのばばゐなくなりおぼろ月」。少し煙たい人ほど、ゐなくなると喪失感が募るものです。見立てが素晴らしい。「祈りとは忘れぬことぞ聖五月」。かつて友人が自死した際、先輩が「忘れてはいけないんだ。それが俺たちの責任だ」と語ってくれたことを思い出しました。「ぼうたんや面影にそっと帽子を(すずき穂波)」。 美しいものを見た時、人間の視覚なんて実は「曖昧なもの」なのではないかと思うときがある。幻影に実体のあるものを直接接触させるこの不毛な行為は、裏腹に自身の感覚などは過去の経験によるものでしかないという諦観があるのではなかろうかと思います。面影に「帽子」を被せるなんてなんとやさしい暴挙であることよ。「蝶結びするりとほどけ青野原」。結び目がほどける瞬間はいつも唐突。その瞬間を見ているわけではないのだが、いつの間にかほどけていたその姿を目にした時、紐自身の解放意志のようなものを想起してしまう。背景の「青野原」もまた、いつのまにか自身の意志を開放させ繁茂しています。「見上ぐればただ空がある忌野忌」。「雨上がりの夜空に」、「トランジスタラジオ」、「僕の好きな先生」、そして名曲「スローバラード」。2009年〈平成21年5月2日に忌野清志郎は逝った。学生時代、一本ごと自分で選曲して、カセットテープに録音して繰り返し聞いた。今残る清志郎の後味は「切なさ」である。彼は切なさを持つにんげんを愛していたんだと思う。そしていま僕たちに残されたのは「ただ空があるだけ」なんですね。(ちなみにこのフレーズはジョン・レノンの「イマジン」のカバー曲の歌詞の一部です)*元ザ・ブルーハーツ甲本ヒロトの清志郎への弔辞は素敵で必見。ユーチューブで見れます。ついでに亡くなる直前の矢野顕子と「ひとつだけ」のデュエットも痺れますよ。

植松 まめ

特選句「燕いま光りの端を咥え来し」「鉄路曲がるあの時のままツバメとぶ」。このところ国内外にきな臭いニュースが多くて気が滅入る。「鉄路曲がるあの時のままツバメとぶ」戦後外地から歩いて38度線を越えて引揚げた方の苦労を思った。戦争を体験はしていないが子供のころ悲惨な話しは色々聞いた。平和が一番武器は売ってはならないと思う。

薫   香

特選句「九十五の母の手習い青葉騒(伊藤 幸)」。いくつになっても、学びたいという気持ちを持ち続けるなんて素晴らしい。

滝澤 泰斗

特選句「肩組んでぼくらの先生メーデー歌(岡田ミツヒロ)」。高校時代の、とりわけ、歴史関連を担う社会科の先生は校長や教頭より年上で、教員室で静かに本を読んだり、物を書いたりしていたが、黒板の前に立っているのを見たことが無かった。たまたまそんな先生にあたらなかったからだが、たまたま、夏休みのとある高原の先生の集まりで見かけ、「インターナショナル」を歌っていた。掲句でそんな昔の事を思い出し、揺さぶられ、無性に、あの先生に会いたくなった。そして、戦前、戦後の歴史観を話してみたくなった。特選句「燕いま光りの端を咥え来し」。自分もコンスタントにこんな句を作り続けたいと思った一句。共鳴句「<身延山にて>久遠寺や息づくひの端に春の鐘(樽谷宗寛)」「爪を切り過ぎて南瓜煮崩れて」「野焼きの煙わが輪郭を食めり」。ただただうまい句だなぁと感心の三句。こちらを特選に入れてもと思う。『「子は鎹(かすがい)」孫蝶番(ちょうつがい)葱坊主』「おむすび山じじばば笑えば山笑う」「トンネルに途切れるラジオ山笑う(布戸道江)」。山が笑えば、私も笑う。楽しい俳句が三つ並んだ。諧謔が俳句に奥行を持たせてくれる。楽しい・・・。「朝刊の匂い嗅ぐ兄昭和の日」。ゴールデンウィークの祭日は季語の山・・・昭和の日はたくさんの思い出に満ちている。掲句の兄ちゃんほどではないが、昔の新聞には確かに独特の匂いがあったなと記憶を蘇らせた。しかし、具体的な言葉には窮するが、懐かしい昭和のワンシーンではある。

