2018年9月29日 (土)

第87回「海程香川」句会(2018,09,15)

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事前投句参加者の一句

           
ふたつ並ぶ黒子(ほくろ)涼しき間柄 竹本  仰
付睫毛たてよこななめ曼珠沙華 稲葉 千尋
体に雨の音が眠って青葉かな 谷  佳紀
金星が遠くで夏の地図仕舞ふ 中村 セミ
蓑虫よぼくは風葬希望です 高橋美弥子
リキュールを数滴魔鏡の海昏く 大西 健司
吉野川古代鴉の正夢か 鈴木 幸江
馬肥えて毒酒並べしカウンター 豊原 清明
せめてもと街中を行く登山靴 野澤 隆夫
終活や記憶の花野こみあげる 若森 京子
つくつくし人間歩くばかりなり 河田 清峰
考えは曲げず向日葵屹立す 谷  孝江
梨たわわ水が瞑想しておりぬ 三好つや子
朝顔や丈夫な夢があった頃 河野 志保
欲深き炎暑のこころ蛇口開く 桂  凛火
秋の字の「火」のせい心ざわめきぬ 野口思づゑ
釘を打つ父の横顔万灯会 松本 勇二
ジェットストリーム深き夜へと蚯蚓鳴く 漆原 義典
秋の田のここからはじまる真の飢 矢野千代子
かすかに香る白い夜明けの稲の花 小宮 豊和
乙姫ら涼む硯の海の縁(へり) 藤川 宏樹
かなかなや次は淋しい木を探す 小山やす子
秋暑し鉛筆槍のごと削り 新野 祐子
旅人は地球の突起赤とんぼ 増田 天志
病室で見上げる空や鰯雲 中西 裕子
原発と海の狭間にカンナ炎ゆ 吉田 和恵
秋霖や乳張る牛の崩れおり 田中 怜子
砂蟹の砂投げ続け潮満ち来 高橋 晴子
山蟻うごく師の言魂の山蟻うごく 野田 信章
僕はひとで雨粒はみずで九月 男波 弘志
憎いとも愛しいとも遺影撫で白露 伊藤  幸
蜩の石になる日の波頭 亀山祐美子
踏み台を踏み外す祖母鰯雲 菅原 春み
白靴の中に小さな秋がいた 重松 敬子
奥秩父 自在に走る秋の狼 島田 章平
丸っこいのが好きだ身重のひまわり 中野 佑海
おしろいの花死に神がしゃがんでいる 田口  浩
兜太師の選評恋し夕かなかな 寺町志津子
食の秋ピアノの上のフランスパン 山内  聡
母の手のひらに夕花野の湿り 月野ぽぽな
僕はまだ火星を見てる初嵐 高木 水志
見える傷見えぬ傷にも秋雨かな 藤田 乙女
たて笛に森の息継ぎ星月夜 三枝みずほ
スイッチョンのチョンがまだまだ頼りない 柴田 清子
真夜中にコスモス畑は浮遊せり 銀   次
曼珠沙華風のことならよくわかる 野﨑 憲子

句会の窓

谷  佳紀

特選句「雨粒のひとつぐらいは見ていよう(男波弘志)」は内容(意味)勝負ではなく極力何も言わないという姿勢に興味を持ったのだが、「ぐらい」と言わなければならなかったところに内容に頼る姿勢があり、このように書く難しさを思う。 問題句「きぬぎぬとや鏡師蚊帳を畳みけり(大西健司)」の「きぬぎぬとや」はずいぶん工夫をしたのだろうが、工夫の結果が私には読み取れない。それに「きぬぎぬ」と「蚊帳」では同類の繰り返しではないだろうか。きぬぎぬなら蚊帳では無いし、蚊 帳ならきぬぎぬでは無いと思う。一番の問題は何故「鏡師」なのかがわからない。素材としてはとても興味深いし、雰囲気にも惹かれているのだが。

中野 佑海

特選句「リキュールを数滴魔鏡の海昏く」私の心の鏡にリキュールを吸い込ませて磨いたならば忽ちに恋に堕ちてしまえるのに。深い心の海のこの昏さもう持て余しているんだけど!!救い出して下さる方求めます?魅惑的な句。特選句「ときに海 鳴り彼我の間のねこじゃらし(野田信章)」私と彼と時々華々しい喧嘩もするけど、嫌なわけじゃなく、ねこじゃらしで猫とじゃれあっているような、そんな程好い、刺激のある関係を巧く表している。 少し涼しくなって、頭も冷静になって、我が身を 振り返って見られるようになりました。相変わらず、駄作製造ではありますが、皆様のお教えのお陰と、句会の楽しさで何とか毎月を過ごしています。これからも楽しい俳句を読む事が出来る香川句会最高です。毎回、訳分からず突っ走ってばかりですが 、どうぞ宜しくお願いいたします。

島田 章平

特選句「妻の日をけふと定めて桔梗一輪(伊藤 幸)」。良く判ります。私も妻の日を決めました。妻の好きなゴデイバのチョコレートを早速買ってきました。皆様も妻の日を是非定められては・・・。奥様の誕生日なんか良いですよ。家族円満の 秘訣ですね。特選句「渓谷の色を濃くする法師蝉(高木水志)」。これまでの海程句には見られなかった斬新な表現。渓谷の深まり行く秋の気配、夏の名残を留める蝉の声。移り行く季節を、一枚の画布にしっかり描き切った日本画の様な世界。作者の感 性の素晴らしさに脱帽です。

藤川 宏樹

特選句「曼珠沙華風のことならよくわかる」風にさらされる曼珠沙華がかっこいい。「知識はいらん、風のことなら知っている」と言い切る、発見をそのまま言葉にするネクストステージへ、そろそろ近づきたいものです。

大西 健司

特選句「付睫毛たてよこななめ曼珠沙華」どこかある意味問題句かも。そういえば曼珠沙華は厚化粧の睫毛みたい。縦横斜めってどんな付睫毛。などなど大いなるハテナマークにニヤニヤ。味のある句と評価するものの半信半疑。いまこんな盛大 な付睫毛する人いるの。

三好つや子

特選句「僕はひとで雨粒はみずで九月」 変わりゆく季節の中、ふと自分だけ置き去りにされているような、淋しさを覚える九月。不思議な魅力を放っています。特選句「おしろいの花死に神がしゃがんでいる」夕方美しく咲きはじめ、翌朝には 萎むおしろい花を、ホラー風に詠んでいる事が新鮮。死に神がしゃがんでいるという言い回しにユーモアも。入選句「遠ざかる背中のような鰯雲(河野志保)」去るものは追わず、なんてカッコつけながら、心で泣いているシーンが目に浮かびました。鰯 雲が効いています。

野澤 隆夫

9月句会お世話になりました。藤川さんにもお礼申し上げます。特選句「朝顔や丈夫な夢があった頃」若かりし頃の賛辞か。「丈夫な夢が」という中七が力強いです。特選句「ジエットストリーム深き夜へと蚯蚓鳴く」1970年代、城 達也の 「遠い地平線が消えて…」の名セリフで始まる深夜放送が懐かしいです。海外旅行も、飛行機にも乗ったことの無かった時代、蚯蚓も鳴いていました。(?)問題句「猿踊るアチャムシダンベニ吊るし柿(島田章平)語呂のいい一句。「アチャムシダンベ ニ」?何のことかと思うけど、響きがいいです。

田口  浩

特選句「母の手のひらに夕花野の湿り」秋の草花は、派手さに欠けるが、しっとり心に添うものが多い。句を、〈母の手のひらに湿り〉と家事につなげて、思いこみのみで走り読みすれば見過してしまう。ここは、季語を重く、しっかりと読みこ まなければならない。母の手と水仕事を離し、〈夕花野〉に湿る手のひらを充分に意識して、日常の母の手のひらに戻れば、そこに何か見えてこないか・・・。花野は、秋の七草、吾亦紅、野菊、桔梗、と思いをひろげれば、つつましやかなだけでは終ら ない。(蛇足を入れると)、二、三の歳時記を開いて見たが、「花野」の例句の中に、夕花野を詠んだのは、黛執の、〈夕花野風より水を急ぎけり〉だけであった。

高木 水志

特選句「兜太師の選評恋し夕かなかな」独特な兜太先生の選評が普通ではなかったことを思い知っていることを素直に詠んだ。【自己紹介】中学2年生の時から俳句を作っています。「海程」には「海程」の最後の10年投句していました。まだ まだ勉強し続けたいと思います。よろしくお願いします。 

若森 京子

特選句「少年のエロス狐の剃刀も(田口 浩」:「狐の剃刀」という特異な植物の季語の斡旋により、「少年のエロス」がより非凡な詩として昇華している。特選句「山蟻うごく師の言霊の山蟻うごく」:「山蟻うごく」のリフレインにより。中 心にある「師の言魂」がより深くより濃く私の胸に迫まってくる。

