2023年11月29日 (水)

第145回「海程香川」句会(2023.11.11)

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事前投句参加者の一句

恋の句を詠みたき日なり冬薔薇 柾木はつ子
疎に密に語り来し日々そばの花 野田 信章
銀杏散る私を裁くのは私 柴田 清子
蕎麦咲いて白一面の昏さかな 三好つや子
御堂筋はトークの歩巾黄落期 重松 敬子
龍淵に潜むほっといてと言った 薫   香
立ちん坊にお告げのような流れ雲 榎本 祐子
思い切りここ叩いてよね月光 竹本  仰
消しゴムで消えそうな母 芒原 飯土井志乃
ぺちゃくちゃと四五羽の雀小六月 佳   凛
らっきょう食ぶつぎつぎ生まれくる言葉 小山やす子
山の神にお祈りですか鵙の声 漆原 義典
提灯にむじなと書きし夜の果て 中村 セミ
青鷹大渦よりたつ潮煙 丸亀葉七子
もう一杯もう一杯と重ね重ねて志ん生忌 銀   次
渡り鳥隠し持つ海の道標 菅原香代子
もの言わぬ子に友ひとり帰り花 松本美智子
黄落を和解の色と思うかな 佐孝 石画
巧みなる夫の゛技です栗御飯 疋田恵美子
花芒 僕を分別して靡く 津田 将也
十三夜そんな華ある漢ゐて 鈴木 幸江
仏壇に位牌と並ぶ蝮酒 稲葉 千尋
綾取の川へ梯子へはうき星 あずお玲子
秋深むその周辺をおじいさん 松本 勇二
栗茹でる選に洩れたる句の数多 寺町志津子
ばつた跳ぶ鳥になる練習をする 川本 一葉
シャケ高菜ツナマヨおかか秋深し 田中アパート
君を追う急登錦秋地蔵岳 岡田 奈々
あたたかや方言混じるネット句座 塩野 正春
民が民憎みどうするましら酒 新野 祐子
君へ檸檬 発火しそうな放課後 松岡 早苗
菊の香や国境線無き島の国 野口思づゑ
ただ枯葉散らす風見てカフェテラス 風   子
絵も本もピアノも売りて日向ぼこ 大浦ともこ
金秋の頂き瓦礫心の臓 亀山祐美子
花野来ても逆さ世界あるらしや 福井 明子
柿明かり日暮れの街が消えかかる 十河 宣洋
山寺はこっちよこっち秋黄蝶 三好三香穂
白浪の海湧く日々だ冬炬燵 豊原 清明
秋深し すり寄る猫の痩せし背 植松 まめ
含羞も死語となり果て秋暑し 時田 幻椏
<江戸東京たてもの園にて>大樽や今年醤油の柄杓売り 森本由美子
孫を愛づ茂吉の髭が光る冬 田中 怜子
踏切によく日のあたる昭和かな 男波 弘志
秩父三日海馬にいつぴき秋蛍 若森 京子
古典より戦ひも解くカンナ燃ゆ 川崎千鶴子
一人旅秋の光に乗り換えて 河野 志保
積ん読に余生を照らし寒くなる 山下 一夫
深層心理ってマフラーに埋まる耳 三枝みずほ
この砂も地球のかけら星月夜 向井 桐華
人道回廊 秋風の民ゆく 島田 章平
秋の雨白湯の匂ひの豊かなり 石井 はな
冬霧のデモ熱くゲバラを語りし人 岡田ミツヒロ
枯木めぐりし眼底なぜか月に戻る 佐藤 稚鬼
金曜の夜長気がかりが深爪 藤川 宏樹
草城子の一句引き寄せ郁子の実や 大西 健司
捨て置けば死ぬ猫である娘の秋 淡路 放生
<悼む 竹内義聿氏>朝顔の裏路地愛す男かな 樽谷 宗寛
街角のたばこ屋閉店秋高し 山本 弥生
烏瓜ひたすら一隅照らす役 山田 哲夫
水を脱ぐ大白鳥の大志かな 小西 瞬夏
早慶の秋の陣過ぎひとりなる 滝澤 泰斗
非力憂えば濡れ縁にカメムシ 伊藤  幸
母の忌や集う兄妹みな熟柿 増田 暁子
山粧ふ蔵王県境枯損木 河田 清峰
長き夜の糸巻きからんと奥秩父 桂  凜火
大陸に国境多し鳥渡る 月野ぽぽな
スーパーの長きレシート冬支度 菅原 春み
錯覚の恋に浸って戻り花 藤田 乙女
秋晴れやぽっかり浮かぶ河馬の尻 稲   暁
秋天の喪の家蟹の横歩き 荒井まり子
旅立ちのおへそにしまう夜寒かな 高木 水志
五十年愛はなくとも小六月 吉田 和恵
冬のたんぽぽ明日は南へ飛ぶ構へ 谷  孝江
みんな星の子とほき渚のものがたり 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「踏切によく日のあたる昭和かな」。季語はありませんが、素晴らしい郷愁感を醸し出しています。昭和の時代は踏切にも詩がありました。

豊原 清明

特選句「らっきょう食ぶつぎつぎ生まれくる言葉」。「つぎつぎ生まれくる言葉」の源泉は食べることです。らっきょうの力かと思う。問題句「孫を愛づ茂吉の髭が光る冬」。「髭が光る冬」が好きです。光ることが嬉しい。

小西 瞬夏

特選句「鉄条網から顔出して朝顔よ(月野ぽぽな)」。鉄条網がある景、基地か、国境か、向こうは見えるけれど、決していくことができない場所。そこから朝顔は、そんな人間の分断を気にすることなく越境してくるのだ。「よ」という呼びかけがしみじみと響く。

☆天志さんと、それほどたくさんお会いしたわけではありませんが、私の中での存在は大きい方でした。残念でしかたありません。ご冥福をお祈りするばかりです。

柴田 清子

特選句「消しゴムで消えそうな母 芒原」。母への思いの深い佳句と感じました。私もこんな母になりたい。特選句「踏切によく日のあたる昭和かな」。俳句の枠からとび出したような、やさしい言葉で、季語の有る無しを意識させないだけのものが、詰まっている昭和を、よく一句に。感心させられました。

風   子

特選句「菊の香や国境線なき島の国」。国境線がないことでかろうじて守られている平和。この恵みに甘んじていていいものか。「早慶の秋の陣過ぎひとりなる」。青春の真髄。過ぎ去ったあの頃。「錯覚の恋に浸って戻り花」。戻り花が面白い。どんなことなのか熱燗でも呑みながら聞かせてください。

鈴木 幸江

特選句評「もう一杯もう一杯と重ね重ねて志ん生忌」。”分かります。分かります。”多分私よりご高齢の方ではないでしょうか。(違っていたら凄い人!)私は、息子の志ん朝ですが、YouTubeで寝る前に、この頃よく聴いて心をリラックスさせたり、偲んだりしてます。父子とも酒をこよなく愛した、不世出の落語家でした。その創出する笑いは、奥深く、世俗を超えていました。嬉しくて特選にさせていただきました。

☆天志さんのこと、お知らせくださり有り難うございました。 お陰で、ご一緒に黙祷させていただきました。天志さんとは、あの絶妙な距離感が大好きでした。それをキープしたまま、今は夜空の星になってしまいました。 芭蕉さん好きの天志さんと、一茶好きの私ではちょっと距離があるのは当然ですが、添付ファイルで、送っていただいた資料を拝読し、禅の教えや、人生旅人の宇宙摂理を持っていらしたことに 私と「どこか、もっと共鳴し合えたのではないか?」の心残りと、大きな身体と静かに何かと闘っているような生き様は、人の温もりを私に残して逝かれました。 心よりご冥福をお祈りいたします。きっと、星となって私たちを見守ってくれていることと信じています。

津田 将也

まことに残念ですが、特選句はありません。

岡田 奈々

特選句「御堂筋はトークの歩巾黄落期」。賑やかな大阪の様子が良く分かる。トークにも歩巾があったんですね。特選句「余生かな一切れの苺ケーキ残る(桂 凜火)」。これからの老後にも苺ケーキ様のたのしみが。何が起こるかお楽しみ。「銀杏散る私を裁くのは私」。結局は自分の罪悪感が自分を一番虐めている。ぃっきに銀杏が散る様な残念感。「らっきょう食ぶつぎつぎ生まれくる言葉」。俳句を作るものは言葉に飢えているので、らっきょう食べます。「幼子のどんぐり屋さん開店日」。こんな遊びをする子も少なくなってしまって、寂しくなった。また、孫と公園でごっこ遊びしたい。「巧みなる夫の技です栗御飯」。堅い殻など剥いてくれて有り難く美味しい栗飯頂きます。「絵も本もピアノも売りて日向ぼこ」。今流行りの全捨離。私もして、何もない部屋で清々しくお茶したい。「秩父三日海馬にいっぴき秋蛍」。秩父「海原」全国大会。皆と会い、話し、考え。記憶の海馬に少なからぬ火を灯せた。「深層心理ってマフラーに埋まる耳」。マフラーで顔を隠し、目だけ出して、本当の私はマフラーの中。「旅立ちのおへそにしまう夜寒かな」。山形吟行に行く前に寒いよと聞かされて、それは、飲み込んで出掛けた。その不安がよく出てる。私はおへそでなく、トランクだけど。

十河 宣洋

特選句「兜太への道や無患子零れおり(大西健司)」。海原の大会で秩父の椋神社へ行った。境内には無患子の実が沢山落ちていた。その実を拾ったりしながら、ここは兜太へ続くところという感想を持った。秩父困民党がここから立ち上がった歴史的な処でもある。特選句「母の忌や集う兄妹みな熟柿」。お母さんを偲びながら、話題は色々ある。懐かしい話が多い。でもみんな年取ったねというところ。熟柿は笑いがある。楽しい法要になったようである。お母さんもそれを望んでいる。

桂  凜火

特選句「君へ檸檬 発火しそうな放課後」。檸檬とくれば梶井基次郎ですが、高校生らしい一途な感じがよかったですね。令和の恋ですね。

樽谷 宗寛

特選句「水を脱ぐ大白鳥の大志かな」。気持ちの良いお句。映像が浮かび、私も夢をいただき元気になりました。白鳥が好きだからかな。「母性とはタロイモ秋の土固し」。ハワイ旅行で食べたタロイモすごく美味しいかつた。お値段も高かったことが今も忘れられないでいる。母性とはが良い。

藤川 宏樹

特選句「そこここに谷内六郎秋夕日(三好つや子)」。週刊新潮の表紙を描き続けた谷内六郎。政界・芸能界の裏や男女絡みの話に興味が湧き、ついページを繰ったものだ。応接卓上に缶入りピースと灰皿、「週刊新潮」。そこここに昭和。私がようやく社会人になりしばらく、彼は急に世を去り平成に、そして令和に。・・・昭和は遠くなりにけり・・・

植松 まめ

特選句「ふんふんと亡犬来る気配月冴える(寺町志津子)」「捨て置けば死ぬ猫である娘の秋」。  今月は奇しくも犬と猫の句を特選にしました。今まで8匹の犬を飼いましたが、今年6月最後の飼犬を亡くしました。月を見ると犬たちを思い出します。また現在難病の猫の看病をしています、「捨て置けば死ぬ猫である……」わが家の猫もそうです。まだ2歳。?せ細りながらも彼は懸命に生きています。

あずお玲子

特選句「深層心理ってマフラーに埋まる耳」。埋めるんじゃなくて「埋まる」耳に納得。特選句「金曜の夜長気がかりが深爪 」。金曜の夜長、独りの時間をさぁ楽しみますよという時に深爪がしんしんと気になる。夜長の邪魔をする。この感じに共感。きっと足の小指に違いない。

☆増田天志さんの訃報に驚いて、とても残念です。勝手にまた話が聞けると思っていたので。  ご冥福をお祈りします。「笑って別れてあっけなく冬銀河(あずお玲子)」

月野ぽぽな

特選句「花芒 僕を分別して靡く」。内省的な世界の描写に惹かれた。分別する、と聞いてすぐ思い浮かんだのは「家庭ゴミを分別する」のように、種類によって分けること。意識を自分に向け、自分を、自分の中にある様々な部分に分けてみて、どれひとつとして排除することなく、受け入れ、労わり、励ますことを通して、新たな全き一つとしての自分に変容してゆく心の働きが見えてきた。それは瞑想そのもの。自分の慈愛を惜しみなく受けて自分は限りなく満たされ、陽を浴びる花薄のように光り輝く。慈愛、自愛の一句。憲子さん、みなさん、今年もご一緒できて幸せでした。どうぞご自愛され、良いお年をお迎えください。

☆天志さん、急逝の知らせに驚いています。2018年6月に二泊三日の花巻遠野吟行を天志さんとご一緒した時のことを今、思い出しています。背が高くハンサムな天志さん。二枚目かと思いきや、ユーモアたっぷりのお話で、天志さんの周りには笑顔が絶えませんでしたね。句会では、天志さんの作品や評、そして穏やかな語り口から滲み出る俳句に対する真摯な姿勢から、多くを学ばせていただきました。ありがとうございました。再会を約束して解散した時も、やはりあの優しい笑顔でいらっしゃいましたね。昨年、海原誌上で「にんげんとは何 ひまわりに砲弾」と、人間の現状を見、人間の本質を問うていた天志さん。先月、憲子さんが添付してくださった天志さんによる芭蕉のレポートの中で、山寺での「閑さや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉」に梵我一如を見抜いた天志さん。心でいくたびも「芭蕉さん」と語り合われたのでしょうか。レポートを読むうちに、わたしには、天志さんが、芭蕉さんに導かれて悟りの境地の安らかさの中にいらっしゃるような気がしてきました。天上で芭蕉さんと、兜太先生と、句座を共にされているかもしれませんね。今生で天志さんと句座をご一緒できたことに心より感謝いたします。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。ぽぽな

岡田ミツヒロ

特選句「らっきょう食ぶつぎつぎ生まれくる言葉」。らっきょうを噛むバリバリと勢いのよい音とリズム感、さらに脳にまで沁みる酸味の刺激。弛緩した脳細胞も覚醒し新鮮な言葉を紡ぎ出してくれそうだ。特選句「みんな星の子とほき渚のものがたり」。天界より選ばれて人はそれぞれ水の星・地球へと送り出される。地球は渚、人は水と戯れ、水に翻弄されて時を過す。そしてみな渚のものがたりを残し、人それぞれの星、天界へと帰る。

石井 はな

特選句「錯覚の恋に浸って戻り花」。この歳になって昔を思うと、恋って錯覚なんだとつくづく思います。そんな錯覚に浸っていた若い自分が愛しいです。

川本 一葉

特選句「冬のたんぽぽ明日は南へ飛ぶ構へ」。明日のたんぽぽが目に浮かびます。飛ぶ構へという下五が生きていると思います。未来のことを言うのは楽しいです。

大西 健司

特選句「秋晴れやぽっかり浮かぶ河馬の尻」。殺伐としたなかこの長閑さが良い。特選句「シャケ高菜ツナマヨおかか秋深し」。問題句のほうが似合うのかも知れないが、コンビニに並ぶおにぎりの平和な装いが実に楽しい。

☆天志さんのことはあまりにもショックです。やはり同世代だけに急死は他人事では無い事態です。田舎だと同じ敷地内の離れに一人いたりしますが発見が遅くなるのはつらいです。いつ何事がおこるかもわかりません、お互いに健康第一でいきましょう。天志さんのご冥福をお祈りします。

♡ところで過日行われた東海地区現代俳句協会青年部主催の第6回ジャズ句会LIVEin名古屋へ行ってきました。やはり楽しいところには人は集まります。企画力が大事なんだと感じました。19歳から93歳まで30数人の参加があり熱気溢れるものでした。といっても俳人はお酒などを飲みながらですが。一流ミュージシャンの演奏は最高。一人一人の俳句に対し即興の演奏をするという無茶なお願いに見事に応えてくれました。過去の様子がユーチューブで見られるはずです。よければご覧下さい。辛い出来事に負けず頑張りましょう。

河田 清峰

特選句「水を脱ぐ大白鳥の大志かな」。この句を一読して、突然亡くなった増田天志さんの姿が浮かんできた。何もかも脱ぎ捨てて大きく羽ばたいて飛び立った白鳥そのものの天志さん。連句、書道など多芸多彩な人であった。惜しまれてならない‥

吉田 和恵

特選句「母の忌や集う兄妹みな熟柿」。とかく母を後盾として来た兄妹、年を経て母の忌に集えばみな枝にぶら下がる熟柿のようではないかと。ちょっと哀しく可笑しくも兄妹の絆を感じさせる一句です。

