2018年3月2日 (金)

第81回「海程」香川句会(2018.02.17)

灯台と水仙.jpg

事前投句参加者の一句

      
灯台をのたり巨船や黄水仙 藤川 宏樹
Me Tooの胸の白バラ冴返る 島田 章平
冬蝶嗅ぐ母の日溜まりありにけり 小西 瞬夏
雪しずり骨より声の出ずる刻 新野 祐子
古書店へ入る春雪と赤い靴 谷  孝江
雪つもる全ての色を否定する 山内  聡
山笑う駆け落ちものを匿(かくま)いて 鈴木 幸江
寝かされている大根の色香かな 寺町志津子
にんげんをぽたぽた落ちてみな魚 男波 弘志
水仙を並んで見ている鳥たちよ 中西 裕子
肉体はやわらかき枷冬薔薇 月野ぽぽな
誰が知らぬ咳だけがゆく真夜の道 野口思づゑ
与兵衛どの丸太冷とうござります 増田 天志
<農業国オランダ>小指ほどの人参スナックのように食べ 田中 怜子
しずり雪母だんだんに白い闇 桂  凛火
石光る汚るるものに梅の花 河田 清峰
朝食に訪う目白母なりき 疋田恵美子
ポップコーン弾けて遊べ冬の子よ 銀   次
色気無きかぐや姫なり妻に雪 中野 佑海
春の海辺の巻き貝は巻き貝だ 田口  浩
待ちに待ったお日さまですねクロッカス 髙木 繁子
既視感を感じる氷に舌つける 中村 セミ
二・二六の章読み返す『小暗い森』 野澤 隆夫
虎落笛石牟礼道子連れて行き 夏谷 胡桃
立春大吉大言壮語はばからず 高橋 晴子
蕗の薹体内蕗時計狂いけり 漆原 義典
南に原発田鶴鳴き渡る初御空 野田 信章
まんさくやまつらふことのなき土塁 小宮 豊和
薄氷を踏むは人欺くに似る 柴田 清子
春立や水に浮かびし絹豆腐 菅原 春み
九条はサンドバッグじゃないぞ諸君 稲葉 千尋
ときにダンスを十二月八日の猫 大西 健司
忘却や不意に風花不意に父 松本 勇二
涅槃雪ひげうっすらと妻の口 三好つや子
湖にしづかな呼吸初蝶来 三枝みずほ
自鳴琴(オルゴール)柩と唱和はじめます 矢野千代子
やはらかにすべて受け入れ春立ちぬ 藤田 乙女
幾年も震えて立ちぬ春の山 豊原 清明
丹波黒一粒欠けていて二人 重松 敬子
溺れ易き性沈めたる柚子湯かな 竹本  仰
シクラメンわたしの中の怖い他人 伊藤  幸
婦人雑誌の付録は春のたてがみを 若森 京子
きしきしに痩せしさぬきの雪だるま 亀山祐美子
老いこそ力天地を統べる大野火よ 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「婦人雑誌の付録は春のたてがみを」俳句のあたらしさ。一句一章、口語使いを逆手にとって、ねじれやふくらみを持たせている。春のいきいきとした命を感じさせつつもどこか作り物っぽさが現実をうまく皮肉っている。

島田 章平

特選句「伊豆湾の波高き日や金槐忌」。掲句、見事な立句。季語が動かない。春浅い伊豆湾。悲運の武将、源実朝の悲痛な声が聞こえる。問題句「久しぶりに友と語りし鶯餅」。「語りし」ではなく「語りぬ」とした方が・・。鶯餅の季語の響きが良い。「農業国オランダ 小指ほどの人参スナックのように食べ」。前書きがいらないのでは・・。作者の思い入れはあると思うが、句はつくられた時に作者を離れる。どの地で詠まれたかは、読者の想像の世界に委ねた方が良いのでは。「ガリバー旅行記」を思わせる様なファンタジーな句。

中野 佑海

特選句「ときにダンスを十二月八日の猫」太平洋戦争開戦の日の事でしょうか?今は猫になっている日本も時にはダンスを色々な国を相手にやるべきことはきちんとやる必要あり!との怪気炎をぶちあげて下さっているのだと思います。戦争ではなく、微笑み外交でもなく。言うべき事は言い、為すべき事はちゃんとする。大人の基本です。特選句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」うって変わってこのいい加減さが心地良いですね!溺れ易い私です。すぐ易きに流れ、ぬるま湯に身をおく気安さ。決して、小平奈緒とはお近づきになれません。主人にこんなぬるい風呂で風邪引かないかと言われます。柚子湯は飲んでも、入っても最高です。ぶっちぎりで人間界を楽しんでいます!3月は楽しい野外活動ですね!皆様とまた、どんな句会が出来るか楽しみです。どうぞ宜しくお願いいたします。

稲葉 千尋

特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」やはり今回はこの句でしょう。石牟礼道子さんを悼、この一句を思い出す。「祈るべき天とおもえど天の病む」

増田 天志

特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」にんげんを離れることにより、水玉は、生命を蘇生する。否、水玉は、生命そのものかも知れない。にんげんへの讃歌なのか、怨歌なのか。

田中 怜子

特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」水俣のことを伝え続けた石牟礼さんに敬意とともに、引き続き伝え続けることを心にとめて。特選句「伊豆湾の波高き日や金槐忌」実朝の心情に思いを馳せて

豊原 清明

問題句『「役に立つ」にんげんふやし桜の芽』社会風刺の句と見た。「役に立つ」にんげん という表記と、役に立たない私が、ひがむかのような感情に落とす、暗い句だと思う、読者の私に誤読があるのだろう。特選句「九条はサンドバッグじゃないぞ諸君」 社会批判の句と思う。良く言えたと思う。面白く言っていて、好いと思う。鋭く感じた、一句。

藤川 宏樹

特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」初見で見落としましたが、「にんげん」が地位・名誉・財産にしがみついても、「みな」平等に、進化・成長の過程で過ごした「魚」に「ぽたぽた」と落ちるという、奥行きある句です。

田口  浩

特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」人間は母胎に入り、誕生して死ぬまでに、生物個々の歴史をくりかえすという。句の場合、人間を魚に変えることは、神の意志でも無理であろう。それが出来るのは、ただ作者の「思い」である。と同時に〈薄氷〉であろう。この場面から、人間が薄氷に閉じこめられているところを想像する。薄氷を破ぶってガバッと起きあがる人。魚に変化する人。 私には、尾鰭を巧みに使って、スウーと深みに消えていく魚が見える。つまり人が、魚に変化することへの思いである。そう見れば、近頃はまっている「カミ」の世界が重なり懐しく思えてくる。特選とした所以である。

山内  聡

特選句「ふりむけばいつもの景色しやぼん玉」子供がシャボン玉を吹いている。シャボン玉のゆくえを眺めていて当たり前のことに気づく。変わらないいつもの景色に安堵感を覚えるのと同時に子供が育っていく日々の変化にも安堵感を感じている、のかな。

矢野千代子

特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」魚になるのも自由ですが人間でいるのも良いですよ、と上章が活きいきと迫り「薄氷」へのイメージがふくらみを増してくる。なによりも効果抜群のひらがな表記だろう。

男波 弘志

特選句「春の海辺の巻貝は巻貝だ」俳句の表現を畢らせることは、なにも言わないこと、母音、あ、を、17音に、一字に、凝集すること、ここに莞爾たり。「冬蝶嗅ぐ母の日溜まりありにけり」匂いなき、冬蝶、それはもう日溜まりのみを、母、のみ、を嗅いでいるのだろう。「雪しずり骨より声の出ずる刻」情緒なき、雪の嵩、雪国は雪を情緒として見ていない、そこに風土のしたたかさがある。「雪つもる全ての色を否定する」雪一色、雪五尺、単に覆っているのではなく、圧殺する色、雪国。『「役に立つつ」にんげんふやし桜の芽』役に立つ、政治的ではなく、経済的ではなく、只只隣の人の為に。「血のごとくけもののごとく春の泥」泥のうねり、轍、靴あと、生き物の痕跡が照り映えている。「芽明りや河原の石を積み崩し」奔騰する芽吹き、河原の石さへも崩れている。「石光る汚るるものに梅の花」汚れるもの、滅びるもの、そのいのちを讃えるひかり、石が臨終している。「町の音してをり春の氷あり」俳句表現の精髄、省略、ではなく、凝縮、それが俳句、町の音に凝縮されている。「涅槃雪ひげうっすらと妻の口」芭蕉も西行も、敢えて「生活最底辺」へ下った。その意味をはっきり知るべきであろう、美もまたしかり、生身の最底辺、それが俳諧。「やはらかにすべて受け入れ春立ちぬ」すべて、とは、と思う、が、仏教思想の空無、なら、それが叶う。