                                                                                                          
増田 天志

特選句「リキュールを数滴魔鏡の海昏く」詩的世界の構築。ざぶざぶと、自分の魂魄を丸洗いされている。 

小山やす子

特選句「少年のエロス狐の剃刀も」エロスと剃刀の対比面白し。「金星が遠くで夏の地図仕舞ふ」実像の強み。

柴田 清子

「かなかなや次は淋しい木を探す」特選です。命あるものは、限りある命の中で、いつも何かを求めているが、この句にあるように人間も、命あるものは淋しい木、すなはち、哀しむこと苦を探し求めている宿命を背負っている。それを立証する には、蜩のあの鳴き声しかないと思った。藤川さん句会場、お世話になりました。時間を気にせず楽しい九月句会とさせてもらいました。オードリーヘップバーンが、頭から離れないわ。

   
豊原 清明

特選句「ふたつ並ぶ黒子涼しき間柄」黒子がいい。黒子さえ愛らしい間柄。美しい愛の表現。好意を持つ異性に、もし黒子があれば、この句を思い出しそう。問題句 「考えは曲げず向日葵屹立す」 詰め込んで歌った感じがする。この一句、好き なのですが、難解でよくわからない。分らぬまま、読書し、感じる次第。

 
高橋美弥子

特選句「秋暑し鉛筆槍のごと削り」秋暑しの選択が良かったと思います。鉛筆を削る内容の句は秋の夜長の句としてよく見かけますが、この句の中七下五のいつまでも暑くてイライラする感じが表現されていて面白いと思いました。問題句「憎い とも愛しいとも遺影撫で白露」同じような気持ちになったことがあります。突然目の前から姿を消した故人に言い様のない気持ちをぶつけている。その気持ちを白露という美しい季語が受け止めているわけですが、時候の季語なので、一茶の「露の世は露 の世ながらさりながら」のようにもっと傷ついた人間の悲しみをストレートにぶつけてみたらと勝手に思ってしまいました。でも、こういった句は好きです。

松本 勇二

特選句「茄子胡瓜ぶつぶつ言って糠床に(稲葉千尋)」糠床で不平不満を言い合っている茄子や胡瓜が見えてくる、とても愉快な作品でした。言葉の配置も巧みです。問題句「かなかなや次は淋しい木を探す」作者が淋しい木を探すのであればこ のままで良いのでしょうが、かなかなが探すのなら「や」の切れは強すぎるように思います。上五を「夕かなかな」などとすればすっきりするのではないでしょうか。

寺町志津子

特選句「朝顔や丈夫な夢があった頃」。今月、特選句にいささか迷った。が、揚句の「丈夫な夢」に参った、というか「夢」を「丈夫な」と形容した表現に始めて出会った好ましい驚き。どんな丈夫な夢であったのだろうか。「丈夫」の語から、 健康で大らかで、地に足が着いている作者の生き様が想像され、季語の朝顔もよく働いている。そして、「丈夫な夢」を抱いていた若き日を回想している今の作者にも思いが馳せる。描いていたほどの「丈夫な夢」は叶わなかったかもしれないが、きっと 大地にしっかり根を張った健やかな人生を過ごされていることであろう。また、この句は、読者にも、若き日の夢を思い出させ回想させる働きもあり、作者にお会いしてみたい気がする。

鈴木 幸江

特選句「ハァーアーエ 秩父音頭や鳥渡る(島田章平)」私は、兜太先生の秩父音頭を生で拝聴したことはないが、現代俳句協会70周年記念大会の折の見事な歌いっぷりは、その感動をいろいろな方が書いておられるので、想像し、他界された現 在、その艶のあるお声を頭の中で響き渡らせている。先生の深い郷土愛、世界愛、人間愛が伝わってくる句だ。鳥渡るの季語からは自然にたいする畏敬の念も伝わってくる。問題句「雨粒のひとつぐらいは見ていよう」俳句の解釈は、何通りかあっても面 白いと思っているのだが、時々、どっちかにしてほしいと思う句がある。この句は、雨粒が、見ているだろうと推量しているのか、雨粒を、見ていようと人が意志しているのか、どちらなのか、人と物との関係性が妙に気になり私の中では、深い不可知な 世界が思われ面白かったが、伝達力の弱さも感じられ問題句にした。

河田 清峰

特選句「秋の田のここからはじまる真の飢」飽食の秋から飢えの冬へ中八のここからはじまるの暗喩がバブル弾けた後の借金だらけの国、震災の多い国の原発を語っている。災害はすぐ忘れてしまう国民性を逆さまに悪用される哀しさの句だと思 う。

吉田 和恵

特選句「たて笛に森の息継ぎ星月夜」たて笛と森と星月夜が調和してやさしい気持になります。【自己紹介】我が家は、平飼い養鶏をしていますが、先日、箱に詰めていた卵を蛇が食す、おごそかな場面に遭遇しました。あまりのショックに二の 句が出ませんでした。お初にお目にかかります。よろしくご指導くださいませ。

竹本  仰

特選句「カンナ咲くなり血の朽ちてゆくごとく(月野ぽぽな)」この感覚はよくわかるのですが、「ごとく」はどうでしょうか。説明的と思えるのです。というか、「血の朽ちてゆく」が何かマイナスのように響くのが残念です。むしろ、血が朽 ちてゆくのが、カンナ咲くと、パラレルにある、そんな感じではどうなのかなと思いましたが。というのも、血が朽ちてゆくのも、それは一つの詩情ではないかと思え、それがカンナを引き立てるのではないかと思ったのですが、どうでしょうか。特選句 「梨たわわ水が瞑想しておりぬ」これはこれでいいものだと思います。が、ふと、この梨が人間を見れば、どういう表現になるだろうと思いました。人間再発見ではありませんが、そんな風に詩の心をくすぐるところがありました。瞑想というのは、いか にもぜいたくなものなのだな、と、梨との取り合わせで、浮き上がってきますし、稔りが瞑想をはぐくむとも、茨木のり子さんの「六月」でしたか、〈どこかに美しい村はないか〉という、何かわくわくさせるようなものがあります。健やかな味がありま すね。特選句「胡桃割る遠野語りの夜の一撃(中野佑海)」遠野語り、というのは何だろうかと思い、よくは分からないながらも、何かああいうしっとりとした語りの夜を、パチンと何かはじけて、一瞬明るくなったんでしょうか、何があったのか、不意 のことばのひらめきか、何か感性の発火か、妙に惹かれますね。志賀直哉の『焚火』でしたか、何か不思議な小説がありましね。あれは、最後に焚火の薪の燃えさしを投げるんではなかったですかね、ジュっと、それから闇でしたか、そんなものをなつか しく思い出しました。以上です。やっと涼しくなりました。ほんの少し読書欲が帰ってきました。ああ、思いっきり、古くてヘンな小説を読みたいなと思います。夜長です。みなさん、楽しい秋の夜を。

三枝みずほ

特選句「付睫毛たてよこななめ曼珠沙華」曼珠沙華の咲き様と女性のしぐさの観察に感嘆。観られているのにも気づかず、鏡の前で集中している女性の姿がみえてくる。「かすかに香る白い夜明けの稲の花」稲作文化伝来を感じさせられた。白い 夜明けがそんな古代の空気感を出している。

中村 セミ

特選句「おしろいの花死に神がしゃがんでいる」綺麗だったおしろいの花が枯れてゆく様は神がしゃがみこむようだと作者は云っているのだろうか。又女性に替え、あれほど美しかった人も今は老女となり昔のおもかげさへなくなってしまったと いっているのか。そういう時 世の神はしゃがむのだろう。どうであれ面白いと思った。

田中 怜子

特選句「真夜中にコスモス畑は浮遊せり」情景が目に浮かびます。なんか心配事があったのか、目をさまし外を見ると、暗闇に花だけがそよいでいる、一寸 気味がわるいが。「砂蟹の砂粒ほどの目に何見ゆ[高橋晴子)」下五を「目何を見ゆ」 にした方がいいのでは、と思いました。

伊藤  幸

特選句「ときに海鳴り彼我の間のねこじゃらし」数十年を共にしたパートナーでも時に些細な事で波風が立つ。ねこじゃらしの微笑ましいなんとも云えぬ効果。佳句とみた。特選句「蜻蛉はすでに雨を散らした虹なのだ(谷 佳紀」オシャレです ね~。雨を散らした虹、なんと美しい表現。その感性に拍手を贈ります。  