塩野 正春

特選句「大樽や今年醤油の柄杓売り」。なんか句の中から香りが漂うような、素晴らしい情景です。醤油作りのは知識のない私ですが大樽の中に出来上がった醤油の味は瓶詰めされ市販されるものとかなり違う気がします。数千年前から日本人の味を支え、湯浅醤油が発展させキッコーマンらによって今や世界中の調味料です。出来立ての一滴を柄杓で受け取るとはなんと贅沢なことでしょう。特選句「古典より戦ひも解くカンナ燃ゆ」。作者の意図とは違うかもしれませんがアメリカ南北戦争を生き抜いたスカーレットオハラを思い起こします。アトランタの荒野で、結局一人になったスカーレット、カンナだけが咲き誇ります。ちなみに”風と共に去りぬ”の映画、米国テク二カラー映画の最初で、ロシアのアグファカラーと国力をかけて戦ったようです。いい戦いでした。主役はリリアン・リーでしたかね。美しかった!これで今年は最後です。 いささか気が早いのですが健康で安泰な新年を祈ります。

稲葉 千尋

特選句「この砂も地球のかけら星月夜」。なんと美しい句。この美しい地球に戦の話し悲しい。星月夜が美しすぎる。  ?山形吟行、お疲れさまでした。楽しい旅行だったとおもいます。ますますのご健吟をお祈り申しあげます。今号はいっぱい好きな句がありました。採れなくて残念です。有難うございました。

新野 祐子

特選句「栗茹でる選に洩れたる句の数多」。「栗茹でる」の取り合せがユーモラスですね。選に洩れてもめげない作者。少々つらいことがあっても乗り越えていくパワフルな作者が見えます。『朝和む「もってのほか」てう菊の菜』。前の夜何か不穏なことがあったのでしょうか。香りよく彩のきれいな菊のおひたしを食べて和んだのですね。

♡十月二十九日から三十一日に山形吟行に来てくださった岡田奈々さん、亀山祐美子さん、河田清峰さん、島田章平さん、田中怜子さん、野﨑憲子さん、三好三香穂さん、ありがとうございました。本当に楽しい三日間で、この年のとっておきの思い出になりました。個性的かつ魅力的な方々とご一緒できたこと、大きな刺激になりました。増田天志さんが来られなかったことを心配していましたが、亡くなっていたなんて。皆さん、茫然自失のことと存じます。増田さんのご冥福を祈るばかりです。

 山形吟行では、ほんとうにお世話になりました。まさか新野さんが、マラソンランナーだったとは思いませんでした。フットワークの軽さに驚きました。お陰様で、とても充実した楽しい吟行になりました。ありがとうございました。天志さんの事は、未だに信じられない思いですが、きっと私たちと一緒に山寺やお釜や地蔵岳を吟行していらしたと、今は強く感じています。(憲)

山本 弥生

特選句「隠れ段畑老婆が短い人参掘る(津田将也)」。住み馴れた過疎地を老いても離れず無農薬の短い人参を段畑で一人収穫している姿が見えて来る。令和の時代である。

中村 セミ

特選句「踏切によく日のあたる昭和かな」。上手いと思う。何かの色々な感慨をかんじます。

松岡 早苗

特選句「一人旅秋の光に乗り換えて」。「秋の光に乗り換え」るという表現がとても素敵です。初めての土地で電車から降りると、キラキラした秋の日射しがいっぱい。電車を乗り継いで次はどこへ行こうか。気ままな一人旅の醍醐味を感じました。特選句「非力憂えば濡れ縁にカメムシ」。布団を干すにしてもちょっと物を動かすにしても、寄る年波には逆らえず、自分の非力を痛感させられるばかりです。濡れ縁のカメムシはちょっとやっかいですが、クスッと笑える光景でもあり、楽しく拝読いたしました。

野田 信章

特選句「草城子の一句引き寄せ郁子の実や」。森下草城子氏とは、「海程」の初期から中期にかけて活動された方で、濃尾平野の一角に腰を据え、その自然風土を踏まえての精神風土の形成を目指された先人である。この草城子氏との交流があり、いまも熱き想いを抱いている作者の述懐の念のこもった一句である。郁子の実との確かな出合いがあり、通草では、この句の軽妙さは出ない。私の感銘を覚える草城子俳句の二句を下記へ。「朝のガラスに富士がきており暗し(草城子)「月を見たし蜩聴きたし冬の山(草城子)

☆増田天志氏の訃報を受けて驚いているところである。初期作品の中に、<もみじ山おれは天動説でゆく><洗っても洗ってもこおろぎの貌>等の若作りではあるが諧謔味のある句が見受けられていたので、中年から老年にかけての厚みのある諧謔性のある本格俳句を期待するものがあった。それも今となってはかなわぬこととなった。故人となられた天志氏のご冥福を心から祈るばかりである。

増田 暁子

特選句「蕎麦咲いて白一面の昏さかな」。蕎麦の花の白一面の中、周りや世の中は昏いと思う日々です。特選句「深層心理ってマフラーに埋まる耳」。深層心理ってほとんどの人々は耳を蓋して、本音を口にしない。マフラーに埋まって聞こえぬ気配です。いけないと思う時もありますが、本当にその心理は判ります。お上手な句ですね。

☆増田天志さまへ。謹んで哀悼の気持ちを込めてお悔やみ申し上げます。句会ではひょうきんで明るく、よくお話しましたね。名字が同じで、最初の頃紙面に並んで名前が出るので、ご自分から声を掛けていただきましたね。関東の句会にもたびたびお会いし、ニヤッとした笑顔が思い出されます。まだまだお若いのにと思うと、言葉になりません。心残りがいっぱいあるでしょうに、本当に残念ですが安らかにお眠りください。

山田 哲夫

特選句「秋晴れやぽっかり浮かぶ河馬の尻」。爽やかな秋空の元でのユーモラスな風景を鮮やかに映し出した。こういう句に出会うと心もかろやかになり、秋晴れのように晴れ晴れした気分になる

柾木はつ子

特選句「綾取の川へ梯子へはうき星」。発想がユニークですね。とても柔らかい感性をお持ちの方と思いました。特選句「大陸に国境多し鳥渡る」。日本は島国なので陸続きに国境のある生活というものが想像出来ませんが、どうしてもこのような地では紛争が起こりやすいのでしょうね。かと言って国境は不可欠だと思いますし…その点渡り鳥には自由があるけれど…

河野 志保

特選句「黄落を和解の色と思うかな」。「黄落を和解の色と思う」発想にひかれた。そして深く納得。あの静かでたくましい営みの前では、どんな諍いも消える気がする。作者は戦争が広がる世界も憂いているのかもしれない。

三好つや子

特選句「秋深むその周辺をおじいさん」。マラソンに出るかのような格好で走る老人もいれば、夕食のおかずを買っている背中が淋しそうな老人もいる。散歩の途中やスーパーマーケットでみかける姿を、優しいまなざしで捉えている作者に、共感が止まりません。特選句「水を脱ぐ大白鳥の大志かな」。春が来て大白鳥が北方へ帰っていくときの、水面から飛び立つ一瞬をみごとに詠んでいます。水を脱ぐという表現に、旅立ちの覚悟のようなものまで感じられ、注目しました。「三世代の看護師家系おみなえし」。微笑の似合う聡明な祖母と母と娘のありようを、清楚なおみなえしが語っているようです。「錯覚の恋に浸って戻り花」。照れくさそうにこちらを見ているあの人、ひょっとして私に気があるのかしら。そんな錯覚に弾けるひととき。戻り花は、帰り花でもよいと思います。

☆比叡山での勉強会や関西の定例句会でお会いし、俳句について熱く、楽しく語る天志さんが思い出されます。芭蕉の梵我一如、読んだばかりだったのに・・・とても淋しいです。ご冥福をお祈りします。

高木 水志

特選句「深層心理ってマフラーに埋まる耳」。音の響きが心地よい。深層心理の曖昧な感じを耳という小さくて柔らかな部分に喩えて、冬の空気感を感じさせたところがいいと思う。

野口思づゑ

今回は特選が選びきれませんでした。「恋の句を詠みたき日なり冬薔薇」。次の句会で、その句を披露して下さい。「あたたかや方言混じるネット句座」。私も同じ感想を持ちます。馴染みのない地方の言葉のアクセントなどに温かさを覚えます。「絵も本もピアノも売りて日向ぼこ」。断捨離をされたのでしょうか。今までの活動を整理して、日向ぼこでリラックス。理想的ですね。「踏切によく日の当たる昭和かな」。高架線もなく、建物も低かった昭和でしたら、スペースのある踏切の日当たりは良かったに違いありません。視点が面白い。

菅原香代子

特選句「君へ檸檬 発火しそうな放課後」。青春を檸檬と放課後で表現していて見事です。「野辺送り栗鼠は木の実を運びをり」。秋の野辺送りの寂しさと、栗鼠のほのぼのとした温かさの対比がすばらしいと思いました。

榎本 祐子

特選句「秋深むその周辺をおじいさん」。おじいさんは周辺をぶらぶら歩き回っている。特に目的はない。強いて言えばぶらぶらが目的。深む秋の中を放下している。

☆天志さんの事、ショックです。残念ですね。以前、三田句会で時々お会いしていました。高松での全国大会の帰りも、小豆島からご一緒して楽しくおしゃべりした事を思い出しています。いつも楽しくされていて、面白がらせてくださっていましたが、どこか痛々しくて繊細な人だなと感じていました。またお会い出来ると思っていましたので悲しいです。ご冥福をお祈りするばかりです。

重松 敬子

特選句「深層心理ってマフラーに埋まる耳」。深層心理って、本人も意識なく、面白く興味のわく分野である。作者の愛される性格なども垣間みえて微笑ましい一句。

☆天志さんの訃報。まだお若いのに残念です。句友が減ってゆくのは寂しい限りです。

滝澤 泰斗

今月の選句はまさに「選苦」・・・十句を選ぶのに苦労した。特選並選つけ難く異例ではありますが、甲乙なしで選をしました。「恋の句を詠みたき日なり冬薔薇」。確かに、冬の薔薇はそんな気にさせる狂おしさがある。「疎に密に語り来し日々そばの花」。特段の日が毎日あるわけではない。地味なそばの花の様な淡々とした日常が続いてゆく。「銀杏散る私を裁くのは私」。自分にけりを付けて行くのはもちろん自分だが、その心情を句にしたことに感心した。「蕎麦咲いて白一面の昏さかな」。白一面の昏さと見た眼力。「御堂筋はトークの歩巾黄落期」。銀杏を眺めながらか、落ち葉を踏みながらか、その風情が、トークを、歩みを緩やかにして詩情を醸し出してくれる。「ただ枯葉散らす風見てカフェテラス」。こちらは、東京丸の内当たりの秋の風情。気分のいい句。「柿明かり日暮れの街が消えかかる」。一際赤い柿が夕暮れに映えていたが、黄昏は短く町に帳が落ちて行く・・・たまらない寂寥感。「深層心理ってマフラーに埋まる耳」。一読して、なるほどねと妙に納得した一句。「草城子の一句引き寄せ郁子の実や」。伊勢志摩の海程全国大会でお話を伺う機会があったった草城子さん。作者はどんな一句を引き寄せたか。懐かしさいっぱい。「水を脱ぐ大白鳥の大志かな」。白鳥が水面から立ち上がる時の水の形状がまさしく水を脱ぐように見える観察眼の確かさ。以上、十句以外に次ぎの句もきになったので、記しておきます。「ぺちゃくちゃと四五羽の雀小六月 」「栗茹でる選に洩れたる句の数多」「ばつた跳ぶ鳥になる練習をする」「冬霧のデモ熱くゲバラを語りし人」 

☆後に、野﨑さんからのお知らせで知った増田天志さんの逝去の報。香川での「海原」全国大会でお世話になったかと思いますが、どうしても顔が浮かんできません。海程創刊五十周年アンソロジーの増田さんの情報によれば、私より若かった。自分より若い人の死は重く、つらい。お名前の通り「天使」になった増田さんの天国の平安をお祈り申し上げます。

伊藤  幸

特選句『日曜日「つぎ木犀の町停ります(あずお玲子)』。「銀河鉄道の夜」を思い出しました。メルヘンですね。休日はバスにでも揺られつつ心豊かに過ごしたいものです。

☆追悼 増田天志さん。「海程香川」花巻遠野吟行の際お話しして何故か気が合い、以来ラインでメールを交わすようになりました。既にご存知の方も多いと思いますが天志さんは多才な方で俳句はもとより絵画や彫刻と展覧会によく出品されておられました。そしてその画像が何度か送られてきました。九月、「『海程香川句会』に参加し温かく迎えて頂いた。作句は続けたい。」と嬉しそうなメールが届き、最近では「肥後の志士「宮部鼎蔵」のことが知りたいから近々熊本へ行きたい。」というメールも届いたばかりでした。残念です。折につけ俳句もやり取りしていましたので天志さんの遺句を数句挙げさせて頂きます。「父の出るまでトランプめくる晩夏」「まず音符こぼれ睡蓮ひらくかな」「どこまでが星雲の渦かたつむり」「龍鱗の乾き雲海に首のぞく」「蒼き眠りは幻想の大なまず」「薔薇の死はブルースざらつく喉元」「雲龍の目の蒼穹や芭蕉祭」

菅原 春み

特選句「大樽や今年醤油の柄杓売り」。スケールが大きく年末に締める句としてもとても好ましい。特選句「長き夜の糸巻きからんと奥秩父」。奥秩父の昔ながらの機織りの景。糸巻きだけを切り取ったろころが映像に。

男波 弘志

「野辺送り栗鼠は木の実を運びをり」。二つの出来事に抑々関係性がある訳ではないが、こうして一行詩になってみると如何にも何かがありそうではある。生と死の対比、それは全く表層のことに過ぎない。野辺送り、木の実を運ぶ、その営みが事も無げに持続していること、人間の暮らしの中にある血液の流れ、そういうものを感じればよい。秀作。「絵も本もピアノも売りて日向ぼこ」。一見この人は全てを手放しているようだが、そうではない。むしろ手放したことによって、それは心の中に何度も蘇ってくるのであろう。シャガールの青、怒涛のバッハ、ブッダの知恵、いま人類は危機的状況にある。人間が生み出した叡智、文明はもはや負の遺産でしかない。人間が文明だと思っていたものをいつ放擲するのだろうか?人間自身を消し去らなければこの状況は変えられないであろう。誠に残念だが世界の人々が冬の日溜りでうとうとする日は来ないであろう。秀作

薫   香

特選句「消しゴムで消えそうな母 芒原」。認知症になった母は何を聞いても、「うん」としか言わず、腰も曲がりいつもうつむいて座っている。生命力を失ったかのように、今にも消えそうな母を思い出しました。特選句「もの言わぬ子に友ひとり帰り花」。先日11月だというのに暖かな日が続いたせいか桜がいくつか咲いており、何だか嬉しくなりました。友達が一人いてくれるのは母にとって一輪の桜のように嬉しい。

佐孝 石画

特選句「踏切によく日のあたる昭和かな」。「踏切」はときおり、異界との境界を思わせる。待つという行為、渡るのをためらう緩やかな逡巡。この世あの世、現在過去。時空の歪み弛みを感じつつ、眼前の遮断器の、蜂の腹のような、色褪せた黄黒の遮断棒、そして眼下には錆びた鉄路と朽ちた枕木。無季であろうが、「日のあたる」という措辞が、小春日の実景を想起させ、また、過ぎ去った自らの昭和時代の思い出が、眩惑を伴い重なってくる。「踏切」という語の、季語に匹敵するイメージの蓄積率を再認識しつつ、五感を増幅させる「日のあたる」という語を加えた、作者のインスピレーションに脱帽する。

田中 怜子

特選句「柿明かり日暮れの街が消えかかる」。映像がきれい、穏やかな日本の風景 いつまでもそのままであってほしい。特選句「君を追う急登錦秋地蔵岳」。吟行を思い出します。大きなお尻が目の前に、そして中七下五で一気に登りつめる勢いが感じられるともに、ふーふー登った記憶が蘇ります。

疋田恵美子

特選句「十三夜そんな華ある漢ゐて」。私の知るとこらでも、数少ないですが確かに素敵なお方おいでますね。特選句「君へ檸檬 発火しそうな放課後」。今話題の大谷選手のような若者を想像しました。

☆増田天志さん、香川全国大会では、赤い運動靴を履き皆さんのお世話をされていたお方ですよね!まだまだお若い方でしたのに残念なことですね。お悔やみ申し上げます。       合掌

森本由美子

特選句「蕎麦咲いて白一面の昏さかな」。白一面という視覚的表現に昏さというキャラクターを加えて作者の内面を伝えようとしている。詠み手はその世界を共有することが可能と思う。

松本美智子

特選句「花芒 僕を分別して靡く」。人間はいろいろな便宜上,分けられる事があります。「男」「女」,「○○人」「■■人」,「キリスト教徒」「イスラム教徒」そして「必要」「不必要」・・・分別による差別,分断や憎しみ,悩み・・・そのような世界からは遠いところに身を置きたいと考えています。祈りをこめて・・・句を選びました。

大浦ともこ

特選句「蕎麦咲いて白一面の昏さかな」”白一面の昏さ”という表現に惹かれました。明るさの中にある昏さ、でしょうか・・。特選句「なびくねえあれが風だよねコスモス(竹本 仰)」飄々とした語り口調の句の中にあたたかさが伝わってきます。風に靡きながらも強靭なコスモスと響きあっています。