三好つや子

特選句「手探りの母性たんぽぽ手渡され」赤ん坊と日々向き合い、ヒヤッとしたり、ホッとしたり、を繰り返しながら、成長していくお母さんに、エールを送りたくなる作品。特選句「肉体はやわらかき枷冬薔薇」 気持ちばかりが一人歩きし、思ように動けない老いのからだをもてあましている作者に共感。冬薔薇が効いています。入選句「冬の蝶アンネの呼吸ひそやかに」座五がすこし気になりますが、本棚のうしろで息をひそめ、多感な少女時代を過ごしたアンネと、冬蝶がみごとに響き合い、感動しました。

野澤 隆夫

特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」2月初旬、石牟礼さんが逝去され、朝日新聞に池澤夏樹さんが文章を載せてました。〝苦界浄土〟はドキュメントの話で文学だったということを初めて知りました。一度は読んでおかなくってはと、句会の日にJR高松の熊沢書店で買って今読んでます。特選句「九条はサンドバッグじゃないぞ諸君」〝サンドバッグ〟のごとくぶたれる〝九条〟に対する作者の憤りが何とも痛快です。〝諸君〟と呼びかけて。

若森 京子

特選句「山笑う駆け落ちものを匿いて」駆け込み寺もあるが、もっと大きな大自然が人間の様々な喜怒哀楽を包みこんでくれる。偉大な懐の様なものを感じた。特選句「涅槃雪ひげうっすらと妻の口」年輪を重ねた夫婦の絆の様なものを感じる。涅槃雪に季語が大変効いている。

新野 祐子

特選句「古書店へ入る春雪と赤い靴」古書店という知の迷宮に、降る先から消えていく春の雪と、存在感があるようでない赤い靴を履いた人が、シュールで鮮やかな映像が浮かび上がります。特選句「Me Tooの胸の白バラ冴返る」昨年大きな話題となったアメリカの「沈黙をやぶった人たち」。女性たちが性暴力を告発し、加害者には社会的な制裁が課されました。日本では伊藤詩織さんが勇気を奮って裁判に訴えたのに、セカンドレイプのような情況になっています。日本のこの男尊女卑の根深さよ・・・。時事問題にアンテナを張って一句に仕立て上げた作者に拍手。問題句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」おもしろい句。さかなになるひとと、にんげんでいるひととの紙一重の差は何なのか聞きたいです。入選句「寝かされている大根の色香かな」今昔物語に蕪に欲情した男が出てきますが、大根にも?「降る雪や苦海浄土に華一輪」今月一日、石牟礼道子さんか他界。哀悼句として胸に沁みます。俳人でもあった石牟礼さん、「けし一輪」「花れんげ一輪」などの句がありますね。「ひとつマフラー二人して心中沙汰」恋する二人の脳の中にはドーパミンがガンガン増えていて、死ぬどころではないと思うのですが?

今朝早朝ラジオをつけた途端、兜太先生が亡くなったと耳に飛び込んできました。寝ぼけていて聞き間違えたと思いたかったけれど。この悲しみ、何と表現したらいいのか。皆様、ご同様のことと・・・。

夏谷 胡桃

特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」。意味はよくわからないのですが、勝手に解釈しています。人間は魚からやり直したほうがいいいと。嘘と兵器と憎しみで充満しそうな地球に窒息して海に逃げ込むのでしょうか。でも、歴史は繰り返す。魚からはじめたところで、同じことの繰り返しかもしれません。特選「バレンタインデー息を切らして坂登る」。好きな子にチョコレイトをあげたくて走っているのでしょうか。背中は見つけても駆け寄ってはいけないのかも。今ではバレンタインデーも様変わりして、あまり男の子にあげないようですね。なつかしい感じがしてとりました。

金子兜太にラブレーターを送るように毎月俳句を送っていました。送る相手がいなくなって、覚悟はしていましたが呆然としています。

松本 勇二

特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」虚構ではありますが実感がありました。問題句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」感覚の効いた佳句ですが、中7を「性を沈める」とした方がスムーズに読みになるのではと思います。

鈴木 幸江

特選句「一日一生枯芝蹴って逆上がり」一日を一生と思い、一心に生きてみたいものだとは常々思っている。でも、どうやたらそんな気持ちになるほどの気合を入れられるのか分からないでいた。 この作者は、枯芝を蹴って逆上がりをする気合があれば出来ると教えてくれた。ありがたい。特選句「丹波黒一粒欠けていて二人」勝手な解釈を楽しませていただいた。黒豆の煮物の一粒が欠けていたのだ。何故かと思いを巡らせばそれなりの理屈は見つかるだろうが、何故かもやもやしたのだ。二人とは、夫婦のこと。この関係も訳が分からずもやもやしているのが現代。もやもや感は、現代社会への警告も含んでいる。そのもやもや感を大切に扱かった一句として頂いた。問題句「まんさくやまつらふことのなき土塁」“まつらふ”とは服従すること。“土塁”とは土を盛り上げて築いた小さなとりでのこと。どちらも、辞書のお世話になった。具体的表現で高い志を感じさせる一句なのだが、何か物足りなさがあって問題句とした。まんさくに儚さも感じられ、忘れてはならない歴史的事実もそこから思われ惹かれもしたのだが、何故か残念感が残った。

最後に、兜太先生が、亡くなられた。来る日が来たのだと思っている。あの世からも欲しい兜太選である。晩年は生きていることが自分の存在意義であるようなことをおっしゃっていらした。わたしには、到底手の届かない境地である。わたしはと言えば、混沌とした現代を生きている証として、いつも、もやもやを感じている。そして、それを大切に扱っていこうと覚悟をした次第である。

河田 清峰

金子兜太先生を悼む…私を朝日俳壇で見いだし導いて道筋をつけて頂きありがとうございました。特選句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」大切な人を亡くした今詠みなおしてみると哀しみを鎮めている気持ちになるから不思議な気がします!柚子湯の季語が生きたいい句だと思います!

野口思づゑ

特選句「凍つる背に唇這わせ生きんとす」生きることに対する執着の強さを芸術的なエロティシズムの光景でよく表わされていると思った。「卒業式ただいまと言ふこの一瞬」卒業式を終え、ただいまと家に帰ってきた、この瞬間に完全に学生生活が終わったのですね。「春立や水に浮かびし絹豆腐」透明な水に浮かぶ絹豆腐が目に浮かびます。

大西 健司

特選句「婦人雑誌の付録は風のたてがみを」私は「たてがみを」の「を」を勝手に省いていただいた。「風のたてがみ」と言い切りたい。婦人雑誌のさまざまな付録のひとつに風のたてがみがある、そんな楽しさを評価したい。問題句「与兵衛どの丸太冷とうござります」遊び心が一杯で好きな句だが、作者の作為が見え過ぎかな。面白すぎるあざとさを少し思う。

重松 敬子

先生の訃報に接し,様々なこと思い出しています。とうとうお目にかかれずじまいでしたが,句誌を通じて多くを学ばせていただきました。天寿とは言え残念です。特選句「寝かされている大根の色香かな」大根を肉感的にとらえた面白さ。昔から大根足などと白く堂々とした太さを健康的な人体にたとえられ,殊更新しい題材ではないが,上手く一句に仕上げていると思う。

伊藤  幸

特選句「初蝶の白きを重ねここより野」兜太大師の「よく眠る夢の枯野が青むまで」を思い出した。こういう句を読むと兜太先生を思わずにおられない。めでたき句であるというに申し訳ない。見方によってはある意味追悼句ともいえる。兜太先生よく頑張って来られました。ゆっくり休んで下さい。

三枝みずほ

特選句「おさんどんがれきの中で火を燃やす」三.一一かもしれないが、一.一七のことをふと思い出し共感した。水道が使えない状況、寒い外での炊き出し、悴んで包丁を使う。外で作られるものは本当に限られている。それが何日も続く。それでも、おさんどんの火は命と繋がっている。問題句「うららかや雛を皺と間違える」雛人形を間違えて皺人形としたと推察。他にも何か季語が見つかりそうな面白い句。

漆原 義典

特選句「寝かされている大根の色香かな」我が家で畑で大根を植えていますが、いままで大根に色気は感じたことがなかったです。地面から抜いて畑に置いた状態の大根を寝かされていると表現し、色気を感じる作者の感性に感心しました。 金子兜太先生がおなくなりになりました。報道を見て驚きました。ご冥福をお祈りします。