男波 弘志

特選句「丸っこいのが好きだ身重のひまわり」この円満さ、大円境地、ここまでくると、俳句、川柳、狂歌、なんでもよくなる。つまり浄化されている。「善人の跡を辿れば蝉の穴(小山やす子)」悪を内包した善、善を内包した悪、それが穴の 総体、真理、対立概念がない、善、でなければならない。「朝顔や丈夫な夢があった頃」夢を丈夫と言った手がら、手垢が一切付いていない言葉、珍重、珍重。「曼珠沙華風のことならよくわかる」このはなが仏典にも出てくるのは、ここにあって、ここ にない、はな、なのだろう。不可視の領域にこそ風が吹くのだ。「蜻蛉はすでに雨を散らした虹なのだ」すでに、とは、不可視から不可視の世界をいっているのだろう。感性が横溢している。「山蟻うごく師の言霊の山蟻うごく」山、字余り、感情が17 音では足りない、そこにこの句の生命感がある。(山)をとれば17音になるが、まあきれいごとに終ってしまう。

山内  聡

特選句「考えは曲げず向日葵屹立す」時に応じて場所に応じて考えを曲げたり曲げなかったり。思い当たらないことを人に教えられて曲げたり曲げなかったり。同じ言葉でもある人から言われると曲げずに他の人から言われて考えを曲げてみたり 。作者はいま目の前にある屹立している向日葵を見て向日葵の性質を見抜いた。さもすれば作者もそうありたいと思ったのではないでしょうか。いやいや、なかなかそうはいかないよと、呟いてみたり…。

この夏、俳句甲子園に行ってきました。感想を憲子さんにお願いされたのでちょっとだけ。大街道は熱気ムンムン。決勝の舞台、松山総合コミュニティセンターは立ち見が。若い感性が作り出す俳句に圧倒され、圧倒されにきたことが目的であったが その目的を凌駕するリアル俳句甲子園であった。一句、とても面白い句があったので、ここに紹介します、   「草の花摘むや自涜(じとく)の手 のかたち」審査員から、まさに自涜世代である君たちが、とコメントが飛び出すとドッと笑いが沸き起こった。まっ、僕がいうと下品の極みになるのでこの辺で・・・ 

稲葉 千尋

特選句「梨たわわ水が瞑想しておりぬ」梨園に入るとこの感覚わかります。子供の頃、梨園で一日過した思い出も。特選句「僕はひとで雨粒はみずで九月」あたり前のことをこのように書かれると不思議に句になる九月が効いている。

月野ぽぽな

特選句「梨たわわ水が瞑想しておりぬ」みずみずしく、やさしい白さ、甘さの梨、水が瞑想をしているのだ、と表現されたところに惹かれました。それも、たくさんの梨。濁りのないやさしく良質のエネルギーに癒されました。ありがとうござい ました。追伸:現在発売中の本阿弥書店『俳壇』10月号「新若手トップランナー」にぽぽなを取り上げていただいています。よろしかったらご覧ください。http://www.honamisyoten.com/bookpages/HAIDAN-201810_180p.html    

野口思づゑ

特選句「秋暑し鉛筆槍のごと削り」猛暑、酷暑、残暑にうんざりし、やっと来たはずの秋なのにまだ暑い。そのイライラ感が「槍のように」削る鉛筆によく現れている。特選句「憎いとも愛しいとも遺影撫で白露」妻にとって夫はほとんど憎らし かったり、まぁそれでもいいとこあるから、と生活を共にする。でも亡くしてからは遺影を撫でてあげるのですね。白露の季語がとてもよく効いている。問題句「秋の田のここからはじまる真の飢」真の飢え、がちょっと怖い。

漆原 義典

特選句「かすかに香る白い夜明けの稲の花」を特選にさせていただきます。私は稲作をしており、讃岐ではまもなく刈り取りの時期になります。いままで黄金色に実り頭を垂れた稲穂に感謝していましたが、稲の花の可憐さにあまり目がいかなか ったです。この句で稲を見る目が変わりました。「かすかに香る」の上五がすばらしく特選とさせていただきました。ありがとうございました。

亀山祐美子

特選句『僕はひとで雨粒はみずで九月』を特選で頂きました。雨を見ている作者の秋愁が伝わる。「僕はひとで」「雨粒はみずで」と何とも当たり前の事を「ひと」「みず」とひらがな表記で繊細な秋の愁いを表現した佳句。九月がよく座ってい ると思う。「僕はひとで」の「ひとで」が「海星」と誤読される可能性があるとの指摘があったが、「雨粒はみずで」があるのでこのリフレィンで誤読するのは間抜けだろう。試しに「ぼくはひとであまつぶはみずで九月」とするととても幼稚だ。「僕」 と「雨粒」があるから愁いが成立する。「僕は人で雨粒は水で九月」なら当たり前過ぎて何も引っ掛からない。凡句そのもの。だから表記には気を使う好例だと思う。『体に雨の音が眠って青葉かな』も好きだが、「青葉」は夏の季語。無季ありの句会だ が、当季雑詠にはこだわりたい。後出しじゃんけんのようで気持ち悪いので評価が半減する。残念だ。皆様の句評楽しみにしております。

野田 信章

特選句「体に雨の音が眠って青葉かな」は、一日の疲労感を伴った肉体に染み入る雨の音とやがて青葉と一体化する快眠を覚える句。確かな体感による修辞と韻律によって鮮度のある句として注目した。

重松 敬子

特選句「見える傷見えぬ傷にも秋雨かな」夏の間、開放的だった気持ちが、いつの間にか、内をみつめています。たしかに人には見える傷だけではありません。静かに降る秋の雨を、上手に使つている良い句だと思います。

新野 祐子

特選句「馬肥えて毒酒並べしカウンター」毒酒、蠱惑的ですね。百薬の長もちょっと飲み過ぎれば毒になるもの。酒とまったく関係のない「馬肥ゆる」を持ってきたのは、なかなか。酒好き動物好きは、真っ先に選びました。入選句「終活や記憶 の花野こみあげる」草の花が咲き乱れる花野、心象風景としても惹かれます。とても共感を覚えました。入選句「秋暑し五臓六腑を言うてみる」暑さ負けでひどいのは頭痛か。こんな時は自分のからだ、特に昔の人が精神が宿っていたと考えた臓腑に思い をめぐらしてみましょうか。頭痛から少し解放されるかもしれません。入選句「草笛を吹けず人生ひとつ損(山内 聡)」人生にとっての損と大袈裟に言ったのが、おかしくもありアイロニーをも感じさせます。入選句「梨たわわ水が瞑想しておりぬ」梨 には幸水、豊水と、水の付く品種があるように、まさにみずみずしい。瞑想していると感じた作者に倣って、これから梨をいただく時はそのように思って味わいます。入選句「朝顔や丈夫な夢があった頃」夢が丈夫って初めて聞きました。イメージがわか ないけれど、選びたくなる句です。入選句「日輪の背びれ尾鰭よ小鳥来る(野﨑憲子)」日輪に背びれ尾鰭があるという発想、斬新です。そこから小鳥がやって来るという情景も鮮明です。問題句「かなかなや次は淋しい木を探す」はじめは入選にしたの ですが、「次」にひっかかりました。かなかなの鳴き声は淋しさを呼びますから、いつも淋しい木を求めているのかと思っていました。好きな句なので、なおさら作者に聞いてみたいです。

菅原春み

特選句「釘を打つ父の横顔万灯会 」 大工、棟梁だった亡き父親を供養する万灯会。 リアリティがあり映像が見える。特選句「奥秩父 自在に走る秋の狼」 兜太師が狼に姿を変えて走っているのか。いまだ先生の面影が常に眼前にある 。

中西 裕子

特選句「朝顔や丈夫な夢があった頃」何か気になる句でした。作者の意図と違うかも知れませんが、朝顔の元気で明るいイメージと、丈夫な夢があった頃は、過去のことで今は違うというギャップ。何か切ない気がしました。

銀   次

今月の誤読●「おしろいの花死に神がしゃがんでる」。さて「おしろいの花」なんですが、作者の方には失礼ですが、浅学なわたくしはそういう花があるのかどうかわかりません。ただわたくしをはじめオトコどもがそう聞いて、ピンと思い浮か ぶのは、やはり、こう、なんちゅうか、ネオンの街に夜咲く花なんでありますねえ。おしろいと香水、華やかなドレスで着飾った酒場のママとかホステスとか、そういうタグイなんですなあ。その横には「死に神がしゃがんでる」。いやあ、実感ですなあ 、これは。そういうオンナに狂うとろくなことはありません。会社のカネに手をつけたり、妻には離婚を迫られたり、まあ、死に神とはいえないまでも疫病神にとりつかれるには往々にしてあるんですなあ。いやいや、それがもとで自殺に追い込まれたり するんですから、死に神は決してオーバーな表現ではないでしょうな。もはや老体となって、そういうこととは無縁になりましたが、若いころはね、ずっぱりハマったもんです、わたくしめも。つらつら思うに、おしろいの花につぎ込んだ銭金を貯蓄にま わしておけば、わたくしも駅前にビルでも建てておりましたでしょうにねえ。人生は取り返しがききません。どうぞ、そこの若いの、この句を教訓に、ほどよく遊ぶのですよ。