川崎千鶴子

特選句「旅立ちのおへそにしまう夜寒かな」。「夜寒」をおへそにしまうとはお洒落な表現で、素晴らしいです。私もあやかりたいです。

時田 幻椏

特選句「疎に蜜に語り来し日々そばの花」。現在主催している建築交流展のテーマが「ナラティヴ」、この語をキーワードに10ヶ月程思考して参りましたので、その勢いで。特選句「彼岸花凡句と言へど彼我に柄(藤川宏樹)」。その通り、良し悪しを越えて句は詠み手その人のものです。彼岸と彼我、気恥ずかしい語の選択ですが。問題句「在りし父母の駆け落ちほろん菊膾(伊藤 幸)」。ほろんはホロンですか?。私は秀句と思うのですが、如何でしょう。宜しくお願い致します。

飯土井志乃

特選句「旅のように晩秋絹の雲刷いて(榎本祐子)」。予測正しい日本の四季の味わいは何処へ行ったのでしょう。予測もつかぬ日々の明け暮れを重ね一足飛びに訪れた今年の秋は、まるで晩秋の貴婦人の様、納得の一句に仕上り美しい。

☆突然の、増田天志様の訃報、声も出ませんでした。思い返せば、「海程」第一回比叡山勉強会。矢野千代子様を中心に大津にて開催の折、故金子兜太先生を筆頭に海程の名だたる方々のご参加に、スタッフ一同緊張で張りつめておりました。その時、怖気ず、応対案内をした青年が、増田天志さんでした。金子先生も、気さくにお声をかけられ、楽しんでいらっしゃるご様子に、一同胸を撫で下ろし、会を終えた事が懐かしく思い出されます。それからの天志さんのご活躍は、皆様ご承知の通りです。兜太先生も黄泉の方となられ、此の度は又天志さんをお見送りする。身ほとりが淋しくなりました。俳句から遠ざかりがちな私にも句会の誘い水で今日まで止まらせていただき長きに渡る、ご厚情に深い感謝をしております。ありがとうございました。安らかな永遠を祈りつつ 合掌。

漆原 義典

特選句「母の忌や集う兄妹みな熟柿」。下五の熟柿がいいですね。この情景は、長男の私の家の座敷の仏壇の前に集まる情景そのものです。姉2人と、古希を迎えた私、そして弟の4人兄弟も、みんな年取りました。年老いた兄弟が会って仲良く話をすることはいいことですね。心が温かくなる句をありがとうございました。

稲   暁

特選句「銀杏散る私を裁くのは私」。自分の失敗が原因でうつ病になった経験がある私には「私を裁くのは私」のフレーズが心に沁みました。

佳   凛

特選句「らっきょう食ぶつぎつぎ生まれくる言葉」。らっきょうが脳を刺激するのでしょうか?羨ましい限りです。今日の晩御飯に試してみようかなぁ。

銀   次

今月の誤読●「もの言わぬ子に友ひとり帰り花」。小さいころからおとなしい子だった。病弱だったせいがあるのかもしれないが、学齢に達しても寡黙であることに変わりはなかった。ふつう女の子というのはおしゃべりだという思い込みがある。それに比べてうちの子は、と思うのは母親としては当然のことだろう。育て方が悪かったのかしら、と振り返ることもしばしばある。ただ笑うときには笑う、泣くときには泣く、病弱だったカラダもいまは見違えるほど元気だ。その点では安心しているが、相変わらずあまりしゃべらない子であることには違いない。そんな子が高校に入って、はじめて友だちをうちに連れてくるようになった。同級生ということだった。その子もやはり控えめな女の子だった。挨拶もつつましく、いつもそそくさと娘の部屋にあがるのが常だった。とたん部屋のなかからキャッキャと笑い声があがる。なにを言ってるのかわからないが、楽しげな話し声が聞こえる。それはもう、わたしまでもが愉快になるような明るい声だ。その声を聞くのは、わたしにとって涙がでるほど嬉しい時間だった。ある日のこと、いつものように紅茶とケーキを持って娘の部屋に入ったとき、ドアを開けるとうちの子と同級生が親しげに指を絡ませているのを見た。ふたりはパッと離れたが、その離れ方がどこか不自然で、三人とも固まったようになった。しばしのときが流れ、ようやく合点のいったわたしは慌てて部屋をでた。ふたりは恋をしている。そう思うと胸がドキドキするとともに、来し方のあれこれにようやく納得した。夕飯のときになり、食卓に坐る娘にわたしは言った。「安心しなさい。わたしはあんたたちの味方だから」。娘はコクリとうなずき、皿のハンバーグに箸を伸ばした。その瞬間、わたしと娘はまぎれもないほんとうの母子となった。

荒井まり子

特選句「水を脱ぐ大白鳥の大志かな」。上五の「水を脱ぐ」に脱帽。いつもそれぞれの鳥が水面より飛び立つのを見て素晴らしいと感心していました。ピッタリの表現ですね。   

☆突然の訃報に大変驚いております。こちらに引っ越し、暫くしてたねをさんに、兵庫・三田句会に声を掛けて頂き、それから天志さんとも、ご一緒に。滋賀・大津の句会にも参加。通り道だからと、JR大津駅より車に乗せて頂きました。10分位の話しに、香川句会の様子、憲子さん達とのやりとり、おうどんの美味しさ、本当に楽しそうに話されていました。山形吟行にも、ご一緒の予定だったとか、とても楽しみにされていたと思います。今はただ、ご冥福を祈るばかりです。

亀山祐美子

特選句「山粧ふ蔵王県境枯損木」。陸奥の旅のロウプーウェーからの雲海と紅葉と枯損木の景が忘れられない現場に行ったからこそ共感できる景の大きさがよい。

☆増田天志さんの訃報心が痛みます。初めてお会いした栗林公園の緑の濃さ松の豊かさが忘れられません。いずれまた句座を囲めるとは存じますが、そのときはよろしくお願いいたします。

三枝みずほ

特選句「絵も本もピアノも売りて日向ぼこ」。感性豊かにと子どもへ託した想いは子の心にしっかりと根付いている。何十年とかけてそのことに気づいたとき、全てを手放すことが出来たのであろう。時空を越えて子と過ごした時間に思いを馳せる嬉しさと哀愁が日向ぼこにはある。

☆増田天志さんご逝去とのこと、さみしくなります。0点句だと自分の表現の未熟さに反省すると私が言うと、「気にしたらあかんあかん。わかってたまるか!!って思ってつくらな!」といつもの優しい口調で叱咤激励してくださったのが九月。天志さんの鮮烈な言葉たちが心のなかにずっと響いているのです。他界されたのが今でも信じられません。海程香川句会で初めてお目にかかったときのこと、全国大会、思い返してもやはり強烈な個性の俳人ですね。ぽっかりと冬の空です。ご冥福をお祈りいたします。

竹本  仰

特選句「もの言わぬ子に友ひとり帰り花」:もの言わぬ子に、もの言わぬ友。だが会話は十分成り立っている。これまで何度か見たような光景でもあり、またその中にいたような気もする。価値判断というものでは測りきれない存在価値というものがあり、人間を人間として生かしておくものの存在に気づいた時、言葉では表しえない或る表現の貴さに気づく。〈はたはらに秋草の花語るらくほろびしものはなつかしきかな〉という牧水の歌に近いものを感じました。特選句「枯れ蟷螂自分の影に鎌広げ(松本美智子)」:枯れ蟷螂。もはや死に後れた蟷螂は最後の闘いを挑んでいるのか、地面に伸びた自身の影に重い鎌を持ち上げる。闘わねば生きていけないと宿命づけられた生き物の成れの果てに、ロートルの拳闘選手のような悲哀はあり、哀しくはあるものの、そういう姿に心惹かれるものも感じました。特選句「秋晴れやぽっかり浮かぶ河馬の尻」:何のことはないものに、ふと自分を感じる。そんなことでしょうか。この河馬の尻は実景でないもののように感じます。動かそうとして動かせず、さりとてそんな自分にあくせくしていたその末に、いつまでもカッコ悪く浮かんでいる何とも始末に負えない自分。同情を禁じ得ない句でありました。以上です。 

☆増田天志さんの訃報、ありがとうございました。初めてリアルの香川句会におじゃました時、俳句バトルのトーナメントがあり、その一回戦の相手が天志さんでした。老いたお母さんを詠んだ句を出して、しみじみとした子ども心を歌ったものでした。そう、秋の夜長に隣の部屋にいる母を思いやるような雰囲気のものでした。自句のプレゼンテーションに、そんな熱い思いを語る姿に圧倒されましたが、あれは天志さんの中でも異例の事だったんじゃないかと、思い出しました。もちろん、いつも俳句への思いは熱く、最後もそんな風に芭蕉を述べられていたように思いますが、何かの折に「もっと自由であるべき」といったひとことが耳に残っています。そういえば、淡路島吟行に来られた時、軽やかな雰囲気に、「なんかとても若く見えますね」というと、「僕、今、ダンスやってるから」とさりげなく嬉しそうに答えていたのでした。芭蕉の墓所である義仲寺で連句の句会をよくやっているとのことで、「いつでもどうぞ」と勧められたのでしたが。今度、義仲寺に行ったら、またあの面影追いかけるんだろうなとふと思います。ああ、残念、のひとことです。ありがとうございました。野﨑さん、そしてメンバーのみなさん、来年もよろしくお願いします。

♡天志さんの芭蕉の句の解釈、興味深く読みました。私のミスリーディングでは、芭蕉は蝉になり切ってしまったんではないか、と思えましたが、それが天志さんの言う梵我一如のことかなと。時々、俳諧七部集を読みますが、芭蕉の句境は融通無碍そのもの。たとえば、『冬の日』「つつみかねて」の歌仙には、前句「まがきまで津浪の水にくづれ行」に対し、「佛喰たる魚解きけり」なんていう付けをしていますが、魚の腹をかっさばいて佛をみつけるなんて、佛が仏像なのか死人なのか、どちらの取りようにしてもぎょっとしてしまうものがあります。芭蕉には何だか人間の業を読み解こうとする眼がつねにあり、そんな背景で見ると、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」も並じゃない、業深きがゆえに蝉もまたおのれもまた…という深い吐息、それが閑さやの正体ではなかったか。相変わらずのミスリーディングですいません。あと、最近の島田さん、飛んでいますね、うらやましいです。きっと何か、このあと、来るんだろうなと、測候所の人のように見ています。朝日俳壇で目にした白泉さんとの対話の句も気に入りましたが、とても注目しています、陰ながら。 天志さんの「芭蕉さんアラカルト」、古典の授業のノートの一画みたいで、その人柄、面白く垣間見たような楽しさがあります。だいぶ前に読んだ安東次男の本で、「旅に病で」の句は辞世の句としては不出来、のようなくだりがあったのを思い出しました。「木曽殿と塚をならべて」という「たはふれ」のつぶやきの方に、心惹かれるものがある。いわば、横死の者の見果てぬ夢、お前たちはどう思う?そんな問いかけの方にむしろ句以上にリアルな心情を感じるというのです。こんな芭蕉劇場を見ていると、稀代の演出家であった芭蕉の内情もなかなか面白そうで。そういえば、淡路島吟行の泊後、食堂で朝ビールを注いでくれたのは天志さんでしたね。義仲寺での句会の話などしてた記憶があります。「いつでもどうぞ」と誘ったひとこと。このノートもおんなじ匂いがしました。

丸亀葉七子

特選句「十字軍の踏んだ跡かも蓼の花(重松敬子)」。素直な句が好き。ロシアは 早くウクライナ侵攻を止めてほしい。道端に咲く野の花「蓼」からの発想に惹かれた。特選句「長き夜の糸巻きからんと奥秩父」。目を閉じると景が浮かぶ。奥秩父が生きている。糸巻く音がからん、からんと聞こえてくる。

若森 京子

特選句「君へ檸檬 発火しそうな放課後」。檸檬からくるイメージは、新鮮、夢、エネルギーであるものを君へ上げよう。下句の〝発火しそう?の措辞には緊張感と恐怖、この二つのフレーズがこの短詩型の中で化学反応を起こそ色々なストーリーが生まれる。一句にエネルギーを感じる。特選句「深層心理ってマフラーに埋まる耳」。自他共に深層心理って解からない。ストレスが溜まるのも関係するらしい。温かいマフラーで何も聞かない様に耳を埋めたい気持ちは高まる。

☆天志さんを偲んで。二十年程前の、若い天志さんは、高橋たねを氏を慕い毎月三田句会に出席し、湯川れい子、田中貴美子さん達と句会の後、喫茶店で楽しい会話の時間を持って帰られました。知識と語彙が豊富で色々と冒険をし、彼独自の面白い作品を書いていましたが、それが成功して誉めると何とも云えぬ嬉しそうな素直な人懐っこい表情が忘れられません。コロナ前は、ひょっこり現われて待合室で一人でおにぎりを頬張っていた姿が目に浮かびます。句会後、私は主人の介護もあり、ゆっくり前のようにコーヒーを飲む時間も無く、遠い大津から来て貰ったのに悪いなーと思って帰りました。この三年間は「海程香川」でのお付き合いのみでした。最近、天志さんが又三田に行くと云ってたよ。と聞き楽しみに待っておりましたのに。亡くなった後、大勢の人に優しい言葉を掛け、あの風来坊の天志さんを皆さんが愛していた事が分かりました。残り時間の短い私には、六十九歳で逝った天志さんに惜しい悔しいと云う言葉しかありません。 ご冥福をお祈りするばかりです。  

追悼二句  「片羽根の天使は逝った秋の空」「早世の君の言の葉ペガサス座」               合掌。

向井 桐華

特選句「秋の雨白湯の匂ひの豊かなり」。文字通り日常の「豊かさ」についてハッとさせられた句。

三好三香穂

「蕎麦咲いて白一面の昏さかな」。蕎麦の花は赤も白もあるが、だいたいは白。小花で地味である。一面白くなるが、なぜか華やかさや明るさはない。それをクラサと捉えたところが、秀逸である。

山下 一夫

特選句「綾取の川へ梯子へほうき星」。綾取の川や梯子に、図鑑や星座表において星々を直線でつないで示されていた各星座を、ほうき星にその背景となっている満天の星空を想います。抽象と具体のバランス、どこかノスタルジックな雰囲気が秀逸です。特選句「今ここで返事しなくていい野菊(柴田清子)」。返事を求められている対象は限定されていないのですが、いろいろに考えてみることができて愉しいです。当方的には「野菊の墓」の民子。世代的には山口百恵か松田聖子で、映画時点の素朴さでは後者に軍配を挙げます。問題句「ばつた跳ぶ鳥になる練習をする」。発想に妙があり、自嘲的なペーソスも漂っていていい感じなのですが、ばったの跳躍には、大量発生してアフリカからインドとかまで移動しながら深刻な災害(蝗害:こうがいと言うらしいです)を招くもののイメージもあって、鳥以上の場合もあるとの突っ込みも思い浮かびます。「鳥よりすごい奴もいる」といったところでしょうか。                               

☆増田天志さんの突然のご訃報、先にお送りいただいた海程香川句会でのお話のレジュメを拝見してご健在を確認していただけにショックです。天志さんとは比叡山句会や海程全国大会、小豆島で開催された海原全国大会の折などにお会いしておりました。あらたまってお話したことはなかったと思いますが、いつかの全体句会での鑑賞において、フロアーの議論が対象句の用字用語等形式的な側面に集中していたところ、そんなことより一句に詠われている詩情が肝心なのだと熱くコメントされ、はっとさせられたことを鮮明に記憶しております。心よりご冥福をお祈りいたします。

野﨑 憲子

特選句「仏壇に位牌と並ぶ蝮酒」。仏壇に蝮酒とは、山霊も祀っているのだ。どんなご先祖なんだろう。想像の膨らむ作品。特選句「捨て置けば死ぬ猫である娘の秋」。捨て猫を拾ってきて慈しんいる我が娘への限りない愛情が作品から漲っている。「娘の秋」に黄金の輝きあり。特選句「一人旅秋の光に乗り換えて」。新たなる旅立ちをする作者に、幸多かれと、渾身のエールを贈りたい。「朝寝して白波の夢ひとり旅(兜太)」<朝寝>は春の季語なのに、なぜか秋の句群の中に入っている師らしい名品。 「どんな時でも人生を楽しめ!」と。           善哉。

(一部省略、原文通り)

「海程香川」山形吟行(二〇二三年十月二十九日~三十一日)

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参加者の一句
白鷹人形蚕の繭の重みかな
岡田 奈々
無月かな蔵王温泉朱鳥居
亀山祐美子
東北の空より碧きお釜冷え         
河田 清峰
喜寿にして登る人生翁の忌
島田 章平
小さき字に挿絵の手帖少年茂吉
田中 怜子
懸崖菊誰をも受け入れ五大堂
新野 祐子
赤い山雁戸山(がんどさん)やがて黒き影 
三好三香穂
アオゲラのこつん茂吉の窓ガラス
野﨑 憲子
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上、蔵王連峰に抱かれた五色沼(お釜)。下、宿舎のホテルヴァルトベルク前にて。

