2016年9月29日 (木)

第65回「海程」香川句会(2016.09.17)

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事前投句参加者の一句

秋風を不貞寝し奴の蛻(もぬけ)かな 藤川 宏樹
小鳥来る養蜂業の若嫁に 稲葉 千尋
水曜日のカンパネラ野分兆しおり 大西 健司
月光ノナカノコサレテヰル手紙 小西 瞬夏
大風のちょうさ祭りや君がいて 髙木 繁子
白桃を噛むオフィーリアの耽美かな 疋田恵美子
木陰より覗く猫の目鰯雲 菅原 春み
アフリカの乳房に流れ雨の粒 夏谷 胡桃
打水にかそけき秘境蝶尿る 三好つや子
ダリアよりすこし淫らに口ひらく 月野ぽぽな
締め切りの期限に追われ秋茜 古澤 真翠
手放した楽器鳴ります十三夜 三枝みずほ
紫蘇もんで平らに寝落つ自然なり 矢野千代子
手の中に何にもないのお月さま 柴田 清子
子落ち葉拾う親を泣かせて雲が往く KIYOAKI FILM
水蜜桃暮らし話せば口荒し 桂  凛火
朝の蛇老躯快心ストレッチ 町川 悠水
無印のやうないち日小鳥くる 谷  孝江
日盛りに中島みゆき檄飛ばす 野澤 隆夫
窓開けよ九月のくうき洗い立て 野口思づゑ
砂蟹の残せし秋の曼陀羅図 河田 清峰
微量なる毒薬欲しき雨月かな 重松 敬子
特攻花とう薄黄の唇よ 野田 信章
永遠は蟻を見ていた頃の時間 河野 志保
鬼やんま風の向かうに山ひとつ 亀山祐美子
新涼や肩をすべりし肌襦袢 藤田 乙女
茄子胡瓜行水の子のはち切れる 中野 佑海
恋は秋色織りなす繊手思うままに 由   子
薄味で粋に生きるって夏落葉 若森 京子
鬼虎魚(おこぜ)本気になって嘘を付く 鈴木 幸江
虫の音の伽藍に埋む我が街や 田中 怜子
青鷺にボクサーにさびしい銀河 伊藤  幸
刈田風老女の背筋ピンと伸び 漆原 義典
穴惑いせし蛇どちは寝言いう 寺町志津子
曼珠沙華そげんにウチば憎とかね 増田 天志
青空ヲ撃ツキラキラト鶏頭 竹本  仰
熟れきれぬ柿の実落ちる片恋よ 中西 裕子
紅ひくや西日のをんな四畳半 銀   次
無言劇百有り夜のかたつむり 小山やす子
何せむと山芋買ひ来誕生日 高橋 晴子
大いなるお尻が坐る花野かな 野﨑 憲子

句会の窓

中西 裕子

特選句「鬼やんま風の向かうに山ひとつ」で鬼ヤンマの力強さと山の対比、大きな句だと思いました。「晩夏光鋳物屋ストーブのみ造る(伊藤 幸)」の晩夏光もストーブのみ作るの、一途さが好きです。「朝の蛇老躯快心ストレッチ」の朝の蛇も縁起がいいのかな、気持ち良くストレッチして清々しい感じがしました。久々連月参加。袋回しでも知らないことばがたくさんでて、皆様の教養の深さに驚くばかり、またまた勉強になりました。

大西 健司

特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」方言俳句の難しさは重々承知しているが、この句は成功している。実に味があり、読み手それぞれの物語が広がる。映画のワンシーンのようだ。

野澤 隆夫

今月の句会用紙の書体が読みやすいです。特選句一選「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」上五と中七、下五が軽妙に呼応。尾崎士郎の『人生劇場』青春編、五木寛之の 『青春の門』筑豊編、石川さゆりの演歌?ボソッとしたつぶやきみたいで面白いです。ニ選「鬼虎魚本気になって嘘を付く」鬼虎魚と嘘を付く人の、それも本気でつく人との取り合わせがなんともユーモラスです。今月の句会翌日、「海程」香川句会のブログ掲示板で案内のあった墨華書道展の解説を聞き「九月尽甲骨木簡心旅(漆原義典)」もなかなか情緒があるかなぁ…と思いました。

伊藤 幸

特選句「秋風を不貞寝し奴の蛻かな」漢字の魅力、中身の諧謔、全てサクセス! 何でもないてば何でもないに兎に角面白い。 特選句「月光ノナカノコサレテヰル手紙」句意はどうであれ、これまた片仮名の成功例。戦死した兵の手紙か、はたまた恋文か定かではないが内容は重い(気がする)。月光と手紙の漢字が句を浮き立たせている。

漆原 義典

特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」はすぐに特選句にしました。表現されている内容は強烈ですが、熊本弁と思われる会話調とうまく調和され、ほんわかな気分となりました。会話をうまく使い表現されている素晴らしい句だと思い特選句とさせていただきました。感動をありがとうございました。

増田 天志

特選句「手の中に何にもないのお月さま」天国の門の狭さよ月今宵。

中野 佑海

特選句「秋風を不貞寝し奴の蛻かな」ちょっと世を拗ねて、不貞腐れて夏を怠惰に過ごしたけど、もう良いか!秋風も吹き始めたし一丁ここは何か事をはじめてやるかな。頼もしいあんたに戻って良かった!!言葉の並びが面白かったです。特選句「永遠は蟻を見ていた頃の時間」蟻がパン屑や小さい虫の死体を営営と運ぶ様子を飽きることなく見ていた幼き頃、自分の命に限りが有るなんて、考えた事もなく、誰かに邪魔をされることも無き、夏の1日。私がこの世の中心にいた頃。この緩き時が永遠に続くと思っていた小さい時を思い出しました。

鈴木 幸江

特選句「曼殊沙華そげんにうちば憎とかね」曼殊沙華を主人公の擬人法の句として読んだ。この花は、毒があるとか、お墓の傍に咲いているとかで、あまり縁起のよくない花としてイメージされている。でも、それは勝手に人間が思っていることで、天然である曼殊沙華にしてみれば、どうでもいいこと。こんなセリフで応戦したくなる気も分かる。私も、このセリフ一度句会で使ってみたいものだ。問題句「幾万の玄き目月と黄みがかる(藤川宏樹)」実は、自句自解を承ってしまった。私の解は、少し心に傷を持つ人びとの玄い瞳がたくさんあり、そこに、黄みがかってゆく月が映り込んでゆく風景を思い描いた。どこか、狂気を帯びてゆく夕暮れ時が感じられた。そのためには、「月と」が「月に」の方がいいように思った。

夏谷 胡桃

特選句「無印のやうないち日小鳥くる」:「無印のような」が少し既視感がありましたが、「小鳥くる」でいいいなぁとストンと胸に来ました。無印のようないち日が欲しいです。今は仕事柄、毎日事件で、印だらけです。でも、この12月で仕事を辞める決心をしたので、こんな日が来ることを願っていただきました。特選句「鶏頭の大きな赤にぶち当たる」鶏頭の花なんて古臭いと思っていました。でも、鶏頭の花も品種改良されたのか、ずいぶん大きい花や昔より華やかな様相なものが増えた気がします。この夏、私もそんな鶏頭と散歩の時に出会っては驚いていたので、共感して特選です。

河田 清峰

特選句「手の中に何にもないのお月さま」ひろげた手のひらに月のひかり輝いている!それと裏腹な何にもないの!の表記がそれで充分満ちていると思わされる好句である。自句自解「梟の耳のなきよう野分立つ」梟の顔の右左に動く様が野分を感じさせた句でした!ちなみに梟の耳は目の横にあるそうな

若森 京子

特選句「鶏頭花胸中に人殺めては(谷 孝江)」鶏頭花の深い真紅を見ている時、思わずの作者の発語に驚くが、思いの中で人を殺める事は人生の中であると思う。特選句「おおかたは夕化粧きれいな関係(柴田清子)」このロジックのない言葉の中に〝夕化粧〟の措辞からか人間の、特に女性の魔性の心理が感じられる。〝きれいな関係〟で又思いが増幅され、魅力ある一句。

小西 瞬夏

特選句「無印のやうないち日小鳥くる」ささやかな、なんでもない一日の倖せを思う。いつもこのような境地でありたい。

藤川 宏樹

特選句「手の中に何にもないのお月さま」見開きページに一行の童話です。岩崎ちひろの挿絵がはまります。加減乗除、試行錯誤の繰り返し、「やっと一句」の私には真似出来ません。肩の力が抜けた自然体、柔らかい。合わせて「鬼虎魚本気になって嘘を付く」も気に入りました。

三好つや子

特選句「バレリーナの高き跳躍林檎傷む(小西瞬夏)」優美に踊れば踊るほど、悲鳴を上げていそうな足の先。そんなバレリーナの痛みにも似た、みずみずしい林檎の捉え方にぐっときました。特選句「月光ノナカノサレテヰル手紙」この手紙に遺書めいたものを感じました。人生の最後をどんな言葉で締めくくったのか・・・カタカナ表記がいっそうミステリアスです。問題句「大いなるお尻が坐る花野かな」大いなるお尻とはどんなお尻なのか、とても面白い句ですが、作者の思いを伝える工夫がもっと必要だと思います。

町川 悠水

秀句、佳句が目白押しなので迷いました。そのなかには、最初は目に留めなかったものの、二度目三度目で釘付けになるものもあって、浅学を思い知らされたことでした。特選句「晩夏光鋳物屋ストーブのみ造る」何がどう佳いかは説明不要の秀句。特選句「くもりなき一眼レフにある秋思(三枝みずほ)」讃辞を送りたい句。恐れるのは類句の有無。特選にはしなかったものの、優劣をつけがたかったのが「犬の糞結界のごとそこから秋(中野佑海)」「ダリアよりすこし淫らに口ひらく」「鬼虎魚本気になって嘘を付く」の三句。並選ながら「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」は、方言のぴったり感に痺れました。曼珠沙華は時に嫌われる花。私も埼玉で広い土地の中古住宅に住んだ時、一隅に突然曼珠沙華が開花した折には驚きました。でも、あの造形美は極上。このほかにも佳句が沢山ありましたが、そこには破調の句が多く、五七五に収めた方が品格もむしろ上ると見えて惜しまれたのが、「来し方の透かし彫りかな夕すすき(三好つや子)」、「夕立が来そうなアスファルトだ走れ(月野ぽぽな)」、「おおかたは夕化粧きれいな関係」の三句でした。ともあれ、この稿をまとめた後も楽しませてもらえる作品が揃っていて、感謝です。

月野ぽぽな

特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」中七下五の訛りの言葉が、本心の吐露として効いています。曼珠沙華の赤も効いています。

稲葉 千尋

特選句「朝の蛇老躯快心ストレッチ」何んと気持ちの良い俳句。こんな作者に会いたい。朝の蛇が佳い。特選句「日盛りに中島みゆき檄飛ばす」中島みゆきの歌、大好きです。毎日聞いてもあきない。元気がでます。