藤田 乙女

特選句「僕はひとで雨粒はみずで九月」 当たり前のことなのに人と雨粒の違いと関係性が何か親近感があって惹かれました。「雨は一人じゃうたえない きっとだれかといっしょだよ」の楽しい詩を思い出しました。特選句「奥秩父 自在に走る秋 の狼」ありとあらゆるものから解放され自由自在となった姿の強い存在感と躍動感が伝わってきました。

高橋 晴子

特選句「兜太師の選評恋し夕かなかな」言ってしまってはいるが〝夕かなかな〟で響きあって心がよく出ている。本当に兜太は選評の名人だった。心打たれる言葉が今も胸に残る。問題句『蓑虫は宙に日本の「もんじゅ」は今も[  ]』ねらい はいいのだが、表現が中途半端。「日本の」を除いて今も[どうしたのか]を加えればすっきりする。表現が中途半端なのが目につく。「紫苑咲く平常心のごとく咲く(寺町志津子)」中七に自分のことをもってくれば紫苑が生きる。「遠ざかる背中のよ うな鰯雲」鰯雲は点景に、「遠ざかる背中〈のような〉」としないで、実際の人の背中にすれば鰯雲と響きあって生きる。

谷  孝江

特選句「朝顔や丈夫な夢があった頃」健康的で好きな句です。若い頃の句となると、どうしても現在の事と比べて詠嘆になり勝ちですが、この句には暗さがありません。「夢があった頃」も今も変ること無く前向きで過されていらっしゃると感じ ます。「どの路地もお城の見える地蔵盆」もなつかしくて優しくてほっとするものがあります。こんな風景を大切にしてゆきたいものです。

河野 志保

特選句「ふたつ並ぶ黒子涼しき間柄」黒子を「涼しき間柄」と捉えたところにユーモアを感じた。また、肉体の健やかさも伝わる。不思議な魅力の句。

                                                                                                                                                              
小宮 豊和

「馬肥えて毒酒並べしカウンター」中七下五に惹かれた。華やかな悪の雰囲気が醸されているように思われた。それに対して上五が働かないように感じる。健全すぎるのだ。例えば、鳥兜のような毒草、意味がはっきりとしない蚯蚓鳴く、木の葉 髪に類するものなど、妙な架空の世界が作れたらいいと思う。 

桂  凛火

特選句「僕はひとで雨粒はみずで九月」当たり前のことしか言っていないのに、僕はひとで 雨水は水で の並列に新鮮さを感じました。九月に必然があるのかは少しわかりにくいですが、今年は特に雨が多く秋雨の続く季節感によくなじみすっ といただくことができました。特選句「送り火やひとりの夜は泡だちて(矢野千代子)」人を送ったあとのしみじみとした淋しさが、「ひとりの夜は泡だちて」の措 辞で共感できました。逝ってしまったその直後も辛いですが日が経つにつれてよりさび しさは積もるものですね。

野﨑 憲子

特選句「僕はまだ火星をみてる初嵐」この句の作者は火星を見ている。一読、高村光太郎の詩の一節が心に浮かんできた。「天がうしろに回転する。無数の遠い世界が登って来る。・・・ただ、世界が止め度なく美しい。見知らぬものだらけな無 気味な美がひしひしとおれに迫る。火星が出てゐる。」下五の「初嵐」が作者を囲む空気をよく捉えている。凛として爽やかな秋を告げる風だ。人の目には見えないもの摑み出し表現することは難しいけれど、そこに存在するサムシングこそが、あらゆる 芸術の根源であり、真実の世界の在り様だと思う。そこに世界平和への〝鍵〟も潜んでいると強く感じる。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

秋日和
やさしさの戻りくるまで秋日和
三枝みずほ
人間の嘘を嘗めてる秋日和
田口  浩
復旧の一番列車秋日和
島田 章平
よちよちとよたよた同じ秋日和
河田 清峰
秋日和あなたの香り仕立てのパン
中野 佑海
汐風のペダルを踏んで秋日和
柴田 清子
台風
暴れ台風太閤さんを吹き飛ばし
漆原 義典
台風が私をさけて行ってしもうた
柴田 清子
台風や選り好みせよ人生を
中野 佑海
とんぼ
赤とんぼ青穂に風の弥次郎兵衛
藤川 宏樹
赤とんぼ妻は実家へ行つたきり
島田 章平
赤トンボ喉が渇いて今も異国
田口  浩
とんぼとんぼその日の気分で通学路
中野 佑海
喉なんてなくて塩辛とんぼ浮く
男波 弘志
泣いたり笑ったり赤とんぼの空
三枝みずほ
屋根
柿の種どこまで飛ばそ屋根が好き
中野 佑海
猿走る鼬も走る村の屋根
島田 章平
屋根よりおりて休戦の栗おこは
三枝みずほ
三日月の坐りこんだるトタン屋根
野﨑 憲子
あかり
海明りだけのひとりの一日秋
柴田 清子
夕灯ふっと宇宙の声がする
野﨑 憲子
秋さびしイオンシネマの薄明り
野澤 隆夫
ススキノのネオンのあかり消え秋夜
島田 章平
オードリーヘプバーンは秋のあかり
三枝みずほ
愛したい愛されたいと灯たち
鈴木 幸江
コスモス
日々妻の誕生日コスモスの声
河田 清峰
秋ざくらコーヒー豆はマンデリン
野澤 隆夫
コスモスは連綿体を殴って来た
田口  浩
コスモスを束ねたる手がかわいそう
男波 弘志
人と人コスモス程の気遣いを
鈴木 幸江
コスモスや石がいきなり話し出す
野﨑 憲子
九月
走ったり跳んだり歩いたり九月
柴田 清子
鼻歌で作る夕餉や九月来る
中野 佑海
活版の影ある匂い古書九月
藤川 宏樹
師の誕生九月の朝に犬眠る
鈴木 幸江
電話するしぐさは母と似て九月
三枝みずほ
だいたいのことは九月にすませます
男波 弘志
九月の雨歩めば風になりゆくも
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

23日は、金子兜太先生の99回目のお誕生日でした。その日に、句会報の作成を終え、翌日発送し、25日には、有楽町朝日ホールで開催の「兜太を語りTOTAと生きる」のシンポジウムを聴きに上京しました。藤原書店刊の雑誌『兜太 Tota』創刊記念の企画でした。会の冒頭に、2月6日、最期の入院をされる数時間前の先生の映像が5分ほど流れました。「天地悠々 兜太・俳句の一本道(監督:河邑厚徳氏)の予告編でした。しっかりした口調で話される先生の慈顔に深く感動しました。映画を早く観たいです。

今回の句会は、いつもの句会場が借りられず、藤川宏樹さんのご厚意で、「ふじかわ建築スタヂオ」をお借りしての初句会でした。参加者は、13名。ひさびさに句座を囲む仲間もあり、始終笑い声の絶えぬ、なごやかで楽しい句会でした。スタヂオには、藤川さんの絵や彫刻もあり、建物も藤川さん自らが学生時代に設計し建築されたと伺いました。「ふじかわ建築スタヂオ」は、丸ごと藤川さんの美術館のようでした。とても寛げる空間でありました。藤川さん、ありがとうございました。

冒頭のオードリーヘプバーンの肖像画は、藤川宏樹さんの作品です。

2018年8月28日 (火)

第86回「海程香川」句会(2018.08.18)

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事前投句参加者の一句

即興のピアノ蟷螂の匂いせる 大西 健司
夏至の母畑に翳のとどまりて 稲葉 千尋
鼻にそばかす濃くなり君はジギタリス 中野 佑海
触れてくる君の肉球熱帯夜 新野 祐子
胃がん切りもう三年か冷やし酒 野澤 隆夫
どのぐらい泳げば水になれるだろう 月野ぽぽな
子の墓を洗えば重い石となり 中村 セミ
天晴れにいのちの仲間蝉かばね 鈴木 幸江
柔らかき女神の首は虹なるか 増田 天志
ひとといることさえ微熱蝉の穴 河田 清峰
殴りあうような会話や白雨くる 重松 敬子
新盆や秩父音頭が口を衝き 高橋 晴子
秋暑し崩れし窓から昭和の声 漆原 義典
門火燃ゆいのち死なずと兜太の書 藤田 乙女
水茄子の水のごとくに生きし姉 寺町志津子
焦がれたる切っ先油蝉を描く 桂  凛火
シベリアの五万柱に苧殻(おがら)焚く 小宮 豊和
あちこちに頭ぶつけて夏が行く 伊藤  幸
赤潮の無声映画の酔いを知る 豊原 清明
余白とうものがまだあり螢飛ぶ 谷  孝江
オキナワの蛇屋が酔うて泣く残暑 田口  浩
ぶら下がる蜘蛛の自由の一次元 山内  聡
猛暑去り茗荷の花に来ましたよ 谷  佳紀
玉砕という言の葉はるかしゃぼん玉  若森 京子
人と人すきまがあって揚羽くる 河野 志保
背泳ぎの背の崖っぷち手術台 三好つや子
きちきちや島端にいること知らず 菅原 春み
<北欧にて>夏の日の運河に軍艦泳ぐ女(ひと)  田中 怜子
蓮の実の飛ぶところなら見たいなあ 柴田 清子
逆白波ことば選るごと崩れたつ 矢野千代子
恍惚と吸ひたり夜の水蜜桃 高橋美弥子
月曜のトーストの耳 原爆忌 藤川 宏樹
ひろしま忌日陰日陰へ走る水 島田 章平
雲なき葬後胡瓜を齧り味噌嘗めて 野田 信章
立秋へ左の踵他人めく 松本 勇二
永久に少女の口尖らせている炎天 竹本  仰
豪雨のおち喜雨も無きこち神むら気 野口思づゑ
ボールペンのインクから水終戦日 男波 弘志
忘却の桃がひとつ腐っていく 夏谷 胡桃
一億総活躍きゅうり切るわたし 三枝みずほ
石といふ石の白さよ藤は実に 亀山祐美子
夏柳おいどこへゆく酔っ払ひ 銀   次
受けて立つ十七音の大花火 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「展翅板の色褪せ夏の水動く(大西健司)」展翅板上の死と、夏の水動くという生イメージとの対照。色褪せに、感性の技。作者独特の世界が、構築出来ている。