袋回し句会

追悼、増田天志さん(天)
芭蕉も兜太も天志もゐるよ鰯雲
野﨑 憲子
次郎笈(きゅう)心ときめく天の河
末澤  等  
天の子の大いなる孤独冬に逝く
銀   次
わかってたまるか現代俳句天高し
三枝みずほ
天志さんみんなの声届いていますか
柴田 清子
エンジェルに励まされしあの日を思う
薫   香
群青の翼は天へ秋夕焼
野﨑 憲子
妻知らぬ夜長天志の武勇伝
藤川 宏樹
天志は星に既成破りの楕円形
岡田 奈々
なぜに君駅通り抜け秋天へ
野﨑 憲子
痛恨の友の旅立ち天高し
島田 章平
エンジェルに冬の翼をください
島田 章平
効き耳も効き目もひだり白鳥来
あずお玲子
さざ波に渡り鳥何を見て来たのか
薫   香
降りぬ遮断機という機微小鳥来る
藤川 宏樹
口あけて鼻ひん曲げて鳥渡る
野﨑 憲子
命とは永遠に病むもの鳥兜
島田 章平
立冬
君達は包囲されてる核の冬
島田 章平
しなしなのポテト塩っぽい今朝の冬
あずお玲子
誰もゐない二階から冬降りてくる
柴田 清子
冬に吾を生んだ母強き人なり
薫   香
青信号灯す再エネ冬夕焼
藤川 宏樹
金曜日
金曜夜長ユ―ミンが声白し
藤川 宏樹
金曜の雪虫に懐かれてゐる
あずお玲子
はしご酒もう何軒目だ金曜日
銀   次
立冬句新気一転大奮起
末澤  等
新築の隣りの家も冬に入る
柴田 清子
新しい雑巾真白新学期
藤川 宏樹
とんちんかんってなんか楽しい新走り
野﨑 憲子
人生は甘くはねえよ新小豆
島田 章平
激論の中に笑ひも新走り
島田 章平

【通信欄】&【句会メモ】

先月、先々月と、大津から高松の句会にご参加くださった増田天志さんが十月末、大津市のご自宅で他界されました。晴天の霹靂のような知らせに、11月句会は深い悲しみに包まれました。本会の初めの頃から、天志さんは、よく大津から青春18切符でおいでくださいました。高橋たねをさん急逝後の数年、高松句会の参加者は悲しいほどに少なく、どれほど有難かったか知れません。私と同い歳で、来月古希になられるはずでした。これからが人生の本番と存じますのに残念で悔しいです。本会のブログ告知後、ご選評と共に、追悼文がたくさん寄せられましたので、「句会の窓」へ、☆印を付けて掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

稲葉千尋さんと、淡路放生さんが、ご体調の都合により退会されます。稲葉千尋さんは「海程」時代からの大先輩で、一度、高松の句会へ来てくださったことがありました。「海程」比叡山勉強会や全国大会もよくご一緒させていただきました。アンソロジー『青むまで』を編む時も、的確なアドバイスを賜りました。淡路放生さんは、令和三年二月、「俳句王国」の最終回。「俳句王」に輝きその時の放生さんの「中卒の浅利(あさり)が潮を吹き黙る」の句の沈黙の重さに、深く感動いたしました。放生さんの作品や高松句会での鋭いご鑑賞に、多くのことを学ばせていただきました。 千尋さんと、放生さんが、これからも、俳句を心の杖として幸多き日々を歩まれます事をお祈りいたします。ご回復されたら帰って来てください。いつでも大歓迎です。ありがとうございました。

12月の句会はお休みです。来年の初句会から、生きもの感覚漲る俳句新時代を目指し、より自由で熱く渦巻く句会へと進化して参りたいと存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

2023年10月25日 (水)

第144回「海程香川」句会(2023.10.14)

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事前投句参加者の一句

選ばなかったオムレツの味人の秋 岡田 奈々
うなだれし喪服の姉や萩の雨 菅原 春み
唇は新酒の雫追ひかける 川本 一葉
そぞろ寒つい軽い嘘のつもりって何 桂  凜火
秋高し供華満載の島渡船 河田 清峰
コスモスや国境といふ導火線 岡田ミツヒロ
食細き猫の瞳や秋淋し 植松 まめ
星月夜プァオーと一声終電車 吉田 和恵
ぽぽと打ちぽぽと山彦をみなへし 佳   凛
曼珠沙華負けず遅れず彼岸花 時田 幻椏
別れ道鰯雲にも夜が来て 河野 志保
千々灯は宇宙の流灯紅葉す 十河 宣洋
針一本の乱れなき今日の月 川崎千鶴子
月もまた人に踏まれり吞んで寝る 銀   次
自分より飛び出す他人流れ星 野口思づゑ
敗戦と父言わざりきその墓洗う 野田 信章
地球時計屋なら虹のふもとだよ 三枝みずほ
化粧水しんなりなじむ今朝の秋 丸亀葉七子
雁渡る日やいつになく朦朧体 若森 京子
亀虫とわたし深夜のエレヴェーター 重松 敬子
青春の「あとがき」ばかり辿る秋 山下 一夫
探しものの途中かりがねに夢中 榎本 祐子
古バナナ父の父の父破れ襖 豊原 清明
<天龍寺にて>火の玉が飛び交わすかに秋あかね 田中 怜子
虫時雨足から石になりにけり 亀山祐美子
空よりも大地の好きな小鳥来る 藤田 乙女
いつのまに振り向くならい小鳥来る 新野 祐子
ほーほっほほー夜長のコタンコロカムイ 島田 章平
供物桃「海軍二等軍楽兵」 藤川 宏樹
さまざまな死因へそっと月が出る 松本 勇二
ためらいはいちじくの青妬心なお 大西 健司
深酒をして虫売りの鼾かな 津田 将也
満月の老斑ならむうさぎ逃ぐ 鈴木 幸江
みんな善人毬栗のとげとげにぶつかる すずき穂波
秋光やいつも前から来るチャンス 山田 哲夫
栗飯炊く調整終えし入歯かな 山本 弥生
鉄橋に焔の記憶まんじゆしやげ あずお玲子
さりげないピアスの奥の大花野 伊藤  幸
花なるや草にすがれる空蝉は 疋田恵美子
名月や白くなりいて西に去ぬ 三好三香穂
街角の黒板アート小鳥来る 柾木はつ子
整然と棚田にモザイク青田風 佐藤 稚鬼
霧の彫刻空へ緑へ土へ 薫   香
鶏頭に飛びつく光濡れていた 高木 水志
またや見んつまづかぬやう大花野 荒井まり子
間違ってゐるならごめん吾亦紅 柴田 清子
敗戦を終戦とうそぶく「神の国」 田中アパート
寝違えた梟そういえば居る 三好つや子
月白やひとに水面のありにけり 佐孝 石画
秋の夜の画集に蒼き馬眠る 稲   暁
侵略や見渡す限りカンナ燃ゆ 石井 はな
茄子の馬鏡に近くなりにけり 男波 弘志
にんげんは二度死ぬらしい秋薔薇 向井 桐華
八月の空や舞い散る願い事 小山やす子
実を地中に隠す忍術落花生 漆原 義典
肌寒し影とぶつかる叫びかな 竹本  仰
座禅組む先ずどくだみの近づきぬ 飯土井志乃
秋の朝城主に三毛を迎えをり 佐藤 仁美
プロポーズ成功しそうスーパームーン 松本美智子
今もゲルニカ愚かな戰の牛馬の叫び 増田 暁子
青滲む異国の切手小鳥来る 大浦ともこ
たまねぎや死は終わりじゃない周作忌 福井 明子
あのチーム蝉の権化の18年 塩野 正春
草を刈る無冠の力ありにけり 稲葉 千尋
赤とんぼ父の遺品にハーモニカ 増田 天志
綿菓子の雲繋がりし秋の暮 中村 セミ
十月ノフリコメサギノデンワキレ 淡路 放生
夕映えや溶け合うように河鹿鳴く 樽谷 宗寛
トルーマンのサル呼ばわりニッポンそぞろ寒 滝澤 泰斗
白湯飲んで体すみずみ月あかり 月野ぽぽな
繊月やデートリッヒの残像か 森本由美子
アトリエに転ぶ檸檬の青き影 風   子
十月や森の匂ひの頁閉づ 松岡 早苗
秋昼の木を積む遊び果てしなく 小西 瞬夏
釣瓶落し海を呑み干す赤ん坊 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「肌寒し影とぶつかる叫びかな」。説明的な句には、詩情が、乏しい。この句には、意外性が、ある。読者も、想像力を働かせ、参加したいのだ。

小西 瞬夏

特選句「十月や森の匂ひの頁閉づ」。十月のある一日、森で読書をしたのだろうか。それとも家にいても、その本を閉じるとき森を感じたのだろうか。どんな本なのか、今の心の内はどうなのだろうかなど、想像が膨らみ、この一句の世界に浸っていた。

松本 勇二

特選句「秋光やいつも前から来るチャンス」。チャンスの来る方向を言い定めて皆を納得させた。真っ向からくるチャンスを受け止める人の幸と、見送る人のゆるやかな人生を思わせる。特選句「秋桜日にち薬は空から来(すずき穂波)」。日にち薬はどこから来るのか。思いも寄らぬところからやってきた。季語も良い。

風   子

特選句「秋光やいつも前から来るチャンス」。そうか、チャンスは前から来るのか。前を見て逃さぬように、と思うけどぼんやりの私には無理か。「コスモスや国境といふ導火線」。本当に国境が難しい。「秋の日の青年櫂に雲を掬ふ」。青年だから雲を掬う。若さだなぁ。

十河 宣洋

特選句「雁渡る日やいつになく朦朧体」。いつもと違う自分を感じている。晩秋の寂しいような気分が自分にも空の雁にも感じている。特選句「プロポーズ成功しそうスーパームーン」。スーパームーンに出合った。その気分のいい時間。これは今日のプロポーズが上手くいきそう。心弾むときである。結果を知りたい。問題句「トルーマンのサル呼ばわりニッポンそぞろ寒」。問題句ではないが問題。まだこのことを知っている人がいたかと思った。すべての始まりはこの思想の底にあるものから始まった。

岡田 奈々

特選句「釣瓶落し海を飲み干す赤ん坊」。スケールでか。こんな子供待っています。 特選句「さりげないピアスの奥の大花野」。ピアスの穴は花野のメビウスの輪の一部。ピアスの穴の中を覗いてみたい。「そぞろ寒つい軽い嘘のつもりって何」。嘘に軽い重いはありません。「つい」が余計腹が立つ。ぷんぷん。人を馬鹿にして。「月光や河原の石が語り出す」。月の灯りは全ての物に妖しく不可思議な力を授けるのです。「針一本の乱れなき今日の月」。本当に綺麗な仲秋の名月。「自分より飛び出す他人流れ星」。私と関わっている人は私の中を流れ彷徨う星のよう。回って来たと思うと去っていく。「釣瓶落し静かに響く地球かな(漆原義典)」。釣瓶落としは耳に聞こえ無いけれど、私達の心に感動という波動を伝えているのですね?「月白やひとに水面のありにけり」。白く輝く月光は間違いなく人の感銘という鏡に水を湛えます。「芒野や相思相愛というまぼろし」。相思相愛なんて、描いた餅。机上の空論。「白湯飲んで体すみずみ月あかり」。白湯は体に凄く良いと聞いています。月の女神の化身とか。以上。

樽谷 宗寛

特選句「コスモスや国境といふ導火線」。止まない戦。国境といい導火線が心に刺さります。コスモスが色を添え、安らぎを頂けました。コスモスのような世界がはやく天地に訪れますように。

塩野 正春

特選句「コスモスや国境といふ導火線」。人間の性か神の仕業か戦争が頻繁に起こっていますね。しかもその多くが国境をめぐっての争い。目には見えない国境もあり、国民を守るようでいて攻撃の対象にもなる。国が変われば言葉もかわる、文化も変わる。宗教も。それらがいずれも紛争の導火線とは・・コスモスよこの素晴らしい地球を守り給え。特選句「空よりも大地の好きな小鳥来る」。 私たち人間から見れば煩雑な地上よりも広大な空にあこがれます。ところが小鳥たちにはそうでない。空は単なる通行の手段で、エサが多い、人間が多い地上がいいらしい。戦争も気象変動もなんのその、電線に停まってピーチクパーチクしゃべりあってる。ほんとの平和を感じさせる。

月野ぽぽな

特選句「さまざまな死因へそっと月が出る」。生きとし生けるものに必ず訪れる死。死に目を向けることはつまり生に目を向けることになります。死、というだけでは見えず、死因、ということでその生の姿が想像できることに気づかされました。一読、人間を思いますが、読むうちに、犬や猫や馬や牛、鳥や魚や虫、といった動物の姿も見えてきます。そっと月が出る、の表現から、どのような道を生きるどんな命にも注がれている大いなる慈悲、宇宙の摂理を感じました。

三枝みずほ

特選句「白湯飲んで体すみずみ月あかり」。月あかりが浸透していく体へ白湯が心をほぐしてゆくのだろう。そして月は傷を癒し命を繋いでいる。

豊原 清明

特選句「ぽぽと打ちぽぽと山彦をみなへし」。二枚の句会の原稿を読み、今月はこれが良いと思います。分かりやすくていいなと思わされます。問題句「夕映えや溶け合うように河鹿鳴く」。夕焼けではなくて、「夕映えや」が印象に、残りました。河鹿の声が聞いたことがない、物知らずの我を恥じる。

疋田恵美子

特選句「さりげないピアスの奥の大花野(伊藤 幸)」。奥の大花野、成る程登山者はこの景に出会うことで山の虜になります。「にっぽん百名山」を楽しみにみています。若者のさりげないピアスいいですね。特選句「愚も鈍も隔世遺伝もみじもみじ」。隔世遺伝が良い。娘の子供の頃と、息子の孫がそっくり内心とても嬉しいです。

藤川 宏樹

特選句「プロポーズ成功しそうスーパームーン」。プロポーズ、確かに成功しそうですね。・・・来世は告るスーパームーンの下・・・羨望のマドンナゲットに挑みましょう、次の世で。

柴田 清子

特選句「ためらいはいちじくの青妬心なお」。心中のどうしょうもない迷いを、無花果の青をもって一句にしている所、特選です。特選句「寝違えた梟そういえば居る」。この梟今一つ理解に苦しんだが、特選を外すわけにはいかない。私には、魅力ある一句です。梟です。

川本 一葉

特選句『青春の「あとがき」ばかり辿る秋』。秋という季節と、青春が遠い現在、あとがきと辿るという表現に膝を打ちました。年取ると答え合わせのように解決できたりできなかったり。時間はとても優しいものです。反省とも後悔とも違うこの微妙な感情。とても素敵な句です。ありがとうございました、と思わず言ってしまいます。

若森 京子

特選句「草を刈る無冠の力ありにけり」。長い人生において無冠の力が99%だと思う。草を刈る行為を無冠の力と表現した上手さに感心した。特選句「繊月やデートリッヒの残像か」。繊月の繊細な少しエキセントリックな光と形象を懐かしい女優デートリッヒとした喩の感性に惹かれた。

滝澤 泰斗

特選句「釣瓶落し海を呑み干す赤ん坊」。海なし県で生まれ育った私が始めた見た海に沈む夕陽は新潟県の鯨波・・・それ以降、海に沈む夕景が好きになり、折々にその夕景の中に身を沈めた。夕景の句は数多あるが海を呑み干す赤ん坊とは、斬新。特選句『青春の「あとがき」ばかり辿る秋』。古稀を越え、7回目の干支を過ぎると、若いころ、ちょうど、学校を卒業したあたりの事がしきりに思い出される・・・秋はまたそんな思いに添うにはピッタリの季節。私の「あとがき」は、後悔しきりな話と若気の至りの恥ずかしい思いばかりだが、新鮮に受け止められた。「コスモスや国境といふ導火線」「鉄橋に焔の記憶まんじゆしやげ」。仕事柄、イスラエルやウクライナを旅してきた。有刺鉄線の軍事境界線に平行して造られた哨戒道路の一触即発の緊張。ヨルダンとイスラエルの国境のアレンビーブリッジは侵入を防ぐためのアップダウンにうねる道の高台で銃眼がこちらを狙っている恐怖を味わいながら・・・そんな道すがらに野のユリは何もなかったように風に戦いでいる。「今もゲルニカ愚かな戰の牛馬の叫び」。東京駅丸の内側北口のOAZO(オアゾ)に原寸の「ゲルニカ」がある。その向かいのスタバは家路につく前のクーリングダウンの場所だ。しばし、お茶を飲みながら思うのは、戦乱止まない愚かな人間の営み・・・戦争。「アトリエに転ぶ檸檬の青き影」。今月は句に即発された思い出が蘇った句が多かった。南フランスのエクサン・プロヴァンスには、セザンヌのアトリエがある。宗左近氏の名著「私の西欧美術ガイド」に詳しくそのアトリエの事が詳しく載っているが、訪れる前の宗氏の解説は何を言っているか全くわからない状態だった。しかし、行ってみて、再読して、漸く、セザンヌの凄さが分かったことを掲句で思い出した。作者の言うアトリエとは違うかもしれないが、ガラス窓を透す光と静物の影、そよぐ窓の外の木々の空気感そのもの・・・旅情を味わいました。

