2021年10月2日 (土)

第121回「海程香川」句会(2021.09.18)

コスモス7.jpg

事前投句参加者の一句

列島はコロナ東雲(しののめ)に滾る蜻蛉(あきつ) 若森 京子
夕菅に兄の隠した涙壺 伊藤  幸
首太き僧の早足いわし雲 飯土井志乃
服・リュック新し新秋のダンボール 川崎千鶴子
星のごと花の散りぼふ廃教会 兵頭 薔薇
秋ついり中村哲の壁画消ゆ 高橋美弥子
すこしあかりを落とす身中虫の声 竹本  仰
秋茜岩塩甘き婚記念 重松 敬子
健次の忌水に溺れる魚あり 伏   兎
晩夏光波が綴じゆく砂の本 銀   次
人になる前の息遣う秋の蝶 桂  凜火
旅人は昼寝の村を通り過ぎ 夏谷 胡桃
秋霖の森の人影プーシキンか 田中 怜子
八月や騙されそうで笑っちゃう 高木 水志
爽やかや孫投げしボール胸で受け 漆原 義典
眼中に人工レンズ茱萸熟れる 榎本 祐子
お代わりの梅干し茶漬け今朝の秋 荒井まり子
涼新た黒にゆきつく靴鞄 亀山祐美子
赤面症の葉っぱが二、三夏櫨に 野田 信章
片腕のランナー傾ぐ秋暑し 松本美智子
青柿に決断迫ることいくつ 高橋 晴子
秋の音ゆるゆる老いる絹のつや 森本由美子
歓声無くバックネットに蝉の殻 大西 健司
マンゲツノヨニフジヨウスル ヤマトヨリ 島田 章平
打ち水や昭和の路地裏に私 中野 佑海
ラムネ飲む天の川を胸に入れ 十河 宣洋
刈田跡の株断面の甘美かな 稲葉 千尋
鱧好きの妻鱧の貌して眠りけり 樽谷 宗寛
顔のない狐が笑う沼すすき 久保 智恵
アフガンのニュース見終えて西瓜切る 津田 将也
石段を一足下りる秋思かな 小山やす子
旅先の古書店めぐり風の盆 田口  浩
暁闇の茸眼裏まで真白 福井 明子
夜の秋アクリル越しのきつねそば 菅原 春み
濡れている目玉のあとや空蝉よ 増田 暁子
八十路なお父母を恋う秋思かな 寺町志津子
炎天下大人の下の子の悲鳴 滝澤 泰斗
故郷へ足踏み込めぬ秋彼岸 山本 弥生
どう救う蝙蝠の子の地に落ちて 新野 祐子
下駄ばきに来て流星群の廃校 すずき穂波
マスクして美女も醜女もわかりません 三好三香穂
暁を覚めている母蓮の実飛ぶ 男波 弘志
湿原のような感情月あかり 月野ぽぽな
大谷く~ん君への想い緋のカンナ 植松 まめ
他所行きに袖通すはいつ山装う 野口思づゑ
思念とは濯ぐものですか驟雨 佐孝 石画
朝という月の眠りを待っている 河野 志保
サヌカイトどこ叩いてももう秋か 柴田 清子
夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま 稲   暁
地図の道とぎれてからの花野道 山下 一夫
山寺の輪郭溶かし秋時雨 佐藤 仁美
草むらをほろほろと人虹の根へ 三枝みずほ
夕風に騒めく稲穂民の声 藤田 乙女
秋燕ゆくり光を浴び放題 豊原 清明
淡淡とビールの売り子段段を 藤川 宏樹
用の無き部屋も灯され盂蘭盆会 吉田亜紀子
噴水に頂点のある旅ごころ 佐藤 稚鬼
通いつめこの家のヒモとなりにけり 田中アパート
刈り入れや黄泉の家族が二三人 松本 勇二
チョイ悪の蜻蛉らしきよけふもくる 谷  孝江
モデルナの接種一発昼花火 野澤 隆夫
羊雲どれも淋しい私です 吉田 和恵
ことばとは言の葉つぱか栗の毬 鈴木 幸江
にさんかい頭をぶつけキリン鳴く 中村 セミ
秋暑しプリンの底の遠さかな 松岡 早苗
ひまわりや無限に有るという負担 石井 はな
毀れゆく人間ばかり鰯雲 河田 清峰
青鬼灯吸うや爪先立ちて少女 小西 瞬夏
瀬戸内の島は飛び石おにやんま 増田 天志
ノンと言ふ少年が棲む曼珠沙華 野﨑 憲子

句会の窓

月野ぽぽな

特選句「サヌカイトどこ叩いてももう秋か」。香川産の素晴らしい石。心地よい音は自然の神秘ですね。サヌカイトを叩いて季節の移ろいを感じているところがいいです。そして空気の澄み切った秋にこそ、サヌカイトの音が最も美しく響き渡るのでしょう。

増田 天志

特選句「にさんかい頭をぶつけキリン鳴く」。いさぎよし。俳句とは、何か、自分で、決めれば良い。俳句の可能性を展くのは、君の感性だよ。頑張れ。

小西 瞬夏

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。健次の「水の女」を思い出した。健次と水はなぜかしっくりくる。雨の描写も多かった。魚が水に溺れるという、健次もそんな生き方だったかもしれない。そんな生き様を肯定していうようにも感じられる。

 
島田 章平

特選句「チョイ悪の蜻蛉らしきよけふもくる」。いでたちは、トンボ眼鏡に、ステテコに腹巻。名前は「トンボの寅」。

若森 京子

特選句「すこしあかりを落とす身中虫の声」。自分自身、日によって又、季節によって体内のエネルギーは違う。夏から秋にかけては少しメンタルの面でも低くなっていく様に思う。その表現を詩的に「すこしあかりを落とす」。と云ったこの一行。静寂の中に虫の声がひびいている。特選句「思念とは濯ぐものですか驟雨」。急に雨が激しく降り、すぐに止む。思考と云うものは、その中で洗われたり濯がれたり又乾く、の繰り返しの様に思う。この比喩が美しく詠われている。

 
十河 宣洋

特選句「下駄ばきに来て流星群の廃校」。流星の観測などという大げさではない。話題づくりに外へ出てみた。近くの廃校のグランドへ来たのである。懐かしく見慣れた校舎と流星もいいと思う。特選句「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。何となく既視感があるのだが、それが俳句だったのか推理小説だったのか、それとも夢だったか分からない。林檎のナイフの残る慌しさが不安感を残す。読後の気分はハイカラ。

中野 佑海

特選句「ラムネ飲む天の川を胸に入れ」。ラムネのあの清涼感を天の川を胸に入れたとは、素敵な表現です。こんな詩を作ってみたいです。特選句「薊の棘冷たくショットバーは閑」。いつもの会社帰りに立ち寄るあの店、寡黙なバーテンダーの居る店、誰にでもお気に入りの店はあるはず。なのに緊急事態宣言下では足は遠のくばかり。なんか益々みんな寡黙に成っちゃうね。「首太き僧の早足いわし雲」。いつもはちょっと態度のでかいあの坊さん何をそんなに急いでいるんだい。いわし雲の隙間から落っこちちゃうよ。「種間寺はたねまじとよむ踊りかな」。久しぶりに八十八か所の遍路思い出しました。安産祈願の底の抜けた柄杓は今でも覚えています。考え様によっては、歩き遍路は踊り?「秋ついり中村哲の壁画消ゆ」。一番に中村哲さんの絵が消されるとは。やはり、中村哲さんを殺害したのは「タリバン」だったのですね。「青柿に決断迫ることいくつ」。若者に寄るな、歌うな、騒ぐな、暴れるな、マスク付けろと言っても無駄。「マンゲツノヨニフジヨウスル ヤマトヨリ」。戦艦大和よ、蘇れ。「旅先の古書店めぐり風の盆」。越中おわら風の盆。一度行って観たかったな。旅先でゆっくり古書店もめぐってみたいな。と私の望みを思い出しました。何時叶うのか。「山寺の輪郭溶かし秋時雨」。私の散歩道に大きな屋根のお寺がある。それが溶けてしまいそうな程の雨。あっいけない。私の足が溶けちゃった。ほんと、足だけでなく、心も腐るよね、この長雨。「淡淡とビールの売り子段段を」。あのアルプススタンドを呼ばれるままに、辺りに気を遣いながら、「タッタッ」と凄いです。私はいっぺんでビールぶちまけています。以上。宜しくお願いします。

松本 勇二

特選句「すこしあかりを落とす身中虫の声」。身体の中に灯っている灯りの照度を少し下げると書く感性や凄し。季語、虫の声も上手い。秋を迎えた安堵感が句全体に漂っている。

稲葉 千尋

特選句「首太き僧の早足いわし雲」。西行か一遍か親鸞かと色々思う楽しみがあり、いわし雲は効いている。特選句「サヌカイトどこ叩いてももう秋か」。石の名前を持ってきた手柄、きっと良い音でしょう。

久保 智恵

特選句「夕菅に兄の隠した涙壺」。文句なしに好きです。特選句「人になる前の息遣う秋の蝶」感覚が好き。問題句「羊雲どれも淋しい私です」。淋しすぎます。同感ですが・・。

小山やす子

特選句「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。何か不安なことがあって夜汽車で発つもまぎらわす様に林檎にナイフを入れしままがいいです。

豊原 清明

特選句「爽やかや孫投げしボール胸で受け」。孫と遊べて嬉しい気持ち。孫のボールを胸で受け止めて痛かったかな?痛くても耐えてボールを投げる。ボールを受け止めたよろこびか。問題句「八十路なお父母を恋う秋思かな」。八十になって、父母を恋う人。人の心理の一つだと思う。歳を取れば余計に思うのかも知れない。

夏谷 胡桃

特選句「ラムネ飲む天の川を胸に入れ」。はじめ天の川に胸までつかったのか、涼しそうなイメージを持ちました。カン違い。天の川を胸にいれたのですね。身体も弱る夏の暑さでしたが、過ぎてしまえば懐かしい。その夏の思い出のような俳句だと思いました。

藤川 宏樹

特選句「アフガンのニュース見終えて西瓜切る」。アフガン駐留米軍の撤退とそれに伴う混乱が報道される中、9.11から20年目の夏が終わった。まるで蜘蛛の糸に群がり垂れる群衆のように米軍機にすがりつくアフガンの人々。それを日常の画面のひとつとして見ている我々。その現実の対比が「西瓜切る」に見事に表現されていると感じ入りました。

佐藤 仁美

特選句「首太き僧の早足いわし雲」。知識だけでなく、修行で身体も鍛えた僧が、秋の日に早足でお勤めに励んでいる様子が目に浮かびました。骨身を惜しんだら、いけないなぁと 改めて思いました。特選句「顔のない狐が笑う沼すすき」。ススキを「顔のない狐」と現したのが素敵です。

大西 健司

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。芥川賞作家で、熊野大学を立ち上げた中上健次のことだろう。「水に溺れる魚」は社会に抗い、埋没していく自分。もがけばもがくほどどうしょうもない日々。若くして亡くなった健次への思いを深めながらの感慨。

寺町志津子

特選句「延命処置否と言う母つくつくし(増田暁子)」。一読、亡母の終末を思い出しました。生への執着と人間の尊厳とのせめぎ合い、あるいは、母には看病する者への配慮もあったかも知れず、残される者にも辛い決断で、兎にも角にも奇跡が起こらないか、念じ、祈ったことも思い出しました。人生最大と思われるほどの複雑な寂寥感。下五つくつくしに余韻が残りました。

谷  孝江

特選句「刈り入れや黄泉の家族がニ三人」。機械化の進んだ最近の農作業では田植えも刈り入れも人手をあまり必要としなくなったでしょうがやはり刈り入れどきは忙しく嬉しくてという季節でしょうね。黄泉からも手伝ってくださる家族がいらっしゃるなんで何とお幸せでしょう。

亀山祐美子

特選句「毀(こわ)れゆく人間ばかり鰯雲」。コロナ禍の渦中出口の見えない閉塞感は集団生活を阻害された大多数の人間の精神を徐々に蝕み・毀す(こわす)予兆。しかも動植物や自然さえ例外ではない何か大きなものに巻き込まれゆく不安定感を「鰯雲」の集団的な季語を据え訴える。特選句「瀬戸内の島は飛び石おにやんま」。多島美を讃えコロナ禍のなか前進しかしない蜻蛉しかも勇ましい「鬼やんま」に不退転の決意を表明する佳句と評価するのは穿ち過ぎだろうか。

中村 セミ

特選句「人になる前の息遣う秋の蝶」。おそらく、この蝶は、死んでいき、人に生まれ変わるのだろう の様な弱った蝶を、見た作者の気持ちがどんなものだろうか、気になった。

福井 明子

特選句「すこしあかりを落とす身中虫の声」。身中にも「あかり」があるのですね。その光度を落とす、夜のしじま。虫の声があまねく沁みとおります。特選句「地図の道とぎれてからの花野道」。未知なるものへ向かう終章への花野道に心が留まります。調べの自然さが、無辺の彼方へ抱かれる大いなるものを感じさせてくれます。

三好三香穂

特選句「晩夏光波が綴じゆく砂の本」。波によって綴じられる本のように見えた砂浜。とらえ方が、新鮮です。はっとした1句です。「ラムネ飲む天の川を胸に入れ」。ラムネのしゅわしゅわが、天の川。身体が宇宙になった瞬間。「八十路なお父母を恋ふ秋思かな」。人として当たり前のこと。

津田 将也

特選句「晩夏光波が綴じゆく砂の本」。夏の終わりが近くなると、しだいに影もながくなり、空の色・雲の形などに秋の気配が感じられるようになる。この時季の光のことを「晩夏光」と言い、季語である。海波がつくり出す浜砂の造形物。繰り返す営みの中には美しいポエトリーがあり、誰もが感じることができる。その造形物の一つが「砂の本」なのである。特選句「赤面症の葉っぱが二、三夏櫨に」。夏櫨(ナツハゼ)は、美しい花と黒い実をつける落葉低木の植物、ブルベリーの仲間だ。[ヤマナスビ]とも呼ばれ、食せば、甘酸っぱい。秋でなく、春から初夏にかけて紅葉するので、この時季の庭木の鑑賞用や生け花として人気がある。この句、「赤面症の・・・」という比喩的表現が成功して、紅葉の「走り」を巧く描写し得ている。余談だが、「櫨紅葉」は晩秋の季語。別の名は「琉球櫨(リュウキュウハゼ)」と呼ばれ、江戸時代にはこの実が和蝋燭の原料になり多くで栽培された。一方、木枝は天皇の位当色である黄櫨染(こうろぜん)の染めに使用された。

野口思づゑ

特選句「星のごと花の散りぼふ廃教会」。過疎地などで、使われる事のなくなってしまった教会を見ると、何年か前はきっと多くの信者が集まり礼拝の後は皆で語らった大切な場所だったに違いないと寂しさを感じます。その廃教会を明るく「星」「花」で表現されて句にされている作者に感心いたしました。「樹木葬きっと小鳥も来るだろう」。樹木葬に憧れているので、小鳥に是非行ってもらいたい。「カーナビに吾の家なし虫時雨」。運転者には不便かもしれませんが、視点を変えれば恵まれた所にお住まいだと思います。