伊藤  幸

特選句「月蝕すすむ春あかがねの八十路かな」。八十代を春あかがねと表し、金でもなく銀でもないが人生百年のこの時代、銅あかがねを用いて悔いのない生き方をと、作者の意気込みが感じられる。特選句「うりずんや普通に戦車が通る」。うりずんとは沖縄で大地が潤う春のことをいう。私の好きな言葉である。うりずんという素晴らしい季節の中、普通に戦車が通るなど戦争放棄の日本においてはあり得ないことであるが、訓練の一部としてではあろうが、千歳や大分玖珠町ではそうではない。ましてや戦争中のイスラエル、ウクライナにおいては当たり前という現実。何かがおかしいと作者は訴えている。

豊原 清明

特選句「ばば抜きのばばゐなくなりおぼろ月」。おばあちゃんのいない座は儚さを噛みしめている。問題句「春いっぺんに始まりいっぺんに終わった(山下一夫)」。この感覚、よく分かる季節のスピード。

大浦ともこ

特選句「半熟の後悔ひとつ春の月」。半熟の後悔という表現が新鮮であり、また言い得て妙だとも思いました。自分の中にある半熟の後悔に思いを巡らせました。季語の春の月の滲んだようなイメージもしっくりときます。特選句「ものの芽のひとつにひとつずつ太陽」。太陽の恵みが遍く降り注いでいる様子に明るい喜びを感じます。おおらかな自然賛歌の一句と思いました。

時田 幻椏

特選句「野焼きの煙わが輪郭を食めり」。視覚体験の位相からすれば、野焼きの煙の中の彼の方の姿がおぼろだった経験を わが輪郭を食めり と詠う事の措辞に感服いたしました。特選句「花は葉に紙ひこうきを折っている」。極めて自然な句を詠む態度に、好感を持ちました。

三好つや子

特選句「老いという表面張力水羊羹」。涼やかに軽やかに溶けていく、水羊羹ならではの舌触り。それは、寒天液となめらかな漉し餡の絶妙なバランスによって生まれます。たおやかな老いの姿もまた心とからだの、繊細なバランスで成り立っているのかもしれません。特選句「見上ぐればただ空がある忌野忌」。二〇〇九年五月二日、五十八歳でこの世を去った清志郎。カッコよくてやんちゃで、人なつっこい彼の顏が目に浮かび、五月の空の彼方からデイドリーム・ビリーバーを歌う声が聞こえてきそうです。「半熟の後悔ひとつ春の月」。半熟という言い回しに春の月らしさがあり、時がたっても不完全燃焼のままの後悔に興味深々。「人間の巣箱にいらぬものばかり(河西志帆)」。まったくその通りです。「い」は「要」にしてはどうでしょうか。「殺し文句並べて夏の木立です」。精悍な夏木立の姿を際立足たせる表現に共感。

河田 清峰

特選句「戦いの道具は要らない蝌蚪の国」。武器がなければと思う。戦争する手足がなければと思います。季語が良かった!