中西 裕子

特選句「忘却や不意に風花不意に父」おもいがけずいきなり風花が吹きつける、忘れていた父の思い出がよみがえるなにか切ない気持ちになる句でした。高齢の父がいるせいでしょうか。まだまだ寒い季節ですが春の句もあり暖かい気持ちになりました。

銀   次

今月の誤読●「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」怖いですね。怖い怖いお話しですね。なんといっても「薄氷」ですからね。これを踏んで池の対岸まで渡るんですね。なんでかというと、対岸まで渡ったひとには大金が手に入るからなんです。でも落ちたひとはそのまま命を落とす。なんとまあ怖ろしいギャンブルなんでしょうね。おお、怖い怖い。これに似たエピソードが、マンガの〈カイジ〉にありましたね。あれはビルとビルの間に掛け渡した鉄骨の上を歩いていくんでしたね。もちろん落ちたひとは即死です。その生き残りをかけた心理戦が見事に描かれていましたね。そして、それを大勢の大金持ちがワイン片手に笑って見てるんですね。まるで古代ローマのグラディエーター(剣闘士)の闘いを見る貴族のそれと同じです。なんという残酷。この薄氷のレースも同じですね。「さかなになるひと」というのは運悪く氷が割れて池に落ちたひとのことですね。それを作者は、さかなになるとたとえているんです。つまりは食べられるひと。一方「にんげんでいるひと」というのはまだ落ちてないひとのことなんです。このひとたちは、もしかしたら食べる側にまわるかもしれません。たとえば、いまもお他人さまの下半身事情をあげつらって、〈不倫だ不倫だ〉とお祭り騒ぎしているひとたち。このひとたちもまた、氷の割れ目に落ち、さかなになったひとのうろたえるさまを娯楽として楽しんでいる。さかなになったひとを食べてるんですね。なんて浅ましいんでしょう。にんげんって怖い動物ですね。ひとの不幸を楽しむのは古今かわらないエンターテイメントなのかもしれません。しょせん人間性ってその程度のものなんでしょうか。そんなことを考えさせられる句でした。では、さいなら、さいなら、さいなら。

寺町志津子

特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」人間が、ぽたぽた水滴のように海に落ちて魚となって泳いでいくメタモルフォーゼ(変身)の光景が、動画のように鮮やかに浮かんだ。言葉を越えて強烈なビジュアルで迫ってくる句に引きこまれた。

疋田恵美子

特選句「歓声の宙返りする雪五輪」羽生結弦さんの見事な演技。彼の屈せぬ勇気がとても素晴らしいと思う。特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」九州熊本生まれの、偉大な作家を悼む。

菅原 春み

特選句「 降る雪や苦界浄土に花一輪」 動かない降る雪という季語を得て、花一輪がいきた。ご冥福をこころより願う。特選句「猟犬の眼にまだ力ある二月」以前見た猟犬のらんらんと輝く眼が忘れられない。まだ・・・あるに舌をまいた。

竹本  仰

特選句「待ちに待ったお日さまですねクロッカス」口語体がすんなり入ってきました。誰に言っているのかは、もちろんクロッカスでしょうが、クロッカスの目の高さに下りた感じ。と同時に、クロッカスと止めたことで、クロッカスに同化した、そんなしっかりした押さえがあるなと思いました。しかも、クロッカスのあの独特の揺れ方が、余韻としてありますね。私とお日さまとクロッカス、その空間の空気感、過不足出ているんではないでしょうか。 特選句「自鳴琴柩と唱和はじめます」うーん、オルゴールの表記ではだめなんですか?オルゴールのあの不思議感、たしかに出そうと思えば、これもありかも知れませんね。ちょうど初めてオルゴールに接した人類が感ずるような、として見ればですね。お葬式で言うと、ちょうど出棺の前でしょうか、柩の故人に花をお供えします、あのタイミングで感じるあの何がしかの旋律、おやっ、どこから?なれば、やはり自鳴琴でしょうか。そして、フィルムが逆回転するような、急テンポな回想が。その故人との思いがけない邂逅があり、その一連の流れが、何か、自鳴琴と言わざるを得ないようなものに突き動かされます、そして、この時、本当に何かがはじまったのです。特選句「老いこそ力天地を統べる大野火よ」力み過ぎる、この力み感が老いの力だと、自然に出ています。大野火を高空から鷲が眺めている、そんな印象ですが、この鷲なるものはどこから遣わされたものか。よく震災の後に被災地に保育園の児が合唱しに行くと、老人は涙なしでは見られないと言います。最も新鮮な生のエネルギーが洗うからでしょうね。一方で、普段の肉・魚などの食は、死のエネルギーを取り込むその気で我々の生はめざめさせられると言えるのでしょうか。ここでの老いのエネルギーは、みはるかす、黒く燃えた大地の向こうに控える、次代を呼び込むその気なのでしょう。老いの力は、その尽きせぬ思いそのものと言っていいのでは、と思いました。問題句「芽明りや河原の石を積み崩し」この句の異様さ、おもしろく。河原の石云々は、賽の河原の、あの子らのうかばれぬ話ではないかと思い、そこへ芽明りか、何でしょう、明るいのですね。何だか、ミュージカル・賽の河原のようで。安部公房の晩年の作に『カンガルー・ノート』があった、あれもわけなく明るい晩年の感じでしたね。この句、読んで、ただ訳もなく笑えてきて仕方ありませんでした。以上です。

金子先生の訃報を聞き、昨日は何もできず、でしたが、今月の投句は、そうか、と、これが私の悼み方でしたでしょうか。いつも、仕事ではありますが、お通夜で申し上げるのは、この世での生き方はここまでですが、いま、あたらしい生き方が始まったのですということと。ありがとうを申しあげましょうということです。他に何があるというのでしょう。「海程」への残りの投句、何だか、いっそう原点への問いかけのようなそんな気がしています。皆様、今後ともよろしくお願いいたします。

月野ぽぽな

特選句「涅槃雪髭うっすらと妻の口」おそらく気づくと初老を迎えた伴侶なのではないかと思った。女性のこのころは心身の変化のおおく起こる頃。ふと気づいた妻の髭。生の哀しさと愛おしさが涅槃雪により立ち上がる。

何か辛いことや悲しいことがおこった時の助けの言葉に、「それでも人生は続く」 前向きに行こう、という意味のLife goes onがあります。 今ふと思いつきました。 Life goes on, Haiku goes on!   心の中の兜太先生はあの暖かな笑顔でいらっしゃいます。

桂  凛火

特選句「春立や水に浮かびし絹豆腐」春の季節感を水に浮かぶ絹豆腐としたところが新鮮でした 古今集を下敷きにしているのでしょうか?大胆ですっきりした句の姿に心惹かれました。問題句「ときにダンスを十二月八日の猫」:「時にダンスを」がおもしろくていただきました。でも私がダンスを踊る?それとも猫が時にダンスをなんでしょうか・・。12月8日の猫は意味深長 で、挑発的ですがやはりちょっと意味が把握しにくいと思いました。

谷  孝江

毎回のことながら句稿の届く度、どうしようと楽しいこと半分、従いてゆけそうもない世界へ入ってゆく怖さ半分、己を励ましながらの選句させてもらっています。特選句「ポップコーン弾けて遊べ冬の子よ」「手探りの母性たんぽぽ手渡され」優しい言葉の中から深い味わいを感じました。途惑いながらの子育ての中の一コマと思われます。母と子の日常のやさしさが好きです。私はかって俳句は言葉はやさしく思いは深くと教えられてきました。まだ〱 その境地には至っていませんが努力だけはしようと思っている所です。たくさんの句拝見出来て楽しゅうございました。ありがとう。

中村 セミ

特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」人間という虚構で出来ている部分が、ポロポロと皮がはがれて、ゆくと(もっと深淵な部分の事をいっているのだろうが)魚が、表われるという句である。魚に返るといった方がいいのだろうが面白い句だと思った。元々海から発生した魚が、陸に上り何万年もの進化の果てに、人間になった。人は信用を作るのにピザの斜塔ぐらいつみ重ねなければならぬのにそれを崩すのに一瞬だ。魚に帰る時も、ぽたぽた落ちたで魚になれるという事だ。(ここ迄句評これ以降適当な文)で気になったのが、魚になれば魚の気持しか残らないのだろうが、ぽたぽた落ちた人間のパーツ、そこには人間の気持ちが未だ残っているのだろう、それはどの様にはい出しそこから何になっていったのだろうか、向うの情熱大陸や人間山脈迄それ等は、いけたのか、それ以上に人間が魚になった時、どんな性状、どんな特質で一日を過ごすのか、続編の五、七、五で書いて欲しい。