樽谷 宗寛

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。8月12日は忌日と思い出しました。作家であり釣りびと。生存なさっていたら、溺れる魚に手をすぐ様差しのべたに違いない。大きな健次像が浮かび上がってきました。

田中アパート

特選句「マンゲツノヨニフジョウスル ヤマトヨリ」。山本五十六宛でしょうか。特選句「瀬戸内の島は飛び石おにやんま」。昔、ドロメンを糸にくくりつけて空に飛ばしていると、おにやんまがめちゃくちゃとれたもんです。昆虫たちもスケベいや好色なんですかな。問題句「マスクして美女も醜女もわかりません」。なんていうことをぬかしてけつかるんでございますか。ごめんなさい。「旅先の古書店めぐり風の盆」。古書店めぐりは優雅ですね。八尾風の盆は昼間は退屈・暇です。八尾の風の盆でいそがしい時宮田旅館では女優の柴田理恵はお手伝いをしていたらしいです。(学生時代)親類らしいですな。

川崎千鶴子

特選句「秋の音ゆるゆる老いる絹のつや」。老いは着実にゆるやかにやって来ます。特に秋には熟々感じます。この句の素晴らしさは見事なのは「絹のつや」と思います。なんとなく老女の照りがみえてきます。素晴らしいです。「夜の秋アクリル越しのきつねそば」。外食の「きつねそばと」「夜の秋」とてもが響き合っています。「アクリル越し」が昨今の情勢を表して感嘆です。「しなやかに起ち上がる夜の芋虫」。芋虫がしなやかに起ちあがるとはなんとも素敵です。 どう言うことかと考えると少し艶めいてくるので、これ以上は沈黙です。

高木 水志

特選句「思念とは濯ぐものですか驟雨」。思念という言葉は抽象的なものだが、驟雨という季語と取り合わせることで、具体的な形が見えてくる。心の叫びがひしひしと伝わってくる。

田中 怜子

特選句「秋ついり中村哲の壁画見ゆ」。中村哲さんが殺され、あっというまに米軍が逃げ混沌の状況のアフガン、ため息です。「瀬戸内の島は飛び石おにやんま」。列車で岡山から香川に行ったとき、鈍色の海面に島がぽこぽこ浮いていて、それを思い出しました。ダイナミックに飛び石ですか。それこそ筋斗雲のごとく瀬戸内を駆け回りたいですね。オリンピックもパラリンッピックもよくみてないのですが、片腕のランナー傾ぐとは本当にそうだ、と思いました。車椅子やブレードですか、本当に機械の力を借りて、筋斗雲のごとくすっ飛びますね。

鈴木 幸江

特選句評「どう救う蝙蝠の子の地に落ちて」。新型コロナウイルスは、蝙蝠が原因だろうと言われている。人と野生動物との暮らしの接近が原因の感染症の発生が近年多いと学んだ。しかし、蝙蝠に罪はない。この事実を大きな問題点として倫理観を込めてこの句は提示している。これからの,我々の生き方に係る大切なテーマとして共鳴した。

男波 弘志

「晩夏光波が綴じがゆく砂の本」。壮大な物語が横たわっている,嘗て波打ち際をどれだけの人が歩いただろうか、どれだけの人が砂に足跡を残しただろうか。そして、どれだけの足跡が洗われたであろうか。即物に徹するなら「晩夏光波が綴じゆく本砂に」であろう。功罪相半ばではある。「縦笛の小指二学期始まりぬ」。縦笛と子供の取り合わせがよく効いています。日常、ここを抑えていなければ精神の風景は決して育たない。「どう救う蝙蝠の子の地に落ちて」造化に従い造化に還る、蝙蝠の親に戻す以外術はあるまい。刹那の戸惑い、これも人間の業、兵器を作るのも人間、落っこちた鳥を救うのも人間、救いようがないのは人間。「用の無き部屋も灯され盂蘭盆会」。日常にある不思議、その日ばかりは家中が灯籠のように灯されている。全て秀作です。

増田 暁子

特選句「虫しぐれ星座は神の透かし彫り(増田天志)」。神の透かし彫りの言葉に共鳴しています。星座の表現が素晴らしい。特選句「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。心残りの出発でしょうか。林檎にナイフを入れたまま の下句が何とも胸を打つ。上手い表現ですね。「人になる前の息遣う秋の蝶」。感性に感心します。小さき者への慈しみですね。「もうずっと少女のままよ秋の蝶」。生命の終わりへの惜別を感じます。「夜の秋アクリル越しのきつねそば」。よくある光景ですが、アクリル越しが良いですね。「車椅子は筋斗雲(きんとうん)か露万朶」。車椅子が好きな時に空を跳べたらと思う気持ちが胸に沁み入ります。「刈り入れや黄泉の家族がニ三人」。気づくと手伝いの家族が増えているような。忙しい時は猫だけではなくて。「瀬戸内の島は飛び石おにやんま」。瀬戸内の島々の美しさには感激です。おにやんまがピッタリです。

すずき穂波

特選句「トンネルの昏きひかりを草笛吹く」。過疎の、廃線の、夏草に覆われ、朽ちかけているトンネル、その入口。涼風が気持ちいいが、通り抜けるには、ちょっと心細い?「草笛吹く」がその微妙な心情を表している~と共鳴。特選句「サヌカイトどこ叩いてももう秋か」サヌカイトは讃岐岩(かんかん石、聲石)の名、スマートで聴き心地よい何と素敵な名前の石でしょう。叩けば秋天高く響くのでしょうね、シンプルに素直に秋は今年も到着したようです‼

三枝みずほ

特選句「八月や騙されそうで笑っちゃう」。八月という季語の斡旋により平和や社会への不安が感じ取れる。誰に騙されるのか、戦前にもあった報道による思考の統一化とともに民の分断を思う。この句は理屈っぽく重くなりがちなテーマを軽いタッチで描きつつ、真理をついているのではないか。根底にある作者の静かな怒りがみえる。

☆海程香川句会は、多様性に富んでいるから句稿を拝見するのが楽しいです。今回の特選句のような社会性を帯びた句もあれば、伝統的な作風や混沌とした不思議な作品もある。本当にいいものはこういう土壌からなると思いました。切磋琢磨していきたいですね。→ まったく同感です!

野澤 隆夫

特選句「マンゲツノヨニフジヨウスル ヤマトヨリ」。「宇宙戦艦ヤマト」の指令が入るファンタジー性がカタカナで書かれ、面白い!こういった俳句もできるのですね。もう一つの特選句「チョイ悪の蜻蛉らしきよけふもくる」。蜻蛉にもチョイ悪のがいるのかと。そんな悪が今日もきたのに感動しての作句。感性がいいです。

石井 はな

特選句「通いつめこの家のヒモとなりにけり」。どんな経緯なのでしょうか?ぬけぬけと言っているのが、ほのぼのと愛情を感じます。

重松 敬子

特選句「晩夏光波が綴じゆく砂の本」。夏の終わりには,一抹の寂しさを感じる。子供の頃も今も変わらない。波が消し行く思い出を,平易な言葉で情感豊かに表現できていると思います。

竹本  仰

特選句「ノンと言ふ少年が棲む曼珠沙華」。雨あがりの曼珠沙華ならこんな感じかと思う。みずみずしく濡れた花びらの赤い反り、あれはたしかに「ノン」と言っている。曼殊沙華のかつてのイメージからすると、異色の絵が出てきたという感じである。しかも、その「ノン」は軽く、かえって人を爽やかにする「ノン」だろう。あの整然としているようで実は乱雑な咲き方、その辺の呼吸も見事に生かされているのではないかと思った。特選句「地図の道とぎれてからの花野道」。安部公房『砂の女』では、ハンミョウ(みちおしえ)が地図から外れるガイドとして登場する。普通の話は、そこで失踪した、ということで終わるのだが、そこからの話だから値打ちがあったのだと思う。それは『罪と罰』も然り。殺人からスタートする話なんてありえなかったからだ。そこから先には何があるの?与謝野晶子なら「なにとなくきみに待たるるここちして」と素敵な恋を待っていたのだろうが、この句のこの先には何が待っていたのだろうかと思うと、少しミステリーな味わいがあり、何も見えないという魅力があるところもいいと思った。特選句「青鬼灯吸うや爪立ちて少女」。鬼灯の笛をつくるため、精一杯に背伸びしている。この背伸びが自分だったのだという回顧の句かと見た。一句に凝縮された人生の句なんだろうなと感心した。と同時に、獰猛な純粋性とでもいうべきものが感じられた。問題句「暁闇の茸眼裏まで真白」。この茸、ひょっとして夢に出たもの?茸好きな人なら、そういう夢に陶酔して、その匂いを吸い込んでいたということもあるだろう。それは往々にして、覚醒ののち、色彩に転化される。というようなことかなと。本当に謎を感じた句である。

毎回、ありがとうございます。台風一過、ちょうど神戸のある病院に検査入院していて、看護師の方、清掃の方から、淡路島に帰れる?と声を掛けられ、そうなんですか?と、いたってのんびりした本人でした。無事に帰られて、爽やかな夕刻の散歩を楽しんでいます。いい季節です。小豆島がまた情緒たっぷりな夕景色を楽しませてくれます。みなさん、また、よろしくお願いいたします。

桂  凜火

特選句「夕風に騒めく稲穂民の声」。民の声が届いて欲しいですね。とても共感しました。騒めく稲穂は控えめでいいですね。

吉田 和恵

特選句「夕菅に兄の隠した涙壺」。我慢強いお兄さんの涙を「夕菅の涙壺」と過剰とも思えるウエットな言葉で表わされています。お兄さんに対する想いが伝わってくるようです。

伊藤 幸

特選句「列島はコロナ東雲(しののめ)に滾る蜻蛉(あきつ)」。文句なし佳句。コロナコロナと大騒ぎしている人間たちを他所に見て、蜻蛉は今年も元気に生まれ飛び回っている。長命であるが故の人間のなんと悲しい性。

滝澤 泰斗

特選句「晩夏光波が綴じゆく砂の本」。一読して、パット・ブーンの「砂に書いたラブレター」あるいは、「想い出のサントロペ」のメロディーが過った。ひと夏の出来事が淋しく時の彼方に沈んでゆく様が描けた。特選句「歓声無くバックネットに蝉の殻」。オリ・パラも含め、何もかもコロナで無観客が続いた2021年の夏を象徴する時事俳句と受け取った。メダリストはもとより競技者はⅠOCや政府の目くらまし使われたような感覚はまさしく蝉の殻かと・・・。以下、共鳴句「アフガンのニュース見終えて西瓜切る」。シルクロード上の国で行きそびれたアフガンには40年来の思いがあり、アメリカの撤退は歓迎すべきことだが、イスラム原理主義の傍若無人ぶりのタリバンを支持できない。大国の覇権主義の狭間で喘ぐアフガンで中村哲さんが敷いた灌漑水路の先で豊かに実った瓜をみんなが笑って食む日が一日も早く来る日を祈る。「夏の夜の問解くが如星座降る」。一つの問いに数多の解がある・・・夏の夜、星座となるとマンネリになりがちなところを振り向かせてくれた。「虫しぐれ星座は神の透かし彫り」。「夏の夜の問解くが如星座降る」の星座をこちらは透かし彫りにしてふりむかせてくれた。「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。様々なドラマにワンシーンを想起させてくれ楽しい一句。十七文字に無限の広がりをかんじさせてくれた。

松岡 早苗

特選句「夜の縁の玻璃の向こうに秋の雨(佐孝石画)」。硝子を濡らす冷たい秋の雨。雨音を聞きながら夜の深い淵に沈潜していくような感覚。透明感もあってとても素敵です特選句「濡れている目玉のあとや空蝉よ」。抜け殻の目玉の跡が濡れているところに、蝉の羽化時のすさまじいエネルギーの残滓を見て取り、鮮烈な感動を覚えているのでしょうか。下五の「空蝉よ」は、空蝉への呼びかけとも自分自身への詠嘆とも取れ、対象に深く没入してこそ生まれる佳句と感服いたしました。

吉田亜紀子

特選句「ノンと言ふ少年が棲む曼珠沙華」。 「ノン」と「曼珠沙華」。この組み合わせが面白い。「ノン」という言葉から外国の少年だろうかと推測される。そこに、日本や中国に多いという、「曼珠沙華」。お洒落でもあるなぁと思いました。特選句「チョイ悪の蜻蛉らしきよけふもくる」。この句も面白い。「チョイ悪」と「蜻蛉」。今回は、言葉の組み合わせが面白いなと感じながら拝見しました。

野田 信章

特選句「列島はコロナ東雲(しののめ)に滾る蜻蛉(あきつ)」。の「列島はコロナ」とはいつ終熄するともわからぬ現実の哀切感がある。その中においても季節の移ろいの何と正確なことかと驚かされることもある。東の空がほのかに白んでくるころのたなびく雲の設定が美しい。そこに「滾る蜻蛉」の群れとは滾々(こんこん)の音感を呼び覚ましてくれる生命力の漲りがある。実際にこのような夜明けの景に出合うときはわがいのちのよみがえりを覚えるときでもある。

柴田 清子

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。水に溺れる魚そのものに特選を与えたいです。迷はず特選としました。この句の深い部分、核心に触れる能力感覚はないけれど。特選句「通いつめこの家のヒモとなりにけり」。こんな句に出逢うなんて。内容が強烈、季語がすっとんだのかなあ。それでも、魅力ある特選句とさせてもらった。

田口  浩

特選句「通いつめこの家のヒモとなりにけり」。―このヒモ存外役に立つ。便利な男かも知れない。「通いつめ」巧いです。「健次の忌水に溺れる魚あり」。―中上健次と言えば和歌山熊野を思う。「水に溺れる魚あり」とは、彼の近代差別との闘いかも知れない。この句とは関係ないのだが、四方田犬彦の『貴種と転生・中上健次』をしきりに読みたいと思う。「暁を覚めている母蓮の実飛ぶ」―この句、聖も感じるが妖もあろう。「暁を覚めている」のあかつきをそう読みたい。「蓮の実飛ぶ」がその感じをもたらして深い。「向日葵は皆後ろ向きうふふふふっ」―笑っている何かが、向日葵にいまにも悪さをしそうな気配。向日葵の正面でなく、スキだらけの背後を捕らえておもしろい。「延命処置否と言う母つくつくし」。―「つくつくし」でも一句であるが、淋しさが勝ちすぎないか?ここは逆にパッと明るいものを置いたほうが、母の気質が表れよう。勿論これはこれでいいのだが・・・・。

菅原 春み

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。いかにも健次にふさわしい瑣事だ。魚が水に溺れるなどの発想が驚きです。特選句「草むらをほろほろと人虹の根へ」。ほろほろと人がいい。虹の根はいく人たちはいったいどこへいくのか? 黄泉の国?