野口思づゑ

特選句『「子は鎹(かすがい)」孫蝶番(ちょうつがい)葱坊主』。私は子がいないので、つまり孫もいないので実感ではありませんが、ユーモアーがありもしかしたらそんなものなのかしら、と微笑んでしまった。

藤田 乙女

特選句「菜の花や恋文破り捨てました」。恋文を破り捨てるとは何と思い切りのよいことでしょう。私には真似できないその決断と心意気がとても素敵で羨ましい気持ちになりました。私は未だに50年前の恋文を大切に持っており、それを読んで今なら相手の思いを真摯に受けとめることができたであろうと当時の自分の度量のなさを悔いております。結婚を承諾した手紙が届かなかったなどの運命のいたずらもあり結ばれることのなかった縁でした。「捨てられぬ恋の未練や菜の花黃」特選句「人間の巣箱にいらぬものばかり」。本当にいらぬものばかりで溢れかえっています。心の巣箱も・・・何が一番大切なものなのか見極め整理していていきたいと思います。

末澤  等

特選句「半熟の後悔ひとつ春の月」。朧に霞む、柔らかで優しい春の夜の月を表す。「春の月」と、「半熟の後悔ひとつ」の組み合わせが素晴らしく感じました。

山下 一夫

特選句「庭隅に鈴蘭きげんのいいエプロン」。謎の二句一章。しばし考えたところ、つまり「庭隅の鈴蘭」イコール「エプロン(の花柄の刺繍)」かと。エプロンをしている人の機嫌が気になっていることから、その主は母や妻などを想像します。そういったいわば母性の範疇にあることによる安心感やほのぼの感が滲んできます。特選句「まだ母になれず鏡のしゃぼん玉」。この二句一章も謎で、熟考。鏡像はほぼ実像でありながらも左右の逆転などを含んだ虚像とも。そこで、一応は母であるのだけど本当の意味で母になれないことを示唆してるかと。完全性を象徴する球体で、かつ儚く消える運命のしゃぼん玉との取り合わせが絶妙です。問題句「見上ぐればただ空がある忌野忌」。不思議と忌野清志郎のことを詠んだ句とわかりました。「空」を印象的に含んだ歌詞が多かったからでしょうか。掲句には楽曲「トランジスタ・ラジオ」を想います。調べてみると、五月二日が命日で毎年、出身の国立市や国分寺市周辺で追悼イベントが開催されているとのこと。現代的なポップスターだったので「見上ぐれば」は口語の方が良かったのではないでしょうか。

新野 祐子

特選句「海賊のもとをたどれば花筏」。海賊だって、はじめは、おもしろくてやったんじゃなくて、食うや食わずの困窮した海の民が他の船を襲ってしまった。やむにやまれずという側面があったのではないでしょうか。人間って困り果てると一線を越えて悪の道に行ってしまいがちですね。「花筏」に喩えた作者の感性、すばらしいです。

菅原 春み

特選句「茅花流し大きな風の吹く日かな」。大きな風ととらえたところに季語との絶妙の取り合わせが。特選句「見上ぐればただ空がある忌野忌」。何でもないようなことを淡々とうたっているところが見事。

綾田 節子

特選句『「子は鎹(かすがい)」孫蝶番(ちょうつがい)葱坊主』。ユーモアと真髄、それに葱坊主の季語がマッチして、そこはかとなく良い句です。特選句「老いという表面張力水羊羹」。言われてみれば老いとは表面張力で頑張って生きてるようなものだと共感致しました。季語の水羊羹の斡旋もナカナカなものですね。尊敬致します。

松本美智子

特選句「燕いま光りの端を咥え来し」。燕の特徴をよくとらえた瑞々しい句だと思います。この季節の光に満ちた空やすがすがしい空気を想像します。♡「青嵐の学校妖怪七人衆」自句自解:我が校には妖怪七人衆がいます。「リズミン」「マモール」「スタディン」「キレーイ」などと愛称もあります。美術専攻の、元校長先生がデザインしたユニークな妖怪です。それを何とか句にしてみました。