柴田 清子

「紫蘇もんで平らに寝落つ自然なり」を特選に。この句の中に、日本の祖母がゐて、母がゐる。大きく世の中が変って、暮し方が変っている今だからこそ、四季のうつろいの中の大切な自然との共存の大切を思うし思はされた句です。しみじみと、つくづくと、内容のいい句だなあと思っています。「永遠は蟻を見ていた頃の時間」この句のどの部分からも入ってゆけないけれど、わかろうとすればするほど、理解に苦しむ、そしてこの句から離れなくなってゆく小気味よさが、魅力。

三枝みずほ

特選句「短夜の銃から人が離れない(月野ぽぽな)」銃が中心となり、それに群がる人。とても怖い世界を見てしまったような・・・一昔前ならそれは遠い世界のお話だったかもしれないが、今はこれが現実で、その真っ只中に私たちはいる。銃社会、戦が始まれば、ゆっくり眠れなくなり、命も儚い。言葉の持つ力、季語の力を再認識させられた作品だった。好きな作品がいっぱいあって、選句に迷いました!今回も大きな刺激を頂き、勉強になりました。ありがとうございました。

野口思づゑ

特選句「永遠は蟻を見ていた頃の時間」一心不乱に見える蟻を余計な事は何も考えずに、こちらも一心不乱になって見る事ができたその頃、永遠の時はあるのだ、と思えた。特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」思わず唸ってしまう。自然災害に見舞われた経験を述べているのだと解釈。一度だけでも打撃なのにそれを繰り返されれば、その災難はあたかも個人的恨みを買っての攻撃ではと思われるほど理不尽である。曼珠沙華の後ろにいる創造主に土地の言葉でこのように言われたら、相手は猛省し、もう災難に襲われることはないだろう、と願う。問題句「短夜の銃から人が離れない」夏の夜、何か誘惑するものがあるのか。正直意味はわからないのだが、どこかに怖さがあり、それに妙に引かれる。

重松 敬子

今回も個性的な句が多く、大変勉強になりました。特選句、問題句共に「薄味で粋に生きるって夏落葉」夏落葉がぴったりこないように思います。あくまでも、私の感覚です。上5中7が、含蓄するところ大なりと言えるので少し残念に思います。

桂 凛火

特選句「青鷺にボクサーにさびしい銀河」青鷺にボクサーにの並列が新鮮でした。「さびしい銀河」も甘いけれど詩的で魅力的な一句でした。どちらもさびしい銀河を身内に抱いているということなんでしょうか、青鷺っていつも孤独そうで、でもシャンとしてて、リングでたちつくすボクサーににているかもしれません。明日のジョーを思い出しました。

竹本 仰

特選句「紫蘇もんで平らに寝落つ自然なり」石垣りんさんの詩に「シジミ」がありました。引用します。「夜中に目をさました。/ゆうべ買ったシジミたちが/台所のすみで/口をあけて生きていた。∥「夜が明けたら/ドレモコレモ/ミンナクッテヤル」∥鬼ババの笑いを/私は笑った。/それから先は/うっすら口をあけて/寝るよりほかに私の夜はなかった。」どうでしょう?何だか、この敬虔さが、ここにもひしと感じられ、「平らに寝落つ」というのは、「もまれたのはむしろ私の方、おやすみ」というつぶやきが聞こえるようで、面白かったです。ちなみに、石垣りんさん自身の肉声の「シジミ」を聞いたことがありました。ゾワ~ッとしました。・特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」ふいにこんな言葉を言われると、追い詰められてしまいます。見透かされたというか、ああ、ここに谷(きわ)まれりというか。ま、要するに、ドスを突き付けられた感のこの言葉が、しかも曼珠沙華を何気なく見ていたそばから、まさに「来タ~ッ!」なんでしょう。すると、曼珠沙華がみるみる変容していくではありませんか。してみると、曼珠沙華の影から刺客、そして修羅場、このドラマ感がたまりません。これは、絶対、方言でなければ成り立たない舞台でしょう。そういえば、笹沢左保作・木枯紋次郎シリーズ第一弾は「彼岸花は散った」だったか。ということは、曼珠沙華―彼岸花路線には、女の一徹と血が結びついているということだったのか。以上です。:字体が変わりましたね。好きです。(字体のことですよ)忙しいお彼岸が終わり、しかし、今年は、ここ淡路島では雨天多く、稲刈りが出来ないと、どの通りでも口々に。農村ですね、つくづく。読書の秋でもあります。楽しみです。ところで、みなさん、台風は大丈夫でしたでしょうか?これも、因果なんでしょうか、年ごとに、想定というものが、吹き飛ばされてゆくような、そんな世の中であります。また、来月まで、みなさま、お元気で。

田中 怜子

特選句「秋風を不貞寝し奴の蛻かな」ふとんがもりあがって秋風がすっと入ってくる感じと、2人の関係がおもしろい。特選句「茄子胡瓜行水の子のはち切れる」茄子の色、胡瓜が水の勢いでコロコロ回っているさま、子どもの同じように元気な様子が伝わる。

古澤 真翠

特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」作者がどなたか一目瞭然。俳句を芸術だと知らしめていただきました。益々のご健吟を お祈り申し上げます。

疋田恵美子

特選句「味覚障害蝶一頭の舌恋し(若森京子)」初老の身には過去の後遺症が出始めます。身体左右の違いに気づく今。特選句「熟れきれぬ柿の実落ちる片恋よ」先日の台風に柿の実が庭を彩りました。下5がいいですね!

河野 志保

特選句「手放した楽器鳴ります十三夜」」鑑賞…手放した楽器って何だろう。楽器が鳴りだすってどういうことだろう。月光が音色を奏でるのか、月明かりそのものが音楽なのか。想像膨らむ魅力的な句。「十五夜」ではなく「十三夜」というところに寂寥感も漂い印象的。:曼珠沙華が咲いて、秋らしくなりましたね。 私が平城宮跡で毎年目する曼珠沙華は、咲くとすぐ切られてその場に放置されます。 事情はわかりませんが残念です。今年もやっぱりそうでした。それでは、季節の変わり目、どうぞご自愛ください。

寺町志津子

特選句「永遠は蟻を見ていた頃の時間」炎天下、一心にエサを運ぶ蟻。わが身より大きなエサを、単独作業の蟻あり、協働の蟻あり。時間の経つのも忘れて見飽きなかった頃。言われてみれば、あれが「永遠」というのか、と妙に納得。若かったなあ!!

由   子

今月は感情表現のまっすぐな句を選びました。心を寄せられる気分なのかも。特選は「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」。怒り、悔しさがよく分かります。脳裏に景色が浮かびます。問題句は「アフリカの乳房に流れ雨の粒」で。言葉づかいが面白いと感じました。比喩かもしれませんが、日本を連想する単語が欲しかったです。

菅原 春み

特選句「一族に割って入りたる油蝉(谷 孝江)」油蝉の特性がでているような。おもしろい 。特選句「病の子背中で聞くよ虫時雨(中西裕子)」背中で聞くが圧巻です。状景が見えます。以下並選句「噛み砕く種の苦さよ秋遍路(増田天志)」秋遍路ならではの所作か?枇杷の 種でも噛んでいるのか。実直な句。「短夜に尾を持つごとく寝返りぬ(河野志保)」寝返りに尾とはとてもユニークな表現。「雨音や獣の匂いのして新涼(中野佑海)」獣の匂いに意外性がありいいです。「くもりなき一眼レフにある秋思」くもりなきにしびれますね。「 笑い声分け合っている良夜かな(重松敬子)」こんな良夜もほのぼのします。問題句「アフリカの乳房に流れ雨の粒」? え、どこがアフリカの乳房?

亀山祐美子

特選はありません。気になったのは「大いなるお尻が座る花野かな」せっかく「大いなる」「お尻」と韻を踏んでいるのだが、「お尻」なら「座る」だろう。「坐る」なら「尻」だろう。気の使いようが中途半端だ。微苦笑を誘うなら「お尻」で十分だが、生命力を押し出すなら「尻坐りをる」「尻坐りたる」「尻の居座る」等とすべきだ。ここがこの句の肝で評価の分かれ目だと思う。彼岸に志々島の小野蒙古風師の句碑へ献花に行きました。あいにくの雨で大楠へは行けませんでした。翌日は伊吹島で芸術祭の準備に明け暮れました。ハードな二日間でした。母がまた写真展示をします。お忙しいでしょうがお立ち寄り頂ければ幸いです。

小山やす子

特選句「打水にかそけき秘境蝶尿る」神秘な気がします。特選句「ダリアよりすこし淫らに口ひらく」ダリアをじっと観察するとこんな感情がでそうな・・・。

藤田 乙女

特選句「永遠は蟻を見ていた頃の時間」永遠ではない「時」1日が、ひと月が、そして、1年があっという間に過ぎていきます。過去も先のことも何も考えず目の前のことだけを見つめることができたのは、短いけれど、貴重なる至福の時間だったかもしれない。人生というものを深く考えさせられる良い句だとおもいました。「恋は秋色織りなす繊手思うままに」恋って素敵ですね。この句を読んだらわくわくドキドキしてきました。

高橋 晴子

特選句「手放した楽器鳴ります十三夜」面白い感覚。「十三夜」の引き出した幻の表現。実際に鳴っているような気がする。不思議である。ただ、〈鳴ります〉の〈ます〉では、時間の経過がよくわからない。〈鳴りだす〉位にしたら音がきこえてくるのだが。特選句「鬼やんま風の向かうに山ひとつ」迫力があって鬼やんまらしさがよく出ている。作者の気力を感じさせてくれる。問題句:一句にしぼれないので、今回省略します。言葉遣いが変な句が多いなあ。

野田 信章

猛暑、炎暑、異暑の夏百日を乗り越えた一二三句。これは貴重なことだと拝読中である。今夏のこの体感を引き摺る身が共感し共有し得る句を選句の対象にしました。硬い表現の句には今夏のきびしい暑さにも耐え得る真情の直なる表出があり生理的実感に根ざしたものがある。その人間臭が魅力とも言える。片や軟らかい表現の句には夏百日を潜り抜けてふわっと浮上した感のあるさわやかさ平明さが魅力となっている。この二様の自立こそ最短定型詩ならではのものかと味読している次第である。秋の大気の中で、わが志向性を問い正してくれるものもこの二様の作句群の中に在ると思う。

KIYOAKI FILM

特選句「落鮎の身(しん)のおもたさ不安なる(矢野千代子)」:「不安なる」がよく伝わってきます。時代の不安もあるかもしれないです。「身のおもたさ」が迫力もって、表れてくる。問題句「短夜の銃から人が離れない」:「短夜の銃」が怖い。重々しいが、この世の時代の大きな問題と思う。「人が離れない」ので、皆、議論している姿と思った。「短夜」に何か、感じることがありました。早く、銃を捨ててもらいたいです。

谷 孝江

特選句「永遠は蟻を見ていた頃の時間」「熟れきれぬ柿の実落ちる片恋よ」懐かしくて切なくて、もう取り戻すことのない遥かな私がそこにいます。俳句っていいですね。短い言葉のなかに色々の、自分だけの世界に浸ることができるのです。たくさんの句の中からたくさんたくさん楽しませていただきました。ありがとう。