植松 まめ

特選句「晩夏光波が綴じゆく砂の本」。とても詩的で好きです。晩夏は物悲しくもあり人を詩人にします。トワ・エ・モワの「誰もいない海」を聞きたくなりました。特選句「星のごと花の散りぼふ廃教会」。も美しい詩のようです。そうでした俳句はいちばん短い詩だったのですね。

銀   次

今月の誤読●「首太き僧の早足いわし雲」。ボクたちはその人のことを「おしさん」と呼んでいた。おそらく村人の呼ぶ和尚さんがナマってそうなったのだろう。短躯で目鼻立ちの大きい、快活な人だった。ボクたちが登下校で歩いていると、うしろからやってきて、追い抜きざまアタマをポンポンと撫でてゆくのが常だった。「痛えなあ、なにすんだよ」と文句をいってもおしさんは「仏さまのおすそ分け」と笑って早足でいってしまう。ある日のことボクたちは仕返しをしようと企んで、おしさんを草原に潜んで待ち伏せた。おしさんがやってきた。ボクたちはワッと飛び出し、口々に「仏さまのおすそ分け!」と叫んで、青く剃った彼との頭部を飛び上がるようにして叩いた。逃げようとしたら、うしろからおしさんの大声で笑う声がした。振り返ると、真顔になったおしさんが両手を合わせて「ありがたや」とつぶやいているのが聞こえた。なんだか肩透かしにあったようで、ボクたちは妙にガッカリした気分になった。夏休みはおしさんのお寺の本堂で勉強会をするのが習わしだった。そんなとき、おしさんは「ちょっと休もう」と言い出した。そして「聴いてみるか?」と黒いLP盤を取り出しプレイヤーにセットした。聴いたことのない音楽だった。「なんだコレ?」と見交わすボクらに、おしさんが「コルトレーンという人の『至上の愛』という曲だ」といった。ボクはそのワケのわからない曲に耳を傾けながら、寝転んだ。ご本尊さまと風に揺れる天蓋、そしてジャズ。いまから思えばなんとゴージャスな夏だったろう。おしさんの訃報を聞いたのはボクが東京の大学に通っているときだ。なんでも脳梗塞で亡くなられたそうだ。ボクはCDラックからコルトレーンを取り出し、久しぶりに「至上の愛」を聴いた。カーテンを開けると、秋空をせかせかと足早にいくおしさんのうしろ姿が見える。もういいのに。そんなに急がなくても、行くところは決まってるのに。

山下 一夫

特選句「嗅ぎて放る檸檬眼球揺れしまま(小西瞬夏)」。眼球が揺れるほど鮮烈な檸檬の香が伝わってくるようです。臭覚色覚、放るという動作と身体感覚が詰め込まれていて、とても生々しくダイナミックな句です。特選句「草むらをほろほろと人虹の根に」。「ほろほろと」を「ぱらぱらと」と解しました。なぜ人がそのように草むらをゆくのか。「虹の根」から、幸を求めてなのかもしれませんが、情景からは身に染みるようなさみしさが伝わってきます。大変に心情の喚起力が強い佳句と思います。問題句「鱧好きの妻鱧の貌して眠りけり」。そうそうとは思うものの、やはり口外してしまってはいけないのでは?相手も「酒くらい夫信楽焼の狸のよう」とか思っているかも。「健次の忌水に溺れる魚あり」。賢治の間違いかと思うも中上健次と了解。いろいろな含みを連想する。「青柿に決断迫ることいくつ」。時熟が肝要。あるいは「青柿」は「青ガキ」か。「いなびかりできることならほめてほし」。親や目上がやたら威張っていたのはどの辺の世代まででしょうか。

河野 志保
特選句「噴水に頂点のある旅ごころ」。噴水を眺めるゆるやかな時間にふと湧いた旅ごころ。コロナ禍の今だからこその感情か。さりげない発見が魅力的な句。

山本 弥生

特選句「用の無き部屋も灯され盂蘭盆会」。長引くコロナ禍にて今年のお盆にも孫達も帰れず空部屋のままであるが、仏様へのご供養に全部の部屋に電気をつけて明るくして皆が居るような気持になり無事を祈った。

新野 祐子

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。九二年八月に急逝した中上健次さんでしょうね。作者は中上さんの愛読者なのでしょう。全作品を読み通して(?)なぜ「水に溺れる魚」という措辞を用いたか、ぜひお聞きしたいものです。「故郷へ足踏み込めぬ秋彼岸」フクシマを思い浮かべますが、他にも豪雨や地震によって多くの方々が故郷へ帰れない、この災害多発の現在。何とか、これ以上の気候変動を押さえることはできないでしょうか。切実さが伝わります。

伏   兎

特選句「虫しぐれ星座は神の透かし彫り」。満天の星と、虫の声が響く山の夜を想像。とりわけ神の透かし彫りという表現が美しく、鳥肌が立った。特選句「瀬戸内の島は飛び石おにやんま」。瀬戸内海の島々を遠くに、蜻蛉の群れる秋の野原が目に浮かぶ。ノスタルジー感が止まらない句だ。「湿原のような感情月あかり」。蒼い月の光が照らしだす湿原に込められた、作者の心象がミステリアスで、惹かれる。「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。誰かを傷つけてまでも、夢を追いかけてゆく気持ちなのかも知れない。シュルレアリズムの絵画のようで、共感。     ☆自句自解「健次の忌水に溺れる魚あり」。以前、新聞で中上健次のことを熱く語る記事があり、興味を持ちました。まっとうに暮らしている人には決して理解できない、あえて不幸を招くような生き方をする登場人物たち…私には水に溺れる魚のように感じられました。

藤田 乙女

特選句「ラムネ飲む天の川を胸に入れ」。ラムネと天の川の取り合わせがいいなあと思いました。天の川を胸に入れるという表現が凄いと感じました。特選句「大谷く~ん君への想い緋のカンナ」。私も大谷選手のファンで毎日試合結果をチェックしています。その想いは緋のカンナというのがぴったり当てはまります。他のいろいろな花を当てはめてみましたがしっくりきません。まさしく緋のカンナです。

森本由美子

特選句「サヌカイトどこ叩いてももう秋か」。万物は秋に浸る。サヌカイトのマジカルな響きに反応するように。下五に愁いが。問題句「いなびかりできることならほめてほし」。上五と中七・下五の響きあいが感じとれません。

榎本 祐子

特選句「夕菅に兄の隠した涙壺」。夕菅の花は涙を溜めるには良い形をしている。誰にも見つけられないように、群生するそのどこかに隠すのにも適している。こっそりと涙を流す兄という立場も切ない。

漆原 義典

特選句「マスクして美女も醜女もわかりません」。全く同感です。目は口ほどにものを言うとよく言いますが、笑みを浮かべた口元がいいですね。コロナ時代をよく表現した句だと思います。

高橋 晴子

特選句「暁を覚めている母蓮の実飛ぶ」。覚めている母を感じ思いやっている作者の心を感じる。蓮の実飛ぶは着きすぎだが想像力のたまものとして可とする。

河田 清峰

特選句「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。なぜか哀しい別れのようで好きな句です。

松本美智子

特選句「黒猫の大きなあくび秋暑し(高橋美弥子)」。のんびりとした光景が想像できる句です。黒猫の黒がまだ暑い残暑をよりいっそう、暑くしていると思います。

高橋美弥子

特選句「夜の秋アクリル越しのきつねそば」。コロナ禍の食事の場面も様変わりしました。この句は、夜の秋に対して「きつねそば」を持ってきたところがいいと思いました。問題句「樹木葬きっと小鳥も来るだろう(若森京子)」。季語「小鳥来る」の本意とはほんの少しかけ離れた使い方のような気がしたが何故か気になる句です。

稲   暁

特選句「地図の道とぎれてからの花野道」。地図にはない小道に秋の草花が咲き溢れている。楽しさが目に浮かぶ。

野﨑 憲子

特選句「銀河ふるふる足の無いダンサーに(高木水志)」。「東京パラリンピック2020」の開会式に光る義足で踊ったプロダンサー 大前光市さんの事。感動の演技だった。<銀河ふるふる>の措辞が素晴らしい。問題句「炎天下大人の下の子の悲鳴」。とても惹かれた作品。コロナ禍の中も絶えることない無差別テロ。負傷した子供に大人が覆いかぶさる景に胸が張り裂けそうになる。「銀河ふるふる」の世界も、「炎天下」の世界も、青い水惑星<地球>の上の出来事なのだ。戦の火種の縄張りは生きものの悲しい性。しかし愛の風はいつもいつでも世界の隅々まで吹き渡っている。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

にしひがし青栗吹かれぽつぽつり
三好三香穂
栗羊羹どうせ冴えない街を出る
藤川 宏樹
モンブランちょっと考え甘くない
中野 佑海
傘寿におなりか振り向くと栗の毬(いが)
田口  浩
堂々と文字をまちがう栗の毬
三枝みずほ
父さんはイラチで早起き栗ご飯
野﨑 憲子
引き算
晩年の引き算の憂愁秋深し
銀   次
濃紺のリボンや清し女高生
銀   次
引き算の引くが身に入む齢かな
柴田 清子
余白の美引き算の妙桐一葉
三好三香穂
引き算の引き算の果て 鈴虫
野﨑 憲子
秋蝶や引き算の果て消えちゃった
三枝みずほ
引き算は糸瓜の水を採る以前
田口  浩
リボン
小鳥来る赤いリボンのある窓辺
柴田 清子
リボンてふ雑誌楽しみ遠き秋
三好三香穂
リボンほどけゆくよう空耳の昼
三枝みずほ
ついと結ばれて秋のリボンの嘶く
野﨑 憲子
靴のリボンの解けし秘書来曼珠沙華
中野 佑海
秋刀魚
晩秋や身に引くもののなかりけり
柴田 清子
をかしみは我らの根っこ秋刀魚燃ゆ
三枝みずほ
二輪足す五輪七輪秋刀魚の目
藤川 宏樹
路地裏の秋刀魚が逃げてゆくところ
柴田 清子
秋刀魚焼く汝れも身を処す陽だまりか
田口  浩
大漁旗なびかせし夢秋刀魚船
野﨑 憲子
自由題
のっそり渡る猫に釘付け朝の露
中野 佑海
水澄むと命洗はれゐたりけり
柴田 清子
わが老いに金粉を播く秋の天
田口  浩
生かされて釣瓶落しの真ん中に
野﨑 憲子
片陰り五剣山は半裸かな
佐藤 稚鬼
塗下駄をきしらせ水打つひとの妻
佐藤 稚鬼
ここは天国かい狐の剃刀
藤川 宏樹

【通信欄】&【句会メモ】

コロナ感染者が少なくなり2か月ぶりに高松での句会ができました。生の句会はこの時期リスクもありますが、緊張感も増し、とても充実した楽しい句会になりました。サンポートホール高松七階の和室の窓際には薄紫の藪蘭が風に揺れとても爽やかな半日でした。

句会は年11回の開催で、次回は11月20日に開催します。今から楽しみです。

2021年8月31日 (火)

第120回「海程香川」句会(2021.08.21)

朝顔.jpg

事前投句参加者の一句

            
明かり消す蝉声ひとすじ射しこむかに 田中 怜子
凌霄の残像として妣ありぬ 新野 祐子
かなかなや菅義偉の三白眼 高橋美弥子
油滴天目手の平の晩夏光 荒井まり子
ジンクスの右足から履く溽暑かな 中野 佑海
鯨鳴き夜が潮に挟まれゆく 中村 セミ
氷カリンッ冷めやらぬ日韓戦 藤川 宏樹
銀漢や一億人が欠けて往く 豊原 清明
夕蝉や猫背におどろく己が影 佐藤 稚鬼
与太殿やハエが手をするはげ頭 田中アパート
須磨浦に風の散骨晩夏光 樽谷 宗寛
蝉の殻老いて人間くさく生き 久保 智恵
炎天や母の日傘に影ふたつ 銀   次
斑猫と屋島古道を探鳥す 野澤 隆夫
夏の帯ざらついている恋心 石井 はな
赤黒のクレヨンえがく原爆忌 増田 天志
カーブミラーの奥の青さよ芒原 松本 勇二
生キルノカ終ワレナイノカ蟬生まる 桂  凜火
義母逝きて最期の教え「死を想え」 滝澤 泰斗
蛍の夜を茫茫と籠に飼ふ 小西 瞬夏
かばかりと成らぬばかりの蚊の痒さ 鈴木 幸江
指先の痛みを試す合歓の花 河野 志保
平べったい老身ですが熱帯魚 すずき穂波
ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み 植松 まめ
空蝉を集めた指の匂い嗅ぐ 榎本 祐子
油蝉最終章も近くなり 漆原 義典
ブロンズの肉の林に歩み入る 兵頭 薔薇
風を褒める巡礼青田波立てり 竹本  仰
体内を野生馬過ぎる晩夏光 重松 敬子
八月を抱き分けあわん鐘の音に 松本美智子
棒アイス猫のくしゃみしほどの旅 夏谷 胡桃
ダルマさん転んだ先のあきあかね 十河 宣洋
梅花藻や夜をゆるやかにひらきをり 三枝みずほ
青柿に真紅の車還り来る 高橋 晴子
髪洗ふ光の下に立ちたくて 亀山祐美子
シートベルトに括られ西瓜熟れけり 河田 清峰
天吼えて雨水平に野分かな 三好三香穂
武州南風(みなみ)土偶の乳房尖りたる 矢野千代子
みーんみんみんヒロシマかなかなかな 島田 章平
露草の色満つところ微笑仏 津田 将也
母の遺影を掛け直しおり夏座敷 大西 健司
龍神の祠つくつく法師かな 福井 明子
もろこしにも味噌っ歯ありて笑ってる 稲葉 千尋
頂に立つと重なる夏の山 吉田亜紀子
虹消えてひとまず老いに戻りけり 田口  浩
夏の我が俳句2Bのごとくかな 寺町志津子
瑠璃蜥蜴ガサッと私は未亡人 若森 京子
病養う葉月朝星葉虫居て 野田 信章
白さるすべり近くて遠い母の駅 吉田 和恵
狗尾草束ね信心厚からず 谷  孝江
蝉しぐれ一歩届かずバス発車 山本 弥生
逆上がり一生出来ず虹の反り 小山やす子
目に見えぬ遺伝子きょうも冷奴 伊藤  幸
頬杖という舟あり夜を濾す途中 佐孝 石画
冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺 伏   兎
ひまわり咲く体外受精児の父となり 増田 暁子
深草の百夜(ももよ)通ひや秋の蝶 松岡 早苗
とうすみの身体を抜けて風になる 高木 水志
パンの耳切り落としたる敗戦日 菅原 春み
霧立ちし山の覚醒鳥兜 飯土井志乃
厨から蛍袋へ逃げましょう  川崎千鶴子
炎帝の深部体温上昇中 野口思づゑ
朝焼や潮水かけて船浄め 森本由美子
親許は全部遺品に蝉の殻 山下 一夫
父の忌の蝉の中から水こぼれ 男波 弘志
今日も雨後の衣を更へにけり 柴田 清子
ゆらゆらと母の胎内天の川 藤田 乙女
法師蝉直線で啼き点で消ゆ 佐藤 仁美
ねむたげなほうのほたるがわたしです 月野ぽぽな
あやかしのパラダイスなり天の川 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「パンの耳切り落としたる敗戦日」。「パンの耳」を「切り落とし」という行為は日常のありふれたものであるが、「敗戦日」とあわされたとたん、なにか不穏な残酷な空気を醸し出す。日常と非日常の混沌が表現された。

松本 勇二

特選句「ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み」家系を繋いでいくことの大切さ深さを思う。お盆の月なればこその思い。季語「胡瓜揉み」により油っ気のないさらっとした句に仕上がった。作者の静かな暮らしぶりも見えてくる。