中野 佑海

特選句「蓮の実の飛ぶところなら見たいなあ」蓮の実って飛ぶんですか?初めて聞きました。是非とも見てみたいです。連れて行ってください。この弛い感がとっても心地良い。特選句「月曜のトーストの耳 原爆忌」上五、中七まではただ 忙しい月曜の朝の、焦げたパンの耳と原爆で火傷し折れ曲がった人の手足が妙にシンクロして、胸に突き刺さります。皆様の俳句が凄過ぎて付いて行けません。後からゆっくり参ります。放っておいて下さい。少しいじけモードの佑海です。

谷  佳紀

毎回、規定に従って特選や問題句を選んでいますが、他の句に取り替えてもいいぐらいなものです。いつものことながら、これでよいのかなあと思いつつ、やはりこれかなぁと選びました。特選句「失敗は突然わかる夏の月(河野志保)」 普遍的なことであるように書かれていますが、失敗のわかり方は色々で実際は「失敗だと突然わかった」というのが事実でしょう。しかし表現としてはこう書かなければならないのだろうと思いますし、支持しようと思うのです。また問題句「即興 のピアノに蟷螂の匂いせる」:「蟷螂の匂いせる」と書いてありますが、蟷螂の匂いってどんな匂いだろう?匂いを嗅ごうと思いませんしもちろん嗅いだこともありませんからわかりません。「匂い」は否定なのかな、肯定なのかな、「臭い」では ないのだから肯定かなと思いつつ「匂い」がわからないから「蟷螂」に具体感を感じません。その上にわからないなりに私は「かまきり」と書きたくなるのです。このほうが自分の生活ですからなんとなく具体的な感じがするからです。そういうこ とでは「溶ける蛇たちまち秋の水たまり(田口浩)」「人と人すきまがあって揚羽くる」もそうで、とりあえず受入れようということであり、こう書かなければならない必然性を感じたりもして、自分では良し悪しの判断が出来ません。興味を持つ けれど本当のところはわからない、判断保留という選句なのです。これはずいぶん前からのことであり、自分は選句をしてはいけないのではないかと、迷いの多い責任を持てない選句になっています。

田中 怜子

特選句「八月やムンクの叫ぶ橋の上(島田章平)」読んで、この暑さをユーモをこめて歌っているブラックユーモアもある。

若森 京子

特選句「人と人すきまがあって揚羽くる」大変気持の良い句。人間関係丁度この程度が良いのでは、「揚羽くる」の措辞が的確に決まっている。特選句「夏の日の運河に軍艦泳ぐ女」北欧の旅吟らしいが、日常の中に戦争と平和が渾然とし てある。ふと疎開中の尾道にて日立造船の軍艦の横で泳いでいた事を思い出した。

稲葉 千尋

特選句「シベリアの五万柱に苧殻焚く」不思議な句である。シベリアに行ったのだろうか、いや行っていないと思う。親または親族の誰かにシベリアの抑留で亡くなったのであろう。そして全抑留死の人に呼びかけているのであろう。特選 句「ボールペンのインクから水終戦日」確にそんな事あると思う。終戦日いや敗戦日。

田口  浩

特選句「猛暑去り茗荷の花に来ましたよ」私はこう言った傾向の句が好きだ。猛暑が去って茗荷の花、この茗荷の花はよく利いている。(作者の家から少し離れたところにある、家庭菜園に咲いているのだろうか)。「やぁ久しぶり、暑か ったねぇ。やっと出てきましたよ」と植物に声をかけるこころ・・・。私はこう言った感じの句が好きだ。勿論句としては難もある。〈猛暑去り〉の〈去り〉がそれだ。これだと〈茗荷の花に来ましたよ〉の〈よ〉が都合よすぎて、しっくりこない 。一句はこう投げ出して、ここからが推敲である。一週間も舌頭に転がしていると、ふいに、この句に合うぴったりのことばが出てくる。私はこう言った作品が好きだ。俳句とはそう言うものであろう。

男波 弘志

特選句「蓮の実の飛ぶところなら見たいなあ」言えば、只事、実は万物は只事で進行している。そこに写生論の核がある。「溶ける蛇たちまち秋の水たまり」蛇の情念が「たまり」に顕れている。なくならない業。「どのぐらい泳げば水に なれるだろう」僕も、さかなの流線形に魅せられている。いつしか体に鰭が生まれている。「失敗は突然わかる夏の月」あっけらかんとした、月、もう失敗そのものが終っている。「あちこちに頭ぶつけて夏が行く」にんげんのぶざまさ、迷い、夏 のおわりにもついていかない、何か、にんげんはにんげんを去れない。「猛暑去り茗荷の花に来ましたよ」それだけのこと、それを詠うことも俳諧。「髪洗うとき半身は違う星(月野ぽぽな)」鮮烈さ、そこが上手すぎるが、詩情は豊かだ。「つく つくし半熟卵を崩している(田口 浩)」崩れてゆく時間、いや、秋の白紙、その準備かも知れぬ。「石という石の白さよ藤は実に」賽ノ河原、あだし野念仏、田園に死す。一切が死だ。

河田 清峰

河田 清峰◆特選句「草に花ひとりに慣れてしまいけり(柴田清子)」ふたりのときは厄介者てまのかかるひとと思っていたけれど一人になるとかえってきて欲しくなる未練の溢れた句。しまいけりと言い切りながらそう思えない草「に」 のせいかもしれない草の花と言い切ら無かった良さでたと思う!もう一つ「門火燃ゆいのち死なずと兜太の書」他界といわず「いのち死なず」といったのが良かった。先生は立禅している時百名のひとの名を唱えると言う。人は死してもその人が忘 れない限り生き続けると思う。まして書があればそののちの人にまでも…兜太の書が広がりをもった下五となったと思う…

漆原 義典

特選句「恍惚と吸ひたり夜の水蜜桃」水蜜桃を食べる楽しそうな顔が浮かびます。恍惚と夜がいいです。楽しい句をありがとうございます。

松本 勇二

特選句「廃仏毀釈心の下の方に炎天(谷 佳紀)」廃仏毀釈と心の下の方に炎天、という二物の配合はとても新鮮でした。廃仏毀釈を体験した人々の心中が書けているようにも思います。問題句「夏空やお母さんじゃないとだめな日(三枝 みずほ)」詩情豊かな作品で共感します。「おかあさんじゃ/ないとだめな日/夏の空」の語順にすれば定型感が増してくるように思われます。

新野 祐子

特選句「その虹の畢りの色を知っている(男波弘志)」:「畢り」という措辞に心が奪われてしまいました。虹のおわりの色ってどんなでしょう。考えてもみなかったことでもあります。特選句「あちこちに頭ぶつけて夏が行く」冬でも春 でも秋でもなく、まさしく夏なんですね。季語が動かないってこういう句かな。入選句「シベリアの五万柱に苧殻焚く」シベリア抑留という悲惨な歴史をいつまでも伝えなくてはと、改めて思わされます。入選句「髪洗うとき半身は違う星」異空間 に連れていかれる心地。と手詩的です。問題句「草に花ひとりに慣れてしまいけり」:「草の花」なのではないでしょうか。これなら私は特選句に選びました。

島田 章平

特選句「受けて立つ十七音の大花火」:「受けて立つ」の気風が心良い。闇に開く大花火、そして瞬時にして射干玉の闇。闇が深いほど光は鮮やか。言霊の輝きもまた然り。暗い闇に輝いてこそ魂は輝きます。安易な言葉に自己満足せずに 、心の昏い深い谷間から湧き出る様な言葉の魂を生み出したいもの。思えば思うほど我が未熟・・・。