野﨑 憲子

特選句「アフリカの乳房に流れ雨の粒」:「アフリカの乳房」という上五に圧倒されました。私は、この言葉を、アフリカという人類の故郷、その地に根ざす生きとし生けるものの母性の象徴に捉えました。その豊満な乳房を伝う雨粒は、まさにいのちそのもの。句の中に、光の渦巻を感じる佳句です。問題句「鬼やんま風の向かうに山ひとつ」上手い句で、リズム感も抜群です。しかし、下五の「山ひとつ」が映像としてしか作用していないように思います。私にはこの作品から「風」が感じられないのです。気合の入った作品だけに、もう一歩の飛躍を望みたいです。

 

昨年から、金子兜太先生と、いとうせいこう氏の選による『平和の俳句』が東京新聞の一面に毎日掲載されています。わたしも、時折、応募しています。七月に、昨年の掲載句を集めたアンソロジーが小学館から刊行されました。その帯文の、いとう氏の言葉「これは軽やかな平和運動です」は、至言だと思います。目線を足下に置き、国境という垣根を越え、地球を丸ごと愛する気持ちを表現してゆくことの大切さを思います。俳句をしない一般の人々の心底をも揺るがしやまない愛語を、世界最短定型詩で表現して行きたいと切に願うこの頃です。 

(本文、一部省略)

袋回し句会

今年米・新米
三合で五人ほころぶ早稲の飯
野澤 隆夫
雲いろいろ風のいろいろ今年米
野﨑 憲子
団子
孫作るだんごの丸は5ミリなり
漆原 義典
団子盛る留学生や鼻の稜
藤川 宏樹
宵闇や団子お化けとなるところ
柴田 清子
里海
里海やチッ素リン酸食ふて牡蠣
河田 清峰
里海に手紙流していわし雲
中西 裕子
里山をはろかにす酒ぬくめけり
柴田 清子
里海に浮きの流れや下弦月
藤川 宏樹
蟋蟀
ちちろ鳴く国会議事堂にゴジラ
野﨑 憲子
ちちろ鳴く水一杯の美味かりし
河田 清峰
留学生
学園に留学生来て金木犀
中西 裕子
留学生「いちにいさんし」星月夜
鈴木 幸江
その一人秋刀魚のやうな留学生
柴田 清子
塩辛とんぼ・とんぼ
塩辛とんぼ風が握手をしてゆけり
野﨑 憲子
わたしには過ぎた夫です塩辛とんぼ
鈴木 幸江
カヌー
カヌー勝つスロバキアの川母として
漆原 義典
傷心のふたりで秋のカヌー漕ぐ                                                                  
鈴木 幸江
九月の山鳩さびしくて鳴くんじゃない
野﨑 憲子
雲上の月まなうらに施無畏かな
河田 清峰
星月夜散歩まだかとわんわんわん
野澤 隆夫

句会メモ

九月のサンポートホール高松での句会は、午後午後1時から先月から始めた事前投句の全句朗読・・鈴木幸江さんのお声、凛としていて素敵ですよ!・・の後の合評は、ベテランの見事な鑑賞や初学の方の斬新な解釈に、大きく相槌を打つ人や、メモを取る人など、徐々に熱を帯びつつ午後2時半からの、<袋回し句会>へ。様々な<お題>に真向う事三十分で生れて来た作品の数々をご覧ください。句稿が配られる頃には、句会の熱気も最高潮になり、あっという間の四時間弱でした。句会報の読後にお送りくださった竹本 仰さんのメールを以下に・・世界最短定型詩は大切な部分を削るほどに、色んな読み方が可能です。快哉、快哉・・ですね。

「大いなるお尻が坐る花野かな」について。選句の理由は、与謝野晶子「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」を本歌としたる、ン十年後に詠まれたものだという、そういう設定が気に入ったからです。どうなんでしょう?もし、そうであれば、リアリズムを重んじるような見方は、意味がなくなる訳で、むしろこのパロディの意匠にふさわしい衣装なんだと、私にはそのフィット感が、大変好ましく思われたのです。そんな点からいえば、今回の中で一番笑えた句で、快哉、快哉(よいかな、よいかな)と心地よい状態になりました。ところで、子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」の句について、私見を漏らしますと、あれは、絶大なる青春回想句なのではないかと思えてなりません。病故に嵩じる嗟嘆の大きさ、それではないのかと。そうですね、中島敦さんの「山月記」のあの虎になった李徴の、憤懣やるかたない歎き、あの息吹きをさらっと流したものではないのかと。ということで、拙句「青空ヲ撃ツ」は、この子規への反歌ということだったのです。いつもながらの妄想癖を自嘲しつつ、いちおう、子規を指定の賛美歌ということになりましょうか。

2016年8月31日 (水)

第64回「海程」香川句会(2016.08.20)

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事前投句参加者の一句

鍔へ浮く飛沫(しぶき)轍(わだち)の弓(ゆ)なる夏 藤川 宏樹
来し方は炎(ひ)のようであり曲がり茄子 伊藤  幸
独り楽しむ月と私の距離はなし 由   子
人間は弱いと想え終戦日 鈴木 幸江
夜の蝉それは時効になった嘘 三好つや子
潮の香や旅の浴衣のすぐゆるむ 疋田恵美子
さるすべりひくきところへ流れるくに 夏谷 胡桃
義歯合わず竹筋虫(ななふし)のこの伸び縮み 矢野千代子
夏椿「さかしまに」の世(よ)になるらんか 田中 怜子
炎昼のとろりと虚空砂丘馬車 桂  凛火
ひまわりは旗印まっすぐ攻めよ 増田 天志
内臓はやさし工場熱帯夜 竹本  仰
ぬぐふ汗ぬぐへぬ汗にまみれをり 亀山祐美子
青大将どこまでいった回覧板 大西 健司
洗い髪今日の不満を笑っちゃう 中野 佑海
遠郭公指で確かむ鎌の切れ 稲葉 千尋
貧乏とひとりに馴れて心太 谷  孝江
踏ん張るや負けてなるかよポンポンダリア 髙木 繁子
水風呂や山がまっすぐ歩いて来る 野田 信章
病室の小さき窓や星月夜 菅原  春み
捨てられし夏帽戦火繰り返す 小西 瞬夏
母の手を握る夜ありて敗戦日 KIYOAKI FILM
手拍子で煽る晩夏の大道芸 野澤 隆夫
百年を生きたと言えば亀鳴けり 小山やす子
花あおい朝の痛みのままに咲く 月野ぽぽな
母親と戦う少女夏の月 重松 敬子
金色のレモン酒ゆれて夜の秋 中西 裕子
夏夕日石見の海に魂(たま)鎮め 漆原 義典
日傘回す不安だったり期待だったり 三枝みずほ
読みさしのページ湧きたつ蝉時雨 古澤 真翠
酒瓶を下げ灯篭の内に入る 銀   次
色褪せて盗まれそうな夏帽子 町川 悠水
祖父までは土葬の日向桐の花 寺町志津子
晩年や渦まきなおす蝸牛 若森 京子
Aに決めB思い切り天の川 野口思づゑ
向日葵咲く路上で声を上げるため 河野 志保
すべりひゆ土竜の足のやうにかな 河田 清峰
夏帽子童女の如く母往きぬ 藤田 乙女
<悼 千侍氏>秩父音頭の虚空へ舞へり櫓の灯 高橋 晴子
天空の大車輪なり夕蜩 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「鍔へ浮く飛沫(しぶき)轍(わだち)の弓(ゆ)なる夏」客観写生なのか心象風景なのか。平成のサムライは何をか為さむ。今日は、楽しい句会を、有り難うございました。

中野 佑海

特選句「来し方は炎のようであり曲がり茄子」今年の夏は本当に暑く炎天が続きます。茄子もその暑さと水の無さに耐え無骨に愚直に出来上がります。若き日を苦節に耐え、一 癖も二癖もありそうで頼もしくもあり。食べてみたら種も沢山ありそうな。特選句「夜の蝉それは時効になった嘘」時効になったと言うことはその嘘は誰にも知られていない。夜の蝉 も誰にも知られずに泣いて死んで行く。心の中では真実を語りたくて堪らないのに!と今からでも構わないから、自分の真実に生きて下さいね。問題句「昼下がり胸の迷路は揚羽系」 大好きな句ですが、揚羽系よりは揚羽蝶と書いて頂いた方が胸にすっきりと腑に落ちます。増田天志様。今回も暑い高松にようこそお出で下さいました。天志さんの突拍子のない解説 毎回楽しみにしています。有難うございます。

野澤 隆夫

昨日はお世話になりました。和気あいあい元気な句会でした。前半、鈴木さんが120句を読みあげての選句もよかったです。各自で目を通すのより、朗読を聴いて、鑑賞しつ つ選句するのでいいと思いました。選句は以下です。特選句「 ぬぐふ汗ぬぐへぬ汗にまみれをり」ぬぐへぬ汗にまみれて、必死に格闘している筆者。そして、難局を乗り切ったあとの ぬぐふ汗の爽やかさがいいです。特選句「水風呂や山がまっすぐ歩いて来る」何回か読み直し、この句もいいなとおもいました。小生は字面通りにとって今年から制定された「山の日 」の一風景ととらえました。問題句「ところてん河馬は空飛ぶ埋蔵金(増田天志)」暑さ真っ盛りの茶店で、何故か河馬を想像して読んだ句でしょうか?ところてんを食べつつ河馬? そして埋蔵金?難問です。面白いです。

藤川 宏樹

特選句「貧乏とひとりに馴れて心太」:「心太」が「ところてん」とは、思いがけずユーモラス。ところてんを天突きにて押し出すグニュッの感触、喉越す食感、貧乏と孤独の やさぐれ感。「心太」の一語にピタリ合っている。ココロブト問ふて読み知りこころ点

竹本 仰

特選句「雲の峰極太で書く『平和』かな(稲葉千尋)」:シンプルに力強く「平和」を表現できているように思いました。「雲の峰」との結びつきが、実に漠然とではあります が、「平和」という言葉の表情をとらえているように思いました。もちろん、厳密に考えれば、「平和」なんていう状態は寸時でしかありえないものでしょうし、だから、これは「願 望」としてとらえるべき、そしてその大きさを表したものでしょうね。特選句「大きな蛇大きな野菜終戦日(重松敬子)」戦争は大きなものというより、小さいものの中に、より染み 込んでいるものなんでしょうね。シラミだとか、イモの蔓だとか、また市川崑作品の映画「野火」でも塩だとか靴だとか、その描写に工夫が感じられました。そういえば、マーガレッ ト・ミッチェルの「風と共に去りぬ」にも南軍の敗因に靴の粗悪さが挙げられていました。そういう意味で言うと、小さなものであるはずなのに「大きな蛇大きな野菜」という「大き な」で平和の実感をあらわしたところが、鋭い見方だなと思わせました。問題句「睡蓮や玻璃のとびらに玻璃のかべ(月野ぽぽな)」この「玻璃」はなかなか使えないと思う。何とい うか、自由ということをつきつめて考えてる方じゃないんだろうかと、そういう関心でこの句の情景をとらえました。鋭意というか、誠意というか、そんなものを感じました。以上で す。今回は、終戦や平和の句が印象に残りました。よく考えれば、すべて今のこういう営為の前提ですものね。以前、「新興俳人の群像」という京大俳句事件に関する書を読んだこと がありました。受難といえばそれまでですが、戦後俳句の出発点にこの事件が大きくかかわっていたことは間違いないことのようです。表現の自由というけれど、自由とはその場合、 何をさしているのか、考えてみるのは大事なことかと思いました。また、次回、よろしくお願いします。

中西 裕子

特選句は「炎昼のとろりと虚空砂丘馬車」です。このところ暑さに参っているので炎昼の、とかとろりとか、砂丘などのことばが共感をよびました。問題句は「内臓はやさし工 場熱帯夜」で意味があまりわからないというか熱帯夜にも内臓は働く工場という意味だったら、やさしいということばは合わないかな、とか違う意図ならごめんなさい。前回参加は6 月で3時に終わったので久しぶりのふる参加させていただきました。勉強になります。ありがとうございました。

河田 清峰

特選句「秋近し石見の浜に砂の泣く」石見と言えば、「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」という人麿の歌をおもう♪ 都へ去る現地妻への別れ~そして 終焉の地への一句・・・・夏夕日石見の海に魂鎮め・・・・そんな気分に浸った句でした!ありがとう!