福井 明子

特選句「ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み」胡瓜揉みを食卓にのせる。ささやかな夏の夕暮れの暮らしの一場面から、人が生きつないでゆかねばならぬ息遣いがあります。特選句「滴りのリズム山河は生きている(増田天志)」山河は生きている、と一気に言い切ったところがさわやかであり、そこに今、「生かされている」という感慨が伝わります。

津田 将也

特選句「武州南風(みなみ)土偶の乳房尖りたる」。「武州」は現在の東京都、埼玉県のほとんどの地域、神奈川県の川崎市、横浜市の大部分の地域をさす。正しくは「武蔵の国」と称され、武州はその異称である。季語「南風(みなみ」、俳句では陰鬱な雨がちの梅雨に吹く南風を「黒南風(くろはえ)」、梅雨明け後の盛夏の南東季節風を「白南風(しろはえ)」と言う。三夏の季語である。また「まぜ」「まじ」とも詠まれる。縄文時代の「乳房土偶」の国宝は六体あるが、そのうち五体はどれも豊満な肉体と乳房を誇る立体的土偶だが、もう一つは、さいたま市「真福寺」で出土した円板を貼り付けて造形したような平たい土偶である。顔や目と口、乳首などが円板状に表現されユーモラス的にかわいい。盛夏の武州、心地のよい乾いた季節風にいじられ、土偶の乳首も尖って見えてくる。特選句「とうすみの身体を抜けて風になる」。「とうすみ」は糸蜻蛉のこと。「豆娘」と字をあてることもあるが、俳句ではあまり見ない。灯油を浸して火を点す細い灯芯に似ているところから、「灯芯蜻蛉(とうしんとんぼ)」「とうすみ(=灯心のこと)」とも詠まれている。「身体を抜けて風になる」の繊細な比喩的表現により、佳句になった。平易な表現がよく、これぞ俳句の感がある。

若森 京子

特選句「石畳鎖骨に響く巴里祭(菅原春み)」まず、石畳の多いパリーの風景を浮かべたが日本でも最近の都会は土が少なくなっている。そこで多勢の人間が動いている。巴里祭を又違った角度から視て面白い。特選句「滴りのリズム山河は生きている」。「滴りのリズム」で自然界の命を思う。そこから宇宙へと拡がり「山河は生きている」の力強い発語となったのであろう。

増田 天志

特選句「鯨鳴き夜が潮に挟まれゆく」ポエムだなあ。なるほど、鯨の潮吹きは、絵によると、Y字形。夜の闇は、挟まれる。句意は、生きることの悲哀。孤立無援。

島田 章平

特選句「梅花藻や夜をゆるやかにひらきをり」。「梅花藻」の見頃は7月下旬(梅雨明け頃)〜8月下旬。梅の花に似た小さな花をつける。澄み切った水面に、月光を浴びて優しく揺れる梅花藻。コロナ禍の中で傷つけられた心や体が梅花藻の戦ぎの中に癒される。

稲葉 千尋

特選句「凌霄花美男のままで出棺す(若森京子)」季語と中七下五のギャップ良し。特選句「冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺」禅宗妙心寺派の本山と冬瓜のスープの取り合せの妙、見事。

 
小山やす子

特選句「体内を野生馬過ぎる晩夏光」夏が過ぎても未だ身内にたぎる力を感じている…。それを野生馬過ぎると表現されているのは素敵です。

豊原 清明

特選句「夕蝉や猫背におどろく己が影」瞬間、じっとしている定位置のイメージ。いい句。問題句「秋立ちぬ感染リスクという妖怪(森本由美子)」現在の状況を「妖怪」と捉えた一句。感染リスク、人間皆のテーマか。

男波 弘志

「生キルノカ終ワレナイノカ蝉生まる」いつ終わってもいい、そういいきれる瞬間に違う何かが降りてくる。対立概念からの脱却が許されない矛盾。そこにこそ、存在そのものが在るのかもしれない。蝉生まる、が生そのもなので少し損をしている。生と死の狭間にある何かを据えるべきだろう。秀作。「ブロンズの肉の林に歩み入る」肉そのもののブロンズ、精悍なる騎士だろうか、裸婦だろうか、敢えて無季にしたところに妙味がある。秀作。「虹消えてひとまず老いに戻りけり」華やぎに溺れない確かな美意識が老いの真骨頂だろうか。虹、それ以上の何かと交歓している。世阿弥のいう 老いの花 だろうか。秀作。「瑠璃蜥蜴ガサッとわたしは未亡人」何故ルリトカゲなのだろうか、この華やぎはなんであろうか、青楼の女、それとは違う、ふてぶてしいまでの存在感がある。瑠璃色がガッサと落ちてきてしまった、もうそこに居るしかない。秀作。

大西 健司

特選句「風を褒める巡礼青田波立てり」山中そして海辺の径を経巡る巡礼の、青田を前にした安堵感が胸に沁みる。思わず風を褒めたのだろう。

桂  凜火

特選句「眠い日の向日葵ちぐはぐ時計です(高木水志)」辛すぎると眠くなるように思う。ちぐはぐさは、今の世情をよくつかんでいると思いました。特選句「武州南風(みなみ)土偶の乳房尖りたる」土着的でエロスが感じられました。

伏   兎

特選句「ジンクスの右足から履く溽暑かな」ムシムシとした暑さのせいで、朝から嫌な予感にとらわれているのかも知れない。靴の履き方にも神経を尖らせている様子が目に浮かび、共感。特選句「平べったい老身ですが熱帯魚」若々しく肉感的な金魚にくらべ、華奢なからだの熱帯魚。キラキラしながらも、どこか淋しいこの魚に、老人の矜持みたいなものが投影され、惹かれた。入選句「ひまわりはゴッホの先生種搾る」向日葵といえばゴッホという、マンネリ感を逆手に取った目からウロコの面白さ。入選句「眠い日の向日葵ちぐはぐ時計です」体内時計がすこし狂っていそうな、夏の終わりの疲労感。太陽の下たっぷり遊んだ充実感も息づいている。

中野 佑海

特選句「油滴天目手の平の晩夏光」国宝級の油滴天目茶碗でなくても模倣品でも吸い込まれる様な小宇宙。ずっと観ていたいです。そこから、放たれる光は爛熟の極み晩夏の光。もう、秋が来るのかな。特選句「棒アイス猫のくしゃみほどの旅」中に小豆餡の入ったミルクアイス。大好きでめっちゃ大事に食べてるのに何故かあっと言う間終わってしまう。楽しい時間て猫のくしゃみほどのの長さなんですね。「鬼 水になるべく午睡せり」何時までも鬼でいるのはくたびれる。昼寝をして元の人間に戻れるのなら、どんなに嬉しいか。それが叶わないならせめて、水になって、無かったことにならないものか。「蝉の殻老いて人間くさく生き」だんだん年を取って行くにつれ、柵みばかりをかぶって、考え方が硬くなる。せめて、蝉の殻を脱ぐようにもっと柔らかく自由に人間らしく生きて行きたいもんだね。「カーブミラーの奥の青さよ芒原」ふっと曲がったら反対側は夏草の原っぱ。風に吹かれて自由に生きている芒。私は原っぱとは反対側に生きている。「かばかりと成らぬばかりの蚊の痒さ」こんなにも痒いなんて、もう、我慢できない。「秘められし大地の滾り彼岸花(飯土井志乃)」本当は大地は煮えたぎっているんだ。そのうめきが彼岸花。納得。「露草の色満つところ微笑仏」ふと見つけた道端の露草。花のなかから出ているおしべとめしべ。まるで微笑仏の様な愛らしさ。「あやかしのパラダイスなり天の川」天の川は本当は百鬼夜行のカーニバル。「雷雨来る魂どもる斜陽館(夏谷胡桃)」私が斜陽館に行ったときも土砂降りの雨の夕方。太宰治の感性を「魂どもる」とは、その通りと思いました。

十河 宣洋

特選句「鬼 水になるべく午睡せり(田口 浩)」鬼の採り様によってさまざまな読みができる。かくれんぼの鬼ならかわいい子供。鬼婆なら、寝ているときの安らかな顔が見える。この人にもこんな安らかな顔があるんだという想い。他にもあるが他は省略。特選句「目が合って少しバタバタする噴水(河野志保)」公園の噴水が風で揺れる様子が楽しい。

三枝みずほ

特選句「みーんみんみんヒロシマかなかなかな」反戦反核の強い思い。戦争に限らず、私たちは「みーんみんみん」の只中にいる時、声の大きさによって自分の意思を決めていないだろうか。情報操作されていないか、「かなかな」が事後のものにならぬよう考えなければならない。特選句「狗尾草束ね信心厚からず」信心が"厚くない"と言えるのは、信心があるからこそだ。素朴なものを想う心に溢れている。

谷  孝江

特選句「吾を包み籠むおととしの揚花火」。「おととしの」で少しばかり切なさを感じました。昨年も今年も地味な揚花火で夏が終りました。五つ六つばかり見えたでしょうか。夜空を焦がすような花火にもう一度出合いたいものです。

藤川 宏樹

特選句「逆上がり一生出来ず虹の反り」逆上がりは出来たけど蹴上がりには苦労し、暗くまで練習したことを思い出しました。マラソン、トライアスロンにもかつて挑みましたが、一生無縁と思ってた俳句に今頃になって夢中になるとは・・・。作者は「逆上がり」に「虹の反り」を付ける素敵な方、諦めないで。きっと出来るようになりますよ。

夏谷 胡桃

特選句「髪洗う光の下に立ちたくて」光の下に立ちたいなぁ。まわりが暗くくらく沈んでいくような鬱な気分です。髪洗ってシャキッと外に出たい。いつかいい知らせを待つ気持ち。特選句「パンの耳切り落としたる敗戦日」日本が戦争に負けて正式に第2次世界大戦が終わったのは、9月2日の降伏文書に日本が調印した日。各国では9月が戦勝記念日とのこと。戦争は終わった終戦記念日もいいけれど、敗戦日も覚えておきたいですね。パンの耳がいい。切り落としたパンの耳が美味しくて、台所に立ってパンの耳を齧りながら敗戦日を思う。

去年から地元の「草笛」という俳句超結社の会員になりました。この夏の大会で、評論賞をいただきました。「飯島晴子論 ひとりぼっちょの楽しみ」というのを冬に書いていて応募したのです。 まずは嬉しかったです。

田中 怜子

特選句「もろこしにも味噌っ歯ありて笑ってる」粒がそろってないということは自分が育てたのか(都会なら貸農園)。一寸育ちが今一かなと、まあまあかなと言いつつ、がぶっと噛むと、しぶきが飛びちる。みずみずしい、といいながら食べている姿が目に浮かびます。特選句「シートベルトに括られ西瓜熟れけり」たぶん冷房がない、もしくはつけてない古い車に大きな西瓜がでんと。しかもシートベルトで抑えている。車内の熱気と黒光りする、または縞柄の西瓜が目に浮かびます。

川崎千鶴子

特選句「ひまわり咲く体外受精の父となり」季語が清潔で明るく、「体外受精」と言う難しい言葉を昇華させています。本当に本当におめでとう御座います。こころよりお祝い申し上げます。特選句「体内を野生馬過ぎる晩夏光」奔放な血が体中をめぐる老いた晩夏のある日の事でしょうか。若い方でしたら御免なさい。

高木 水志

特選句「みーんみんみんヒロシマかなかなかな」日本の夏の原風景と、人類が忘れてはならないヒロシマの記憶。後世に伝えていかなければならない原爆の恐ろしさ。

樽谷 宗寛

特選句「龍神の祠つくつく法師かな」龍神の祠で修行僧が読経をしているのでしようか?妙なる響きさえ感じました。

香川句会の皆様こんにちは。皆様には、香川句会の吟行や総会でお世話になりました。大阪句会在籍の、樽谷寛子(俳号宗寛)です。皆様の力作『青むまで』拝読させていただきました。わたくしは、三方を葛城金剛、和泉連山に囲まれ高野山への、かつての宿場、三日市町の近くに住まいしております。雉や蛙が鳴き先日松の木に、カラスが子を生みました。只今四方八方から、蝉時雨が家の中を突き抜けている状態です。そのような中で、散策や7月から村人達の菜園に参加している専業主婦であります。先日、野﨑様と短い会話の途中[俳句の神様が句会にはいらっしゃる]とおっしゃり、その言霊が入会させていただくきっかけとなりました。[ゆっくりと進歩]を願う私くし。俳句を通し皆様との繋がりを深めてゆきたいと思っております。よろしくお願い申し上げます。

佐藤 仁美

特選句「ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み」 ごく日常の料理の味が、祖母から、母へ、そして子どもへと、受け継がれていく。それを「ささやかに」と表現したのがバチンと心に届きました。この日常の、何と有り難いことでしょうか!コロナ禍でつくづく感じます。特選句「ねむたげなほうのほたるがわたしです」全部ひらがなで、「ねむたげなわたし」が、可愛くてほっこりしました。

河野 志保

特選句「ダルマさん転んだ先のあきあかね」 リズミカルでコミカル。心地よい句。すってんころりん、ばったり出会ったあきあかね。こんなふうに秋を見つける作者に思わずにっこり。

野澤 隆夫

特選句「かなかなや菅義偉の三白眼」。「すが」とスマホに入れたら「菅義偉」が出てきて驚いた!ヒグラシの鳴き声の儚い感じがぴったり。もう一つの特選句。「炎天や母の日傘に影ふたつ(銀次)」なんかドラマチックで物語性があります。さて、どんな進展があるのだろう!