松岡 早苗

特選句「ほーほっほほー夜長のコタンコロカムイ」。「ほーほっほほー」の擬音、「コタンコロカムイ」の「こ」の音の重なりが心地よいリズムを生み、秋の夜の静けさを際立たせているようです。今夜も神様は高い木の上から、シマフクロウの姿で見守ってくださっているのでしょうね。特選句「鉄橋に焔の記憶まんじゆしやげ」。戦火によって焼けただれ湾曲した鉄橋でしょうか。平仮名の「まんじゆしやげ」からは、犠牲になった幼い子どもたちの姿も想起されます。あかあかと立つ曼珠沙華が切ないです。

大西 健司

特選句「敗戦と父言わざりきその墓洗う」。戦前戦後をひたすらに生きて来た、その父の生きざまを作者は重く受け止めているのだろう。噛み締めるように墓を洗う行為が沁みてくる。ただ下五の「その墓洗う」の座りがあまりに悪いのが気にかかる。もう一手間かけても良いのでは。問題句「十月ノフリコメサギノデンワキレ」。カタカナ表記が効果的で好きな句です。ただ上五が気にかかる。十月のじゃないだろう。ここは「や」としたい。「や」が嫌なら「神在月」とか「神無月」ではと思わないでも無い。同じく「秋の夜の画集に蒼き馬眠る」。も「秋の夜や」としたい。それから「少年になりたい少女林檎噛む」。「林檎噛む」じゃなく「齧る」ではなどいろいろとうるさく言いたくなるのは秋のせいだろうか、困ったものだ。

津田 将也

特選句「秋扇また声掛かる退職後(野口思づゑ)」。私の妻は国の役所に勤め、定年を全うして退職しました。その後は、前職業務の「重ねる問い合わせ」「業務に関連する支援」「各種行事への参加」など、頼られる日々が多く、妻に退職者としての「余裕ある生活」が訪れるようになったのは、4~5年もの後のことでした。特選句「十月ノフリコメサギノデンワキレ」。ほんに怖い世の中になりましたな。昨今では、メールやファックスなども頻繁に届きます。

福井 明子

特選句『供物桃「海軍二等軍楽兵」』。霊力を持つという桃を供える、その墓碑には、海軍の等級が刻まれてある。戦時中でなければ、音楽に心を添わせ一生を終えたかもしれぬ。漢字連なりの一句の中に、軍楽兵という文字が、ことさら、人のこころのしなやかさへの束縛を表して、胸に刻まれました。

男波 弘志

「間違ってゐるならごめん吾亦紅」 秀作。今、世界の指導者に必要なことは政治を動かすことではない。ささやかな花の揺れに耳を澄ますことだろう。花鳥風月に心を解き放つことの意味を噛みしめている。人は人間だけに執着すれば必ず行き詰まり、誰かを憎み、そして民族同士の軋轢に発展する。この不完全な人間の所業だけを信じていれば不完全な思考に振り回されることになる。だからこそ、花鳥風月有難きかな。

あずお玲子

特選句「深酒をして虫売りの鼾かな」。思わず笑ってしまいました。この虫売りは如何ほどに大きな鼾をかくのでしょう。虫もさぞびっくりでしょうね。俳諧味溢れる一句。特選句「寝違えた梟そういえば居る」。夜明け前に動かない首を動かそうとしている作者。それを窓越しに見つめる梟。静かな闇に気配を感じ、梟と目の合う作者。梟は何してんの?とまん丸の目で問うているかもしれません。

河野 志保

特選句「月白やひとに水面のありにけり」。ひとに水面があるというのはどういう事だろうか。いろいろ考えたが、動かない水面を想像し表情の静けさと受け取った。そしてこれは作者自身のことではないかと思った。月で白んでいく空を見る時間、作者の心は整い澄んでいくのだろう。

山田 哲夫

特選句「コスモスや国境という導火線」。作者の、国境が「導火線」だという比喩による認識をすばらしいと思う。ウクライナもパレスチナもミャンマーもその他の国々の様々な紛争も多くはこの「導火線」に関わるところから発生し、当事国だけでなく、地球全体の平安を揺るがす事態が生じている。国境を隔てなく咲き誇るコスモスを想うとき、人間の営為の愚かさが気付かされてくる。特選句「さまざまな死因へそっと月が出る」。「死因」という言葉が気になってどんな死因があるだろうかと類語辞典を開いてみたら何十もの死因が出ているので呆れて途中で数えるのを止めてしまったが、何とも様々な死因があるものだと感心すると同時に「生死はなはだ尽き難し」の念いが湧いてきて愕然とさせられた。生きとし生けるものの何れは直面せざるを得ない死という現実に対して、自然は冷淡なほどに淡々として存在し、どんな死因も受け入れられて自然の中へ回帰されてゆく。「そっと月が出る」とは、なんとやさしい同情的な素敵な受け取り方だと作者の心根に同感すること頻りである。

桂  凜火

特選句「白湯飲んで体すみずみ月あかり」。白湯ってこんな感じがする飲み物だとしみじみ実感しました。さりげなさに好感がもてました 月あかりもいいですね。

野口思づゑ

特選句「コスモスや国境という導火線」。下5 の導火線がとても巧みです。導火線が点火され紛争があちこちで起こっている現状を冷静に句にされている。

森本由美子

特選句「さまざまな死因へそっと月が出る」。太古より人間が月に寄せてきた思いは計り知れない。無機質な岩と土らしきものから成り立っている映像を見せつけられても、人間の月に対する思いは変わるまい。また月の人間に対する思いにも言い知れないものがある。死に関わる思いやりを含めて。

中村 セミ

特選句「さまざまな死因へそっと月がでる」。月も人の死に方に心を寄せてくれているのだろうか。月は喋りもしないし地球から近いといっても、遠い。月は海の満干をつかい、人を死に導くこともあるだろう。とにかく人が死ぬ時は,ある意味微力ながら、月は手伝っているのだ。物理的に。そう勝手に読みました。

稲葉 千尋

特選句「秋の夜の画集に蒼き馬眠る」。画集に描かれた「蒼き馬」どこの馬だろうか想像させる。そして、それが駆け出すのが見える。夢のある句。

伊藤  

特選句「秘密基地に飛べ母の一機空高し(竹本 仰)」。お母様は亡くなられたのであろうか。在りし日に作られた紙飛行機がテーブルの上で「飛びたいよ」と叫んでいる。お母様しか知らないお母様の秘密基地。「さあ飛びなさい」と優しい息子(娘)は秋の空に向かって思い切り飛ばしてあげるのだ。

増田 暁子

特選句「月白やひとに水面のありにけり」。人には水面がそれぞれにあるのか。その通りで納得しました。特選句「白湯飲んで体すみずみ月あかり」。中7下5の透けるような感覚。心身に突き刺さる月あかり。感激です。

河田 清峰

特選句「たまねぎや死は終わりじゃない周作忌」。そうでありたいと願うばかり。

鈴木 幸江

特選句「秋深し土瓶の蓋の穴から湯気(山田哲夫)」。つい最近までは、庶民の家に土瓶が必ずあったものだ。いつの間にやら日本茶等を飲むことが少なくなった我が家からも消えてしまった。土瓶には市井の人の逞しさが宿っていた。今は松茸の土瓶蒸しぐらいだろうか。民族の生活の変化と共に失われてゆく道具は文化も連れて行ってしまう。作者は悲しくて怒っているのか。穴から吹き出る“湯気”に共鳴している姿が、なんともユーモラスでとても味わい深く伝わってくる。私も土瓶が欲しくなった。

漆原 義典

特選句「曼珠沙華よりはじまる吾の記憶かな(銀次)」。曼珠沙華と記憶がよく響き合っています。曼珠沙華は彼岸花とも言い、遠い昔を思い出させてくれます。素晴らしい句をありがとうございます。

佳   凛

特選句「鉄橋に焔の記憶まんじゅしゃげ」。二次大戦の折の広島を詠んでおられるのでしょうか?嬉しい記憶は時には、忘れる事があるが、悲しい記憶は忘れる事は難しいと思います。その記憶に咲くまんじゅしゃげの色も、又悲しみを増幅させる事でしょう。とても切ないです。特選句「間違つてゐるならごめん吾亦紅」。人は自分が間違っている事に、気付いてもなかなか謝れません。この句のように、素直になる事が、平和への第一歩かも知れません。とても、難しいですが。私も、素直になります。

淡路 放生

特選句「地球時計屋なら虹のふもとだよ(三枝みずほ)」。この句、時計屋がいい。精密機械のチクタクで地球のおもしろさが感じられる。虹のふもとが妙になつかしい。思いきった発想が生き生きと読む者につたわる。

川崎千鶴子

特選句「そぞろ寒つい軽い嘘のつもりって何」。相当いらだっているのが伺われます。これからドンパチか、怒って席を立つか。 臨場感あふれる場面が浮かびます。「何」が利いて素晴らしいです。『青春の「あとがき」ばかり辿る秋』。青春の思い出を言われているのでしょうか。文学的表現で奥が深いです。「コスモスや国境といふ導火線」。コスモスと導火線の斡旋が見事です。もしかしたら国境もコスモス的かもと。

田中 怜子

特選句「敗戦と父言わざりきその墓洗う」。父親が学んできた考え、自負心等と、父親と話をできなかった悔いと。ざっくばらんに喧々諤々話し合えない日本人の心性。変えたいですね。特選句「十月や森の匂ひの頁閉づ」。森の針葉樹や湿気を帯びた菌類の匂いが感じられた、清潔感とこの方の生活の在り方がにじみ出る様です。

吉田 和恵

特選句「ほーほっほほー夜長のコタンコロカムイ」。アイヌの神が夜通し歓談している情景が眼裏に浮かびます。ところで、山の奥深くまで重機が入る昨今、山の神様達はいかにおわすことでしょうね。特選句「あちかじぬたてぃば ふぃちゅいにぬすらに<和訳:秋風の立てば 一人寝の旅の空>(島田章平)」。高らかに方言の復活を!

佐藤 仁美

特選句「みんな善人毬栗のとげとげにぶつかる」。善人と思いたいけど、気が付けばトゲに刺されることがあります。中の栗の実は美味しいのに・・・。このトゲは自分が持っているのかもしれません。特選句「星流る点滴という宇宙食(三好つや子)」。点滴が宇宙食と例えるとは!闘病にユーモアが寄り添ってます。

松本美智子

特選句「唇は新酒の雫追いかける」。我が家にもお酒が大好きな人がいますが・・・酒飲みの「新酒を一滴も逃すまい」とする様子が伝わってきます。おいしい新酒を呑みたくなりました。選句しませんでしたが「十月ノフリコメサギノデンワキレ」。が気になりました。実は実家にも詐欺電話かかってきて母がだまされました。それが十月でした。この句は季語がなぜ十月なのか、他の月でもいいのではないか?いわゆる「季語が動く」問題があると思います。十月に詐欺が多いわけではないでしょうが、私も母の詐欺について句を詠もうとして断念した記憶があり今度挑戦してみたいと思います。季語は何がいいのか・・・難しいなあ。

野田 信章

特選句「いつのまに振り向くならい小鳥来る」。中句にかけてのさりげない修辞の表白と「小鳥来る」との配合が美しい。初老の自覚かと思える。このことを受け入れて生きている自己客観の視点の確かさが「小鳥来る」との出合いかと読んだ。

榎本 祐子

特選句「ぽぽと打ちぽぽと山彦をみなへし」。鳴り物をぽぽと打つと、山彦もぽぽと応える。自然の霊との交歓。「おみなへし」もさりげない風情で素敵です。

重松 敬子

特選句「十月や珈琲豆の爆ぜる音(向井桐華)」。暑さもやわらぎ、食卓にもほっと感がよみがえりました。我が家でも幸せなひとときです。特選句「秋光やいつも前から来るチャンス」。作者の明るさにエール!!

高木 水志

特選句「ためらいはいちじくの青妬心なお」。いちじくの甘酸っぱい味や独特の食感は妬心に通じるという発見がおもしろいと思った。

新野 祐子

特選句「みんな善人毬栗のとげとげにぶつかる」。「みんな善人」がおもしろい。毬栗にとげとげがあるのは当然ですが、この世の中みんながみんな善人とは言えませんから。「敗戦と父言わざりきその墓洗う」。生前のお父さんの姿が見えてきます。そのお父さんに反発しつつも尊敬していた息子(娘ではないですよね)も。

岡田ミツヒロ

特選句「プロポーズ成功しそうスーパームーン」。やった!プロポーズ成功だ。心は躍り、天にも昇る。夜空のスーパームーンが煌々たる光でやさしく全身を包み込む。遠い日の感動が思わず蘇った。

石井 はな

特選句「八月の空や舞い散る願い事」。八月は重い月です。平和の願いも舞い散らせてしまう不安を感じます。

植松 まめ

特選句「侵略や見渡す限りカンナ燃ゆ」。パレスチナの争いの事か?緋色のカンナが戦火の拡がりを暗示しているようだ。特選句「月光の海断崖のトランペット(岡田ミツヒロ)」。映画の一シーンのような句。美しい。

柾木はつ子

特選句「ぽぽと打ちぽぽと山彦をみなへし」。とてもリズミカルで思わず暗誦したくなる句です。特選句「少年になりたい少女林檎噛む(月野ぽぽな)」。この少女の気持ち分かります。また少女になりたい少年もいるのでは・・・どちらの数が多いか興味のあるところではあります。

竹本  仰

特選句「少年になりたい少女林檎嚙む」。中学生になった時、制服で男子と女子が遠く隔てられた、あの時の感じを思い出した。それは生き方を指示されたくらい重要なことだったと思う。そういうことに強烈な違和感を思い、その背景にはたらく力を感じた時、「なぜ」と思ったことがある。そういう矛盾の原点を衝いた句だと思った。昨日のジャンヌ・ダルクはいつだっている。聖書の中のアダムとイヴじゃないけれど、誘わずに林檎をがぶっとやっちゃうイヴだっていていいのだ。特選句「秋の夜の画集に蒼き馬眠る」。誰の画集だろうか。昔、友人の下宿を訪れた時、キャンバスがあり、ゴッホの「夜のカフェテラス」を描いている最中だった。絵を始めたという事だった。その時に感じたのを言葉にすると、まさに「蒼き馬眠る」だったろう。夜の彼の背中を感じてしまった。痛々しくもまっすぐな何か。有島武郎の『生れいづる悩み』を連想する。青春、その何かに縋りつきたい匂いがするのだ。特選句「十月や森の匂いの頁閉づ」。読書の楽しみの一つは、そういう嗅覚なんだと思う。嗅ぐというのが五感の中で一番鋭い。そういう匂いに引き寄せられて、肉体として感じてしまう読書。内田樹さんは、カミュを原語で読むと、肉感がいきかえるという。つまり、ページを越えて引き寄せ肉体をよみがえらせるものがあるという。そう感じた時、引き返せないくらいの濃い対話があることに気づいたりする。そう、何度でもそこへ帰りたい森の匂いがあるのだ。ところで、この句、読んだ後のことを言うのか、読んでいる途中のことを言っているのか。多分途中の事なのでは、と思う。引き返せないくらいの濃い出会い、しばらくページを閉じて味わっていたいのだ。以上です。♡先日、偶然時間が出来て、カカオ句会からお知らせのあった新大阪でのリアル句会に出ました。そのとき、「選句がいちばん楽しい」という言葉がいつまでも耳に残りました。私にとって、どうだったか?みなさんは、どうです?たしかにとてもありがたい機会に恵まれているんだなあと、振り返りました。俳句の中身ではないこんな周辺の声から、妙にぞわぞわと鳥肌が立ちました。時々、選句しながら、こちらのツボを痛く刺激するものに出あうと、大変楽しくなります。感謝、感謝です。野﨑さん、そしてメンバーのみなさん、あらためてよろしくお願いします。

飯土井志乃

特選句「花なるや草にすがれる空蝉は」。しっとりした秋の風情の中で、いのち果てしものに再びの美を感じとる一句かと思います。大好きです。

向井 桐華

特選句「コスモスや国境といふ導火線」。ウクライナ情勢やガザの子どもたちが重なった。コスモスというたおやかな、優しさの象徴である花から、導火線へと持って行くところが見事だと思いました。問題句「古バナナ父の父の父破れ襖」。古い記憶のことなのか熟し切ったバナナを前にして詠んだ句なのか、ちょっとわかりにくい。