寺町志津子

特選句「秩父音頭の虚空へ舞へり櫓の灯」今年の全国大会で、金子千侍氏がお亡くなりになっていたことを初めて知り、ショックであった。掲句を読み、秩父音頭保存会会長( お役名は正しいかどうか、です)でいらしたご生前の千侍氏が、一同を率いて海程五十周年記念大会舞台で披露された見事な秩父音頭の踊りが蘇り、また、弟君を亡くされた兜太師の胸 中の悲しみはいかばかりか、と思い図られた。大変分かりやすい句でありながら、作者の千侍氏への哀惜の念、兜太氏への思いやりの念がしみじみ伝わる情感豊かな句に好感。

KIYOAKI FILM

特選句「夏椿『さかしまに』の世になるらんか」一読してすごい作品だと思いました。その本を読んだことがないですが、ズシリ胸にたたきつけるような、『さかしまに』の世 になるらんか」に共鳴します。問題句(特選)「秩父音頭の虚空へ舞へり櫓の灯」 問題句にする必要はないと思います。ただ問題句を見つけるコーナーだから敢えてしますが、心では 特選句です。人間の温もりを感じます。非常に感じます。金子先生の秩父音頭の練習をテレビで見ました。ちびっ子たちとやってました。少し昔のテレビ…。DVD「生きもの」でも 見た。本物を見たい。そう、念じる。

町川 悠水

特選句「青大将どこまでいった回覧板」青大将と回覧板の組合せ、その中七が巧みで立派。暮しのなかの平凡な事象を感性豊かに一句にまとめましたね。特選句「貧乏とひとり に馴れて心太」心太がここでは字面ともぴったり、作者は男性でしょうがあやかりたいですね。次に並選で若干気付いたところを述べると、「祖父までは土葬の日向桐の花」は佳句な がら、私なら「祖父までは土葬のふるさと桐の花」」と詠んでみたいですね。「ミシュランのたこ焼きあてに生ビール(野澤隆夫)」は「ミシュランのたこ焼き付合い生ビール」とし てみたいが、身勝手かな?問題句「ナメクジの宇宙ちょっぴり病んでいる(増田天志)」これは問題句と言うよりも私を悩ませた句です。鑑賞に十分時間をかけたものの捉えきれない のです。作者に教えてもらいたい一句となりました。(教えてもらいたいなんて甘い考えは捨てなさい、わかるまで考えなさい、という返事が返ってきたらどうしようか。→→「難解 の句が夢にまで熱帯夜」) 最後に余談ながら、切字の「かな」は誰しもよく使いますが、今月は6作品で見かけました。その感想を述べると、いくらか安易な「かな」頼みになって いないかなという気がしました。作者なりの考えはあるでしょうが、一石を投ずる意味で申し上げました。悠水付記:この歳になって泳ぐのが好きになってきました。下手は下手の醍 醐味と言えばよいでしょうか。したがって、少年の家の海水プールには感謝なのです。

矢野千代子

特選句「夏夕日石見の海に魂(たま)鎮め」歌聖、人麻呂の終焉を思うときドラマは果てしなくひろがってゆく。石見の天と海面を染める大きな夕日はまさしく鎮魂であろう。

稲葉 千尋

特選句「人間は弱いと想え終戦日」確に人間は弱い一人一人なら尚であり。集団になるとなを弱い制御不能になることさえある。特選句「天空の大車輪なり夕蜩」蜩のあの強弱 をつけた鳴き方は天空が廻っているようにさえ感ずる。大車輪はいいえて妙。

重松 敬子

特選句「母の手を握る夜ありて敗戦日」国民の敗戦の想い出。私もおぼろげな記憶で理解できます。手を握りあった夜、あの時のお茶の間、薄暗い雰囲気、肩を寄せ合って生き 抜いた家族、わかります。

夏谷 胡桃

特選句「日傘回す不安だったり期待だったり」誰かに合う前の女性の気持ちがよく出ていると思います。相手は異性という訳でもなく、久しぶりに会う友達とか、パートの面接 とかいろいろあると思うのですが、微笑ましいです。特選句「腹筋を鍛え上げたるなめくじり(重松敬子)」腹筋がなめくじりにあるのかと思いますが、なんだか笑わせてくれたので 特選です。

三好つや子

特選句「夜濯ぎや旅するように手足かな(夏谷胡桃)」昼間汗したものを濯ぎながら、水に浮かんだり消えたりするその日の出来事に、心を寄せている作者。自分自身を労う気 持ちも感じられ、ほっこりしました。入選句「蚯蚓干からび夢路家路の境なく(野田信章)」広告関係の仕事を退いて十数年経っても、ときどき仕事仲間の夢を見たりします。そんな 事を重ねて鑑賞。問題句「大きな蛇大きな野菜終戦日」大きな蛇は真の恐怖、大きな野菜は真の飢えの比喩でしょうか。終戦日とうまく響き合っています。上五と中七の間に「と」を 入れ、野菜は具体的にすると、いっそう句が引き締まると思います。

伊藤 幸

特選句「老ゆるとは何ぞシャワーを全開に(谷 孝江)」そうです!老いを恐れる必要も、かと言って抗う必要もない。楽しんで下さい。「シャワーを全開に」いいですね。ガ ンバレ!とエールを送りたくなる。特選句「秩父音頭の虚空へ舞へり櫓の灯」秩父道場で秩父音頭を初めて知った。素晴らしい追悼句だと思う。故人がどのような方であったか、この わずか五七五の短詩で窺える。きっと明るく周りから愛される方だったのであろう。故人も喜んでおられる事でしょう。

若森 京子

特選句「さるすべりひくきところへ流れるくに」一句の言葉の流れ、さるすべりのイメージにマッチした中七、下五。自国の未来を暗示する様な一句に共感した。特選句「Aに 決めB思い切り天の川」決断して、実行してゆく心の動きを面白く表現している。季語としての「天の川」が、ケセラセラの心情の一句に、よく効いている。

大西 健司

特選句「兄ちゃんが弟叱る終戦忌[伊藤 幸)」とにかく終戦直後の情景に思えてこだわった一句。終戦忌がなければ、日常どこにでも見られる光景だが、終戦忌と書かれると 、終戦後の困難な中、健気に生きる兄弟の姿が思われ、ついホロリとしてしまう。はるかに遠くなった戦後の混乱期を回顧する作者の姿と、つい深読みをしてしまう。いかがなものか 。

月野ぽぽな

特選句「母親と戦う少女夏の月」親に多くを依存していた幼少期から自立した一個の人間になるがめに、少年は父を少女は母を越えてゆく時期が必要といいます。反抗期はだか らとても大切なのですね。夏の月の光が気持ち良く降り注ぎます。

鈴木幸江

特選句「夜の蝉それは時効になった嘘」まず、俳句に時効という言葉が使われていることに興味を持った。そして、夜の蝉と時効になった嘘を組み合わせた詩才に感服した。そ こにある共通性を探る楽しみから、真理を探究しつつ句を味わうことの奥深さを教えていただいた。問題句「鍔へ浮く飛沫轍の弓なる夏」この句の自句自解を伺って、俳句の面白さを 再確認した。わたしは、鍔を刀の鍔と解釈して、水辺で刀を抜いた光景をイメージしたのだが、作者は、帽子の鍔に水が掛る光景を詠んだ句とのこと。轍も水が描いた弧のことだそう だ。わたしは、馬車の轍と解釈した。ここまで、光景が違うとは。言葉の世界の妖しさに心が揺さぶられた作品であった。

小西 瞬夏

特選句「晩年や渦まきなおす蝸牛」:「晩年」という時期をなんとなく実感する作者。ふと目にとまった蝸牛。その歩みを見ていると、ゆっくりと渦をまきなおしているように 見える。それは、人生を折り返し、これまでの人生を振り返ったり、追体験したり、やり直したりと、そういう自身の歩みにも似るととらえたのだろうか。

古澤 真翠

特選句「病室の小さき窓や星月夜」長い入院をなさっていらっしゃるか細くも美しいお姿が浮かんで映画のワンシーンのような感銘を受けました。目頭がじんわり熱くなってく る映像に 17文字の素晴らしさを教えていただきました。

銀   次

今月の誤読●「オニヤンマぶつかってはまた考えて(河野志保)」。街角で人と人とがぶつかりそうになることはよくあることだ。右にすれ違おうとすれば相手も右に、左によ けようとすれば相手も左、などという微笑ましい経験はだれもがお持ちだろう。これが二三度ならまだしも、五回もつづくと、んもう、鈍感ねとなる(自分はどうなんだ)。さらに七 度八度とつづくと、もしかしたらこの人運命の人??、などと思ったりするロマンチストバカがいるかもしれないが、なあに、相手がナイフを取り出して「お財布はお持ちかえ」となる のが関の山だ。それはさておき。この句を見てみよう。「オニヤンマ」に限らずトンボの目が複眼であることはだれしも知っているだろう。それも一万とも二万ともいわれる複眼の持 ち主だ。それに引き替え人間は単眼をふたつしか持たない動物だ(森の石松、丹下左膳を除く)。それでも前記したようにぶつかるのである。複雑すぎる目を持ったオニヤンマがぶつ かることは生物学上理の当然なのである。なにしろ右も左も上も下もうしろさえ見えているのだ。お若い方は知るまいが「見えすぎちゃってコマるの~」というCMソングがあったが 、あれはオニヤンマの嘆きを歌ったものである。オニヤンマ「ぶつかってはまた考えて」。なにを考えるのだろう。えーと、次はどっちへ行こうか。いやわたしはそうは思わない。オ ニヤンマはまさに進化の悲劇について考察しているのだ。やがて秋も深まる。トンボも出てくる。よくよく観察していただきたい。野では日夜進化の悲劇が繰り返され、衝突事故が起 きているのだ。わたしは知 り合いの保険コンサルタントに訊いてみた。「トンボに保険をかけてやりたいのだが」、返答は「あのー、脳疾患の保険がありますが」だった。わたしたち は非情の世界に住んでいる。