すずき穂波

特選句「瑠璃蜥蜴ガサッと私は未亡人」衝撃的な句でした。直球で投げて来られ、心に響き渡る句。茂みから出し抜けに出て来た「瑠璃蜥蜴」は、寡婦でなく後家でなく「未亡人」という何だか美化された象徴そのもの。このきらきらした象徴が彼女の悲嘆をギリギリのところで支えてくれているのかも……、などと思いを馳せました。特選句「厨から蛍袋へ逃げましょう」なんと可愛いらしい逃げ方ですこと‼家族間のちょっとしたトラブルでしょうか?円満解決には、もってこいの賢い方法ですね。見習いたいと思いました。

漆原 義典

特選句は「母の遺影を掛け直しおり夏座敷」です。盆に亡母を迎える心境です。私も母の遺影にそっと触れました。素晴らしい句をありがとうございました。

新野 祐子

特選句「遺影そこへ戻す戦死の伯父若し(大西健司)」伯父さんの遺影をいつ、どこへ、どんな理由で移したのでしょう。そして「そこへ戻す」の『そこ』とは、どんなところ?小説の一場面のようで、あれこれ想像してみます。入選句「夕蝉や猫背におどろく己が影」疲れていたのか、打ちひしがれたのか、はやまた年取ったのか。胸張って生きているつもりなのにー。「銀漢や一億人が欠けて往く」むごいコロナ。無辜なる人々に感染し時に命を奪います。今だからこその句と。

増田 暁子

特選句「平べったい老身ですが熱帯魚」熱帯魚が素晴らしいです。老いてもまだまだ他の人を楽しませて、自分もまた輝くつもりだと。特選句「頬杖という舟あり夜を濾す途中」うとうとしながら船を漕ぎ、夜明けになったを「夜を濾す途中」と言う表現に感心しました。「ひまわりはゴッホの先生種搾る」発想が素敵ですね。「逆上がり一生出来ず虹の反り」私も出来ないですが、虹の反りの比喩が抜群にすばらしいです。「とうすみの身体を抜けて風になる」身体を抜けて風の表現がとうすみ蜻蛉とぴったりです。「ドン・ジョヴァンニの序曲始まる紅葉山(重松敬子)」比喩の紅葉山が素晴らしいです。

野田 信章

好作二題。「子に遺すものなし鉄砲百合の花」の句は鉄砲百合の質感を通して、素直な境涯の述懐も清夏の一句として読めるところがよい。遺されるべきものとは何かとしずかに問いかけてくるものがある。「父の忌の蝉の中から水こぼれ」の句は、父情に満ちてたおやかな句調ではあるが、蝉の体内から直に発せられた生理的な「水こぼれ」と即物的に感受することで、忌日の父への想念にも新たなものが加味されてくるのかもと読んでいるところである。  今回は特選はありませんでしたが、好作七句の中から二句について書きました。

鈴木 幸江

特選句評「生キルノカ終ワレナイノカ蟬生まる」表記(カタカナ、平仮名、漢字)の使い分けが良く効いている。蝉の生態には学ぶこと多しと幼いころから思っていたのだが未だ学びきれていない。多分一生学びきれないで終わりそうだ。地下生活を三年から十七年もし地上では一か月足らずの命。老年を眼前にして蝉のごとくガラスのような美しい翅をもち、死ぬ直前までミンミンと鳴いたり、バタバタできたらそれもよい死に様と何故かこの頃は思える。この句に蝉に共鳴して鳴く作者を見た。特選句評「空蝉を集めた指の匂い嗅ぐ」些細なことに好奇心が動いた作者。何を思って指の匂いを嗅ごうとしたのだろうか。人間だって年齢により、性により、風土により匂いは違うだろう。万物に些細な差のあることの大事さを感じたのだろうか。コロナ禍の今、私に目覚めと欲しい感性だ。

中村 セミ

特選句「体内を野生馬過ぎる晩夏光」夏の終わりだが、まだ衰えぬ暑光が、物憂い感覚で身体で感じる中、いつまでも走り続ける野生馬のように、どこまで、この、倦怠感は続くのだろうか、と、勝手に読ませていただきました。もしかすれば、真反対の意味かもしれませんが、と、お断りしておき、特選です。

吉田 和恵

特選句「ひまわり咲く体外受精児の父となり」子を産めば間違いなく母となりますが、父とは認知のプロセスを経てのことですから、ブラックな面もあると言えなくもないですが、体外受精児となるとそこはクリアーして、ひまわり咲く感じなのでしょうか。しかし、それはそれで、ブラックな点もあるかも。よくわかりませんが。

石井 はな

特選句「ひまわり咲く体外受精児の父となり」 熱望していた子供を授かった喜びと、子供をいとおしく思う気持ちが伝わります。おめでとうと言いたくなりました。 そのお子さんが分かるようになったら、この句を詠んであげて下さい。ご両親の深い愛情が伝わると思います。 俳句はこんな力も有るのですね。

月野ぽぽな

特選句「怒りとは光なりけり夏燕(佐孝石画)」。「なりけり」としっかりと断定された、一見正反対のように思える「怒りとは光」。何度となく口ずさむうちに、自分の感情(怒り)を偽らずに受け入れることが、より深い自分(光)と繋がる大切な過程なのだな、と腑に落ちた気がした。IKARIと (ℍ)IKARI の音の相似による韻律が言葉にエネルギーを与え、夏燕がそのエネルギーを受け止めている。  東京四季出版『俳句四季』9月号(8月20日発売)の「俳句と短歌の10作題詠・九月を詠む」へ寄稿しました。もしも機会がありましたらご覧いただけたら嬉しいです。

滝澤 泰斗

特選句「須磨浦に風の散骨晩夏光」海のない信州に生まれ墓は上田にあるが、死んだら生まれ故郷の山にでも散骨をと思っていたが、この句を詠んで、気持ちが揺らいだ・・・特選句「蜘蛛ひそかに見ている逆さ原爆忌(竹本 仰)」八月という月の句に一句は戦争と平和に関する句を選びたいと・・・原爆忌に関する三句ほどの中から最終的に、見たてがユニークなこの句にしました。共鳴句選句は以下の四句。「枇杷は黄に姿見の水脈(みお)ゆたかなり(矢野千代子)」海程長崎大会で豊かに実った鮮やかな枇杷を思い出しながら、詠ませていただいた。姿見に映し出された生命観の豊かさと枇杷の黄が響き合って素晴らしい。「風を褒める巡礼青田波立てり」まなかいに浮かぶ明確な情景にこちらも風を褒めその景色を心ゆくまで味わうことができた。見事。「病養う葉月朝星葉虫居て」病には自然界に自ずから備わっている治癒力を信じて治す。取り合わせに感心した。「ひまわり咲く体外受精児の父となり」新しいテーマに果敢に挑んだ句。私には書けない句と認識しながらも惹かれました。

高橋美弥子

特選句「髪洗ふ光の下に立ちたくて」美しい月の夜に髪を洗う女性を想いました。やさしい香りの漂う一句です。共鳴しました。問題句 「摩訶不思議父母遠ざかる八月(十河宣洋)」父母遠ざかる八月の措辞がとてもよいのだが、それに対して摩訶不思議という上五がもったいない気がしました。

松岡 早苗

特選句は「みーんみんみんヒロシマかなかなかな」ヒロシマの悲劇を、蝉の声だけで強烈に訴えかけてきます。夏から初秋へと音色を変えつつ続く蝉声は、愚かな戦争を繰り返す人類への警鐘とも、悲惨な最期を遂げられた方々への哀切極まりないレクイエムとも聞こえてきます。特選句「厨から蛍袋へ逃げましょう」暗い厨に蛍が紛れ込んでいたのでしょうか。蛍袋の中でぽうっと光る様が想像され、やわらかく幻想的な風情に惹かれました。また、主婦としての日常から逃れ、ゆっくりと王朝文学の世界にでも浸ってみたいような気分にもなりました。

榎本 祐子

特選句「冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺」冬瓜のスープから禅寺の妙心寺への飛躍が面白い。「なんだか」という道筋も読者を無理なく導いてくれる。「なんだか妙~」の字面には遊び心も潜んでいるようで楽しい。

竹本  仰

特選句「鬼 水になるべく午睡せり」選評:『伊勢物語』第六段の芥川伝説に、男が苦労して盗んだ少女を鬼に食べられてしまうという話があった。安吾が『文学のふるさと』で絶賛した話である。で、ここでは男の純情と、少女の純粋さが語りつくされているのだが、さて、鬼は?ということになると、どうなのかと、小生は大いなる疑問を持ち、かつて〈ティンカーベルは死せず鬼澄む芒かな〉という奇体な句を作ったことがある。その鬼とこの鬼が酷似している気がした。パクッと食べた少女がまだ夢の中に住んで、澄んでいるのだ。つまり、芥川伝説を逆さまにしたのであるが、鬼は少年に帰ろうと夢の中では試みていたのでは?と、わけのわからぬ鑑賞をして、楽しんでいたのである。特選句「白さるすべり近くて遠い母の駅」選評:母という謎。もっとも近い所にこそ深い謎がある。そういうことではないのか。しかし、そういう作者もまた、深い謎だと思われているのかもしれない。というか、われわれ一人一人がそれぞれに十分深い謎なんだろうなとも思う。と、奇妙な或る思いに誘ってくれた句でありました。特選句「目に見えぬ遺伝子きょうも冷奴」選評:鷗外『舞姫』では、少女エリスを裏切っていく豊太郎が自分を振り返るのに、自分ならぬ自分に苦しめられる。その自分ならぬ自分とは、恐らく日本人の同族意識のようなものだったのだろうが、日本人をピンポイントで突いた設定だったように思う。解けないXがある。Xを求めよという問題と同時に、Xには解がないことを証明せよという困った問題も思い出す。その解がない日常の一景を出せと言われれば、こんな句なのかなあ、と感心した。

みなさん、お変わりありませんか?非常事態宣言出ました。出たら、淡路島にどっと観光客がふえる仕組みです。このジンクスは今回も破られず、商売繁盛のもようですが、今回はこの狭い島に毎日十人以上の感染者がずっとこの一週間継続中。人口十万ちょっとの田舎でこの増え方は、どうなんでしょね。非常識事態宣言発令中、というところ。まあ、人間のやることです、コロナになめられても仕方ないのかな。いま、淡路島では、コロナよりも人間を怖れる事態が続いています。いつもありがとうございます。みなさん、お元気で。また。次回!

植松 まめ

特選句「白さるすべり近くて遠い母の駅」母と娘は永遠のテーマだろう。私も価値観の違いから母を疎ましく思ったこともあった。白さるすべりが美し過ぎる。特選句「霧立ちし山の覚醒鳥兜」かって行った上高地を思い出した。綺麗でも鳥兜の花を摘まないようにと係りの人が言っていた。

久保 智恵

特選句「子に遺すものなし鉄砲百合の花」私も何も遺すものはなし。鉄砲百合が目に焼きつきます。特選句「摩訶不思議父母遠ざかる八月」お盆の感覚が私と重なります。

伊藤  幸

特選句「蜘蛛ひそかに見ている逆さ原爆忌」戦争を始めたのも惨事を繰り広げたのも悼んでいるのも人間。その人間を見ている冷ややかな蜘蛛の眼差し。アイロニーとも。

菅原 春み

特選句「蛍の夜を茫茫と籠に飼ふ」とりとめもなく蛍の夜を飼ふという措辞に魅了された。しかも籠に飼うふとは。特選句「ゆらゆらと母の胎内天の川」最も明るくて美しい天の川の時期、幸せなゆったりとした胎児の将来までも明るく晴れやかな予感。

野口思づゑ

「夏の月禍・祭典分けており」禍と祭典の間の・必要性がよくわかりませんが「分けており」が効いていると思います。「夕蝉や猫背におどろく己が影」ショーウィンドーに映った自分の姿とか、同じような経験よくします。単に蝉でなく夕蝉が現実感を出しています。今回は特選句は特に選びませんでした。

シドニーはロックダウンが延長され、9月末までになってしまいました。また私の住んでいる地域は、近所は問題がないのですが地区の端っこに感染者が多いため、地区全体が夜間外出禁止になってしまいました。とはいっても、別に夜出歩く事は全くなかったのですが。5キロ圏内の生活にかなり飽きてしまいました。香川県も、早く収束するといいですね。

亀山祐美子

特選句『親許は全部遺品に蝉の殻』「全部遺品に」の「に」が総てを語っています。この捉え方は今までにもあったかもしれませんし、「蝉の殻」が付き過ぎと言えるくらい付き過ぎです。しかし、こう並ぶと「蝉の殻」が総てを包み込み作者の落胆慟哭敬愛を余すことなく伝える。合掌。

吉田亜紀子

特選句「須磨浦に風の散骨晩夏光」故人の供養には様々な方法がある。海洋散骨だろうか、私はまだ出会った事がないので経験がない。だけれど、この句は、光景が見えた気がするのである。「風」から、清々しい気持ちいい風。遺族の優しい気持ち。「晩夏光」から、キラキラと骨が舞う美しい光景。故人の強い生きざま。願いと光景と俳句が一体となった素晴らしい作品だと思いました。特選句「夏山を幾重越えれば故郷や(樽谷宗寛)」切に故郷を想う。「幾重」という言葉から故郷への強い想いが分かる。また、「夏山」が加わって、力強く、ダイナミックにこの句を感じました。

佐孝 石画

特選句「指先の痛みを試す合歓の花」緑中にぼんやりと灯るように咲く合歓の花。その朦朧とした花合歓のオーラに「痛み」を見た作者の詩性に大いに共感する。繊細な花蕊たちは風に揺れながら、何か身体の奥に潜む感情を必死に解放しようとしていうように見える。その疼きのような花合歓の揺れに作者はすうっと染み込んでいき、瞬間的に自身の指先の痛みの感覚の記憶と重なり合っていく。合歓自身、はじめて花という「指先」を得た歓喜のような躁状態で、なかば自傷的に痛みを「試す」に至ったのだろう。そんな花合歓のトランス状態を、視覚から痛覚へと導きながら紐解いた作者の感性に脱帽する。

重松 敬子

特選句「赤黒のクレヨンえがく原爆忌」胸に迫る一句です。もう、あってはならないこと。赤と黒の対比がその悲惨さを表現しています。戦争反対を言うだけではなく、我々にでも出来ることがあるのでは・・・・・。

荒井まり子

特選句「冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺」突然の妙心寺が面白い。きっと澄んだ精神世界でしょう。 

山本 弥生

特選句「親許は全部遺品に蝉の殻」故郷を離れて都会に住み親も亡くなり空家になった生家は全てが遺品になってしまった。遺愛の庭樹の蝉の殻さえも遺品の一つである。

飯土井志乃

特選句「瑠璃蜥蜴ガサッと私は未亡人」何気ない日常とその喪失を描く。地を這う蜥蜴に己を託し、ふり返りし日々は瑠璃色に光る、その喪失は「ガサッ」と跡形もなく崩れて後「私は未亡人」と自己を突き離す強さ、この一句を私は忘れないだろうと大切な一句になりました。

三好三香穂

「油滴天目手の平の晩夏光」天目茶碗の光は宇宙のようである。手に取りじっくり鑑賞している様子。そこに晩夏光、手の平の宇宙はまた違う輝きを放つ。「石畳鎖骨に輝く巴里祭」ヨーロッパの街並は石畳。歩くとガタガタして、コツコツと硬く体に響く。それを鎖骨で受け止めた所が面白い。さて、今年の巴里祭はいかがでしたでしょう。パリの空も遠くなってしまった。「夏の帯ざらついている恋心」麻の帯だろうか。恋心は芽生えたのだが、何故かざらついている。若い頃のような一途な恋はもうない。様々な感情が混沌と、打算も含んでザワザワしている。「もろこしにも味噌っ歯ありて笑ってる」店頭にあるトウモロコシはきれいに歯が揃っているが、畑で採れたものは様々。黒い歯もあり笑っている様に見える。ほのぼのとしている。

銀   次

今月の誤読●「ジンクスの右足から履く溽暑かな」。いつもは右足から靴を履くのに、その日に限って左足から履いてしまった。ドアの前に行って気づいたが、履き替えるのがめんどうでそのまま外に出た。とたんムッとする熱風が頬を打った。街に出るとビール箱の上で老人がしきりになにかを叫んでいる。「コロナによって世界は浄化され、正しき者のみ生き延びるだろう」というようなことを言っている。オレは50セントコインをやつの足下に投げた。するとやつはそれを投げ返してきて「わたしは乞食ではない」と言った。「へえ、それじゃ何者だい?」「予言者だ」「ふーん、それじゃ明日の天気を教えてくれ」。やつはギラギラした目でオレをにらみつけた。にらみ返してやろうかと思ったがめんどうなのでやめた。しばらく行くと四十過ぎのストリートミュージシャンが「未来のわたしを信じたい」と歌っていた。うんざりだ。おめえに未来なんざあるもんか、と思いつつ先ほどの50セント玉をギターケースに入れてやった。暑い。なんだかクラクラする。目の前にあったドラッグストアに入り、ビタミン剤とコーラを買った。早速ビタミン剤を四、五十粒ほど手のひらに取り出し、コーラでそれをあおった。あとはゴミ箱に捨てた。ドラッグストアを出て十歩ほど歩くと、これまでに経験したことがないほどのめまいに襲われ、スローモーションのようにオレは倒れた。これが熱中症というやつか。オレの目の前を人々の足が行き過ぎる。だれも助けてくれようとはしない。薄れていく意識のなかで、オレはもがいていた。右足と左足の靴を履き替えようと。