三好つや子

特選句「コスモスや国境といふ導火線」。日ごと激化するイスラエルとハマスの戦況に思いを馳せました。破壊される街のなか、追い込まれていくガザの人々の姿が浮かびます。事態の沈静化を祈らざるにはおられません。特選句「にんげんは二度死ぬらしい秋薔薇」。人が死に、その人がいつしか忘れ去られることを、二度目の死という。エッセイやラジオのDJなどで目や耳にするこの言葉が、少し翳りのある秋の薔薇の風情と重なり、心に沁みました。「ほーほっほほー夜長のコタンコロカムイ」。村の守り神が降臨する夜、焚火を囲み、飲んだり踊ったりしている村人たち。遠い時代の光景にほっこりとしたアニミズムを感受。「白湯飲んで体すみずみ月あかり」。透明感があり、かつ誰かをさりげなく誘っている雰囲気も。そんな蠱惑的な詩情に惹かれました。

時田 幻椏

特選句「ためらいはいちじくの青妬心なお」「秋風の猫と丸まっても傷む(三枝みずほ)」。言い様の無い心模様の朦朧とした気分、なのでしょうか?『ゐのこづち「遊びませふ」と戦ぎをり』「ぽぽと打ちぽぽと山彦おみなえし」。ゐのこづち と おみなえし 草の選択の妙。

山本 弥生

特選句「深酒をして虫売りの鼾かな」。酒好きの初老の虫売りが、今日は虫がよく売れたので屋台で深酒をしてつい寝てしまった。大きな鼾をかいているが周囲の人も皆そっとしておいてあげている姿が目に浮かぶ。

荒井まり子

特選句「今もゲルニカ愚かな戰の牛馬の叫び」。覚束ない記憶だか兜太先生は「社会性とは態度の問題」と、どこかで話されたと思う。長引くウクライナ。今のイスラエルとパレスチナ、先の見えない今、情報も操作されている現在。平和という言葉が虚しい。今も戦時中だと思うと、人類の進化がどうなるのか。せめて眼を逸らさない事しか出来ない。「今もゲルニカ」と「牛馬の叫び」が欠片となり痛々しい。

稲   暁

特選句「鉄橋に焔の記憶まんじゆしやげ」。誤読かも知れないが、焔の記憶とは戦災の記憶だと読んだ。人は忘れても鉄橋は今も忘れていない記憶があるのだ。特選句「侵略や見渡す限りカンナ燃ゆ」。 ウクライナの野一面にカンナが咲いている光景を詠んだのだろう。侵略の2文字に満腔の怒りを込めて。

大浦ともこ

特選句「白湯飲んで体すみずみ月あかり」。白湯の語感と中七下五の「体すみずみ月あかり」が豊かな詩情を伴って実感として伝わってきます。特選句「秋昼の木を積む遊び果てしなく」。幼い子供の遊びは実に果てしなく、そして可愛いです。優しいまなざしが感じられて好きです。

銀   次

今月の誤読●「秋風の猫と丸まっても傷む」。秋の日が暮れかかろうとしている。そろそろ夕飯の支度にかからなければならない。だがわたしは立つことができず、ひたすら横になって眠りと目覚めのあいだをたゆたっている。抱いている猫がニャーと弱々しく鳴く。そうだね、おまえもお腹が空いたんだね。でももう少し、もう少しだけこのままでいさせておくれ。すきま風がどこからか入ってくる。背中がひんやりとしてくる。抱いた猫の温かみがほんのりとお腹のあたりにひろがる。「あのこと」があって以来、わたしはずっとこんな調子だ。悲劇は人を強くする、なんてことをいう。そうかもしれない。だがそれはもともと強い人のことだ。わたしはそうではない。人一倍弱く、女々しい人間だ。はじめっからそうだった。それを思い知らされたのが「あのこと」だった。そのときわたしは打ちのめされた。そののちしばらくは泣き暮らした。それからまたしばらくして「あのこと」を糸をたぐるように反芻するようになった。そのたびにつらさがよみがえり、胸のあたりをナイフでえぐられるような感じがした。忘れようとしたができなかった。そしてある日のこと、ふいに思い至った。わたしはこうしてつらさのなかにいることが、好きなのではないかと。それは恐ろしい気づきだった。だがこころのうちをまさぐっていくと、確かに悲哀のなかに甘やかな感情が流れている。猫が引っ掻いた傷をなめて甘いと感じるような感覚だ。だからといって、そこから抜け出せたのではない。抜け出すにはあまりにも心地いい陶酔感がわたしを支配しているからだ。こうして今日もまた「あのこと」を取り出してはそっと撫で、甘美な悦楽の闇のなかに身を横たえる。猫とともに。

菅原 春み

特選句「コスモスや国境という導火線」。いいえて妙な現在の状況を無駄なことばを一切使わず、言い切っている潔さ。季語に密かな希望を託しているのだろうか?特選句「少年になりたい少女林檎噛む」。林檎噛むところがなんとも爽やか。あまり考えすぎずに男の子より活発で元気な少女を想像した。

亀山祐美子

特選句「青滲む異国の切手小鳥来る」。エアメールが届く。印刷が悪いのかはたまたポストまでの途中で雨に会ったのか切手の青が滲んでいる。「小鳥来る」の季語が付き過ぎのような気もするが、懐かしさをより増幅させ「青滲む」の不安感を期待感に変える働きを見過ごせない。余計な感情を持ち込まない分小さな「青滲む異国の切手」が読者の想像力をかき立てる秀句。

丸亀葉七子

一読をし、たくさん良い句があるのですが、集中力が無くて選べませんでした。発見があるのに季語がう~ん。言葉が饒舌だったり。次は元気になって本腰を入れて選句をさせていただきます。

山下 一夫

特選句「少年になりたい少女林檎噛む」。中七まではありがちかも知れませんが、季語がアダムとイブを連想させるところやその甘酸っぱさが効いて、シンプルで印象的です。ところで少年と少女の順序は昭和半ばの生まれとしては違和感はありませんが、令和の世では逆でも十分説得力がありますね。特選句「整然と棚田にモザイク青田風」。青々とした棚田に風が吹き、稲穂がそよいで色合いが変わった一瞬を映像のモザイク処理に見立てられたと受け止めました。清々しい動きのある伝統的な風景が現代的なテイストで処理されていろところがまた清々しい。問題句「ぽぽと打ちぽぽと山彦をみなえし」。メルヘンチックな「ぽぽ」のリフレインが「山彦」や「をみなえし」と良いアンサンブルをなしていて好きな世界です。しかし「ぽぽ」は、例えばパソコン等のキーボード打音のようなあえかな音かと思われるだけに「山彦」では大げさに過ぎるかとも。だからと言って「反響」や「返答」では台無しなので悩ましかったです。

藤田 乙女

特選句『青春の「あとがき」ばかり辿る秋』。自分の今の心境そのもので、とても共感しました。同じ思いの方がいらっしゃることに友を得たような感覚でした。特選句「いまぼくがここに居ること林檎食む(野﨑憲子)」。青春の輝きと息づかい、希望を感じるような素敵な句でした。

薫   香

特選句「月光の海断崖のトランペット」。月光に照らされて一人海に向かってトランペットを吹く、映画のワンシーンのようで素敵です。特選句「アトリエに転ぶ檸檬の青き影」。どんな絵を描こうとしているのか、想像が膨らみアトリエと作者が目に浮かびます。

野﨑 憲子

特選句「千々灯は宇宙の流灯紅葉す」。<千々>とは、数が非常に多いこと。変化に富んだ人類の灯が<宇宙の流灯>へと昇華されてゆく。旭川に住む作者は、秋の早い地で紅葉の中掲句の世界を幻視されたのではないだろうか。ふっとジョンレノンの言葉を思い出した。「今までに読んだ詩の形態の中で俳句は一番美しいものだ。だから、これから書く作品は、より短く、より簡潔に、俳句的になっていくだろう」。長引く戦争は、飛び火している。今こそ、宇宙の中に生かされている人類(宇宙人)として、世界へ向かって、ここ「海程香川」から、言霊の幸ふ日本の愛語の俳句を、熱く、そして、猛烈に発信して行かねばならないのではないだろうか。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

言の葉が遊びたがつて秋の皿
野﨑 憲子
一枚を割って雨月の皿屋敷
島田 章平
八冠に王手皿に栗羊羹
島田 章平
デルフトの皿の生成りに柿の朱
大浦ともこ
ナオミ手を皿に林檎を四等分
あずお玲子
澄む
空澄むや寝ころんでいる羅漢さま
増田 天志
梟と目の合ふ森の星澄める
あずお玲子
水澄む世界で私はどうかしら
薫   香
沈下橋あまたある街水澄めり
大浦ともこ
空澄むや大観覧車にてデート
増田 天志
水澄めり水切り石のつーつーと
柴田 清子
ああ掻き回したし澄むや水
銀   次
「実はね」に興味なさそな月澄みて
岡田 奈々
水澄むやぼくらはみんな宇宙の子
野﨑 憲子
水澄むや乱世に祈る世界地図
増田 天志
水澄んで独りの夜の皿洗ふ
島田 章平
別れとはたとへば水の澄み始め
島田 章平
鉄塔は無敵に闊歩まんじゅしゃげ
増田 天志
サヨナラは野辺一叢の曼珠沙華
大浦ともこ
秋遍路
足早の秋の遍路となりにけり
柴田 清子
米粒に目鼻書かむや秋遍路
増田 天志
秋へんろ土蔵の窓は高きかな
増田 天志
強力な晴れ女いて秋遍路
岡田 奈々
讃岐路に天志ありけり秋遍路
野﨑 憲子
大津から阿波へとひとり秋遍路
野﨑 憲子
影を連れ足の重たき秋遍路
島田 章平
果てしなき戦の報や秋遍路
増田 天志
彼岸花
人柄の凡句に出でり彼岸花
藤川 宏樹
一輪だけの彼岸花私ここに
薫   香
曼珠沙華まつげエクステしてみたり
岡田 奈々
草影に沈み名残りの曼珠沙華
柴田 清子
渦の果て無一文なる曼珠沙華
増田 天志
ちょっと待てそこから先は彼岸花
島田 章平
世界地図燃え上がる報まんじゅしゃげ
増田 天志
花嫁の打ち掛けの裾に赤き蟹
銀   次
生身魂真っ赤に生きて真っ直ぐに
島田 章平
彼岸花真っ赤芸術は爆発だ
島田 章平
縁側に足踏みミシン赤とんぼ
増田 天志
おにぎり全部夫に食べられ赤まんま
岡田 奈々
赤こんにゃくあの少年はどこに居る
野﨑 憲子
赤坂も赤羽も好き赤とんぼ
大浦ともこ
その案山子わたしと同じ赤ジャージ
あずお玲子

【句会メモ】&【通信欄】

今月も、大津から、増田天志さんが「鉄道開業150年記念切符」でご来高。事前投句の合評と袋回し句会の合間に、今月末の「海程香川」山形吟行に因んだ「芭蕉翁の梵我一如」の続編の熱弁で句会を大いに盛り上げてくださいました。天志さん、遠路、ありがとうございました。

コロナ禍のようやく緩む中、今月二十八日からの「海原」全国大会参加の後、久し振りの「海程香川」吟行です。念願の山形へ! 少人数ながら山形の新野祐子さんと、ご参加の方々と共に存分に楽しんでまいります。

2023年9月28日 (木)

第143回「海程香川」句会(2023.09.09)

会報.jpg

事前投句参加者の一句

梅酒(うめざけ)に梅の実ありし考(ちち)ありし 稲葉 千尋
うるわしのくずきり母は母のまま 伊藤  幸
もう人を寄せつけぬ色秋の海 風   子
吊るランプ ルシャランプロのランプ点く 中村 セミ
遠花火時空のくびき解きたし 石井 はな
涼しさや海峡を翔ぶ白鳥座 稲   暁
原爆忌あの日あの時あの場所に 増田 天志
片蔭に右頬腫らすゴスロリさん 田中 怜子
濁音で逢いに来るひと葉鶏頭 男波 弘志
二歳兒の憂い顔って草の花 森本由美子
朝顔の浴衣や老女紅を引く 銀   次
震災忌師はいかに魂つくりしか 新野 祐子
蜩を纏えば響く僕の骨達 高木 水志
お月さまずっと一人のファルセット 河野 志保
群衆の中の孤独や赤い羽根 重松 敬子
私からあんたを引くと秋の風 柴田 清子
銀河美し地球を鬱にさせごめん 増田 暁子
廃校やおおむね晴れて蕎麦の花 佐藤 仁美
そこここに夏ものがたり草の影 榎本 祐子
彦星やまだ良きこともありぬべし 疋田恵美子
襞に入るひかり帰さず鶏頭花 月野ぽぽな
ぎこちなきギブスの右手藤は実に 河田 清峰
ひっそりと初恋の色稲の花 漆原 義典
泣いたまま夏の影出て歩きだす 桂  凜火
台風圏東京で買うゴムブーツ 津田 将也
手話の少年ときに精霊飛蝗かな 大西 健司
阿国一座に人攫いゐて蓑虫鳴く 淡路 放生
夏帽子で始まる恋もここ神戸 樽谷 宗寛
夏休み終わるよ戻れ家出猫 植松 まめ
バラ多彩そよぎそれぞれに重さあり 佐藤 稚鬼
ほゝづきをあつさり鳴らし妻の昼 小西 瞬夏
大亀の道中祈願秋遍路 鈴木 幸江
燃え滓の花火の軸の引き揚げ記 福井 明子
ひがんばな満開といふさみしさに 佳   凛
革命ちゅうは鼻血じゃなかか飛んだ星 竹本  仰
教頭の流すそうめん皆で取る 松本美智子
水滴の大きく響く無月かな 亀山祐美子
氷菓子ざくざくかじる野の子供 豊原 清明
白靴脱ぐあのねぇって言ったきり 三枝みずほ
またお前か朝蝉の死んだふり 菅原香代子
ひまわりや皆うなだれて黒くなり 三好三香穂
居待月めがねが一つ辞書の上 山田 哲夫
落鮎や糾(あざ)う事無き歳の恋 時田 幻椏
郷愁をぽちっとカートへ夜の秋 松岡 早苗
終戦日知らずに彷徨う更級郷 滝澤 泰斗
我が手だけ見暮らし古希に秋ですね 岡田 奈々
降り初めし木犀の雨金の雨 川本 一葉
今日まで四さい明日は五歳の僕 薫   香
夏満月の澄みよう妻の忌をかさね 野田 信章
月涼し夫婦茶碗の欠けしまま 荒井まり子
落蝉の空を掴んだままの手の 佐孝 石画
朝顔のたとえば巡礼夜を渡る 吉田 和恵
露の身や未だ果たせぬ断捨離行 柾木はつ子
マトリョーシカ秋思の影の大中小 三好つや子
さすらいの飢餓月匂う子供らよ 若森 京子
艶々の茄子売る人の手元見る 小山やす子
魂送り母のかたちで手を合はす 野口思づゑ
袂ゆらす秋風越中おはら節  丸亀葉七子
いわしぐもどこにことばを置忘れ 菅原 春み
新涼の古都ヘプバーンの襟足 藤川 宏樹
語るまい黙して独り蝉しぐれ 田中アパート
つっかけで転んで二百十日かな 向井桐華 向井 桐華
あめゆじゆとてちてけんじや ゆきのひとわん 島田 章平
一世紀を越えし優勝汗と泥 山本 弥生
胸痩せて秋蝶の影平らなる あずお玲子
残暑ですねえ「処理水」ですよ海神さま 岡田ミツヒロ
平泳ぎ地球の裂け目見つける手 十河 宣洋
メガトンてふ永久の単位や原爆忌  塩野正春 塩野 正春
乗り継いで吟行の地は秋時雨 川崎千鶴子
盂蘭盆会父という字のもたれ合う 松本 勇二
鬼灯の逃げも隠れもせぬ色に 谷  孝江
父見舞ふ野分のことや母のこと 大浦ともこ
露けしや短調がちの兄の唄 山下 一夫
蘇る青春の恋梨を剥く 藤田 乙女
釣瓶落し時の鎖を解き放て 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「水滴の大きく響く無月かな」。ふと試合前のボクサーを、想起する。この感性の世界が、好き。手なれた作句ですね。

小西 瞬夏

特選句「居待月めがねが一つ辞書の上」。小説家か詩人、俳人か。いや普通の人かもしれない。辞書の上、めがね、その映像で人物を想像させる。物思いにふけりながら月を待っているその時間は特別のものになってくる。季語と日常の素材が置かれているだけで、ひっそりと一つの世界を作っている。

松本 勇二

特選句「郷愁をぽちっとカートへ夜の秋」。なんでもぽちっとして届くのを待つ時代。期待通りの郷愁が届いたようです。特選句「平泳ぎ地球の裂け目見つける手」。平泳ぎの手の動きの形容に鮮度と実感がありました。

月野ぽぽな

特選句「マトリョーシカ秋思の影の大中小」。ロシアの有名な民芸品であるマトリョーシカ。人形の中から人形が出て、その人形の中から人形が出て、と入れ子構造になっている。母を意味するmaterを由来とし、その形態から子孫繁栄や豊かさの象徴とされているこの人形の、秋思の影、の措辞から、現在進行形のロシアの状況が思い起こされ、元の意味とは裏腹であるからこその深い哀しさが現われてくる。大中小、と限りなく現われてくる人形の影に、人間であるゆえの絶え間ない煩悩の生成を思う。