藤川 宏樹

特選句「オキナワの蛇屋が酔うて泣く残暑」春先でも飛行機を降りると眼鏡が曇るほど蒸し暑い沖縄に季節感は薄い。小柄で浅黒い男がハブの瓶詰めを小脇に泣いている。風土、風習、文化、基地。オキナワに「残る」諸々への思いが男を 泣かせるのか、湿った空気と黄味がかった光を感じる。

高橋美弥子

特選句「一億総活躍きゅうり切るわたし」:「一億総活躍時代」とは言えど、わたしはいったい活躍しているだろうか。日々の些事に追われて、社会との隔たりを時折感じることがある。作者は、きっと日々に忙殺されながら自分に言い聞 かせるようにきゅうりを切る。でもこれがいまのわたしなんだ、これでいいんだと。時事問題を重く語らずに軽やかな一句に仕立ててあり、共鳴しました。問題句「展翅板の色褪せ夏の水動く」展翅板は、だんだん色褪せて行くものだとおもうので すが、それに対して「夏の水動く」という措辞の因果関係がよくわからなかったです。自己紹介:8月からお世話になります。高橋美弥子と申します。句歴はまだ2年にも満たない初心者ではありますが、何卒よろしくお願いいたします。→ブログ を見てのご参加、ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします。

月野ぽぽな

特選句「背泳ぎの背の崖っぷち手術台」:「背泳ぎの背」の見えない不確かさ、そして言葉選択の冴え切った「崖っぷち」への飛躍を経て、手術台にいる時の不安・決心・諦念などの心情が、斬新に力強く伝わってくる。

鈴木 幸江

特選句「下足札ひょいと晩夏の鞄かな」オーソドックス、いいではないか。物と副詞と季語と切れ字をしっかり働かせ、人間の作り出した世界の中で、滑稽にも真面目に生きる日本人のどこか懐かしい昭和の日常を表出させている。この人 の暮らし振りについて行きたくなる今の私がいた。問題句「廃仏毀釈心の下の方に炎天」廃仏毀釈は明治新政府の神道の国教化政策であった。日本の独自性を海外へアッピールするための国策であったと私は思っている。日本仏教にも、日本文化に 馴染んで溶け込んでいった長い歴史があることを無視した国策であった。作者にも、深い日本仏教に対する思いがあるのだろう。どんな思いか知りたい。テーマは忘れてはいけない歴史的出来事だと共感するが、どんな思いが分からず問題句とさせ ていただいた。「一億総活躍きゅうり切るわたし」現代日本では、労働することこそ価値あることで、考える時間も、家事や育児をする時間もおざなりにされている気がする。この歳になり、もう、何もしたくない気分によくなる私は疲弊している のだろうか。世界の状況は危機的である。今こそ考える時間がほしい。そう思う私は、“きゅうり切るわたし”をそういう時代への批判精神と取りたいのだが。作者は、きゅうり切ることもひょっとしたら労働と考えているのかとも思え、問題句に した。

谷  孝江

特選句「どのくらい泳げば水になれるだろう」誰にもが一度は何かに憧れを持った時期があると思います。空になりたい、雲に、蝶に、鳥に、風に・・・と。幼い頃は私も空想の中に遊んだものです。が、やはり水ですね。水が一番です。 しなやかで強くて命を育ててくれる力を持っています。泳げませんけれど水になって遠い国まで行けたら良いな、なんて子供みたいに、たのしく思いを膨らませています。ありがとう。

大西 健司

東海地区現代俳句協会青年部主催 第一回JAZZ句会LIVEin名古屋が七月二八日に開催された。まさに台風が伊勢に上陸したその日。迷いに迷って出かけた。十四時から十七時近くまで。何しろ青年部は現在三人、何が出来るのかいささか危 惧するところ。案内のチラシには「俳人がその場で俳句を詠み、ミュージシャンがそれを音にする。またミュージシャンの即興音楽を、俳人が一句にしたてる。」「俳句の達人と音楽の達人が一堂に会して、魂をぶつけ合うライブです。」なかなか かっこいいでしょ。新人賞受賞の赤野四羽氏がミュージシャンということもあり実現したもの。参加者は二十歳から八十代後半の方まで。まったくどのようなものか想像もつかずおそるおそる出かけたが、実に小さい店にめいっぱい詰め込んでのコ ラボ句会が実に熱い。 苦し紛れの一句を即興で音楽にしてくれる。ジャズの真骨頂である即興性の豊かさに、アルコールOKだからなお痺れる。生演奏の迫力に痺れっぱなし。 ちなみに二十歳の彼女は初心者ながら所属は「屍派」とか、マスコ ミを賑わす北大路翼氏のところという。もうこれだけで頭の中はパニックを起こしている。そこで一句。

しかばね派とデニムのシャツの鳥渡る 「鳥渡る」は席題。席題に季語はいかがなものかと思いつつの苦し紛れの一句。ところが屍だけに音楽が実に刺激的。俳句の出来の悪さを忘れさせる演奏。 みんなジャズに酔いしれ、台風のことを忘れてのひととき。第二回が気に掛かるところ。 余談ですが報告です。

ところで今回の特選句「ひとといることさえ微熱蝉の穴」ですが「ひとといることさえ微熱」この感覚の冴えにひかれた。人と人との出会いの空気感、少し重い空気の流れなどを思いつついただいた、

伊藤  幸

特選句「円陣の哮りフェンスに糸蜻蛉(藤川宏樹)」今年の甲子園は久しぶりに湧かせてくれました。 連日超満員の観客の声援の中、小さな存在の糸蜻蛉登場。実景か作為あってか不明ですが、いずれにせよ糸蜻蛉の存在が効いています。特選句「弟を背負ひ焼き場に立つ素足(島田章平)」焼き場に既に亡くなっているであろう弟を背負い毅然とし て立っている少年の写真がアメリカで報道された。戦争の悲惨さを写真を見ずとも俳句で物語る、これも伝承方法のひとつであろう。

野口思づゑ

特選句「水茄子の水のごとく生きし姉」水茄子の水、平たく言えば茄子の水分という事なのに、句にこのように入れるとその水分の清潔感、透明感が際立つ。きっと控えめに、でも皆から慕われたそんなお姉様だったのだろう。特選句「逆 白波ことば選るごと崩れたつ」北斎が描いたような立派な波が砕けている様を見て、自分が推敲を重ねているようだなぁ、と感じたのですね。実際にどのような波を見たらこんな的確な句が生まれるのでしょう。

竹本  仰

特選句「焦がれたる切っ先油蝉を描く」純で強烈な空腹感を感じました。油蝉の声、その訴えに呼応するかのように、濃いめの鉛筆が焦がれた切っ先に変貌していく、そういう瞬間の燃焼がうまく表現されていると思います。そういう必然 性の姿が描かれています。特選句「玉砕という言の葉はるかしゃぼん玉」今だったら、玉砕と言わず自爆テロということになるんでしょうか、自爆テロは、あくまでも自分の意志で選んだんだという、かなり意図的な政治組織の背景を感じさせるも のなのに対し、玉砕は、自分の意志ですらなく、忖度されたもの、むしろ死ぬのが当然だという暗黙の合意の美化、でしょうか。この心性は脈々と今も過労死へと流れ込んでいるようにも。そして、それとは対極にあるかと思える、命のゆくえを無 くした感のある、「誰でもよかった」殺人。玉砕とこの殺人とは、非なるようでいて、似たものと感じられるのは、私だけなんでしょうか?命を失くせ、とささやくものが、どの時代にもひょいと出現して知らんぷりしているような、不思議な仮面 を感じます。というような、諸々の連想をいただきました。特選句「手足なき水着を風に干す晩夏」その手足は、どこへ行ったんだという、エレジーを見つめている「私」を描いた詩なんでしょう。人間の若さ、そして時間はどこへ?昔、南河内万 歳一座を主宰する内藤氏の『さらば、青春』という劇を観たのを思い出しました。現代家庭の中にあり孤立したお父さんが、「いったい、あの時代は、あいつらは、どこへ行っちまったんだ?」と叫びつつ、お父さん仮面に変身する、激烈なる高低 の幻想シーンが舞台を真紅に染めましたが、何かしら、そういう嘆きの一抹が、この風の中に感じられるようで、共感しました。特選句「雲なき葬後胡瓜を齧り味噌嘗めて」恙なく、実に整然と終わった葬式。それでいいのか?そんなもんなのか? 故人へのきれいな賛辞、家族のつましいお礼の言葉、参列者の粛々とした焼香とお別れ。だが、そんなものではないだろう?と、言いたいのでは。かつて、土葬の時代は、そうではなかったろう、汗水流してよろめきつつ棺をかつぎ、穴を掘り、土 を落とし、帰っては深夜に及ぶ酒盛りがあり……寂しさは、決して論理的なものではなく、詩的で、暴力的ですらあるかもしれない。現代人の寂しさは、もっと寂しいかも、と思う。特選句「ボールペンのインクから水終戦日」ボールペンから水は 、もちろん出ませんが、インクの先に、書いて、さらに書こうとする先に、水を感じたということで、平和の味をかみしめる、その意外な表現の仕方に好感を持ちました。あえて言うなら、平和の味覚というものがあれば、それを味わえている人は 、味わえていると感じる人は、どれくらいいるんだろうかという詩かとも。その総数が、本当の国を愛する人の総数かもしれない。と、妙に反省をさせられる句でありました。以上です。