疋田恵美子

特選句「ぬぐふ汗ぬぐへぬ汗にまみれをり」今年の夏は例年になく暑く沢山の汗をぬぐいました。身の内の苦悩或いは現在の社会情勢を憂いているものが、ぬぐへぬ汗でしょう か。特選句「踏ん張るや負けてなるかよポンポンダリア」ポンポンダリアは今でも山奥の集落などではよく見かけます。戦中戦後を誇り高く生きぬいた方々を尊敬いたします。

漆原 義典

特選句「独り楽しむ月と私の距離はなし」です。今年は猛暑の夏ですが、その中で満月を観て楽しむ心、奥ゆかしいです。独り楽しみ距離はなしの表現に感動しました。

由   子

特選句は、「大きな蛇大きな野菜終戦日」私の好みです。祖父と野菜を取った昔を思いだしました。あの頃は無邪気でした。祖父が亡くなって20年になります。問題句は「ロ ミオ死す剣の上は流星群(竹本 仰)」です。面白く、個性豊かですが、身近な人物が良かった、と感じました。

野田 信章

特選句「恋しくも花火の奥に透けし雲(疋田恵美子)」は、追慕の情が流されることなく、天空の一点に言い止められて想念の美しき結実を共に仰ぐおもいである。「鉄線花笑 み絶やさぬ娘(こ)の影法師(野田信章)」は他の雑多な影法師の中の一つとして娘の影法師も存在する。このために孤影に傾きすぎずに鉄線花と美しく照合する句として読める。「花 あおい朝の痛みのままに咲く」は、「花あおい」を取り込んだこの書き方も普段着の日常感覚の作用が支えとなっているためか違和感がなく朝の葵の一花一花を現前させてくれている 。

三枝みずほ

特選句「洗い髪今日の不満を笑っちゃう」不満、ほっておいたらどんどん積み上げてしまうことも。髪を洗って、リセットされたのでしょうか、「笑っちゃう」って自分の中で ちゃんと消化してしまう前向きがよかったです。「笑っちゃう」と軽く言い放すリズム感も好きです。素敵な作品ばかりで、選句も楽しませて頂きました!

野口思づゑ

特選句「潮の香や旅の浴衣のすぐゆるむ」旅館に浴衣があるのはありがたいのですが、浴衣で休むと翌日はぐちゃぐちゃになってしまう。でもこの句はそんな野暮ではなくお相 手がいて艶かしい雰囲気に盛り上がっている、そんな光景でしょうか。特選句「ひまわりは旗印まっすぐ攻めよ」何を攻めるのか、何にでも積極的に取り組めという事なのか、いずれ にしろひまわりの元気で明るい感じがよく捉えられている。問題句「あるときは蝉になりそう診てもらう」どこか力が抜けていて好きな句。ただなりそうなその時の蝉は、元気よくな いている、つまりはしゃぎ過ぎになりそうな自分なのか、あるいは生命の終わりそうな蝉で鬱気分の自分なのか、又「あるときは」とあるのでその両方なのか、そんな事を考えると私 の方が診てもらいたくなりそう、でも楽しい。

谷 孝江

特選句「日傘回す不安だったり期待だったり」面白いと思いました。深刻な話じゃなくてクスッてきます。特選句「向日葵咲く路上で声を上げるため」自己主張しています。此 処は私だけのものって。ヒマワリだったらそうでしょう、そうでしょう。

小山やす子

特選句「靑大将どこまでいった回覧板」日常的な事なのに、日常でない面白さ。

菅原 春み

特選句「青大将どこまでいった回覧板」日本最大の蛇、しかもとぐろを巻いている?その季語を得てまわしている回覧板のゆくえをユーモアたっぷりに描いています。特選句「 夏帽子童女の如く母往きぬ」悲しいことにもかかわらず、なんだかこんなふうに往けたらいいなと思いおもわずいただきました。夏帽子と童女が効いています。「来し方は炎のようで あり曲がり茄子」情熱的で一徹なのは作者か? 曲がり茄子に味わいがある。どんな人生を送られたのだろう。「母親と戦う少女夏の月」火照るような月が、思春期の少女の必ず通る 道を照らしているような。共感を覚えました。問題句「内臓はやさし工場熱帯夜」やさしがどうしてもわかりません。作者の説明がおききしたいです。よろしくお願いします。台風一 過のあとにまた台風が戻ってくるとか。くれぐれもご自愛ください。→ 選評締め切りまでに少し時間がありましたので、「内臓はやさし工場熱帯夜」の作者竹本 仰さんからコメン トを頂きました。☆これは、工場の町に育った人間の感覚でしょうか。熱帯夜、むき出しになった工場の煙突や配管やベルトコンベアーなんて目にすると、非常に安堵している自分を 見出したのです。そうですね、その感覚は休める内臓の感じと言いましょうか。頼りがいある父親の寝息という感じです。しかし、私は、そんな間近に工場街に育ったわけではないの です。ただ、友人が、町工場の娘さんで、その子の家業の工場に対する熱さというか、家族に対する思いというか、そういうものを知った時には、ああ、そんな街の生き方があるんだ と、とても深い感銘を受けました。(現に、その子は3人姉妹の長女だったので、高校を辞め、工場を継ごうとしていたこともありました)いま、帰省してみますと、何と言うんでし ょう、ただの工場を見る目じゃない見方になっている自分に気づいたというか、この町の寝息を感じたというか、ああ、この寝息がこの町を、否、日本を支えていたのかも、というよ うに感じたのです。そんなもろもろの思いでしょうか。

河野 志保

特選句「遠郭公指で確かむ鎌の切れ」感覚に訴えてくる句。指で切れを確かめる仕草に着目した作者に感服。私の体験からくる実感もありいただいた。作者も農家のかただろう か。鎌の刃に触れた時のヒヤリとした感じが思い出された。「遠郭公」が野の澄んだ空気も想像させる。

亀山祐美子

特選句「祖父までは土葬の日向桐の花」年々小さくなる土まんじゅうの並ぶ一角桐の花が美しい。特選句「晩年や渦まきなおす蝸牛」蝸牛の巻き直し頑張れ中高年。

藤田 乙女

特選句「捨てられし夏帽戦火繰り返す」オリンピックで日本中がまた、世界が盛り上がっている中、爆撃で兄を失い、自らも傷ついた中東の少年の映像が画面に映し出されまし た。平和の象徴であるオリンピックのかげで、平和から切り捨てられている人たちがいることに切ない気持ちでいっぱいになりました。この句は、そんな思いと重なりました。また、 日本の終戦や沖縄戦への思いも感じとることができました。

田中 怜子

特選句「祖父までは土葬の日向桐の花」産土に生きる人の感慨がいい。特選句「月の田を影一列にチャリ遍路(三好つや子)」藤城氏の影絵のような童話の世界、映像が浮かび ました。  ただ、チャリという言葉が品位をおとすな、と。

高橋 晴子

八月の秩父へ行ってきました。秩父音頭は鄙びたいい盆踊りでした。友人に手をひかれて?昏い町を歩きましたが何か夢幻の世界をさまよってきた気分。圓明寺も金子家旧邸も 皆野はまるで兜太の世界でした。:特選句『雲の峰極太で書く「平和」かな』正攻法で青空にくっきりと白いたくましい雲の峰と「平和」への強い意志が響きあって訴える力がある。 特選句「ぬぐふ汗ぬぐへぬ汗にまみれをり」具体的には〝ぬぐへぬ汗〟とは、着た物の中にかく汗だろうが、この〝ぬぐへぬ汗〟にはもっと心理的な象徴的なものを感じさせて〝奥へ の深い句、自省の効いたいい句だ。問題句「原爆ドーム鳥籠のよう飛蚊症(若森京子)」原爆ドームを鳥籠と感じたことは形状からそういう感じ方も悪くはない。ただ、それに対して 〝飛蚊症〟では話にならない。しっかりした季語を入れて中七が生きる、あるいは皮肉にとれる位の響く季語の選択がなければ、この句の価値は生きない。

田中 孝

ありがとう、64回句会報。私は「鳴きながら昼寝の仔犬脚うごく(鈴木幸江)」を特選に。変哲もない日常のあたりまえの事物のなかに真実が宿る。真実が現れるには静けさ(孤独)がいる。俳句に限らず、芸術全般にあるものは、情動と直感から生まれると思います。飛行機の型もそうだそうです。きらめきの稀有な瞬間は辛抱づよく作品(俳句)に向きあったときにやってきます。

野﨑 憲子

特選句「晩年や渦まきなおす蝸牛」カッコイイ句である。晩年が、成熟の極みでありたいと願う私には、熱いスローガンのように響いてくる。渦を巻き直す蝸牛・・。なんてあ りっこないことが起こるかも知れないから、抜群に面白いのである。問題句「ところてん河馬は空飛ぶ埋蔵金」一体全体こんな奇妙奇天烈な句を創る人は?・・の作者増田天志さんが 、高松の句会へやって来た。自句自解では、「ところてん」を見ていると「埋蔵金」という言葉が浮かび、そして、空飛ぶカバのイメージが膨らんできたという。しかし、この作品は 、「ところてん」できっぱり切れる。この秋は、雲間から、黄金のカバ君が出現するかも知れない。 

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

つくつくし
そそくさと土手の黒猫つくつくし
野澤 隆夫
不揃いのテニスのラリー法師蝉
中野 佑海
つくつくし水照りに風の大笑す
野﨑 憲子
つくつくし献体致し候か
増田 天志
歯医者
炎天に歯医者予約の口惜しき
野澤 隆夫
炎天や歯医者の鼻毛ちりちりと
銀   次
炎昼に顔も炎の歯医者かな
中西 裕子
炎昼を歯医者へ行けば人恋し
鈴木 幸江
赤とんぼ
旅人は雲になり切る赤とんぼ
増田 天志
小皿なる羽を忘れし赤とんぼ
藤川 宏樹
竿の先トンボの休み休みかな
中野 佑海
とんぼ飛ぶとうとうここまで来てしまふ
中西 裕子
ごきぶり
目見えたるゴキブリや道譲りしか
中野 佑海
婆ちゃんはさっとゴキブリ踏み潰す
増田 天志
蜚蠊(ゴキブリ)を殺した夫と暮らしてる
鈴木 幸江
白さるすべり
幸せになるんだわたし白さるすべり
鈴木 幸江
百日紅訪問介護の目の廻る
中野 佑海
門舞の風の七色さるすべり
野﨑 憲子
この道は新しき道百日紅
中西 裕子
八月
八月尽モスラの卵かも知れぬ
増田 天志
八月の石から孵る黒猫よ
野﨑 憲子
筆おろし心新たに晩夏かな
藤川 宏樹
生きている筆まめじゃない君だから
鈴木 幸江
真青なる海に真青の筆洗ふ
銀   次
筆先や月の港に何も無し
野﨑 憲子
筆箱に秘密隠した八月よ
中西 裕子

句会メモ

事前投句の田中怜子さんの作品には「兜太氏戦後俳句を語る・・・京大俳句事件を書いた本」との前書きがありました。バランスの関係で、ここに書かせていただきました。今回は、大津から増田天志さんが参加され、いつにも増して賑やかな句会になりました。句会前半部の始まりは、鈴木幸江さんの事前投句の朗読から・・、鈴木さんの良く響く格調高い読みぶりに一句一句が立ち上がって見えてきました。これからも宜しくお願いします。後半の<袋回し句会>も、色んな句に出逢えて、最高に楽しかったです。もっと弾けて、もっと楽しい句会にしたいです。来月を楽しみにしています。今月も、皆様ありがとうございました。

増田天志さんの自句自解(「海程」香川句会掲示板より~):「ナメクジの宇宙ちょっぴり病んでいる」ナメクジの這った跡は、銀の世界。 夜空の星座群を連想させる。 実に、美 しい。でも、ちょっぴり、病的だ。 植木鉢や石の下に広がる異世界、陰の、黄泉の国。 陰湿なヌメリ感。狭い、行ったり来たりの閉塞感。 各自の感性で味わえば良い。なんか、気持 ち悪い、見たくない世界だわ。 美しいだなんて、とても思えないわ。きっと、作者が病んでいるのよ。その通り、ここまで、鑑賞して頂ければ、作者冥利に尽きるのだろう。鑑賞も、 ひとつの作品なので、自由奔放に!