寺町志津子

特選句「虹消えてひとまず老いに戻りけり」七色の虹に、ふと若き日がよみがえり、気分まで若返ったのもつかの間、虹が消えると本来の年を実感。微妙な感覚を実に巧みに詠まれたと思います。「油滴天目手の平の晩夏光」油滴天目茶碗とそれを持っている手の平に差し込む晩夏光。お茶室のなんと言えぬ静寂さも伝わって好きな句です。「蝉の殻老いて人間くさく生き」老いて人間くさく生きに共鳴。私自身のことを言われている様で苦笑しました。蝉の殻の季語も働いていると思います。「逆上がり一生できず虹の反り」私そのままのようで、頂きました。「法師蝉直線で啼き点で消ゆ」法師蝉の鳴き方は言われてみれば、御句のとおりですね。

高橋 晴子

特選句「赤黒のクレヨンえがく原爆忌」赤黒のみの強調で原爆への効果は充分。クレヨンが勝手に描いたような表現で人間のしてしまった行動を訴えている。

松本美智子

特選句「とうすみの身体を抜けて風になる」俳句初者ですので季語を調べました。それで,なるほど・・・・・「風を抜けて」という表現がぴったりです。颯爽と秋風の中を飛んでいる様子が思い浮かびます。

矢野千代子

特選句「冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺」はっきり説明出来ないのですが、「なんだか妙心寺」で、これは頂かなくては!という妙な心境です。妙心寺の字もいいのですが、はっきり説明出来ないところが又良いのですね。久しぶりに妙心寺を訪ねたくなりました。

田口  浩

特選句「パンの耳切り落したる敗戦日」この句<パンの耳切る終戦日>と軽く日常を詠みながしたものではない。作者はその日の思いをしっかりと<耳切り落したる敗戦日>と受けとめている。<切り落したる>には精神のゆれがあるし、また<終戦日>ではなく<敗戦日>に戦争は二度とごめんという覚悟が感じられる。「狗尾草束ね信心厚からず」<狗尾草>が活きているし<厚からず>巧妙である。「ひまわり咲く体外受精の父となり」<ひまわり咲く>は父の愛。「ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み」「ダルマさん転んだ先のあきあかね」わたしは本来、小さな詩に魅了されることが多い。

山下 一夫

特選句「目が合つて少しバタバタする噴水」噴水の前で切れていると読解。思い募る人と目が合ってしまったときのドギマギがユーモラスに描かれており楽しい。問題句「終戦日猫の爪詰むぱちんばちん(高橋美弥子)」猫は飼ったことないのですが、お互いの怪我や屋内の損傷を避けるためにぜひ必要な措置のようです。そのことと終戦日の対応に含み(例えば、猫が戦前の日本で、詰んでいるのが連合国とか)がありそうですが、「ぱちんぱちん」でちょっと分からなくなります。でも気にかかる句です。「ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み」ややつき過ぎにも見えますが、謙遜を裏打ちしている自信も感じられて味わい深い。「空蝉を集めた指の匂い嗅ぐ」そういえば空蝉にはフライビーンズ(花豆、油豆とも)感があります。こんがりした匂いがしそうです。「秘められし大地の滾り彼岸花」。「滾り」というのがスケールが大きくていい感じです。群生をそんな目で見てみたいと思います。「本当の自分と出会うサングラス」匿名の状況で自分の本性を確認したということでしょうか。SNSでのバッシングなども連想します。「瑠璃蜥蜴ガサッと私は未亡人」亡き夫の存在を直感した、それとも自身の性を意識する相手に出会ったか。ドラマ性を感じます。

河田 清峰

特選句「銀漢や一億人が欠けて往く」日本人が皆天の川の星になったようで淋しい。もう1つ特選句「冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺」禅宗寺の妙心寺で食した精進料理が思い出される。

野﨑 憲子

特選句「青柿に真紅の車還り来る」かつて柿の木は、嫁ぐ折に新婦が持参し、その柿の木と共に生涯を過す習わしがあったとか・・。車は真っ赤なポルシェか、はたまたエスティマか、この作品の奥に、晩夏のロマンを感じます。

(一部省略、原文通り)

【通信欄】

今年の「海原金子兜太賞」奨励賞に本句会の仲間である河田清峰さんと伏兎(三好つや子)さんが選ばれました。おめでとうございました。詳しくは、リンクから「海原」のウエブサイトをご覧ください。https://kaigen.art/news/  

8月句会は、香川県がまん延防止等重点措置対象地域になった為高松での句会は中止し事前投句による通信句会のみの開催といたしました。猛暑の中繰り広げられているパラリンピックの選手の方々の雄姿に深く感動するこの頃です。闇が深ければ深いほど立ち上がった時の光は遍く一切を照らすということを強く感じております。皆様、時節柄、御身くれぐれもご自愛ください。

2021年7月29日 (木)

第119回「海程香川」句会(2021.07.17)

風鈴.jpg

事前投句参加者の一句

     
雲の峰埴生の宿や我哭(な)かん 久保 智恵
なめんなよ 冷奴かて意地あるで 島田 章平
わが影のなかの蝶揺れ砂こぼす 十河 宣洋
まぼろしの滝の高さを育てけり 田口  浩
詩のような曲路を抜けし閑古鳥 豊原 清明
平穏な日の汗兜太と歩いた街 津田 将也
あぐらかく猫と将棋や梅雨前線 増田 天志
夏至の日暮れキャッチボールの父の顔 山本 弥生
口中に舌のだぶつく桃の昼 小西 瞬夏
声細き男来てする田水張り 吉田亜紀子
死を語るリモート講座日雷 菅原 春み
蓮の花銀の糸で山を縫う 夏谷 胡桃
立葵をさな指さすあつちようちよ 福井 明子
仮縫いの貝殻骨美しジューンブライド 田中 怜子
どこで脱ぐか蝉空蝉をかつぎゆく 竹本  仰
手花火の雫の下の黄泉の橋 伏   兎
飛べそうな気がする夜を緑夜と言う 佐孝 石画
不条理が地球を覆ふ梅雨しとど 三好三香穂
明日手術カルテの文字が蟻になる 寺町志津子
竹落葉踏んできし日の土不踏(つちふまず) 谷  孝江
一炊の夢の匂ひの夜店かな 松岡 早苗
夜空遠ししゃくとり今日を測り終え 松本 勇二
ニス匂ふ緑蔭周波数ざらつく すずき穂波
百万ドルの夜景融解土砂降りに 滝澤 泰斗
髪洗う捨てられぬもの多過ぎて 石井 はな
地獄の黙示録蟇の眼玉浮く 川崎千鶴子
放蕩の父の土産や金魚玉 銀   次
影踏んで来て夕暮れの花氷 三枝みずほ
深息し素のまま生きて楸邨忌 高橋 晴子
荒梅雨のオリパラ兄の蓄膿症 荒井まり子
蟻一歩人間一歩地図描く 亀山祐美子
父金継ぎの黒き器や遠雷す 中野 佑海
角栄も邦衛も田中、田水沸く 藤川 宏樹
放棄田に立てば弟の声がする 稲葉 千尋
老々介護縄文の土器愛(め)でる如 若森 京子
おとうとよソーダで割っている帰郷 大西 健司
秒針が可哀想なほど回っている 中村 セミ
ウォーリーをさがせ!金蠅何処消へし 野澤 隆夫
昼の蚊やコロナが嗤うワクチン チッ 田中アパート
海霧の中行く舟にいるヒトと 鈴木 幸江
やがて満つ力銀杏の若緑 小山やす子
夏服の鎖骨うつくし鴎外忌 高橋美弥子
交響曲六番蟷螂のごとコンダクター 佐藤 稚鬼
電話じゃないよ風鈴よと母を抱き 増田 暁子
手の甲の筋走り根のごと七月 森本由美子
蓬匂う如き戒名授けらる 榎本 祐子
来世は驟雨のように生まれます 高木 水志
百日のサプリより白南風の一気 野口思づゑ
下駄履いて優しき夏を買いにゆく 伊藤  幸
蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ 月野ぽぽな
梅雨の月呼吸の中に身を沈め 河野 志保
オンラインもつぱらとする蠅叩 山下 一夫
加茂茄子のぽってり育つ月の夜 飯土井志乃
青田波讃岐平野はでっかいぞ 漆原 義典
素描画の原生林に夏の風 重松 敬子
読み捨てられた本のよう昼寝覚 柴田 清子
人体に滅ぶ国あり青時雨 桂  凜火
おたふくあじさい手摺は波に毀されて 河田 清峰
舌を出すアインシュタイン夏五輪 藤田 乙女
陽に向かう蟻の背伸びや蟻の旅 松本美智子
立葵少女の脚のながきこと 植松 まめ
氷菓舐む同じ子宮にいた兄と 男波 弘志
夏満月血の濃ゆければ諍えり 稲   暁
豆ごはんどの子も目玉よく動く 吉田 和恵
早飯早糞事なさざりと盛夏の師 野田 信章
部屋に入つてきた雲の奥から卑弥呼 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「母の忌の少しの水にいる魚(男波弘志)」母の忌は楽しい思い出やつらい思い出が綯交ぜになった複雑な日だ。そういう日に、少しの水に生息する魚に目を遣った感性は繊細で柔軟だ。無季であるが、詩性がそれを凌駕している。

小西 瞬夏

特選句「母の忌の少しの水にいる魚」水はたっぷりではない、その限られた環境のなかで華々しくはなくとも、それにあらがうことなく、しっかりと生きて泳ぐ魚。母の忌にそのことを思うことで、母の生きざま、そしてそれを見てきた作者自身の生きざまを思い、また読者としての私自身の生きざまを問われる。

若森 京子

特選句「話してごらんぐっと近づく夏の月(藤田乙女)」平明で自然と一体化したナイーブば抒情が好きです。特選句「読み捨てられた本のよう昼寝覚」昼寝覚めの時に味わう時間の止まった様な不思議な意識を「読み捨てられた本」と表現した喩の面白さに共鳴しました。

稲葉 千尋

特選句「交響曲六番蟷螂のごとコンダクター」おそらくベートーベンの「田園」のことかと思う。わりとゆっくりのリズム、指揮者の様子がわかる。

増田 天志

特選句「部屋に入つてきた雲の奥から卑弥呼」俳句の可能性を広げる意欲作。秀句は、創作意欲をかきたてる。雲の峰より卑弥呼起つ根っこかな。やはり、季語にこだわると、平凡になる。

小山やす子

特選句「梅雨の月呼吸の中に身を沈め」うっとうしい梅雨とコロナ禍の今、じっと耐えるしかありませんね。

藤川 宏樹

特選句『「はだいろ」は消えてしまったなめくじり(高橋美弥子)』クレヨン、色鉛筆に「はだいろ」という名の色があった。人を描くときは「はだいろ」を考えもなく使ったものだ。肌の色は十人十色。多様性を認めあう今、「はだいろ」という名は消えてしまった。「なめくじり」の質感をうまくあてている。

すずき穂波

特選句「蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ」蛇は自力だけではなく草や木の枝、石、岩の助けを借りて脱皮すると聞いたことがある。「夜を大きく使い」の捉え方に力を振り絞る蛇の生命力を、そしてまたこの作者の愛をも感じた。特選「口中に舌のだぶつく桃の昼」会話の少なくなっている現在の倦怠感や苛立ちを「舌がだぶつく」と表現されたか。桃を啜るときの快感に反して、いっそもどかしさが増すのだろう。

福井 明子

特選句「夜空遠ししやくとり今日を測り終え」悠久の果てない時間の中で、とにかく今日一日成したことを「測り終え」る。ちっぽけではあるが、「しやくとり」も文字にすると存在感がある。そんなことに気づかされた一句。特選句「舌を出すアインシュタイン夏五輪」この句にくぎ付けになった。何故? アインシュタインの、あの舌を出した写真のインパクトが、迷走する夏五輪そのものに対峙し鳴り響く。

大西 健司

特選句「明日手術カルテの文字が蟻になる」中七以降の捉え方は秀逸。それだけに上五のもたもたとした言い回しが気にかかる。もっと絞ってもらいたい。たとえば手術前夜とすればもっと臨場感、焦燥感がつのるのでは。好きな句だけに勝手なことを考えてしまうがいかがなものか。「夏服の鎖骨うつくし鴎外忌」も同様、夏服とわざわざことわらなくてもと考えてしまう。「我が影の鳥になりたる青岬」「放棄田に立てば弟の声がする」好きな句だがやや既視感を思わないでもない。

津田 将也

特選句「雲の峰埴生の宿や我哭かん」。歌詞の説明に「埴生の宿」とは、みずからの生まれ育った花・鳥・虫などに恵まれた家を懐かしみ讃える歌・・・とある。床(ゆか)も畳もなく、荒壁むきだしの家。このような造りであっても、自分が育った家は「玉の装い」を凝らし「瑠璃の床(ゆか」を持つ御殿よりずっと上等で、楽しく頼もしい。一般的では、「みすぼらしい家(我が家)」といった意味合いで使われる。歌唱して生い立ちに想いをいたすとき、なぜか郷愁にかられ、わけもなく涙がこぼれるのである。昭和六十年七月二十日(一九八五年)に公開された市川昆監督の映画作品に「ビルマの竪琴」がある。終戦を迎え日本に帰還するビルマ(現・ミャンマー)戦線の日本兵と、累々と戦場に続く日本兵の屍を目の当たりして、彼らをきちんと葬るのが自分の使命と考え、現地の僧侶となって残ることを決意し、これらの戦友たちと別れるまでの水島上等兵の戦争物語である。最後のシーン「埴生の宿」の合唱が素晴らしくて、今でも、目頭が熱くなる。季語「雲の峰」が特別な効果をくれてもいる。特選句「口中に舌のだぶつく桃の昼」。これもなかなかの秀抜句である。「舌のだぶつく」が含有している性的衝動への期待感を私は支持する。

鈴木 幸江

特選句評「蟻一歩人間一歩地図描く」かつて伊能忠敬は歩いて日本地図を完成させた。人類の地図には深い歴史がある。今は、宇宙衛星を駆使して完成させているのだろう。自分に備わっている知覚と智恵を駆使して地図を描いてきた人間の能力は今どこに潜んでいるのだろうか。蟻は地図を描けるわけではないが仲間に餌のありかを教える能力がある。目的地へ着くという思いは同じだ。身体で覚えた生きる術を失うことは恐ろしい、そして人類が為す一歩の行為の責任も考えさせられた。

豊原 清明

特選句「山梔子咲き合うて互いを褒め合うて(伊藤 幸)」咲き合って褒め合ってという所が、肯定的なイメージで、ほっとする。問題句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」一行詩と思った。飛ぶところは、鳥への憧れか。