まる二月空くと、俳句愛、感じさせられました。生きて生かされて、ではなく、生かされて生きて、という不文律のようなものを感じます。いつも、ありがとうございます。 残暑、たいへんきびしいですが、みなさま、お元気で、また来月、お願いいたします。

寺町志津子

特選句「門火燃ゆいのち死なずと兜太の書」いささか材料が揃いすぎている感がないわけではないが、一読、心に染み通り、句姿に品格もあり、即特選、と決めさせて頂いた。常日頃、「命は死なない」と言われていた兜太師。今や、今生 には姿亡き兜太師ではあるが、師の命は、あの筆太でどっしりとして力強く、味わい深い兜太師の書に宿っている。と読んだ。〝門火燃ゆ〟が、何とも物悲しく切ない。何度も読み返していると,在りし日の兜太師のお姿が見えて来て,感無量であ った。

桂  凛火

特選句「人と人すきまがあって揚羽くる」人と人が立っている多分親しい間柄なのだろう。でも微妙に気持ちの行き違いか何かで近しいのに心理的距離がある微妙な空間があくことがある。黒揚羽が、そんな隙間をひらひらととすり抜けて いったのだろう。美しくてクールは蝶がよく似合うと思いました。心理の微妙な齟齬が上手く表現されたと思います。特選句「ひろしま忌日陰日陰へ走る水」:「日陰へ日陰へ走る水」まるで意志をもつもののように書かれているけれど水はただ流 れているだけ。そのありさまの描写を捕らえた表現にリアリティがあると思いました。水を求めて亡くなった大勢の人のことが彷彿として、ひろしま忌とのとりあわせがよく効いていると思います。

野澤 隆夫

特選句「下足札ひょいと晩夏の鞄かな」すぐに渥美清をイメージしました。トラさんがどこか田舎町の銭湯に飛び込んだ風景です。先日、矢崎泰久『句々快々「話の特集句会」交遊録』(本阿弥書店)を読みました。〝蚊柱の眼に入りて湯 の帰り〟(風天)と続くようです。特選句「一億総活躍きゅうり切るわたし」アベノミクスの第2ステージ。たしか「一億総活躍社会」を目指すと宣言しました。タレントの菊池桃子さんも国民会議の有識者の一人。作者は台所で〝きゅうり〟を切 っています。問題句「オキナワの蛇屋が酔うて泣く残暑」米軍普天間飛行場の辺野古移設を反対した沖縄県の翁長雄志知事が8日死去。蛇屋さんも酔うて泣くという凄絶さ。

柴田 清子

「どのくらい泳げば水になれるだろう」この句に、胸ぐらをぐひと掴まれた。内容も、一句を作り上げている言葉もやさしい。しかしながら、じわじわと人間であることの重さのようなものが伝わって来る特選です。「かたちから近づいて くる魚かな」特選です。俳句である制約や枠を意識せずに沸いて来た句かと思った。自在に自分を放ちているところより出来る句がとってもいい。

山内  聡

特選句「停車場に部活の声と山法師(伊藤 幸)」バス停で降りると近くには体育館か運動場。そして山法師が白く鮮やかに咲いている。部活の声が響く中、山法師が涼しく白をたたえている。面白い取り合わせだと思います

野田 信章

「夏の日の運河に軍艦泳ぐ女」は北欧の前書きあって自立する句。並列的ではあるが二物の配合には際立つものがあって、北欧の短い夏の一景が印象的である。「玉砕という言の葉はるかしゃぼん玉」は時間の経過では消し去ることのでき ない胸奥の「玉砕」の二文字―しゃぼん玉の彼方に追悼の念がこもる。澄明な句。「蓮の蕚ねむる特攻兵士の額(若森京子)」は「蓮の蕚」の形態の物象感によって自立している句として読んだ、「額」は「ぬか」とルビを付したい。粘着力のある 句。他にも、主題の上では、日本の八月とは重たいものだと思わせる句が散見された。それぞれに意義ある句として拝読した。

重松 敬子

特選句「あちこちに頭ぶつけて夏が行く」待ち遠しい季節のはずなのに、この異常な暑さには、、、、。我が家でも、夜は冷房なしが普通だったのが、今年は夜通しエアコンのお世話に。身体に良い訳がありません。私達は夏を、すっつか り嫌われものにしてしまいました。頭ぶつけてが上手い。夏の恐縮ぶりが手に取るよう。

三好つや子

特選句「豪雨のおち喜雨も無きこち神むら気」突然やってくる「ゲリラ豪雨」に加えて、「ゲリラ雷雨」に泣かされたこの夏ならではの作品。都都逸のような節まわしが感じられ、「神むら気」という着地が巧みです。特選句「髪洗うとき 半身は違う星」髪に指を入れ洗っているとき、自分が自分でないような気分に陥ることがあります。「半身は違う星」の表現に、すこしナルシズム感もあり、惹かれました。入選句「水茄子の水のごくに生きし姉」母性のかたまりのような形の水茄 子。いつもニコニコと、家族のために生きてきた姉の人生を誇らしく思う、作者の気持ちに共感。

夏谷 胡桃

特選句「八月や少し老いたるおもてなし」夏は来客が多い季節です。おもてなしに張り切っても前とはちがうと感じます。デザートが手作りできなかったり、花がいけられなかったり。最近では無理はしないと思っています。やわらかい言 葉で日常をとらえていると思いました。

花巻・遠野の吟行に来ていただいた皆様、お元気ですか。楽しい時間をありがとうございました。遠野は秋の装いをはじめました。我が家は朝の気温が10度ないことありました。これから冬に向かいますが、秋が短く輝いていいのです。食べ 物も美味しい。機会があったら、またお出かけください。→こちらこそ!素晴らしい思い出をたくさん有難うございました。四国はまだ残暑の中です。またお目にかかる日を楽しみにしています!

三枝 みずほ

特選句「どのぐらい泳げば水になれるだろう」庵治の海でこの夏はよく泳いだ。心理的なことかもしれないが、沖へ泳ぐほど水温が低く、足先がヒヤッとする感覚。足の冷たさを感じながら泳いでいると、人間から遠ざかるような、また戻 ってくるような不思議な往来がある。この句は個を突き詰めて、水という生命の源にいく。「だろう」が解釈の幅を広げていて、興味深かった。

河野 志保

特選句「きちきちや島端にいること知らず」温かさあふれる句。きちきちに「行き止まりだけど、まだ飛ぶ気かい」と話しかけているよう。作者は島端を知らないきちきちを羨んでいるのかも知れない。

菅原 春み

特選句「シベリアの五万柱に苧殻焚く」亡くなったシベリア抑留者を迎えるための苧殻の火。 戦争の悲惨さをあらためて感じる。特選句「ひろしま忌日陰日陰へ走る水 」淡々と走る水を描いているところにかえって、無差別殺戮の原爆の 脅威を覚える。 過ちを二度と繰り返さないためにできることは?