野田 信章

特選句「冬蝶嗅ぐ母の日溜まりありにけり」平明にして「冬蝶嗅ぐ」とは、全てが枯れ尽くした中で、かなりの生理的実感の燃焼を伴って、母そのものの存在感を具体的に止揚しているかと思う。特選句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」は何かにつけて「溺れ易き性」と読むとき、やや自虐の加味されたペーソスのある自愛の句として味読できるかと思う。

兜太師の逝去の訃報の中で選句しつつ、いまはその魂安かれと祈るのみである。

小宮 豊和

問題句「誰が知らぬ咳だけがゆく真夜の道」上五「誰が知らぬ」は「誰か知らぬ」の書きまちがいではないかと思う。この句からは、「真夜」が全くの闇なのか、星明りか、月や外灯があるのかわからない。また作者がどこで咳を聴いているのかわからない。咳も男か女か、年齢はどのくらいかわからない。しかし読者はこの句を読んで、それぞれ独自に映像を思い浮かべる、大いに詩的である。

高橋 晴子

特選句「降る雪や苦海浄土に華一輪」石牟礼道子が九十才で逝った追悼句だと思うが単に石牟礼道子と言わずにその作品をあげ石牟礼道子の生全体を表現している処がうまいと思った。問題句「シクラメンわたしの中の怖い他人」俳句を詠んでいて、時に俳句の中に自分にも思いがけない自分を発見して、ふと俳句が怖くなる時がある。俳句の形式がそういうものを弾き出すのか、表現という作用がそういうことになるのか、よくわからないが、自分が自分だと思っている自分などほんの表面的なもので深層には何がひそんでいるか、しれたものではない。〝わたしの中の怖い他人〟と言葉で言ってしまっては、それまでのような気がする。シクラメンが効いていないのかなあ。問題句「忘れるとう慈悲もありけり桃の花」桃の花も甘いよ。忘れることは救いでもあるが慈悲などど言ってしまっては、それまで。

兜太先生、残念です。無念です。二月二十一日朝五時のラジオで知りしばらく呆然としておりました。兜太さんのことだから、もう一度元気になると信じていたのですが、でも最期まで兜太さんらしい生き方で感じ入っています。

柴田 清子

「春の海辺の巻き貝は巻き貝だ」を特選に。「春の海辺」が巻き貝の全てを言い表しながら、読み手を春の海辺に引きずり込む強いものがある。特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」さかなとにんげんとひととの関りが、薄氷で、かすかな繫がりを持たせている見事な一句、特選とさせてもらいました。小宮さん。第三土曜日、忘れないで、又来てくださいね。

金子先生残念な事でしたね。三月の小豆島吟行、皆でうーんと楽しい金子先生を偲ぶ会を!

亀山祐美子

特選句『にんげんをぽたぽた落ちてみな魚』不思議な、不気味な句である。しかも無季。「にんげん」を「ぽたぽた落ちる」ものは何か。しかもそれは全て魚になる何かなのだ。「にんげん」を伝う水か。それとも体内を巡るの血か涙か汗か魂か。悪霊か…。記憶なのか。人間が人間でいる為に捨てざる負えない何かの代償。業。煩悩。それらが解決され浄化されたものは魚になり新たな命を得る、のなら救いがある。内省的で、難解な一句。しかし、単に雪が降ってきただけの句かもしれない。おもしろい句だ。特選句『血のごとくけもののごとく春の泥』「春の泥」が「血」のようだ。という感覚は理解できる。しかし「獣」のようだという感性はどこから来るのだろう。春先、啓蟄から蠢きだす森羅万象。泥さえも命を宿すのか。特選句『芽明かりや河原の石を積み崩し』一読三途の川の景が浮かんだ。逆縁の子が積む石塚を積み崩す鬼の脚が芽明かりに浮かぶ。春先の河原の堆積物や石ころを重機が均しているだけなら、こんなにもやるせないのは何故なのだろう。特選句『まんさくやまつらふことなき土塁』大昔長尾の吟行句会で満開の紅色金縷梅の大木を見た。血のような赤だった。「服従することのない小さな砦」に「まんさく」か咲き乱れている。「土塁」といえば北九州の防人がまず浮かび、違和感があり句会ではスルーしていたが、小宮さんのご指摘で東北の蝦夷の族長阿弖流為の土塁だと知る。坂上田村麻呂への防御攻撃の為の土塁。日本固有の樹木で余寒の中、他の花に先駆けるように花を咲かせる。まず咲くが訛り「まんさく」の名がつき、葉は止血剤になるという。桜ではなく満作。東北人の土着の誇りを感じる。「土塁」のみの漢字表記に土と意志の堅さ。平仮名表記にまんさくの花びらと悠久の時空を感じる。句会でしか得られない知識が多々あります。知の人である、小宮氏が三月に、神戸へ引っ越すことになったのは『海程香川』句会に取って大きな損失であり、誠に残念です。またお目にかかれますこと祈念いたしております。お元気で。

藤田 乙女

特選句「老いこそ力天地を統べる大野火よ」」老いをネガティブにとらえがちな自分ですが、この句は、ポジティブにとらえ、凄いと思いました。この句から大きな力をもらったような気がします。特選句「湖にしづかな呼吸初蝶来」湖の静かな呼吸という表現がとても素敵で情景が思い浮かぶようでした。静やかな春の訪れが感じられます。

野﨑 憲子

特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」石牟礼道子さんは、パーキンソン病を患っていらしたという。虎落笛が光を帯びて響いてくる。問題句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」一読、兜太先生の、「戦さあるな白山茶花に魚眠る」をおもった。揚句は、大きな世界を描いていてオノマトペも見事である。だけど、私は、「みな魚」に妙な違和感があります。

兜太先生ご逝去の報道にしばらく言葉を失くしました。先生の存在の大きさに改めで気付かされる日々が続いています。でも、これから先生は他界にいらっしゃると思うと、先生を不思議な身近さで感じております。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

たねをさん
春昼やポポンSのむたねをさん
野澤 隆夫
いきなりが身上といふたねをさん
野﨑 憲子
たねをさんとは春の海のようです
柴田 清子
菫にも風にもなれるたねをさん
中野 佑海
カーリング
カーリング真っ直ぐに猫恋に堕つ
柴田 清子
カーリングよってたかって寒の明け
亀山祐美子
氷上に掃除名人カーリング
野澤 隆夫
バレンタイン
ジャガイモの面子今日はバレンタイン
中野 佑海
チョコレートバレンタインの苦さかな
小宮 豊和
四十年かかって告げるバレンタイン
鈴木 幸江
初音
初音かな遠くから水流れくる
柴田 清子
初音きく真昼真紅のルージュひき
島田 章平
初音して家にも後ありにけり
男波 弘志
初音せり爪の桃色跳ねたくて
中野 佑海
四回転羽ある如く跳びにけり
藤川 宏樹
薄氷や羽毛よごれし家鴨たち
男波 弘志
大鷹の風切羽の鳴りにけり
小宮 豊和
蝶に気を取られるままに死者に羽
田口 浩
影踏めば二ン月の羽金色に
野﨑 憲子
小宮さん
海越えし風よ大地よ小宮さん
三枝みずほ
東風吹かば思い出します小宮さん
漆原 義典
春なれや耳にとろける小宮節
亀山祐美子
憂いなき小宮さん好き法蓮草
中野 佑海
小宮さん風光らせて海渡る
柴田 清子
薄氷
薄氷を蹴って結弦(ゆずる)の金メダル
島田 章平
薄氷や定年あとの夫のごと
鈴木 幸江
うすらひや俳句の神さまだけ映る
野﨑 憲子
薄氷一つずつ減る大事なこと                            
男波 弘志
薄氷やハートの型に抜けしかな
中野 佑海
薄氷の第九会場海の端
野澤 隆夫
啓蟄
啓蟄やめがね補聴器総入歯
小宮 豊和
啓蟄や見開き図鑑のまま眠る
三枝みずほ
啓蟄やたねをさんは今日も留守
野﨑 憲子
啓蟄や動かぬ時計動き出す
中村 セミ

【通信欄】&【句会メモ】

【句会メモ】今回は、育児に忙しい三枝みずほさんも句会開始の午後1時からのご参加で、熱気あふれる句会になりました。<袋回し句会>では、2月に逝去された高橋たねをさんと、お家の事情で四国を離れる小宮さんの名前もお題に挙がり、思い出深い句会になりました。