野田 信章

特選句「平泳ぎのような息継ぎ朝ひぐらし(松本勇二)」の蜩は、私の中では夏から秋にかけての間(あわい)の季節感とともに在る。間断なく降るその声をこのように表現されてみると、そこにはコロナ禍の夏百日を生き抜いた者の息継ぎ息使いとも自と重なってくるものがある。美しい叙情句である。

寺町志津子

特選句「やがて満つ力銀杏の若緑」どっしりと大きな銀杏の木。その木の若緑色 の小さな葉。その小さな葉は月日と共にしっかりとした葉になると詠まれた掲句は、景がよく見え ると同時に、少年の成長する姿とも取られ、気持ちよくいただきました。

夏谷 胡桃

特選句「立葵少女の脚のながきこと」。立葵がわたしの夏の花です。そして最近の女の子のかわいいこと。見惚れてしまいます。「豆ごはんどの子も目玉よく動く」。夏の子どもたちの昼ご飯(保育園かな)の風景が浮かびます。

中野 佑海

特選句「一炊の夢の匂ひの夜店かな」夜店はいつも切ない。うす暗いガス灯、アセチレンの匂い。綿菓子の買って少し経つと凹む袋。林檎飴の欠け。くじ引きのはずれのベロベロ。何故か悲しくなるものばかりなのに、わざわざ出掛けて行くのはなぜ?特選句「オンラインもっぱらとする蠅叩き」オンラインって気遣いますよね。画面から外れないように。だから、蠅叩き凄く分かります。でも、私は蚊もどちらも気になります。気になりかけたら、車運転してても、停めて頑張ります。「なめんなよ 冷奴かて意地あるで」分かるわ。何時まででも苛められたままではおれへんで、見ときや。暴力には頭や!「解しては一挙三密素数蝉(藤川宏樹)」素数蝉って周期的に大発生するとか。ほんま一挙に三蜜。わたしは蜂蜜のほうが有難いけど。解変えてんか。「どこで脱ぐか蝉空蝉をかつぎゆく」実際に目撃されたのですか。見つけたら後付けたくなりますよね。「手花火の雫の下の黄泉の橋」花火の火の粉は硫黄の香り。黄泉との橋渡しをしているのでしょう。「髪洗う捨てられぬもの多過ぎて」私の部屋の片付け誰か手伝って下さい。あの世とやらへ旅立つ日が近づいているのに、夏はつい髪をあらいたくて、シャワーの時間が増え往生します。「途中から虹現われるチューインガム」もういつ顔にぺちゃっていくかな?この緊張感。「おとうとよソーダで割っている故郷」帰らなければでも帰るとなるといろいろ蟠りが。ソーダの泡の様に吹いてくる。「読み捨てられた本のよう昼寝覚」えっと私は今から何を演じるのだっけ。この頃夢と現がごっちゃになってややこしいったらありゃしない。台本台本。以上。宜しくお願いします。 今月も楽しい俳句を読ませて頂き有難う御座います。心癒やされます。

河野 志保

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」介護の一場面だろうか。辛いことも多いと思うのに、お母様にかける言葉には愛があふれている。心に染みる温かい句。

滝澤 泰斗

特選句「舌を出すアインシュタイン夏五輪」アインシュタインで思い出される顔と言えば、やはり、あの舌を出した顔。混沌のオリ・パラだけではなく、コロナ対策のやることなすこと頭のいいはずの官僚たちの仕業とは思えない無様な風景にあの舌出しアインシュタインの顔はピッタリ。特選句「人体に滅ぶ国あり青時雨」人体を地球に見たてた視点がユニーク。耳国鼻国、時に、勝手な国歌まで流れた・・・それが、何が原因か判らないが機能不全に陥る。様々に想像を掻き立ててくれた。特選に準じる選「夜空遠ししゃくとり今日を測り終え」深淵な宇宙観にあって、尺取虫の取り合わせ見事。「地獄の黙示録蟇の眼玉浮く」昔見た、映画「地獄の黙示録」のポスターを思い出した。「フルメタルジャケット」と並んだ戦争映画史を変えた映画として記憶している。まだ、戦火の止まないカンボジア内戦中、アンコールワットにポツンとあった、グランドホテルを沼から蟇が覗いている・・・「荒梅雨のオリパラ兄の蓄膿症」オリパラ狂騒の一断面。何ともうっとうしい蓄膿症のような状況に蓄膿症に病んだ政府が挑んでいる図。「夏服の鎖骨うつくし鴎外忌」?外忌から舞姫エリスを思い出した。エリスとはあったことはないがあの小説から想像されるエリスはまさに鎖骨の美しい人だったことが十分に想像された。「蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ」景の大きな、そして、神秘的な景に共感しました。「読み捨てられた本のよう昼寝覚」読み捨てられたような寝姿と読み捨てられた本の滑稽さにふと目が覚めた?

増田 暁子

特選句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」気持ちの良い緑夜には飛ぶことも出来るはず、と私も思いたい。特選句「また海に来てしまった夕焼け小焼け」海が好きなんですね、瀬戸内の海は本当に素敵です。夕焼けも大好きです。「あぐらかく猫と将棋や梅雨前線」コロナ禍と梅雨で猫も暇なんです。「さくらんぼ含む少女の笑顔かな」笑窪の可愛さ、大好きです。「角栄も邦衛も田中、田水沸く」田を並べて1句できました。面白い。「七夕にウイグル絣の小座蒲団」ウイグル産の木綿は今国際問題ですね。私の周りにはあるかなと不安です。

松岡 早苗

特選句「アメリカの夏碧々と空空(くうから)天(鈴木幸江)」マンハッタンの摩天楼の上の空でしょうか。それともカリフォルニアの青い空でしょうか。一切を無に変えてしまう完璧な夏空。「空空」が効いていて、とてもすばらしい句の収め方ですね。特選句「夜空遠ししやくとり今日を測り終え」目指し励まないといけない明日があるのでしょうが、とにかく今日一日を生き抜き、しみじみと夜空を眺めている充実感や安堵感のようなものを感じました。

月野ぽぽな

特選句「氷菓舐む同じ子宮にいた兄と」。「同じ子宮にいた兄と」の感慨が新鮮。「氷菓舐む」から、爽快感とともに、舌が象徴する人間の体の不思議感が立ち上がるのも、中七下五の気づきゆえだろう。

桂  凜火

特選句「海霧の中行く舟にいるヒトと星」不安でとらえどころのない時代の空気感をよく伝えていると思いました。ヒトのカタカナは霊長類のヒトという感じがでていて良かったです。

伏   兎

特選句「わが影のなかの蝶揺れ砂こぼす」夏蝶のように羽ばたきたい。そんな野心を秘めている作者の思いに共感。零した砂が光の粒のようで美しい。特選句「夜空遠ししゃくとり今日を測り終え」褒められもせず、疎まれもせず、淡々と今を生きる。河島英五の「時代おくれ」の男の歌が聞こえてきそうで惹かれた。「部屋に入ってきた雲の奥から卑弥呼」部屋の鏡にめずらしい虹雲が映ったのかも知れない。幻想的で興味深い。「死を語るリモート講座日雷」新型コロナ感染で亡くなる人はもちろん、経済的に追い詰められ自死する人が多い昨今、心に刺さる。

高木 水志

特選句「人体に滅ぶ国あり青時雨」僕は、身体の細胞を連想して、青時雨の柔らかな響きに、常にダイナミックに働いている細胞の活力を取り合わせたことで生々しさを感じた。

菅原 春み

特選句「髪洗う捨てられぬもの多過ぎて」共感のなにものでもありません。髪洗うの季語がなんともいい取り合わせです。髪はきれいになれても、ものは増えるばかり?特選句「放棄田に立てば弟の声がする」かって弟さんの耕していた放棄田。この世からいなくなったのか、農業から離れ故郷を離れていらしたのか。しみじみする句です。

野澤 隆夫

梅雨明けも直前。何かと物議のオリンピックも目の前!「海程香川」句会 第119回を届けます。つい先日、矢崎泰久『句々快々「話の特集句会」交遊録』(本阿弥書店)に渥美清=寅さんの43句を読み面白かった。いみもなくふきげんな顔してみる三が日、初句会今年もやるぞ!ヤケッパチ 等43句。そんな関係でつい流されやすい小生の特選句。「放蕩の父の土産や金魚玉」「豆ごはんどの子も目玉よく動く」どの句も渥美清の調べで、ホノボノ。いいです。

松本美智子

特選句「梅雨の月呼吸の中に身を沈め」梅雨時の夜の鬱々とした気持ちがよく表れていると思います。自粛生活を静かに粛々と・・・・今の時世も併せて表現できていると思います。早く晴れ晴れとした気持ちになりたいものです。

榎本 祐子

特選句「アスファルト剥がされてゆく溽暑かな(松岡早苗)」道路工事の側を通ると、その熱気が伝わってくる。ここではアスファルトが剥がされているのだが、その後に敷かれるであろうアスファルトの黒いドロドロが思い浮かんで、溽暑と共に皮膚感覚に訴えかけてくる。

田中 怜子

特選句「深息し素のまま生きて楸邨忌」嘆息ではないのかな、と思いつつ、楸邨氏の姿がほうっと浮かんでくる句ですね。特選句「百万ドルの夜景融解土砂降りに」夜景が融解がおもしろい。今日の新聞の俳壇で大仏が白雨でみえなくなってしまうという句が載っていました。

男波 弘志

「まぼろしの滝の高さを育てけり」虚の世界の中にはっきりした芸道の極致がある。それは育てけり の奥行き感。「口中に舌のだぶつく桃の昼」エロスの極致がある。仮に桃の実だとしたら、一句は堕落したものになっていただろう。「秒針が可哀想なほど回っている」アナログの死物狂い、創作者は常にアナログ、直でなければいけない。全て秀作です。

漆原 義典

特選句「声細き男来てする田水張り」私は大地とともに生き、大地の動物、植物から四季の移ろいを感じ、俳句に詠むことを定年退職後の生きがいとしています。私は今米作りをしていますが、私と同じような生活をおくっている方がいらっしゃることにうれしく思いました。上五の声細きがいいです。米作りに元気が出ます。ありがとうございました。

森本由美子

特選句「骨格は眠っておらず三尺寝(十河宣洋)」大工か、瓦職人か、日差しをよけ、限られた空間にバランスよく体をはめ込み仮眠。<ちょいと横にならせてもらいますぜ。> 古きよき時代がしのばれる。

吉田亜紀子

特選句「夏服の鎖骨うつくし鴎外忌」小説を読んでいるかのような句。「鎖骨がうつくしい」という表現に透明感を感じる。少年か、少女だろうか。または貴婦人だろうか。作品がぐるぐると巡る。改めて森鴎外の作品を読み返したくなりました。特選句「立葵少女の脚のながきこと」脚の長い少女が立っている。その傍には、力強いが可憐な立葵が咲いている。立葵と少女。とてもカッコいい句だと思いました。

河田 清峰

特選句「影踏んで来て夕暮れの花氷」日盛りを歩いて来ての花氷の涼しい一時。ゆっくりと融けていく夕暮れがいい。

田口  浩

特選句「蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ」。「夜を大きく使い」は発見であろう。誰にでも言えそうで言えない措辞だ。一句に独自の広がりがある。「部屋に入つてきた雲の奥から卑弥呼」卑弥呼が国々を治めるのに、いかに大事であったかと言う記録が残っているらしい。彼女が没すると、治まっていた国々が争いを始め混乱をきたした。そこで王たちは相談をして、卑弥呼の娘を二代目に据えると、諍いが無くなったという。本当か嘘かはわからないが、この句にそんな威厳を感じられないかー。この作品普通は「雲の奥から部屋に入ってきた」となるのだか、そうしないところに巫女としての摩訶不思議を表現しているようだ。「蓬匂う如き戒名授けらる」蓬が艾の原料であって見れば、戒名のそこここに、そんな香りが立ちこめる。不即不離。句としては「蓬匂う」なんとも微妙でいい。「そおつとしておこう風穴に蛇と少年(野﨑憲子)」好きな句でいいとは思うのだが、「そおつとしておこう」に引っ掛りを感じる。でも、やっぱりいい俳句に違いない。「川とんぼ重たい荷物おことわり」川とんぼの生態をユーモアを含めて詠み切っていよう。

伊藤  幸

特選句「早飯早糞事なさざりと盛夏の師」これは兜太先生の教えと受け取った。幼い頃父が若い職人さん達によく「早飯早糞早仕事!」と叱咤激励?していた事を思い出す。当時は何と下品な言葉であろうと思っていたが今にして思えば懐かしい訓示である。真逆ではあるが・・・。「盛夏の師」の措辞が悠然とした兜太先生の逞しい姿を浮かび上がらせる。

柴田 清子

特選句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」この作者の持っている独特な詩的感覚から生れた一句、素晴しい特選です。特選句「母の忌の少しの水にいる魚」読んだ瞬間いいなあと思った。何度読み返してみても、気持は、この句を離さなかった。この句に、一歩も踏み入る事は出来ないけれど。特選です。

島田 章平

特選句「母の忌の少しの水にいる魚」。不思議な響きの句。最初は間違えて、「魚」を「金魚」と読んでしまった。平凡な句だと思い取らなかった。読み直すと「魚」。???。何だろう。情景が読めなくなった。ある方は干潟の魚と読んだと言う。でもない。実在しない魚。作者の心の中に棲んでいる魚。今にも窒息しそうに口をパクパクさせている。無季俳句だからこその不思議な存在感。ひとつ、目から鱗が落ちた様に感じた。

石井 はな

特選句「万引の子の握りしめてたチョコレート(銀次)」握りしめてたチョコレートに、深い広がりを感じます。遊びの万引きではない子供の事情に思いを寄せると、心が痛みます。どの子供もみんな、健やかに伸び伸びと成長できる世の中で有って欲しいです。

佐孝 石画

特選句「平泳のような息継ぎ朝ひぐらし」クロールなどと違い、平泳ぎの息継ぎは頭全体を水面に上げる必要があり、「ぷわっ」という息継ぎの破裂音が聞こえてくるかのような必死めいたものがある。蜩の鳴き声は他の蝉に比べて軽やかなイメージがあるが、この作者はその鳴き声自体ではなく、鳴き声の合間の沈黙、静寂に注目したのだろう。切なげに鳴き声を演じ切った後、ひぐらしは必死の形相で「ぷわっ」と息継をしていると。その幻想は新鮮だった。

久保 智恵

特選句「平穏な日の汗兜太と歩いた街」とても素敵な時間です。特選句「母の忌の少しの水にいる魚」切り果てのない問いの中でまさぐるしかない表現とても好きな2句です。

中村 セミ

特選句「慈雨の夜ミカドアゲハの君の息(若森京子)」うまく書けないが蝶も暑中の中で水を欲しがるのだろう。めぐみの雨が降れば蝶はホッと一息するのではないだろうか。少女はそれを綺麗に君の息と詠んだ。

野口思づゑ

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」娘さんと一緒なのでしょうか。それでもどこか心寂しくて電話を待っておられるかもしれませんね。静かな風鈴の音に「電話が。。。」と自分では取れなく、もどかしいのでしょうか。そんなお母様に優しく接しているご本人と、お母様の二人のほのぼのとした姿が目に浮かぶようです。

三好三香穂

特選句「朝光を斬る眩しさの夏つばめ」目の前を突然、つばめの宙返り。そんな一瞬を、?朝光を斬る〟ととらえた所がすぐれている。しかも一瞬の羽根の輝きは?眩しい〟のである。「骨格は眠っておらず三尺寝」昼寝は普通、いぎたなくよだれなど垂れて、たらりとしているものだが、この人にあっては、武士の如く、草食動物のごとく気を張った三尺寝。シャキーンである。「放棄田に立てば弟の声がする」田舎の田畑は高齢化の波で耕作できなくなり、荒地に変わりつつある。この人の弟さんも継がなかったのだろう。?兄ィ、どうする?〟?兄ィ何とかせよ〟?僕はできんしな〟話し合いになったか、喧嘩越しになったか、目の前の無残な光景を見て、去し方のやりとりが走馬灯のように思い出される。切実な現実である。?放棄田〟では季語なしかも知れませんね。隣の田は水田かも。「舌を出すアインシュタイン夏五輪」何故か舌を出したアインシュタインの写真がよく使われ、ポスターにもなっている。このコロナ禍の中、無観客での真夏の東京オリンピック。世界がチョット変。あかんべえもしたくなる。十月十日の東京オリンピックがなつかしい。IOCバッハ委員長、菅総理、小池知事もあかんべえしたポスターを作ってみれば?

