2015年4月30日 (木)

野﨑憲子

昭和28年 香川県生まれ

金子兜太に師事
「海程香川」代表、「海原」同人 、JEUGIAカルチャー高松『自由に俳句』講師、現代俳句協会会員、日本現代詩歌文学館振興会評議員

平成15年朝日俳壇賞受賞 (金子兜太選)
平成24年海程賞受賞
平成25年句集 『源』上梓

句集『源』.png

野﨑憲子句集『源』より自選句

潮騒や純白の蝶てのひらへ

しやぼん玉芭蕉の耳は小さかり

火は水を水は火を恋ひ螢

日輪をすつと貫く草矢かな

雨上りじだじだしただ揚羽来る

ヒロシマの石に言の葉うましめよ

満月にあつまつてくる樹よ鹿よ

霧深し瀬戸大橋は天の川

釣瓶落しこの位置は譲れない

朝霧はやし源へ還るかな

猪も鴉も素足ひかり巻く

 

序に代えて    金子兜太

金子兜太(以下兜太)  対話方式でゆきましょうか。まず、私から二つほど質 問がある。野﨑君は空海が好きだと聞いてるが、空海の、 どんなところが好きなんだね?

野﨑憲子(以下憲子)  はい、よろしくお願い申し上げます。では、今のご質 問から、空海は唐へ渡り、真言七祖である恵果から真言 密教を伝授され、日本へ持ち帰ります。そして空海独自の 真言宗を創り上げたことです。それから絶対肯定の世界。

つまり、生きとし生けるものが、そのままの形で、共存する世 界を考えていたということです。私の生家は、四国霊場第 八十六番札所志度寺の門前町にあります。朝日に夕日に手を 合わせ、佛様の前でご真言を唱える祖母が大好きでした。

空海は、お大師さんと呼ばれています。結願寺である第八十八 番札所大窪寺から逆打で歩き遍路をすると、どこかで必ずお大師 さんに逢えると言われています。今でも、空海は、生きて歩いて いるのです。

兜太  句集『源』を読んでいると、空海への傾倒の心情と重なり、 併せて瀬戸内海の風土性を強く感じる。その思い入れが分る気が するのだがね。

憲子 深い読みをありがとうございます。志度には、「海女の珠取り」という 伝説があります。藤原鎌足の病が篤く、唐の皇帝の妃となった鎌足の 娘が病気平癒を祈願した宝珠を父へ送ります。その珠を乗せた船が 瀬戸内海の志度沖を通過中に嵐で沈んでしまいます。

その宝珠を探しに来た鎌足の息子の不比等と恋仲になった海女 が、龍神の棲むという海底へ潜り、宝珠を取り戻し、命果てるという悲 話です。海女と不比等の間に生まれた房前が、藤原北家の祖となります。

水平線や波の間を見つめていますと、その宝珠が今も志度沖に 眠っているよな、そして、波に漂い、言の葉となり浮き上がってくるよう な思いがあります。

兜太  そうした下地があるわけだ。ところで、句集の中で特に気に 入った句のいくつかを挙げてみます。   

佐保姫の髪は投網よ月の海

  

千の手に千の天地水温む

  

日野月野星野化野(あだしの)鳥交る

  

しやぼん玉芭蕉の耳は小さかり

  

火は水を水は火を恋ひ螢

  

雨上りじだじだしだだ揚羽来る

 

兜太 そして、六句目の句だが、この「じだじだしだだ」って擬態語。 この、からだから吐き出すような、オノマトペアの使い方が、 これがいかにも野﨑流だ。 他の人は、こういう、かなり肉の匂いのするような擬態語は、 なかなか出て来ないんだよな。肉体でつくっている、という感じだが、 だから妙に風土や空海と重なる。憲子流の力技は女性には少ないの ではないかな。  

放射能まみれの空へほうたる

 

このたびの、福島を中心とした被曝体験ですね。これを、是非 書いておいてもらいたいと思ったけど、よくお書きになった。 「放射能まみれの空へ」のスタテイックに、静的に、捉えたんでは、 あの悲惨さというか残酷さというか、被曝のね、あの体認は、 十分に出てこない。「へ」という時に、螢のいたましさのような ものが浮かんできている。