【通信欄】2月の句会が終わり、ぼちぼち選評が届き始めた頃、兜太先生ご他界の報道がありました。先生はお元気だという思いが強くあり俄かには信じられませんでした。2月20日、午後11時47分にご他界されたそうです。安らかなご最期だったと伺いました。選評と共に届いた追悼文も、そのまま掲載させて頂きました。先生は、百歳を越えてもお元気でいらっしゃると確信しておりましたので、今も信じられない思いでいっぱいです。衷心からご冥福をお祈り申し上げます。

先生は、この「海程」香川句会報をとても楽しみにしていらっしゃいました。先生の話されていた、生も死も同じ「いのちの空間」へ向かって、ますます熱く渦巻く豊かな句会を展開して行きたいと強く念じております。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

三月句会は、事前投句はいつも通りですが、高松での句会は、舞台を小豆島へ移して、兜太先生追悼の一泊吟行会を行います。どういう作品が集まるか、今から楽しみです。

冒頭のスケッチは、本句会の仲間、藤川宏樹さんの作品です。

2018年2月21日 (水)

追悼 金子兜太先生

供花.jpg 20日の夜、金子兜太先生が他界されました。お正月に体調を崩され入院し、先月末に退院されたと聞き安堵していた矢先でした。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

兜太先生は、本句会の盛会を、とても楽しみにしてくださっていました。先生のお創りになった「海程」の、陽気漲る多様性に満ちた自由な渦巻を深めて行きたいと存じます。

今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2018年2月1日 (木)

第80回「海程」香川句会(2018,01,20)

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事前投句参加者の一句

         
裏紙のあっての豚まん冬温し 中野 佑海
薄闇。雪虫のまじりあはぬ日 小西 瞬夏
寒暁や犬を時計としておりぬ 鈴木 幸江
浜砂に草の実あかきわが仮泊 野田 信章
くさめかな金塊のよう男二人 桂  凛火
今年こそ笑って暮らそ初日記 髙木 繁子
落椿いつの間にやらうわの空 山内  聡
光折れて祖国の冥さ初鏡 若森 京子
甘酒 茶碗一杯の純なりき 伊藤  幸
黒光る牛舐め飛ばす寒の水 亀山祐美子
身の丈の日本を生きて冬花火 重松 敬子
なんで魚にならないんだろう爪 男波 弘志
狼のまなざしななめ恵方とす 河田 清峰
指間より愛が零れる冬銀河 藤田 乙女
霙降る小さな母に見送られ 河野 志保
阪神淡路大震災肋骨齧る枯薄 豊原 清明
エルサレムと言う語悲しや狐火や 稲葉 千尋
子どもらは透明になり森に消ゆ 銀   次
新年の鏡へ旧き貌の父 藤川 宏樹
往診鞄ふっと綿虫の匂い 大西 健司
腰痛や曲がり曲がらず曲り角 中村 セミ
雪霏々と降れば飯炊く飯炊く母 松本 勇二
隆々と咲きしなびたる蘇鉄かな 疋田恵美子
音も無し部屋片付いて初鏡 野口思づゑ
新春や日と土と風と半時 小宮 豊和
坂上がる明るき一角臘梅よ 中西 裕子
初日さす爆撃跡の水たまり 増田 天志
胸ポケットは二月のとびら万国旗 三好つや子
ねえ死んだのね枯野わたしの青い空 竹本  仰
独楽の足ぐぐっぐぐっと地球割る 漆原 義典
冬の夜の三和土自在な器なり 寺町志津子
鬼栖むか枝垂れ柳に餅の花 古澤 真翠
落葉して筋肉質の樹々がある 谷  孝江
冬満月姫は地球へ帰りませぬ 島田 章平
枯菊焚く出さず終いの文のごと 新野 祐子
線量計の凍蝶を生むとめどもなし 田口  浩
疣(いぼ)裂けて皮膚科へ走る五日かな 野澤 隆夫
子が笑うそこが真ん中春の森 三枝みずほ
ふたりゐて白き時間を冬日中 高橋 晴子
雪深々”席あけとくよ”と逝った人 田中 怜子
白鳥飛び町の色彩うごきだす 夏谷 胡桃
人日や納戸にしばし用のあり 菅原 春み
ついてくるのは狐かもしれぬ樹海 柴田 清子
裏白を飾り少年閉じこもる 矢野千代子
息吸って息吐いて新しい年 月野ぽぽな
金剛の風が吹くなり雪催 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「往診鞄ふっと綿虫の匂い」大きな病院のない、医師不足に悩む地方のお医者さんが、患者さんのもとへ急ぐ姿を思わせる。街燈もあまりない、薄暗い道を鞄を抱えて。待っている病人と、その家族と、医者と、綿虫の、それぞれ のかけがえのない命が響きあう。

男波 弘志

「薄闇。雪虫のまじり合はぬ日」そういわれると、雪虫の一つ一つが鮮明に浮かぶ。「。」は不用かと。「曲線的に余生を歩く葱畑(田口浩)」この曲線は大晩年のゆとりの曲線だろう。「光折れて祖国の冥さ初鏡」中7までは抜群の表 現、初鏡、では受け止め切れない。「往診鞄ふっと綿虫の匂い」医師は常に、人間の生死を見つめ、行き来している。往診鞄はまだ現世にある。綿虫のあの世へ患者を盗られないように。「海鼠噛みをり海鼠の呟きも(小西瞬夏)」この呟きが、 身の一部になる畏れ。「雪霏霏と降れば飯炊く飯炊く母」平凡な日常に一切がある。非日常など「たわぶれ事」だとわかる。「姉傘寿われらはころぶ雪の山」いざさらば芭蕉の転ぶところまで、江戸俳諧への連絡が見事だ。「たとへば枯野歩くほ どに赤くなる(野﨑憲子)」たとへば、の虚が実景に、そして心音の赤になる。「蟬の穴玉音放送聞きにくし(竹本 仰)」玉音の声が聞きずらいのは、シャーマンとしての役割を象徴している。神とは明らかならざるものだ。「人日や納戸にし ばし用のあり」金輪際動くことのない、人日、これこそが季語の生きたかたち。

藤川 宏樹

特選句「雪霏々と降れば飯炊く飯炊く母」:「雪霏々と」「飯炊く飯炊く母」の応答が暮らしの日常をうまく表現しています。今年90の母が三度三度、食事支度の様を目にしており同感、響きました。初句会後の新年会。男波さん、山 内さん、三枝さんと同席、俳句談義を楽しめました。皆様、今年もよろしくお願いします。

若森 京子

特選句「枯菊焚く出さず終いの文のごと」香を放ち晴れやかに咲いた後の枯菊ほど哀れな姿はない、それを焚く。ぶすぶすと煙むるが少し違った残り香もある様だ。その情景と中七下五の心情との綾なすひびき合いが大変上手いと思う。 特選句「雪深々”席あけとくよ”と逝った人」加齢と共に喪の多い昨今、親しい友の死にも会い自分に切実に伝わってきた。

増田 天志

特選句「ねえ死んだのね枯野わたしの青い空」口語調も良いし、喪失感が半端なく俺の胸に迫り来る。

古澤 真翠

特選句「 黒光る牛舐め飛ばす寒の水」牛肉に元気をいただいている私としては、「黒毛和牛」の静謐な一瞬が心に染み入りました。「寒の水」が効いていると思います。

野澤 隆夫

「海程」香川句会、今回で第80回。おめでとうございます。投句、参加者も確実に増え、和やかで楽しい句会です。今年もよろしくお願いいたします。 特選句「狼のまなざしななめ恵方とす」小生の乏しい天体知識の解釈。傷心の、何故に傷心かは不明ですが、作者が冬の大三角を見た景色。青白く輝くシリウスに狼のまなざしを感じ勇気を得て、今年の恵方とした。〝まなざしななめ〟が面白い です。特選句「薄氷や虫歯に潜む戦車隊(増田天志)」薄々と張った〝薄氷〟と痛い痛い〝虫歯〟。そこには一触即発の〝戦車隊〟が潜んでいると。トム・クルーズの映画です。問 題句「手袋を嵌めてみる蹼が邪魔(新野祐子)」冬鳥の鴨♂は どれもお洒落。その鴨の次に目を付けたのが手袋。ファッショナブルにと。でもこれが手袋なので〝蹼〟が邪魔をする。〝靴下〟だったらよかったかな?