十河 宣洋

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。二人三脚で過ごしてきた二人。あんた一人で過ごしてきたんじゃないよ。まあこれからもよろしくと言ったところ。特選句「教頭の流すそうめん皆で取る」。小さな学校のイベントである。今日は流しそうめん。教頭が流し始める。生徒は箸と茶碗を持って待っている。私もこういう小さな学校にいたことがある。お母さんたちが手伝いに来て楽しそうに見ている。

福井 明子

特選句「平泳ぎ地球の裂け目見つける手」。平泳ぎの手は、ただひたすら泳ぐという意志のためだけに機能する水?きの役割。水の中の手の角度が「地球の裂け目」とつながる感覚に、すっぽりと入りこんでしまいました。

稲葉 千尋

特選句『残暑ですねぇ「処理水」ですよ海神さま』約束をホゴにして勝手に処理水として海に流す。海神さんは怒っている。

豊原 清明

特選句「露の身や未だ果たせぬ断捨離行」。「断捨離行」の儚さと「露の身」が好き。秋は断捨離に合うし、ただ断捨離するのと、物を売って断捨離すべきか?わからない。問題句「もう人を寄せつけぬ色秋の海」。「秋の海」に共感、書かれてしまった感。

岡田 奈々

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。やはりあんたがいないとつまんない。喧嘩出来るのもあんたが面白いことしてくれるから。特選句「うるわしのくずきり母は母のまま」。くずきりは掛けるタレによって味は変わるけど、中身は変わらない。母も家族それぞれに対応は変わっても、一人の人間としての個性はある。けれど、母には母の優しさを求めてしまう。「遠花火時空のくびき解きたし」。時や場所に囚われない遠い花火。何時現れ、何時消えるか分からない。期待感と喪失感。まあ、それが人生?『「神田川」のメロディーにのる茄子胡瓜』。恋が何かまだ、分からない。すれ違う二人茄子君と胡瓜さん。「濁音で逢いに来るひと葉鶏頭」。ダミ声で足音までうるさい。そう、貴方です。おまけに時々鶏冠立てていませんか?「して町は雨後の軽さに処暑の夕(あずお玲子)」。斯くして夕立の後は涼しさで、身が軽くなったような気がします。但し、昨今の雨は車が軽くなりそうで、危ない危ない。「革命ちゅうは鼻血じゃなかか飛んだ星」。革命革命と口角泡飛ばし、議論していると思ったら、最後は喧嘩か。どうせ男どものやる事なす事潰すことしか考えていないじゃあなかか。「月涼し夫婦茶碗の欠けしまま」。澄み切った仲秋の名月一人酒を呑んでいる。「マトリョーシカ秋思の影の大中小」。マトリョーシカの箱の中身はきっちり憂いが大中小に区別されて収納されております。貴方は大が良いですか?それとも小にしますか?お好みの憂い事お出しいたします。ホーホホホホ。「いわしぐもどこにことばを置き忘れ」。鰯雲の穴あきのようにぽつぽつと抜け落ちる我が記憶。頑張って調べて拾いに行きます。

河田 清峰

特選句「今日まで四さい明日は五歳の僕」。94さいの方かな?何歳でも誕生日は考えさせられる日。80さいの姉から誘われて姉弟四にんで毎年誕生会をしています。

塩野 正春

特選句「またお前か朝蝉の死んだふり」。いい句ですね。死んだふりする虫やカナヘビなどの動物いますが、毎朝巡り合えるのはうれしいですね。恐らく、おしっこかけられ飛んでいく様が目に浮かびます。特選句「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。ひかり帰さずがいいですね、光をひかりとされたことで柔らかな表現になりますね。伝統俳句でもすごい句だと思います。

若森 京子

特選句「蜻蛉の目で歩み寄る小児科医(三好つや子)」。蜻蛉の目は複眼が大きく頭が全て眼の様に見える。その真剣な眼差しに子供から見れば普段手にするトンボの様に見えたのであろう。比喩が面白い。特選句「阿国一座に人攫いゐて蓑虫鳴く」。一読して、懐かしい句。暗くなるとサーカスに攫われるので早く帰る様に、と云われたものだ。<蓑虫鳴く>の季語が効いている。

三枝みずほ

特選句「廃校やおおむね晴れて蕎麦の花」。廃校という置き去られてしまうものと群生する蕎麦の花との対比。おおむね晴れていると言い聞かせるように自分自身を納得させるように現状を受け止める。おおむね晴れているという措辞は哀しみ傷みがあるからこその表現だろう。

滝澤 泰斗

猛暑、酷暑の八月の異常な夏から台風一過、涼しい秋がやってくる九月の移ろいの中、この時期ならではの季節感の句が目についた。特選句「父見舞ふ野分のことや母のこと」。病気療養中の年老いた父への見舞い風景はよくあるシーン。どんな話をすればいいのかの迷いに、時候の事や母の事になるのも普通だが、何故か息子や娘の愛惜が滲む。特選句「新涼の古都ヘプバーンの襟足」。その昔、二人のヘプバーンがいた。「映画の友」だったか、「スクリーン」だったかの評論に「本物のヘプバーン」とキャサリン・ヘプバーンを称賛して、オードリーを蔑んだ記事を目にしたことがある。冗談じゃない、あの「ローマの休日」をキャサリンには演じられない。ヘプバーンの襟足に目は行かなかったが、可憐な王女ヘプバーン様は、二の腕に「わが命 ヘプバーン」と刻みたかった。風の盆の句に交じって「先生も復習(さら)う山村盆踊り」。何時の海程の大会だったか、兜太先生が秩父音戸をみんなと踊ったことを思い出した。先生の真面目な顔で踊る姿が忘れられない。問題の「汚染水」や核問題から「処理水や汚染水だの夏の陣」。『残暑ですねえ「処理水」ですよ海神さま』。八月は甲子園の高校野球、世界水泳、世界陸上、バスケットワールドカップなどなど目白押しそんな中から「やつと終わつた八月のノーサイド」。自分が合唱をやっていることもあるが、月を一人のファルセットと詠んだ新鮮さを買った。「お月さまずっと一人のファルセット」。

樽谷 宗寛

特選句「句集『百年』の黙読処暑の雲うごく(野田信章)」。季語と句集『百年』の取り合わせが良い。「ダラダラとノンベンダラリとぽっち夏(田中アパート)」。惹かれました。私のこの夏の日常でした。

藤川 宏樹

特選句「胸痩せて秋蝶の影平らなる」。いよいよロマンスグレーを過ぎて全面の白髪頭に、胸は痩せ正に秋蝶の影のごとく平らになりました。寂しい限りです。この秋に体を鍛え、少しは逞しくなりたいと思います。

風   子

特選句「メガトンてふ永久の単位や原爆忌」。原爆忌の句として素直に頷けます。

津田 将也

特選句「もう人を寄せつけぬ色秋の海」。晩秋の秋の海は、いち早く変貌し、暗い色彩の冬を受けいれようとはじめている。「もう人を寄せつけぬ色」には、それらの実感がこもっており、ゆるがない。特選句「駅ビルへ響くツピーと四十雀(佐藤仁美)」。四十雀は一五センチくらいの留鳥で、腹の中央には黒い筋がある。平地から山地まで広く分布しているので、偶には都市の駅やビルへもやって来て「ツーツーピー」を繰り返し鳴き、人たちの耳目を楽しませてくれる。問題句「ぎこちなくギブスの右手藤は実に」。句の、「ギブス」の表記は「ギプス」が正しい。ドイツ語で(Gips)、石膏を意味する。私の入選句にしたい句でもあったので、「ギプス」と読み替えたうえ、入選句とさせていただいた。

新野 祐子

特選句「燃え滓の花火の軸の引き揚げ記」。今夏、満州や韓国からの引き揚げ記を二、三読みました。「燃え滓の花火の軸」という比喩、見事です。「夏帽子で始まる恋もここ神戸」「夏満月の澄みよう妻の忌をかさね」。この酷暑を忘れ、しんと心が静まりました。

男波 弘志

「私からあんたを引くと秋の風」。哀しみを主とする覚悟なのか、哀しみに耐えきれぬ恨みか、いづれも人間そのものであろう。秀作

山田 哲夫

特選句「夏満月の澄みよう妻の忌をかさね」。人間誰しも自分の心の内にそっと温めて置きたい思い出や情景があると思うのは私だけだろうか。この句に詠まれた「夏満月」の澄んだ情景は、亡き妻を偲ぶ作者の、男ごころをじーんとさせて止まない、かけがえのないこころの風景に他ならない。この句には、そうした自分を落ち着いた眼差しで眺める穏やかな作者こころのありざまを感じて何とも捨てがたい魅力を感じる。

あずお玲子

特選句「我が手だけ見暮らし古希に秋ですね」。自分と家族、その周りに精一杯の暮らし。気付けば古希を迎える作者。ただそれだけではなく、季節の移ろいを肌で感じ取る繊細さも持っていて、その心の豊かさに感心する。下五の軽やかさが素敵。「蜻蛉の目で歩み寄る小児科医」。作者の自解を是非お聞きしたいです。→ 作者の三好つや子さんに自句自解をお願いしました。 拙句が目に止まり、光栄です。心身ともに発達途上の病児を治すには、色んな知識が必要だと思います。1万の個眼を持つといわれる蜻蛉。そんな蜻蛉の眼があれば、子どもの小さな変化にも気づくことができるかも。小児科にかかわる人は、医師でなくとも、そういう気持で向きあっていると思い、蜻蛉にたとえてみました。ありがとうございました。

大西 健司

特選句「革命ちゅうは鼻血じゃなかか飛んだ星」。これは問題句だろうと思いながらもあえて特選とした。何ともいえない味わいがあり、この方言がいい。内容はいまいち不明なところもあるがこれもまた魅力。

伊藤  幸

特選句「群衆の中の孤独や赤い羽根」。「赤い羽根募金お願いします」毎年十月 になると街頭で共同募金が行われる。群衆に交じって幾ばくかのコインを募金箱に入れ見渡せば周りは楽しそうなカップルや親子連れ。ふと寂寥感に苛まれる自分がそこに佇っているのに気づく。自分は独りなのだ。なんとなく共感を覚える句でした。

鈴木 幸江

特選評「蜻蛉の目で歩み寄る小児科医(三好つや子)」。私も複眼を持つことに憧れる。蜻蛉のあのような大きな複眼を持ったら、物事を多面的に見る能力が付随してくるのではないだろうかと期待する。小児科医に、もし、子どもの病の多様性を多面的に診る力があったならどれ程助けになるだろうか。きっと、この小児科医は、カミと呼ばれることだろう。特選句評「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。どんな細やかな良心の光をも逃さぬ感性が私にも欲しいものだ。“襞に入るひかり帰さず“に鶏頭花の新しい価値評価を創造的に、美として力強く感受している作者の感性も素晴らしい。

植松 まめ

特選句「涼しさや海峡を翔ぶ白鳥座」。とても大きな景色が描かれていて海峡を翔ぶと星座が擬人化されていて臨場感がある。特選句「地虫鳴く〈国が決めた〉という標語(森本由美子)」。原発の汚染水放出や軍事費を二倍にするため税金を上げるという政府の勝手な政策がどんどん押し切られている国民は地虫のようにひ弱なこえで鳴くだけでいいのか。気になる句。「郵便受けに果し状が来る九月」。何の果し状か気になるなあ。時代劇でもあるまいにと思うが面白い。

松岡 早苗

特選句「男はつらい女はもっと星今宵(柴田清子)」。映画の中の寅さんやさくらさん、たくさんのマドンナたちが浮かんできました。映画と切り離して鑑賞しても、軽妙さの中に、人生の哀歓やロマンが感じられる素敵な御句です。特選句「父見舞ふ野分のことや母のこと」。平明でありながら深く心打たれる御句です。何の変哲もない場面描写が、かえって父子の深い絆や心の交流をありありと感じさせ、ぐっときました。

石井 はな

特選句「幾たびも洗ふ両の手八月来(松岡早苗)」。八月は特別な月です。原爆、終戦… 人間の業を洗い流すように手を洗う。洗い流したいと切に思います。

佐孝 石画

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。「あんた」がいない喪失感を、このように軽やかな引き算で喩えている作者の心情を思う。滑稽で少し自虐的な口語表現だからこそ、残された作者の深い哀切が滲んでくる。引き算でのこったのは「秋の風」。そして「私」。暑い夏の終わりを告げる涼しげな「秋の風」が、「あんた」のいない切ない現実をふと引き寄せる。この一流のポップソングに多くの読者は共感し、惹きつけられるだろう。

柴田 清子

特選句「バラ多彩そよぎそれぞれに重さあり」。私には、バラがそよぐ、揺れるなんて思った事がないし思えない、今も。この句を読んで始めて花に向き合った人それぞれの思い、胸の内の深さが「そよぐ重さ」であると、とらえているところが、魅力的。私の知らなかった『バラそしてバラ』を感じさせてくれた句でした。

高木 水志

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。何となく寂しさを感じる俳句。秋の風は肌身に冷気をもって吹きすぎる。心の寂しさを感じる。

三好つや子

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。秋風の捉え方にぞくっと惹かれました。愛なのか、しがらみなのか、結論を先延ばしにしてぐずぐずと暮らす夫婦や、カップルの冷ややかな関係が、リアルに伝わってきます。特選句「またお前か朝蝉の死んだふり」。たぶん蝉のことではなく、朝になっても動こうとしない妻、あるいはてきぱきと働かない部下、ひょっとしたら言い訳ばかりしている自分自身に叱咤しているのかも知れません。「手話の少年精霊飛蝗かな」。原っぱでよく見かけるバッタが、「精霊飛蝗」ということを知りました。この漢字の雰囲気が、手話をする少年とどこかマッチしていて、興味深いです。「落蝉の空を掴んだままの手の」。夏の申し子である蝉の、生命を全うした姿が美しい一方で、物哀しさを誘います。

川本 一葉

特選句「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。鶏頭の襞。およそ花ではないみたいなあの襞。植物なのに動物的な、少しグロテスクな。その花が光を帰さない。物語を孕んでいるようなぞくぞくする句だと思いました。とっても惹かれました。

柾木はつ子

特選句 「私からあんたを引くと秋の風」。夫婦でしょうか?それとも恋人?あるいは友達かも?相棒がいないと秋風のように寂しい気持ちを引き算で表現した所が面白いです。特選句「ひがんばな満開といふさみしさに」。彼岸花は満開になると華やかなのになぜか昏くさみしい感じがします。よく捉えておられると思いました。

河野 志保

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。ぶっきらぼうに表現された恋心に好感。恋よりもっと熟成された愛情の表出かもしれない。「秋の風」がぴったりで素敵な句。

淡路 放生

特選句「彦星やまだ良きこともありぬべし」。―「彦星」は七夕のこと。「まだ良きこともありぬべし」いいですねぇ。「まだ」が実にさりげなくてよい。好きな句です。

山本 弥生

特選句「父見舞ふ野分のことや母のこと」。歳を重ねて両親の御恩が分かる娘になり長期入院を重ねて居られるお父様を時々見舞われ、いつの間にか今年も野分の時期となり、留守の家の事や、特に高齢のお母様の事等気がかりになっておられる事の近況を報告して安心して頂いた。

疋田恵美子

特選句「朝顔の浴衣や老女紅を引く」。蒼地に朝顔の浴衣いいですね私も花火の夜同じ浴衣で楽しみました。特選句『残暑ですねぇ「処理水」ですよ海神さま』。海神様は何と申されましょうか。原点に問題があり声を聴き取る心を持たねば、同じ誤ちが生じます。

増田 暁子

特選句「お月さまずっと一人のファルセット」。スーパームーンのお月さま、本当に素晴らしい姿がずっとファルセットで皆さんを魅了しました。ファルセットがぴったりでした。特選句「盂蘭盆会父という字のもたれ合う」。盆供養で、父上との絆を字の形から思い浮かべられたのでしょう。もたれあうが素敵です。

岡田ミツヒロ

特選句「もう人を寄せつけぬ色秋の海」。核融合水の海洋放出。太古以来、人の生活生命を支え続けてきた母なる海、海はいま絶望と怨嗟の色に染まり人を寄せつけない決意を示している。特選句「私からあんたを引くと秋の風」。歳月を重ねる「あんた」の呼称が定着した。「あんた」の重量感、存在感。引き算されれば、ガランドウ。秋の風が吹き抜けるだけ。まさにズバリそのものの句。

三好三香穂

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。秋の風は心地良いのか、寒いのか?いなくていいのよという脅しか?