竹本  仰

特選句「春キャベツ中に思想のようなもの(松本勇二)」:なるほど、と思った。たとえば、病後、久しぶりの食欲を感じ、食物に向かう時、啓示のようなものに打たれることがある。誰がこんなものを拵え、ととのえ、何の資格があって、このような食事ができるのか。畏敬の念と言っていいほどに、食事ということの意義を感じる。もちろん、ここは食のことを言っているのではなかろうが、一個の人間を支えるものの深さ、それを仮に言えば、「思想」という詩語になるのだろうか。特選句「まだ母になれず鏡のしゃぼん玉」:何となく、ポプコン世代に流行ったウィッシュの「六月の子守唄」を思い出した。まだ母になり切れない未熟な母というのか、そんな迷い戸惑う光景が想像される。そんな自画像をたしかめながら、優しさを追求している姿が感じられた。特選句「濡らしては拭い八十八夜の手(月野ぽぽな)」:濡らしては拭い、というのは当たり前のように繰り返される日常の一動作なのだが、それは何という手なのか。日常の手から抜きんでて、それは確実に何かに向かおうとしている手のようだ。そして、その手は、世界中の何十億という手の存在にもつながってゆく、そんな広がりがある。或る方が医学の解剖実習のとき、献体の手を見てはいけないと言われたことがあると、聞いたことがある。なぜ、手なのか?と、ふと思わせられた。♡4月20日から3週間、病気していました。GWは、毎日、点滴。一昨日から復帰しました。復活します。今後ともよろしくお願いします。

遠藤 和代

特選句「人間の巣箱にいらぬものばかり」。人間にはいらないものだけど、他の生き物には大切な物が巣箱に入っている。とも読めるし、人間の巣箱すなわち家の中にはいらない物ばかりがある。とも読める。面白い句だと思います。

亀山祐美子

特選句「喋り出したら止まらないスイトピー」。風に揺れるスイトピーの明るさが好きです。特選句「人間の巣箱にいらぬものばかり」。同感。終活に取り掛かるもどこから手をつけていいのかわからない。

三好三香穂

特選句『「子は鎹(かすがい)」孫蝶番(ちょうつがい)葱坊主』。孫は蝶番…が面白かったです。先日、トイレのドアのちょうつがいが外れ、オープントイレとあいなりました。孫を連れて来なければ笑なりませんね。

荒井まり子

特選句「老いという表面張力水羊羹」。毎月の皆さんの句を拝見させて頂き楽しみにしています。中七の「表面張力」の表現に思わず共感しました。ありがとうございました、頑張ります!

銀   次

今月の誤読●「湖の上紙ひこうきが飛んでいる(男波弘志)」。湖は今日も霧だった。少年は学校の帰り、その岸辺に立ち寄り、見はるかす水面を眺めるのが常だった。それは一年ほど前に、三つ違いの姉が亡くなってからの日課だった。姉はしばしば「この湖の向こう岸には大きな街があって、そこは夜通し明るいんよ」と言っていた。信じたものかどうかは少年にはわからなかったが、なんだかそこに立つと姉の言っていた街が見えるような気がするのだった。だがそんなものは見えはしない。見えるのは霧だけだ。少年はカバンからノートを取り出し、ページを破り、紙飛行機を折った。そしてそれをスイと湖に投げた。白い機体は水面すれすれに静かに飛んでゆく。風もないのに落もせず、霧のなかに消えていった。と、それが合図のように、霧の向こうに見知らぬ街が姿を現した。無数の窓があった。濡れた高層ビルは空よりも高く、赤い航空灯が星のように瞬く。高速道路は光の川となり、青白い電車がガラスの橋を走り抜ける。看板のネオンサインは夜を照らし、巨大な広告映像の美女は何秒ごとかにポーズを変え、そのたびに笑顔を見せるのだった。少年はその光の岸辺にセーラー服姿の姉を見た。姉は群青色の街明かりのなかで、その紙飛行機を拾い、懐かしい顔で少し笑った。次の瞬間、風が吹く。ネオンも高層ビルも一斉に滲み、あたかも水に溶ける絵の具のように、崩れて消えた。呆然と立つ少年の足元にポタリと紙飛行機が落ちた。こちらの岸もやがて暮れようとしていた。戻ってきた紙飛行機からはかすかに濡れたアスファルトの匂いがした。