中野 佑海

特選句「冬北斗観念的ガ木霊する(豊原清明)」この分かり難さ。とっても感激的です。大体北極星の回りをずっと律儀に回っているなんてほんと囚われの極致だよね!この「ガ」は一体何なのだ?蛾なのか、我なのか?賀なのか?是非 とも作者の方の自句自解お願い申し上げます。何か全てが気になる!特選句「子が笑うそこが真ん中春の森」うって変わってこの分かり易い安心感はどうだ!だけど、子が笑うのは、家庭で無くて、森の中。良いのかこれで。世の中の親と言うも のはそうかも知れない。私もあまり子に執着せず、私の母任せだった。反省して、孫は良く面倒見ている方だと思う。やはり、親と言うものは自分もがむしゃらに自分を見つけようとあがいている真っ只中だもの。子は見れる人に任せ、楽しき森 へ!新年会で皆様の句会とは違う顔が見られて良かったです。幹事の男波様、三枝様有難うございました。そして、いつもご尽力頂きます野崎様。今年も宜しくお願いいたします。

竹本  仰

特選句「落椿いつの間にやらうわの空」二通りの切れの可能性あり。「落椿」で切ると見ているうちにすべて忘れる、まだ大丈夫ですが、「いつの間にやら」で切ると「うわの空」状態の深化、乃至深刻化でしょうか。いずれにしても、 「落椿」と「うわの空」の対比がくっきりと面白く、「うわの空」に詩情を持たせているなあと感心しました。個人的には、だから後ろの切れでとった方がいいかなと。特選句「指間より愛が零れる冬銀河」なぜか、ゆううつにさせる作品で、そ こがいいと思いました。零れることによって成り立つ愛という、愛の無償をうまくうたい上げているのではと思います。その無償によって宇宙は成り立つのだといった、透明なかなしみでしょうか。モーリャックの『テレーズ・デスケルウ』とい う小説を思い出します。人生、ボタンの掛け違いだらけのような、乾ききった人妻が、キニーネで夫の毒殺を目論という話だったようにうろ覚えですが記憶しています。愛の性質、そんなものをさっと風のように書けたらこんなものかと。特選句 「裏白を飾り少年閉じこもる」リアルですね。純情を恥かしがる純情は、怖いものでもあります。しかし、こういう少年を世間は意外にきちんと見ており、あのTVに出てくる訳の分からないステレオタイプのおばさんはあまりいないもの。この句 のような最大級の自己表出を注意深く読み取る世間に気づいていないのは、少年ばかり。そこが詩なんでしょうね。吉本隆明の初期の詩に「エリアンの手記」というのがありました、やがては機動隊に追いかけられて、窮余の一策で警視庁に逃げ 込んで難を逃れたという、あの猛者がこんなひきこもりだったのかと。思えば、それが一縷つながる所が人生でありましょうと、ひきこもり少年に並々ならぬ愛を感じる小生の好みに合ってくれる句です。問題句「咳込んで凸凹はるか核ボタン( 若森京子)」この「はるか」がよくわからなかったです。病が、雑事・難事が多いことが、かえって核ボタンを遠ざけてるということか?煩悩による危機の回避?「はるか」は、為政者との距離感?どうでしょう?

島田 章平

特選句「子が笑うそこが真ん中春の森」。掲句、子供は世界の中心。新年のまだ芽吹き始めたばかりの森。見上げる青空。子供を真ん中に、若いお父さんとお母さん。お父さんとお母さんの真ん中でぶらんこをする子供。大きく空に向か って足を上げて御覧。世界は君のためにある。

山内  聡

特選句「ふたりゐて白き時間を冬日中」ふたりとは明らかに男と女。場所は明るい陽射しが射し込む部屋の中、を想像しました。この句の焦点は「白き時間」。白い時間というのはなんだろうな。白から連想されるのは、純白、純真、空白、 清潔、誰にも邪魔されない時間。ふたりでいることの貴重さを白き時間としたところにこの句の面白さがあると思いました。

矢野千代子

特選句「往診鞄ふっと綿虫の匂い」自然豊かな道を、医者が行く。〈鞄が綿虫の匂い〉なんて素敵なフレーズ…。そうとうくたびれた往診鞄を下げた姿は、その土地では大切な存在だろう。

寺町志津子

特選句「枯菊焚く出さず終いの文のごと」あるいは類句があるかもしれない、と思いつつも好きな句である。晩秋を彩った菊。冬になって寒さや霜雪にあい、葉も花も茎も、芯まで枯れていった菊。中には色褪せながらも微かに色彩を残 している花もあったかもしれない。そんな枯菊を始末しようと焼いていると、ほのかに菊の香りが・・・。そのほのかな香りに、遠い昔、憧れの人に書いたものの、結局は出さずじまいになってしまった懸想文のことが思われ、枯菊を焼きながら 、しばし哀切の念に包まれているであろう作者の心情に共感しました。 

疋田恵美子

特選句「天地はご神体なり初詣(小宮豊和)」天地神明というを信じる一人です。特選句「ふたりゐて白き時間を冬日中」南の日を受け、かけがえのない平穏無事な日常が見えてよい。

三好つや子

特選句「冬眠の目玉は宇宙漂ヘリ(増田天志)」冬眠という生命の営みもまた宇宙の神秘のひとつ。中七の「目玉」がレアで力強い。特選句「呼ばれたような蝋梅の透くことば(若森京子)」子どもの頃から中国の昔話集「聊斎志異」が 好きで、今でも蝋梅を見ると、仙女が手招きしているような気がします。そんな中国のおとぎ話をこの句に感じました。入選句「冬の夜の三和土自在な器なり」寒くて億劫になりがちな外の仕事・・・。三和土の温もりに励まされながら家事をこ なしている、冬の主婦の日常が目に浮かびます。

柴田 清子

「子どもらは透明になり森に消ゆ」を特選としました。十七文字で歳時記から飛び出して幻想的写生句としての魅力があります。

田口  浩

特選句「なんで魚にならないんだろう爪」こう置かれると、爪が魚になるのが当然のように思われる。詩の不可思議である。私には水に遊ばせている女性の指から、白い爪が離れていくいのちが透ける。小さな魚に貸してゆらゆら泳いで いるいのち。作者は、そうならない爪を嘆く。俳句はこの破天荒をゆるす。特選句「息吸って息吐いて新しい年」空気を吸ったり吐いたり、普段は意にとめる事もないのだが、新年はそうでない。穏やかな日常のなかの新しい年。特別の事は何も 言っていないが、句は新鮮で大きい。いい正月である。めでたい。

大西 健司

特選句「線量計の凍蝶を生むとめどもなし」線量計を何故か毛嫌いしていて最初選外にしていた。しかし詩的把握があるとの思いから特選とした。ただ七十九回で松本勇二氏の指摘にあったのと同じく「線量計の」何故「の」を入れて述 べるのかと疑問に思っている。切れを大切に、韻律を大切にと言いたい。

谷  孝江

特選句「身の丈の日本を生きて冬花火」昭和一桁に生れ、戦前戦中戦後をふり返ってみると多感な少女時代娘時代をそれなりに受け入れて生きてきたものよ、と近頃思い出すことしきりです。平成もあと一年とすこし。どの様な余世が始 まることかと、出来れば身の丈に応じた人世でと願うばかりです。豊かであれ、貧乏であれ、身の丈の中で生きることの大切さを思い起こさせてくれました。「一〇一歳の母在るだけで松飾り(中野佑海)」「雪霏々と降れば飯焚く飯焚く母」に も心打たれるものがありました。

河田 清峰

特選句「新春や日と土と風と半時」芭蕉の句に…春立ちてまだ九日の野山かな…彼の人は新しい年を僅か一時間楽しむと言う!風と光と産土のなかで…もうひとつ「睦月の芽睦月の意志の色をして(小宮豊和)」こちらのほうが詩情があ って好きではあるが…以上よろしくお願いいたします~

中村 セミ

特選句「ついてくるのは狐かもしれぬ樹海」以前、樹海をさ迷った友人の云う事に、樹木は気(殺気・息)の様なものを出すと云っていた。そこで、ちょっとスマホで調べて見ると植物の7つの能力とか気という言葉も出てきた。おそら く、ついてくるのは樹海の木の出す気だろうと思う。それが狐に感じたのだろうと思うが、ここでは誰かがついてくると感じたことが、大事だろうと思う。 その友人は、何とか道が分かるところに出る迄に、後からフゥーと息を吹きつけられた り、殺気を感じたり、それが何度も幻想の様に襲ってきたといっている。「ついてくのだ樹海の息が俺に」という言葉が彼の口から出たのを、思い出しました。特選句「線量計の凍蝶を生むとめどもなし」おそらく放射能がまだ飛んでいる区域に 残っている人間以外の生物の事を凍蝶として表しているのだろう。一年もすればそれ等の生物は死に絶え、植物が残っていてもずい分汚染されているだろう。それが今後、何十年も続く恰もしんしんと雪が降るように積ってゆく何シーベルトかの 毒、それを象徴している凍蝶が見事でとてもいい。特選句「独楽の足ぐぐっぐぐっと地球割る」独楽が地面にめり込むように回る回転力、ピックで大きな氷をかち割る様な表現で地球をまるで割るようだ。力強い表現力だと思う。他に、「たとえ ば枯野歩くほどに赤くなる」等気になりました。