大浦ともこ

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。”あんた”ってどんな人だろうか?など少しなげやりな感じの一句の中のいろいろな思いを想像できて面白い句と思いました。特選句「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。鶏頭花の形状や質感が詩的に表現されていて、作者の繊細なまなざしが心に響きました。

竹本  仰

特選句「ひがんばな満開といふさみしさに」:彼岸花の満開だなんて、何と珍しい。そういう表現が、ですね。咲いてさみしいのは桜だって同じですが、さみしさは違います。その落差と言いましょうか、さみしさの向こうにあるものが。だから何というのか、意外としっかりしたさみしさではなかろうか。さみしさを余りよくないことだと教えられた価値観から見れば、古典の世界など見るべきものは無いのかもしれませんが、その価値観の向こうにあるもの、涼しくっていいものでは?特選句「夏満月の澄みよう妻の忌をかさね」:澄みよう、ここにやられました。今となっては、色んなことがよく見えてくる、妻も自分も、ああだったんだな、笑えちゃうが…等々。でもこれはもう、贅沢な哲学の時間でしょう。そんな偉人やむつかしい思考じゃなくて、ありのままで生きることを確かめるという。死んではいないよ、お互いに。と、そういう声が聞こえるように思いました。「さすらいの飢餓月匂う子供らよ」:月匂う、これはちょっと出てきそうにない表現です。運命というか、そういう大きなものを抱えたというか。ただ私たちもまた、さすらいの飢餓の隣人であり、何万と戦災の孤児がうろつく国であったのであり、また今も一枚ドアを開け違えればそうなってしまう所にいるのではありませんか。ふとそう思わせてくれましたが。

 酷暑はいつ終わるのか。残暑とくっつけると、残酷暑ということですが、みなさんはいかがでしょうか。みなさん、いい句を作りますね。あらためてそのことに感心しました。汲々と暮らす毎日で、いい句には無縁だなと反省。ところで、淡路島の人は、暮らす、という語を使わないのです。なぜでしょう?昔、地元の劇団に台本を書いた時、「どう暮らしていくんだ?」というセリフにクレームが。そんな「暮らす」なんて誰が言うか?と。そういえば、私の故郷大分では「生活」とか「暮らし」とは言わず「いのちき」と言うのです。「お前はどういのちきしちょるんか?」という具合。いのちのタネみたいなニュアンスでしたか。だから、子供心に生活はどこも必死なものだという感触が残りました。時々、独り言で方言を使っており、故郷に帰ると、異様なくらい聞き耳を立て、方言を聞きもらすまいとしている自分がいます。これも心の滋養だというように。また、みなさん、よろしくお願いします。

中村 セミ

特選句「泣いたまま夏の影出て歩きだす」。一言でいうと、幽体離脱かとも思うが、夏の影ともあるので,時に気象の世界でも、秩序が温暖化で狂い今まででは,違うことが、おこりはじめている。36度はいつまでつづく、等等。

菅原香代子

特選句「朝顔の浴衣や老女紅を引く」。妙に毒毒しくまた生々しさも感じました。「老父居て入道雲の余白かな」。昔の元気だった頃の父を入道雲で表して今を余白とするその組み合わせが絶妙です。

野田 信章

特選句「二歳兒の憂い顔って草の花」。二歳兒の愛らしさの中にも、ふっと見せる瞬時の表情を「憂い顔って草の花」と感受することの独自性、「憂い」ともはっきり言えないような、名もない草の花にどうかするほかないような微妙さが言い止められている。この生ぶな感受が素晴らしいのだ。<三つ子の魂百まで>のその前期の句として、この句ありとも読んだ。

田中 怜子

特選句「句集『百年』の黙読処暑の雲うごく(野田信章)」。句集「百年」 そういう時間をもちたいですね。書に目を通し、先生の世界にひたり余韻で満たされている。ふと空を見上げると処暑の雲の動きにほっとする反面、寂しさも感じる。いい時間ですね。特選句「高野山往還彩る大毛蓼(樽谷宗寛)」。 高野山という舞台もいいし、大毛蓼の赤い花序が揺れている、行きたくなりました。 句稿の中「吊るランプ ルシャランプロのランプ点く」の<ルシャランプロ>ってなんですか? また「ラウニィ行く秋の船には蒸気積み」の<ラウニィ>もなんですか? 言葉書きが欲しい。 

作者の中村セミさんにお尋ねしました。→<ルシャランプロ>ですが、56年前の詩にルシャランプロの日曜市 夜店のランプかたちならんだ、縁日からとっています。また,造語です。地域はありません。あなたの心に存在したら,嬉しいです。<ラウニィ>ですが、遠く海の沖にある悲しい少年,少女のはいるラウラアスラウという施設がある島の名前です。蒸気は、仙人が霞を,食べるように少年達がたべるものです。 

川崎千鶴子

特選句「二歳兒の憂い顔って草の花」。二歳児のふとした憂い顔を「草の花」の例えに感嘆です。「お月様ずっと一人のファルセット」。月はずっとひとりで輝き無月になったり、満月になったりしている、それをファルセットと表現したすばらしさ。「夏満月の澄みよう妻の忌をかさね」。何回かの忌を重ねるうちにいろいろな胸の内は夏の満月のように澄んできましたといただきました。

漆原 義典

特選句「夏帽子で始まる恋もここ神戸」。青春の喜びが湧き上がり、清々しい気持ちにさせてくれました。夏帽子が強烈です。うれしくなる句をありがとうございました。

吉田 和恵

特選句「革命ちゅうは鼻血じゃなかか飛んだ星」。革命はロマンならず鼻血とうそぶく。しかし、私にとっては死ぬまでロマンです。おそらく・・・。山形吟行の盛会をお祈りいたします。

佳   凛

特選句「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。襞に入った光を吸収してしまう、深みのある、鶏頭花なのですね。ここまで観察すると相手も答えて呉れるのですね。日常の忙しさの中に、こんな時間を取れる幸せ、俳句って本当に豊な心を育んでくれることを、知りました。

榎本 祐子

特選句「風籟のハモニカ僕に満ちし秋(岡田奈々)」。ハモニカの鳴っているような風の音に満たされてゆく作者。自然の内に身を置く充足感が心地よい。

山下 一夫

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。「あんた」というはすっぱな言葉遣いと風流の真骨頂とも言える季語とのミスマッチ感が絶妙で印象的。「私」は「あたい」の方が良さそうにも見えますが、掲句の方がいい具合に不協和音を増幅するとも言えそうです。特選句「ほゝづきをあっさり鳴らし妻の昼」。日常の一情景の描写なのですが妙に生々しい雰囲気が漂います。ほおずきを鳴らすのはなかなか難しく息と唇と舌と歯を巧みに使わなければなりません。ちなみに当方は種を抜くところからうまくできません。それを「あっさり」というのは相当で、下五には「昼下がりの・・」を連想してしまうからでしょうか。巧みな一句です。問題句「教頭の流すそうめん皆で取る」。謎の情景です。行為は昔ならともかくコロナ禍以降の昨今では御法度。上意下達に関する寓意があるとして、校長が流すのならともかく教頭ではリアリティがありません。よほど好かれている教頭がいて、その言葉や情報を教員皆がありがたがるということでしょうか。では「そうめん」とは、と妄想は広がるのでした。

菅原 春み

特選句「幾たびも洗う両の手八月来(松岡早苗)」。八月は特別意味のある月だ。二足歩行になった人間が自由に使える両手でさまざまなものを作ってきた。平和を願うばかりだ。特選句「遠花火遠縁が住んでるあたり」。あるあるの風景をここまでていねいに切り取ったと。遠くがふたつ。それでも穏やかな夜だ。

野口思づゑ

「処理水や汚染水だの夏の陣」。実際は汚染であっても処理水と誤魔化している、いや科学的に処理されている水なのだと、その呼び方の違いに実は重要な争点が隠されている。それを見事についた句だと思う。「朝顔の浴衣や老女紅を引く」。若い頃は艶かしいお仕事をされていたのでは、といったお年寄りを想像してしまいました。「群衆の中の孤独や赤い羽根」。赤い羽をつけ社会の一員としての役目を果たしてる自分、でも群衆の中でのより強く感じる孤独がよく表現されている。

稲   暁

特選句「鬼灯の逃げも隠れもせぬ色に」。 秋が来て赤く色づき熟した鬼灯。「逃げも隠れもせぬ色」が意表を突いて絶妙。

森本由美子

特選句「水滴の大きく響く無月かな」。全てが地球とは関わりのない宇宙で起きている現象と感じさせる。水滴も響きも。幻想と空想が混じり合った世界。

銀   次

月の誤読●「バケツまんぱいに夏雲をちょうだい(三枝みずほ)」。という言葉がわたしのクチから出たとたん、手にしたバケツのなかに霧のようなものが立ちこめた。最初はそれがなんなのかわからなかったが、よくよく見ればそれはまさしく雲だった。神のしわざか誰れのしわざかわからぬが、別に願ったワケではない。ただちょっといい感じの句になりそうだと口にしただけだ。まさかほんとうにそんなことが叶おうなどとは思いもしなかった。次いでアタマに浮かんだのは、さて、これをいったいどうしたものか、ということだ。正直、こんなものをもらっても困る。だいいち、掃除中なのにバケツが使えないではないか。しばし考え、(ちょっと惜しい気はしたが)捨てちまおうとバケツを逆さにして振ってみた。だが雲はしっかとバケツに入り込み、こぼれさえしないのだ。ふむ、どうしたものか。ふと思い立ち、リビングに持っていってテーブルの上に飾ってみたが、どうもインテリアとしてはふさわしくない。寝室に持っていったが場違いだった。書斎にも、風呂場にも、トイレにも置いてみたが、どこも似合わない。どうもバケツがよくなかったようだ。金魚鉢にしとけばよかったのにと思ったが、それだと俳句としてどうか。などと考えている場合ではない。わたしは掃除中なのだ。さっさとこの問題を終わらさなければ、買い物にいけなくなってしまう。と、ここで思いついたのが、バケツをほかのものでそれこそ「まんぱい」にしてしまうことだ。ふつうに考えれば、まあ水だろうな。そこで「雲の入ったバケツを水でまんぱいにする作戦」を実行することにした。さっそく、バケツを庭に持ってゆき、ホースで水を入れることにした。万端用意し、蛇口をひねり、さあ、いましも水をというところで、ふとうしろに気配を感じた。振り返ってみると、真っ白な洋服を着た女の子が立っていた。その子は少し哀しそうな声で「それいらないの?」と訊いてきた。わたしが「えーと、まあ」と曖昧な返事をしていると、彼女はその雲をつまみ上げて、ひらり、空へと舞い上がっていった。わたしは空っぽになったバケツを前に、なんだかいけないことをしたような気がして、しばらく立ちつくしていた。

佐藤 仁美

特選句「白靴脱ぐあのねぇって言ったきり」。子育て真っ最中の一場面。ほのぼのします。特選句「素麺の合間に流るる葡萄かな(松本美智子)」。流しそうめんの楽しそうな、会話や笑い声が聞こえてくるようです。

向井 桐華

特選句「ほゞづきをあつさり鳴らし妻の昼」。ほおずきを鳴らすのはなかなか難しいですね。それをあっさりと鳴らす奥様とびっくりする旦那様。このご夫婦の日常が見えてくるような微笑ましく、素敵だなと思いました。問題句「 あめゆじゆとてちてけんじや ゆきのひとわん」。オマージュと言う域を超えてしまっている。

桂  凜火

特選句「濁音で逢いに来る人葉鶏頭」。濁音で逢いに来る人はどんな人だろう 年の若くない思い人だろうか、逢いにくるのだから 異性だろうが ちょっとひっかかる「濁音」で句に広がりできているなあとおもいました。葉鶏頭も味わいがありますね。

時田 幻椏

特選句「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。鶏頭の花の質感が如実です。成る程と思いました。特選句「胸痩せて秋蝶の影平らなる」。夏痩せをした身体と心情の切なさが如実です。「群衆の中の孤独や赤い羽根」。月並み、当たり前の情緒ながらも・・良いですね。「男はつらい女はもっと星今宵」。こんななにげない感性も良いですね。問題句「梅酒に梅の実ありし考ありし」。ありし? 私は良く解らないのですが、梅の実も今は無い。梅の実が梅酒に在るならば、「梅の実のあり考ありし」になるのでは。

藤田 乙女

特選句「落鮎や糾(あざ)う事無き歳の恋」。恋の想いは生涯を終えるまでずっと持ち続けるもの。実際の対象がいない私は中国時代劇ドラマのヒロインになりきってドラマの時間だけは心をときめかせ、恋に恋して幸福感に浸っています。 特選句「郷愁をぽちっとカートへ夜の秋」。秋の夜、ふとした時やある刹那急に郷愁を感じ、またすぐに消えてしまうことがあります。それを「ぽちっとカートに」としたのが「言い得て妙」な表現だと感心しました。

薫   香

特選句「して町は雨後の軽さに処暑の夕(あずお玲子)」。なんだか音読したらしっくりくる句でした。情景も浮かび、その時の気持ち良さも伝わってきました。特選句「郷愁をぽちっとカートへ夜の秋」。こんな風に肩の力を抜いて俳句が詠めたら素敵です。なんだかぽちっとしたくなりました。

松本美智子

特選句「郷愁をぽちっとカートへ夜の秋」。秋の夜長ついつい,ネットで買い物をしてしまうことが・・・ふるさとの懐かしい味を求めてぽちっとカートにいれてしまう「秋の夜」ではなく「夜の秋」としたところに奥行きを感じました。

野﨑 憲子

特選句「郵便受けに果し状が来る九月(淡路放生)」。凛と漲る作者の決意を感じる意欲作。宮本武蔵を思った。特選句「落鮎や糾う事無き歳の恋(時田幻椏)」。「男根は落鮎のごと垂れにけり(金子兜太)」が浮んできた。この句は、師が、毎日芸術賞特別賞を受賞し、その記念スピーチで披露し大好評だったと、同年の「海程」全国大会の主宰挨拶で楽しそうに話されていた。当時九十歳。ご自身の加齢についてもポジティブだった。作者も、師を偲んで創られたのだろう。昨日のことのようだ。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

秋刀魚
おーいおやじもう一杯やさんま食ふ
島田 章平
秋刀魚焼く父は下戸なり酒一合
植松 まめ
ふるさとの荷はひしおの香秋刀魚焼く
大浦ともこ
さんま焼く芦屋生まれの晴子さん
増田 天志
皿からはみ出すさんまお前もか
薫   香
横たわる秋刀魚の覚悟網の上
銀   次
芭蕉
芭蕉はらり躱して龍は宵っぱり
あずお玲子
古里の寺に吹くなり芭蕉風
植松 まめ
歩むほど地霊登りゆく芭蕉
野﨑 憲子
月を釣る旅人ひとり芭蕉かな
野﨑 憲子
秋の昼天志が芭蕉説いてゐる
増田 天志
花すすき仮面の乱舞乱舞かな
野﨑 憲子
芒原特急通過待つ鈍行
藤川 宏樹
駄々っ子の龍が芒をなぎ倒し
あずお玲子
芒原秒針狂ひずっと午後
あずお玲子
どの服を着て逢おうかな花すすき
柴田 清子
帽子舞う追いかけて追いかけてすすき原
銀   次
芒野や日蔭の石の青光る
野﨑 憲子
にんげんをひと皮むけば花すすき
増田 天志
溺れるやうに歓喜のやうに芒
野﨑 憲子
花すすき対角線に道できる
増田 天志
昨日より日のつれなくて花芒
大浦ともこ
をりとればひとのおもさのすすきのほ
島田 章平
すすきの向こうに四万十川晩夏
薫   香
小鳥(来る)
小鳥が一羽小鳥が二羽と子守唄
銀   次
青滲むオランダイル小鳥来る
大浦ともこ
小鳥来る窓に猫の眼が光る
植松 まめ
小鳥来るおくどはんかて生きたはる
増田 天志
小鳥が来ないからこっちから行っちゃおう
柴田 清子
小鳥くるダリの手の上髭の上
島田 章平
小鳥来るどこへお出掛けけんけんぱ
薫   香
舞ひ上がるぴえろの帽子小鳥来る
野﨑 憲子
別れとは駅で抱き合ふ秋の蝶
島田 章平
秋の駅魔が差したとは言わせない
野﨑 憲子
文化祭の歓声いまも秋の駅
野﨑 憲子
月見草ひとりぼっちの志度の駅
薫   香

【通信欄】&【句会メモ】

9月23日は、金子兜太先生のご生誕百四年。香川でも曼珠沙華があちこちで花ひらいていました。師が話していらした「いのちの空間」を思いました。国境も、性別も、現世も、他界も、時の縛りもない空間です。そこから出て来る五七五の愛語に、世界を変える力があるかも知れない、という思いがますます強くなってまいりました。これからも一回一回の句会を大切に熱く渦巻いてまいりたいです。今後ともよろしくお願いいたします。

今回は、久しぶりに、大津から増田天志さんが、青春18切符で高松の句会へ! そして、佐藤稚鬼さんご夫妻や、三枝みずほさんも、ご参加くださり、総勢13人の盛会でした。天志さんは、来月の山形吟行に因み、芭蕉が山寺で詠んだ「閑さや岩にしみ入る蟬の声」への熱い考察をお話くださいました。ありがとうございました。

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