そして、竹本 仰さんの「ロミオ死す剣の上は流星群」のロミオとジュリエットについて、竹本さんのメールから:あれは、最初から最後まですれ違いのドラマなんですが、特に、 死に際が眠り薬の中にあったロミオを死んだと勘違いして、ジュリエットは剣で自害する、眠りから覚めロミオは自死した彼女を見て、本当に服毒死する。それでも、ストーリーが成 り立ってしまうのは、ひとえに本物の恋は、すれ違いそのものだから、という作者の辛味の利いた観察眼のせいかと思われます。なのに、なぜ、あんなに人気があるのか?多分、或る 意味で、群像劇だからなんでしょうね。あの頃なら、みんな、気分で死んじゃうよ、ということでしょうか。普遍性というのは、そうやって来てしまうものなのか。とまあ、久々に、 若い頃観たこの劇を、冷静に戲曲でたどったわけなんですが、観客をも味方に巻き込む真の群像劇なんだなと、この四十年の距離をたしかめてしまいました。ジュリエットは、14歳な んですね。あれが、すべての出発点です。ロミオって、こんなデクノボーだったのか。考えれば考えるほど、この話、むしろ事後検証によって、いよいよ楽しく味わえて来ました。

2016年7月30日 (土)

第63回「海程」香川句会(2016.07.16)

夏あざみ.jpg

事前投句参加者の一句

                                                                     
豊かさを一椀に盛るさくらんぼ 藤川 宏樹
キャベツ裂く昼の厨を昏くして 小西 瞬夏
裏もお引っ越し枇杷いつ生りて落ちたやら 伊藤  幸
まいまいの茫と手を抜く衣食住 若森 京子
梅雨茫茫土間に猪肉焦がしをり 河田 清峰
大夕立広重天を斜め切り 漆原 義典
壊れゆく母と月夜のカタツムリ 増田 天志
簾吊り飛べない鳥のやうにゐる 谷  孝江
緑陰に見え隠れする父の背よ 中西 裕子
すやすやと絵本枕の遠花火 古澤 真翠
好きだった木が倒されて夏の空 河野 志保
夏水脈に入り日のぬた場燧灘 中野 佑海
無職同士団塊同志梅雨の宿 稲葉 千尋
耳に痛い刺と飲み込むアイスコーヒー 由   子
素直なる曲がりがよろし笊胡瓜 町川 悠水
夏波のごつんと父の太き腕 重松 敬子
一秒に百のかけひき競泳や 三好つや子
鉤一本鮪をいなす仲買人 田中 怜子
蛇の衣とはしなやかな一である 月野ぽぽな
天気図のように華やげ蝸牛 小山やす子
敗戦日島に伝はる子守唄 三枝みずほ
遠景の八月の厄影伸ばす 野口思づゑ
嬰の足裏己の足裏蝉時雨 亀山祐美子
読み浸る古き恋文濃紫陽花 藤田 乙女
伊吹島なめくじももいろ婆の掌も 野田 信章
夕焼けを窓枠に入れモーツアルト 銀   次
賑やかな火星風鈴売り通る大西 健司
梅雨の夜の薄闇しかと茹で卵 高橋 晴子
青田行く永六輔は大往生 野澤 隆夫
太陽燃える妊婦の汗や叫びし児 KIYOAKI FILM
河骨の「忘れました」と美しきかな 疋田恵美子
駒草や谺の中に君の声  髙木 繁子
流水かがよう此処には村があった 桂  凛火
手紙来る一人称の野ばら咲く 夏谷 胡桃
混沌と水澄む胎児瓶のなか 竹本  仰
返信はすぐにするべしアマリリス 菅原 春み
晩節をたとえば合歓の花ならん 寺町志津子
沙羅咲いてぬけぬけと老ゆ膝小僧 矢野千代子
かき氷崩す解決策はない 柴田 清子
縄文と弥生の憩ふ月涼し 野﨑 憲子

句会の窓

若森 京子

特選句『嬰の足裏己の足裏蝉時雨』孫の足裏だろうか、一句に一家の歴史があり家族のほほえましい風景が浮かぶ。蝉時雨が効果抜群。特選句『河骨の「忘れました」と美しきかな』:「忘れました」の潔い返事。又、河骨が、恍惚に通じ面白い。美しきかなも、上手くごまかされた様で好きな句でした。

柴田 清子

特選句「簾吊り飛べない鳥のやうにゐる」:「飛べない鳥」に私情が色々と詰っていて、その時々の簾の内に籠った人生模様を色々引き摺り出してくれる。切なくもあり、安心でもある簾が好きで、昨日の、今日の、明日の、簾を楽しんで鳥になっていることにしよう。この夏は。

河田 清峰

香川句会楽しみました♪特選は「キャベツ裂く昼の厨を昏くして」です!昏くしてとの表記することでキャベツの大きさが見えて裂くバリという音まで聞こえてくるようです~昼の厨を昏くしてにより視覚と聴覚に訴える好句です!よろしくお願いいたします~

野澤 隆夫

特選句「晩節をたとえば合歓の花ならん」まさに、今の小生の心境を読んでくれているようです。「たとえば」と来てうす紅の「合歓の花」。夕べに静かに閉じて行く風情がよく出ています。「 大夕立広重天を斜め切り」ダイナミックで力強い一句。剣道の試合で大上段に「メン」を一本決めたようで爽快です。

中野 佑海

特選句「水無月の恋はモノクロ白衣干す」上五中七の読み感が滑らかで、物語性に溢れているところが心を捉えられました。水のような透明感のある恋は激しさから始まらず、羞じらいから始まる。溶け込むように。下五は心の潔癖さを表しているのだろう。恋と呼ぶにはまだもどかしいくらいの不確かさ。この揺蕩う心こそ恋の始まり。特選句「沙羅咲いてぬけぬけと老ゆ膝小僧」打って変わって、此方は白く儚い夏椿の花が憎らしいくらいの我が膝小僧の暗くくすんでいる逞しさ。良く働いてくれた有難い膝。此からも私を支えて下さい。宜しくお願いいたします。というちょっと誇らしさも「ぬけぬけと」に入っているのが力強い句。来月も楽しみにしています。

藤川 宏樹

月三句作句するにも四苦八苦。仕事がステキいや手すきのおかげで、何とか続けています。初学の私は句会合評が大変勉強になり、袋回しでいい句連発の先輩方には畏れをなします。今月の特選句「かき氷崩す解決策はない」季語を入れ五七五の定型に、現代文の二文節で起・結の構成。身近な日常の中「なるほど」の真理を語る。私の固い頭も溶けて少し柔らかくなります。このまま崩してしまっては元も子もありませんが・・・。

河野 志保

特選句「閉経や荷物少ない夏の旅(夏谷胡桃)」ある節目の、女性の身軽さのようなものが感じられた。「閉経」はテーマとして重いところがあるが、「や」の切れで湿らず整った表現になっている気がする。「夏の」旅に、作者の生き生きした姿も見えるようだ。素敵に年齢を重ねているかたなのではと思った。

月野ぽぽな

特選句「天気図のように華やげ蝸牛」:「天気図のように華やげ」のエネルギッシュな物言いに一票。かたつむりも元気を取り戻しそう。

銀  次

今月の誤読●「あやまちに気付かないふりしてゐる素足(柴田清子)」。「あやまちに」ときましたか。このあやまちという言葉、間違いと同じ意味なのに、前者は、どうも、この、なんとなく色っぽいように感じるのはわたしだけだろうか。それもなんかオンナくさい。オトコのあやまちという言葉はしっくりこないが、オンナのあやまちというと「ふむふむ」とうなずいてしまう。不倫、浮気、そんな言葉がアタマをよぎる。まあ異論があるかもしれないが強引にハナシを進めるとして、まあ、人妻だわな。これが買い物とか同窓会とかを口実に若い男性とチョメチョメをしてきたとしよう。「気付かないふりをしてゐる」のはむろん亭主だ。気付いているのにしらんふりをしているのはなぜか。モメたくない、それでも妻にホレている、自分も浮気をしているなどなど、理由はいかようにも考えられる(昼メロ参照のこと)。むしろ問題はなぜ気付いたか、だ。そこで「素足」だ。亭主は見ていた。「外出するときはたしかストッキングをはいていたのに、帰宅したときは素足だ。怪しい。しかも洋服を裏返しに着ている。さらに出かけるときは着物姿だったのに、いまは洋服だ。これが怪しくなくてなんなのだ」。ここまであからさまな「あやまち」だと亭主も唖然。気付かないふりをするのも至難のワザだったと思うが、しょせん他人事、オレの知ったことか。

小西 瞬夏

特選句「「蛇の衣とはしなやかな一である」蛇の衣とはだたの「一」ではなく、それが「しなやか」であるという把握。あたりまえのようでいて、ちょっとした発見であり、心憎い。

大西 健司

特選句「 壊れゆく母と月夜のカタツムリ」母とカタツムリが並列に書かれていますが、好みで言えば、「母は月夜の」としたい。夜に活動する蝸牛ですが、月の光のなかに蠢く蝸牛が幻想的で、ともに蠢くように佇む母への慈愛の思いが伝わってきてこのままでも好きな句です。壊れゆく母というつらい現実をこのようにとらえ得たことに敬意を表したい。問題句「閉経や荷物少ない夏の旅」上五が少し生過ぎて困っています。

鈴木 幸江

特選句「キャベツ裂く昼の厨を昏くして」そういう気分の時ってあるものだ。台所の手元は、普通、明るくして作業をするものだが敢て照明を付けずにいる。余程、心が疲れていらっしゃたのかと思った。でも、やらねばならぬ台所仕事。キャベツを切るのではない、裂くにも、作者の只ならぬ心のありようが見えてきて面白い。「空蝉はその後をじっと待ってをり」まず、蝉の抜け殻に次があると言う発想が斬新だ。ちょっと深読みすれば、魂が抜けた虚脱状態だが、それは何かを待っている状態なのだと説いているようで、なかなか深い味わいのある句だと思った。問題句「睡蓮は宇宙の暦胎蔵す(増田天志)」仏教用語は難しく、とにかく辞書を引いた。胎蔵とは、大日如来を慈悲または理(真理)の方面から説いた部門とのこと。睡蓮とどう関係づけるのか、迷った。睡蓮は宇宙の暦を宿すということか。胎蔵す、という動詞も私の辞書には載っていなかった。でも、睡蓮を宇宙の暦に喩えることで、人々を、宇宙へと誘いっているところが素敵である。