稲葉 千尋

特選句「裏紙のあっての豚まん冬温し」何故あの裏紙が必要なのかわからないが裏紙があって豚まんが旨いのかも知れない。温ったまる。特選句「往診鞄ふっと綿虫の匂い」そうですか、綿虫の匂いか、往診鞄を提げる医師が綿虫のよう なのかも。

河野 志保

特選句「寒暁や犬を時計としておりぬ」寒い朝。散歩をせがむ犬の声。それを合い図に起床する。ストレートな詠み口に好感。犬も飼い主さんも始まったばかりの今日も、全部愛しい。日常を大切にした句作り、見習いたい。

新野 祐子

特選句「光折れて祖国の冥さ初鏡」うまく解釈できないけれど、一番気になった句です。太陽の光が屈折して地上に届かないあなたの祖国とはどこですか。国家という枠で考えると、この時代不穏で混沌としていない国はないでしょう。 新年の目出度い鏡に写るのは、一触即発の状態にある世界の姿なのでしょうか。特選句「初日さす爆撃跡の水たまり」これも胸にぐさりと刺さる句。イラクとかシリアとかの激しい戦闘で瓦礫と化した街が浮かんできます。硝煙の匂いのする濁っ た水たまりに、元日の朝日が刺し込んでいるという痛々しい光景に、日本人の私はこの戦争に加担しているのではと自問せずにはおれません。問題句「薄闇。雪虫のまじりあはぬ日」句点を入れるなんて、なんて挑戦的なのでしょう。初めて見ま した。小説は言わずもがな、大新聞でさえ七十年くらい前までは句点は使わなかったそうです。それを俳句に使うとは凄い!入選句「独楽の足ぐぐっぐぐっと地球割る」:「地球割る」がうまい。「ぐぐっぐぐっ」のオノマトペもユニークですね 。

三枝みずほ

特選句「ねえ死んだのね枯野わたしの青い空」死後の世界のこと、地獄や天国なんてものではなく、青い空ならいいかもしれない。青い空から枯野に話しかけているような情景。枯野は生の世界なんだと実感した。特選句「今年こそ笑っ て暮らそ初日記」日記に書くこと、自己嫌悪とか反省とか秘密とか。明るい事をあまり書いた記憶がない。一年の始まりに相応しい一句。こうありたいものだ。新年会、ありがとうございました!

藤田 乙女

特選句「胸ポケットは二月のとびら万国旗」 平昌オリンピックの若人への希望や期待、夢か溢れ出てくるような爽やかさ、清々しさを感じる素敵な句だと思いました。特選句「子が笑うそこが真ん中春の森」子どもの笑顔は周囲を幸せな 気分にさせ、その「生」の輝きは、まさに自然界の命が芽吹く春そのもののように思います。子の笑い声が森の中に響き、人間と自然との輝く生命の春の二重奏が始まるような明るさを感じ、とても惹かれました。

野田 信章

特選句「松過ぎの性悪文鳥肩に夫(鈴木幸江)」松明けという時間を経てこそ見えてくる日常の景。愛玩この上もない文鳥の生命を通して微笑ましい光景が把握されている。平和な年でありますように。第八十回に達したとは慶賀です。 益々の通信句会の充実を期待します。

鈴木 幸江

特選句「甘酒 茶碗一杯の純なりき」この句から、言葉では言い表せないが純という言葉の神髄にお目に掛れた気がした。一途な純情をしのびつつ、こんな現代だからこそそんな心情を味わいたい。一椀の甘酒の白く輝く姿と昔ながらの 一途な深い味わいを枯れた心に取り込もうではないか。少しは目立っているが出しゃばらない甘酒の存在もこの句は良く捉えている。特選句「ねえ死んだのね枯野わたしの青い空」死んだら宇宙の闇に無となり還ると思っていた。でも、その前に 臨死体験というものがあるのだ。忘れていた。この作者のは、「死んだのねえ」と思い、枯野が見え、明るい青空が上空に広がっているのだ。もちろん、これはフィクッションなのかもしれないけど、青空になんか救われた。死ぬのも少し楽しみ になった。問題句「キリストは極貧乏や寒稽古(豊原清明)」なんてたってキリストを極貧乏と捉える感性が異色だ。清貧というのならよくわかる。そして、寒稽古をしているか、見ているときにそう思ったのだろう。心理の展開について行けず 問題句にさせていただいた。キリストの生き様の新しい面を探ろうとしている挑戦心は応援したい。

夏石 胡桃

特選句「霙降る小さな母に見送られ」。いつまでも息子の背中を見ていたい母の気持ちがわかります。息子の気持ちも素直にわかります。よく表現される情景ですが「霙」が良かったと思いました。

菅原 春み

特選句「霙降る小さな母に見送られ 」 ぱらぱらと音をたてて降り、はじける霰の季語をえて、小さな母が音を伴う映像として浮かびあがる。特選句「初日さす爆撃跡の水たまり」淑気のなかに昇る初日の出が、対照的な爆弾跡の水たま りにさす、とは見事な配置。

田中 怜子

特選句「裏紙のあっての豚まん冬温し」ふくふく湯気が上がって、ささやかな幸せ。特選句「音も無し部屋片付いて初鏡」きりりととした簡素かつ冷たいくらいの部屋は、寂しいような。

桂  凛火

特選句「ねえ死んだのね枯野わたしの青い空」よくわからないのだがそこにひかれる句でした。ねえ死んだのね枯野とは人のような恋人のような大切なものをなくした喪失感が伝わってきました。私の青い空とはこれも大胆な言いぶりで 明るくてよかったです。

松本 勇二

特選句「裏紙のあっての豚まん冬温し」豚まんの特性をうまく句にしています。問題句「ふるさとは我追い抜いて冬麗なり(野口思づゑ)」我追い抜いてを我を追い抜きにすると「て」があることのゆるみが解消するのではないでしょう か。

伊藤  幸

特選句「くさめかな金塊のよう男二人」くさめからして若くはない。手を取り合い世の荒海を乗り越えてきたそんな男二人を金塊と称した作者に「ブラボー!」

野口思づゑ

特選句「 光折れて祖国の冥さ初鏡」日頃杞憂に過ぎなければと願ってしまう日本の現状を「光折れて」「冥さ」という詩的表現で季語の「初鏡」とともに巧みにまとめてある。問題句「肉親や氷の指の爪を切る(男波弘志)」肉親との関 係が好ましくない自分の指なのか、それともそんな肉親の爪を切ってあげているのかはっきりしないのですが、冷たい感覚が少し怖い。その他「落椿いつの間にやらうわの空」人の話しを聞いているうちに、何かのきっかけで上の空になっている 事があるが「落椿」がよく効いている。「ファミリーの標本箱かも初電車(三好つや子)」正月の電車はどこかに出かけるあちこちの家族連れで賑わっている。「標本箱」なかなか上手な言い方。「一〇一歳の母在るだけで松飾り」母と子の幸せ な関係がよく出ている。

漆原 義典

特選句「一〇一歳の母在るだけで松飾り」101歳の母が松飾りと長寿の母を敬う温かい親子愛が感じられ、私が大好きな句です。

亀山祐美子

特選句はありません。問題句『蝉の穴玉音放送聞きにくし』この夏、一夜庵のある興昌寺の本堂前の楓の木を囲む垣根に空蝉が無数に止まっていた。垣根の内側は雑草よけのシートが張り巡らされ、出口を塞がれた蝉たちの慌てふためく 様を想像し脱出できなかった蝉たちの無念を思った。「蝉の穴」があの日の「玉音放送」を呼び戻し、無数の墓穴を連想させる。「聞きにくし」が現在の政情不安を醸し出す。夏の句会で出句されたものなら間違いなく特選でいただいた。無季も 季重なりもありだが、やはり季節感は大切にしたい。『一〇一歳の母在るだけで松飾り』正月らしいおめでたい一句。句会で中七の「居るだけで」が問題になった。「101歳の母」「松飾り」たけで母の存在感は十二分に伝わる。趣味に仕事に 元気でも、病床に臥せようとも「母」は居るだけでいいものだから、だめ押しをする必要はない。必要なのは個性的な中七。後五文字の身の削りようだろう。「居るだけで」は平凡で説明的。好きな句だけにもったいない。私なら『百歳とひとつ の母や松飾』とする。おもしろい句会でした。今年もよろしくお願い申し上げます。