小宮 豊和

コメント一句「ままごとは二役花茣蓙ひとりっ子(三枝みずほ)」良い句であると思う。中七について、「二役」は、「ふたやく」と読むのが普通であると思うので八音である。七音にした方が一句全体の語呂が良くなると思う。たとえべ 「花」をやめて「茣蓙の」などとするのはどうだろうか。

藤田 乙女

特選句「玉砕という言の葉はるかしゃぼん玉」玉砕という戦争中に使われた言葉に戦後生まれの戦争を知らない私はただ悲劇ということを連想します。しかし、その感じ方も現実味のない想像の中でのことでしかありません。シャボン玉の ように中身が空っぽですぐに消えてしまう、そんなものかもしれません。死体の転がっているところを死体のひとつひとつを跨ぎながら戦火を逃れたという90代の方からまだ積み上げられた死体を焼く臭いが忘れられないと直接話を聞いたとき戦 争という言葉が私の中で単なる言葉ではなく現実味を帯び事実に近づきました。戦争を知らない者がこれからますます増え戦争の事実が風化していく中、戦争に関わる言葉をシャボン玉にしてはいけないと強く感じました。玉砕という言葉の重み( 事実を隠す美名として使われ、それによって多くの命が切り捨てられることになった)とシャボン玉の軽さとが妙にマッチし、深く考えさせられる句でした。

亀山祐美子

特選句はありません。おもしろいと思う句を選びましたが、これは絶対と言うものがありませんでした。多分私の夏バテが選り好みに拍車をかけているのでしょう。悪しからずご容赦くださいませ。皆様の句評楽しみにしております。

中村 セミ

特選句「余白とうものがまだあり螢飛ぶ」暗闇の余白の事を書いてゐる内容と思う。螢が線を描くように黒いキャンバスの中で光の筋で模様を描く。作者は、黒いキャンバスの光の筋以外の黒い部分に何かを物想っている内容と読みました 。面白い。

豊原 清明

特選句「即興のピアノ蟷螂の匂いせる」感覚俳句。ずっと続くと、飽いてくるが、感覚を覚まさねば。「蟷螂の匂い」と「即興のピアノ」の組み合わせの成功。光っている句。これがいいと思う。蟷螂にピアノ音が似合う。もっと俳句を書 きたいと思わせる。問題句「殴りあうような会話や白雨くる」:「ような」が気になった。型が出来て、型に嵌めている。型通りと言う印象。でも、「殴り合う」と「会話」「白雨」が好きです。無意識下と感じた。

高橋 晴子

特選句「星辰の静寂深し敗戦忌(小宮豊和)」言わずに語るのはこういう句だろう。心が直に伝わってくる。しみじみとしたいい句だ。特選句「立秋へ左の踵他人めく」暑かった夏もそろそろ先が見えてきた。とはいえ名ばかりの立秋。も うひとつ自分の体に和感を覚えていて〝他人めく〟と表現した処に面白味がある。ひょっとしたら〝左の踵〝の方が好調なのかもしれない。〝立秋へ〟の受け取り方でどう感じても面白いとおもう。問題句「夏霧に山川草木吾も人(鈴木幸江)」吾 も人とはどういうことなのか。山川草木と同格にするのなら〝人吾も〟だし、目のつけ処はいいのだが、中途半端な表現で、下手をすると〝吾も人〟当り前で、やっぱり変。

野﨑 憲子

特選句「鼻にそばかす濃くなり君はジギタリス」ジキタリスとは、別名〝狐の手袋〟螢袋に似た可憐な花である。しかし、強心剤として利用される劇毒を持つ。多分、作者の身近な可愛い娘さんか誰かの逞しく育ってゆく姿をスケッチした ものと思う。下五の〝ジギタリス〟の斡旋が見事である。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

今朝の秋
今朝の秋犬は屁(おなら)を二つする
鈴木 幸江
今朝の秋赦されたとは思わざる
鈴木 幸江
はんなりと恋の通ひ路けさの秋
増田 天志
今朝の秋分水嶺はここにあり
野﨑 憲子
残暑
でっけえ西瓜まだ引き摺ってゐる残暑
銀   次
ペコちゃんの首降り止まぬ残暑かな
増田 天志
つまらない話など残暑お見舞
柴田 清子
草むらへ鉄路伸びゆく残暑かな
増田 天志
秋天
一芸を持てぬ貧乏秋の空
藤川 宏樹
笑うふり泣くふり帰るふり秋天
男波 弘志
秋天に肌出し過ぎや中華まん
藤川 宏樹
決め事も秘め事も無し秋っ晴れ
中野 佑海
鰯雲
ボクサーの減量続くいわし雲
増田 天志
いわし雲ところどころが波の音
柴田 清子
いわし雲行ったり来たりしてわたし
鈴木 幸江
鰯雲どうしても憎しみが要る
男波 弘志
鰯雲いきなり船頭小唄かな
野﨑 憲子
思いの丈スローないわし雲に透け
中野 佑海
カーラジオ
いまさっき何か言ふたぞカーラジオ
銀   次
月天心もうカーラジオ消しましょう
柴田 清子
カーラジオ残暑見舞いにキャンディーズ
藤川 宏樹
ぐるるるるカーラジオから赤い月
野﨑 憲子
昭和
新宿の催涙弾よ吾が昭和
銀   次
灯籠に流しをりけりああ昭和
銀   次
生き急ぐ友あり昭和の晩夏光
増田 天志
この部屋は昭和でうまってゐる晩秋
柴田 清子

【通信欄】&【句会メモ】     

本句会の仲間、新野祐子さんが句集『奔流』を上梓なさいました。表題の如く気合漲る句集から一句。「奔流のいつかうわみずざくらかな」

 句集『奔流』の、お問い合わせは、野﨑まで。

今回が、「海程香川」としての初めての句会でした。「」が移動しましたが、句会自体は、これまで通り超結社の句会「海程香川」として押し通させて頂きます。そして、ますます多様性を深め広げていきたいと念じています。今回は、大津から増田天志さんも参加され、賑やかで楽しい句会でした。

次回は、サンポートホール高松の句会場が取れず、本句会の仲間である藤川宏樹さんのご厚意で「ふじかわ建築スタヂオ」での初句会となります。ご参加楽しみにしています。

2018年7月28日 (土)

「海程」終刊へ寄せて

IMG_3135.jpg いよいよ、「海程」終刊号が刊行されました。後継誌「海原」への新たな旅立が始まろうとしています。私は、先にも書きましたように、「海原」で勉強させていただきながら、来月からは、「海程香川」として、一回一回の句会を大切に、これまで以上に、ご参加の皆さまと、自由に熱く渦巻いて行きたいと切願しています。 以下に、「海程」終刊号に掲載の拙文を記して<「海程」の窓>の締め括りとしたいと思います。冒頭の写真は、金子兜太先生の菩提寺である総持寺(埼玉県皆野町)境内の先生ご揮毫の額であります。

ぎらぎらの朝日子照らす自然かな   兜太

「自然」の字は<じねん>ではなくて<しぜん>と読むのだと、この額の前で先生からお聞きしました。

大野火よ!師よ!      野﨑憲子

 二月二十四日、納棺前の師にお目にかかることができた。あの温かな手に触れることはもう叶わないのだと思いつつ枕辺に座らせていただいた。そこには、今まで見たことも無いほどに厳かな観世音菩薩のような師の美しいお顔があった。思わず手を合わせ、目を閉じて、般若心経を唱えさせていただいた。すると眼裏に東大寺の広目天像の眼のような師の圧倒的な眼力を感じた。師は、近くにいらっしゃると実感した。その眼は「渦」。それも、とんでもなく強烈な「渦巻」が限りなく広がってゆく。この底知れぬパワーが「海程」。これが世界最短定型詩の根っこなのだ。

 四月には、最後の秩父俳句道場へ行った。長瀞駅で降り会場の養浩亭へ近づく程に、鳥たちの声が強烈に聴こえてくる。これまでに聞いたことの無い囀りだ。川岸に出ると、師の気配をいたるところに感じた。ここは、師や諸先輩と歩いた思い出がいっぱいだ。風が吹く度に後を振り返ったが景は動かない。しかし、何かが存在するのである。

囀りの中に他界のありにけり   憲子

 句会場には、鶯の声が、いつになくよく響いた。句稿には、これまでの道場への思いを籠めた作品満載だった。参加者それぞれの心の底には、道場での先生のお言葉が棲み、これから、ますます増殖してゆくと強く感じた。 私は、出来そこないの弟子で、いつかの道場の折には、師の選にまったく入らなかったことがある。その回の最後にあった全句講評での師の一言「野﨑君は、もう道場に来なくてよろしい。」は、私を闇の底に突き落とした。でも、翌日になればまた道場に行きたくて仕方なくなってしまうのだ。因みに、ごく稀にある好調の回の師の言は決まって「大丈夫か?野﨑君。気を付けて帰れよ。」であった。四国へ帰る私を気遣ってくださった師の声を、そして厳しい愛語を忘れない。

道場が無くなり、「海程」誌もこの号でお仕舞になる。でも、私は、不思議に動揺していない。それは、「海程」香川句会を開かせて頂いているからかも知れない。大「海程」の欠片の欠片のような、小さな句会である。でも、だからこそ、できることがあると信じている。俳句を愛し、家族を、仲間を、丸ごと愛した師は、よくバランス感覚を磨くことの大切さを話された。本当に守りたいものは何か、そして大切なものを切り捨てることによってこそ新しいものが入ってくることも。ことに、産土での「定住漂泊」は、何でも有りの風が吹く。だから余計に一瞬一瞬が愛おしいのだ。こういう思いは、師に出逢えたからこそ持つことが出来た。囀りの中から、「自由にお創りを!」と、俳句の神様の声が聞こえてくる。

 言霊の幸ふ国である日本から世界最短定型詩の愛の言の葉を世界へ向けて発信して行きたいと強く念じている。唐突な物言いだが、それが、世界平和への鍵となると感じている。 

野火焼不尽  春風吹又生   白楽天

大野火や芭蕉の道の先をゆく  憲子

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