荒井まり子

特選句「竹落葉踏んできし日の土不踏(つちふまず)」心静かに次の世代に思いを託す優しさがいい。

谷  孝江

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」良いお句ですね。優しさ、切なさ、思いの深さが綯い交ぜになって心に染みてまいりました。ご家族の中にあって幸せそうなお母様のお姿が胸一杯に広がってまいります。この後もずっと?お幸せが続きますように。 

山本 弥生

特選句「口喧嘩の末の和解や梅酒酌む(植松まめ)」女同士の親しい友達であろうか。お互いに云いたい放題言い合った末に仲直りして手作りの自慢の梅酒で心安らぐ刻を過せたこと、どうぞいつ迄も仲良くして下さい。

飯土井志乃

特選句「老々介護縄文の土器愛(め)でる如」老々介護はかくありたしとすべての老いゆく人々にかすかな期待を込めて。

吉田 和恵

特選句「昼の蚊やコロナが嗤うワクチン チッ」コロナウイルス PCR検査 ワクチン 等 裏の事情もあるようで、それも含めてのコロナ禍を蚊が見ている。そんな感じ。納得!

亀山祐美子

特選句『豆ごはんどの子も目玉よく動く』豆ご飯のおいしさがよく伝わってきます。

田中アパート

特選句「地獄の黙示録蟇の眼玉浮く」一九七九年公開映画。フランス・フオード・コッポラ監督の作品。ウィラード大尉(マーティン・シーン)の瞳を蟇の眼玉とは。ハリソン・フォードも若かったですな。

植松 まめ

特選句「素描画の原生林に夏の風」梅雨が開け茹だるような暑さの夏が来ましたがこの句の爽やかに惹かれました。油画でも水彩画でもないのです。

高橋美弥子

特選句「舌を出すアインシュタイン夏五輪」問題だらけのこのオリパラをうまく捉えているし、遊びがあるので逆に救いがあります。問題句「万引の子の握りしめてたチョコレート」無季句は難しいのですが「万引」からはじまってハッとしました。握りしめて溶けているところまで17音で表現するのは難しいですが、さみしさがある句です。

十河 宣洋

特選句「また海に来てしまった夕焼け小焼け(柴田清子)」思いのある海と言うか海岸である。時間が出来るとなんとなく足が向く。海でなくても喫茶店だったり、本屋だったり、人はひとりでに足が向くところを持っているようだ。特選句「下駄履いて優しき夏を買いにゆく」仰々しい作り方をしているが、近くのコンビニへアイスかビールを買いに行くだけである。優しき夏の措辞がこの句を楽しいものにしている。好作。

重松 敬子

特選句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」涼しい夏の夜は、空想の世界に遊ぶのも楽しい、心は自由自在、鳥になったり魚になったり、名句が生まれます。

川崎千鶴子

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」お体が芳しくないお母様が「電話」と「風鈴」を間違えていらっしゃるのを諭されているお句かと。お母様への情が伝わります。「母を抱き」が素晴らしいです。「平泳ぎのような息継ぎ朝ひぐらし」。「ひぐらし」の鳴き声は人の心へこの世と思えない旋律で入ってきます。その声を「平泳ぎのような」と表現されたお力に感銘です。

高橋 晴子

特選句「素描画の原生林に夏の風」涼しそうに描かれた素描画の感じが原生林に夏の風でよく把握出来た感。

山下 一夫

特選句「蓬匂う如き戒名授けらる」亡くなった人のものかもしれないが自身が生前に授かったという雰囲気。それが本来らしいが求めた動機が気になる。授けられた戒名は気に入っているよう。オーダーの内容や住職との関係性、その文言等いろいろと想像させられ含蓄深い。特選句「豆ごはんどの子も目玉よく動く」その昔、豆ごはんが出ると何だか嬉しかった。味というよりも特別感がよかった。子どもとはそういうものであろう。豆と子どもの目玉がシンクロしていて生き生きとした光景が広がる。問題句「口中に舌のだぶつく桃の昼」。「中年や遠くみのれる夜の桃」(西東三鬼)「翁きて桃の遊びをせむと言ふ」(中村苑子)へのオマージュなどを思わせ興味を引く。ただ「だぶつく」がだぶだぶしているだけではなく、多すぎる(二つが限界であろうが)との含みもあるのならかなり…である。邪推?『「はだいろ」は消えてしまったなめくじり』人種差別への配慮から業界団体において「はだいろ」の呼称は「うすだいだい」に統一することになった由。なめくじりの暗喩が謎。「ぶんぶんのマンボブギウギロックンロール」リズムはかなり違うと思うが勢いは共通。楽しい。「老々介護縄文の土器愛(め)でる如」縄文土器の時間や肌合い、貴重との含みが決まった。

竹本  仰

特選句「万引きの子の握りしめてたチョコレート(銀次)」万引きで捕まった子は口を開かない。絶対に自分が悪いと知っているからだろうし、そもそも話す目的を見失っている。どうしてこんなことをしたの?と問われてもわからないからそんなことをしたのだ。どうも常識ではないことが起こっているのはわかるが、説明のしようのない世界の中にいたのだ。チョコレート一個がこんなにつまらないものなのに、その時世界にはチョコレートと自分しかいなかった。それは確かだ。そして今、見るもつまらなくなったチョコレート、世界最低のチョコレート。無数の問いと、色んな背景が、変わり果てたチョコレートの中に消えてゆく。問いに満ちた句、いいですね。特選句「人体に滅ぶ国あり青時雨」三木卓に『ほろびた国の旅』という童話があって、少年の眼で見た満州を再現しようとした話だった。滅びる国にはそれなりの理由があって、しかし誰にも止められない特急列車のようなものらしい。体に少し重い病をかかえる人なら誰しもそうかという感じになるかも知れない。と、まあ、そんな乗客の一人の眼として眺めると、何だか印象的な修学旅行の中にいるような印象になる。青時雨が何とも生々しく、そのへんの感傷をそそるのである。特選句「氷菓舐む同じ子宮にいた兄と」兄弟であれば実に当たり前のことを言っている句なのだけれど、よく考えれば、というタイミングが見えて、そこが面白い句だと思った。目の前にいるこのエラそうな奴は、しかし俺とおんなじ、アイスを美味そうに食うそんな顔をしてこの世に来たんだ。えっ?なんだ、なんだ。当たり前なのに、そう考えると、いったい、俺もそんな変な赤ん坊でそんな表情をしていたという訳か。おいおい、これは、いいことなのか、悪いことなのか?まあ、ここにこうして訳もなく向かい合っているということには、何か色々ワケもあったらしい。何だか、このアイス、今日はヘンな味だな。ふとした存在への問いかけ、いいですね。 暑中お見舞い申し上げます。とうとう猛暑の梅雨明けが来ましたね。涼しい句に巡り合えればと思いつつ、いやいや辛く熱い多くの句に遭遇。しかし、これは体内から発する自然なエネルギーです。何だか起き掛けの新鮮です。みなさん、いつもありがとうございます。見返せば見返すほど、句に〇がついていき、なかなか絞り切れず、ぜいたくだあ~と、痛感しています。

自句自解「冷や奴つかんだ渥美清かな」松下竜一の『豆腐屋の四季』の最初の歌に「泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん」というのがあって、怒れる渥美清はどうかと、しかし、渥美清の怒れる時代を知っている人はそんなにいないようです。テレビ番組で『泣いてたまるか』を見ていた頃、60年代の渥美清は怒りを押し殺す名演でした。その頃、我が郷里に「ツネちゃん」と呼ばれる豆腐屋さんがいて、顔も声も渥美清にそっくりな腰の低い好人物でした。この間帰省した折に、その店ももうすっかり姿が消えているのに気づきました。怒りも苦労も…、そうか、という句でありましたが、フーテンだけではないまっとう な渥美清、もうあまり知られていないことなんだろうなと。まあ、そんな駄句でありました。「どこで脱ぐか蝉空蝉をかつぎゆく」もう一つの蝉の句は、今年よく見かけたもの。ほんと、空蝉に困っている蝉がいて、 でも、なぜ、彼らはその場所をわざわざ高い場所にとるんだろうか、とても健気に高いところを目指すのに驚きます。ふと、俳句を抱えた自画像というか、そんなものにかぶさってくる面白さ感じました。

三枝みずほ

特選句「母の忌の少しの水にいる魚」水の自在さと魚の生命が母の忌と取り合わされたことによって、解釈を確かなものにする。無常観というべきか、生死への達観を感じた。言葉に一切の無駄がなく緊張と緩やかさが混在する表現が圧巻。問題句「蝉たかる蟻すさぶ街に群れる餓鬼(松本美智子)」熱量のある語彙の選別に惹かれた。散文的なので、韻律による表現効果が得られれば独自の世界に到達できそうだ。こういう挑戦は飛躍を生むだろうし、一句にかける激情に大きな刺激を受けた。

銀   次

今月の誤読●「老々介護縄文の土器愛でる如」。 とき/いま。 ところ/ホスピスの一室。 登場人物/姉(九二歳)、妹(九二歳)、つまり双子である。 姉はベッドに横たわっている。妹はソファーで刺繍をしている。

姉「……美しい曲を聴くと、美しい絵を見ると、青春を思い出す……、ねえ、あなた、このセリフ覚えてる?」妹「もちろんよ。『舞踏会の手帖』のピエールのセリフよ」姉「ひとりぼっちになった未亡人が、昔パーティで出会った男たちを訪ね歩く」妹「でもみんな昔のままじゃなかった。自殺した人もいたしねえ」姉「人生って残酷」妹「そう? わたしは幸せな人生を生きたわ」姉「そうねえ。……あなた、なぜ結婚しなかったの?」妹「んー。やっぱりお姉さまと一緒にいたかったからかなあ。お姉さまはどうして?」姉「おなじく。あなたとずっと遊んでいたかった」妹「双子だからかなあ」姉「それ関係ある?」妹「んー。どうだろ」ふたりの秘密めかした笑い声。姉「……うっ、せん、めん」妹「洗面器ね。はい、これ」姉「また血よ」妹「いやよそんな言い方。これは薔薇よ。水に浮かんだ真紅の薔薇」姉「そうだったわね。ごめんなさいね。何事もきれいでかわいく。わたしたちのモットー」妹「そうよ。わたしたちの人生はふたりで編み上げる一針ごとのタペストリー」姉「でも、その一針も最後にきてるわ」妹「そうはさせません。お姉さまをひとりでは行かせません。わたしが追いつくまで待ってて」姉「いいじゃない。わたしが先に行って待ってても」妹「いいえ、ふたりで行くの。これまでもそうしてきたように」姉「強情ね。でも、ほんとずっと一緒だったもんね。わたしたち」妹「ふたり一緒に産まれてきて、一緒に生きて、一緒に死ぬ。完璧だわ、わたしたちの人生」姉「完璧な人生、か。なんだか楽しいわ」妹「ね、ね、これこそわたしたちだけの最高の遊び。おもしろいわあ」姉「ええ、おもしろいわ」クスクス笑い。そして長い沈黙。

藤田 乙女

特選句「なめんなよ 冷奴かて意地あるで」句全体から冷奴の感覚が感じられて惹かれました。今度冷奴を食べる時この句に応える言葉かけをしたいです。特選句「放蕩の父の土産や金魚玉」金魚玉を手にした父親の姿と作者の父への思いが伝わってくるようでした。

野﨑 憲子

特選句「立葵をさな指さすあつちようちよ」文語口語チャンポン表記に不思議な魅力を見出した作品です。幼子の指先の蝶影と共に、天空へ咲き上がってゆく立葵の垂直の美、調べの美しさに感動しました。問題句「秒針が可哀想なほど回っている」魅力の無季の句です。秒針は、案外楽しくって仕方ないんじゃないかな?とも。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

かくれんぼ蟹の大家は蟬が好き
野﨑 憲子
黄泉平坂啞蟬の谷あればなり
田口  浩
朗読でジンと痺れたセミの声
島田 章平
トンネルに入れば爆弾蝉の群
銀   次
姿が変わる
ほんたうは言えないこの蟇が君だとは
野﨑 憲子
やれやれとウルトラマンにまた変身
銀   次
サングラス姿を変えたつもりなの
柴田 清子
七月の雑踏が揺れて黒煙
三枝みずほ
手紙見てマユゲひきつる女かな
中村 セミ
アイス
限界の氷菓少女脳を直撃す
銀   次
とけてゆく氷菓よジヤズジヤズジヤズ
野﨑 憲子
老年の恋や氷菓の溶けるまで
島田 章平
百均のアイスをなめて交差点
藤川 宏樹
少年の頬の四角や氷菓かな
三好三香穂
コンビニへ飛び込んでアイスクリームになる
柴田 京子
色褪せた識者の顔や掻き氷
藤川 宏樹
七月
「嘘だろう」七月のザムザ氏絶叫
中村 セミ
七月や長門の海に対峙せり
田口  浩
七月の人影踏みし月明り
中村 セミ
七月を渡れ玄界灘の鳳仙花
銀   次
自由題
振り返るまいぞ駆け去る西日の子
銀   次
花筏ためらい傷のそれぞれに
佐藤 稚鬼
夏の風邪とは違うのよマスクなの
柴田 清子
間一髪夕立逃れバスに乗る
三好三香穂
蛍舞ふ絶壁に小便小僧
島田 章平
前進前進前進蝸牛
島田 章平
草々をはなれる風よ半夏生
三枝みずほ
曇天や引き算とくいな牛蛙
野﨑 憲子
紅花や鶴折る人の吐息とや
田口  浩

【句会メモ】

長引くコロナ禍の中、今回も高松での句会に10名の方が参加されました。生の句会は、月に一度のお祭のようです。言葉の華があちこちで揚がり盛りあがりました。句会場のサンポートホール高松7階からは、瀬戸内海が見渡せます。いつもなら猛暑の中、帆影もあちこちに見えるのですが、今年は淋しい夏です。一日も早いコロナウイルスの終息を願うばかりです。

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