銀   次

今月の誤読●「ちょっとだけ考える人冬うらら」。そのオンナは「ちょっとだけ考える人」であった。なにごとも深くは考えず、深刻になりもせず、たいていのことは、〈まっ、いっか〉で済ますのが常であった。いまオンナはスーパー の中にいる。今夜の献立は肉ジャガと決めていた。だから買い物篭に最初に放り込んだのはジャガイモであった。次にニンジンを入れた。〈そういえば切らしていたわね〉とちょっとだけ考えてタマネギも入れた。あとは牛肉を買って、と。で、 ふと見ると商品棚にカレーのルーが並んでた。〈そっか、カレーもいいかも〉とちょっとだけ考えてルーを手に取った。〈えっと、あとは〉と総菜コーナーに行きかかろうとしたとき〈そういえば〉と、今朝クリーニングに出した夫のスーツのポ ケットに、小さなピンク色の〈マリコ〉とだけ書かれた名刺が入っていたのを思い出した。〈あいつ浮気してんのかしら〉とちょっとだけ考えた。ちょっとだけ考えて、〈まさかね、あの野暮天が〉と思い直してすぐに忘れた。うしろから〈あら ー、奥さま〉と呼びかける声があった。振りかえると同年配の主婦らしき女性が立っていた。オンナはその女性としばらく立ち話をした。〈野菜がお高いわね〉とか〈この寒さ、いつまでつづくのかしら〉とかの月並みな会話を交わし〈じゃあ、 また〉とわかれた。二三歩行きかけて、オンナは〈あの人、だれだったかしら?〉ちょっとだけ考えた。ちょっとだけ思い出そうとしたが、〈ま、どうでもいっか〉とレジに向かった。(筆者独白/好きだなあ、こういうオンナ。世はなべて事も なし。ちょっとだけ考えて、すぐに忘れる。それがこのオンナの生きる知恵であり、哲学なのだ。人生なんてそんなにご大層なもんじゃねえよ)。そしてこの手のオンナこそ、まさに「冬うらら」の似合うオンナなのだ。

重松 敬子

今回も興味深い句が多く,今年も楽しみです。特選句「子が笑うそこが真ん中春の森」初句会らしい明るさを頂きました。国の将来を担う子供達が健やかにそだっている様子,それを見守る周囲の暖かい目線も感じられとても良い句だと思 います。真ん中のつかい方が良い。

豊原 清明

問題句「狛犬の笑い上戸や実南天(亀山祐美子)」無気味な偶像と自然の融合。特選句 「声荒き海鳴りの町鰤大根(重松 敬子)」鰤と海鳴りの情景があるため、観念的ではなく、自然と生き生きして見える。

中西 裕子

特選句「 黒光る牛舐め飛ばす寒の水」寒い時期で縮こまってしまいますが、光る、飛ばす、と勢いのある言葉で元気をもらえました。

月野ぽぽな

特選句「ファミリーの標本箱かも初電車」電車を標本箱と捉えたクールさが見所。初電車なので、晴れやかな雰囲気もあり、バランスが取れている。

小宮 豊和

問題句「捨てて来た合鍵ぬっと初鏡」心惹かれた句だが意味がつかみにくい。「ぬっと初鏡」を、たとえば「初鏡にぬっと」とすると合鍵を捨てるという動作と初鏡に写るという現象の主体が同一人物で、一つながりの動きと感じられる 。「に」を追加すると十八音になるが意味は受取れる。作者の意図と異なるかもしれないが読者としてはわかりやすいことを希望する。

高橋 晴子

特選句「浜砂に草の実あかきわが仮泊」うまくいえないが人生の在りようを感じさせられる句。特選句「雪霏々と降れば飯炊く飯炊く母」〝飯炊く〟の繰り返しが炊飯器でなく竈で飯を炊いているような感を覚えさせる。いずれにしても 厳しい自然と命を守る飯の対比に興を感ずる。面白い句が多かった。「海程」の表現に少し慣れてきたのかもしれません。文句を言いたい句もたくさんあるが、そのうち自分で気がつくでしょう。今年もよろしく!

 
野﨑 憲子

特選句「息吸って息吐いて新しい年」シンプルだから美しい。淑気漲る作品に作者のエッセンシャルな生き方を思った。問題句「薄闇。雪虫のまじりあはぬ日」何でも有りの俳句の世界。句点とは、面白い挑戦だと思う。「薄闇」と「雪 虫」が少し近いのが惜しい。

友からの新年の便りに、青森のハンセン病隔離施設に18歳で入所し、1972年に49歳で亡くなった青葉香歩さんの川柳がありました。青葉さんは、失明の苦難の中、舌読で点字聖書を読み、川柳や教会の友との交わりの喜びに生きられ た方との添え書きがありました。深い感動の中、珠玉の作品を以下に紹介させていただきます。

どろんこのどろんこの中で神を見る

境遇のどう変わろうと星きよし

一筋の足跡残す気で歩き

感覚を舌に集めて読む点字

点字練習バイ ブル読める日をかぞえ

倖せは点字覚えた舌があり

足さぐり手さぐりに来て陽を感じ

盲今日雲の流れる音を聞く

天も地もみな平和なれ天仰ぐ

かつて読んだ詩集の中にあった「病は宝である」という一節がふっと浮かび、心洗われる 思いの中、逆境を逆手に取る魂の根っこの強さを強く感じました。衝撃でした。青葉さんの魂の強さを少しでも見習いたいと心底から思いました。  今年は、九月二十三日に、金子兜太先生が白寿を迎えられ、『海程』終刊そして『海原』発足 と節目の年にあたります。私も、『海原』に参加させていただきつつ、この「海程」香川句会は、「海程香川句会」として、今まで以上に愚直に熱く渦巻いて行きたいと念じています。皆さまのご参加を楽しみにしています!

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

放火
寒オリオン君の心に火を放つ
中野 佑海
どこにある放火の封筒初句会
藤川 宏樹
悴むやぎこちなく少年放火する
竹本  仰
バイオリンが響く放火をしませんか
田口  浩
春そこに放火してきたような顔
男波 弘志
うどん
うどん一杯寒の夜勤をあたためる
小宮 豊和
木枯しを纏いし背広うどん屋に
中野 佑海
うどんすする幸福論のあれやこれや
三枝みずほ
亡き妻の好きな花なり福寿草
島田 章平
福を呼ぶ顔となりに座ってゐる
三枝みずほ
福助の白足袋を知る人ばかり
柴田 清子
寒稽古
寒稽古なにやら気持ちの急展開
竹本  仰
すねに傷くるぶしの痣寒稽古
藤川 宏樹
水平線ほどけて風や寒稽古
野﨑 憲子
寒稽古遠くの山が近くなる
柴田 清子
冬の窓
冬の窓僕ならばまだ小さくす
男波 弘志
冬の窓私の魚およぎ出す
中村 セミ
恵方
句会場あるところ恵方なり
柴田 清子
新しき鉛筆におう恵方みち
男波 弘志
老人の音を持ち去る恵方かな
田口  浩
雪かしら唇に紅のらない日
柴田 清子
降る雪やりっちゃんは淋しかったのです
野﨑 憲子
飼主によく似し犬が雪の土手
野澤 隆夫
夜の空気吸ふもうすぐ雪の降る気配
三枝みずほ
別れゆく雪に似合わぬ背中だが
竹本  仰
ソクラテス
ソクラテス時には思索日向ぼこ
野澤 隆夫
ソクラテス雲は独りになりたがる
野﨑 憲子
おしどりの川にソクラテスがうつる
男波 弘志
ソクラテス鴨より鴎大きいです
鈴木 幸江
冬籠永遠の無知ソクラテス
山内  聡
真実はセロリの香りソクラテス
島田 章平
湯豆腐
湯豆腐のなかに地球のたまごかな
野﨑 憲子
湯豆腐や夫に云う付き合ってくれますか
鈴木 幸江
湯豆腐や昆布ひろがり白と黒
山内  聡
湯豆腐という遠景のありにけり
男波 弘志

【通信欄】&【句会メモ】

平成三十年の初句会には、着物姿の柴田清子さんと中野佑海さん、そして淡路島から竹本 仰さんが参加され、淑気と熱気漲る句会になりました。今回で八十回となり句会後に開いた新年会では、お話の花があちこちで咲きました。振り返れ ばあっという間の八十回でした。これからも、一回一回の句会を大切に踏んばってまいります。今後ともどうぞ宜しくお願い申しあげます。

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