憲子 去年、飯舘村へ参りました。

兜太  行ったんだね。しかし、君のことだから体験しなくても こう書くはずだ。想像でもね。

憲子  ずっと螢の句を書きたかったのですが、書けませんでした。 飯舘村へ行ったあたりから、身の内からふっと螢が飛びだしてくる ような思いにとらわれることがありました。   

露の玉ひとりにひとつ銀河濃し

兜太  「ひとりにひとつ」、露の玉と人間を一緒にしちゃってる わけだな。「露の玉」を擬人化して「ひとり」。しかも「露の玉」の 物象感を強調して「ひとつ」。ね、この重ねた捉え方。人間と捉 えて、物と捉えて、人間の肉体を感じさせ、物の物象感を感じさ せる。これは野﨑流ですよ。五七調最短定型と取り組み、銀河の 下の露の玉と取り組んでいないとこのエネルギーは出て来ない。 次の句も同断。  

そのなかに朝日子ひとつ白露かな

 そして、   

猪も鴉も素足ひかり巻く

 

「猪も鴉も素足」ぐらいまでなら誰でも言えるんだ。ところが、 「ひかり巻く」つていう、これがね、いかにも野﨑流なんですよ。 心底に潜む弘法大師のお力なんだな。「生命感」と言おうか。そして、 命なき物質にも私は「物象感」を受けとりたいと願っているので、 この生きものの「生命感」の掌握は十分参考になるね。この双方とも 五七調最短定型の力を十分に使うと出てくる。  

くどくなるが、結局、君の作品は、五七調最短定型、日本語の最短 定型に対して真っ当な感受性を持っているというのが、私のまとめです。 だから、君は俳句を創る時に全力投球型になる。いい加減に創らない。

で、時にあんまり、いい加誠につくらな過ぎる場合がある。その場合は 逸脱してしまう。詩の面白さみたいなものから逸脱してしまってね、 ひどく独りよがりなものに見えて来る時もある。そういう意味で、出来 不出来が多い。だからあんまり一般的な評判は良くない。これもよくわかる。  

私は若い頃に、俳句っていうのは、「構築的音群」だっていうことを 書いたことがあります。構築的音群というものを、君の句から感じますね。 独特な音数律の韻き合いと力感。定型感。この最短定型詩とピッタリの 資質を持っている為に、自ずから抱き合って、そして生真面目に気力を 出して創っていて、それが同時に貴君のエネルギーになっている。 弁証法の関係みたいで常に面白い。                          

 (平成25年晩春、上長瀞 養浩亭にて)

火山の噴くやうに 加藤楸邨「海程」創刊号より

兜太君と僕とでは誰が見てもその作風がちがふ。作風がちがふのに相伴なふのは妙ではないかといふ説があるさうだが、これは古い殻にとらわれた短見といふものである。僕はいつも人間が自分の生きたといふ証明をするところに俳句が生き、俳句が生きるところにはじめて結社なり雑誌なりが成立つのだと考えてゐる。この願ひに立つ絶対自由な人間が、同じ願ひにつながる人間同志、相呼び相通ふところに始めて本当の意味の“ながれ”が生き、そこで個々の特性を通して新しい前進が行なはれるのだと思ふ。兜太が兜太の人間に徹した句を詠み楸邨が楸邨の人間に徹した句を詠むとき、始めてお互を尊敬しあふことができるのだ。その逆に先づ結社や雑誌があって人間がそれに規制されるのは同じ制服をたよりにした外形上のつながりであって、古い殻に過ぎない。

だから僕等のつながりはこの無形の願ひに於てなのであって、これを古い殻に泥んだ目で見られたのでは意味がない。僕等はながい間お互の勉強の場としてきた寒雷でこの無形のつながりを育て、その上に立ってお互の仕事を進めてきた。褒めるときも難ずる時も、何か生きる爪あとを俳句を通して生かさうとする願ひの上に立ってやってきたので、作風の相違こそむしろ発展の契機として尊重しあってきたものなのである。今度『海程』が出発するのを肉身的な切実さで感じてゐるのも、その願ひの上に立って文学史的な役割を認めるからに外ならない。