疋田恵美子

特選句「花万朶やがてはぐれて逝きたまふ」。爛漫たる人生もいずれ他界という現実を思います。特選句「メラニアの目深きプリズム五月闇」。知的なメラニアトランプさんだけに、背負う宿命の重さのようなものを感じます。

野﨑 憲子

特選句「落花一片老樹の幹の苔の上」。古刹での景なのだろか、苔の上に落ちた櫻の花びらの美しさに思わず息を呑んだ。耳を澄ませば苔と老樹とひとひらの花びらのお喋りが聞こえてくるようだ。静謐で美しい世界観に魅せられた。特選句「死なれへんニセアカシアに風ゆららぎ」 。冒頭の「死なれへん」の関西弁があまりにも切ない。たが、ニセアカシアの登場に、虹色の光が注ぐ。この木には、切っても切っても芽吹く圧倒的な生命力がある。満開のニセアカシアの白い花房が甘い香りを放ちながら重たげに垂れ下がり初夏の風に揺らぐ姿と相俟って「死なれへん」という言葉の奥に、強い意志と静かな祈りを感じる。「風ゆらぎ」とせず「風ゆららぎ」にしたことによる余情が深く息づいていて胸に迫りくる。生きて生きて生きてください。お元気を!

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

夏帽子
夏帽子陳列棚で風を待つ
大浦ともこ
夏帽子ある日の午後のことでした
野﨑 憲子
夏帽子スプンを逃げる豆花(トウファ)かな
和緒 玲子
夏帽子目深にかぶるえくぼかな
大浦ともこ
しんちゃんは三頭身で夏帽子
和緒 玲子
夏帽子のぼりし山の風を吸う
岡田 奈々
梅雨
短調の風が吹きます梅雨晴間
野﨑 憲子
入梅や嘘をつくにも訳がある 
藤川 宏樹
梅雨晴れ間鬱前線を突破せよ
岡田 奈々
夜の電話梅雨に音階あるらしく
和緒 玲子
電話(スマホ)
虹は片虹糸電話の糸切れて
大浦ともこ
待ち受けはギザギザハートのお月さま
野﨑 憲子
茉莉花(マツリカ)の香の濃き夜を長電話
和緒 玲子
豆飯の臭いの中を電話とる
岡田 奈々
電話口じっと我慢の黄水仙
末澤  等
昼寝覚
私であつて誰かであつて昼寝覚
野﨑 憲子
昼寝覚スワンボートの乗り心地
和緒 玲子
二刀流でどんなもんじゃい昼寝覚
藤川 宏樹
昼寝覚白湯にうるほう喉仏
大浦ともこ
俳句つてパツシヨンなんだ昼寝覚
野﨑 憲子
象とゐてマツケンサンバ昼寝覚
藤川 宏樹
カステラは厚切りでとや昼寝覚
岡田 奈々
蛇の衣
ありがた山のトンビ烏や蛇の衣
野﨑 憲子
裸婦像に長き四肢あり蛇の衣
和緒 玲子
蛇の衣愛と思ふかAIか
藤川 宏樹
今すこし我慢のときです蛇の衣
藤川 宏樹
花蜜柑
大潮の無垢なる風よ花みかん
和緒 玲子
初恋めくひとをとなりに花蜜柑
藤川 宏樹
ミサの鐘遠く響きて花みかん
大浦ともこ
「先生」はやめてちょうだい花みかん
藤川 宏樹
花みかん明るい視覚障害者
岡田 奈々
忘れるもんか海岸道りの花蜜柑
野﨑 憲子
花みかん色と香りの二刀流
古沢  等

【通信欄】&【句会メモ】

今回は、五月晴れに恵まれお出かけの方が多く、少しコンパクトな生句会でしたが、いつもと変わらぬ楽しい句座になりました。兜太祭りがご縁で、金沢の木村寛伸さんも加わり、ますます句会が熱く渦巻いてまいりました。

♡『俳壇』6月号84頁に志度寺の句碑に関しての拙文が掲載されています。お気が向けば書店や図書館でご覧ください。

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