矢野千代子

特選句「蛇の衣とはしなやかな一である」:「蛇の衣」から中七以下のみずみずしいフレーズへと。とくに漢数字の「一」が、イメージを生んではまた消えてゆく…この多彩さの魅力―飽きませんね。

増田 天志

特選句「梅雨茫茫土間に猪肉焦がしをり」、過度という点でのアナロジー。ざらざら感が、心を掻き立てる。

亀山祐美子

特選句はありません。夏バテの私の頭を吹き飛ばすパンチが足りない。皆おとなしいぞ!! 『夏水脈に入り日のぬた場燧灘』太陽、入り日を動物に見立て燧灘がぬた場のようだと表現。おおらかさが心地よい。しかし、適当な季語が見当たらないので、「水脈」に「夏」を付けただけなら「燧灘」があるだけに不要。「大夕焼け」に負けない夏の季語を据えるべきだ。『蛇の衣とはしなやかな一である』 蛇の衣を財布に入れておくとお金持ちになれるそうだ。私は、切れ切れの抜け殻を見たことがあるが、作者は「しなやかで整った見事な眞一文字の抜け殻」を発見したのだ、羨ましい。「蛇の衣とは」の「とは」は不要。『天気図のやうに華やげ蝸牛』地味な蝸牛が主役。這った後の線や殻の渦が一匹二匹と寄って来て天気図のようだ。と蝸牛への自分への応援歌が楽しい。 問題句『混沌と水澄む胎児瓶の中』小説の一節ならともかく、俳句にすべき事柄ではない。例え「瓶の中」が事実であろうとも、事実であるが故に生々しい過ぎる。「瓶の中」を昇華する事が詩情であり俳句だと思う。 『大夕立広重天を斜め切り』に点が入っていましたが、一読広重の浮世絵を思い浮かべました。が、俳句として成立するのだろか、広重の浮世絵の説明だけでおもしろくない。楽しい句会をありがとうございました。また参加させていただきます。

菅原 春み

特選句「鉤一本鮪をいなす仲買人」臨場感が圧巻です。勢いがいい。特選句「沙羅咲いてぬけぬけと老ゆ膝小僧」ぬけぬけと老ゆ、がなんともうまい。季語とも響きあいます。問題句「我ら一票かなぶん的な考察よ」かなぶん的がわからない。独創的ではあるが。

小山やす子

特選句「壊れゆく母と月夜のカタツムリ」悲しいけれど美しい物語を感じます。

寺町志津子

特選句「沙羅咲いてぬけぬけと老ゆ膝小僧」掲句を詠み、今までないがしろにしていた我が膝小僧をつくづくと眺めてみた。なるほど、この皺は何だ!愕然。老いはぬけぬけと来るのだ、と妙に納得。沙羅の花との取り合わせに舌を巻いた。

古澤 真翠

特選句「好きだった木が倒されて夏の空」秋田の友人の広々とした家の前には、樹齢数百年にもなるという「ミモザの樹」があったそうです。今年の初夏に伺った時には、すっかり切られていて友人の哀しみがこの句から伝わってくるようで 特選とさせていただきます。特選句「壊れゆく母と月夜のカタツムリ」私の母は、北九州の施設で認知症が進みながらも美しく老いてくれております。まるで母の様子を慈しむような句に出会えて 感動いたしました。今回は、特選にさせていただきたい句が 他にもたくさんあり 本当に迷いました。

町川 悠水

特選句「大夕立広重天を斜め切り」名画をこのように句に詠む。天晴れですね。名画ゆえに流布する句もあるのでしょうが、ここは作者に敬意を表して◎です。特選句「天気図のように華やげ蝸牛」最初いささか無理があるように思ったものの、TVで天気図が早送りされる様子に重ね合わせていくと、この「華やぐ」が活きた表現であると認めました。「好きだった木が倒されて夏の空」は特選にしないまでも佳句ですね。作者は樹の種類に惹かれていたのか、それともコマーシャルの「この木なんの木気になる木!」のような木であったのかそこは解りませんが、その跡に「夏の空」があるのがまさに俳句ですね。問題句に「混沌と水澄む胎児瓶のなか」をあげましたが、後でじっくり鑑賞するうちに、これは異端の秀句であると思うようになりました。句は医学部の標本と同列において受け留めるしかないのですが、それにしても季語の「水澄む」をこのように用いていることに、並々ならぬ力量を感じ取ったことでした。ただし、「混沌と」が的確表現かどうか、やや気になりました。ここで私事ながら、兜太先生にまつわる思い出をひとつ披露してみたいと思います。それは住んでいた埼玉県で某俳人と出会い、長い空白を埋めるように句作りを再開してからやや月日が経過した頃、兜太先生の吟行参加者募集が目に留まりました。高名な先生のことですからすぐに応募し、行先は行田市の(国宝の鉄剣も発見された)さきたま古墳とその近くの利根川でした。講評では拙句の「墳丘に平成人の虫選び」を褒めていただきました。当時は若かったし、辞書なども不自由しないだけ持参していましたので、徹底して創作することができました。今振り返ってみて、よく詠めたなと感心するのですが、昨今は脳細胞の減少と脳軟化症のはしり現象もあって、昔日の感があります。若い御方はどうぞじゃんじゃんチャレンジしてください。私は世阿弥の「風姿花伝」にどうあやかるか、それが最大の課題です。

稲葉 千尋

特選句「日雷みろくぼさつの指ほどの」みろくぼさつの指ほどの日雷に安堵の作者、そしてその喩も良さ。特選句「晩節をたとえば合歓の花ならん」朝ひらき昼は閉じる合歓の花まさに晩節そのもの。

重松 敬子

特選句「伊吹島なめくじももいろ婆の掌も」素朴でおおらかな島の生活を彷彿とさせる句。私は、なめくじがとても嫌いなのですが、伊吹島ではなめくじですら愛すべき生き生きとした存在なのですね。面白いです。

竹本 仰

特選句「裏もお引っ越し枇杷いつ生りて落ちたやら」:言葉のリズム感がいいのと、その裏腹な現実感が、笠置シヅ子の「買い物ブギ」風のタッチに表せていると思います。「裏も」の「も」は次々と引っ越しする状況、作者にとっての小さな風物詩「枇杷」さえ失ってしまった現実。そんな中で、自己を見つめる目がこういう短詩を書かせたのだと思わせます。「♪ わてほんまによう言わんわ」のリフレイン、あの戦後の飢餓状態と諧謔がなかったらあの歌詞はなかっただろうなと思えるように、大いに歌っているその姿勢、いいと思いました。特選句「素直なる曲がりがよろし笊胡瓜」昔、プロジェクト・ナビという劇団の「いっぽんのキ」というお芝居にあった「雨宿り」という話を思い出しました。山中の大きな樹の下にハイキングの二人の若い女性が雨宿りをしていると、リュックをかついだおじさんが来てお話をします。その人は、やたらに木に詳しい人で、縄文杉の話から、木の「アテ」という、いわゆる歪みやねじれなど木材をだめにする部分の内容になります。外からの圧力、日当たりや傾斜の加減によりそれへの抵抗のため変形や屈折をして、重くなったり固くなったり、異常を起こすのです。つまり、人間の深層に迫っていくような何とも含蓄のある話がここにはあるのですが、その時、女の子がスイッチを入れたラジオの銀行強盗殺人のニュースから、ふとおじさんがまさにその人らしく思えて、去り際、やっぱり、その人は「私も、そのアテというやつでしょうか」と言葉を残していくのです。前置きが長くなりましたが、この句はその含蓄に重なる部分を pin up した感じがありまして、ここはこの長老風の詠みぶりに好感を持ちいただきました。問題句「まいまいの茫と手を抜く衣食住」先日の大阪の句会で、初句「かたつむり」の形のものを選句させていただきました。それで、どうこれと変わるのか、私なりに述べたいと思います。「まいまいの」では動く姿態が連想されて、より一人称的に自己の境涯を表すのに対し、「かたつむり」はそういう過程を一気に飛ばした諧謔として読めました。読者としては、「かたつむり」の方に小動物の可愛らしさを感じるのですが、「まいまい」の方は作者の主観を幾分か取り込んでしまうように受け取れるから、同じ境遇にある方にはこちらの方がなじめるかな、と思いました。「かたつむり」にはことばのキレが、「まいまいの」にはリアリズムが、それぞれ備わるように思います。どちらも、いい句だと思います。何といっても「茫と」が十分、状況を語ってインパクトがありますから。私個人については、「かたつむり」の方がどこからか風が吹いているように感じられ、好みです。

漆原 義典

特選句「読み浸る古き恋文濃紫陽花」は、昭和の古き良きロマンを感じる素敵な句だと思い特選とさせていただきました。濃紫陽花が情景をよく表現していると思います。

疋田恵美子

この度参加させて戴きます、疋田と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。特選句「すやすやと絵本枕の遠花火」戦後の思い出が一瞬脳裏を走ります。庭に涼み台を出し家族や近所の皆さんが集う、祖母のお話が楽しみだった頃を。特選句「伊吹島なめくじももいろ婆の掌も」平成二十六年三月の「伊吹島吟行」に参加させて戴きましたおり、島の久保カズ子様にお会いしました。久保様のお健やかなお姿、楽しかった島の事を思い出します。

KIYOAKI FILM

特選句「裏もお引っ越し枇杷いつ生り手て落ちたやら」:「裏もお引越し」…「落ちたやら」の出だしとオチが心に響く。枇杷の形が見えて来る。「いつ生りて」の詩情も効いていて、口に出して、響く一句でした。問題句「鬱の森ほどよく昏く水涼し」 これも問題句と称して、特選句にしたい。舞踊として良く、詩情は狂っているものと、思っていて、「鬱の森」が好き。なんだかよくわからない。しかし、わかるとも言える。一句、口に出して読むと、大変響きました。

野田 信章

特選句「手紙来る一人称の野ばら咲く」は一読「一人称」にやや硬い印象を覚えたが、「手紙」を出す、受け取る個体としての私、僕、我が美しく「野ばら」に収約されてゆく自然さを覚えてそのことが逆に鮮度ありと受け取った。特選句「母の汗拭う聖書を読むごとく(月野ぽぽな)」は「聖書を読むごとく」というこの大仰な修辞の喩が気になるつゝもそれを諾わせるものがある。「母の汗拭う」に込められた作者の思いの深さというか真の強靭さ故のことかとも読んだ。