俳句に人間をといふ願ひを把持して約二十年前僕は出発した。草田男氏や波郷氏と共に難解派とか人間探求派とかいふ名で呼ばれ、今の君達が立たされたのとよく似た批判の場に立たされたのがそれである。この努力を通して基底となった手法は、大まかに規定するなら写生的なもの又はその展開が主であったといってよいであらう。近代人の知性とか意識とかは、事象描写の裏に沈められ、花に於ける香りの如きものとして、一応事象の底に融けた上で生きるのが理想であった。私はこれを自分の文学史的な役割と考へてきたわけであり向後もその線上に生きたいと念ずる。連句の手法でべた付といふのは前後の句を殺してしまふ。僕等は制服を着て整列するのではなく、おのれを生かしきる希ひの上に蕉風連句にいふ匂付によって刺激しあひ、生かしあひたいと念ずる。この「俳句に人間を」の方向には当然もう一つの大きな側面が実験せられないままに或は実験しても手こずったままに残されてしまってゐたと思ふ。つまり知性とか意識とかを殺し去ることなく、これを駆使し構成することによって更に新しい俳句の世界を開拓してゆく方向である。手法の上でいふなら近代詩がすでに果して俳句が果しきれてゐない方向であり、思想的にいふなら個にもとづき個にとどまるのでなく、もう一歩ひろい社会的基盤を生かすために、知的なもの意識のはたらきを殺さない態度である。兜太君の造型論はさういふ俳句的役割を負ったものと僕は考へてゐる。さういふ文学史的使命を負ふものでないなら、単なるモダニズムの頽廃に終ってしまふ外はないであらう。兜太君の俳句を、植物的に受容する態度のものから、積極的に知的意識的に形成してゆく、いはば動物的な性格のものと見たのは(僕が以前朝日新聞に書いた紹介)この意味なのである。

僕はこの方向は大きな意味を持つものであるだけに非常な困難を伴なふものだと考へてゐる。失敗の危険を孕むかもしれないが、これが成功したら、この短詩型には更に大きな近代詩としての豊潤さが期待されよう。これはできないことだとか、俳句の役割ではないと言ってやらないでゐればいつまでもできないで終る。やってみなければ新しい途は決して生れないのである。崩壊の危機を持つことによってのみ若々しい前進が生れる。真の伝統は単に変化をおそれて墨守するものではなく、生み出してゆくべきものなのだから。

火山の噴出のやうに新しいものが生れる奔騰の中には、さまざまの夾雑物が含まれてこよう。完成した立場の人々の忌憚に触れることも多いと思ふ。しかし、やむにやまれぬ勢ひはとどめてとどまるものではない。おそれず、いぢけず、ゆたかに、力づよく思ひきってやりぬいてゆくほかはない。往々にしてこの夾雑物のみを非難して、「何故にこの噴出をしなければならないのであるか」といふ根源が見失なはれる場合も起ることと思ふ。しかし、他からの指摘をまつまでもなく自分の吐いたものの始末は自分で責を負ふ凛然たる自己批判の精神こそこの運動を生かす大切な力だと信ずる。

正直に言って、兜太君の作品は既成の魅力よりは可能性を孕むといふ期待の魅力の方がかかってゐると思ふ。僕はこの孕まれた可能性が一句一句現実のものになって、一誦三嘆、今までの俳句には見られない魅力になる日を信じて待つ。雑誌の機関車になると作者としての消耗が起りがちで、多かれ少なかれ宗匠化してゆく傾向をとりがちなものだが、知世子にいはせると心臓に針金の植はった兜太君のことだから、心配は要らないだらう。一にも二にも作品第一、時によっては、自分の組立てた俳論などは爆砕してもいいから、踏み出していってほしいものである。

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