野口思づゑ

特選句「好きだった木が倒されて夏の空」馴染みの木が、伐採されたのかある日無くなってしまった。跡に見える空の大きさに驚く。そんな経験を時々する。ここでは倒されたとあるので自然災害で無くなってしまったのか。夏になると葉が茂り、木陰でほっとしたり親しんでいた木なのに、今年はただ大きな空間となり夏の空が広がっている。木を惜しむ残念な気持ちが「夏」の空の明るさで救われる。特選句「夏水脈に入り日のぬた場燧灘」正直燧灘という地名を初めて知る。勢い溢れた夏の海も、夕方になれば穏やかで安らかになる。エネルギッシュだった昼間の光線が今は休息に向かう夕日である。海と太陽が今日も一生懸命やりましたね、と寛いでいる、それが燧灘という地名にとけ込み、終日の情景がとても美しいと感じた。問題句「母の汗拭う聖書をよむごとく」聖書は一字一句ゆっくり読むもので決して速読できない。聖書を読む速度でゆっくりお母様の顔を拭う。母の表情、皺は多くを語っているようで聖書を読み解くように、やさしく丁寧に拭う。とても良い句だと思う。ただ句の印象では「母」はご高齢の方だと思うのだが、個人的にまわりの高齢者は汗をかかないので「母の汗」がしっくり伝わってこない。農作業など激しい運動の後の「母の汗」を拭うのなら理解できるのだが、その場合まだ現役で元気なお母様を聖書にするのは早過ぎると感じる。そこに少し抵抗を感じ問題句にさせていただいた。さて。初めまして。今月から香川句会入会させていただきました。句会に『所属』など初めてですので俳句的に偉くなった気分です。ネットで、<句会の窓>を見ましたら、5月の海程全国大会で知り合いになった方や、海程で馴染んでいたお名前などありまして、ドキドキしています。私はこの20数年シドニーで暢気に暮らしています。生まれは旭川ですが1歳過ぎから、オーストラリア移住まではずっと東京でした。思いがけず香川句会に入れていただき、興奮状態です。どうかよろしくお願いいたします。

高橋 晴子

特選句「初夏のみどり児の目の明るさよ(藤田乙女)」みどり児の目の少し青みがかった清しさに感じ入っていて初夏の健康的な明るさで、いい句。特選句「駒草や谺の中に君の声」山中の景が浮かんできて好きな句。こういう句を読むとホッとする。

谷 孝江

特選句「蛇の衣とはしなやかな一である」正月のしめ飾りも本来は蛇が睦み合っている姿を模したものである、と聞かされたことがあります。固体で円を描ける動物は〈蛇〉だけだと。〈円〉は宇宙であり、永遠をも意味します。高僧のお軸では、円相をお見かけします。〈円〉とは尊いものなのですね。蛇の衣がしなやかな一とは、何とすごいことでしょう。特選句「君を抱く一本道の向日葵」一途な感じが大好きです。お若い方でしょうか。お幸せに。

桂 凛火

特選句「無職同士団塊同志梅雨の宿」無職の60代後半がふたりで梅雨時の宿に泊まっている何も言っていないようなのに「同士」と「同志」の使い分けで昔なじみの落ち着く感じや信頼関係が伺われる うがった見方をすれば慣れ親しんだ夫婦のことかとも読める。二人の息遣いまで感じられるようで楽しい句でした。いいですねえ。問題句「さびさびと銀河曼荼羅鮎奔る(大西健司)」銀河と鮎は離れすぎかとも思いましたが、辛うじて微妙に響きあうと思いいただきました。

三好つや子

特選句「蛇の衣とはしなやかな一である」 蛇の抜け殻を数字の一、しかもしなやかな一と捉えた作者の感覚がすごい。新しい何かが始まりそうな期待ふくらむ句です。特選句「伊吹島なめくじももいろ婆の掌も」 黙々と日々の暮らしを紡いできた老女のたおやかな生き方に共感。伊吹島の地名も合っています。問題句「賑やかなゼロだ蛍に目を射られ(増田天志)」 ピュアなものに出会ったときの気持ちを「賑やかなゼロ」と表現した、魅力的で好きな句です。ただし、座五が気になりました。今年、天然の蛍の包み込むような光に触れたので、余計そう思ったのかもしれません。

由  子

句会に初参加させていただき、皆様、俳句に自由闊達でいて、真摯に取り組んでいるなとかんじました。特選句『河骨の「忘れました」と美しきかな』河骨の様子の美しさがよくでていると感じました。何を忘れたのか、解っていて「忘れた」と言うのか、果たして興味深いです。問題句「あやまちは気付かないふりしてゐる素足」過ちをさらりと語って欲しかったです。

三枝みずほ

特選句「好きだった木が倒されて夏の空」よく遊んだ木のことを思い出しました。木登りをしたり、鬼ごっこをしたり、そこで休んだり、待ち合わせの場所にしたり。生活の一部になっていた愛着のある木が倒されて、真っ青な夏の空が見える。その時の空の力強さは作者の心に深く突き刺さったのではないでしょうか。余韻の感じられる作品で共感しました。

伊藤 幸

特選句「我ら一票かなぶん的な考察(河野志保)」20歳過ぎた頃、若さに任せて政治をやたら批判していると父から「選挙にも行かない者に政治を語る資格はない!」と叱られた。益虫でも害虫でもない、されど青銅色に輝き存在を主張するかなぶん。彼らに一票の大きさはないけれど私達の一票は世を変える事可能。先日の参院選にも一票投じました。

夏谷 胡桃

特選句「梅雨晴れの朝日に子犬かしこまる(町川悠水)」犬が太陽の光を目を細めて受け取っている様子を見たことがあります。冬だったかもしれませんが、犬も太陽のありがたさをよくわかっているのだと思いました。「かしこまる」がいいです。「蛇の衣とはしなやかな一である」の「とは」は、説明的で上から目線で好きではないように感じました。中七に工夫をすれば、おおらかな一句になるかと思いました。最近小屋の掃除をしたときに、蛇の衣を見つけてびっくり。しなやかというよりは、私にはクネクネグロテスクで、草むらに捨ててしまいましたが、後で聞くと、脱皮した皮をお財布に入れておくと金運が上がるそうです。金運上がり損ねました。

中西 裕子

特選句「沙羅咲いてぬけぬけと老ゆ膝小僧」 老ゆては、さびしいことながらぬけぬけと、とみょうに明るく達観している感じが良かったです。問題句「混沌と水澄む胎児瓶のなか」ちょっとこわいようなでも水が澄むという清明さの、不思議な感じで私には気になりました。

田中 怜子

特選句「大夕立広重天を斜め切り」大夕立 版画で斜めに切られた刃の跡、大胆に描かれている。特選句「弘前のおむすびひとつ雨宿り(夏谷胡桃)」佐藤初女さんもなくなってしまいましたね。一度食べたかった。

野﨑 憲子

特選句「弘前のおむすびひとつ雨宿り」佐藤初女さんへの追悼句である。二十年ほど前に、映画『地球交響曲〈ガイアシンフォニー〉第二番』で「森のイスキア」という言葉と共に紹介され、全国から自殺寸前の人が岩木山の麓に住む彼女の元へやってきて、「おむすび」でもてなされ元気をもらって帰って行く姿が印象的だった。俳句初学の頃の私は、そんな、おむすびのような句を創りたいと思った。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

 
遠吠え
遠吠えに熱き夢中をさえ切らる
藤川 宏樹
党首らの七夕遠吠え参議選
漆原 義典
反戦の遠吠え金ぶんの蜜吸い
中野 佑海
星祭り地球外生命へ遠吠えす
亀山祐美子
遠吠えの海の彼方から聞こゆ
鈴木 幸江
あふたびに髪の短かき盛夏かな
亀山祐美子
たとえれば南極の夏わが鬱は
鈴木 幸江
拾った恋捨てたのはあの夏の海
柴田 清子
至福かな子の寝息ある夏座敷 
中野 佑海
半夏生夢へ誘ふ鯨かな
三枝みずほ
反戦
さそり座の赤き眼や反戦歌
野﨑 憲子
反戦で土庄(とのしょう)在の生身魂
野澤 隆夫
鉛筆の削れない子と反戦と
柴田 清子
菩提樹の花や練り行く反戦歌
河田 清峰
反戦やブランコのごと自由ぶる
中野 佑海
閻魔
夏座敷閻魔の背中は眠ってゐる
三枝みずほ
黒揚羽閻魔堂より人の世へ
亀山祐美子
草いきれ風のいきれや閻魔堂
野﨑 憲子
夕立
九条に生きる女や夕立晴
野澤 隆夫
夕立や夫の秘密を知っている 
鈴木 幸江
夕立晴妻連れ出して墓参り
河田 清峰
夕立呼ぶ風の花です多弁です
野﨑 憲子
夕立雲猛暑に一喝仁王像
漆原 義典
蝉6
観音の秘仏傾く蝉時雨
河田 清峰
毎晩泣いて蝉になってしまひけり
柴田 清子
熊蝉もそっと蔭入る午後三時
漆原 義典
顔に尿(しし)懐かし蝉と鬼ごっこ
町川 悠水
愛犬はモンローウォーク蝉時雨
野澤 隆夫
熊蝉やきっとわたしも透きとおる
鈴木 幸江
呑み込みし生老病死虹二重
亀山祐美子
夕虹や光るネクタイピンの先
三枝みずほ
虹立てり軽く心をカミングアウト
中野 佑海
相性の悪しきプードル虹立つ土手
野澤 隆夫
夕の虹渡りて君の肩先へ
野﨑 憲子

句会メモ

今回の事前投句から、シドニーに住む「海程」の仲間、野口思づゑさんが新加入なさいました。シドニーは、今、冬の季節。讃岐うどんの店があるそうです。16日の高松での句会には、猛暑の中、香川のあちらこちらから12名の仲間が集まり、外気にも負けない熱い句会になりました。ブログを見て初参加の由子さんには、<袋回し句会>の選をお願いしました。個性豊かな方々のご参加で、句会が、ますます楽しみになってまいりました。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

竹本 仰さんからのメールに、今回の事前投句で、話題になった竹本さんの作品の自句自解がありましたので、ご本人の了解を貰い、以下に、そのまま掲載させていただきました。

:拙句「混沌と水澄む胎児瓶のなか」」が、お三方に問題句と取り上げられ、大変うれしく思いました。皆さんから、スルーされそうな予感もしていましたので。これは、私の知人で、退職後、ベトナムで枯葉剤のダイオキシン被害の実態を知らせる活動を、もう十年以上やっておられる方の、その日本での写真展に触れてできたものです。不完全な胎児の標本の写真に、行くたびに、釘付けになります。そうですね、もうその回数も、六、七回ですが、三年前の写真展で、私は初めて、その胎児たちが「仏さま」としか見えなくなる体験をしました。いや、この世にあるどんな仏さまより、貴重で切実な。だから、このことについては、テーマ作として、何度も何度も、同じ場に戻りながら書いていくしかないんだろうなあと思った次第です。こういうのは、俳句の基本的な姿勢として問題ありとされたとしても、現代俳句の「現代」というのがどこまでを指すのか、少し考えてみたいと思いまして。・・・

まさに、「混沌と水澄む・・」ですね。竹本さんの<テーマ作として、何度も何度も、同じ場に戻りながら書いていくしかないんだろうなあ・・>という姿勢が、私には、まさに、俳句の基本的な姿勢に思えます。

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